大牟田4人殺害事件の真相!家族全員死刑の北村一家&犯行内容まとめ! | ToraTora[トラトラ] – Part 2

『全員死刑 大牟田4人殺害事件 「死刑囚」獄中手記』(長い…)読了。
映画版はタカノリを間宮くんが演じてるだけあってなんとなく見栄えするけど、手記の本人はとにかく犬。なんにも考えてないし、そこが余計怖い。てかやっぱガチなんだな… pic.twitter.com/DW6GDvVdaB

— スタロンマン (@kgkc65) November 22, 2017

「大牟田4人殺害事件」とは、2004年(平成16年)9月16日と18日の両日に、福岡県大牟田市で発生した強盗殺人および死体遺棄事件でした。

この「大牟田4人殺害事件」ですが、北村一家が「家族ぐるみで交流」していた高見一家3人と、北村一家とは全く面識のなかった「高見一家の長男の友人」を巻きこんで惨殺するという痛ましい事件だったのです。

その結果、「大牟田4人殺害事件」の犯人・北村一家全員に死刑判決が下るという、非常に稀なケースの凶悪事件だったゆえ、日本中が震撼したのは言うまでもありませんでした。

大牟田4人殺害事件の概要

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非常に特異な事件だった「大牟田4人殺害事件」なのでしたが、前代未聞と言われたこの「大牟田4人殺害事件」とは一体どんな事件だったのでしょうか。

では、「大牟田4人殺害事件」の概要の一部始終をご覧ください。

【1】大牟田4人殺害事件発生

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2004年(平成16年)9月16日と9月18日両日に、大牟田市の暴力団組長だった北村實雄(じつお/当時60歳)を筆頭に、北村真美(妻/当時45歳)・北村孝(長男・養子/当時23歳)・北村孝紘(次男・実子/当時20歳)の家族3名が加担するという前代未聞の「大牟田4人殺害事件」が発生する事となります。

最初の殺人から逮捕されるまでに、要した日数はたったの5日間だった「大牟田4人殺害事件」。北村一家が犯した悪行は「非常に残忍な犯行内容」だったため、日本中の人々はただただ愕然とし、言葉を失ったのでした。

この、「大牟田4人殺害事件」のおぞましい犯行内容については後ほど解説させていただきます。

【2】大牟田4人殺害事件の被害者~高見一家は北村一家が利用していたヤミ金業者

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「大牟田4人殺害事件」により、被害者となった高見一家の大黒柱だった高見小夜子さん(当時58歳)は、ヤクザである北村實雄の威光を借りながらヤミ金融業として違法な金貸しを営みながら蓄財していたやり手経営者でした。

一方で、ヤクザの組長をしていた「大牟田4人殺害事件の犯人」北村實雄は、当時、常に金策に悩んでいた組長でもありました。片や、ヤミ金で成功を収めて食うに困らない状態にあった高見小夜子さんに、北村一家の北村實雄は次第に不満を募らせる事となっていきます。

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最初に、この高見小夜子さんと知り合いになったのは、「大牟田4人殺害事件の犯人」北村一家の北村實雄の妻・真美で、高見小夜子さんと真美が知り合ったのは1994年(平成4年)でした。

それを機に、北村一家はヤミ金業を営む高見小夜子さんと家族ぐるみでの交流がスタート。妻・真美は、高見小夜子さんの会社の借金取り立てを任されるなど、高見小夜子さんから一目置かれる存在だったようでした。

しかし、金策に苦しんでいた北村一家が、ヤミ金業者だった高見小夜子さんから借りた「30万」という借金が原因となり妻・真美はそれ以降、高見小夜子さんから、見下される立場へ変わる事となってしまったのです。

その後、高見小夜子さんから「自宅の改装工事」を請け負う事となった妻・真美だったのですが、自宅改装工事終了後、高見小夜子さんから工事代金が支払われる事はなかったそうでした。

妻・真美が、高見小夜子さんに何度も工事代金を請求しても「賃金やその利息と相殺するから」と、いつまで経っても工事代金を受け取る事が出来なかったのでした。

母・真美から、高見小夜子宅の改装工事代金を貰っていなかった事を長男・北村孝に話した際、「高見小夜子はカタギのくせに、俺らヤクザを馬鹿にしている、殺してでも金を奪おう」と激昂していたそうでした。

次第に、「大牟田4人殺害事件」の首謀者だった夫・北村實雄や、「大牟田4人殺害事件」に関与した長男・孝や、次男・孝紘までもが、高見小夜子さんに恨みを募らせていく事となったのです。

その後、北村一家の長男・北村孝は、高見小夜子さんの乗った車を付け狙ったり、殺害を企てたりしましたが、母・真美に止められていた長男・孝だったようでした。

北村一家が、高見小夜子さんからした借金は6600万円以上に膨れ上がっていく事となったのです。

【4】妻・真美が「夫・北村實雄」と「長男・北村孝」に流した情報

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「大牟田4人殺害事件の犯人」北村一家は、さんざん高見小夜子さんに見下され、悶々とした日々を送っていたある日、妻・真美が夫・北村實雄と長男・孝に「高見小夜子は資本金1億円の金融会社を設立する」予定である話をしたそうです。

そもそも、口癖のように「いつか殺さないかん」とボヤいていた妻・真美だったので、高見小夜子がこのような会社を設立する事が非常に疎ましかったのでしたが、その話は、高見一家に敵意を丸出しにしていた北村一家の大黒柱・北村實雄と、長男・北村孝にとっては非常に美味しい話だったのでした。

