新生児取り違えとは?赤ちゃん間違えの原因とその後がやばい【胸糞】 | ToraTora[トラトラ]

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自分を育ててくれた両親や、自分が育てた子供が、ある日突然自分とは血の繋がらない全くの”赤の他人”であることが判明しても、その事実はなかなか信じ難いものです。

そもそもそんなことなど有り得ないと、疑う余地もありません。しかし実際に、生まれたての新生児が病院側の医療ミスにより、他人の赤ちゃんと入れ替わってしまうことがあります。それを「新生児取り違え」といい、1950~70年までの間に頻繁に起きていたそうです。

近年ではなかなか起きないとされていますが、昔取り違えられた被害者が最近になって取り違えが発覚し、訴訟している事件がちらほら見られ、波紋を呼びました。そこで、その新生児時取り違え事件について簡単にまとめてみました。

新生児取り違えの原因は? 

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新生児を取り違えてしまう原因とは一体なんだったのでしょうか?

さっそく原因を見ていきましょう。

原因①【ベビーブームによる出産ラッシュ】

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取り違え事件が頻発したのは、70年代(現在40歳前後)の第2次ベビーブームの世代です。病院での出産ラッシュが起き、赤ちゃんを抱き上げて運ぶ助産婦さん、沐浴専門の助産婦さんという流れ作業で、母子の世話が合理化されてしまったため、取り違えが多発してしまったそうです。

実際、1973年の日本法医学学会の学会誌には、大学教授たちが全国を調査した結果「1957~1971年までの間に32件の取り違えが起きていたことが分かった」と、記載されているそうです。しかし32件とされていますが、報告があるのは全体の5~10%だろと予測されています。

つまるところ、日本全国で500件程度の取り違え事件が実際に起こっていることが予測され、その数の中には、医療機関も、当人ですらまだ気が付いていない事例も含まれていると言われています。

原因②【保育器の共有】

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病院での出産ラッシュが起きると、その病院が所有する保育器の数も不足しがちであったそうです。そうなると、2人の赤ちゃんが1つの保育器に入れられてしまい、目印をつけていない場合は看護士の目視で母親の判断がされてしまいます。

現在は生まれてすぐに新生児に目印をつけることは当たり前でしたが、それは取り違えが多発したことに対する教訓で指南された方法です。

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日本ではほぼ無いに等しいですが、海外の発展途上国や多様文化の国にはよくある話です。特に白人の子どもは一番高価とされていて、この場合大抵は白人とそうでない肌の色を持つ赤ちゃんが「取り違え」の標的になり、病院側もグルになっている場合も多いです。

人身売買目的で取り違えられた新生児の行く末は、売春目的や奴隷、妊娠させたりなど、人間として扱ってもらえないような人生を歩むことになります。

実際にあった新生児取り違え事件は? 

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実際にはどのような新生児の取り違え事件があったのでしょうか。

詳しく見ていきたいと思います。

事件①「順天堂医院新生児取り違え事件&隠蔽疑惑」

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まず「新生児取り替え事件」の中でも最も話題となり有名である事件は、52年前に起きていた、順天堂大学医学部付属順天堂医院での新生児の取り違え事件です。

去年2018年4月に週刊誌報道などで明らかになり、順天堂側も新生児の取り違えがあったことを認めています。しかし、報道陣による被害者男性へのインタビューにて、損害賠償交渉の驚くべき対応や、損害賠償交渉時の不誠実さ、事件の隠蔽疑惑などが語られ、世間でも波紋を呼びました。

取り違えは1967年の出産直後、順天堂医院のミスによるものでした。

被害を受けた男性はAさん(現在52歳)。彼の人生は壮絶なもので、苦悩の人生の幕開けは今から45年前の1974年、Aさんが小学校入学の際に行った健康診断の結果報告書から始まります。

