世界五分前仮説の意味とは?ラッセルの思考実験がヤバすぎと話題 | ToraTora[トラトラ] – Part 2

目次

  • 1 世界五分前仮説とは?
  • 2 世界五分前仮説の意味を解説!
  • 3 ラッセルの思考実験がやばすぎる!
  • 1 世界五分前仮説は否定不可能?

clock-650753__480-e1562224235559-4364999

引用: Pixabay

世界五分前仮説という言葉を知っていますか?バートランド・ラッセルというイギリスの哲学者が提唱した仮説であり、思考実験の一つです。

簡潔に言うと「世界は五分前に出来た可能性があります」という意味の仮説なのですが、もしも五分以上前に起こったことや見聞きしたこと、出会った人など私たちの記憶を含む世界の全てが一瞬で生み出されたものだとしたら驚きですよね。

世界五分前仮説という言葉を知らなくても、世界はいつ出来たのだろうと考えたり過去に起こったことが夢のように思ってしまったりした経験がある人もいるかもしれません。

世界五分前仮説は、そんなことを考えるのが好きな人にとっては、非常に魅力的な仮説かもしれません。

しかし私たちが、一生懸命努力して勝ち取った結果や成績、恋人や大切な人とつくりあげてきたはずの思い出などが、世界五分前仮説で語られるように五分前に突如として現れただけのものだとしたら、なんだか虚しい気もします。

そんな驚きの世界五分前仮説を唱えたのが、バートランド・ラッセルです。ニーチェやプラトンほどの知名度は無いかもしれませんが、ラッセルは数学や哲学、政治等、様々な分野で活躍し多くの著書をのこした偉人です。

世界五分前仮説以外にも功績はあり、数学の分野でラッセルのパラドックスというパラドックスを発見しています。パラドックスとは、逆説という意味です。

また、教育による洗脳効果や社会思想において独自の平和主義を唱えたり、世界五分前仮説の他にもたくさんのことを考えた人です。

ラッセルが何故、このような突拍子もない説である世界五分前仮説を唱えたのか興味深いものですね。どうしてこのような不思議な仮説が生まれたのでしょう?

また、思考実験としての世界五分前仮説とは、どのようなものなのか気になります。

世界五分前仮説は、いったいどのような意味を持つ言葉なのでしょうか?世界五分前仮説の意味、思考実験としての世界五分前仮説の内容等、詳しく紐解いていきましょう!

世界五分前仮説の意味を解説!

eiffel-tower-1975412__480-e1562235575215-6501794

引用: Pixabay

世界五分前仮説とは、いったいどのような意味なのでしょうか?

冒頭で述べた通り、世界五分前仮説の意味は「世界は五分前に出来た可能性がある」とされる仮説という意味です。

「世界は五分前にできました」といわれても、なかなかぴんとこないかもしれません。しかし、この世界五分前仮説は否定することが絶対に不可能なのだそうです。

過去は過ぎ去ったものです。なので、過去は私たちの記憶にしかなくその過去を証明することは不可能です。それに、人間は間違えて記憶してしまうこともあるため、やはり記憶だけではあてになりません。

世界五分前仮説では、五分以上前の過去や記憶がもともと備わった状態で世界が生まれたということになっているので、過去の産物や記憶を反証の材料にすることは不可能なのです。

世界が五分前にできた可能性は絶対に否定できない」と言われても、それに何の意味があるのかと多くの人は思うかもしれないし、世界五分前仮説が無意味なものにすら思えてくるでしょう。

もし本当に世界が五分前に出来ていたからといって、私たちはどうすることもできないし、何か得をするわけでもなく、本当に考えても意味のないことのように思えてきます。

しかし、世界五分前仮説のようなことは大昔から考えられてきたようです。ラッセルが唱えたこの世界五分前仮説の基になったといわれている説で「オムファロス仮説」という説があります。

オムファロス(Omphalos)とはギリシア語で「へそ」を意味し、創造論に登場するアダムとイヴにはへそがあったのかという議論から生まれた仮説だそうです。

世界五分前仮説の基となったとされるこの説は、イギリスの自然学者であるフィリップ・ヘンリー・ゴスが提唱しました。もしもアダムとイブにへそがあったのならば、アダムとイブにはへその緒があったことになります。

そうなると、アダムとイヴは神ではなく母親から生まれたことになってしまいます。へその緒は、女性の母体から生まれたことを意味する何よりの証拠です。

それに、ゴスはへそのないアダムとイブの存在は可能でも、爪や髪など時が経つにつれ成長するものも創造の瞬間から伸び始め、同じようにつくられたのかを疑問に思いました。

そこで木の年輪、亀の甲羅の模様の変化、大地が川に浸食された跡や地層なども、過去の存在の確証として無視できないものだと考えられていました。それら全て、「完全に存在する状態で生まれてきた」と考えることで、矛盾はなくなると結論付けたのです。