この話をキッカケに、「大牟田4人殺害事件」の扉が開いてしまったといっても過言ではなかったのです。

【5】夫に北村一家の借金理由を打ち明けたところ・・

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「大牟田4人殺害事件」の犯人・北村一家が営む「暴力団事務所・北村組」の実権を握っていた妻・真美は、資金繰りにかなり困っていて、高見小夜子さんから借金せざる負えない状況下に陥っていたのでした。

次第に、高見小夜子さんから見下されるようになってきた妻。真美は、ひたすらその状況に耐えるしか生きていく道はなかったのでした。

しかし、妻・真美は、羽振りの良い高見一家の「1億円の会社設立」の話をした際、つい工事代金を踏み倒されていた事実を、夫・北村實雄に打ち明けてしまったのです。

怒りに打ち震えた夫・實雄は、すぐさま「高見小夜子を殺して金を奪う」という提案を、妻・真美にしたのでした。理由は、夫婦共々、高見小夜子さんへの憤懣を解消するためのものでもありましたが、実際のところ生活難と借金苦から脱出する意味も含んでいたのでした。

その後、北村一家の實雄・真美夫婦は、確実に金を得るために、高見小夜子さんに嘘の土地購入を持ちかけたのです。その嘘にハマってしまった高見小夜子さんは土地購入代金2680万円を用意してきたそうでした。

現金を確認した妻・真美は、北村一家の長男・孝に「高見小夜子を殺して金を折半しよう」と持ちかける事となります。

すると、腹黒い長男・孝は「自分が殺すから奪った金の6割をくれ」と母・真美に頼んできたそうです。しかし、「私が殺す」と譲らなかった母・真美でしたが・・・結局、母・真美は、そういいながらも殺す事に躊躇い、高見小夜子さん殺害を実行する事が出来なかったようでした。

【6】「大金に目がくらんだ長男・孝」~両親に内緒で高見小夜子殺害を企てる

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母・真美の持ちかけ話によって、高見小夜子さん宅に大金がある事を確信した北村一家の長男・孝は、次第に両親を出し抜き、高見家の財産を全て自分ひとりでネコババする事を思いついたのです。

留守番をしていた高見家の次男・穣史さんを殺害し、高見家から現金を強奪する計画をたててしまったのでした。しかし、腹黒かった長男・孝はひとりで実行に移らなかったのでした。

長男・孝は、北村一家の次男・孝紘に共謀の依頼をする事となります。実は、この北村一家の長男・孝は、自分の手を染めずに、高見家の次男・穣史さん殺害と現金強奪を計画していたのでした。

つまりは、次男・孝紘に高見穣史さん殺害の実行役をさせる事が狙いだったのです。

【7】次男・孝紘を脅かして殺害計画に引き込んでいた長男・孝だったが・・

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「大牟田4人殺害事件」の犯人・北村一家の中で一番の強か者だったともいえた長男・孝でしたが、そのあさましい根性は最後まで貫き通される事となりました。

本当に、4人殺害を全て次男・孝紘に実行させていたというのですからなんとも驚きでした。長男・孝は以下のように次男・孝紘を脅して実行に移させていたのでした。

  • やらないと一番下の弟にやらせるぞ!(次男・孝紘の1歳年下の弟で川村家の三男)
  • お前の女も口封じに殺すぞ!

このように脅かされた次男・孝紘は、やむおえず殺害を手伝う事となったようでした。しかし、次第に狂気に満ちていった次男・孝紘は、高見一家殺害に向けて突き進んで行く事となったのです。

北村一家の父親・母親・兄の指示のまま動いてしまい、結果、「大牟田4人殺害」にて、4人の命を奪ってしまった次男・孝紘だったのです。

【8】最初の犠牲者・高見穣史さん~ついに北村兄弟によって命奪われる

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後に、「大牟田4人殺害事件」の犯人・北村一家全員が逮捕されるという、異常事態に発展した凶悪事件なのでしたが、4人全ての殺害に関わった次男・孝紘は、「親分の命令は絶対的」という言葉を発していたそうでした。

ヤクザという支配的環境下にいた北村一家の次男・孝紘ならではの思考だったのかもしれません。

北村一家の父親・北村實雄の指示の元、ふたりの息子が殺害の実行を移す中、北村一家の中で唯一躊躇っていた北村一家の母・真美でありました。北村一家の父親・北村實雄が、次々に殺害方法の指示を息子たちに送っている様を見て、母・真美の心は揺れ動くばかりでした。

ただし、先にも解説させていただきましたよう、最初の犠牲者だった高見家の次男・高見穣史さんについては、金欲しさに長男・孝が独断で行ったものでした。

北村一家の長男・孝に脅かされた次男・孝紘がやらざる負えない状況下にさせらて、長男と共謀する事となったわけでした。留守中と知った上で高見家に忍び込み、金庫略奪にあたり邪魔だった高見家の次男・穣史さんをタオルで絞殺しようとしたのでしたが、実際に元力士だった川村兄弟の力で締められたらひとたまりもなかったのでしょう。

しかし、実際には、その時点では息があった穣史さんだったのです。

【9】次に「母・高見小夜子さん」が餌食に・・・

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その後、「大牟田4人殺害事件」の犯人・北村一家4人は、全員で共謀し、高見小夜子さんに睡眠薬入りの弁当を食べさせる事となります。実は、その頃、高見小夜子さんの長男・龍幸さんは、行方の分からなくなった次男・穣史さんを探すために友人・原純一さんと共に行動していたのです。

