見立真一の現在はフィリピンに潜伏中?伝説的サディズムエピソード紹介! | ToraTora[トラトラ] – Part 2

金七さん(@kin_shichi)がシェアした投稿 – 2015年 7月月29日午後6時29分PDT

見立真一とは関東連合元リーダー、そして主犯格といわれている「六本木クラブ襲撃事件」を繰り広げ、今現在は国際指名手配されています。

そして世間では、関東連合のリーダーとして見立真一の名は有名で、六本木クラブ襲撃事件が起こる前から日本では数々の事件や事故を引き起こす悪質な凶悪犯でした。さらに暴走族時代に遡ると、伝説的ともいわれる残虐性・カリスマ性があり例外がない伝説的サディズムとしても語られています。

関東連合といえば見立真一の喧嘩はもちろん、威嚇行為や抗争・威嚇行為・凌辱・拉致監禁などを中心に活動していた伝説のサディズムですから、六本木クラブ襲撃事件でもあのような世間や日本を脅かす信じがたい事件を引き起こしたと思われます。

そしてあの六本木クラブ襲撃事件から、関東連合見立真一は逃走・逃亡を図り潜伏生活をしながら今も過ごしています。フィリピンに身を潜め潜伏しているそうで、国際指名手配犯として日本の警察も全力で追っています。

そこで今回は関東連合元リーダーの見立真一の六本木クラブ襲撃事件の概要から、生い立ちや経歴など探ってみます。

関東連合見立真一が一体どこまで凶悪な犯罪者となったのか、伝説のサディズムと語られるエピソードから今現在のフィリピンに潜伏している話についてもご紹介していきたいと思います。

六本木クラブ襲撃事件の概要

関東連合元リーダー見立真一が主犯格だった「六本木クラブ襲撃事件」は2012年9月2日に起きた殺人事件です。

六本木にあるロアビルのクラブ「フラワー」が現場となり、来客できていた31歳の男性を金属バットで滅多撃ちにして殺害しました。

見立真一含む関東連合による10人ほどが、目だし帽姿で一人の男性を袋叩にしたという卑劣で悪質極まりない殺害方法でした。殺害された男性の他にも、一緒に来ていた友人にも被害が及び、殺害はされなかったものの軽傷を負わせられました。

男性の死因は頭蓋骨負傷による出血死・脳幹部負傷だったそうです。何故誰も気づかなかったのでしょうか。

それものはず、関東連合・見立真一によって起きた六本木クラブ襲撃事件の当時の現場では、音楽イベントが開催中だった為200〜300人がいたにも関わらず大音量だったのでほとんどの人が関東連合の見立真一らには気づかなかったようです。

そして殺害された男性らはVIPルームにいたこともあり、余計に襲撃するにはベストだったこともいえます。

しかしここで驚きなのは、関東連合見立真一たちは無言でバットで襲撃し、わずか1分足らずで殺害を実行しているのです。六本木クラブ襲撃事件を起こした後は、そのまま二台のワゴン車で東京・東大和市経由で埼玉県へと逃走しました。

これが関東連合・見立真一の起こした六本木クラブ襲撃事件となります。

しかしこの六本木クラブ襲撃事件の背後には、悲惨な真実が隠されていました。関東連合見立真一達と、他の不良グループとの対立の紛争で身勝手にも「人違い」で殺害された事件だったのが後になって分かります。

六本木クラブ襲撃事件によって殺害された男性や残された家族、そして世間からすればたまったもんでははい六本木クラブ襲撃事件となりました。関東連合が関与した伝説な事件の一つとなっています。

六本木クラブ襲撃事件という卑劣な凶悪犯罪に、これには世間も大きく動揺させられました。

そしてこの関東連合・見立真一がおこした六本木クラブ襲撃事件をきっかけに、新規定として「準暴力団」新設となったのです。六本木に「勢力図」の異変が起きたとされるのも、関東連合・見立真一の六本木クラブ襲撃事件の影響とされているそうです。

