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2004年9月3日、岡山県津山市で、事件は突然発生しました。当時小学3年生だった筒塩侑子さんが自宅で死亡しているのを、あとから帰宅した姉が発見したのです。
筒塩侑子さんの遺体には数回にわたり正面から刺された跡があり、なかには内臓に達している傷もありました。
筒塩侑子さんは、なぜ自宅で殺害されたのか。そして、侑子さんを殺した犯人は誰なのか。事件の真相に迫っていきたいと思います。
岡山県津山市筒塩侑子さん殺害事件の概要
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【1】無人だった筒塩宅
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2004年9月3日、筒塩一家はいつもどおりの日常を過ごしていました。
筒塩侑子さんと姉は学校に行き、父親も朝から仕事に出かけていました。母親も13時45分ごろにパートにでかけ、筒塩宅は無人となっていました。
【2】下校する筒塩侑子さん
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14時40分頃、小学校で「帰りの会」が終わり、筒塩侑子さんは友人とふたりで下校をはじめました。
その約10分後、近所の住人が筒塩侑子さんを目撃しています。このとき、筒塩侑子さんは元気のない様子でうつむいて歩いていたといいます。
それからまた15分ほど経ったとき、筒塩侑子さんは近所の美容室の前を通り過ぎています。いつもなら美容室の窓を叩いて美容師や飼われている犬にあいさつをしていたそうですが、この日はちらりと犬に目をやっただけで通り過ぎてしまったそうです。
筒塩侑子さんは、15時から15時20分頃の間に帰宅したと見られています。
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15時35分頃、筒塩侑子さんの姉が帰宅。
そして、侑子さんがリビングで血を流して倒れているのを発見したのです。目の前で妹が血を流して倒れているその恐怖と、家の中に自分以外誰もいない心細さはどれほどのものだったのでしょう。
筒塩侑子さんの姉は、すぐに母親に電話をしました。
15時53分頃、母親の通報を受けた救急隊が筒塩宅に到着。筒塩侑子さんは病院に搬送されましたが、まもなく死亡が確認されました。
【4】現場と遺体の状況
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遺体発見時、筒塩侑子さんは小学校の制服を着た状態で倒れていたこと、またいつもは「暑いから」と帰宅後すぐに開けていたという窓が閉まったままであったことから、筒塩侑子さんは帰宅してすぐに殺害されたのだろうと推測されました。
抵抗したあとや逃げようとした形跡もなかったといいますから、殺害はあっという間のできごとだったにちがいありません。
家の窓などは全てきちんと鍵がかけられていましたが、玄関の鍵は開いていました。
筒塩侑子さんの母親がパートにでかけた10分後の13時55分頃、筒塩宅にメール便を届けた宅配業者は、玄関のドアが開いていたため荷物を玄関内に置いて行ったといいます。
犯人が玄関から筒塩宅に侵入したことは容易に想像できますが、何時ごろに侵入したのかなどは明らかになっていません。
しかし家の中を物色した形跡がないことや、犯人と筒塩侑子さんの間に面識はないことから、犯人があらかじめ家の中で待ち伏せをしていたとは考えにくいですよね。
犯人は通学路で筒塩侑子さんを尾行し、後から追いかけるようにして家の中に侵入したのでしょうか。
どちらにしろ、逃げ場のない空間で見知らぬ男性に突然刃物で刺されてしまった筒塩侑子さんの恐怖は、想像を絶するものであったにちがいありません。
【岡山県津山市】筒塩侑子さん殺害事件解決までのまとめ
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【1】捜査の開始
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事件を受けて、岡山県警はすぐさま捜査に踏み切りました。岡山県警と津山警察署にフリーダイヤルが設置され、駅やショッピングセンターにも情報提供を呼び掛けるチラシが数多く貼られました。
事件開始から1年後の時点で、岡山県警によって投入された捜査員は約13500人。しかし捜査は難航し、事件から10年以上経っても、犯人の確保には至りませんでした。
【2】不審な人物
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捜査は難航を極めましたが、犯人に関する手掛かりがまったくなかったわけではありません。事件当日、筒塩侑子さんの通っていた通学路とその周辺で、「不審者を見た」という証言があがっていたのです。
証言によると、不審な人物は髪がボサボサで、肩からポシェットをかけていたといいます。そして、近くを通りかかった少女を見て、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていたというのです。