しかし、そんな次男・龍幸さんと友人・原純一さんは、高見小夜子さんを乗せ、移動中だった北村一家の車両と偶然すれ違う事となったのです。この事が発端となって「口封じ」のため、ふたりは北村一家の「殺害ターゲット」となってしまったのでした。

一方、睡眠薬入りの弁当を食べて深い眠りについていた高見小夜子さんは、車中で意識をとり戻しそうになります。慌てた北村一家の次男・孝紘は、大牟田市内の岸壁まで高見小夜子さんを運び、2004年・9月18日午前0時30分頃、ワイヤー錠で首を絞め殺害するに至ったのです。

【10】ついに「長男・高見龍幸さん」「長男の友人・原純一さん」までも・・・

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次の「大牟田4人殺害」の被害者は、高見家の次男・穣史さんを探していた長男・高見龍幸さんと、長男の友人・原純一さんでした。

高見一家の兄弟は、行方が分からなくなっていた次男・穣史さんを探していた高見家の長男・龍幸さんと、長男の友人・原純一さんに「一緒に探そう」と嘘をつき、軽乗用車に二人を乗せ、一緒に探すふりをして大牟田市河口の岸壁まで、ふたりを連れ出す事に成功したのでした。

その間、「大牟田4人殺害事件」の首謀者で、北村一家の父親・實雄は、細かく携帯電話で兄弟らに指示を送っていたのでした。でも、殺害が実行されていた間、母・真美はひどく落ち込んでいたようで、玄関に座りこむ母・真美を近所の住人により目撃されていた事がわかったのでした。

・・・でも妻・真美の不安をよそに、ついに2004年9月18日午前2時以降に殺害が決行される事となってしまいました。

助手席に座っていた北村一家の次男・孝紘は、「高見家の現金保管場所」を聞き出すため、突然自動式けん銃を取り出したのです。

そして川村一家の次男・孝紘により、先に、友人・原純一さん殺害が決行される事となりました。つまり、高見家の長男・龍幸さんの前で、友人の原純一さんが撃たれる事となったのです。

これはモデルガンだ、音が出るだけで弾は出ない」といいながら、北村一家の次男・孝紘は、友人の原純一さんの頭部に向かって引き金を引いたのです。友人だった原純一さんが銃弾を受ける様を目の前にした高見家の長男・龍幸さんに対し、北村一家の次男・孝紘は、このように話しかけたそうでした。

お前の弟も、母親も俺が殺した。お前の家には2000万円あるだろう・・。金のある場所を教えろ!」と、殺害を白状しながら金の在りかを問うたそうです。しかし、本当に金銭の在りかを知らなかった高見家の長男・龍幸さんは、「知らない」と答えるしかなかったのでした。

北村一家の次男・孝紘は、「すまないがお前も殺すことになっている」、そう言いながら、高見家の長男・龍幸さんの左耳横のこめかみに銃弾一発を撃ち込んでしまいました。

でも、銃弾を受けながらも息のあったふたりである事を、父親・北村實雄に伝えると、母・真美を通じ、次男・孝紘へさらなる指示が送られる事となったのです。

【11】「父親・北村實雄の指示」~やはり「ヤクザ」ならでの発想だった

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「大牟田4人殺害事件」の首謀者の妻・真美を介し、指示が送られる事となりました。母・真美は、北村一家の次男・孝紘に・・・

  • 胸を撃て!
  • 3発ずつ、計6発全てをふたりの胸に撃ちこめ!

と指示を送ったそうでした。

その指示通りに、北村一家の次男・孝紘は、高見家の長男・龍幸さんに向けて発砲したそうです。次に、高見家の長男・龍幸さん同様、息のあった友人・原純一さんを・・・

という指示をした母・真美。

北村一家の次男・孝紘は、指示通りに龍幸さんの友人・原純一さんの左胸をアイスピックで一突きしてしまったのです。この事によって、「大牟田4人殺害事件」が成立される事となったのでした。

北村一家の経歴まとめ【大牟田4人殺害事件】

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さて、これから「大牟田4人殺害事件」の犯人・「北村一家」の経歴についてまとめましたのでご覧下さい。

文庫本が出版され、映画化までされた「大牟田4人殺害事件」でしたが、あらためて北村一家の経歴を見ていく事としましょう。

【犯人①】ヤクザの組長だった父親~北村實雄

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「大牟田4人殺害事件」の犯人・北村一家の大黒柱だった北村實雄は、道仁会系のヤクザであり、北村組の組長でもありました。外面は非常に良く、内面は厳しいといったヤクザの典型的なタイプだったようです。

北村實雄は、高校卒業後、福岡市で和菓子職人の仕事をしていましたが、24,5歳の頃に地元・大牟田に戻りタクシー運転手に転職したそうでした。

しかし、真面目に勤務していたのはたったの7.8年で、それ以降は、暴力団幹部のお抱え運転手となって働くこととなりました。

暴力団という環境下から、北村實雄は次第に覚せい剤を使用するようになり、極道界に骨をうずめる事となっていったのです。

組長らしい組長などと批評されていた北村一家の北村實雄でしたが、その一方で、組長らしからぬ行動を起こしていたのでした。

自身の小遣いほしさから、2004年に車上狙いをし、警察に逮捕されていたのです。その際、上層部から非難されていた北村實雄でしたが、一部の親分の恩情により最悪事態を免れる事となったようでした。