こちらの動画は、関東連合。見立真一含む六本木クラブ襲撃事件の当時の様子を顔画像公開されたものです。

見立真一の生い立ちと経歴【六本木クラブ襲撃事件】

六本木クラブ襲撃事件の主犯、フィリピンに潜伏か 懸賞金対象事件に指定さんから pic.twitter.com/v4ms3xR4vd

— 産経ニュース (@Sankei_news) 2015年7月17日

六本木クラブ襲撃事件を起こす前から凶悪犯罪者となった関東連合・見立真一ですが、一体なぜこのような悪に手を染めるようになったのでしょうか。その真相を見ていきたいと思います。

関東連合・見立真一は1979年の3月6日に静岡県沼津市で生まれています。決して裕福な家庭ではなかったようですね。しかし食べるに困るほどの貧困生活でもなかったようで、やや貧困気味だったというような家庭だったようです。

父親は一般的なタクシーの運転手をしており、六本木クラブ襲撃事件を起こすような、関東連合のような反社会的勢力とは無関係な仕事で暮らしていました。そして3つか4つ離れた姉がいたそうです。姉はとてもいい人だったといわれています。

家庭に何か問題があると、子供も半グレや暴走族に走りやすいと世間では言われていますが、関東連合・見立真一の場合は静岡県で穏やかな土地柄で育ち、家庭環境も悪くはなかったようです。

そして関東連合に族している人達にも、家庭環境や治安の悪いところで育った人は少なかったと言われています。

後に、関東連合・見立真一は家族と共に東京の杉並区に引っ越しをしてきます。しかし関東連合の主な活動エリアが杉並区や世田谷区になっており、それはそのエリアで暴走族が集まってできた団体とされているためです。

関東連合・見立真一はまさに、そこの関東連合の中心となるエリアで過ごしてきたので、六本木クラブ襲撃事件を起こすような凶悪犯になったきっかけかもしれません。

中学校の時の関東連合・見立真一は、明るくで成績の優秀な少年だったようです。

普通よりも優れていて、特に勉強をしなくとも元々できるタイプでした。それが中学の時に何かあったのか病み出し、猫を幹線道路に投げて殺したり、ナイフで切り刻んだりしてたそうなので、これが不良の道にいくっきかけになったのでしょうか。

関東連合・見立真一は頭がよく勉強もできるので、永福高校を受験して入学していました。しかしこの頃には伝説的なサディズムエピソードが次々と始まることになります。

凶悪でキチガイNo.1と言われるほど超有名だったそうで、ここで六本木クラブ襲撃事件のような伝説サディズムを繰りかえします。

関東連合・見立真一は殺傷事件や襲撃、徹底したヤキに植物人間製造機、抗争相手には一切容赦しないという凶悪な犯罪を様々犯していくこととなりました。

この頃には、永福町ブラックエンペラーと呼ばれるキチガイ揃いの仲間と暴れまくっていた為に永福高校をわずか2ヶ月にしてキチガイだという理由で強制大学になります。

しかし関東連合・見立真一の偏差値はこの頃には65〜70くらいあり、防衛本能と警戒心は異常に強かったようで、仲間にすら住所や携帯番号など一切教えない徹底ぶりだったようですね。

そしてこの頭の良さとキレる賢さからすでにリーダー的存在となっていて、敵対する暴走族やチーマーなどを虐待して遊んでいたそうです。

高校生というわずかな年齢で恐ろしすぎる伝説のサディズムエピソードがある訳ですから、六本木クラブ襲撃事件は関東連合・見立真一からしたらお手の物だったのでしょうね。

見立真一の伝説的サディズムエピソードがやばい?

路傍の石 : 関東連合 見立真一 を紐解く pic.twitter.com/HLud7zPOEu

— 空手家鉄真 (@tesshin9) 2015年8月1日

六本木クラブ襲撃事件に並び、学生時代から関東連合・見立真一のサディズムは相当なのもだったそうで、のちにこのサディズムが伝説と呼ばれることになります。

そこには関東連合・見立真一が起こした六本木クラブ襲撃事件以上に、残虐で凶悪で誰もが想像を超える伝説的なサディズムがありました。

では、六本木クラブ襲撃事件を踏まえた上で関東連合・見立真一の伝説のサディズムと呼ばれるまでになったエピソードをご紹介します。

【1】抗争相手を徹底的に痛みつける中学生時代

関東連合・見立真一が六本木クラブ襲撃事件を引き起こす予兆は、実はこの頃から始まっていたのではないでしょうか。

関東連合・見立真一は、タイマン最強伝説のあった井荻中学に通っている「のぶお君」と呼ばれる敵対する不良グループの一人にも伝説的なサディズムエピソードを起こしています。当時その少年は「杉並区の中学は全て制覇した」と雑誌で記載されていました。

