Andyさん(@and_y8)がシェアした投稿 – 2015年 8月月8日午前10時59分PDT
皆さんは上申書殺人事件をご存知ですか。
上申書殺人事件とは、死刑判決を受けて上訴中だった元暴力団組員で現在、死刑執行予定である後藤良治により、自身が犯人として関与した殺人事件2件、死体遺棄事件1件の計3件の事件について、その当時「先生」と呼んでいた不動産ブローカー三上静男がその上申書殺人事件の首謀であるとの上申書を提出したところから始まります。
そして、元暴力団員、後藤良治に取材を続けていた雑誌、「新潮45」によって2005年にそのことが世間に明るみとなり、上申書殺人事件としての上記3件のうち1件について三上静男が関わったとし、刑事事件化したことから始まった事件を指します。
今回は、この上申書殺人事件における犯人であり、現在、死刑執行予定である後藤良治、上申書により首謀者とされた上申書殺人事件のもう一人の犯人である三上静男についてはもちろん、上申書殺人事件の上申書で明らかとなった3つの事件や、その後の顛末についてもご紹介致します。
その前に、この上申書殺人事件のキーワードとなる上申書について、簡単にですが、ご説明させていただきます。
上申書とは?
引用: PAKUTASO
上申書についてですが、上申書というのは、官公庁や警察組織に対し、法的な手続きをとらず、単に申し立てや、報告などを行うだけの書類や報告書のことを指します。
では、具体的にどのような場合においてこの上申書が使用されるかというと、上申書は、「お願い文」としての側面が強く刑や処分を軽くしてもらいたい等の減刑や、保釈の目的で使用されることが多いようです。
また、長期に渡る裁判において和解を勧めてほしいという申し立てをする目的で上申書が使用される場合もあるようです。
では、今回の上申書殺人事件で現在、死刑執行予定である後藤良次により三上静男が数々の事件に関与したことが上申書により明らかにされたのはなぜだったのでしょうか。
それは、後述で紹介する上申書殺人事件でその事件に関わり後藤良次がその見返りとして三上静男から受け取るはずだった報酬を反故にされたからというのが主たる理由のようです。
それでは、次からは、この上申書殺人事件の発端について見ていくことにします。
上申書殺人事件の発端。
上申書殺人事件の発端となったのは、上述でも少しご紹介しましたが、元暴力団員である後藤良次が上申書を提出したことによるものですが、ここでは少し掘り下げて見ていくこととします。
上申書殺人事件の発端:【1】三上静男との出会い
引用: PAKUTASO
今回の上申書殺人事件のキーパーソンとして挙げられる現在、死刑執行予定の後藤良次ですが、元暴力団員ということもあり、もう一人の上申書殺人事件のキーパーソンである三上静男と出会うまで、様々な事件を繰り返します。
上申書殺人事件以前から、後藤良次は三上静男のことを「先生」と呼んでいます。これは、不動産ブローカーであった三上静男からそのノウハウを教えてもらい、自身も不動産ブローカーとして多額の金を稼ぐようになったからです。
そして、後藤良次は三上静男から上申書殺人事件に関わる数々の犯行を手伝う代わりに報酬をもらうという約束を取り付けていたと言います。これが、2人の繋がりです。
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引用: Pixabay
しかし、三上静男との約束が果たされる前に後藤良次は逮捕されてしまいます。逮捕に関わった事件は今回の上申書殺人事件とはまた、別件で自身が単独で行った「宇都宮監禁殺人事件」というものでした。
この事件の犯人として、後藤良次は裁判にかけられ、死刑判決が下されると共に、死刑囚になってしまいます。そして現在、死刑執行が予定されています。
上申書殺人事件の発端:【3】後藤良次による上申書の提出
引用: Pixabay
その後、後藤良次が死刑執行予定の死刑囚になったのをいいことに、三上静男は後藤良次と上申書殺人事件の際に取り交わした約束を次々に反故にしていきます。
まずは、三上静男が後藤良次に犯行を依頼したことによる報酬の件が反故にされます。それだけではなく、後藤良次がその面倒を頼んでいた舎弟が自殺し、その財産は全て三上静男の手によって処分されてしまいます。
この事実を知ることとなった、後藤良次は激怒し、上申書を提出。そこには、三上静男も犯人として関わったとされる3つの事件について記載がありました。
このことから、この一連の事件をひっくるめて上申書殺人事件と世間では呼ばれています。
上申書で明らかになった殺人事件がやばい!
