神戸連続児童殺傷事件まとめ!生首と対話する少年の残虐性に世界が注目! | ToraTora[トラトラ]

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神戸連続児童殺傷事件を聞いたことがあるのではないでしょうか。

今現在も多くの世間の記憶に残る最も悲しく惨虐な事件となりました。兵庫県・神戸市内 で発生した神戸連続児童殺傷事件の犯人は、現在「少年A」として呼ばれ日本中で有名な名前になることに。

酒鬼薔薇聖斗」と自分が幼い頃に創り上げた名前を世間に公表し、事件当時14歳という若さで異常な残虐性が行われたということで、現在でも話題となる事件になったのです。神戸連続児童殺傷事件は、犯人がまだ中学生だったことから実名報道はされていません。

今回は、神戸連続児童殺傷事件の悲惨すぎるエピソードから、酒鬼薔薇聖斗(少年A)について詳しくご紹介していききたいと思います。また、やばすぎると言われている手記や絵についても見ていきましょう。

神戸連続児童殺傷事件の概要【閲覧注意】

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酒鬼薔薇聖斗・少年Aがわずか「14歳」という年齢で引き起こされた、卑劣な神戸連続児童殺傷事件の詳しい内容を見ていきましょう。

神戸連続児童殺傷事件の詳細を、分かりやすく要点にまとめてご紹介していきます。

【1】事件の内容

神戸連続児童殺傷事件は1997年に起きました。

わずか数ヶ月という期間で小学生が2人も亡くなり、3人が重軽傷を負ってしまう数多くの被害者がでてしまう事件が起こってしまうのです。神戸連続児童殺傷事件で狙われた小学生の被害者の中から、生首すなわち後頭部を声明文と共に中学校の正門前に置かれていた恐ろしい出来事がありました。

今現在の世間を恐怖へと陥れた、衝撃的な恐ろしい事件と当時は騒がれました。さらに新聞社には「挑戦状」という手紙が送られたことで、かなり強い悪質の強い暴行性が加わっていた事件として取り上げられたのです。

悲劇的な事件は現在でも忘れることのできない、史上最悪な神戸連続児童殺傷事件として名を刻みました。神戸連続児童殺傷事件でもっとも今現在の世間に騒がれた理由の一つとしては、犯人がまだ「幼い14歳の中学生(少年A)」だったからです。

まだ未成年で未熟な14歳だったために、実名での報道はされなかったのですが、少年Aは自ら実名ではないものの通称「酒鬼薔薇聖斗」と名乗りました。これをきっかけに、神戸連続児童殺傷事件の名前が一部では「酒鬼薔薇聖斗事件」としても、現在も特異な事件として覚えられていることでしょう。

【2】はじまり

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酒鬼薔薇聖斗・少年Aによる最初の神戸連続児童殺傷事件が始まります。それは神戸市で2名の女の子の小学生が何者かにハンマーで殴られるという恐ろしい事件が発生するのです。

当時は、まさかこの事件が酒鬼薔薇聖斗・少年Aによる、神戸連続児童殺傷事件の序章だったとは誰もが予想できませんでした。というのも、目撃情報があったにもかかわらず、学校側が非協力的だったためです。被害者の小学生の父親は、娘に犯人の特徴を聞いていたのです。

犯人の特徴が明らかになったので、近所の中学校に生徒の写真で確認すれば、見つけられるのではないのかということで、父親が学校側に提供をお願いしました。ですがそれは叶わず拒否されていたのです。

この事件の犯人を捕まえるためにも、解決するためにも警察に被害届を出すことになり、神戸連続児童殺傷事件の犯人とされる酒鬼薔薇聖斗の行方を追うことになったのです。

もちろん、警察も学校側に生徒の写真を見せるようにととりあったのですが、結局開示されることなく第2の神戸連続児童殺傷事件へと繋がってしまうのです。

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神戸市立竜が台小学校の正門近くの桜が満開。連続児童殺傷事件で犠牲になった山下彩花ちゃんを偲び、同級生や教職員らが13年前に植樹した「彩花桜」。プレートには彩花ちゃんのメッセージが刻まれている。「ずっとそばにいるよ。姿は見えなくても」 pic.twitter.com/34AF3N3EQD