当然、関東連合・見立真一はその発言を良く思うはずはなく、許すはずがありません。そこで関東連合・見立真一は標的の的をその少年に定めます。またその少年達も関東連合・見立真一達に挑発を繰り返していたそうです。

そしてある日、とうとうその少年をさらい2個も年下の永福のメンバーのタイマンで一方的にやられたという伝説があります。

さらに、関東連合・見立真一らは井荻中の彼らに全裸土下座の写真をとり、男同士の69もさせ写真を撮られたそうです。少年の相手は勃起してしまったという話もあります。

関東連合・見立真一のサディズムはこれでは満たされず、その写真を使ってバラさない代わりにお金を出せと恐喝。これには少年も裏についているヤクザのバックに頼みネガを返すように要求したそうです。

しかしこれを知った関東連合・見立真一らは徹底抗争することになり、少年の自宅に乗り込み、家や車をめちゃくちゃに破壊させたのです。そして少年の通っている井荻中学の校門や、校内に彼らの全裸土下座と男同士の69の写真を貼りつけバラまいたとして伝説を残しました。

ここでもう少年の「杉並の中学は全て制覇した」という不良生命はガタ落ちし、断たれることとなります。そこでようやく関東連合・見立真一のサディズムが一つ満たさたということになったのです。

この写真は当時、関東連合・見立真一が永福町ブラックエンペラーとして活動していた時のものです。

不良生命が断たれた少年はこの関東連合・見立真一や友好だった新宿のメデゥーサにさらわれボコボコにされたようです。

【2】残虐王子と呼ばれる

関東連合・見立真一は暴走族現役時代から、抗争相手や後輩など容赦ない伝説のサディズム行為で徹底的に暴行を加えることで名が通り「残虐王子」という異名を持つことになったそうです。

六本木クラブ襲撃事件でも残虐王子という名が再び呼ばれることになるとは誰もが想像していませんでした。

そして関東連合・見立真一のあまりにサディズムな行為というのが、包丁めった刺し/ナイフめった刺し/顔面金属バットフルスイング/爪と歯をペンチで全抜き/ヤキの人体実験/人間サッカー/人間射的/鼓膜破り/鉛筆エアガン目潰し/放火/火あぶり/アナル爆竹/釘刺し/殺人といった拷問の数々です。

これらの伝説といえる、同じ人間とは思えないサディズム行為が残虐王子と言われるようになった由来と知られています。

まさに六本木クラブ襲撃事件では殺害しているわけですから、この頃から関東連合・見立真一は相当な凶悪犯罪を犯していたわけになります。

そして、六本木クラブ襲撃事件の関係者でもあった瓜田純士には、学生時代の当時の関東連合・見立真一は12時間にもわたるヤキを入れ続けたそうです。想像しただけでも恐怖の影像です。

瓜田純士とは当時、関東連合・見立真一と仲がよく、家に集まって溜まっていたり、漫画を読みながら笑い合うような友人だったようです。

しかしある日、瓜田純士が関東連合・見立真一の陰口を言っていたことを知り、このような12時間にもわたるようなヤキを入れ続けたそうです。友達にも容赦しないサディズムな人だったことが分かります。

さらに家族の前では関東連合・見立真一はボコボコにして鼻鉛筆&単車で跳ね飛ばしたとされています。しまいには、彼女をさらって彼女の前でも公開処刑のようにさらにボコボコにし、全裸で土下座させたそうです。

関東連合・見立真一の伝説サディズムはこれではおさまらなく、夜には押しかけて金属バットやて鉄パイプで家を崩壊させたとしています。一度火がついたら自分を抑えられなくなる凶悪な犯行を重ねていました。

