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1945年8月15日は太平洋戦争が終わり、日本が終戦を迎えた日でもあります。昭和天皇による玉音放送で民衆に知らされ、太平洋戦争を含む第二次世界大戦は終結しました。
日本人にとって太平洋戦争の終戦日である8月15日は大切な日です。今年も着々とその日が迫ってきております。ということで、今回は太平洋戦争を含む第二次世界大戦中に起きた不思議なエピソードをご紹介していきます。
太平洋戦争中に不思議な現象が多数確認されていた!
太平洋戦争を含む第二次世界大戦中には数々の不思議な現象が目撃されていたということで、太平洋戦争を中心とする都市伝説や、不思議な話、怖い話などカテゴリー分けしてご紹介します。
そこで、ご紹介する前に太平洋戦争を含む第二次世界大戦について少しご説明しておきます。
まず、第二次世界大戦について簡単にご説明すると、第二次世界大戦というのは、1939年(昭和14年)~1945年(昭和20年)に世界規模で行われた大戦争のことを指します。
各国の体制としてはドイツ・イタリア・日本の枢軸国と呼ばれるファシズム陣営と、アメリカ・イギリス・オランダ・ロシア(最初は中立)・中華民国の連合国と呼ばれる陣営に分かれていました。
詳細を記載しすぎるとそれだけで終了してしまうので、ここではあくまで簡単にだけご紹介いたしますが、きっかけを作ったのは枢軸国側のドイツでした。1939年(昭和14年)のポーランド侵攻がきっかけであると言われています。
そこから、枢軸国と連合国に大きな亀裂が入ります。当然日本も連合国側に敵視されるようになってしまいます。日本側も何とかアメリカを中心に和平交渉を行うなど尽力するのですが、日本が敵視される理由として当時、中国、満州、朝鮮を中心とする植民地政策と1937年(昭和12年)に勃発した日中戦争やその他様々な要因がありました。
当然のごとく、和平交渉などうまくいくはずもなく1940年(昭和15年)にアメリカに石油を禁輸されてしまいます。石油は航空機や、発電など様々なエネルギーの根幹です。それを止められてはどうしようもありません。
日本は日本なりに妥協案を考え、何とか石油を輸出してもらえるようアメリカと交渉しようと試みるのですが、アメリカは当時の国務長官コーデル・ハルの起草したハル=ノートを日本へ提出します。
このハル=ノートは当時の日本政府には到底受け入れがたい超日本不利の内容でした。そこで、当時の政府はアメリカの要求を呑んで植民地を捨て経済的にアメリカに全面降伏するか、0.1%でも勝てる可能性のある戦争をアメリカを中心とする連合国と行うかで、政府・軍部などを中心に非常に思案したと言われます。
日本が出した答えはアメリカを中心とする連合国軍との全面戦争でした。すなわち後の世に語り継がれる太平洋戦争の決定です。
しかし、まともにやっても大国であるアメリカやイギリスと対等には戦えません。そこで日本は初手として奇襲攻撃を選択します。俗にいう真珠湾攻撃です。この奇襲は1941(昭和16年)12月8日の夜半に実施され、戦果を挙げることに成功しました。
そして、これが同時に太平洋戦争の幕開けになったのです。当時の日本は太平洋戦争とは呼称せず、「大東亜共栄圏」という大義名分の下、大東亜戦争と呼んでいました。太平洋戦争という名称は戦後GHQが名づけたものです。
その後、日本は、連戦・連勝を重ね、オーストラリアの手前まで一時支配下に置きます。太平洋戦争はこのままうまくいくと、一部を除く世論や、政府、軍部の圧倒的大多数は信じていました。
しかし、1942年(昭和17年)のミッドウェー海戦の大敗をきっかけにこれまでの連戦・連勝とは真逆に連戦・連敗を期すようになり、1944年(昭和19年)頃から、南東の主要基地をアメリカに抑えられ日本への本土空襲が活発に行われるようになりました。
また、その後、1945年(昭和20年)3月には沖縄本土にアメリカ軍が上陸し、制圧。そして広島、長崎へ原子爆弾が投下され、多数の死傷者を出してしまいます。
8月14日に日本は太平洋戦争に関して、連合国側の無条件降伏を受けいれ、8月15日に終戦することとなります。ここまでが、太平洋戦争を含む第二次世界大戦の顛末です。
簡単にではありますが、太平洋戦争を含む第二次世界大戦の内容についてご理解いただけたのではないでしょうか。では、次項から太平洋戦争を含む第二次世界大戦中の不思議なエピソードをご紹介致します。
太平洋戦争中の不思議なエピソードを紹介!