また、恐妻だった妻・真美に尻に敷かれっぱなしだった北村一家の主・北村實雄でしたが、その点においては世間の夫族たちとなんら変りがなかったのです。

【犯人②】夫・北村實雄よりヤバかった妻~北村真美

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「大牟田4人殺害事件」の首謀者・北村實雄の妻・真美は、非常に気性の激しい女性だったそうでした。夫のみならず、兄弟までも完全に尻に敷いていた女帝的存在だったのです。

事実上、北村組の実権を握っていたのは妻・真美は、人父出しを生業としていた建設会社の四女として生れました。妻・真美は、身長170センチ・体重100キロの巨漢で、背には観音菩薩の刺青があった強面姐さんだったのです。

しかし、近所では、「暴力姐さん」として有名だったようで、非常にキレやすい性格の持ち主だったようでした。気に入らない事があると、すぐに激怒するよう瞬間湯沸かし器のような肝っ玉母さんだったのです。

そんな、北村真美でさえも頭が上がらなかった人物が殺害されてしまった金融業・高見小夜子さんだったのです。

高見小夜子さんには、本当に頭が上がらなかった妻・真美で、困窮していた当時は、ひたすら高見小夜子さんに媚び続けていたそうです。

先にも解説させていただきましたが、妻・真美は、生活費に加え暴力団関係者への借金返済、上納金のため多額な現金を必要としていたため、ヤミ金業・高見小夜子さんから金を借りてしのいでいくしか生きる術がなかったのでした。

気がつけば借金は6600万以上に膨れ上がっていて、収集がつかない状況に陥っていた北村一家は、次第に高見小夜子さんから見下されるようになっていったのでした。

当初は、「北村組の姐さん」として高見小夜子さんから一目置かれる存在だった妻・真美でしたが、次第に無碍な扱いをされるように。アゴで使われるようになってきた妻・真美は、夫や長男同様、高見小夜子さんに恨みを募らせる事となります。

ちなみに、北村兄弟は、この高見小夜子さんを「パトラ」と呼んでいたそうで、非常に厚化粧だった高見小夜子さんを皮肉った意味があったようでした。

【犯人③】後輩を殺害して実刑をうたれていた長男・北村孝は元力士

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「大牟田4人殺害事件」の犯人・北村一家の長男・孝は、母譲りで非常に恵まれた体格をしていたそうでした。過去には相撲部屋に入門していた力士だった事がわかったのです。中学を卒業と同時に96年3月・憧れの旭道山がいた大島部屋の扉をたたいた北村一家の長男・孝。

しかし、左目の負傷を理由にわずか半年で各界を後にする事に・・・。身長180センチ・体重115キロという体格を武器に、東序の口26枚目、力士「旭竜神」として初土俵を踏むも、最終的に2勝5敗と言う結果に終わってしまったのです。

帰郷後、「兄弟弟子から虐められ耐えられなくなった」などと、言っていた北村一家の長男・孝でしたが、実は大変なトラブルメーカーだった事も浮き彫りになったのです。

なんと、稽古場のカーテンに「稽古場が燃えれば稽古をしなくて済む」と言う理由だけで火を放っていたのでした。

当時の部屋のおかみさんも、何も出来なかった力士の北村一家の長男・孝には、ほとほと愛想を尽かしていた様子だったそうです。また、北村一家の2兄弟は、大牟田市立米生中学生時代からすでに暴力団との関わりがあったそうで暴走族とも深く関係していたそうです。

地元では、北村一家の「北村兄弟」の事を知らない人はいなかったのでした。悪名高いことで有名だった長男・孝は、後輩を暴行死させ懲役3年6ヶ月の実刑を受けていた過去もあったのです。

【犯人④】父親をかばって罪をかぶったこともあった次男・孝紘も元力士

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ヤクザの組長だった「大牟田4人殺害事件」の首謀者・北村實雄の血を引き継いでいた長男・孝同様、暴力性に富んでいた北村一家の次男・孝紘。過去に父親・北村實雄の覚醒剤所持の罪をかぶって、「覚せい剤取締法違反」にて逮捕された経歴があったのでした。

そんな北村一家の次男・孝紘も兄と同じく、力士志願だったため中学卒業後に相撲部屋・松ヶ根部屋に入門。

北村一家の次男・孝紘も、173センチ・142キロという母譲りの恵まれた体格を武器に力士界に乗り込む事となりました。しかし、三池山のしこ名で2000年5月に初土俵を踏むも、翌年2000年11月に廃業してしまいました。

実は、当時の相撲関係者が後に、次男・孝紘は力士として「筋がよくなかったのでやめさせた」と証言していた事がわかりました。

北村一家の次男・孝紘も一年半で力士人生に見切りをつけ、17歳で地元・大牟田に戻ったそうでした。そして、母・真美の生家の建設会社で、建設作業員として従事する事となったのです。

その後、建設業の仕事を辞めた北村一家の次男・孝紘は、知り合いだった高見小夜子さんの長男・龍幸さんと共に暴走族グループを立ち上げたそうでした。

北村一家の次男・孝紘は、手をつけられないほどのレベルの不良だったそうで、字の読み書きもろくに出来ず、その学力は小学校1.2年程度だったそうでした。授業妨害・居眠り・テスト棄権などは日常茶飯事だったのです。

高見家の長男・龍幸さんとは、暴走族グループを共に立ち上げるまでの関係でしたが、北村一家の次男・孝紘は、平然と拳銃で友人を撃ち殺してしまったのですから、何とも恐ろしい人間だったのです。

大牟田4人殺害事件~「被害者たちの無念」恐るべし犯行内容とは?