その結果報告書に記載されている血液検査の結果は、Aさんの両親の血液型からは絶対に生まれない血液型でした。それを確認したAさんの母が「子供の取り違えではないのか」と疑い始めます。Aさんの母は真実を探るべく、Aさんを分娩した順天堂医院に訪れ、新生児の取り違えを指摘しました。しかし、病院側の回答は耳を疑うものでした。

「あなたが浮気をしたのではないでしょうか?」

Aさんの母は激しく落胆しました。病院側は「順天堂医院はこれだけ立派な病院で、そのようなことが起きる訳がない」と取り違えを認めようとせず、挙句の果てに血液型の違いは母親の浮気を疑われる始末でした。その上、母親の浮気が原因と指摘しつつも、「異議があるなら裁判にすればいい」と門前払いにしたそうです。

その結果Aさんの母は、夫からも真実でない浮気を疑われるようになど夫婦仲はギクシャクし始め、取り違えの確認で病院に訪れた半年後に夫婦は離婚してしまいます。Aさんは母親に引き取られましたが、間も無く母親は精神を病み、子育てに支障が出るほど体調を崩すようになってしまったので、Aさんは親戚に預けられるようになります。

そこでAさんを待ち受けていたのは、親戚宅による”よそ者扱い”でした。「親が離婚したのはAさんのせい」「よその子だから、親と顔が似ていない」などと酷い扱いを受けながら、幼いながらも”自分の両親は本当の両親ではないのか”と悩み続ける幼少期を過ごし、いつどこにいても違和感を感じながら生きていく人生を送ることになります。

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そして時は流れ、2015年に、Aさんの母親から事実を告げられます。

「あなたは本当の子供ではないかもしれない」と。

Aさんは事実を確認するためにDNA検査を行ったところ、実の親子である可能性は0%という判定であり、Aさんと母親は血縁関係に無いという結果でした。実の親子ではなかったのです。

事件発覚後、Aさんは順天堂医院を訪れDNA検査の結果を報告したところ、順天堂側は新生児の取違いを認めました。そして損害賠償の支払いと、Aさんを産んだ”実の母親”に関する情報をAさんに提供するよう交渉が始まりましたが、ここでの順天堂医院の対応にまたもや不信感が抱かれます。

交渉は数回行われ、その中で何度も変わる病院側の意見や、「実母側の家族への配慮」として実母の情報提供を拒否するなど、なかなか折り合いがつかずにいました。そこでAさんは実際の交渉記録を映像で残しています。

2016年12月9日第5回目の交渉時には、順天堂医院危機管理担当の医師は「これは45年前(Aさんの母親が間違いの確認で順天堂を訪れた際)に解決しておくべきであった」「裁判を起こしてくれということまで」とし、取り違えの事実を認め、「実の親の情報も提供する、賠償もする」と“約束”をしています。

この約束に関しては、学長、医学部長、院長、副院長など総勢13名のコアメンバーで最終決定したと発言しており、およそ9ヶ月にも及んだ交渉も、Aさんの希望通りにまとまったと思えました。

しかしその19日後、第6回目の交渉では同危機管理担当の医師は条件を覆します。というのも、順天堂医院側が新しい代理人をたて、Aさんとの手続きを改めて進めていく方向を突然示したのです。そして「この方針は理事長の決定であり、理事長は学長の上に存在している。そのため、損害賠償の額などは理事会で決めることとなっており、前回の”約束”に関しては理事に入っていない学長以下のメンバーが話し合い、OKを出しただけ。」とし、Aさんの希望がここでひっくり返され、再び交渉は何も進んでいない状況へと押し戻されてしまいました。

その12日後の2017年1月10日第7回目の交渉が行われましたが、そこにはこれまで交渉してきた医師ではなく、順天堂側の新たな代理人弁護士2人の姿がありました。その新たな弁護士がAさんに提示した条件は、「本件については病院側からの謝罪と示談という形で一定の和解金の支払いをするが、実母の情報提供に関しては相手がたのプライバシーを配慮し、Aさんへの情報提供はしない。」というものでした。第5回目の交渉の際に最終決定されたはずの賠償金額から大幅に減額した金額の提示”と、実母の情報提供は無しという、今までの交渉を完全にひっくり返される形となりました。