その他にも関東連合・見立真一は母親に灯油を掛けて殺人未遂を犯し、友人だった父親に暴行を加えて失明させるなど卑劣なサディズム行為もしていたのです。時には関東連合・見立真一の通う高校教師の家までも火をつけ放火していたそうです。

この頃には関東連合・見立真一は、中野ブロードウェイでスタンガンやスプレー等、ナイフという凶器を購入しており、最高に狂った伝説のサディズムとして有名だったようです。

当然、関東連合・見立真一にはお手上げ状態だった永福高校も、キチガイという理由で強制退学にしたとされています。

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ここでも大きな伝説的なサディズムエピソードをおこします。

それは関東連合・見立真一は、六本木クラブ襲撃事件でも当時31歳の男性を殺害していますが、実はこの五反田抗争でもすでに一人を殺害しているのです。なので正確には六本木クラブ襲撃事件では2回目の殺害となったわけです。

当時は、関東連合永福町22代目ブラックエンペラーの総長だった見立真一ですが、六本木クラブ襲撃事件に並ぶ、五反田抗争では狂走連盟側の一名を刺殺しました。それも伝説のサディズムといわれるようになった、めった刺しをして殺害したそうです。

この事件は「宇田川警備隊殺傷事件」として有名で、当時S52最強といわれた宇田警の「舟木君」という方が見届け人をしていました。そして関東連合・見立真一がタイマン勝負ということだったのですが、途中から一発勝負というなんともサディズムな考えからカンジの後輩が持っていた包丁を奪い刺したといいます。

この関東連合・見立真一の、当時キチガイな発想から、六本木クラブ襲撃事件で10人で乗り込みバットでボコボコにしたということもわかる気がしますね。

そしてこの関東連合・見立真一が起こした五反田抗争で、S51落合は「警察どうか勘弁してくれ」と佐野氏に言われ熱いやつだからと困っていたそうです。

しかし結局は事件になり、トップJと抗争していた時に関東連合・見立真一が乗り込んできた50人にたった一人で話をつけに行ったとされています。

この関東連合・見立真一が繰り広げた五反田抗争は、六本木クラブ襲撃事件に並ぶ大きな事件ともなりました。そしてこの襲撃は、昔の関東連合永福町ブラックエンペラーのOBの代を遥かに超える、伝説のサディズムエピソードの一つとして一気に有名になったわけです。

関東連合や見立真一の知名度はここで一気にあがることとなり、六本木クラブ襲撃事件で関東連合・見立真一が有名になったわけではありません。

そしてこの頃には、現役の関東連合・見立真一&柴田コンビは都内最凶キチガイコンビとしても知名度No.1だったそうです。

【4】日常的なレイプ魔だった

石元太一が見立真一が犯した過去のレイプ事件を語るpic.twitter.com/MhOgVMcx2x

— 北野三郎 (@haqeduwed) 2018年11月28日

関東連合・見立真一は六本木クラブ襲撃事件のように、抗争相手の男性を殺害するだけではなく、女性にも残虐な伝説的なサディズム行為を繰り替えしていたようです。

関東連合・見立真一はすでに六本木クラブ襲撃事件のように誰かまわずなんでも凶悪犯罪をおこす人だっと見れます。

関東連合内の誰もが驚いたとされているのが、関東連合・見立真一がまさかの過去に女性をレイプしていたことでした。六本木クラブ襲撃事件を境にこれを知っていた関東連合・見立真一の知人が暴露しているそうです。

関東連合・見立真一が当時考えていた以上に、関東連合内や後輩への衝撃は大きなものとなりました。六本木クラブ襲撃事件で仲間が逮捕されるまでは、関東連合・見立真一に対し誰もが、硬派でかっこいい先輩であり、食事に気を使いお酒は飲まない、トレーニングで体を鍛えるというイメージがあったそうです。

さらに、薬物に関しては、手をした人がいたら殴ってでもやめさせていたくらい関東連合・見立真一は薬物を毛嫌いしていたことが分かりました。レイプをしていたとは想像もつかないほど以外で驚きを隠せなかったと、六本木クラブ襲撃事件以来誰もが話していたみたいですね。