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では、これから「大牟田4人殺害事件」の被害者の詳細を解説していきます。たまたまその場にいた友人の原純一さんまでも殺される事なり、ただただお気の毒としか言いようがありませんでした。

「大牟田4人殺害事件」の被害者4人の犯行内容も併せ、犯人・北村一家の悪行をとくとご覧ください。

【被害者】高見小夜子さんの次男・穣史さん(当時15歳)

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高見小夜子さんの次男・高見穣史さんは、1人で留守番していた最中に、高見家に忍びこんできた「大牟田4人殺害事件」の犯人・北村一家兄弟によって命を奪われた「大牟田4人殺害事件」の最初の犠牲者でした。

高見小夜子さんの次男・穣史さん殺害の発端は、北村一家の長男・孝の抜け駆けが原因でした。両親よりもいち早く、高見家の金品を強奪し、私腹の肥しにしようとした長男・孝だったのです。

北見一家の長男・孝に脅かされながらも、加担する結果になった次男・孝紘。「強奪した金の一部をやる」と、言われ、次男・孝紘は、家に侵入後、高見家の次男・穣史さんに激しい暴行を加え、殺害に至ってしまったのでした。

【被害者②】ヤミ金業・高見小夜子さん(当時58歳)

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「大牟田4人殺害事件」の2人目の被害者は、最初に殺害された高見家の次男・穣史さんの母親だった高見小夜子さんでした。

実は、次男・穣史さん殺害時に強奪した金庫の中身は、指輪6個しか入ってなかったうえ、質いれするも「たったの108000円」にしかならなかったそうです。「大牟田4人殺害事件」の犯人・長男・孝から話を持ちかけらた次男・孝紘の取り分は、4万程度だったそうでした。

また、当初から「高見小夜子さん殺害」は、自分でやると言っていた母・真美でしたが、躊躇いがあって実際には殺害することなど出来なかったのでした。その事から、長男・孝は、躊躇う母親に「殺しきらんなら、俺が殺してやる」と言いながらも、一方で弟・孝紘に協力を求めるような計算高い男だったのです。

「おかんが、俺に小夜子を殺せち言いよるんよ」といいながら、結果、都合よく次男・孝紘に実行させてしまった長男・孝だったのです。その事により、長男・孝が手を下す事はほとんどゼロに等しかったのでした。

高見小夜子さんの殺害決行当日、「大牟田4人殺害事件」の首謀者・北村實雄の指示で、睡眠薬入りの弁当を「北村組のアパート」にいた高見小夜子さんに提供。疑う事もなく食べた高見小夜子さんは深い眠りにつく事となりました。

睡眠薬入りの弁当を食べて意識を失っていた高見小夜子さんでしたが、意識をとり戻しそうになったため早急に殺害が決行される事となったのです。高見小夜子さんの次男・穣史さんのようにならないよう、高見小夜子さんの首にまかれた自転車のワイヤー錠で入念に締めあげ、窒息死させてしまったのでした。

【被害者③】高見小夜子さんの長男・龍幸さん(当時18歳)

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「大牟田4人殺害事件」3人目の被害者は、高見小夜子さんの長男・龍幸さんでした。

「大牟田4人殺害事件」の犯人・北村一家は、高見小夜子さん宅の路上前で、高見家の次男・穣史さんを探す兄・龍幸さんと、その友人・原純一さんが乗った軽乗用車と偶然出くわしてしまいました。

当然、友人・原純一さんは関係のない相手でしたが、鉢合わせしたことで殺害対象となってしまったのです。殺害にあたり、北村一家の父親・北村實雄は、北村一家の兄弟に実弾6発の入った25口径の自動式拳銃を手渡し、ふたりの殺害を指示したのでした。

いなくなった穣史さん捜索に協力ふりをして、18日未明、大牟田港岸壁に停車し車内にいたふたりの頭部と胸に銃弾を浴びさせる事となったのです。

【被害者④】高見小夜子さんの長男の友人・原純一さん(当時17歳)

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「大牟田4人殺害事件」の最後の被害者となったのが、長男・龍幸さんの友人・原純一さんでした。高見小夜子の長男・龍幸さんと一緒に居たため、友人・原純一さんも殺害される事となってしまったのです。

用いられた武器は、25口径の自動式拳銃・アイスピックの2種類でした。

左耳上こめかみに銃弾を撃ち込まれながらも、息があった友人・原純一さんの事を知った「大牟田4人殺害事件」首謀者・北村實雄が次男・孝紘に、アイスピックでトドメを刺すよう指示を送ったのです。

次男・孝紘は、躊躇する事なく、原純一さんの左胸にアイスピックを付き刺してしまったのです。これによって、原純一さんは絶命する事となりました。

また、4人殺害を実行した北村一家の次男・孝紘が、「正気の沙汰ではなかった」事が納得できる事実が判明したのです。次男・孝紘は、「大牟田4人殺害事件」の4人の被害者殺害時、覚せい剤を打って殺害に臨んでいた事がわかったのでした。

しかし、ここまで次男・孝紘を鬼畜化にさせてしまったのは、紛れもなく北村一家の父・母・兄であり、これら家族が全うな人間であれば、次男・孝紘もここまで腐った人間にならなくてよかったのかもしれません。

大牟田4人殺害事件~遺棄状況とは?