ここからは、現在、死刑執行予定である後藤良次が上申書を提出したことによって明るみになった上申書殺人事件の3つの事件について深く掘り下げていきます。それでは、本編をご覧ください。
石岡市焼却事件【上申書殺人事件】
引用: Pixabay
まず、上申書殺人事件として挙げられる一つ目の事件として石岡市焼却事件について説明していきます。
石岡市焼却事件【1】概要
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引用: Pixabay
三上静男が犯人であるとされている上申書殺人事件の最初の事件である石岡市焼却事件は1999年11月中旬頃、発生したとされています。その概要は、先生こと三上静男が、金銭トラブルにより、被害者となる男性の首をネクタイで絞めて絞殺するところから始まります。
その後、茨城県石岡市に所在する三上静男自身の事務所に遺体を搬送します。しかし、犯行はこれだけでは終わりませんでした。なんと、三上静男は遺体を敷地内の焼却場へ運び、廃材等と共に燃やし、証拠隠滅を図ります。
本当に残虐極まりない事件です。
石岡市焼却事件【2】事件後
引用: Pixabay
この上申書殺人事件の最初の事件である石岡市焼却事件の被害者男性については、推定60歳前後ということと、苗字しか分かっていません。加えて、三上静男はこの直後、億単位の金銭を手に入れたとされています。
その金銭の出所については、恐らく被害者男性に関わるものであることは間違いありませんが、上申書殺人事件が明るみになった際には、被害者男性の遺体自体が年月とともに風化しており、決定的な証拠にはつながらなかった為、この石岡市焼却事件については、今現在に至るまで、詳細は明らかにされていません。
これが、上申書殺人事件の最初の事件である石岡市焼却事件となります。
北茨城市生き埋め事件【上申書殺人事件】
次に、上申書殺人事件として挙げられる2つ目の事件として北茨城市生き埋め事件について説明していきます。
北茨城市生き埋め事件【1】概要
引用: Pixabay
三上静男が犯人であるとされている上申書殺人事件の第2の事件である北茨城市生き埋め事件についてですが、こちらも最初の事件同様1999年の11月頃に犯行が行われたとされています。
そして、その概要ですが、埼玉県大宮市に住む資産家の男性を、茨城県水戸市で拉致するところから始まります。その後、三上静男自身が所有する北茨城市の土地にて、この資産家男性を生き埋めにし、殺害します。
こちらも最初の石岡市の事件同様残虐極まりない犯行であると言えます。
北茨城市生き埋め事件【2】事件後
引用: Pixabay
上申書殺人事件の第2の事件である北茨城市生き埋め事件が発生した後、被害者である資産家男性が所有していた土地の名義が、一時、三上静男の名義になりました。
しかし、三上静男はこの土地をすぐに売却し、7,000万円を手に入れたと言います。その後、上申書殺人事件として、この事件も明るみになりますが、被害者男性に身寄りがなかった為そもそもDNA鑑定自体が難しいことと、上申書から判明した被害者が埋められているとされる三上静男所有の土地から、遺体自体が発見されなかった為、不起訴となっています。
この被害者男性の遺体を誰が移したのか。三上静男本人か、はたまた第三者なのか。そういったことも含め、この北茨城市生き埋め事件については未だに謎が多く残っています。
これが上申書殺人事件の第2の事件とされる北茨城市生き埋め事件になります。
日立市ウォッカ事件【上申書殺人事件】
引用: PAKUTASO
最後に、上申書殺人事件として挙げられる3つ目の事件として日立市ウォッカ事件について説明していきます。
