安田純平の現在!シリアで拘束〜帰国&外務省パスポート発注拒否まとめ! | ToraTora[トラトラ] – Part 2

FCCJさん(@fccjapan)がシェアした投稿 – 2019年 3月月15日午前2時13分PDT

イラクやシリアでの「日本人拘束事件」を覚えていますか?

安田純平さんは、それらの拘束事件中に当事者となったジャーナリストです。

2004年にショッキングなニュースとして駆け巡った「イラク日本人人質事件」では、実際に2名の日本人が殺されました。そのショッキングな処刑映像はいまだに強く印象に焼き付いている人は多いのではないでしょうか?その時の拘束されている日本人についての取材に行った際に、実は安田純平さんも取材現地で拘束されていました。(のち解放。詳細は後述。)

その後、2015年にトルコ経由でシリアに入国した際に拘束され、長くその生存を心配されてきました。そして、まだ記憶にも新しい2018年に無事解放され、現在は日本に帰国しています。

ニュースとして表層を知っていても、一体どういう事件にどのように関与した人なのだろう?という部分も詳しく解説していきます。

安田純平さんの経歴まとめ

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引用: Pixabay

安田純平さんは1974年生まれの埼玉県出身で、現在もフリージャーナリストをされているようです。

安田純平さんのジャーナリスト歴

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引用: Pixabay

一橋大学社会学部を卒業後、1997年に信濃毎日新聞入社し松本本社に勤務されていました。「北アルプスの山小屋のし尿処理問題」を扱った連載や、信州大学の「脳死肝移植問題」記事の担当をされていたそうです。かなり社会派の取材に取り組まれていたようです。

2002年3月に休暇を取って、個人としてアフガニスタンに取材に向かわれたそうです。しかし、その帰国後の4月には文化部に異動があったようです。この異動には会社として安田純平さんの希望する取材には反するような異動のようにも見えます。

その同じ年の12月に再び休暇を取り、今度はイラクに取材に向かわれたそうです。そして、翌年の2003年1月には信濃毎日新聞を退社され、フリージャーナリストに転身されたようです。退社したタイミング的に「自分の好みの取材ができる」フリーへの移行を選ばれたのかもしれません。

安田純平さんはシリア以前にも拘束されていた!

shoichiroさん(@siders_1)がシェアした投稿 – 2018年10月月25日午前6時54分PDT

実は事件として有名になったイラクとシリア以外でも、安田純平さんはこれまでに計5回も取材先の現地で拘束されていました。

1回目は、2003年にはイラク軍に拘束されています。この時、安田純平さんは本人曰く偽造ビザで「人間の盾作戦」(イラク侵攻の前に、日米の軍事政策に対する抗議活動)に取材を兼ねて参加したところ、イラク軍に拘束され、その後解放されますが、再びイラク軍に拘束されています。(2回目

3回目はイラク軍から解放された後の同年2003年に、取材中にイラク警察に数回拘束されていたとのことでした。(複数回ですが、ゆるめの拘束?のようなので3回目に含まれているようです。)

4回目は2004年4月、ファルージャに行く途中のバクダッドで武装勢力に拘束されています。時期的にこの時が前述の「イラク日本人質事件」の取材を兼ねていた頃?のようです。

そして5回目は2015年、今回の事件で一番長期間にわたった、シリアでの「ヌスラ戦線」による拘束です。

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安田純平さんのパートナーで、歌手のMYUさんが3年の沈黙を破り、本日午後、日本記者クラブにて会見。MYUさんは、安田さんについて「彼は中東の人々が大好きで、中東の皆さんの敵ではない」と訴えていた。その通りだと思う。犯行グループは一刻も早く、安田さんを解放するべきだ。 pic.twitter.com/4IYwHANU49

— 志葉玲 (@reishiva) August 7, 2018

ところで安田純平さんは、シリアで拘束される前の2009年に歌手のMyu(深結。本名:安田由美、旧姓:松村)さんという5歳年上の女性と結婚されています。

妻Myuさんは「スピリチュアルヒーリング・シンガー、ジャーナリスト」という事らしいのですが、実は国の行事や神社や仏閣関連の特別行事などでも歌を披露するほどの腕前の持ち主のようです。

