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江戸時代の男といえば威厳のある武士、江戸時代の女といえば三歩引いて男を立てる内助の功、といった印象があるものですが、いつの時代でも男女の関係性は表向きとは異なるものです。本記事ではそんな江戸時代の性事情を、夫婦の夜の営みから風俗事情、一人エッチにいたるまでを解説いたします。
とにかく現代と比べるとセックスへの関心が高かったこともあり、少し驚くような情報もありますので現代のやり方との違いを羨んだり、現代に生まれたことのありがたみを実感したりしながら読んでみてください。
江戸時代の性事情を解説!
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数100年に渡り続いた長い江戸時代ですが、1600年頃の人口1200万人から後期の1750年頃には3100万人にまで増加したと推定されています。(推定方法により前後します)
まじめに分析をすると、戦国の世が終わり死亡率が低下したことも要因のひとつだとは思うのですが、江戸時代の性事情について調べるにつれ、平和な江戸時代に入り性事情が乱れてきたことに比例して夜の営みも増え出生率も上がったのではないか、と考えてしまうほど江戸時代の人たちはセックスが好きだったのです。というより日常だったのです。
江戸時代の性事情5選①【付き合う〜初夜編】
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江戸時代は男尊女卑の色が強く女性が虐げられていた、という印象を持っている人も多いのではないでしょうか。
しかし実は、武家や商人とは違って家の存続などの縛りが少ない庶民は恋愛事情や性事情は思いのほか自由でした。結婚相手も自由に選べることも多く、婚前交渉も当然のことだったようです。だた、幕府が男女の関係を厳しく統制していたためこっそりと恋愛をしていたそうです。
【1】ナンパ
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江戸時代では偶然のすれ違いを装い手紙を渡すことが思いを伝える手段として多かったそうです。
男性は女性の裾の袂に手紙を投げ入れて返事を待ちました。やっていることは現代のナンパですが返事を待つとは硬派ですね。返事があればOK、なければNGなので、恋愛に関しては女性優位だったのです。
【2】お風呂屋さんでお見合い
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なんとお風呂屋さんでのお見合いも珍しくありませんでした。
現代では考えられませんが、江戸時代はお風呂屋さんは基本的に混浴だったので、そんな場を利用してお見合いをしていたそうです。どこをみて判断を下していたのか。だんだんと性事情がみえてきました。
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江戸時代にもちゃんとありました。お祭りです。
特に農村部では、他の村の男女と知り合う機会もありませんでしたので、お祭りは婚活にもってこいだったのです。気に入った相手が見つかれば物陰でことを済ませてしまうことも少なくなかったのだとか。
【4】結婚準備
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前述の通り、方法は異なるものの結婚までのステップは現代と大差はないように思われます。
ただ、現代と違うのは、夜這いをしてセックスの相性までを確認した上で交際や結婚を決めていたと言う点です。実は、結婚初夜に処女や童貞を捨てるという貞操観念は皆無だったのです。
ちなみに、夜這いはお互いに合意の下なされていて、女性にはしっかり拒否権がありましたので、一方的な暴行行為ではありませんでした。
【5】できちゃった婚も
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出会いの形態はさまざまありましたが、男女二人が会ってすることはセックスでした。
夜の営みとして夜這い日常茶飯事でしたし、現代のデートの感覚でセックスをしていたのです。それゆえ、できちゃった婚が多かったのも事実です。避妊の方法が少なかったり知識が乏しかったことも原因のひとつでしょう。
江戸時代の性事情10選②【夫婦の営み編】
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さて、ここからが生々しい性事情です。
江戸時代には現代ほど娯楽がありませんでしたので、夜の営みはいわば最大の娯楽でした。
【6】人目もはばからず
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とまではいきませんが、長屋と呼ばれる薄い壁一枚で仕切られた住居が多かったので、隣の声はすべて筒抜けです。
夫婦で夜の営みが始まればすぐにわかります。屋外でのセックスも日常茶飯事でしたから、人に見られようがあえぎ声を聞かれようが気にしないのが江戸時代。
また、広い家に住める人は少なかったため、ひとつ屋根の下、子供や親がいても気にせず楽しんでいた人もいたようです。
【7】回数が重要
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江戸時代の夜の営みは質より量の回数重視だったそうです。
