松本知子の生い立ち・経歴!麻原彰晃との子供の現在は? | ToraTora[トラトラ]

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「地下鉄サリン事件」や「松本サリン事件」「薬剤師リンチ殺人事件」など、多くの人を恐怖に陥れた数々の大事件を起こした”オウム真理教”。まだ記憶に残っているという方も多いのではないでしょうか?

そのオウム真理教のトップで事件を首謀したのが、教祖と言われていた麻原彰晃こと松本智津夫。そしてその麻原彰晃の妻で同じくオウム真理教の一員となっていたのが”松本知子”になります。

松本知子自身もオウム真理教に強く入信をしていて、サリン事件の前に起きた薬剤師リンチ事件にも深く関わったとして逮捕されたりと、なにかと話題になっていた人物だったのですが

昨年2018年7月6日に麻原彰晃の死刑が執行されたことで、「妻は現在どうしているんだ?」と世間からまた大きな注目を浴びるようになったのです。現在は「松本明香里」という名前に改名をして暮らしているようですが…

また麻原彰晃と松本知子の間には子供が6人もいて、その子供の情報・現在の様子も同じく注目されるようになったんですね。

そこで今回はこの記事でもそんな松本知子(現・松本明香里)とその子供6人に注目をして、これまでの経歴や現在の状況など、世間の皆さんが気になっている様々な情報を詳しくご紹介させていただきます。

松本知子(松本明香里)がどこで麻原彰晃に出会い、どうしてオウム真理教に入り、なぜ薬剤師リンチ殺人事件にも関わってしまったのか……最後までしっかり読んでいただければそういった様々なこともよく分かるはずです。

ということで、まずは早速松本知子(松本明香里)の生い立ち・経歴などから詳しく見ていきましょう。

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麻原彰晃の性的ハーレム儀式の概要!愛人ダーキニーと子作り放題?

【01】松本知子と麻原彰晃の出会い

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松本知子は1958年8月17日に千葉県木更津市で生まれ、その後もずっと木更津市で育ってきました。

松本知子の家は祖母も両親も教師をしていたという厳格な教師一家の家庭だったため相当厳しく育てられたようで、松本知子自身も真面目で優秀な女学生へと成長していきます。中学では生徒会の副会長も務め、高校は進学校である千葉県立木更津高校へと進学も果たします。

しかし高校3年生の頃、松本知子は大学受験に失敗。その後浪人生となり、代々木ゼミナールに通うようになるのですが……この代々木ゼミナールであのオウム真理教教祖の麻原彰晃との出会うことになるのです。

当時は麻原彰晃も代々木ゼミナールに通っていて、松本知子とは隣の席同士だった上に通学の電車も一緒だったりと接点が多い関係だったのです。

そのため2人は話す機会なども多くなり友人として一気に距離を縮めるようになっていくんですね。

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そうして友人として親しくなった松本知子と麻原彰晃でしたが、そのうち麻原彰晃の方が松本知子に恋心を抱き強く惹かれるようになり、「結婚は前世からの約束だった」などという風に強烈なアプローチもするようになります。

そんなアプローチに対して最初は乗り気でなく冷たくはねのけたりしていた松本知子。

しかし何度も何度も熱烈に口説いてくる麻原彰晃に対し段々と根負けするようになってしまい、結局最終的には交際を承諾するように。こうして2人は恋人同士として付き合うようになるのです。

そして最初は乗り気でなかった松本知子もいざ交際を始めてみればどんどん麻原彰晃へ固執するようになっていき、2人は次第に関係を深めるようになっていきます。

そして1978年にはまだ結婚前だったのになんと第一子となる長女を妊娠。結局松本知子は麻原彰晃と子供のために大学進学を諦め、麻原彰晃と結婚する道を選んでしまうのです。

厳格な松本知子の両親はもちろん結婚を反対したそうですが、2人はその反対を押し切り無理矢理結婚をしてしまいます。こうして松本知子は麻原彰晃によって少しずつ人生を狂わされ始めるようになってしまったんですね。

【03】結婚後の生活

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そうして周囲の反対を押し切り強引に入籍をし、麻原彰晃との結婚生活をスタートさせた松本知子。

しかし結婚後の生活は決して順風満帆とはいかなかったようです。

というのも結婚後松本知子は麻原彰晃が開いた鍼灸院や漢方薬局・ヨガ教室などの経営をしながら生活するようになるのですが、長女を出産後しばらくして次女・三女も生まれ家族が5人になったことで、生活はかなり貧しく厳しいものとなってしまうのです。