かなり実力のある方のようですが、それもそのはず、妻のMyuさんは29歳でボーカルクイーンコンテストに優勝し、尾崎亜美さんのプロデュースでデビューされていました。

そして世界でも有名なアーティストを手掛ける有能ボイストレーナー複数名に師事されるなど研鑽を重ね、なんと出雲大社にて当時の天皇陛下の前でも祝歌を披露もされていたほどの実力の持ち主です。現在も、妻のMyさんは精力的にヒーリングシンガーの他に、恋愛カウンセラーや「神様を味方につけて幸せになる本」を上梓したりと、精力的に活動されているようです。

ただ、安田純平さんが2015年の失踪最中から拘束判明後、そして解放前までの期間でも、妻であるMyuさんのSNSでは通常通りのご自身の日常風景や「胸きゅん」な出来事を綴っていらっしゃったようです。そのため「もしかして不仲?」といった声もありネットで話題になっていたようです。

が、実は妻のMyuさんは安田純平さんが拘束されたと報道された際には「彼が戻るまで泣かない」といった声明を出していたそうです。

因みに、安田純平さんは結婚によって姓を変えた、と話しているのでパスポートの名前は安田さんではないようです。そして、Myuさんと結婚されていることで国籍は日本なのではないかと思われます。

安田純平さんのシリア拘束事件とは?

安田純平さんはどうしてシリアで拘束されたのかの状況を、様々な情報をもとにまとめてみました。

安田純平さんがシリアで拘束される前

安田純平氏の日本政府に対するお気持ち変遷 2015年6月20日「世界でもまれにみるチキン国家」 2018年10月25日「日本政府が何か動いて解放されたかのように思われるのだけは避けたかった」

2018年11月02日「日本政府を当事者にさせてしまったことに対して深くお詫び申し上げます」←New!! pic.twitter.com/E9qk1YgRkc

— にのうらさとこヾ(○’∀’○)ノ (@ameayunon) November 2, 2018

2004年に新潟で講演の際には「どういう事情であれ、邦人保護は政府の責務だ」とし、フリージャーナリストとしていつも「死」という自己責任を負う覚悟はできている、と語っていたようです。

2007年には当時取材の難しいイラクにて、軍関係施設の料理人として働きながら精力的に取材をしてそのルポルタージュの本も出版されています。

安田純平さんは、実際に戦地に行くと分かってパスポートを出さなかったり、家族と職場に警告を出してきた日本政府に対して、2015年4月3日付で「自己責任なのだから口や手は出すなと徹底批判しないといかん」、2015年6月20日付では危険地域に渡航した邦人に警察から家族に問い合わせがあったことで日本政府に対して「世界でもまれにみるチキン国家」といった日本政府への批判のツイートをされていました。

また、安倍政権に対してもかなり批判をツイートしていました。結果的に、これらのツイートも帰国後の安田純平さんに対する批判にも後々繋がっていくこととなります。

安田純平さんがシリアで拘束された時

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引用: Pixabay

2015年6月、シリア人ブローカーと共にトルコ南部からシリア北西部イドリブに密入国し、6月21日のツイートを最後に消息不明となりました。

実際には6月20日には「シリアに入れる」、6月22日には「シリアに入る」、そして6月23日には「どうももうシリアに入ってしまったらしい。ヘトヘトだ。」というメッセージを同じジャーナリスト仲間に連絡した後にすぐ、拘束されたようです。

そして現地では7月4日にシリアで拘束されたことが判明していたようです。安田純平さんの長年の友人であり同じくジャーナリストの常岡浩介さんらジャーナリスト仲間によって様々な救出作戦が立てられていたようですが、危険地域のためビザが下りず、さらに拘束側が誰で、どのようなことを考えているかが声明も無く全く不明だったため、この段階で日本のメディアに対しては「慎重に」という形で有志による報道規制状態だったようです。

安田純平さんがシリアで拘束された後

2代目常夏ボーイ☆さん(@genki2000)がシェアした投稿 – 2018年10月月28日午後6時52分PDT

2016年3月、拘束されているように思われる安田純平さんの映像が発見されました。その年の5月に「助けてください これが最後のチャンスです 安田純平」と書かれた紙を持った映像が公開されました。

次は2018年7月、「私の名前はウマルです 韓国人です」「今すぐ助けてください」と言っている映像がネット上に公開されました。そしてその後すぐに、背後から黒づくめの男たちに銃を突きつけられている映像も公開されました。

安田純平さんはなぜ「ウマル」と名乗ったのか?