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本項では、太平洋戦争を含む第二次世界大戦中の不思議なエピソードをご紹介致します。
ここでは太平洋戦争中のエピソードとして30選挙げたいのですが、そのカテゴリーを太平洋戦争中の都市伝説、太平洋戦争中の不思議な話、太平洋戦争中の怖い話に10選ずつ分けてご紹介していきます。
太平洋戦争中の都市伝説10選!【第二次世界大戦】
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まずは、太平洋戦争中の都市伝説10選です。それではどうぞご覧ください。
【1】戦時中のお金持ち
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最初に太平洋戦争中の都市伝説【第二次世界大戦】として挙げたいのは、戦時中のお金持ちについての話です。
太平洋戦争中はどの家庭も一般家庭は配給制、切符制になって物も満足に手に入らない時代です。それに加えて、学童疎開や、学徒動員、国民服やモンペの着用など挙げればキリがないのですが、一般庶民は生活に対し、何一つ自由がなかったと言います。
現代でも、戦争経験者などに話を聞くと「満足にご飯を食べれなかった。」「もう二度とあんな生活はしたくない。」など、その当時の不平不満がよく聞かれます。
しかし、一説によると戦時中でも、元々相当のお金持ちだった人間は、まず、太平洋戦争への出兵などを避けられ、戦前と同様かそれ以上の食事をし、また、酒やタバコなどの嗜好品なども簡単に手に入ったと言います。さらに、外国映画なども鑑賞できたと言いますから驚きです。
この都市伝説に関してはどこまで本当か真偽の程は不明ですが、ごく限られた富裕層の家庭には、第二次世界大戦や、それに伴う太平洋戦争などの影響も皆無だったと言われています。
ちなみにアメリカはこの太平洋戦争や第二次世界大戦の時期にディズニー映画などを楽しみ普通に生活していたと言いますから余裕が垣間見えます。
【2】エノラ・ゲイを監視していた謎の飛翔体
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次に太平洋戦争中の都市伝説【第二次世界大戦】として挙げたいのは、エノラ・ゲイを監視していた謎の飛翔体についての都市伝説です。
エノラ・ゲイとは、太平洋戦争中の1945年(昭和20年)8月6日に広島市に原子爆弾を落としたB-29の名称です。このエノラ・ゲイが原子爆弾を投下する前に、その機体を監視するように飛行する謎の飛翔体がアメリカのレーダーに映されています。
また、日本軍のレーダーにもその飛翔体が映っており、日米両方がその謎の飛翔体を発見しています。一説には、この飛翔体は宇宙人だったのではないか。はたまた、太平洋戦争を研究しに来た未来人のタイムマシンだったのではないかと言われているようです。
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3つ目に太平洋戦争中の都市伝説【第二次世界大戦】として挙げたいのは、広島に現れた謎の高僧という都市伝説です。
これも2つ目に引き続き広島への原子爆弾投下についての都市伝説になるのですが、ある朝、高僧が広島を訪れました。すると、高僧は非常に驚きます。
なぜなら、この高僧は、平和な広島市のほとんどの人間の顔に死相が浮き出ているのを見たからです。そして、慌てた高僧は、できる限り多くの広島市民に「ここから離れなさい」と伝えます。
しかし、「何を言っているんだ」とほとんどの人は相手にしません。相手にしたのはほんのわずかな人々でした。高僧は無念の気持ちと共に仕方なしに広島を去ることになりますが、それが、実は1945年8月6日だったと言われています。
この太平洋戦争中の都市伝説は、この時、高僧の言うことを信じて避難し、一命を取り留めた人が広めたと言われています。
【4】原子爆弾が京都に落とされなかった理由
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4つ目に太平洋戦争中の都市伝説【第二次世界大戦】として挙げたいのは、原子爆弾が京都に落とされなかった理由という都市伝説です。
これは、太平洋戦争中の都市伝説としてはとても有名ですが、原子爆弾は主用都市や、山などの遮蔽物が少ない場所への投下が検討されていたと言います。
京都は確かに山も多いですが、木造建築なども多く、また平野部も広いです。しかも古くから天皇が居住していた古都でもあります。