警察は、この少女が筒塩侑子さんであった可能性もあるとして、捜査を進めました。
【3】捜査範囲の拡大
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岡山県警は捜査員を60000人にまで増やし、捜査範囲を広げていきました。
不審な人物の似顔絵を作成し、岡山県外でも捜査を開始。事件と似たような手口の犯行があれば、徹底的に情報を洗い出しました。
【4】両親の奮闘
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筒塩侑子さんの両親もまた、自分たちから最愛の娘を奪った犯人を突き止めるべく、街頭での情報提供を求めるチラシ配りなどを10年以上行いました。
父親が「手を焼いた記憶がない」と振り返る侑子さんは、その明るさから周囲の人々からも愛されており、遺影に手を合わせにやってくる友人が絶えなかったといいます。
【5】容疑者の浮上と逮捕
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事件から11年経った2015年、兵庫県姫路市である事件が発生します。帰宅途中の女子中学生が、見知らぬ男性に突然胸や腹を刺されたのです。
女子中学生は一命をとりとめ、男性は殺人未遂容疑で逮捕されました。その男性の名前は、勝田州彦。大阪高裁にて懲役10年の判決を受けました。
警察は、勝田州彦の犯行の手口が筒塩侑子さん殺害事件と似ていることから、勝田州彦をマーク。2017年9月から勝田州彦への事情聴取を開始しました。
そして2018年5月、勝田州彦はついに筒塩侑子さんの殺害を認めたのです。事件発生から実に14年が経過してからのできごとでした。
犯人の逮捕を知らされた筒塩侑子さんの両親は、のちに「ただただ驚いている。事件の真相を解明し、犯人には罪を償ってほしい」とコメントを発表しています。
事件の風化が懸念されていた中での勝田州彦の逮捕。事件解決のために悲しみをこらえて奮闘し続けた両親の思いが、ようやく通じた瞬間でした。
犯人の勝田州彦について詳細解説!
【殺人容疑】 兵庫県県加古川市平岡町新在家・無職 元大成工業株式会社勤務(派遣社員) 大阪外語専門学校卒業 私立市川高校(兵庫県)卒業 父:元警察官 母:元警察職員
勝田州彦受刑者(39)
※岡山県津山市で、筒塩侑子さん(当時9)を刃物で刺して殺害した
殺人未遂罪で服役中(懲役12年) pic.twitter.com/LHJEShuYE4— 田中由美子 (@uggo_tanaka_y) May 29, 2018
幼い少女を狙って卑劣な犯行に及んだ挙げ句、14年間もその罪を隠し続けた勝田州彦。その経歴を振り返ってみると、勝田州彦の「少女の腹部」に対する異常な執着と歪んだ性癖が浮かび上がってきました。
いったい何が勝田州彦の人格を歪ませ、自分の欲望を満たすために何人もの少女を傷つける凶悪犯罪へと駆り立ててしまったのでしょうか。
ここからは、勝田州彦の経歴を詳しく振り返っていきたいと思います。
犯人の勝田州彦の経歴は?
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【1】警察官の両親といじめのストレス
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1979年、勝田州彦は警察官の両親のもとで生を受けました。水泳が得意だったという勝田州彦は、スポーツ推薦で私立の男子校に入学。
アメリカへの短期留学も果たし、その人生は一見順風満帆に思われました。
しかし実際は、勝田州彦は心に深い闇を抱えていたのです。警察官である両親のしつけは厳格なもので、そのストレスは少しずつ勝田州彦の心を蝕んでいきました。
そして中学時代には「オタク」とからかわれ、いじめを受けたこともあったといいます。彼は自傷行為を繰り返すようになり、その人格にははっきりとした歪みが生じ始めたのです。
自傷行為をする際、彼は自分の腹部にナイフを突き立て、血が流れるさまを見て落ち着きを得ていたといいます。この行為が、のちに勝田州彦に「少女の腹部への異常な執着」を抱かせることとなったのです。
【2】半年で退職に追い込まれる
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両親からの勧めもあってか、高校を卒業した勝田州彦は海上自衛隊への入隊を果たします。しかし、わずか半年で彼は退職に追い込まれてしまいました。原因は、同僚からのいじめだったといいます。
その後、郵便局や運送会社などに職を転々としますが、どれも長くは続きませんでした。精神的に追い込まれてしまった勝田州彦は、現実逃避のためかあるものに没頭するようになります。
【3】美少女アニメと歪んだ性癖
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勝田州彦が没頭したものとは、美少女キャラクターが登場するとあるアニメ。勝田州彦は、高校時代から美少女アニメに没頭していました。