これもまた伝説的なサディズムエピソードになったのですが、誰も知らない裏では、関東連合・見立真一はナンパした女性や拉致してさらった女性を凌辱した上に、数回にもわたり輪姦していたそうです。

そして撮影をして写真を撮り脅すというとんでもないサディズムの持ち主でした。

そして関東連合・見立真一が5000万円かつあげした相手は、その人の目の前で彼女を複数人でレイプして凌辱していました。当然、強姦罪となり少年院送致されることとなります。

しかし何故、六本木クラブ襲撃事件が起きた後になって関東連合の仲間内がこの伝説と呼ばれるサディズムエピソードを知ったのでしょうか。関東連合・見立真一は少年院送致されているのにもかかわらず、知れていなかったのか疑問になります。

それは、六本木クラブ襲撃事件が起こり最初に面会に来てくれた先輩柴田大輔に尋ねて聞いた後輩がいます。その柴田大輔によると、関東連合・見立真一が少年院送致されてから、メンバー内では箝口令がしかれていたそうです。

それからは暗黙のルールとして誰一人として関東連合・見立真一の凶悪レイプ魔について語られることはなかったっということになります。六本木クラブ襲撃事件でようやく世間にも知ることができた、関東連合・見立真一の本当の顔となりました。

この凶悪レイプ魔については、本当の意味での伝説的なサディズムエピソードとなっています。

この写真は六本木クラブ襲撃事件が起こる前の見立真一の画像となります。

【5】絶対的な権力

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関東連合・見立真一には絶対的な権力が存在していたと言われています。

六本木クラブ襲撃事件でも首謀者として世間では有名ですが、この六本木クラブ襲撃事件にも絶対的な権力が働いていたとされます。

六本木クラブ襲撃事件について裁判官が、「同学年なのだからあなたが強く言えば何とかならなかったのか?」という問いがありました。しかし関東連合・見立真一はブラックエンペラーの総長で、関東連合の総長も務めているから、年なんて関係がなく圧倒的な上下関係が働いていたようです。

それもそのはず、伝説のサディズムをもつ関東連合・見立真一に逆らったりなんてしたら六本木クラブ襲撃事件がある前に自分の命に保証がありません。

六本木クラブ襲撃事件は、実際に著書を出している柴田大輔も関係者として関東連合・見立真一の六本木クラブ襲撃事件の計画を止めれなかったことを後悔しています。

そもそも、六本木クラブ襲撃事件の以前の問題に、関東連合・見立真一は90年代のチーマー全盛期に暴走族ならびに永福町ブラックエンペラーを完全復活させた伝説のリーダーだったことが大きようです。

本来のチーマーや暴走族と違って威嚇行為や抗争、殺人、拉致監禁などが主な活動内容として動いてたブラックエンペラーを関東連合・見立真一は徹底的にまとめていたのです。

一度は全員逮捕されて、解散した関東連合を復活させて伝説のサディズムエピソードを生んだリーダーですから、誰も逆らうことはできない徹底的な組織関係だったといえます。

そして今、六本木クラブ襲撃事件も伝説のサディズムエピソードとして関東連合・見立真一は世間に刻まれていることでしょう。

また、当時付き合っていたとされる関東連合・見立真一の彼女たちには共通点があります。付き合いだして1年もすると関東連合・見立真一の影響なのか、目つきが爬虫類のようになるそうです。

そして関東連合・見立真一の六本木クラブ襲撃事件のような卑劣で残虐な光景を見てきたからなのか、情がなく生きていないような何も感じない目つきになっていったと言われています。

関東連合・見立真一の影響力とは本当にすざましいもののようです。

見立真一の現在は?【六本木クラブ襲撃事件】

悲惨で残虐的で世間を驚かせた六本木クラブ襲撃事件。

六本木クラブ襲撃事件では唯一逮捕されていないのが関東連合・見立真一です。事件の背後は分かっているのに、いつまでも解決できない息の詰まった六本木クラブ襲撃事件となっています。

そんな六本木クラブ襲撃事件の首謀者であり、凶悪犯である関東連合・見立真一はフィリピンに逃亡し潜伏したとみられ現在は国際指名手配中です。現在も六本木クラブ襲撃事件から逃げ、フィリピンに潜伏しているのでしょうか?

