引用: Pixabay
2018年6月26日。銃規制が世界一といってもいいほど厳しい日本で、にわかに信じられない事件が起きました。
容疑者は島津慧大(しまづけいた)という21歳の元自衛官。当時交番で公務にあたっていた46歳の警部補と、近隣の小学校を警備していた76歳の警備員は元自衛官・島津慧大の凶弾に撃たれ亡くなりました。
現在は強盗殺人罪や警備員への殺人罪などの罪で公判が行われています。
富山県警によると、26日午後、富山市久方町の交番で男に刺され、拳銃を奪われた警察官が死亡した。
死亡したのは富山中央署奥田交番所長の稲泉健一警部補(46)で、意識不明の重体となっているのは警備員、中村信一さん(68)。
男は拳銃を奪った後、小学校付近で男性警備員に発砲、警備員も負傷した。男は身柄を確保された。
まじめで礼儀正しいと近所でも評判であった島津慧大は、国と国民を守る使命を負っていた元自衛官であるにも関わらず、どのような動機で凶行に手を染める事になったのか、島津慧大の自宅、家族の事、そして現在の公判の様子など、元自衛官・島津慧大の詳細を追っていきます。
島津慧大の生い立ち【富山乱射事件】
富山交番襲撃・島津慧大衝撃の発砲現場
激裏GATE PRESS速報 https://t.co/7mW2cYkyD7
>小学校でも不審者を確認。校舎内にいた児童約400人を体育館へ避難させる 14:16頃ドラレコ映像
https://t.co/ZGHQ8hcr01
直後警備員中村さんを撃ち、小学校に侵入
発砲音を聞きhttps://t.co/ywhg4G19qn pic.twitter.com/gmQKHheCS8
— ラリ@激裏情報(化石メディア電波利権を粉砕) (@_larry___) June 28, 2018
ここからは元自衛官・島津慧大の生い立ちを追っていきます。
島津慧大のプロフィール
名前:島津慧大
生年月日:不明
年齢:22歳(2019年6月現在)
家族構成:父、母、姉
学歴:立山町立雄山中学校
職歴:陸上自衛隊勤務前にバイトをしていたという情報もあり
陸上自衛隊金沢駐屯地 金沢駐屯地第14普通科連隊 2015年3月~2017年3月
自衛隊とアルバイトの間に電気工事会社に勤務していたという情報もあり
ケンタッキー・フライド・チキンアピタ富山東店
即応予備自衛官 (アルバイトと兼職)
自宅:富山県立山町末三賀
元自衛官・島津慧大の性格と周囲の評判
引用: Pixabay
元自衛官・島津慧大は富山県で生まれ育ち、中学を卒業した後、18歳で自宅を離れ自衛隊に入隊します。
中学校は不登校気味で自宅に引きこもりがちだったそうですが近隣住民からの人物像のイメージは悪くなく、島津慧大の事を以下のように言っています。
「いまどき珍しい感じのいい子」「目をみて挨拶を返してくれる」
おおむね評判のいい少年であったようです。
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引用: Pixabay
小学校時代の島津慧大は図工クラブに所属しており大人しい子供だったようです。この頃から体格がよく、当時の写真ではすでに教師と肩が並んでいます。
2010年に島津慧大が作成した工芸作品は第14回立山町美術展でジュニア優秀賞を獲得しており、感性が豊かで手先が器用な人物であることもうかがい知れます。
中学の時の島津慧大
引用: Pixabay
この頃の島津慧大は剣道部に所属してました。
同級生の話によると、基本的には穏やかで読書などを好み一人で静かに過ごしているが、鬼ごっこなどのレクリエーションの途中に突然怒り出し、同級生を殴り付けるような場面があったそうです。
また意見をされると舌打ちをしたり、テストの採点に不満があると教師に反抗的な態度をとることもあったようです。
2年生の2学期ごろに人間関係のトラブルを起こし剣道部を退部、その後島津慧大は次第に不登校になりました。
暴力的な側面は家族間でも顔を出し、自宅では両親に対して暴力を振るっていたという近隣住民の証言もあります。「礼儀正しかった」という証言と矛盾するようですが、年頃の少年にありがちな反抗のうちの一つと捉えられていたのかもしれません。
元自衛官・島津慧大が事件を起こした動機はまだ全容は判明しておらず、公判が進む中で明らかになって行くでしょうが、この時期の人間関係の挫折が凶行の動機の根幹となっている可能性も否めません。
島津慧大の性格・性質