日立市ウォッカ事件【1】概要
引用: Pixabay
三上静男が犯人であるとされている上申書殺人事件の第3の事件である日立市ウォッカ事件についてですが、こちらは、上申書殺人事件における3つの事件の中でも最も闇が深い事件となります。
事の始まりは2000年の7月頃でした。先生こと三上静男が以前から借金をしていた、茨城県阿見町のカーテン店経営者(当時67歳)がこの事件の被害者になります。
この上申書殺人事件の第3の事件、日立市ウォッカ事件を企てたのは三上静男でも、後藤良次でもありませんでした。なんと、被害者の家族たちでした。その動機は、経営悪化による借金で首が回らなくなった家庭を、被害者である経営者が亡くなることにより手に入る保険金でどうにか回す為という非常に浅はかなものでした。
そこで、被害者の家族は、以前より知り合いだった三上静男に犯行を依頼します。借金をしていた三上静男はこれを承諾し、上申書殺人事件の第3の事件、日立市ウォッカ事件を実行に移します。
その概要はこうです。以前から、アルコール中毒であった経営者を、病死による事故に見せかけて殺害するというものでした。
そして、長年の飲酒により肝硬変と糖尿病を患っていた被害者男性を、三上静男は、現在、死刑執行予定である後藤良次と共に、自身の事務所に1カ月近く軟禁します。
そこで、アルコール度数の高いウォッカを毎日浴びるように飲ませたのです。もはや、拷問ともいえるこの行為が上申書殺人事件の第3の事件、日立市ウォッカ事件の名前の由来ともなっています。
それでも最後、被害者男性は命乞いをします。そこで、犯人である三上静男は電話でこのように家族に尋ねます。「もう飲みたくないと言っているが、飲ませてもいいのか。」
家族は「飲ませれば。」と答えたそうです。これは、犯人である三上静男と後藤良次が、家族も共犯であるということを認識させる為だと言われていますが、その真相は定かではありません。
その後も絶命させる為、引き続きウォッカを飲ませますが、なかなか被害者男性は死にません。そこで、現在、死刑執行予定である後藤良次は電線の被覆を剥いで、頭部に直接当て電流を流すなどの他の拷問行為にも打って出ます。
最後は、ウォッカを瓶ごと口に突っ込みようやく絶命したと言います。その後、犯人である三上静男と後藤良次は遺体を七会林下赤沢の山中の林道に運んで遺棄しました。
これが、上申書殺人事件第3の事件とされる日立市ウォッカ事件の概要です。
日立市ウォッカ事件【2】事件後
引用: Pixabay
上申書殺人事件第3の事件とされる日立市ウォッカ事件の後、上申書が現在、死刑執行予定である後藤良次により提出されるまでは、事件性がないと判断され、この日立市ウォッカ事件が明るみに出ることはありませんでした。
しかし、上申書殺人事件が明るみになった段階で、警察は捜査を開始します。後藤良次により提出された上申書に基づき、被害者男性の家族を事情聴取したところ、この事件に関わる証言が得られます。
証言の内容と上申書の内容が一致した為、警察は、妻、娘、娘婿を逮捕し、裁判を実施します。その結果、妻、娘には懲役15年、娘婿には懲役13年の判決が下っています。
また、三上静男も、上申書殺人事件の3つの事件の中で唯一この日立市ウォッカ事件で告訴となりました。ここまでが、上申書殺人事件の第3の事件、日立市ウォッカ事件の顛末となります。
後藤良次の経歴【上申書殺人事件】
引用: Pixabay
前項では、上申書殺人事件における3つの事件、石岡市焼却事件、北茨城市生き埋め事件、日立市ウォッカ事件についてご紹介しました。