そしてアニメを見ているうち、勝田州彦のなかで歪んだ性癖がむくむくと頭をもたげるようになります。
その性癖とは、「女の子が腹部から血を流している姿を見ると興奮する」というあまりにも異常なものでした。
この頃、勝田州彦は「これ以上続けると取り返しがつかなくなる」と、腹部への自傷行為をやめるよう医者から警告されています。それが原因で、「自分の腹を刺せないのなら、女の子の腹を刺したい」という欲望を抱くようになってしまいました。
そしてその歪んだ欲望が、勝田州彦を卑劣な犯罪に駆り立てたのです。
【4】たびかさなる犯罪行為
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勝田州彦の異常な性癖が彼の中でとどまることはなく、卑劣な犯罪行為に形を変えることとなってしまいました。勝田州彦は1998年頃から少女への暴行事件を起こすようになり、多くの少女が彼の餌食になっていったのです。
2000年には突然6人の少女に襲いかかり、腹部を殴りつけたり下腹部を触るなどの暴行を加え執行猶予付きの有罪判決を受けました。
それでも勝田州彦の暴走はとどまることろを知らず、2009年には小学1年生から高校3年生の少女5人に対し、すれちがいざまに腹部を殴ったりドライバーで突いたりするという暴行を加え、懲役4年の判決を受けました。
いずれの事件にも「ターゲットが少女」、「腹部を執拗に狙っている」という共通点があり、「女の子が腹部から血を流している姿を見ると興奮する」という異常性癖が垣間見られますよね。
そして2015年、兵庫県姫路市の路上で当時中学3年生だった少女の胸や腹を刺し、殺人未遂容疑で再び逮捕されました。このとき、勝田州彦は少女に対し5度にわたってナイフを振り下ろしています。
その理由について、勝田州彦は「ナイフが被害者少女の腕に刺さってしまったので、腹に刺さるまで刺し続けようと思って5回刺した」とのちに供述しました。
そしてその事件での服役中に、警察が筒塩侑子さん殺害事件に関する取り調べを開始。14年のときを経て、筒塩侑子さん殺害事件の犯人が勝田州彦であると判明したのです。
勝田州彦の両親のコメントに違和感?真相は?
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事件のあと、勝田州彦の両親が警察関係者であることが判明。少女ばかりを狙い、凶悪犯罪を繰り返した勝田州彦の両親が警察関係者であるという事実に、マスコミが食いつかないはずがありません。
マスコミはすぐさま勝田州彦の実家へ向かい、両親に取材に応じるようもとめました。しかし、取材に応じた勝田州彦の母親は、息子の罪を悔いる言葉を述べるわけでも、被害者に対して申し訳ない、と詫びるわけでもありませんでした。
「(事件のことは)わかりませんから」、「(事件のことを知って)もうドキドキしてしまって……」と、まるで他人ごとのようなコメントしか寄越さなかったのです。
また、勝田州彦の父親についての情報はほとんど公開されていません。警察関係者だからへたに情報が流せないのだろうかと思うと、この事件の闇はまだまだ深そうですよね。
勝田州彦とその両親をよく知る近隣住人によると、勝田州彦は厳しくしつけをされていた反面、待望の長男ということで溺愛されていたといいます。
手塩にかけて育てた息子が数々の犯罪行為に手を染めたにもかかわらず彼を野放しにし続けたことを悔いる素振りも見せないばかりか、他人ごとのようなコメントしかのこさないというのはあまりにも無責任に思えますよね。警察関係者であることを考えればなおさらです。
筒塩侑子さんの遺族や事件の被害者となってしまった少女たちが取材の映像を見ていたとしたら、その憤りはどれほどのものだったでしょうか。
勝田州彦の現在は?【岡山県津山市殺人事件】
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何人もの少女に暴行を加え、筒塩侑子さんの命を奪った勝田州彦は、現在も岡山刑務所で服役しています。
面識のない何人もの少女に突然襲いかかり暴行を加えた挙げ句、ひとりの少女の命を奪ってしまった罪はあまりにも重いものです。
筒塩侑子さんの遺族だけでなく、暴行を受けた多くの少女たちの心の回復にも多くの時間が必要とされることは、想像に難くありませんよね。
厳しいしつけやいじめで人格が歪んでしまったことも、自傷行為やアニメの影響で異常な性癖が芽生えてしまったことも、少女たちを殺傷してもいい理由にはならないのです。
勝田州彦逮捕の翌月、筒塩侑子さんの母親の手記が公開されました。手記の中には、明るくて可愛らしく、ひまわりのような存在だったという筒塩侑子さんとの思い出や、侑子さんの同級生が成人式の日に晴れ着姿でお参りに来てくれたことなど、心温まる思い出がつづられています。
その一方で、「なぜあの日家にいて娘を守ってやれなかったのか」という自責の念や、何度も侑子さんの夢を見て涙が溢れたことなども記されており、その悲痛な叫びに胸が締めつけられます。
勝田州彦が自らの罪を悔い改めること、そして1日でも早く筒塩侑子さんの遺族と被害者たちの心の傷が癒えることを願ってやみません。