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引用: Pixabay
これまでに列挙した島津慧大のエピソードから以下のような性格が浮かび上がってきます。
・礼儀正しく穏やか
・感性が豊かで手先が器用
・基本的には抑圧的で自制心が強い
・自分の想いを言葉で伝える事が苦手
・直情的で感情が怒りにシフトしやすい
・ストレスが蓄積しても自分なりの発散方法を知らない
・強い鬱積の結果暴力に走る傾向
以上のようなことがらから島津慧大は思ったことや自分の本当の気持ちを、口にだせずに鬱積しある日突然暴力をもって爆発する性格のようです。
何事も極限まで我慢して、自分を追い詰めた末に、周囲を巻き込んで大爆発を起こすというタイプに見受けられ、類似する傾向としては秋葉原連続殺人事件の加藤智大死刑囚が挙げられます。
島津慧大と家族の関係
引用: Pixabay
では実際に島津慧大と家族との関係はどうであったのでしょうか。
島津慧大の家族は、両親、姉、島津慧大の4人家族で、富山県の自宅に住んでいたことが分かっています。
家族の中で特に父親が強烈な人物で、アメフト経験者で身長は180㎝強、島津慧大の体格の良さは父親譲りのようです。
島津慧大の父親は島津慧大が通う中学校のPTA会長でした。少年補導員を務めていたという情報もあります。親族によると、非常に厳しく自分の思い通りに従わない島津慧大に対して胸倉をつかんで怒鳴り、殴り付けるような人物であったそうです。
自分がPTA会長を務める学校で、当の息子が不登校であればいかんともしがたい状況ではあることは推測できますが、この父親は息子の不登校の理由に配慮するよりPTA会長として自分の立場を守りたかったのでしょうか。
しかし、成長していくに従い家族間の形勢が逆転して、次第に島津慧大から両親への暴力が見受けられるようになったそうです。
元自衛官・島津慧大の家族は、彼自身の本来の性格やストレスに共感せずに親の理想を一方的に押し付けるような教育を行ったのかも知れません。暴力で押さえつけられ、また暴力でしか発散できなかった島津慧大のストレスとはいかほどであったでしょうか。
日本国内で起こる無差別殺人の多くは先述の通り本人の器質的な欠陥が原因であるケース、家庭の教育が極端に抑圧的であったりまた極端に過干渉であったりするケースが多く知られています。
島津慧大の器質的な欠陥の有無については不明ですが、家族間で受けたフラストレーションが島津慧大の凶行の動機になった可能性は大いにあります。
事件後の周囲の反応
引用: Pixabay
事件後のマスコミの聞き込みで近隣の住民は以下のようにコメントをしています。
「おとなしく、まじめな印象。あいさつもしっかりできる子だった
あんな事件を起こすとは思えず、とにかく驚いている
あんな子はなかなかいない。刃物で人を襲うなんて信じられず、何かの間違いじゃないかと思った
今の時代に珍しいくらい良い子だった。」
事件後も、幼少期同様に近隣住民からの好評判は変わらず、凶悪な犯罪を起こす人物とのギャップが浮き彫りになっています。
島津慧大は元自衛官?【富山乱射事件】
島津慧大が元自衛官であるという事実は、世間を騒がせた要因の一つです。
自衛官の任務は国民の命と安全を守るという事です。いわば管轄省庁は違えど島津慧大が襲撃した警官と同様の職務を担っていたのです。
退役したとはいえなぜ元自衛官が、動機は?……そのような疑問を多くの人が抱いた事でしょう。
自衛隊時代の島津慧大
引用: Pixabay
中学校を卒業し後の島津慧大は、高校に進学せず2~3年ほどの期間をおいて自衛隊に就職しています。島津慧大の現役自衛官時代は、陸上自衛隊金沢駐屯地 第14普通科連隊に所属していました。
現役時代はあまり人とコミュニケーションをとらず、周囲から少し浮いた存在であったようです。ですが自衛隊を辞め、元自衛官になった理由は通常の任期満了によるもので暴力沙汰や人間関係のトラブル等不祥事によるものではないようです。
また島津慧大は事件当時も、即応予備自衛官の任務に就いていました。即応予備自衛官とは任期を優秀な成績で修了した元自衛官が負うことのできる任務で、有事に現役の自衛官が不足する際に召集されます。
この即応予備自衛官の任期中は最低限の訓練への参加が義務付けられており、手当も付きます。元自衛官であれば誰でもなれるものではなく、大きなトラブルを起こすような問題のある人物は元自衛官であっても任務には就くことができません。