— 新聞うずみ火 (@shinbunuzumibi) April 6, 2016

2件目の神戸連続児童殺傷事件が起きるまではすぐの出来事。酒鬼薔薇聖斗・少年Aに声をかけられたことがきっかけで、1997年・神戸市の公園の近くにいた小学生の女の子が2人目の被害者となります。

酒鬼薔薇聖斗・少年Aは小学生の女の子に声をかけ、振り向いた瞬間に女の子をそのまま凶器で殴りつけたのです。酒鬼薔薇聖斗・少年Aは、すぐにその場から逃亡しています。小学生はそのまま病院に搬送されますが、若い小学生の尊い命は脳挫傷により亡くなってしまいました。

この神戸連続児童殺傷事件で亡くなった初めての被害者となったのです。そこで驚きが隠せないのが、わずか10分ものわずかな時間で別の小学生が酒鬼薔薇聖斗・少年Aの犯行のターゲットにされていたこと。腹部をナイフで刺し重症を負わせています。幸いなことに亡くなってはいないので、被害者の小学生は現在も元気に過ごしていることでしょう。

神戸連続児童殺傷事を起こした酒鬼薔薇聖斗・少年Aには、なんの躊躇やためらいもなく平気で小学生を刺していたそうです。それもナイフで胃を貫通させ、背中は静脈にあともう少しというところまでナイフが刺さっていたと言われています。

今現在起きている凶悪犯罪の中でも、神戸連続児童殺傷事件を上回る卑劣な犯行は中々ないでしょう。

【4】最終的には

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神戸連続児童殺傷事件の被害者の中でも、酒鬼薔薇聖斗・少年Aによる最も残酷で卑劣な被害者となっしまったのは、11歳の神戸市に住む男子小学生でした。神戸連続児童殺傷事件のターゲットとされたこの男子小学生は、酒鬼薔薇聖斗・少年Aの弟の友人であったことが判明。

神戸連続児童殺傷事件のターゲットに選ばれたのは、たまたま男子小学生を見つけたという理由です。それから酒鬼薔薇聖斗・少年Aが声をかけたのがきっかけになりました。

小学生の心を匠に掴めるよう「山に亀がいた」と誘って気を緩ませてから、山に連れて行き3件目の神戸連続児童殺傷事件を起こすことになります。

酒鬼薔薇聖斗・少年Aとはいうと、神戸連続児童殺傷事件を起こしている過程で「一度首を絞めて殺してみたい」という願望や欲求が現れてしまったといわれています。山に連れ出してからは、男子小学生を山の中で絞殺してから遺体を近くにあったアンテナ施設へと隠したのです。

ですが、遺体を隠すには南京錠を外すことが必要になります。そこで、南京錠を切断できるような、ノコギリなどの道具を一式買いにいくという冷静な判断能力を持っていたそうです。

そしてもう一度、山に登ると殺害した遺体を引きずりながら床下に遺体放棄したのです。

【5】殺害の詳細

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先程、神戸連続児童殺傷事件の被害者の中でも特に残虐性の高かったとされるのが、最後の事件であったとご説明しました。

神戸連続児童殺傷事件の事件の殺害方法については、酒鬼薔薇聖斗・少年Aは、男子小学生の背後から、右腕を首に巻きつけ、力こめて首を絞めあげたのです。

ですが、苦しかった小学生は必死に抵抗したこで、少年Aの思いのままにはいきませんでした。このままでは殺せないと思った酒鬼薔薇聖斗・少年Aは、小学生を倒してから思いっきり首を締めることにしたようです。

しかし中々思いどうりはいかず、殺せないことで心の底から腹を立てていたと供述しています。もう一度小学生の上に覆いかぶさり、背後から首を締めることにしても、小学生は必死に耐えていたのです。そんなことも御構い無しに小学生も首を絞めつずけたのです。

そこで考えついたのが、身体を殴ったり蹴ったりの暴行を加えてから、お腹の上に馬乗りになります。少年Aは、自分の履いていた靴紐を首に巻きつけると、思いきり首を絞め上げたのです。