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これから、北村一家によって遺棄された「大牟田4人殺害事件」被害者4人の遺体について解説します。

殺害の犯行内容もさることながら、遺体遺棄の仕方も同じ人間が行った所業とは思えないほど壮絶だったのです。

【1】高見家の次男・穣史さんの場合~

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高見穣史さんの息がなくなったものと思っていた「大牟田4人殺害事件」犯人・北村一家の兄弟は、高見家にあった金庫とともに次男・穣史さんを車に乗せて大牟田市内を走行していたのでしたが・・・。

実は、まだ息のあった次男・穣史さんだった事に気がついた北村兄弟は、馬沖橋上で高見家の次男・穣史さんの首をロープでさらに締め上げて息の根を止めてしまったのです。

そして、その遺体の頭部と両足に重さ5キロのブロックをくくりつけて、諏訪川に投げ込んでしまったのです。その後、発見された次男・穣史さんの遺体は、激しい暴行によって内臓が破裂していた事実が司法解剖によって判明する事となります。

元力士による暴行が、いかに凄まじい事だったのかが窺える結果だったのでしょう。

【2】高見小夜子さんの場合~

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高見小夜子さんの遺体は、ドライブギアを入れたままにしていた軽乗用車に乗せられ、川底に遺棄される事となりました。

運転席外側から操作を行っていた「大牟田4人殺害事件」の首謀者・北村實雄によって、諏訪川土手斜面から走行させられた軽乗用車は、そのまま川の底に沈む事となったのでした。車中に遺棄された高見小夜子さんの遺体は車と共に川底に水没する事となったのです。

【3】「共に殺害された」~高見家の長男・龍幸さんと友人・原純一さんの場合~

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先に殺害された高見小夜子さんと共に、高見家の長男・龍幸さんと友人・原純一さんの3遺体は、諏訪川に車と共に遺棄される事となりました。高見小夜子の次男・穣史さんのみが、単独で諏訪川に投げ込まれた形となってしまったのです。

想像を絶するその惨劇を、皆さんは頭に思い浮かべる事ができますか?その後、この「大牟田4人殺害事件」が日本中を震撼させたのはいうまでもなかったのでした。

大牟田4人殺害事件の発覚のきっかけは?

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では、北村一家によって引き起こされた「大牟田4人殺害事件」発覚のきっかけについて見ていきましょう。

【1】諏訪川の水面に彷徨う男性の遺体

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2004年9月21日の午前10時頃、大牟田市馬沖橋の下流10メーターを流れる諏訪川に男性の遺体が浮いていたのを通行人が発見。この発見者によって、福岡県警大牟田警察署に通報がなされる事となりました。

この遺体は、ブロックを括り付けられて、諏訪川に遺棄された最初の被害者・高見穣史さん(15歳)でした。

遺体は、上半身裸で腐敗が進んでいたそうです。高見穣史さんの遺体は、死後から時間が経過していたため、腐敗が進み体内にガスが溜まったことで水面に浮上してきたのでした。

【2】発覚を恐れて諏訪川に遺体確認に向かった次男・孝紘

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実は、この高見穣史さんの遺体について、2004年9月18日夜、「ブロックを結びつけただけなので、浮かび上がってくるかもしれない」と、心配していたそうでした。

その後、「大牟田4人殺害事件」の犯人・北村一家の兄弟が、父親・實雄や、母・真美に高見穣史さんを殺害していたことを告白。何も知らなかった北村一家夫婦は愕然としたそうです。

遺棄現場だった諏訪川に行き、高見穣史さんの遺体発見するも、腐敗が相当進んでいて触れることを躊躇った次男・孝紘は結局、高見穣史さんの遺体を引上げる事なく、その場を後にしたそうでした。

それから間もなくして、ガスが充満した高見穣史さんの遺体が水面に浮かぶ事となり、「大牟田4人殺害事件」発覚へ繋がっていく事となったのです。

【3】ついに北村一家の悪行が浮き彫りに!「大牟田4人殺害事件」発覚

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その3日後に、高見穣史さんの遺体が発見される事となります。それを知った高見家の長男の友人らが、なかなか腰を上げなかった警察を動かそうとして苦肉の策を思いつく事となります。

友人らは、殺害された高見龍幸さんの友人・原純一さん宅へ犯人を装い、「原さんの命はない」などと脅迫めいた電話をかける事で警察をあおぐ計画を立てたのでした。

どうして友人らがそのような強行に出たのかというと、北村一家が高見穣史さん殺しに加担していた事を疑ったからでした。この高見穣史さんの遺体発見がきっかけとなって、「大牟田4人殺害事件」の首謀者・北村實雄と、母・真美が身柄拘束される事になったのは言うまでもなかったのでした。

【4】9月23日夜・「大牟田4人殺害事件」捜査本部設置

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福岡県警は、連続殺人・遺体遺棄事件として大牟田署に「大牟田4人殺害事件」の捜査本部を設置。2004年9月23日の夜に、福岡県警は諏訪川の川底で大規模な捜査を行いました。

泥質の川底により、捜査は難航していましたが、高見穣史さんの遺体が発見された馬沖橋付近から約350m下流の川が大きく蛇行した地点で、大型クレーン車・投光器を用いて捜索を開始しました。

午後6時すぎに、ダイバーが川底に沈められている車両に気付き、午後9時頃、車両を大型クレーンで引き揚げられる事になったのです。そして、車内から高見小夜子さん、高見龍幸さん、その友人・原純一さんの変わり果てた遺体が発見される事となりました。

発見時、車のナンバープレートは外すなど、車両特定を遅らせる偽装工作までされていたそうなのです。

大牟田4人殺害事件の判決は?一家全員死刑?