このことからも島津慧大は元自衛官として一定の信頼を得ていたという事がわかります。
自衛隊任期終了後の島津慧大
引用: Pixabay
島津慧大は任期終了し元自衛官になって以降、家族の住む自宅に戻りケンタッキー・フライド・チキンアピタ富山東店でアルバイトをしていました。
勤務態度は当初は特に問題はなかったようですが、接客の際に対応に追われパニックになってしまったことがあったそうです。それ以降は接客担当ではなく調理担当に配置変更を受けたそうです。
また事件直前に、店長から店内を掃除するように指示を受け拒否、注意をした店長に突然殴りかかり、制服を脱いで立ち去るという事件を起こしました。店長はあばら骨を骨折する重傷を負いました。
交番を襲撃したのはこの約1時間ほど後のことです。
この件そのものが動機というよりは、抑圧されたストレスが爆発し、交番襲撃のための動機が後押しされた形になったのかもしれません。
元自衛隊・島津慧大のシューティングテクニック
引用: Pixabay
島津慧大が事件を起こしたのは元自衛官になって以降のアルバイト時代ですが、島津慧大の元自衛官という肩書は、多くの人々に衝撃を与えた要因の一つでもありました。
中でも島津慧大が警官から銃を強奪し射撃する際の片膝をついて上半身を固定させ、脇を締めて的を狙うの構えの姿勢と、流れるような一連の動作が「さすが元自衛官だ」と話題になりました。多くの人々がその動作を元自衛官だからこそのスキルだと信じました。
確かに、誰にもできる動きではなく元自衛官だからという意見はもっともなものに聞こえます。ですが、島津慧大の自衛官時代の任務は弾薬手であり、銃を直接打つ任務ではありません。
また基礎訓練で銃火器類の取り扱いの基本は習得しますが、通常の任期内で修了する自衛官の大多数は、熟練するほど銃を扱う機会はありません。
また自衛隊で主に扱うのは「小銃」、警察官が装備しているのは「拳銃」という違いがあり、取り扱いは全く異なります。さらに自衛隊の一般隊員は「拳銃」の訓練の機会はまずないそうです。ましてや元自衛官であれば取り扱いを忘れてしまっていてもおかしくはありません。
事件後公開された車載カメラの動画が捉えた島津慧大の銃の取り扱いを熟知した動きは、元自衛官としての素養のみでは不可能だというミリタリーマニアや専門家の意見が出ました。
ここでアメリカの警察が発表している実践中の拳銃での命中率をご紹介します。
距離23.5m~の命中率4%
距離23.5~13.5mの命中率8%
距離6.3m~13.5mの命中率9%
距離1.8m~6.3mの命中率17%
距離1.8m以内の命中率38%
出典
世界的に見ても日本の自衛隊は射撃の命中率が高いと言われていますが、実戦の機会は多いとは言えません。安全な日本でたった5弾の内の2発を命中させるのは普通ではないことなのです。
射撃に習熟しているような動きは元自衛官だからではないと指摘を受けている島津慧大ですが、元自衛官であることとの関係が薄いのであれば、その素養とは具体的にどのような事なのでしょうか。
元自衛官・島津慧大のミリタリー趣味
引用: Pixabay
シューティングテクニックと並んで愛好家や専門家の間で議題に上がったのが、ナイフを所持し、傷を負わせているのにもかかわらず、執拗に警部補の銃を狙い、奪った後にすべての銃弾を発砲しているという点です。
この点に「銃を撃ちたかった」「銃を触りたかった」という元自衛官。島津慧大の動機の可能性が指摘されています。
事件後、島津慧大の自宅を県警が捜索したところ、ナイフ数点、モデルガン、模造刀、軍用ベスト、ミリタリー関連の書籍が発見され、モデルガンは拳銃、ライフル、マシンガン等十数丁にのぼったということです。
レプリカのコレクションでは満足ができずに、先述の通り本物を触りたかったのではないかという動機があった可能性は否めません。島津慧大はミリタリーに憧れ実際に入隊したものの、実弾を撃つ機会は与えられず、その機会を元自衛官になった後でも望んていたのかもしれません。
実際に銃火器類や制服に憧れて自衛官に入隊するミリタリーマニアや、マニアを自称する元自衛官は多く存在します。
その習熟した拳銃の取り扱いや、身のこなしなどから、島津慧大は元自衛官という素養に加えて、サバイバルゲーム(サバゲー)の経験者だったのではないかという推測もされました。