本来、お金で納得できることではないが、”育ててくれた母親に実の息子を見せてあげたい”というAさんの想いがこの1年間の交渉につながっています。病院側がきちんとした対応をとっていれば、このようなことにはならなかったはずなのに、1年経っても謝罪もなく、挨拶もない、そして決定権を持っている人すら話し合いに出てきていないのです。

そんな仕打ちを受けたAさんは「今まで約1年間かけて行ってきた話し合いは何だったのか」「今まで正式に話し合う相手ではない相手に対してこれだけの時間を使わされてきたのか」という不信感で溢れ、再び振り出しから交渉を進めないといけなくなった状況に疲れ果ててしまいます。その結果Aさんは、すでに信頼関係もなくなったこの状況で、このまま交渉をうやむやにされるよりも、”取り違えの事実だけでも残す”という選択肢を取り、順天堂側の条件と、大幅に下げられた賠償金を受け取ることで合意します。

しかしその合意文書には「取り違えの事実を第三者に知らせない」という守秘義務の条項があり、非は認めているが隠蔽の意思があるようにも受け取れます。

事件②「東京墨田区新生児取り違え事件」

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こちらも取り違え事件の中でも有名な事件の一つとして知られていますが、取り違え事件のほとんどは被害者の親か本人が血縁関係について不審に思い、DNA鑑定をして発覚するパターンが多いですが、東京墨田区で起きた事件は珍しい形で新生児の取り違えがあったことが発覚します。

1953年3月30日、被害者Aさんは東京・墨田区にある賛育会病院で生まれ、何かしらの手違いでもう一人の新生児Bさんと取り違えられてしまいます。

しかしその事実が明らかになったのはおよそ60年後の2012年1月でした。それまでは被害者のAさんもBさんも、実の両親と育ての両親が別人だとはつゆ知らず、60年間”普通の人生”を歩んできたのです。ではなぜ長い年月を経て取り違え事件が発覚したのでしょうか。

事の発端は2007年、Bさんの父親(Aさんの実父)が亡くなったことから始まります。Bさんの父親は生前認知症を患っており、Bさんの弟3人(Aさんの実弟)が介護をしており、Bさんは全く手伝いをしなかったそうで、同じく’99年に亡くなったBさんの母親(Aさんの実母)の法事にすら、Bさんは現れなかったと言います。そんなBさんの両親に対する態度は3人の弟達からすれば強い不信感を抱くものでした。

そして父親が亡くなった後、遺産の多くは長男となるBさんが相続し、そこで弟3人は今まで抱えていたBさんへの不信感や不満が爆発します。

もともとBさんの容姿や性格が他の兄弟と全く似ていないことや、Bさんが生まれた際に用意していた産着とは違うものをBさんが着用していたことを母親が生前に漏らしていたことなど、Bさんとの血縁関係を疑う要素がたくさんあったそうで、血が繋がっていないかもしれない”長男”への遺産相続は納得のいかないものだったのです。

そして翌年2008年、Bさんが相続したものを取り戻すためにも弟3人はBさんを相手取り、両親とBさんは親子でないことを認めるよう裁判所に訴えました。その結果、裁判所はDNA鑑定の結果からBさんと弟3人の間に血縁関係がないことを認定しましたが、2011年の最高裁にて「生まれたときから一緒に暮らしており、育ての親との間に親子関係が存在しないとは言えない」との判決を下しました。

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裁判で負けてしまった弟3人は、真実の兄を探します。弁護人などを通じてBさんが生まれた産院の分娩台帳を検証し、同じ日に生まれたAさんの存在を知ります。そして調査会社などに依頼し、Aさんを探し出すことに成功したのです。