六本木クラブ襲撃事件からの足取りをだどりながら、フィリピンの潜伏、そして今現在の最新情報を見ていきましょう。

【1】フィリピンへ逃亡

月刊実話ドキュメント 最終号より
六本木クラブ内殺人事件で指名手配、フィリピンに潜伏中の関東連合・見立真一には公的と私的と合わせて600万円の懸賞金。

公務員の月収が2万円と言われるフィリピンでは見立ハンターが登場。

しかし見立は密かにシンガポール国籍を手にし、マレーシアへ。 pic.twitter.com/Tasupluurz

— RK (@rk_rk_is_no1) 2017年5月21日

六本木クラブ襲撃事件から早何年が過ぎようとしています。

六本木クラブ襲撃事件に関与していたとされる、18人には逮捕状がおり2013年までには逮捕され現在も服役中です。

しかし残りの一名、六本木クラブ襲撃事件の主犯格の関東連合・見立真一は未だ捕まっておらず、六本木クラブ襲撃事件の後すぐにフィリピンに逃亡し潜伏しているとなっています。

しかし頭のキレる見立真一ですから、ずっとフィリピンに潜伏しているわけではなさそうです。

というのも、六本木クラブ襲撃事件から一番最初にフィリピンに逃げ潜伏しているものの、アジア数カ所行き来しながら潜伏していることが分かっています。中国を経由してフィリピンに入国しましたが、そのあとわずか5日くらで韓国に潜伏を図っています。

そこからというもの、しばらくは消息が途絶えていましたが、恐らくそのまま韓国に潜伏していたのではないでしょうか。そして落ち着いた頃にインドネシアから再びフィリピンに戻り潜伏拠点をフィリピンにしていることが分かりました。

韓国からインドネシアの期間の潜伏先の消息は途絶えてるものの、最終的にはフィリピンに潜伏していることから、何か知り合いや伝手があるのでしょうか。

ただここからまた見立真一は消息を立ちますが、記録からフィリピンに現在もそのまま潜伏していると見られています。

しかし、一部ではフィリピンの潜伏から消息を立ったことから、国内へ戻ってきたのではないかという噂もあります。頭のキレる見立真一ですから、わざわざ自分の起こした六本木クラブ襲撃事件のある日本へのこのことは戻ってこないでしょう。

なんたって六本木クラブ襲撃事件で国際指名手配中ですから。

見立真一の最新情報としては、フィリピンに今現在の潜伏しているということですね。

六本木クラブ襲撃事件からフィリピンに潜伏して逃亡していますが、画像にあるように、見立真一には600万円の懸賞金がかけられています。

【2】資金と裏ルート

ここで疑問なのが、見立真一の六本木クラブ襲撃事件があってフィリピンに逃亡・潜伏するのにあたってどのように資金を調達し、アジアを転々とできるのかということです。

六本木クラブ襲撃事件から一度フィリピンに逃亡するのは簡単ですが、指名手配されてからアジアを転々と潜伏するには限界があります。

実は見立真一には裏でサポートしている人物が現在もいると思われています。情報によると、見立真一は関東連合の交流のあるOB男性とセブ島を訪れていた時があったそうなのです。

そしてこのOB男性は正業に成功している人物らしく、裏でフィリピンへの逃亡や潜伏の後ろ盾をしていると思われています。

そしてこの人物は多額の資金や海外資産を持っているとみられ、資金調達はこのOB男性から今現在も流れているとみられます。さらには、フィリピンに何度か見立真一は訪れていたことが分かっていて、現地にも潜伏や逃亡を手助けする裏の人物も存在している可能性があります。

そのため、見立真一や謎のOB男性も多額の資金を持っているため、フィリピンに潜伏するにもアジアを転々とするのにも困っていないことになります。

そして、にわかに信じがたい出来事もフィリピンの潜伏先でありました。

それは、見立真一が六本木クラブ襲撃事件の関係者であった柴田大輔が、六本木クラブ襲撃事件で自首した2名の支援者となったことで、見立真一と対立したわけです。

見立真一は六本木クラブ襲撃事件の一件でシビアになっているのか大激怒。それも六本木クラブ襲撃事件は見立真一が首謀者だったために、「関東連合の裏切りもの」として日本にいる仲間にフィリピンの潜伏先から指示を出していたとされます。