日本人の戦争に対する士気を下げるのにうってつけの場所だと思うのですが、なぜ、京都には原子爆弾が投下されなかったかと言うと、ズバリ京都には重要文化財が多く存在するからだという理由があるそうです。
もし、アメリカが京都に落とせば、例え太平洋戦争に勝利したとしても、歴史的建造物の破壊などで、その後国際的非難を浴びることは目に見えていました。
また、太平洋戦争の勝利後、日本を占領する予定にしているアメリカにとって大都市と言える京都を壊滅に追い込むのはメリットが少なかったからだとも言われているようです。
この都市伝説には賛否両論あるようですが、例え戦争中とはいえアメリカに少しでもそのような配慮があったならばちょっとは見る目が変わりますが、どうなのでしょうか。
【5】日本は核兵器を所有していた?
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5つ目に太平洋戦争中の都市伝説【第二次世界大戦】として挙げたいのは、日本は核兵器を所有していた?という都市伝説です。
原子爆弾を始めとする、核に関する都市伝説は非常に多いですが、本項で最後です。こちらは、核絡みの都市伝説としては先述のものと一線を画します。
日本は、太平洋戦争末期に京都大学を中心に核兵器の研究・製造に成功し、所有していたという都市伝説になります。
実は、太平洋戦争後に、実際に京都大学を中心とする研究チームが核兵器の開発に軍の超機密指令として携わった資料が発見されています。それは、GHQの手を逃れ、今現在も、存在するようです。
その資料の中には核兵器の製造に成功したとは書いていないそうですが、一部ではその製造に成功し、太平洋戦争末期には日本が核兵器を所有していたと言われているようです。
現実的に見て、この都市伝説は、太平洋戦争末期の物資不足+それをアメリカやその他連合国の主要地域に運搬する能力など考えると非常に厳しいと言わざるをえないですが、真実ならば面白いところです。
【6】真珠湾攻撃は筒抜けだった?
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6つ目に太平洋戦争中の都市伝説【第二次世界大戦】として挙げたいのは、真珠湾攻撃は筒抜けだった?という都市伝説です。
先述でご紹介した通り、1941年(昭和16年)に日本軍は真珠湾を奇襲攻撃し、そこから太平洋戦争の火ぶたが切られることになります。
こちらの都市伝説はそんな日本珠玉の作戦が実はアメリカに全て事前にばれていた。というものです。これが事実なら、なぜアメリカは迎え撃たなかったのでしょうか。
答えは簡単です。アメリカは既に、日本との太平洋戦争において勝利を確信しており、その太平洋戦争の大義名分を作り出すためにわざと攻撃させたのです。
真珠湾攻撃によって、大義名分を得たアメリカは堂々と正義側の報復措置として日本を攻撃し、その後日本を占領するというゴールをこの時すでに見出していたと言います。
この都市伝説が本当ならば、太平洋戦争においてアメリカの手のひらの上でずっと日本は転がされていたことになります。恐ろしい国です。
【7】ルーズベルト呪殺計画
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7つ目に太平洋戦争中の都市伝説【第二次世界大戦】として挙げたいのは、ルーズベルト呪殺計画という都市伝説です。
太平洋戦争中の当時のアメリカ大統領はフランクリン・ルーズベルトという人物でした。日本にとっては非常に憎き人物です。
そして1945年(昭和20年)になると日本の戦局はもはや絶望的とも言える状況でした。そこで、日本軍を中心とする日本政府がアメリカに対して行ったとされる政策としてルーズベルト呪殺計画というのがあったようです。
せめて敵の大将だけでも殺してやるという気持ちだったのでしょうか。3カ月の間、日本中の祈祷師や呪術師が集められルーズベルトに様々な呪いをかけたようです。
その甲斐もあってか、ルーズベルトは太平洋戦争の勝利目前の4月12日に脳卒中で急死します。これがこの都市伝説の概要です。
呪術がそもそも行われたのかどうかも謎ですし、ルーズベルトの死が呪術によるものかどうかは分かりません。ただ、太平洋戦争の時代においてそれだけ日本人の恨みを買っていた人物というのは間違いないでしょう。
【8】ゴボウで戦犯
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8つ目に太平洋戦争中の都市伝説【第二次世界大戦】として挙げたいのは、ゴボウで戦犯という都市伝説です。この都市伝説も非常に太平洋戦争中のモノとして有名です。
概要はこうです。太平洋戦争中にアメリカ人兵士が日本人に現地で捕虜にされてしまいます。そこで、アメリカ人捕虜は空腹を日本兵に訴えました。