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引用: Pixabay

安田純平さんはシリアで拘束されてから、いくつかの収容所を転々としていたようです。

「ヌスラ戦線」はシリアのアルカイダ系のテロ組織でアラブ人が運営している収容所にいた時は「中国人と言え」と言われ、次のウィグル人が運営している収容所では「韓国人と言え」と言われた、と帰国後に語っています。

そのため、韓国の国籍ではなく日本の国籍を持っているけれども、無理やり言わされていたという事のようです。因みに動画のために台本が用意され、演技指導(泣くバージョンを撮る時は唐辛子をかじって泣いた、と本人談)があったそうです。

その後収容所にいるときに改宗をしてイスラム教徒となったので、「名前を付けてやるよ」と言われてスンニ派でよく付けられる「ウマル」という名前を付けてもらって、名乗るように言われたそうです。

安田純平さん解放前の不思議な動き

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引用: Pixabay

2015年7月(安田純平さんが消息を絶ったすぐ後)に、外務大臣会見でシリアで拘束の疑いのある邦人案件を質問していますが、当時の岸田文雄外務大臣からは「法人が拘束されている情報には接していない」と回答しています。

そして突然、2015年12月23日に「国境なき記者団」から「安田純平さんの拘束者が身代金を要求しており、期限までに払わないと殺すか他組織に売り渡すと言っている」といった趣旨の発表をします。しかし実はこの段階で安田純平さんの家族にも日本政府にも一切身代金請求や交渉要求などが無く、間違った情報を発表したらしく、確認を受けて29日に「国境なき記者団」から撤回が入ります。

実はこの動きの裏に、安田純平さんのジャーナリスト仲間周辺から、一人の謎の人物の存在が示唆されています。

民間で様々な交渉を生業にしているスエーデン人N氏という人が安田純平さんの拘束を知り、外務省に直接「私が5000万で解決する」と売込んだそうです。しかし外務省は本来テロ組織とは交渉しないというスタンスを取っているため相手にされませんでした。

そこで功を焦ったN氏が「国境なき記者団」を使って事件を公にした、という噂です。もしかしたらこの段階でN氏は「日本政府代理」を名乗り交渉を始めていたのかもしれません。(安田純平さんの会見での時系列供述では、この頃テロ組織の上官に「日本政府と交渉中」との話をされていたようでした。)このことは安田純平さんをできるだけ隠密に穏便に救出しようとしていたジャーナリスト仲間にとって大変な痛手だったようです。

日本政府は邦人保護の観点から危険地域に行く邦人には身の安全のための注意勧告や緊急の場合ではパスポート没収などを行っているようですが、危険な戦地に行って大きなスクープを取りたい・名を挙げたいジャーナリストはそれを「足枷」のように感じているため、安田純平さんのツイートのような形になったのかもしれません。

安田純平さんの帰国までまとめ!

NEWSさん(@news_imagine)がシェアした投稿 – 2018年10月月23日午前7時17分PDT

安田純平さんの拘束が広く世間に広まってしまった後、当然日本政府も交渉に関与していると思われますが、トルコ政府とカタール政府による協力と仲介を経てカタール政府より身代金(3億4000万円)が支払われた、と言われています。

カタール政府としては身代金という形でテロ組織に正面から資金援助できるのと、邦人救出に対しての”協力をした”という事実を日本に対して得られる形となったようです。憶測ではありますが、日本政府からは、安田純平さん救出までの水面下での交渉やその協力に対する”何らかのお礼”(もしくは身代金の一部)も出ているかもしれません。

結果としては、安田純平さんを3年4か月の間拘束したことで、テロ組織は確実に莫大な運営資金を獲得したことになります。

因みにこの身代金(3憶4000万円)なら、現地で自動小銃を1400丁も購入できてしまうそうです。

安田純平さんが解放される

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引用: Pixabay

2018年10月23日、菅官房長官の緊急記者会見にて「安田純平さんと思われる男性の身柄が解放され、トルコ政府がトルコの地方都市アンタキアにて保護」したと発表されました。その翌日24日に河野太郎外務大臣が安田純平さん本人と確認したことを発表し、25日にはトルコ・イスタンブールを発ち同日夜間に成田空港に到着しました。