ただ、サバイバルゲームはある程度の人数でプレイするものなので島津慧大が仮に素性を隠さずに参加をしていたのであれば証言が全く出ないのは不自然であると言えます。
また近年ではFPS(ファーストパーソン・シューター)という、コンピューターの仮想空間の中で自らが好きに武器を選び戦争に参加するゲームも流行しています。実戦の機会はなくても仮想空間などである程度のイメージトレーニングを積む等の機会は皆無ではありません。
しかしながら、ミリタリーマニアの間やサバゲー愛好者の多くは、殺傷力の高い武器を使うゲームだからこそ厳しいルールやフィールドの制限を厳守しますし、戦争や殺人に対して一般の人たちよりも高いリテラシーを持っている方が多いです。
ミリタリーマニアであれば「本物の銃を触ってみたい」は動機として成立する部分もあるのかもしれません。
ですが、どのような形で武器の取り扱いを習得したにせよ、またどのような動機があってにせよ、ルールどころか法に背いて実銃を手にし殺人に手を染めてしまった元自衛官・島津慧大はミリタリーマニアの尊厳を地に貶める行為をしたと言えます。
富山乱射事件の概要
引用: Pixabay
ここからは2018年6月26日当日の元自衛官・島津慧大の足取り、犯行から現在から第一回公判までの様子、動機について、より核心に迫っていきます。
元自衛官・島津慧大の当日の足取り
バイト先のKFCに出勤 ↓ 勤務態度を注意された店長に暴行 ↓ 制服を脱ぎ捨てて無断で退勤する ↓ 交番に到着し裏口のドアをノックする ↓ ドアを開けた交番の所長・警部補を所持していたナイフで数十か所刺す ↓ さらに警部補から銃を強奪 ↓ 交番を出て、小学校に向かう ↓ 銃とナイフを所持したまま小学校に乱入しようとする ↓ 校門の警備員に阻止される ↓ 小学校の警備員に発砲 ↓ 応援に駆け付けた警官にナイフで襲い掛かるも発砲を腹部に受け重傷を負う ↓
確保される
バイト先での犯行
引用: Pixabay
交番を強襲する一時間ほど前に、40代の店長に勤務態度を注意された元自衛官・島津慧大は激昂し、店長の顔や腹を殴り、肋骨を骨折させるなどの大けがを負わせています。
この日、島津慧大は家族へのラインで「バイトを辞める」と送っています。店長への明確な動機もまだ明らかにはなっていません。
奥田交番の襲撃
引用: Pixabay
元自衛官・島津慧大はまず裏口をノック、応対した警部補に襲いかかりあらかじめ用意していた刃物で数十回にわたって刺し、警部補の拳銃を奪いました。
警察官の拳銃は通常制服のベルトにワイヤーで繋がれており簡単には切れないようになっていますが、ワイヤー専用のカッター等で切断されていたとのことです。
その後交番から100メートルほど離れた奥田小学校に向かい、警備員に発砲。その直後に駆け付けた応援の警察官に刃物で襲い掛かろうとしたところを撃たれ、確保となりました。
警部補と一緒に勤務に当たっていた交番相談員が近所の美容院に助けを求め、美容院の店長が110番したとのことです。
犯行当時、島津容疑者は2本のナイフに斧、山刀、はさみと5本の刃物を所持しました。バイト先から奥田交番に向かうまでは1時間ほどの時間しかなく、どのように襲撃のための装備を用意したかもまだ不明のままで公判内容が気になるところです。
確保時の元自衛官・島津慧大
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確保時に応援に駆け付けた警官の銃弾が2発命中し、身動きが取れなくなったところを現行犯逮捕されています。命中した銃弾のうちの1つは腹部にから腰のあたりに留まったそうです。
これにより一時意識不明になった島津慧大は一度釈放され市内の病院で治療を受けました。
その後意識が回復し、容体が安定したため7月10日退院し再逮捕されました。この際に脊髄を損傷し歩行が困難になっているという事です。なにしろ銃を奪い二人を死に至らしめている凶悪犯です、応援に駆け付けた警官による相当な力技での逮捕劇があったことが予想されます。
2019年3月の初公判に向かう途中の島津慧大が車いすに乗って移動する姿が確認されています。
現在の事件現場
#あさチャン
これは衝撃的。富山県の元自衛官島津慧大容疑者が片膝をつき拳銃を発砲する映像が #JNN 独自入手 として報道されました。ドライブレコーダーで撮った映像とのことです。なぜこのような粗暴な人物に拳銃を扱わせたのか、自衛隊、最高指揮官小野寺防衛相、安倍内閣総理大臣。 pic.twitter.com/WScKyVi0lO— 日銀筆頭株主ロスチャイルド (@RothschildBoJ) June 27, 2018