ここからは、上申書殺人事件の犯人でもあり、キーパーソンとも言える現在、死刑執行予定の後藤良次の経歴についてご説明します。
後藤良次の経歴:【1】幼少期
引用: Pixabay
現在、死刑執行予定である後藤良次は幼少期より、数々の犯罪を犯してきたいわゆる不良であり、問題児でした。初めて起こした犯罪は14歳の時であると言われており、その罪状は窃盗、暴力行為だったと言います。
この頃から既に宇都宮監禁殺害事件や上申書殺人事件における犯人となる片鱗や素養を見せており、後藤良次はいわゆる「札付きの悪」だったと言えます。
後藤良次の経歴:【2】暴力団の構成員へ
引用: Pixabay
そのような荒れた毎日を繰り返していた後藤良次に当然暴力団との関わりがちらつき始めます。現在、死刑執行予定である後藤良次は16歳にして暴力団の構成員となります。
その後、17歳に、器物損壊、窃盗の犯人として中等少年院へ行ったのを皮切りに、19歳で器物損壊により、特別少年院へ、そして20歳時には公務執行妨害、傷害容疑で逮捕され、刑務所の中でも職員と争いごとを起こし、懲役1年4カ月という判決が下されます。
それからも改心することは全くなく度々事件を起こします。後藤良次は現在死刑執行予定ですが、死刑執行されて当然の人間だとこの時点で言えるでしょう。
後藤良次の経歴:【3】暴力団の解散
引用: Pixabay
後藤良次が22歳になった際に最初に所属した暴力団が解散します。しかし、後藤良次は23歳で別の暴力団組織に身を置き、そこで水戸の支部長にまで昇格します。
そして31歳の時、対立する暴力団組織の組長を射殺します。これが現在、死刑執行予定である後藤良次の最初の殺人になります。もしかするとこの頃から、人を殺害することに何のためらいもなくなっていたのかもしれません。後に、宇都宮監禁殺害事件や上申書殺人事件における犯人となることに何の疑いもなくなってしまいます。
さらに、その後、後藤良次は自身の組を立ち上げ組長になりますが、またしても、35歳の時に服役することになります。そして出所した頃、後藤良次は40歳になっていました。
後藤良次の経歴:【4】三上静男との出会い
引用: Pixabay
現在、死刑執行予定の後藤良次は40歳で出所し、上申書殺人事件のもう一人の犯人、そしてキーパーソンとなる三上静男とこの頃出会ったと言います。
そして、その後、上申書殺人事件に関わる3つの殺人事件の犯人として三上静男と共に関与していくことになり、上申書殺人事件とは別の宇都宮監禁殺害事件で逮捕され、死刑が求刑され、死刑判決が下ることになりました。
三上静男の経歴【上申書殺人事件】
それでは、上申書殺人事件のもう一人の犯人であり、キーパーソンである三上静男についてもその経歴をご紹介していきます。
三上静男の経歴【1】幼少期
引用: Pixabay
上申書殺人事件のもう一人の犯人である三上静男の経歴については謎の部分が非常に多いですが、数少ない証言の中に「幼少期から鳥を蹴ったり、絞め殺したりしていた」というものがあります。
現在、死刑執行予定である後藤良次同様、その残虐性は生まれ持ったもののようで、三つ子の魂百までではないですが、こちらも幼少期よりすでに、上申書殺人事件を起こすような片鱗を見せていたと言えます。
三上静男の経歴【2】不動産ブローカーとして
引用: Pixabay
三上静男の主たる肩書として挙げられるのが、この不動産ブローカーです。ここで少し不動産ブローカーという職業についてご説明しておきます。
不動産ブローカーとは、宅建免許を持たず、土地や家屋の売買を生業とする者の総称で、海外では一定の高い地位を得ている職業なのですが、日本国内では、どうも胡散臭いイメージで捉えられがちです。