因みに解放当時の安田純平さんの体調はすこぶる良かったようで、帰国の機内で長時間のインタビューを受けたりしていたそうです。「荷物が無いことに腹が立った」「望まない開放のされ方だった」などや、「日本政府が動いて解放されたと思われるのは避けたい」というコメントが注目を集めたようです。

テロ組織と交渉はしない日本政府として、水面下行ってきた多国間交渉はほぼ暗黙の了解の事実にもかかわらず、多くの人の心配や尽力の元の帰国の途に就きながら、どうしても日本政府のお陰ではない、と言いたい安田純平さんの言動には多くの非難が集まりました。

安田純平さんが「プロ人質」と呼ばれた理由

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引用: Pixabay

安田純平さんは、ネット上で「プロ人質」という異名を付けられてしまったようです。

この「プロ人質」とは、何度も捕まり身代金の金額交渉の対象にもされてしまったことから、「もしかすると人質として優遇されたり身代金の”取り分”をもらっているのでは」「日本政府を批判したいがために、日本からの税金を引き出すのに尽力しているのでは」といった偏った憶測から付けられてしまったようです。

通常の紛争地域で取材活動を行っているジャーナリストは現地の事情通やコネクションを使って、ギリギリの安全ラインを探りながら現地で取材活動を行っています。命あっての取材報道ですから、自分の逃げ道をしっかり確保しながらの取材攻防を行っているわけです。

戦場カメラマンの渡部陽一氏の「危機管理を最優先し、引く勇気をもって欲張らない取材をする」という言葉に現れるような慎重さと用心深さで取材にあたるのが、報道ジャーナリストだと一般にも思われていました。

通常、外務省からの渡航注意情報にもあるように、紛争地域や日本と異なる治安の不安定な地域では、欧米や日本などから来た人は現地のテロ組織や犯罪組織の資金調達のための「人質」になり易いのは周知の事実です。そして、実際にそういった資金調達が成功してしまっているために、いまだに世界各地で同様のことが繰り返されているのが現実です。

そのため、日本の外務省は徹底して「日本政府はテロ組織とは絶対交渉しない」という立場です。が、今回の安田純平さんの救出に際して表向きでは、今回は日本政府は帰国代金だけ払った、というスタンスです。

しかし、あくまで公言はされてませんが「日本政府が安田純平さんの解放に際し水面下で間接的に交渉し、何らかの”代償”を払ったのは確実」という推測がされています。

安田純平さんの解放後の後ろ姿が話題

更に話題になったのが解放後の記者会見時の「後ろ姿」です。

正面から見ると、髪も髭もぼうぼうで白髪交じりになっており「人質で苦労した」という感じが強くありました。が、その横から見た後ろ姿の部分が、きっちりと刈り揃えられた黒髪に血色の良い肌艶、痩せてはいるが健康そう(元々細身な感じ)で小綺麗なその後ろ姿に注目が集まりました。

安田純平さんが語った人質生活

TakadaQさん(@qtaka)がシェアした投稿 – 2019年 1月月1日午前2時38分PST

「人質生活は壮絶だった」「虐待を受けていた」という事でしたが、帰国時にいくつかインタビューされていた中で様々な事実が分かってきました。因みに、帰国後の日本記者クラブでの会見では「壮絶な人質生活」について自ら2時間以上かけて事細かく語りました。

まず拘束された時は、「不審感を持ちながら、よく知らない人についていってしまった」ことが結果的に拘束された原因のようです。拘束したグループ名も最後まで不明だった、とのことでした。

食事や待遇もそれほど悪くなかったようで、「見張り付きで、部屋はほぼ個室だった」「1日2色」「運ばれてくる食事は、鶏肉料理やピザのようなトルコの郷土料理など」「スイーツも出た」「自分の部屋でTVも見れた」「窓も一つだけ開けることができた」「最初は英語で書けと言われたが、日本語で日記をつけることも許されていた」とのことでした。

拘束していた組織から前述の動画を取る際には「台本を渡されて演技指導をされて行っていた」こと、そしてその撮影の後にはご褒美で1か月ぐらい食事がさらに豪華(スイーツやインスタントラーメン、果物などのおやつ付き)になったそうです。