すると、日本兵は、自身も空腹なのにも関わらず、調達したゴボウを捕虜に差し出します。アメリカ人捕虜は非常に感謝して涙したと言います。
時が過ぎ、太平洋戦争で日本は敗北します。その際に日本に対する裁判が実施されます。当然現地でも行われます。そこで、ゴボウを日本兵から与えられた捕虜が裁判でこう発言します。
「日本兵に木の根っこを食べさせられて虐待された」
こうしてゴボウを与えた日本兵は裁判で戦犯となり、死刑にされた。というものです。この都市伝説が本当ならば恩をあだで返された気持ちになってしまいます。
【9】駆逐艦の援護
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9つ目に太平洋戦争中の都市伝説【第二次世界大戦】として挙げたいのは、駆逐艦の援護という都市伝説です。
厳密に言うと、太平洋戦争中ではないのですが、この事件は2003~2004年に起きた出来事で、当時の読売新聞の片隅に掲載されていたと言います。
概要はこうです。南シナ海で貨物船が海賊の襲撃を受けてしまいます。その時、猛スピードで旧日本軍のものと思われる駆逐艦が援護しに来てくれたそうです。
そして、その貨物船は何事もなく無事に帰還できたそうで、海賊を駆逐した後はこれまた猛スピードで消えていったそうです。
詳細は不明ですが、太平洋戦争中に沈没した駆逐艦の霊だったのではないかと言われています。
【10】武蔵の死化粧
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最後に太平洋戦争中の都市伝説【第二次世界大戦】として挙げたいのは、武蔵の死化粧という都市伝説です。旧日本軍の軍艦の中に武蔵という戦艦がありました。
武蔵はレイテ湾突入の際に、艦長命令により、塗装が施されます。なぜ、こんな行動が実行されたかと言うと、武蔵は打たれ強いので派手な塗装をし、標的となり、また囮となることで他の艦を1隻でも多くレイテ湾に突入させたいという理由、すなわち死化粧だったのではないかという説があります。
実際は、不燃塗料を塗ったというのが真相だともいわれていますが、武蔵はその名に恥じることなく、立派に役目を終え、太平洋戦争において名誉の戦死を遂げたことは間違いないと言えます。
太平洋戦争中の不思議な話10選!【第二次世界大戦】
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太平洋戦争中の都市伝説10選いかがだったでしょうか。
次は、太平洋戦争中の不思議な話10選です。それではどうぞご覧ください。
【1】二度目の出撃
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最初に太平洋戦争中の不思議な話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、二度目の出撃という不思議な話です。
太平洋戦争中に開発された兵器に「回天」というものがあります。ある夜年配の整備工が、回天の整備をしていたところ、気配がしたので、「誰だ?」と問うと、そこには回天で特攻したはずの少年兵がいました。
少年兵は、「次こそは特攻に成功して見せます」と言うと、整備工は「もういいんだ。二度も死ぬ必要はない。」と少年兵を諫めます。
すると、安心したのか少年兵はスッとその場から姿を消したという不思議な話です。整備工が少年兵にかけてあげた言葉が太平洋戦争中という殺伐とした状況にもかかわらず、人間味があって温かいです。
【2】ニューギニアでの神隠し
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次に太平洋戦争中の不思議な話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、ニューギニアでの神隠しという不思議な話です。
太平洋戦争中の1943年にニューギニアで米軍を迎え撃つために上陸した1000人を超える兵士が、その後しばらくしてその全員が跡形もなく消えたという不思議な話が残っています。
戦死したならば、誰かの遺品が見つかると思うのですが、現在に至るまでその1つすら見つかっていないそうです。
【3】白いモンシロチョウ
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3つ目に太平洋戦争中の不思議な話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、白いモンシロチョウという不思議な話です。