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さて、「大牟田4人殺害事件」では、北村一家全員の逮捕という前代未聞の凶悪犯罪でしたが、結局、「家族全員が死刑判決を受ける事となったのか?」「死刑執行はされたのか?」と、疑問点は多々ある事でしょう。

では、「大牟田4人殺害事件」の判決について見ていきましょう。

【1】北村一家全員死刑逮捕

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先ずは逮捕の流れをご覧ください。

  • 9月22日~北村真美 逮捕
  • 10月8日~北村實雄 逮捕(妻の逮捕後、訪れた大牟田署・刑事課での取り調べ室内で銃口を口に当て1発発砲し自殺を図ったため、逮捕が遅れた)

その後、諏訪川から車と共に、高見小夜子さん・高見龍幸さん・友人の原純一さんの遺体が発見される事に。そして・・。

  • 9月23日~北村孝紘 逮捕
  • 10月2日~北村孝 逮捕

となりました。

【2】北村一家全員に死刑判決

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裁判結果は以下になります。

  • 2011年10月3日~北村孝紘・北村真美 共に死刑確定
  • 2011年10月17日~北村實雄・北村孝 共に死刑確定

逮捕後、福岡地裁の「死刑判決」に北村一家全員がそれぞれ控訴をしていたのですが、二審で控訴が棄却されてしまいました。その後、上告を行っていた北村一家でしたが、最高裁でも「大牟田4人殺害事件」の犯人・北村一家の死刑判決が指示される事となったのです。

2011年10月、上告棄却により、「大牟田4人殺害事件」の犯人・北村一家全員の死刑が確定する事となってしまいます。

これで「大牟田4人殺害事件」の犯人が完全に勢ぞろいしたわけですが、家族全員が死刑囚となった事件は後にも先にもこの「大牟田4人殺害事件」以外、存在しなかったのでした。

【3】北村一家に殺された遺族の嘆き

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高見小夜子さんの母親は、高見小夜子さんのふたりの妹と共に、判決公判を傍聴していた際、北村一家の父親・北村實雄が、しんみりするどころか堂々と座っている姿に怒りをあらわにしていたそうでした。

家族の心配ばかりする「大牟田4人殺害事件」の首謀者・北村實雄に、「反省の色など全く感じられなかった」と証言していた遺族だったのです。

高見小夜子さんの母親は、「死刑判決を聞いた時だけは、少しホッとしましたが、本当に死刑執行を見届けるまでは無念は収まらない」と切なげに語られていたそうでした。

高見小夜子さんの妹は、「大切な姉や・甥が惨殺され憎しみでいっぱいです。被告4人が未だ死刑執行されず生きていることが歯がゆい」と、悔しそうに語られていたそうです。

また、友人・原純一さんの母親は、純一さんの遺影を持ち陳述に臨まれていました。

「純一が死んだ事が今でも信じられない。いつか帰って来るのではと思いながら、現実はもう帰って来る事がない」「どうして何も非がない純一が惨殺されなければならなかったのか・・死刑求刑を求めます」と、冷静に述べていたそうでした。

北村一家が起こした凶悪犯罪・「大牟田4人殺人事件」は、現在でも前代未聞な凶悪事件として語り続けられております。

おぞましい「大牟田4人殺害事件」の犯行内容を一度見聞きした方は、脳裏に焼き付いて離れなかったと言われておりました。

「大牟田4人殺害事件」の犯行内容から、亡くなった4人の犠牲者の苦しみは到底私たちには計り知り得ない事だったのです。

【4】弁護人選出に用いられた「あみだくじ」

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実は、「大牟田4人殺害事件」において、当初4被告共にそれぞれ国選弁護人・私撰弁護人が選出されたものの結局、引き受手がなかったという経緯があったようでした。

理由は、「大牟田4人殺害事件」の調書が膨大で手間がかかりすぎる事にあったからです。

その後、2004年12月部会事務所では、中堅以上の弁護士を対象に「あみだくじ」が実施され、北村一家の国選弁護人3名が選出されたそうですが、無駄死にしてしまった被害者4人の事を思うと、なんともやりきれない思いになってしまったのです。

部会事務所にもいろいろ言い分はあったようでしたが、「大牟田4人殺害事件」の被害者らの無念を晴らすには、何をいっても国家に裁いていただく以外方法はないのです。

残された遺族の苦しみを重んじるなら、「膨大な調書」云々などと言っている場合ではなかったはずなのでしょう。

北村一家と高見家の関係は?