呼吸がきちんと止まっているのかを確認しますが、不安だったのか自分の靴紐をフェンスのようなことろに結びつけ、もう一度力を込めて絞め続けたといわれています。

酒鬼薔薇聖斗・少年Aは、神戸連続児童殺傷事件の中でもこの小学生がすぐに死ななかったことで腹を立てたことと、絞め殺している緊張感とともに楽しく殺害ができ満足感がいっぱいになったそうです。

今現在、再びこの異常な酒鬼薔薇聖斗・少年Aの行動を振り返るだけでも恐ろしさが蘇ってくるほど、神戸連続児童殺傷事件は前代未聞な事件だったと現在もいわれています。

【6】殺害後の行動

神戸連続児童殺傷事件で現在でも一番話題となったのが、酒鬼薔薇聖斗・少年Aの殺害してからの異常な行動の数々です。

神戸連続児童殺傷事件をおこそてから酒鬼薔薇聖斗・少年Aは、「人の頭を切ってみたい」という願望が襲いかかってきたのです。遺体を隠していた場所に後日戻るという異常な行動をします。

遺体を床下から出してから、ナイフで殺害した小学生の首を切っていったそうです。小学生の目は開いていたようですが、なんの抵抗も躊躇もしなったと言われています。

そして最も恐ろしいのが、少年Aの殺害への感覚です。「この不思議な映像は僕が作った」という達成感が心を満たしてくれたと感じていたと語っています。神戸連続児童殺傷事件で酒鬼薔薇聖斗・少年Aは、遺体を「作品」と認識しており鑑賞に浸る一面もあったようです。

さらに妄想は膨らみ、しまいには生首とも会話を初めています。「よくも殺したな、苦しかった」と小学生の分の会話を自分でしていたそう。酒鬼薔薇聖斗・少年Aは、「君があの時間にいたから悪いんだ」などという内容で自分の気持ちを話し、生首と会話を弾ませていたのが神戸連続児童殺傷事件では現在も有名な話。

ですが神戸連続児童殺傷事件はここからも続きます。小学生の後頭部をそのまま持ち帰り、夜中に一人で中学校の正門の扉の前に声明文と共に置いて帰ったいったのです。それも自分の通う中学に置くことで遺体発見の遅れと捜査錯乱で自分が犯人と悟られないためだったそう。

ですが結局は、声明文や新聞社に送りつけた酒鬼薔薇聖斗(実名は伏せられていた)と書かれた手紙の筆跡の追跡で、神戸連続児童殺傷事件の真犯人が酒鬼薔薇聖斗・少年Aだったと判明し逮捕に至ったのです。今現在は、最も恐ろしく暴行性の強い惨虐極まりない神戸連続児童殺傷事件とされています。

犯人の酒鬼薔薇聖斗(少年A)の経歴は?

神戸連続児童殺傷事件は、本当に残酷で悲しい悲劇の事件となりました。

実名は出ていなかったものの、近所では酒鬼薔薇聖斗・少年Aが犯人ではないのかっと噂されていたのです。

そんな神戸連続児童殺傷事件を引き起こした酒鬼薔薇聖斗・少年Aの、経歴を見ていきましょう。

【1】小学校

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神戸連続児童殺傷事件を引き起こすきっかけになったのは、小学生時代だったといわれています。酒鬼薔薇聖斗・少年Aの小学校の実名は神戸市立多井畑小学校。小学生時代から人と変わった感性をしていました。

神戸連続児童殺傷事件を起こす引き金になっていたのは、小学5年生の頃から動物に対し殺害・暴力をするようになったそうです。はじめはナメクジから始まったようですが、次第に猫の頭や体をナイフで切り刻んで殺害するようになります。

というのも、もともと神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗・少年Aは、複雑な家庭環境で育っていたことや小学校に入る前はイジメられていたことが原因だったとされているのです。近くに住んでいた年上の小学生から、幾度なくイジメをされていたことで自分よりも弱い立場の動物を殺害するようになったのです。