ある女性が太平洋戦争中に野原で友人と過ごしていると、白いモンシロチョウがやってきてその女性から離れようとしません。女性は「このモンシロチョウは私のことが好きなのかしら」などとうそぶきます。
実はこのモンシロチョウを見た日は、女性の初恋の人が神風特攻隊として沖縄で戦死した日だったそうです。この白いモンシロチョウは戦死した初恋の相手の生まれ変わりだったのではないかと言われています。
【4】蛍
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4つ目に太平洋戦争中の不思議な話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、蛍についての不思議な話です。
蛍は太平洋戦争中の不思議な話の中にはよく出てきます。有名なところでいけば、不思議な話ではないですが、火垂るの墓なんかは、蛍がモチーフになっています。
そんな蛍の不思議な話でこういう話があります。ある食堂を開いている女性がいました。そしていつもこの食堂を訪れる常連の若い兵士が、ある日こう語ります。
「おかみさん。僕は明日特攻に行きます。もし、死んだら蛍としてこの食堂に訪れますから、戸を開けておいてくれますか。」
次の日の夜、一匹の蛍が食堂の戸から入り込みます。女性は「この蛍は今日戦死した〇〇(常連だった若い兵士)だよ」と皆にそう言います。皆は「そんなはずはないよ」と答えましたが、その蛍を囲み自然と肩を組みあって合唱したりしたそうです。
その後、太平洋戦争が終結し、この女性は90歳まで生きたそうですが、あの時の若い兵士の生まれ変わった蛍がこの女性にその命を分けてくれたのではないかと言われています。
【5】坂井三郎
仕名野秀治さん(@shuji_shinano)がシェアした投稿 – 2018年12月月13日午後5時22分PST
5つ目に太平洋戦争中の不思議な話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、坂井三郎という人物についての不思議な話です。
太平洋戦争において坂井三郎は大日本帝国海軍のエースパイロットとしてその名を馳せることになります。逸話として有名なのは、視力が常人と比較にならない程良く、昼間でも星が見えたそうです。
そうして太平洋戦争における日本のエースパイロットとして従軍する坂井氏でしたが、1942年(昭和17年)8月ガダルカナルの戦いで、敵機と戦闘中に頭部に被弾、右目を負傷し、半身不随のような状態になります。
不思議な話はこの後起こります。上記のような状態ではどう考えても墜落します。しかし、坂井氏は必死に操縦し4時間かけて基地に到着し、その後、医師による診療を受け、一命を取り留めます。
この時医師の話では、「どう考えても4時間も航空機に乗れる状態ではなかったはず」だと言われています。これは常人ではない坂井氏ならではの不思議な話です。
【6】玉音放送予告
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6つ目に太平洋戦争中の不思議な話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、玉音放送予告という不思議な話です。
玉音放送とは先述の通り、1945年(昭和20年)に昭和天皇による終戦を伝えるラジオ放送のことです。実は、この玉音放送の予告のようなものがあったそうです。
どういった内容かというと、この玉音放送が流れる3日ほど前に「日本軍は太平洋戦争で負ける。全員自決せよ」という放送がラジオから流れてきてしばらくするとそのラジオは聞こえなくなったという不思議な話です。
この放送を聞いたという当時の人は一定数いるみたいで今もこの不思議な話は語り継がれています。
【7】フーファイター
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7つ目に太平洋戦争中の不思議な話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、フーファイターという飛翔体についての不思議な話です。
フーファイターとは、太平洋戦争時にアメリカ軍によって呼ばれていた飛翔体についての呼称になります。このフーファイターは当時、ドイツ軍が開発した最新型の戦闘機と考えられていました。
しかし、このフーファイターは当時最新鋭だったアメリカの戦闘機のスピードをはるかに凌ぎ、またトリッキーな動きをしているのが度々目撃されています。
このフーファイターの正体はUFOではないかという説もあるようですが、結局その正体は不明のままです。太平洋戦争時には頻繁にこのフーファイターが発見されていたようです。
【8】キスカ撤退作戦