このへんは、世界五分前仮説ととてもよく似ていますね。

ゴスは、この説を唱え創造論者からも無神論者からも批判をうけました。その二年後、ダーウィンがあの有名な『種の起源』を発表します。その後、進化論が受け入れられはじめ、人類の誕生や世界の起源についての学問が大きく変革を遂げていきます。

世界五分前仮説は、このような歴史を踏襲して唱えられた仮説だったのですね。

世界の誕生や人類の起源を学問することは、私たち人間の使命や存在意義を識ることに繋がりとても意味のあることです。世界が発生し様々な動物が生まれ絶滅し、そのサイクルの中で人間も生まれ存在しています。

人間は、他の動物に比べ知能も高く文明も大きく発展していますが、その反面、環境汚染や自然破壊という問題も生み出している存在です。

世界がどのようにして生まれたのかそもそも存在する意味などを考え思いを巡らすことができるのも知能や感性が発達した人間ならではかもしれません。そもそも、世界を世界として認識することができるのも人間です。

また動物にも、それぞれの知能や感性やコミュニケーション能力があることが知られてきました。そうして他の生物のことを研究し、知ろうとするのも人間にしかできないことです。

この世界五分前仮説も、人間だからこそ考えることができたことでしょう。

人間の使命とは、世界はどのように生まれたのか、生物が存在する意味等、この世界の存在についての様々な問いに対して答えを出していくことなのではないかとも考えられます。

バートランド・ラッセルは、世界五分前仮説を唱えることで、その時代の人々に問題提起をしたかったのかもしれません。時代を超えて、現代の私たちの間でも話題にのぼるテーマを提唱したラッセルは本当に偉大な学者ですね。

大昔からたくさんの人が、世界五分前仮説のようなことを想像したり世界の起源について様々なことを考えたりしてきたにも関わらず、確かな真実はわからないままなのです。とても興味深く、不思議ですよね。

世界五分前仮説のだいたいの意味は、理解して頂けたでしょうか?次は、思考実験としての意味も説明しながら、世界五分前仮説についてもっと詳しく見ていきましょう。

ラッセルの思考実験がやばすぎる!

microscope-385364__480-e1562317036724-3368009

引用: Pixabay

世界五分前仮説は、懐疑主義的な思考実験としても知られています。思考実験とは、頭で想像するだけで出来る実験です。科学の基礎原理に反しない範囲で極度に単純化、または理想化された前提で行うものです。

思考実験は、頭の中だけで行うことができ、道具も何もいらず一人で行うことも可能です。

世界五分前仮説以外で、有名な思考実験としては、ニュートンの万有引力についての思考実験、ガリレオの船という思考実験などが例に挙げられます。

では、懐疑主義的な思考実験とはどういう意味でしょうか?

懐疑主義とは、「本当にそうなのか?」とを検証するものです。例えば、地球が反時計回りに自転していることは知っている人が多いかもしれませんが、「なぜ、反時計回りなのか」「そもそも、なぜ時計は右回転なのか」等を検証していきます。

思考実験としての世界五分前仮説は「本当に五分前にできたのか」「では私たちが覚えている五分以上前の記憶は何なのか?」等、懐疑的に問いを重ねていきます。

私たちは、過去に手に入れた物、様々な思い出、また多くの知識を持っています。それが、過去が存在する確固たる証拠だと言っても過言ではないでしょう。

しかし、世界五分前仮説を唱えたバートランド・ラッセルは「異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的必然的な結びつきもない。それゆえ、いま起こりつつあることや未来に起こるであろうことが、世界は五分前に始まったという仮説を反駁することはまったくできない。

したがって、過去の知識と呼ばれている出来事は過去とは論理的に独立である」と『心の分析』という著書で述べています。

つまり、私たちが記憶している過去の記憶は実際に存在した過去の出来事とは論理的には全く無関係であり、過去の存在を証明するものが何もないということです。

この世界五分前仮説を唱えたバートランド・ラッセルは、世界五分前仮説の他にも様々な思想や理論を唱えています。また、数学者、論理学者、哲学者、社会批評家、政治活動家等、様々な肩書がありました。

ラッセルは、世界五分前仮説などの哲学者としての顔以外にも、汚いやり方で民衆を支配してきた権力者に反抗してきた一面もあり、彼の言葉は現代の私たちにも響く言葉でもあります。

高潔な人たちが、自分は正当にも「道徳的な悪」を懲らしめているのだと思いこんで行ってきた’戦争’や’拷問’や’虐待’のことを考えると、私は身震いする。」(ラッセルの著書『On Education』より )

残酷さと搾取によって財産を獲得した人は、たとえ規則的に教会に行き、不正に獲得した収入の一部を公共事業に寄付したとしても、”不道徳な人間”と見なされなくてはならない。」(ラッセルの著書『Sceptical Essays』より)