元自衛官・島津慧大の犯行現場となった富山県中央署奥田交番には裏口があり、島津慧大はその裏口から侵入をしました。
周囲は飲食店や学習塾がならぶ地域で住宅街もあり、富山の片田舎とはいえ比較的人出のあるエリアだったようです。
事件のあった6月26日から5日後の2018年7月1日午前10時から、捜査のために設置されていたブルーシートや規制線を外した後に業務を再開しました。当初は警察官を4人に倍増し、パトカーとも連携を取りながら地域の安全確保に努めていました。
元自衛官・島津慧大の事件を教訓とし、再発防止の為にさすまたや防護装備を充実させたとのことでした。
2019年6月現在、奥田交番は交番建て替えのために取り壊しが始まっています。
事件後にこの奥田交番をめぐり、「地域住民や児童に不安を与えている」として地元自治会より富山中央警察署に建て替えの要望が出てたためです。新しい交番は来訪者用のカウンターを強化ガラスで仕切るなど、安全対策を強化したモデル交番として2019年秋に完成するそうです。
奥田小では一時期事件でショックを受けた子供たちのためにスクールカウンセラーも配備されました。事件の記憶が完全に消えませんが、本来の交番の役割である「地域を守ってくれる安心感」を奥田交番がまた取り戻す日は再び来ることでしょう。
元自衛官の凶弾に倒れた警官と警備員
引用: Pixabay
この事件で元自衛官・島津慧大に殺害された二人の被害者のうちの一人は奥田交番勤務の46歳の警部補です。昔には逮捕術の大会で所属チームを団体優勝に導いた立役者で屈強な警察官であったとのことです。
まだまだ働き盛りの年齢で父親と伴侶を失う家族の悲しみは想像に堪えません。高校2年生の長男は「お父さんを忘れないで」と気丈に振る舞い、周囲の涙を誘ったという事です。
もう一人の被害者である奥田小学校の警備にあたっていた68歳の警備員の男性は、普段から学校の警備を請け負っていた訳ではなく、その時偶然行われていた学校の耐震工事のために警備をしていたとのことです。
警備員の妻は元自衛官・島津慧大に対して「人生の全てをめちゃくちゃにされた。そんなことして何が満足なのか」と悲痛な思いを雑誌の取材記者に吐露しています。
お二人のご冥福と、ご家族の心の安らぎを願います。
公判の行方
引用: Pixabay
2019年3月11日に元自衛官・島津慧大の約4ヵ月間の鑑定留置が終了したと富山県警が明らかにしました。
鑑定医より刑事責任能力に問題がないと判断され、現在は強盗殺人罪の複数の罪で公判中です。
公判に至る前にの捜査で島津慧大は容疑をおおむね認めているそうです。
「強盗殺人罪」とは、奪っているうちに殺してしまった、ということではなく、動機はどうであれ殺意があったことを認めているという事になります。
日本の刑法において、強盗の上の殺人は動機や殺意の有無にかかわらず「無期懲役」もしくは「死刑」です。しかし精神鑑定の結果を弁護側が主張する事で罪状が変化することもあります。
ただ、島津慧大はすでに「刑事責任能力あり」と結果が出ており、本人も罪状をおおむね認めた上で公判に当たっていることと、「強盗殺人」のほかにも公務執行妨害、銃刀法違反、建造物侵入、バイト先店長への暴行罪などの罪に問われることも明らかです。
事前に周辺を下調べをした上で、襲撃するための武装もし、なおかつ二人殺害していることなどから、公判の結果は死刑になる可能性が高そうです。専門家も含め死刑が妥当という声も多いようですが、公判はまだ始まったばかりなので先行きは不透明です。
島津慧大の動機は?【富山乱射事件】
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ここまでで推測される元自衛官・島津慧大の動機を一度整理してみましょう。
動機1 実際の銃を触りたかった
動機2 実際の銃で人を撃ってみたかった
動機3 家族、特に父親から受けた抑圧的な教育に対するフラストレーション
動機4 自分を受け入れなかった社会に対する恨み
公判前の取り調べの際には「拳銃を奪う目的で警察官を殺害した」と認めています。
今後島津慧大が動機についてさらに言及をするとすれば、それは公判の中での事になります。
元自衛官・島津慧大は統合失調症?