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8つ目に太平洋戦争中の不思議な話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、キスカ撤退作戦という不思議な話です。
キスカ撤退作戦とは太平洋戦争時、1943年(昭和18年)に実行された、日本軍の守備隊をキスカ島から撤退させる作戦のことを指します。この作戦はキスカ島を包囲していた連合国軍に全く気付かれることなく、日本側が全員撤退することに成功したことから「奇跡の作戦」と呼ばれています。
もちろん、その作戦自体も素晴らしかったのでしょうが、不思議な話はここから始まります。この撤退作戦が行われた際、うまい具合に霧が発生したり、アメリカ軍のレーダーにあるはずのない艦隊が映ったり、無人のキスカ島から万歳三唱が聞こえたりととにかく不思議なことが連続して起こります。
この不思議な出来事が重ならなければもしかすると、キスカ島からの撤退は失敗していたかも知れません。神にでも守られているような不思議な話です。
【9】隊長命令「全員整列」
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9つ目に太平洋戦争中の不思議な話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、隊長命令「全員整列」という不思議な話です。
これは、太平洋戦争中のニューギニアで起きた不思議な話なのですが、当時ニューギニア島では多数の戦死者が出ていました。
そして、原住民は、日本兵の霊を頻繁に見るようになります。その姿は手が人間のものと思えないくらい伸びて果実をもぎ取ったり、随分人間離れしていたものが多かったようです。
それを見るに見かねた、日本軍の隊長は「全員整列!」と号令をかけました。すると有象無象が集まり、一斉に整列したそうです。隊長はさらにこんな命令を下します。
「貴様らは、もはやこの世にはいない者である。したがって成仏するように!」
この命令を聞いた日本兵の霊たちは泣きながら天に昇って行ったそうです。この不思議な話は、太平洋戦争時の日本軍が非常に厳しい縦社会だったことを示しているのかもしれません。
【10】舩坂弘
r.nさん(@nishibuson)がシェアした投稿 – 2014年 3月月13日午後10時09分PDT
最後に太平洋戦争中の不思議な話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、舩坂弘という人物についてです。舩坂氏はそのタフさから、非常にその存在自体が不思議というか伝説になっています。
舩坂氏は太平洋戦争時に激戦区パラオのアンガウルという場所で軍曹として従軍します。そんな中舩坂氏は左大腿部に裂傷を負います。数時間砲火の中に晒され、ようやく医師が到着しますが、治療を諦めた医師は舩坂氏に手りゅう弾を手渡します。致命傷で助からないから自決せよということです。
それでも舩坂氏は諦めませんでした。脚を日章旗で包帯のように巻き、匍匐前進のような姿で、自軍の洞穴に這い戻ったのです。その後、傷は癒えていたと言いますから、まるでゾンビか、サイボーグのようです。
その後も様々な致命傷を負い、またその間のエピソードなども、とにかく事欠きませんが、太平洋戦争中に死ぬことはなく、祖国へ帰還し、天寿を全うしています。
太平洋戦争中の怖い話10選!【第二次世界大戦】
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太平洋戦争中の不思議な話10選いかがだったでしょうか。
次は、太平洋戦争中の怖い話10選です。それではどうぞご覧ください。
【1】玉砕したはずの支隊が帰還
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最初に太平洋戦争中の不思議な話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、玉砕したはずの支隊が帰還という怖い話です。
太平洋戦争中の激戦区の一つとして挙げられるガダルカナル島にて一木支隊という一つの部隊が全滅します。一木支隊は北海道の旭川を原隊とする部隊でした。
そして、一木支隊が全滅したその夜、奇妙なことが起こったのです。遠く離れたガダルカナル島から一木支隊が北海道旭川に突如出現し、原隊に帰還したというのです。
祖国の土をもう一度踏みたかったという無念の思いが彼等を出現させたのでしょうか。この一木支隊の帰還は非常に怖い話でもあり、また悲しい話であると言えます。
【2】上官の戦死?