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ここまで読んでいただいた読者の皆様には、「大牟田4人殺害事件」の犯人・北村一家と高見一家との関係性がどのようにあったのかは、もうすべてお分かりになられた事と思います。

結局は、ヤミ金業者だった高見小夜子さんに見下されて、逆恨みをしてしまった北村一家の横行が「大牟田4人殺害事件」の元凶だったわけでした。

高見家との断裂~北村一家の「強欲」が一番の原因だった

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「大牟田殺害事件」の犯人・北村一家と、高見家の関係性はすでに解説済みなので、ここで改めて解説するのは控えたいと思いますが、一言で言うと、北村一家の組みとしての企業努力のなさが祟った事件でもあったのでしょう。

収入の少なかった夫のしりぬぐいをせざる負えなかった「大牟田4人殺害事件」の首謀者の妻・真美が、ヤミ金業を営む高見小夜子さんにすがりつく事は自然な事だったのかもしれませんでした。

高見家の長男・高見龍幸さんの友人だった原純一さんのご遺族も、この「大牟田4人殺害事件」の惨劇を胸に、亡きご子息への想いを馳せながら、一歩一歩地を踏みしめるように人生を歩まれている事と思います。

「大牟田4人殺害事件」被害者4名の方々に心からご冥福をお祈り申し上げると共に、読者の皆様にも「大牟田4人殺害事件」の残されたご遺族たちが、故人の分まで幸せな人生を全うできるよう温かく見守っていただけたら幸いでございます。

北村一家の現在【大牟田4人殺害事件】

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現在、「大牟田4人殺害事件」の犯人・北村一家は死刑囚として服役中で、いつ死刑執行されるのかは未定の状況下にあります。

この「大牟田4人殺害事件」では、北村一家全員が加担し、家族全員が皆死刑囚になるなど前代未聞な事件だったのでしたが、罪のない4名の方々がこのように酷い状態で殺害された事は紛れもない事実でした。

また、北村一家の次男・孝紘が、逮捕されて以降ずっと書きしたためていた「獄中日記」が、文庫本「我が一家全員死刑」となり、さらには映画化されていた事はご存知でしたか?

この北村一家の次男・孝紘 の手記をもとに出版された「全員死刑」という文庫本には、「死刑は更生の余地がないことを国家が認めたもの」という内容が記されていたそうです。

獄中で手記を綴ってきた「大牟田4人殺害事件」の殺害実行犯・北村一家の次男・孝紘にピッタリな文言だったのでしょう。次男・孝 紘 は、 「人を殺す際に興奮を覚え、人を殺す事が楽しくて仕方がなかった」とまで言っていたそうなのです。

さらには、「被害者たちをかわいそうと思いますが申し訳ないとは思ってないです。殺されたのも運命、私が死刑になるのも運命。それに私はヤクザです。親分(父親)の命令は絶対なんです」と自分を正当化していたのですから開いた口が塞がらないとはこのような事を指しているのでしょう。

したがって、4人殺害に全て関った次男・孝紘については、更生の余地はないものと考えられてもおかしな事ではなかったのです。

ちなみに、北村一家の次男・孝紘は、支援女性者と獄中結婚し姓が変わってしまったそうです。勾留されてから7年ほど経ってから人間が丸くなったと自身で語っていたようでしたが、基本、心境の変化は最初の頃から全く変わっていないそうでした。

2017年時点で母・真美と次男・孝紘は福岡拘置所に、北村一家の父親・北村實雄は広島拘置所に、殺人に関与していない長男・孝は大阪拘置所にそれぞれが「死刑囚」として収監されております。

妻であり母だった真美は、戦後日本14番目の女性死刑囚になるそうです。「心から反省をしている」との事ですが、一連の流れから見るとやはり死刑を免れる事は不可能なのでしょう。

北村一家の長男・孝については、殺害に加担していなかったものの、現金欲しさに積極的に殺害計画を練り、脇役に徹しながら陰で次男・孝紘を操るなどしていて、真摯な反省も全く見受けられなかったようです。

「大牟田4人殺害事件」の実行役を次男・孝紘に押し付けるなどの態度は、自己中心的で非常にずる賢く十分死刑に値していたのです。なお、この北村一家の長男だった孝は、母・真美の夫の子どもで北村一家の養子だったのでした。

結果、異父兄弟という関係性だった北村兄弟でしたが、犯行内容や事件経緯からしても冷めた兄弟関係であった事は十二分に窺い知ることが出来たのでしょう。

また、取り調べ中に福岡地裁久留米支部から脱走を試みるなどしていた長男・孝でしたが、結局は直ぐに捕まる事となりましたが、その際も反省の色は全くなかったそうでした。

最後に、「大牟田4人殺害事件」の首謀者・北村實雄になりますが、自身の私利私欲のために罪のない4人を殺害し、さらには北村一家全員を巻き込む事によって家族全員の人生を奪ってしまった一番の悪党だったには間違いないのでしょう。

「大牟田4人殺害事件」の被害者殺害を制止しようとしていた妻・真美の気持ちを受け入れず、最終的に息子ふたりに殺害方法を伝えるなどし、実行させてしまった北村一家の父親・北村實雄が一番の悪の元凶だったのかもしれません。

「大牟田4人殺害事件」の死刑執行が、いつになるのかはわかりませんが、遺族や亡くなった犠牲者の尊厳を尊重するならば、一刻も早く死刑執行していただきたいのが世間の本音である事には間違いないでしょう。

「大牟田4人殺害事件」により、お亡くなりになられた4名の方々のご冥福をお祈りしながら、二度と「大牟田4人殺害事件」のような凄惨な事件が繰り返されない社会でありますよう、皆で祈り続けていきましょう。

「大牟田4人殺害事件」でお亡くなりになった被害者の死が、「無駄死」にならない世の中であるよう切に願うばかりです。

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