更に、テロ組織からは収容所では監禁状態ではあるものの「「(安田純平さんは)ゲストである。」「(安田純平さんの)命は保証はする。絶対に殺さない。」と言われていたようです。

日本政府に交渉するから、と言われ何度も個人情報などを書いたそうです。その中で日本政府との交渉がうまくいきそうな時は機嫌よく優しくされ、交渉が途絶えた時には機嫌が悪くトイレに行く際に小突かれたりしていたそうです。

後半には「身動きしてはいけない」「音を立ててはいけない」「唾をのんでもいけない」など様々な虐待(ゲーム?)などがあり、それに対抗するために「20日間のハンガーストライキ」をされたそうですがその後「解放するから食べなさい」と言われたそうです。

安田純平さんの帰国後の活動は?

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引用: Pixabay

安田純平さんは、帰国後すぐに記者会見や対談やインタビューを受けたり講演をしたりされていたようです。

シリアで拘束された事件についての本を出し、ドキュメンタリー番組のやテレビ出演などもされていたようです。

安田純平さんはパスポート発行拒否されていた?

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引用: Pixabay

2019年6月6日の報道で、「外務省に申請したパスポートが5か月間”審査中”とされて発給されていない」ことが安田純平さん本人によって明らかにされ、日本政府もその事実を認めました。

安田純平さんからは「(パスポートの)審査が長期間判断されず、事実上の出国禁止の状態が続いている」と話していたようです。

日本のパスポート(旅券)は、旅券法により「渡航先が入国を認めない場合や、国益を害する可能性があったりする場合、(パスポートを)発給しないことがある」という規定があるそうです。

これまでのケースで、渡航予定にない地域に行くために出国した場合は、渡航制限された形での発給がされていたようです。

が、実は安田純平さんはこれまでの取材のための渡航ではその日行程を明かさずに(本人談では、日本政府に取材を邪魔されたり退去勧告を受けることへの対抗と現地での安全のため、とのこと)移動を行っていたことから「今後もそういった行動をとる可能性が大いにある」というように判断され今もマークされているようです。

特に、この安田純平さんのシリア拘束事件によって日本政府としては水面下で多大なる「犠牲と国益を損なった」「望まずに、テロ組織に資金を提供することになった」という事態を、非常に重く見ている表れかもしれません。

安田純平さんの現在

ともさん(@kumaritomo)がシェアした投稿 – 2018年12月月13日午後7時14分PST

現在は、日本国内で有料メルマガ(@540円/月)を発行し講演会やTV出演などをしているようです。

最近出演したTV番組では、前述のパスポートを申請しているがまだ発給されていないことに言及して、「ハワイに行きたい。家族がハワイで休養したいと言っている。」と発言し、家族旅行を国が制限するなんて!と批判していたことで、再びネットで大炎上してしまったようです。

安田純平さんの今後は?

じゅんごろうさん(@nabechalin)がシェアした投稿 – 2018年11月月1日午後8時40分PDT

海外で思わぬ事件に巻き込まれてしまった邦人ジャーナリストの無事の帰国は、深く心配されていたご家族や周囲の関係者の事を考えると大変喜ばしいことです。

しかし、今回の件の経緯を知れば知る程、報道する自由とは?報道ジャーナリズムとは何なのか?をも深く考えさせられた事件だったのではないでしょうか?また、報道関係者と一般の人の「温度差」も感じてしまった側面もあったかもしれません。

今回の安田純平さんのシリア拘束事件に関しては、安田純平さん自身の既存体制への強い反発からなのか、少なからずとも邦人救助に尽力した日本政府への批判を繰り返す姿勢に対して、同情や共感よりも多くの人の反感を招き、この現状のようなパッシングを招いてしまったのでは、という印象を受けざるをえません。ただ、そのせいもあり未だ多くの注目を集め、安田純平さんは現在、誰もが知る有名なジャーナリストとなりました。

ジャーナリストの仲間内からは拘束後のヒーローのような存在なのかもしれませんが、日本国内の一般の人からの反感が多いことから、危険を冒してまで集めた貴重な情報や命を懸けて体験してきた大切なニュースも、こうした個人批判と理由によって「遠巻きにされてしまう」ことが残念ながら懸念されてなりません。

この事件を、体制批判と売名行為だけのものとしないために、多くの人が今後の経緯もしっかりと見ていく必要があるのではないでしょうか。