それは、まず、宅建免許を持たないというモグリ的な怪しさと、裏に暴力団などの反社会組織が存在しているもしくは、ブローカー自身が反社会組織に所属しているイメージがあるからです。
実際、この上申書殺人事件においても、そのイメージ通りだと言えるのでもちろん、正規で収入を得ているブローカーの方も中にはいらっしゃるでしょうが、あながち間違いとは言えません。
とにもかくにも、三上静男は、この不動産ブローカーという職業を生涯生業としていました。
そして、この三上静男は周囲から不動産ブローカーとしてはやはり汚いやり口を取ることで有名だったそうですが、同時にやり手であるという評価もあったと言います。
また、自身が収入を得るためには、手段を厭わず、時には人命を軽視するような言動や行動もあったともっぱらの噂です。
しかし、実は全く反対の評価も存在するようで、「時には相談に乗ってくれる良い人だった。」「彼は人格者だ。」といった内容も耳にします。対面する人によって表と裏の顔があったのでしょうか。
ですが、残念ながら悪い評価通り、三上静男は上申書殺人事件に関わる3つの事件に犯人として挙げられることになります。そしてそのやり口もまた、自身が手を下すやり方ではなく、現在、死刑執行予定である後藤良次など暴力団員をうまく利用して、美味しいとこ取りをしようというようなやり方でした。
このことから、上申書殺人事件の犯人である三上静男はただただ、残虐なだけの人間というわけでもなく、非常にずる賢い方向に頭が切れる狡猾な人間だったに違いないと言っても過言ではありません。
三上静男が「先生」と呼ばれた理由は?【上申書殺人事件】
引用: Pixabay
ここまで、上申書殺人事件の犯人であり、現在、死刑執行予定である後藤良次、そして三上静男両名の経歴についてざっと見ていただきました。
それでは、ここからは、上申書殺人事件の犯人である三上静男が「先生」と呼ばれた理由について詳しく見ていきます。
そもそも、先述の上申書殺人事件の発端や両名の経歴などの箇所でも記載しましたが、40歳で後藤良次が刑務所を出所するところから始まります。
この2人はその頃出会ったとされています。誰がどこでどう繋いだのかは分かりませんが、元暴力団員と不動産ブローカーの繋がりというのはさほど不思議ではありません。これがのちの上申書殺人事件の始まりとなりました。
そして、三上静男は、不動産ブローカーとして、出所間もない後藤良次にその仕事のノウハウを順次伝えていくことになりました。
後藤良次もその後要領を得たのか、不動産ブローカーとして多額の金銭を手に入れるようになります。この経緯から、後藤良次は三上静男のことを「先生」と呼び、その後も全幅の信頼を寄せ、師事するようになります。
実際に、現在、死刑執行予定である後藤良次は、「先生」である三上静男に厚い信頼を寄せていたため、上申書殺人事件における実行犯の役割を引き受けたり、もちろんそれは後の報酬目当てもありますが、それだけではなかったようです。
さらに、逮捕された際には自身の舎弟の面倒をお願いするなど本当にその信頼関係は後藤良次にとっては強いものだったでしょう。
上申書殺人事件のきっかけとなった宇都宮監禁殺害事件の裁判においても、当初は「三上」などと呼び捨てにせず、恐らく学生時代に教師に対しても使ったことのないであろう言葉で「先生」とずっと呼んでいることなどから、彼にとっては三上静男は本当に心から尊敬できる人物だったことが伺えます。
であるが故に、数々の約束を反故にされてしまったことは本当に許せなかったのでしょう。間もなく、後藤良次は「先生」に対して上申書を書くことになり、上申書殺人事件へと繋がっていきました。
上申書殺人事件のその後は?