一日に何度もするというやり方が当たり前で、ある文献によると80歳を超える男が「今晩は8回が限界じゃ」と自身の衰えを悔しがっていたのだとか。若い頃はお相手もさぞタフだったのでしょう。
【8】やり方はいたって淡白
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江戸時代のやり方は着衣のままが主流でした。
当時は混浴が一般的だったため、裸体に対する興味も現代ほどなかったと思われるので服を脱ぐ必要性がなかったのでしょう。また、夜の営みといってもキスや前戯もなく即挿入、が多かったそうです。
肌と肌の触れ合いで得られる幸福感など江戸時代にはなかったのでしょうか。
【9】精力剤や媚薬もありました
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オットセイの性器を粉末にした精力剤などが一般的に販売されていました。
ローションのようなものや媚薬もあったそうでその種類は相当なものだったそうです。回数重視だった割にはちゃっかりやり方や質にもこだわっていたのですね。
【10】参考書までありました
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夜の営みは現代よりも日常的だったため、よりセックスを楽しむためにやり方の教本も多くありました。
ひとつ現代でも挑戦してみる価値のあるやり方を紹介します。九度浅く一度深くを一定間隔で繰り返す「九浅一深法」というもので、99%の確立で女性は絶頂に達するそう。これは男性器のサイズによらないそうですよ。
【11】肛交への憧れ
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男性同士の行為も比較的多かった江戸時代の性事情ですが、異性愛者でも妻と肛交を希望する夫が少なくありませんでした。
だた、かなり痛いためほとんどの場合奥さんには拒否されたのだとか。なかなかできないからこそ手を出してみたくなるのか、肛交への憧れがあったようです。
【12】浮気は当たり前
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セックスが最大の娯楽であったため、いつでもしたかったのでしょう。
妻がいないときに義理姉妹、姪など親族であっても関係をもつことは少なくありませんでした。江戸時代にも当然バイセクシャルはいましたから奉公人などに手を出す夫もいたそうです。
【13】夫婦で3Pまで
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性事情は夫婦によりやり方はそれぞれで、若衆と呼ばれる男色相手の若い男を呼び、3Pを楽しむ夫婦が意外にも結構いたそうです。
妻に拒否される肛交ができる夫、老いてきた夫の代わりに若い男とセックスができる妻。お互いの合意の下、お互いの足りない部分を補っていた、のでしょうか。
【14】女性の浮気は死罪
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実は夫だけでなく江戸時代は妻の浮気率も高かったのです。
しかし、なんとその刑罰は死罪。そんな極刑に値する既婚女性の浮気ですが、夫が働きに出ている日中、間男をあろうことか自宅に連れ込みセックスにいそしんでいたパターンがほとんどだったのです。
大胆なやり方ゆえ夫にバレることも多くありさたが、死罪になってしまうため、さすがに訴える夫は少なかったそうです。
【15】もちろんバレれば修羅場です
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浮気率が高かった江戸時代ですが、当然許されるわけではなく、パートナーに見つかった場合は修羅場に突入します。
長屋では修羅場もすべて丸聞こえなので、お隣さんが仲裁に入る場面も多かったそうです。現代ではすぐに弁護士が出てきますが、すべての浮気がご近所で解決されていたとしたら平和な時代ですね。
江戸時代の性事情5選③【徳川家の営み編】
【16】絶倫将軍は誰?
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初代将軍家康と11代将軍家斉は歴代将軍の中でもダントツの絶倫将軍です。
家康は奥様(正室+側室)22人以上、子供が18人おり、子供の半数は50歳を過ぎてからで、末子は66歳での子。絶倫です。家斉は奥様40人以上になんと55人の子供を生ませています。
正真正銘の絶倫将軍です。秘訣はお決まりのオットセイの精力剤だそうです。
【17】ハーレム状態ではなかった
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きらびやか、将軍様のハーレム状態、というイメージの大奥ですが、将軍様とていろいろな制約の下で管理されていました。
夜の営みも、二人のお添い寝役がおり、翌日にはこの二人が事細かに内容を報告するのです。しかも、以前に関係をもった女性が30歳を過ぎるとお添い寝役になるのです。
これはお互いにつらそうです。これらは厳しい制約のほんの一例ですが、大奥での夜の営みもなかなか楽しいばかりではなかったようです。
【18】一番幸せだった将軍は家光?