実の兄であるAさんは、2歳のときに育ての父親をなくし、貧しい暮らしを余儀なくされました。6畳一間で生活保護を受けながら母子4人が肩を寄せあって暮らし、中卒で働きに出た苦労人でした。その後Aさん自ら学費を稼いで定時制の工業高校を卒業し、今はトラック運転手として生活していました。

調査会社から連絡を受けたAさんは、そこで初めて自分が両親だと思っていた二人が、まったくの他人であったことを知るのです。「そんなことがあるわけないと、認めたくない気持ちがあった」と当時のAさんは思ったそうです。

真実を確かめるべく、2012年1月に行ったDNA鑑定によってAさんは3人との血縁関係が確認され、3人の実の兄であることが確定されました。そして同年8月、ついこの前まで赤の他人であった兄・Aさんとその弟3人は、病院を相手取り裁判を起こします。

「自分の生まれた昭和28年に戻してもらいたい」Aさんはそう語っています。その心の背景には、Aさんと取り違えられたBさんとの家庭環境の違いがあります。Bさんが育った家庭は裕福で、両親は教育熱心で経済的にもゆとりがありました。大学進学まで家庭教師が付けられるほどだったそうです。また、実弟3人も大学を出て、一部上場企業に就職しています。

実際にAさんは取り違えの事実を知るまでは、苦労はあったが不幸ではない人生を送っていました。裕福なのが幸福だとは言い切れませんが、違う人生を送れていたであろう事実を知った今、実の弟たちが両親の思い出話をすると「どうしてそういう親に育ててもらえなかったのか」と涙が溢れるそうです。本来Aさんが育つべきであった家庭環境と、実際に育った家庭環境との大きな差に対して悔しさが込み上げ、取り違えた病院に対する憤りを感じているそうです。

事件③「エルサルバドル新生児取り違え事件」

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エルサルバドル共和国にある富裕層向けの民間病院で発生した新生児取り違え事件は、2015年5月21日に起こりました。

エルサルバドル共和国では幼児が誘拐された場合、真っ先に疑われるのが人身売買です。そのため、自分の子が取り違えられていることに気がついた新生児の両親リチャード・カシュワースさんと妻メルセデス・カサネラスさんは、我が子の行方と人身売買の心配に苦しみました。

我が子の違いに気がついたのはメルセデスさんであり、産んだ直後は父親に似た白い肌の赤ちゃんであったが、「あなたの子です」と病院から手渡された赤ちゃんの肌が、自分たちからは想定できない褐色であったため不審に思い始めます。

よくよく思い返してみると、健診のたびに医師が「パパがたとえ白人でも、赤ちゃんが褐色の肌になることはよくあるのですよ」と繰り返して言っていたこと、産後間もなく枕元に麻酔専門医が来て“神経が過敏になっている”と言い、処置として何かを投与されると大変長い時間眠りに落ちていたことなど、不審だとも取れる言動があったようです。

そして実際に、メルセデスさんが長い眠りから目が覚めたあと、取り違えが起こってしまったのです。またある時メルセデスさんは看護師に、出産したばかりの赤ちゃんの陰茎の色と、今の色が明らかに異なっていることを指摘したところ、看護師から「それは普通のことで何も問題ない」と一蹴されたことにより、メルセデスさんは病院で人身売買の絡んだ「赤ちゃん取り違え」の可能性があるのではないかと不信感を募らせます。

今手元にいる赤ちゃんは我が子ではないという確信があったメルセデスさんは、赤ちゃんが3ヶ月になった頃に検察へ届け出をだし、DNA鑑定を依頼します。メルセデスさんが出産した同じ日、同病院で4人の子どもが誕生してり、DNA鑑定を行った結果、別の夫婦に渡されていた子どもとカサネラスさん夫妻のDNAが一致し、親子関係が証明されました。

その結果同医師が逮捕され、またその病院で誕生した新生児ついてのデータが開示されたものの、同日に産まれた子はみな本当の両親のもとに届けられていたそうですが、取り違われた新生児は1組だけであったそうです。