引用: Pixabay
ここからは、上申書殺人事件がその後どうなっていったかについてご説明していきます。
上申書殺人事件のその後【1】上申書提出後
引用: Pixabay
先述で記載した通り、現在、死刑執行予定である後藤良次は約束を反故にされたことに怒り、上申書殺人事件の犯人である三上静男が関わった3つの事件、石岡市焼却事件、北茨城市生き埋め事件、日立市ウォッカ事件についての上申書を作成し、提出しました。
そして、その上申書殺人事件に関わる3つの事件の中で、上申書殺人事件第3の事件、日立市ウォッカ事件だけが、被害者家族の証言を得れたことで、告訴という運びとなりました。
この上申書殺人事件第3の事件、日立市ウォッカ事件で告訴された内容に基づき、事件を企てた上申書殺人事件第3の事件、日立市ウォッカ事件の家族だけではなく、三上静男もその犯人として裁判にかけられることになりました。
上申書殺人事件のその後【2】裁判・判決
引用: Pixabay
そして、この上申書殺人事件第3の事件、日立市ウォッカ事件の犯人として、死刑が確定している後藤良次、上申書殺人事件第3の事件、日立市ウォッカ事件を企てた日立市ウォッカ事件の被害者家族(妻、娘、娘婿)そして、上申書殺人事件の当事者として名を挙げられた三上静男の裁判が行われ、2009年にそれぞれ以下のように判決が下されました。
後藤良次は懲役20年(別件で死刑執行予定)、上申書殺人事件第3の事件、日立市ウォッカ事件の被害者家族(妻、娘、娘婿)は懲役13~15年、そして三上静男には、無期懲役の判決が下りました。
この上申書殺人事件の第3の事件、日立市ウォッカ事件の裁判中、三上静男は、「私は暴力団が嫌いです。」や「困っている人を見ると放っておけなかった。」などと言いながら、泣き叫んでいたそうです。自身の起こした罪の深さに少しは気づいたのでしょうか。
しかし、この上申書殺人事件第3の事件、日立市ウォッカ事件に関わった誰の判決においてもその刑は覆ることがなく、現在刑は確定しています。
上申書殺人事件のその後【3】そして現在
引用: Pixabay
そして、この上申書殺人事件を発端とする日立市ウォッカ事件に対する刑を受けた犯人全員が、未だに服役中です。三上静男は今生きていればその年齢は65歳程度で、今後も無期懲役の刑は続くでしょうから、社会復帰についてはほぼ無理でしょう。
そして、死刑判決を受けた、上申書殺人事件を発端とする日立市ウォッカ事件の実行犯である後藤良次は2019年現在においてもまだ死刑執行はなされていないようです。早急な死刑執行を世論は待ち望んでいます。
また、現在、死刑執行予定である後藤良次については、自身の刑について不服のようで、「報酬をもらえるからやっただけなのに、そして報酬ももらってないのに、なぜ三上は無期懲役で自分だけ死刑執行が待っているのか。」と証言しているようです。
もはや、救いようがない人間なので、重ね重ねになりますが早期の死刑執行を強く願っています。
上申書殺人事件は映画「凶悪」の題材?
Ch1nam1さん(@chanatotora)がシェアした投稿 – 2018年 3月月25日午前8時45分PDT
ここまで、上申書殺人事件のその後について見ていきました。ここからは少し視点を変えて、上申書殺人事件は映画「凶悪」の題材?ということについて言及していきます。
ずばり、結論から言うと上申書殺人事件は映画「凶悪」の題材であると言えます。その理由を説明する前にまず、この「凶悪」という映画について簡単にだけご紹介します。
あらすじは、東京拘置所に収監中の死刑囚の須藤から、スクープ雑誌「明潮24」の編集部にある一通の手紙が届くところから始まります。
それをきっかけに同雑誌記者の藤井は、須藤と面会することになり、そこで須藤から聞かされたのは、未だ警察にも明らかになっていない須藤の余罪と、「先生」と呼ばれ3件の殺人事件の首謀者であるとされる男・木村の存在でした。
木村の真実を告発することで彼を追い詰めたいと願う須藤の告白を受け、藤井は木村に関しての取材を開始します。
当初は半信半疑だったものの、取材を進めるにつれて取り憑かれたように事件の真相究明にのめりこんでいくことになる。というストーリーです。
これだけ見ても、劇中の須藤=後藤良次、木村=三上静男であることが分かり、事件が3つであることやその他の点から鑑みても、これは上申書殺人事件を題材にした映画であることは間違いないですし、公式にもそういった内容が記載されています。