さらに、ゲームや映画での暴力シーンで自慰に耽るなどの屈折した性癖を持つようになり、神戸連続児童殺傷事件のような恐ろしいモンスターを持つサディズムになっていったのです。

【2】中学校

カラスの頭部、神戸の中学校の木の枝に 1997年の小学生連続殺傷事件では児童の遺体: 神戸の中学校にカラス頭部 97年の事件では児童の遺体… https://t.co/P4lcOYty0M pic.twitter.com/l9WmHolQ24

— 暇人(ひまんちゅ) (@Freeter_X) April 10, 2017

神戸連続児童殺傷事件で生首が正門に置かれていたとされる中学校は、実名、兵庫県神戸市須磨区友が丘中学校です。この神戸連続児童殺傷事件が発覚し現場になった中学校は、神戸連続児童殺傷事件の犯人である少年Aが自ら通っていた中学校になります。

中学校時代の少年Aは、これまで神戸連続児童殺傷事件を起こす前から学校内では問題児だったそうです。生徒の靴を隠しては燃やしたり、突然ラケットを人の頭を叩くことがあり、時にはナイフで生徒の自転車のタイヤをパンクさせたりもしていました。

小学校からも、「刃物を突き刺した不気味な粘土細工を作っていた」など数々な異常な行動が報告されているのです。少年Aの問題行動により、両親も中学校含め近隣に謝りに行ったことは数十回にも及んでいたといわれています。

そしてこの積み重ねがあり、エスカレートした少年Aは、とうとう14歳(実名伏せられる)にして神戸連続児童殺傷事件を起こし、最終的に逮捕に至ったというのが中学時代でした。

【3】少年院

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神戸連続児童殺傷事件は、現在でも恐怖がおさまることがありません。この神戸連続児童殺傷事件の犯人が少年Aの犯行と分かってからは、警察に逮捕されそのまま医療少年院に収容されました。

そもそも自分が犯人と悟られないよう、捜査を錯乱するために新聞社や正門に置いた手記・声明文から。神戸連続児童殺傷事件の犯人が少年Aであることにたどり着いたのです。

声明文や手紙(手記のようなもの)には、酒鬼薔薇聖斗のマークとして奇妙な絵がかかれています。この絵は小学校時代に考えついた絵だったようで、ナチスドイツの逆卍をヒントに思いついた絵だったそう。

神戸連続児童殺傷事件の取り調べでは、手紙(手記)・絵のマークについてや殺害の異常性と快楽的殺人だったことから精神異常もあるとして医療少年院に収容されます。少年院では6年5ヶ月の収容生活を送っています。

【4】社会復帰

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神戸連続児童殺傷事件から6年5ヶ月の少年での収容生活が終了し、2019年の現在までは、社会復帰しています。実名を変更し全く違う名前で、現在は生きていると言われていますね。

噂によると、神戸連続児童殺傷事件から社会復帰してからは東京都の足立区の団地にひっそりと身を隠して現在を生き抜いていたそうです。2015年には、神戸連続児童殺傷事件の背景や手記・絵などのことを赤裸々に綴った「絶歌」という自叙伝を出版しています。

神戸連続児童殺傷事件・被害者・家族・社会復帰後の誰にも明かすことのできなかった思いを包み隠さず現在の世間に公表したのです。中には恐ろしい内容の手記や絵など、現在の人々を大きく震えさせるような内容のものともなっています。手記・絵については後ほど詳しくご紹介します。

そして神戸連続児童殺傷事件から今現在に至るまでの「モンスター」の仮面の下に隠されていた、少年Aの真実が語られているのです。「絶歌」に関しては、神戸連続児童殺傷事件から少年A・本人が自分の言葉で語っているものとしては最初で最後のものとなっています。

神戸連続児童殺傷事件や少年Aについて、実名などこの「絶歌」を見れば全て分かることでしょう。

犯人の酒鬼薔薇聖斗(少年A)の手記・絵がやばい?