六本木クラブ襲撃事件があって国際指名手配中だというのに、「柴田を殺せ。家族もオンナも皆殺しだ」と潜伏先のフィリピンから命令を下したわけですが、六本木クラブ襲撃事件から、関東連合もほぼ解体されていますから、これには誰も手を下さなかったとみえます。

しかし、遠い海外であるフィリピンの潜伏先から命令を日本に出せるわけですから、連絡ルートや資金があることなどからフィリピンに間違いなく人脈がある信憑性は高くなっていますね。確実に裏のルートがあるでしょう。

もしかしたら六本木クラブ襲撃事件のその後の細かい詳細や、自分の置かれている状況を確認できているのかもしれません。

【3】市民権を取得している可能性

六本木クラブ撲殺事件の容疑者、見立真一も5年前にフィリピンに入国して以来、行方が分からない。一時期、マニラにいるんじゃないかと噂されていたけど、見立も資金が続く限りは捕まらないだろう。自転車で逃亡した樋田容疑者は最後に困窮したから、やっぱり金が物をいう。これぞ「逃亡犯格差」。

— 水谷竹秀 (@takehide1975) 2018年10月18日

六本木クラブ襲撃事件からフィリピンに逃亡し潜伏している可能性が一番有力で高いとされていますが、実はこの潜伏先であるフィリピンに市民権を取得しているのではないかと言われて現在は捜査されています。

なぜなら、フィリピンには見立真一を裏でサポートしている人物がいる可能性が極めて高いわけで、フィリピンでの市民権を取得するのも難しはないことが言えるからです。

さらにフィリピンでは、手数料さえ払えば市民権の取得はそこまで難しい手続きではないとされています。

見立真一は資金には困っていないようなので、裏ルートの人脈さえ使えば簡単に市民権を得られます。もっと言えば、現地のフィリピンの人を買収して別人になることも可能なのです。

というのも、六本木クラブ襲撃事件で国際指名手配中ですから、仮にも名前がバレたらフィリピンにも入られなくなります。しかし、フィリピン人を買収すれば親族に仕立てあげることも簡単にでき、フィリピン人としての名前に改名もできます。

そうすることで、見立真一とは全く別人になって生活することが可能になり、六本木クラブ襲撃事件の指名手配犯でもなくなるわけです。

ここまで潜伏している見立真一ですから、六本木クラブ襲撃事件の凶悪犯にならずに済むのですから、とっくに現在は市民権を取得して別人として生きている可能性は十分に高いです。

そうなると、潜伏していた六本木クラブ襲撃事件の凶悪犯は、フィリピン人として偽った出生証明書を発行してフィリピンで潜伏しているなら警察の捜査はより難しく逮捕出来ずに、最悪は六本木クラブ襲撃事件を解決出来ない可能性も十分にでてくるということになります。

【4】日本一時帰国していた

六本木襲撃、国際手配の「関東連合」OB情報に懸賞金 #Yahooニュース ※ 寺社に油事件の金山昌秀容疑者もフィリピンに潜伏中?もっとも、見立真一については日本国内潜伏説もあるようだが。

— sole-luna (@SSKCKMDTK) 2015年7月11日

実は六本木クラブ襲撃事件から逃亡していた見立真一が一度日本に帰国していた情報があります。

それは、宮崎県の港にタイから1隻の船が到着していたそうです。そしてその船は税関を通ることなく上陸していたといわれています。

そこに乗っていたのが、六本木クラブ襲撃事件の指名手配犯である見立真一ということが分かったそうです。フィリピンに逃亡していていますが、一度タイ経由で極秘に日本に一時帰国したんだそうです。

帰国したとされる理由は「お金を取りに来た・色々集金しないといけない」ということでした。恐らく1千万〜2千万くらいを作りにきたと思われていました。日本に潜伏中は福島県のいわき市にいたそうで、そこでは偽装パスポートの手配をするためだったとわかっています。