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次に太平洋戦争中の怖い話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、上官殺害という怖い話です。
こちらの怖い話は霊的なものではなく、人間が持っている残虐性に根差した怖い話です。太平洋戦争中のよくある話として、怖い上官が下士官に酷い暴力や、虐待を加えて半殺しにしていたというのを耳にします。
そこで、太平洋戦争という戦時中の状況を生かして、酷い扱いを受けた下士官たちが集まり、船上であれば、皆で上官を海に突き落として殺したり、陸上ならば、全員で袋叩きにして生き埋めにしたりして殺していたそうです。
そして、その上官は戦死したということにして処理するということがしばしばあったようです。
いくら上官が上の立場でも若者数人に私刑を受ければ、体力的に勝ち目はないです。霊的な怖い話より、こういう人間が極限まで追い詰められた時にとる行動の方が怖いのかもしれません。
【3】麻酔なしの手術
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3つ目に太平洋戦争中の怖い話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、麻酔なしの手術という怖い話です。
こちらもどちらかと言うと霊的な怖い話というよりも、現実的な怖い話と言えます。太平洋戦争中はとにかく物資が不足していました。それは、戦地でも同様の状況でした。特に足りなくなったのが医薬品、中でも麻酔だと言われています。
それでも、人命を救うために最善を尽くさなくてはなりません。医師や、医療従事者は、負傷した兵士に対し、麻酔なしで手術を行ったりしなくてはなりませんでした。
その痛みは筆舌し難いものだと想像できます。舌を噛み切って死なないように口にクツワを噛ませるのですが、それでもショックで死んでしまう兵士は少なくなかったと言います。
【4】硫黄島の呪い
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4つ目に太平洋戦争中の怖い話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、硫黄島の呪いという怖い話です。
太平洋戦争の激戦区、硫黄島には多くの霊が出ることで有名です。まず、兵士が行軍するのは当たり前で、中には黒焦げの兵士が襲って来たり、旧日本兵と思われる黒い影がこちらに近づいてきたりと、大変な場所のようです。
そんな場所で、硫黄島の石を本土に持ち帰った人がいたそうです。もちろん硫黄島の物は勝手に持ち出しては行けませんが、監視の目をくぐって持ち出したようです。
この人は、間もなく行方不明になってしまい一週間後に、スーツ姿の遺体で発見されました。これが硫黄島の呪いという怖い話です。
ちなみにですが、1994年(平成6年)に当時の天皇陛下が硫黄島に訪れ、慰霊碑へ鎮魂と感謝の意を述べてからは現地にそういった霊は出なくなったようです。
【5】ニューギニア原住民が見た英霊
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5つ目に太平洋戦争中の怖い話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、ニューギニア原住民が見た英霊という怖い話です。
ニューギニアの原住民を日本人が訪れた時のことです。夜になると、原住民は森の方へ近づこうとしません。その理由を伺うと、夜になると、異国語を話す霊が出るからと言うのです。
日本人が、原住民にそのことについて詳しく聞くとその霊は「ガムバレ」「シカリシロ」などの言葉を話すらしいのです。
そう、この霊が話す言葉とはまぎれもない日本語だったのです。ニューギニアも太平洋戦争時に戦場となった場所で多くの日本兵が戦死しています。
その英霊たちが、今も現地で成仏できずに彷徨っているのでしょうか。
【6】首なしランナー
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6つ目に太平洋戦争中の怖い話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、首なしランナーという怖い話です。
この怖い話、首なしランナーの概要はこうです。日本兵の部隊が連合国軍に包囲され、横一列に並べられて今にも皆殺しにされそうになっていました。そんな中、日本兵の隊長が敵兵たちにある提案をします。
「俺の首を切れ。そして俺が今からこの列の端から走り切る。走り切れた地点までの者は皆助けてやってほしい」