カサネラス夫妻は、悲しみと心配で眠ることもできず、無事に戻ってくることをひたすら祈り続ける毎日を送っていることを地元テレビ局のインタビューにて涙とともに訴えました。また、できるだけ人身売買については考えないように努力しているとも語ったそうです。それと同時に、今現在自分たちの手元にいる赤ちゃんの今後についても深く心配しており、「この子の母親も探してあげたいです。でもそれが叶わないのなら、私たちは喜んでこの子の親になりたい。この子を心から愛していますから」と笑顔で語っています。

この赤ちゃん取り違えは過失ではなく病院ぐるみで故意に行われていた可能性もあるため、さらに詳しい取り調べが進められました。

事件④「カンヌ新生児取り違え事件」

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フランス・カンヌの病院で20年以上前に新生児を取り違えられた事件が起こりました。この事件に対し、2家族が病院を相手取り訴訟を起こしています。その結果、裁判所は病院側に200万ユーロ(日本円で約2億8千万円)近い賠償の支払いを命じました。

取り違えの被害者ソフィー・セラノさんは、出産後間も無く保育器に入れられ、自分の元へ戻ってきた戻ってきた娘を見て、不思議に思ったそうです。セラノさんの娘は、生まれてすぐ黄疸(おうだん)が出たため、保育器に入れられていました。

しかし、ようやくまた抱けるようになったところ、娘の髪の毛に違和感を感じます。

セラノさんは娘の髪が急にふさふさになったような気がしたので、担当の看護師に確認したところ、黄疸の治療で使われた光線療法で髪の毛が伸びることがあると説明を受けたそうです。当時のセラノさんはまだ18歳で、「これを疑うには私は若過ぎた」とセラノさんは語っています。

退院して1年が経った頃、娘の髪の毛は縮れ、肌の色も両親より浅黒かったため、セラノさんとそのパートナーはさらに困惑したそうです。しかし、子供への愛情が、自分の子どもではないという疑念を持つことを許さず、パートナーや両親の疑われながらもセラノさんは娘の世話を一生懸命続けました。

パートナーとともに小さな村に住んでいたセラノさんは、近所の人たちからも疑いのまなざしを浴びるようになりました。両親とはあまりに似ていない娘は、セラノさんの浮気相手との子どもなのでは?とも囁かれるようになりました。

その後パートナーとの関係はうまく行かず、セラノさんへの疑いもあり、娘の面倒を見ることを拒んだそうです。結果として別れることになり、その際にパートナーである男性は、「我が子でなければ養育費は出せない」とし、娘が自分の娘であるかどうかの父性の確定検査を求めました。それで互いの苦痛がなくなると考えたセラノさんはDNA鑑定を受ける決意をします。

そして、娘の出産から10年程も経った頃にDNA鑑定を受け、その結果はパートナーもセラノさんも娘とは血のつながりがないとされ、今頃になって病院の看護師が赤ちゃんを取り違えていたことが判明しました。

すでに10歳になっていた我が娘は2人のいずれの子でもなく、自分が産んだ本当の子どももどこにいるのかわからない衝撃と不安がセラノさんを苦しめます。どうすれば我が子に会えるのかと思い悩んでいる最中、産後病院で起こったあの不審な髪の毛の出来事を思い出します。

セラノは取り違えられたもう一方の家族を見つけるため、2010年に病院を提訴し、警察が調べたところ、実の娘はセラノの住まいからほど近いところに住んでいることが判明しました。

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この事件がきっかけでセラノはうつ病を患っていたこともあり、この事件の損害賠償訴訟と、赤ちゃんを取り違えたカンヌの病院などに対して総額188万ユーロを2人の子供の家族に支払うよう命じられました。

しかし「なぜ、産後4日もたって、わが子が分からないのだろうか」などと病院側の弁護士は語っており、「しかも、10年もたってから取り違いに気づくなんて、賠償目当てではないのか」と疑いの目をかけています。