引用: Pixabay
島津慧大のツイッターアカウントが一時期特定されました。
元自衛官であることの過剰なアピールであったり、精神疾患であることをほのめかすような書き込みが多く話題になりましたが、現在は「釣り」つまり、なりすましのアカウントであることが分かっています。
また島津慧大が統合失調症などの精神疾患であるという情報が流れていたようですが、現在のところ信ぴょう性のある情報とは言えなさそうです。
精神鑑定の結果「刑事責任能力あり」という判定も下されており、その上で現在も公判が進んでいます。
今後元自衛官・島津慧大に「脳の器質的な欠陥」のほかに「パーソナリティ障害」「アダルトチルドレン」「対人恐怖症」などのメンタルヘルス系の見立てが付く、あるいは公開されることはありますが、現在公判の中ではそのような情報は公開されていないようです。
とはいえ、公判中に精神鑑定の結果や、メンタル面での問題が取り上げられ罪状への申し立てがされるケースはよくあることなので、場合によっては公判の内容次第で精神鑑定の部分に再度見直される可能性は皆無とは言えません。
事件後、島津慧大の自宅住所が特定?【富山乱射事件】
引用: Pixabay
島津慧大の自宅の住所は富山県立山町末三賀とまで公開されています。
また公判前の家宅捜索の際に自宅の映像は各メディアでモザイクなしで公開されています。
自宅住所についてこれ以上の情報は公開されていないことと、ネット上でのリークも見つかりません。ただ自宅の住所を地図検索し写真で見てみると、畑が多く家があまり密集していないエリアにあることが分かります。時間さえかければ元自衛官・島津慧大の自宅の番地まで特定することは難しくはなさそうです。
また、自宅付近を地図で確認すると、犯行現場の奥田交番から元自衛官・島津慧大の自宅までは車で30分ほどかかります。そして奥田交番からバイト先のKFCがあるアピタ富山東店も車で10分ほどかかるのです。
なぜ島津慧大は自宅からもバイト先からも近くはない奥田交番を犯行現場に選んだのでしょうか。
謎に包まれた行動ですが、これらもいずれ公判の中で判明していくことでしょう。
島津慧大逮捕後の家族の末路は?【富山乱射事件】
引用: Pixabay
元自衛官・島津慧大には本人を除いて両親、姉、3人の家族がいます。
近隣の住民や、関係者の証言からわかる両親のイメージは伝わってきますが、両親の年齢、職業、また姉も「存在する」という事が判明しているだけですべてが不明です。
自宅住所が公開され、自宅も写真付きで公開されてなお家族の像が明らかになっていない状況からすると、既に自宅には住んでいない可能性が高いです。
現在はSNS界隈でネットリンチ(私刑)が横行しており、あながち「自業自得」だけでは済まされない行き過ぎた嫌がらせが社会問題となっています。そのため、仮に島津慧大の凶行の動機が家族にあったとしても、無関係の人々に自宅や職場を特定されて騒がれないというのは今の時代悪い事ではないと言えるでしょう。
家族間との関係やその後は公判の中で、あるいは時間の経過とともに明らかになる部分もあるかと思います。元自衛官でもある島津慧大の家族は、幼少期から現在公判中の島津慧大の姿をどのような思いで捉えているのでしょうか。
現状は島津慧大の家族の末路は、まさに家族とその親族、一部の友人知人関係者しか分かりえませんが、公判の結果も粛々と受け止め、家族としてなすべきことを全うされることを願うばかりです。
富山乱射事件の犯人、島津慧大
以上元自衛官・島津慧大の犯行の動機、家族、自宅から現在の公判の状況までを詳しく追って行きました。
第一回公判が2019年3月に始まったばかりで、今後も公判は続きます、日本は罪状が確定し刑が執行されるまで長い期間をかけて公判が行われます。その公判の中で新たに明らかになっていく動機、家族との関係が多くあることでしょう。
日本と国民の命を守る公務員の職務、元自衛官とはいえ罪もない人々を恐怖に陥れ、死に至らしめた罪は重く、どのような動機や理由があろうと許されることではありません。
犯した罪をしっかりと認識し、罪を償い残りの人生を送ってほしいものです。
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