これは、千葉のホテルでばったり合った見立真一の知人が直接会話をして見立真一本人から聞いた話だそうです。

その時見立真一に同行していた女性がいたらしく、六本木クラブ襲撃事件の起きた六本木のキャバクラで働いているMちゃんという人物だったと言われています。

彼女とは新宿にある高級ホテルや、八王子の駅前のホテル、宮崎に旅行に行ったりと日本を満喫していたらしいですね。

六本木クラブ襲撃事件の時とは、見た目はガラっと変わっていたそうで長めの髪にあご髭っだったそうです。帽子とマスクはしっかりして六本木クラブ襲撃事件の犯人と分からないように変装していたと言われています。

しかし現在も六本木クラブ襲撃事件の、指名手配の写真と同じガッチリした体型だけは変わらなかったようです。

実際に見立真一が、日本に一時帰国したという情報は警察の掴んでいたとのことです。しかし今現在の消息や居場所はわかっていないそうです。

だだ、見立真一の知人には密入国の手配と偽造パスポートの作成、再度出国できるようにの手配も細かく頼んでいたようで、六本木クラブ襲撃事件の指名手配でやはり日本にはいれないと判断し再びフィリピンに潜伏している可能性が高いといえます。

【5】見立真一の死亡説

あまりに六本木クラブ襲撃事件からの逃亡で確実な居場所や消息が掴めないことから、「すでに死んでいるのではないか」という噂の一部ではあるようです。

この動画のように、六本木クラブ襲撃事件から様々な潜伏先の可能性がある中足取りが全く掴めていないのが現状です。このことから死亡しているから見つからないという声も実際に数多くあるようです。

しかし六本木クラブ襲撃事件の指名手配犯ですので、見つからないように生活していくには、今現在最も有力とされているフィリピンで全く別人として生きている可能性が高いと警察も踏んでいるようです。

なので六本木クラブ襲撃事件以降から、足取りが掴めていないのはそういった可能性の方が高いとされているので、死亡説はなさそうですね。

恐らくは、フィリピンに影響力を持って影で糸をひく支援組織や、日本でも資金を取りに来ているようなので十分な逃亡資金はすでに確保させていることでしょう。

見立真一のその後【六本木クラブ襲撃事件】

ひとりの夜にわざと怖いものを観たり読んだりするのが好きなんだけど、今日は見立真一のこと詳しく調べて怯えて遊んでる pic.twitter.com/rvCO61766f

— xray (@f_mri) 2016年11月2日

今回は六本木クラブ襲撃事件の概要から、六本木クラブ襲撃事件の凶悪犯・現在国際指名手配中の見立真一についてご紹介しました。

見立真一が主犯格となっておこした六本木クラブ襲撃事件の悲惨な出来事や残虐で凶悪な殺害事件だったことが改めて分かりましたね。

その首謀者だった見立真一の昔から伝説的なサディズムエピソードには同じ人間として、世間も大変驚きが隠せない信じがたい見立真一の過去の凶悪犯罪がありました。

今となっては六本木クラブ襲撃事件によって、権力構造や組織の破壊になりましたが、見立真一の恐ろしい残虐性やサディズムエピソードがあったことは深くまでは世間で知られることはありませんでした。

関東連合のリーダーだった見立真一が、六本木クラブ襲撃事件に至るまで登り詰めた最も恐ろしい伝説のサディズムエピソードが今回のような日本に悲惨な事件を生むこととなりました。

今現在はフィリピンに逃亡し潜伏している見立真一が、逮捕される日はくるのでしょうか。六本木クラブ襲撃事件に早く幕が下りることを願うばかりです。

しかし、すでに別人として生きているならば、見立真一の消息を掴むのはかなり難しいものとなります。このまま逮捕ができなければ、またひとつ六本木クラブ襲撃事件が見立真一の伝説となることでしょう。

ですが、いくら別人になろうと一生逃亡生活をしていくには限界があります。六本木クラブ襲撃事件の凶悪犯として、一生逃げ切れるなんてそんな甘くはないので、いずれは必ず捕まることになるでしょう。

六本木襲撃事件の被害者や家族の為にも一刻の早い逮捕と、これまでの見立真一のしてきた罪の重さ相応の刑罰を受ける事を心から願います。

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