それに対しセラノは、当時はまだ18歳、そして初めての出産であったことも含め、「そんなことが起きるなんて、夢にも思わなかった」と反論している。それに、娘は出産後間も無く新生児黄疸を発症し、すぐに保育器に入れられているので、それまでに母子ともに過ごした時間は極めて少ないため、細かい違いには気付きにくいはずです。

にも関わらず必要な数が足らないという理由で、看護師が裸の赤ちゃん2人を同じ保育器に入れてしまった。戻ってきた頃には髪の毛の違いに気がつきましたが、気にすることではないと言われています。そして取り違えの被害者であるもう1人の母親も当時18歳であり、赤ちゃんの髪の毛が薄くなったことが気になったそうでう。しかし、別の看護師に「光線療法で髪の毛が短くなることもある。心配する必要はない」と言われています。

パートナーとの関係も破談になり、周りからも身に覚えのない浮気を疑われたセラノさんが、賠償目当てで10年も違う子どもを育てるとは思えませんし、もう一方の被害者の女性の証言からしても、取り違えのミスを受け入れるには難しい状況であったのは明らかです。そうであるのに、長きに渡り疑いの目をかけられてきたセラノさんの苦悩は計り知れません。

新生児取り違え事件のその後がやばい?【胸糞】

新生児の取り違え事件が発覚した後の対応はどのようなものであったのでしょうか?

事件①「順天堂医院新生児取り違え事件&隠蔽疑惑」【その後】

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結果として順天堂側の提示した条件に合意し、事件に終止符を打ったAさんですが、果たして本当に終わったと言えるのでしょうか。

実際に、”事件について口外はしない”という合意書を交わしているにも関わらず、なぜAさんは週刊誌のインタビューを受けることになったのか。その理由は、交渉成立後に順天堂医院のホームページにて発表された、取り違え事件についての発表内容にあるそうです。

その発表内容というのが、「50年経った今、発覚したことなので実母が誰なのかを探すことはしない」とされ、「被害者の男性には謝罪した」と書かれています。それに対してAさんは、「まず”50年前のことなので”とされているが、両親と血液型が一致していないことが発覚した45年前に一度、母親が取り違えを病院側に指摘していることと、その際に取り合おうともせず母親を追い返しているという事実は隠している」とし、さらに”謝罪した”と書かれているが一度も謝罪にきていないことでも、順天堂側の事件に関する説明があまりにも一方的とし、インタビューに踏み切ったとされています。

週刊誌にて報道された順天堂医院側の信じ難い対応や、順天堂が提示した合意書に対して疑問が寄せられています。実母の情報提供をしないということで、自身の血縁関係を知る権利を病院側が奪っていいのだろうか。なぜ病院側は頑なに情報を提供したがらないのか。順天堂側は『相手側の平穏な生活を乱す』としていいるが、取り違えを起こした病院側が言うことではなく、医療ミスをしたとして双方の家族に謝るべきではないのか。

現在の思いをAさんは以下のように語っています。

「私は病院に行っても自分の先祖がガン家系であるとか糖尿病であるとか、そういうことが伝えられない。相手(実の親)の生活を壊すことはしたくないので、こちら側にだけ教えてもらえばいいこともあると思う。相手が望まなければ会わなくてもいい。ただこちらにも知る権利というものがあると思う。(実の)母は幸せに生きてくれたのか…時間はもう取り戻せないので。せめて幸せだったのか、どういう人生を送ったのか、写真の1枚でもいいから知りたいです」(引用:「報道プライムサンデー」8月26日放送分)

現在の日本では「出自を知る権利」が保証されておらず、今回の順天堂の対応を法的に問題とする根拠はないとされているのも事実です。実際に、和解金とされる損害賠償も支払っており法律的には責任を果たしているという形で収まっています。そうなると、Aさんの願いが叶う望みは、”取り違えられたもう一人の被害者が名乗り出ること”のみに絞られました。