そんなラッセルが提唱した世界五分前仮説という思考実験ですが、実はキリスト教の創造論に触発されて生み出したものだそうです。ラッセルは、もともと徹底した無神論者でした。

もしかすると、世界五分前仮説はキリスト教の創造論に対する皮肉ではないかという考え方もできます。思考実験という形をとることで創造論者に一つの問題提起をしています。

「神が世界を創造した」という説も「世界が五分前につくられた」というこの世界五分前仮説も、同じく確証となるものもなく、また反証することもできない曖昧で不確かなものです。

世界が五分前に完成したというのならば「世界をつくり出したのは神である」という説もありえます。世界五分前仮説のように一瞬で世界が発生するというのは非常に突飛であり、それこそ神でなければ成せないようなことです。

一見、キリスト教の創造論を肯定しているようにも見える世界五分前仮説ですが、蓋を開ければ世界五分前仮説自体が「確証もなく、反証もできない」という構造になっています。

ラッセルは、世界五分前仮説を唱えることで「キリスト教の創造論は何の根拠もないものである」と言いたかったのではないでしょうか?

「世界は五分前にできました」という突拍子もない説に、私たちは自然と様々な疑問を抱きます。

懐疑的に問いを重ねさせていくことで、世界五分前仮説を考える者に自発的に「このありえないような説は、実際理論的にはありえなくもないのだ」という気づきを与えることになります。

世界五分前仮説を知ったことによって、私たちが信じて疑わなかった過去というものの存在が揺らぎ、なんとなく不安な気持ちにさせられると思います。

過去という存在が不安定になった時、私たちが日常的に行っている生活や行動の価値や意味について考えさせられてしまうような気もするので、世界五分前仮説はなんだか怖い思考実験でもありますね。

なんだか少し不安な気持ちにもさせられるこの世界五分前仮説ですが、前述したとおり世界の起源や人間の存在を学問するためには大いに意味のある仮説です。

世界五分前仮説は否定不可能?

e1563961579549-7873148

引用: Pixabay

世界五分前仮説は、否定することが不可能と言われていますが本当にそうなのでしょうか?

世界五分前仮説は、本当に完全否定することも完全に肯定することもできない説です。なぜなら、結論を出すための確実な証拠がどこにもないからです。

前述したとおり、過去を世界五分前仮説の反証の材料にすることは不可能であり、五分以上前に作った料理が今存在することや、複数人が共有している同じ過去の記憶も、ラッセルは「その状態がもともと備わった世界が五分前に生み出された可能性があるのだ」と言うのです。

世界五分前仮説に似た説で、水槽の脳という説もあります。科学者が人間から脳を取り出し、培養液で満たした水槽にその脳を入れコンピュータにつなぎます。水槽の中の脳の神経と電極をコンピュータで繋ぐことによって脳の意識は操作することができ、科学者がつくり出した世界を生きているかのような意識を生じさせることができます。

私たちが現実に存在すると思っている世界は、科学者によってコンピューターでつくられた世界なのかもしれないという説です。

この説も世界五分前仮説と同じく、完全に否定することができない説です。

世界五分前仮説も水槽の脳も、過去の事実や証拠となる物質の存在、私たちの記憶ごとひっくるめた意味での世界が生み出されたのだということなので「世界が作られたものである」という可能性は、私たちの記憶や過去によって否定することはできません。

しかしながら、一方でこの手の説は肯定することもできないのです。それもまた「五分前に世界ができた」「世界は誰かの手によってつくり出された」という確固たる証拠がないからです。

世界が五分前に生まれた証拠や自分の意識は水槽の脳が見せられている夢なのだと確証できる材料は、やはりどこにもありません。

ラッセルは、世界五分前仮説を提唱することで「疑おうと思えば何だって疑うことができる。何でもかんでも疑っていたらきりがない」ということを言いたかったのだとも言われています。

疑うということは、慎重になって冷静に考えることでもあるので悪いことではありません。ただ、何かを疑い過ぎてしまうと寧ろ真実が見えなくなってしまうこともあり、注意が必要です。

物事を正しく見るためには、疑いの目で見ることも時に必要ですが、ラッセルの言うように何でも疑っていたらきりがないですよね。

哲学の世界は、考えれば考えるほど答えが迷宮入りしてしまい抜け出せなくなるような難解さがありますが、それが魅力でもあります。

世界五分前仮説は完全に否定も肯定もできない説なので、本当に世界が五分前にできたのかは実際にはわかりませんが、この説から様々なことを考えることができます。

哲学者、科学者、宗教学者、地形学者など、ありとあらゆる知識人が世界五分前仮説に向き合ってきた歴史があります。

世界五分前仮説は、突き詰めて考えるほど奥が深い説です。

前の記事

育乳効果のある食べ物・飲み物20選!豆乳の他にこんなものが! …

次の記事