神戸連続児童殺傷事件の犯人である酒鬼薔薇聖斗が描いた絵 pic.twitter.com/sGHqbnyMbs

— 閲覧【怖い画像】注意 (@_Kowai_Gazoh_) July 28, 2019

神戸連続児童殺傷事件から、今現在まで22年が過ぎようとしています。2004年以降、医療少年院に収容され、退所してから初めて長い沈黙を破った手記が世間の注目を浴びました。

神戸連続児童殺傷事件について年Aが語った手記や、またやばすぎたと言われている絵についてご紹介していきます。

【1】犯行の動機

手記には、もともと神戸連続児童殺傷事件を起こすことになった動機から、自分が異常なサディズムになるきっかけを手記で語っています。神戸連続児童殺傷事件での犯行動機としては、最愛であった祖母を小学5年生の時に亡くしたことで人間の生死への感覚が歪んでしまった、っと本人は供述しているのです。

またそれに加え、少年Aが抱えている異常で奇行な性的衝動が、現在の世間を騒がせて注目されていました。手記ではこの動機に続きがあり、「祖母が亡くなってからも、僕はよく祖母の部屋へ行き、祖母と一緒に過ごした思い出に浸った」っと手記に綴られています。

少年Aは、祖母が愛用していた按摩器を押入れから見つけると、それを性器に押し当てて精通を経験していたという真実を手記で告白したのです。彼の中では、この出来事が「性と死」が罪悪感という接着剤でがっちりと結合した瞬間であったことも手記に記されています。

また、祖母が遺した愛犬である「サスケ」が老衰で亡くなってしまったことで生死の感覚をより揺さぶっていたそうです。サスケの餌を野良猫が横取りすることに腹を立てた少年Aが、ナイフで惨殺したことで暗黒な衝動面を覚え狂気の道へと堕ちたと手記で語りました。

これがのちに神戸連続児童殺傷事件の引き金になり、また神戸連続児童殺傷事件の本当の彼の背景だったのです。

【2】酒鬼薔薇聖斗の由来

神戸連続児童殺傷事件 元少年が手記出版 2004年に医療少年院を仮退院後溶接工や日雇いアルバイトで暮らす(画像あり) – ツイッター速報 http://t.co/hMRHitWMhQ 二人惨殺してるのにたった7年で出所したのかよ・・ pic.twitter.com/5Ewr1Io1lm

— ツイッター速報 (@tsuisoku) June 10, 2015

神戸連続児童殺傷事件の声明文で発覚した、酒鬼薔薇聖斗と名乗る手紙。実名ではないものの本人は酒鬼薔薇聖斗といてなりきっていました。手記によると、酒鬼薔薇聖斗というのは「猫殺しに明け暮れていた小学生時代に、自作の漫画絵に登場するキャラクターの名前」と記されています。

この手記では、少年Aが自ら書いた漫画絵の内容も記載されており、肝試しのために真夜中学校に集まった生徒たちを酒鬼薔薇聖斗が斧で次々殺していく奇行な行動が描かれいた漫画絵だったそうです。

また現在の世間を騒がせた内容が、「知らず知らずのうちに死を間近に感じていないと性的に興奮できない身体になっていた」と手記では語っています。

【3】やばすぎる絵

酒鬼薔薇聖斗の絵、米粒みたいなの飛びがちだけどなんなんだろうな pic.twitter.com/PxQ88zcGmL

— 溶井 (@instantdowner) September 25, 2016

神戸連続児童殺傷事件で、酒鬼薔薇聖斗は逮捕され少年院に収容されたものの、神戸連続児童殺傷事件の後に書いた少年Aの絵がやばすぎると言われているのです。この絵は、あまりに若い少年が書いた絵には思えないほど恐怖なものとなり、現在の人々は今も震えているそうです。

少年Aは、神戸連続児童殺傷事件のが起きている中学2年性の時に母親に絵をプレゼントしています。少年Aは、母の日に昔の母親の花嫁姿の絵を書いてプレゼントしたそうですが、その絵が初めてのプレゼントだったそう。