しかし、順天堂で取り違えられた男性が明かしているプロフィールは「1967年1月中旬生まれ」ということだけであることと、50年以上も経った今、本当の生みの親も高齢になっているのは明らかである。取り違えられたもう一人の相手が名乗り出てくる可能性に賭けるAさんの気持ちは計り知れません。

事件②「東京墨田区新生児取り違え事件」【その後】

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「カネがあったら幸せなのか」

そんな声も多く寄せられています。取り違えさえなければ、Aさんの人生はもう少し苦労の少ないものだったかもしれません。しかし実際に、Aさんは不幸な人生を送ってきたのかと言われるとそうでもないはずです。しかしAさん自身も「育ててくれた母親はできることを精いっぱいやってくれた。兄2人にもかわいがってもらった」と家族への感謝の気持ちを口にしているそうです。

Aさんと弟3人が行なった裁判の結果は、裁判所が「Aさんが仮に裕福な家庭に育っても大学卒業の学歴を得ることができたかどうかは、必ずしも明らかでない」としながらも、慰謝料の額を3200万円と算出しています。

これによって世間では、親の所得によって子どもの教育に格差が生まれてしまう社会であること自体が問題だとされ、今回の判決を見た若者は「お金持ちでないと子供にいい教育ができないのでは」感じてしまい、出産に二の足を踏む人が出てもおかしくないと、少子化の問題も心配されました。

長年生きてきた後で、取り違えの事実を明らかにすることは果たして必要であるのか、育ての親や子は血が繋がっていない場合は親子ではないとされるのか。この事件は世間から様々な意見を生み出したようです。

事件③「エルサルバドル新生児取り違え事件」【その後】

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カサネラさん夫妻は取り違えが発覚した日から数ヶ月経った2015年9月7日に、報道陣に囲まれながら実の息子と再会しました。取り違えられたもう一方の夫婦も同じ日に子どもとの再会を果たしましたが、公の場に出ることは避けています。赤ちゃんの権利を守りたいという両親の意思を尊重して、世間への公表を取りやめています。

そして警察は、メルセデスさん出産時の帝王切開手術を担当した医師を逮捕しました。当の医師は、取り違えにはかかわっていないと主張し容疑を否認、保釈金を支払い保釈されています。

結果的に、新生児の取り違えは病院側の故意のものであったかどうかは謎に包まれたまま、事件は幕を閉じました。

事件④「カンヌ新生児取り替え事件」【その後】

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「最初に会ったとき、向こうの両親と私が似ていることはすぐに分かった」とセラノさんの娘は言っています。しかし、「まったく見知らぬ人の前に座っているというだけの状況で、どうしてよいか分からなかった」とも語っています。

その後双方の家族は何回か会ったが、うち解けた関係を築くことができないまま結局会うことをやめ、お互いに育てた子をそのままにしておくことで合意したそうです。その理由は、今まで育ってきた環境があまりにも違いすぎたことです。「暮らしや人生への取り組み方も異なり、接点が見つからなかった」とセラノさんは話しています。

セラノさんは、母性本能や娘に対する愛情は、血縁関係があってもなくても関係なく湧くものであり、血のつながりがないことが分かってからむしろ強まったと信じているそうです。実際にセラノさんは実の娘と会っても、特別な感情はわかなかったそうです。「私は血縁のない娘と素晴らしい絆をつくることができた」と語るセラノさんは、看護師の不注意が呼び起こした悲劇への償いを求める長い闘いに終止符を打ち、「わが子を見分けられなかった」というような様々な批判を封じることにもなりました。

新生児取り違えはヤバかった

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誰にでも「誰に似たんだ」と思う瞬間がありますが、ある日突然自分の家族と自分は血が繋がってはいないことを明かされる気持ちは想像もできません。

なかなか起こり得ないとされる新生児取り違えは、「運命のいたずら」のような事故であり、今後起きないことをただ祈るのみです。

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