ですので、ほぼ、今回ご紹介した上申書殺人事件の内容と一緒なのですが、せっかくなので、数少ない相違点を挙げておきます。
その相違点の最たる例としては、上申書殺人事件第3の事件、日立市ウォッカ事件の描写についてです。実際には先述の通り、1カ月程度軟禁され、強制飲酒や通電などの拷問を上申書殺人事件第3の事件、日立市ウォッカ事件の被害者は受けています。
しかし、やはり映画ではそういった上申書殺人事件第3の事件である日立市ウォッカ事件のような描写は残酷と判断されたのか、スタンガンや、強制飲酒の下りはあるものの、1カ月以上という長い期間ではなく、比較的短い期間で被害者が亡くなるという設定に書きかえられています。そこが大きな相違点です。
せっかく、皆さんに今回の上申書殺人事件の記事を読んでいただいたので、これを機会にこの上申書殺人事件が題材になっている「凶悪」という映画をご覧になってみてはいかがでしょうか。
上申書殺人事件まとめ
引用: Pixabay
いかがだったでしょうか。今回は上申書殺人事件についてご覧いただきました。では、簡単にですが、以下にまとめていきたいと思います。
●上申書殺人事件とは、別件で死刑判決を受けていた元暴力団員後藤良次が、以前「先生」と呼んでいた不動産ブローカー三上静男が関わっていた3件の殺人事件について上申書を提出したことから始まった事件である。
●上申書を提出したきっかけになったのが、自身も手伝った上申書殺人事件に関わる3件の報酬をもらうことや、舎弟が自殺した後、約束を無視し、三上静男が勝手に財産を処分するなどの約束を次々に反故にされた怒りによるものからであった。
●上申書殺人事件によって関連する事件は3つあり、石岡市焼却事件、北茨城市生き埋め事件、日立市ウォッカ事件である。中でも、その残虐性や事件の闇が際立っているのが上申書殺人事件第3の事件、日立市ウォッカ事件である。犯人は後藤良次、三上静男の両名である。
●上申書殺人事件の実行犯である後藤良次はその経歴を追っていくと幼少期から犯罪を重ねて、一切の反省をすることがなく現在に至っている。死刑執行もやむを得ない人物である。
●上申書殺人事件のもう一人の犯人である三上静男も、表向きは先生と慕われ、尊敬される人物だったようだが、裏の顔は残忍で、自身の利益の為には人命を軽視するような人物である。また、非常に頭が切れ、狡猾な一面を持っている。
●上申書殺人事件における3つの犯罪のうち告訴にまで至ったのは、上申書殺人事件第3の事件、日立市ウォッカ事件だけであり、それぞれ、後藤良次が懲役20年(別件で死刑確定)、三上静男は無期懲役となっていて、後藤については未だ死刑執行はされていない、また、三上静男は現在も上申書殺人事件第3の事件、日立市ウォッカ事件の犯人として服役中である。
●映画「凶悪」のモデルは、間違いなく上申書殺人事件を題材とした作品であり、ほぼ相違点はないが、上申書殺人事件第3の事件、日立市ウォッカ事件の描写だけ、その残虐性からやや改変されている。
上申書殺人事件においては、その犯人である、後藤良次、三上静男の残虐性が浮き彫りになったことが大きく挙げられがちですが、この犯人である両名が元は信頼関係において強い絆で結ばれていたということも覚えておいてほしいです。
もちろんこの上申書殺人事件の犯人である両名は救いようのない人間だと思いますが、三上静男が、後藤良次を仮に裏切らなかったら、結果どうなっていたのでしょうか。
上申書殺人事件が明るみになってこの上申書殺人事件の犯人である両名が裁かれるべきは当然としたうえであえて言いますが、結果は違っていたと思います。そうです。明るみにはなっていなかった可能性があります。
何が言いたいのかと言うと、人間同士の関係において信頼関係というのはかけがえのないものだということです。それは構築するのがすごく難しいものですが、このように一方が他方の気持ちをないがしろにしてしまうと一瞬にして崩れ去ってしまうというものでもあります。
ですから、皆さんも是非、他者の気持ちをおもんばかり、ないがしろにする事のないように接してみてください。そうすることによってより良い人間関係が構築され、皆さんの人生も素晴らしいものになるでしょう。
今回の記事から、そういった内容をくみ取っていただけましたら幸いです。