神戸連続児童殺傷事件の時のプレゼントの時の絵は、このようなやばすぎる絵ではなかったようですが、絵を書くことは昔から習慣で好きだったようです。

また、少年院時代に書いた絵から、出所後に書いた絵も異常性を感じるものだったようで、今現在も神戸連続児童殺傷事件で「収容されても全く更生していないのではないか」と波紋を呼んでいるのです。

こちらの絵は、出所後に書かれた絵になります。神戸連続児童殺傷事件の事件後の異常性を感じる絵よりは、多少落ち着いては見えるものの奇妙で恐怖を煽る絵であることには変わりません。

また出所後の絵には、「存在の耐えられない透明さ」と綴った絵と手記でも語っているのです。

犯人の酒鬼薔薇聖斗(少年A)の本名は?

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神戸連続児童殺傷事件は当時14歳の少年だったことから、実名は伏せられていました。

しかし、神戸連続児童殺傷事件から少年院で収容生活を得て、大人になった今現在は実名が公開されています。

また、手記にも実名が記載されていたのです。

【1】東真一郎

神戸児童殺傷元少年A、酒鬼薔薇聖斗の本名と顔写真を週刊ポストhttp://t.co/17TVO3fGow pic.twitter.com/pt8oR0rdSe

— お祝儀袋の専門店 松樹 (@matuki_shop) October 13, 2015

神戸連続児童殺傷事件の少年Aは、収容後に「東真一郎」という名前に変えています。

神戸連続児童殺傷事件後からは、東真一郎として生きているのです。残念ながら、神戸連続児童殺傷事件当時の実名である本名は未だにわかっていません。

また、神戸連続児童殺傷事件の手記にも、実名をのせずに改名した東真一郎として手記に記載しているのです。現在、世間の声からも「実名で手記を書くべきだった」「結局は実名を出せないのは保身のためで更生していない」など、厳しい声も上がっています。

実際に手記を記載した「絶歌」は、実名はおろか、神戸連続児童殺傷事件の被害者遺族に断りなしに無許可で手記を書いていたのです。さらに神戸連続児童殺傷事件の被害者は実名報道されているのに、加害者である少年Aが実名を載せないのは「フェアじゃない」ということで怒りすら覚えているようです。

しかしながら、よく調べてみると一部の噂では東真一郎が神戸連続児童殺傷事件当時の実名であり本名だったという声も上がっています。改名前の実名が東真一郎なのか、実名ではなく改名して東真一郎なのかということははっきりとは判断がつきません。

ですが、一つ言えることは神戸連続児童殺傷事件の犯人が東真一郎という名で、現在社会復帰しているということは間違いないようですね。

【2】西岡真

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先ほど、実名・改名とも言われている東真一郎という名前だったということをお伝えしましたが、さらに改名して「西岡真」であるという噂もあります。また神戸連続児童殺傷事件後の、医療少年院を退院後は 「K.M」 という名前で生活をしていたとも言われているのです。

どちらにしよ、神戸連続児童殺傷事件の後に改名した名前だそうで、実名ではありませんね。神戸連続児童殺傷事件で実名ではないかと言われているのは、現在で先ほど説明した東真一郎・西岡真・K.Mの3つになります。

K.Mのイニシャルに関しましては、有力候補の名前は上がっていませんが、もしかしたら今現在、神戸連続児童殺傷事件の少年Aが実名として生活している本名なのかもしれません。

ここで気になるのが、神戸連続児童殺傷事件の少年Aがなぜ実名を変え本名として生きられるのかというのことですが、日本には姓を変えることが可能でも苗字を変えることはできません。

ですが、「姓を変えなければその人の社会生活に著しい支障が出てしまう」という場合には、管轄の家庭裁判所に申し立てをすることができるのです。そのため神戸連続児童殺傷事件の犯人として、少年Aの姓を変更する事が可能ということになるのです。

犯人の酒鬼薔薇聖斗(少年A)はその後豪遊中?