この提案を敵兵は承諾します。そして、斬首が実行されると、胴体だけの隊長が見事端から端まで走り切り、全員を助けたという話です。もちろん隊長は亡くなってしまいますが、怖い話であると同時にもし、事実ならば非常に男気のある話です。
【7】ワニによって全滅
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7つ目に太平洋戦争中の怖い話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、ワニによって全滅という怖い話です。
こちらの怖い話も霊的な怖い話ではなく、現実としての怖い話になるのですが、太平洋戦争中の激戦地ビルマにて、夜間寝ていた日本兵の一個小隊を人食いワニが一人残らず食い殺して全滅させたという話があります。
事実かどうかは怪しい点はありますが、東南アジアのジャングルで戦っていたのですから、ありえない話ではなさそうです。敵は連合国軍以外にもいたということです。
【8】ペリリュー島皆殺し作戦
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8つ目に太平洋戦争中の怖い話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、ペリリュー島皆殺し作戦という怖い話です。
こちらは、1942年(昭和17年)にマーシャル諸島のペリリュー島の戦いでの話です。この戦いによる日本兵の戦死者は1万人を超えるとされています。それに対して捕虜がたったの22人だったそうです。
この戦死者数は異常で、非常に激戦で知られているサイパン島の戦いでも2000人の戦死者なのです。一説ではこの1万人は戦闘による戦死ではなく、アメリカ軍による、日本兵皆殺し作戦だったのではないかと言われています。
仮に、これが本当であるのならば、根拠もなく殺されてしまった日本兵達の無念さにやるせない思いを抱かざるを得ません。
【9】船魂①
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9つ目に太平洋戦争中の怖い話【第二次世界大戦】として挙げたいのは「船魂」という怖い話です。
日本では船には「船魂」という魂が宿っているとされ、旧海軍では木をくりぬいて作った舟型の中に、船魂をかたどった紙の人形と、五穣をはじ め供物を詰めて密封し、船室に祀っていました。
この船魂は船が沈没する際に離れていくと言われています。太平洋戦争中、トラック諸島で日本海軍が壊滅状態に陥った時にこの船魂が数々目撃されていたようです。そしてその姿は白い着物を着た女性であることが多かったようです。
【10】船魂②
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最後に太平洋戦争中の怖い話【第二次世界大戦】として挙げたいのは、前項に引き続き船魂についての話です。上記の話とはまた少し違うのですが、戦艦大和の沖縄特攻に参加した、駆逐艦の涼月という船の船魂についてです。
涼月は上記戦闘時に船体前部に被弾し、その後行方不明になっていました。しかし、バックで何とか佐世保に到着し、その瞬間沈んでしまったそうです。
その後、船体内からは乗組員の遺体が発見されたので、涼月は自身の意思で佐世保に返ってきたと言われています。そして故郷に着き安堵したのかそのまま沈没することになりました。
こちらも一種の船魂であると言えるのではないでしょうか。
なぜ太平洋戦争中に不思議な現象が多いの?
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いかがだったでしょうか。今回は太平洋戦争中の不思議なエピソードについてご紹介していきました。ではなぜ、太平洋戦争中には不思議な現象、エピソードが多いのでしょうか。
それには諸説あるようですが、1つ挙げられるのが、普段と違い、戦争という緊張状態に置かれることで感覚が研ぎ澄まされ、見えないはずのものが見えたり、普段は到底発揮できない力が発揮されるという説があります。その為多くの不思議な現象が発見されやすいということです。
また、失われる命と、それに対する無念の思いなど人のそういった思念自体が不思議な現象を起こすという考え方もあるようです。見えるものが全てではありません。思念や魂というのはやはり存在するのでしょう。
とにもかくにも、私たちが今年もこうして平和に夏を迎えれるのは、命を懸けて日本という国を守ってくれた先祖達のおかげではないでしょうか。
そういった思いを胸に皆さんどうか今年の8月15日の終戦記念日には、英霊たちに手を合わせて恒久の平和を祈りましょう。