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実はこの大奥は三代将軍家光の時代に整備されました。
幼いころから男色の家光に世継ができるはずもなく、そのことを案じた乳母の春日局が家光のために全国各地から美女を集め将軍の伽に備えたのが大奥だと言われています。
お気に入りの男を取り立てて興じてきたと思えば、乳母のおかげで女に目覚め大奥で全国各地の美女と夜の営みを楽しんだ家光は徳川家で一番幸せだったとも言えそうです。
【19】玉の輿
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大奥に入れる男性は当然将軍のみです。
男性がいては大奥の女性と過ちが起こりえるため、正室や側室の身の回りのお世話などすべての仕事をする家来もまた女性です。しかし家来であっても将軍の御眼鏡にかなえば大抜擢されることも。
3代将軍家光の側室のお玉は八百屋の娘でしたが家光に見初められました。相応の身分が必要とされ京都の由緒ある家に一旦養女として入り、そこから御輿で担がれ江戸に入ったそうです。これが玉の輿の語源と言われています。
【20】僧侶も所詮男です
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一度でも将軍様のお手付きになった女性は一生城から出ることができませんでした。
当然女性しかいませんので恋愛などはできません。そうなると接触できる男性といえば僧侶、つまり坊主が密通の対象となることが少なくなかったそうです。女性の気持ちもわかりますが、坊主ですからもっと毅然と対応してほしいですよね。
江戸時代の性事情5選④【風俗編】
【21】超高級風俗 花魁
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映画なのでもおなじみの豪華絢爛な着物の花魁(おいらん)。
江戸時代といえば!という印象もありますが、庶民にはとても手の届く風俗ではありませんでした。年収が一晩でなくなるくらいです。しかも、一晩でセックスができるかといえばそうでもなく何度も通ってご機嫌をとったのだそうです。
そんな高嶺の花はなんと将軍様ですら断ることができるほどだったとか。
【22】庶民の贅沢 局見世
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局見世(つぼねみせ)は店や地域によって差はあったものの比較的安価な風俗でした。
通りに並ぶ長屋の中の遊女を選んで買うシステムで、庶民がたまの贅沢でとして利用していました。ソープやヘルスといったところでしょうか。少し高級な金見世と呼ばれる局見世もあったそうです。
【23】立ちんぼの夜鷹
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夜鷹は年を重ねて局見世を引退した遊女などが夜な夜な男性に声をかけては、非常に安く売春していました。
お客をとれてもそのまま屋外でのセックスだったり、性病の感染リスクも高かったり、江戸時代の中でもかなり過酷な職業のひとつでした。
【24】男娼
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江戸時代は今で言うゲイやバイセクシャルもマイノリティではありませんでしたので、当然風俗として男娼もありました。男性だけでなく、女性の間でも男娼は人気があったようです。
未亡人が欲求を満たすために男娼を買ったり、現代のホストクラブさながら男娼にはまってしまう女性もいたようです。
【25】江戸時代のデリヘル 揚屋
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江戸時代にもデリヘルはありました。
揚屋という現代で言うラブホテルに遊女を呼び買春するというものです。江戸時代の風俗といえば吉原遊郭が有名ですが、当初(100~200年間)はデリヘルスタイルの風俗だったそうです。
このように見てみると江戸時代の風俗事情は現代とほとんど変わらないシステムだったことがわかります。やはりどんな時代でも風俗産業は必ずあるのです。
江戸時代の性事情5選⑤【一人で営む編】
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これだけいろいろと江戸時代の性事情を取り上げてきましたので変な雰囲気になってきた方もいるのでは?
少しは参考になるかもしれませんので、一人で営む編も是非楽しんでください。
【26】千擦り 吾妻形
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やはり手っ取り早いやり方で手でする自慰行為が多かったようですが、革などで女性器を模した吾妻形を使用するやり方も一般的だったそうです。
吾妻形は販売もされていたそうですが、お手製が主流だったとか。これまた作り方や材質、中に入れたり塗ったりすると気持ちいいものなどの情報が載った教本も良く売れたそうです。
【27】一人せせり 初級
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ここまで江戸時代の性事情を読んでくださった方にはもうお分かりだと思いますが、江戸時代の女性の性欲は強かったのです。
女性の自慰行為に関する春画が多いことからも裏付けられています。一人の時間になれば夜の営みのことなど色々と思い出してしまうもので、指で陰部を撫でては一人せせりに興じた女性が多かったようです。
【28】一人せせり 上級
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指だけでは満足できなくなるものなのでしょうか。
指以外のやり方としては市販の張形があったそうですが、なすびやきゅうりなどの野菜を使う女性も多かったそうで、上級者ともなると野菜を湯につけて少し温めてから挿入していた、という春画まであります。
江戸の女性も快楽の追求には手間を惜しまなかったようです。
【29】アダルトショップ
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比較的有名な名前なので聞いたこともあるかもしれませんが、「四つ目屋」というお店があり、吾妻形や張形、精力剤、媚薬などいわゆる大人のおもちゃを販売していました。しかも比較的町の中心部にあって昼間から営業していたそうです。
さすがの江戸っ子も周りの目を気にしながらこそこそとお店に入っていたのでしょうか。
【30】かつての日本は自慰大国
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実は日本は世界に誇る自慰大国だったのです。
これは国による性事情の差というより宗教による影響が大きいのですが、中国では精液を無駄にすることは許されないという教えがあり、キリスト教の考え方では子孫繁栄のためにならない行為として禁止までされていたそうです。
江戸では表通りで公然とアダルトグッズまで販売されていた時代です。。。
江戸時代の性事情まとめ!
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シチュエーションや立場ごとに江戸時代の性事情についてみてまいりましたが、いつの時代も本能、特に性欲には逆らえないものです。
昨今、経済事情などを理由に未婚率の増加や交際経験のない人の割合が増加しているなどと騒がれていますが、好きな人との営みは最大の幸せであり人生において大切なことです。たまには江戸時代を見習って本能に従ってパートナーと触れ合ってみてはいかがでしょうか。