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神戸連続児童殺傷事件から、少年Aは社会復帰をしましたがそのあとも手記の出版を気に「豪遊生活を送っているのではないのか」という世間の噂があります。

神戸連続児童殺傷事件から今現在にかけて、少年Aの生活ぶりをご紹介していきます。

【1】手記の印税

神戸連続児童殺傷事件から、世の中を再び驚かせたのが少年Aが語った手記でした。

実はこの手記は、真実が語られていることや更生しているのかというこも含め異例の出来事だったため、多くの人が少年Aが起こした神戸連続児童殺傷事件についての手記を手にとっていました。

神戸連続児童殺傷事件の真実を語った手記からの印税額は、およそ3000万円と言われているのです。使い道としては、この3000万円から1000万円を神戸連続児童殺傷事件の被害者に慰謝料として払いたいと手紙を送っていたそうです。

しかしながら神戸連続児童殺傷事件の被害者遺族は、神戸連続児童殺傷事件の手記で得た犯人からの慰謝料を当然受け取ることはありませんでした。神戸連続児童殺傷事件の被害者遺族からすれば、同然の結果でしょう。

ということは、神戸連続児童殺傷事件の手記の印税である3000万をどのように使ったのでしょうか。この印税の段階では、特別豪遊していたという証言はありませんでした。

豪遊はしていないものの、かなりの印税を手にしていたことは間違いないようですね。

【2】ホームページの開拓

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神戸連続児童殺傷事件後に手記を出版した印税から、彼はホームページを開設して活動を始めていました。ホームページのタイトルは、「存在の耐えられない透明さ」というもので、覆面姿の裸体写真・ナメクジのコラージュなどの内容だったようです。

このような創作活動をはじめて、再び印税が投入されているということになります。しっかり先を見越しての行動ではないでしょうか。もともと神戸連続児童殺傷事件後から社会復帰しても、印税で食べていけるだけの蓄えの道を想像して見つけていたのかもしれません。

このホームページの印税額は残念ながら分かりませんでした。またホームページからの使い道も不明のままです。しかし、何かかしらの考えや目的はあったものといわれています。

【3】結婚して子供がいる

神戸連続児童殺傷事件から数十年が過ぎた今、少年Aには新しい家族がいると言われています。それも、神戸連続児童殺傷事件から少年Aのファンという女性と結婚しているようです。

そして、2人には子供も授かっているといわれているのです。噂では、結婚生活のために印税を使い「海外に逃亡しているのでは」ということも考えられているようです。

というのも、以前は東京都・足立区の団地に住んでいたという情報がありましたが、今現在の詳細の行方は分かっていません。目撃情報もないことから、印税で海外にいるという噂も一理あるのかもしれません。

どのみち、神戸連続児童殺傷事件から豪遊しているという明らかな情報はないものの、結婚生活と家族のために印税を使っているのは間違いないのではないでしょうか。

子供を殺害して、自分が自ら子供をつくって初めて罪の重さに気がついたという少年Aにかなりの批判と厳しい声も上がっています。

酒鬼薔薇聖斗(少年A)の現在!

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いかがでしたでしょうか。

今回は、神戸連続児童殺傷事件についてのご紹介をしました。改めて神戸連続児童殺傷事件の悲劇や、犯人であるまだ幼い中学生が犯した罪の背景には誰もが言葉を失う衝撃的な出来事だったといえます。

14歳という若さで生死の感覚が歪み、もう1人の酒鬼薔薇聖斗という人物像が出来上がったことから恐ろしい事件へとつながってしまいました。また、社会復帰した少年Aの手記では、言葉が出ないほど恐ろしい真実が隠されていたことでしょう。

社会復帰してからも「更生していない」といわれるような、危険な行動や言動が目立っていたことも事実です。そして実名として少年Aが、この世で生きていくこはもうないでしょう。

これから先、心から自分の犯した罪の重さと責任、そして後悔と謝罪に苦しんで自分と向き合う日が来ることを願います。そしていつの日か、自分と向かい合ったことで初めて自分の心も報われる日がくるのではないでしょうか。

神戸連続児童殺傷事件のような悲劇が再び繰り返されないためにも、大人たちはしっかり子供への接し方から生死の重さなどの意識を高くもち、教えていかなければなりません。大人たちの責任はとても大きなものである、ということを一人一人きちんと認識していくことがとても大切なのではないでしょうか。

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