さらにこの頃から麻原彰晃は次第に宗教に傾倒していくようになり、家に帰らない日も多くなってきます。

そんな生活のせいで松本知子は孤独感・不安・怒りといった多大なストレスをどんどん受けるようになっていきます。そしてついには対人恐怖症・外出恐怖症・脅迫精神症という様々な神経症を発症するようになり、精神バランスも次第に崩れるようになってしまうのです。

精神的に病んでしまった松本知子は娘3人の面倒もまともに見ず、麻原彰晃に対してもかなりヒステリックに怒鳴り散らすなどして、度々家出をすることなども多くなっていったようです。

結局麻原彰晃への思いが強く離れることができないので、家出をしてもすぐに戻ってきていたようですが…

もしかすると松本知子はこうして精神的に不安定になってしまったことでまともな判断などができなくなってしまい、後にオウム真理教に入信してしまったり事件に関与してしまったりと、間違った選択をすることが多くなってしまったのかもしれませんね。

【04】ついにオウム真理教が誕生

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懲りずに朝生のオウムvs幸福回の話。

途中でオウム側のパネラーが、(あまり喋れていない村井と交代で)麻原嫁の松本知子に代わるんですけど、何の前触れもなく、しかもホーリーネームで出てくるんですよね。
視聴者は「…誰?…正大使って何?…ヤソーダラーって何だ?」と絶対困惑したと思うんです。 pic.twitter.com/nomYIBZPHX

— Nuruhachi (@nuruhati1124) January 4, 2019

そんな結婚生活の中、麻原彰晃も少しずつオウム真理教発足に向けて動き出すようになっていきます。

先程もお話したように、結婚後しばらくして麻原彰晃は宗教に傾倒するようになっていき、家にもまともに帰らない日が多くなっていきます。

1983年には鳳凰慶林館という超能力道場も渋谷に開設。この頃から本名の松本智津夫ではなく麻原彰晃という名を名乗るようになっていきます。さらにその後自身のヨガ道場を「オウムの会」という名称に変え、宗教団体「オウム神仙の会」に発展させるようになるのです。

そして1987年、麻原彰晃が32歳の時、この「オウム神仙の会」は「オウム真理教」へと改称されるようになります。ついにこの時「オウム真理教」が誕生したわけです。

もちろん麻原彰晃は自分の妻である松本知子もオウム真理教の一員に加え、オウム真理教内で事実上NO.2となる重大なポストを与えます。後に自身の子供6人も全員オウム真理教に加えるようになるのです。

当然松本知子自身もこれに承諾をし、以降麻原彰晃をオウム真理教内でもサポートするようになっていくわけなんですね。

ちなみにオウム真理教入団後、松本知子には「マハーマーヤ」というホーリーネームが付けられるようになりました。(後に「ヤソーダラー」に変更)

【05】薬剤師リンチ殺人事件

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こうしてオウム真理教に入団しその後数年夫・麻原彰晃を献身的に支え続けた松本知子ですが、やはりそんな生活で幸せになれるはずもなく…ついにある恐ろしい事件が起こり、それにより松本知子の人生は一気に転落へと向かうようになってしまいます。

それがサリン事件の起こる前、1994年に発生した「薬剤師リンチ殺人事件」です。

薬剤師リンチ殺人事件は、元オウム真理教信者だった薬剤師の男性がオウム真理教の富士山総本部で治療を受けていた女性を女性の息子や親族と共に教団から救出しようと試みるも失敗し、麻原彰晃らの指示によりその女性の息子達によって殺害されてしまった、という実に卑劣で恐ろしい事件になります。

松本知子が直接この薬剤師リンチ殺人事件を起こしたとか首謀者というわけではないのですが、当時松本知子もこの事件のポア(殺害)決定会議なるものに参加したなど、事件に大きく関与したという風に考えられたんですね。

そしてその後裁判ではオウム真理教の幹部達が松本知子が薬剤師リンチ殺人事件の際会議に参加し殺害を容認したという主張をしたことによって、松本知子が実際に薬剤師リンチ殺人事件に関与していたということが明らかに。

とうとう松本知子は薬剤師リンチ殺人事件の罪で1995年に逮捕・起訴され、懲役6年という判決を受けることになってしまったのです。

麻原彰晃をひたすらに信じ付いてきて、オウム真理教にまで入団した結果、こんな最悪な転落人生を迎えることになってしまったんですね。

【06】その後2002年に出所 夫・麻原彰晃は死刑に

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ちなみにその後松本知子は和歌山刑務所にて約6年間の服役をし、薬剤師リンチ殺人事件の罪をしっかりと償い、2002年10月15日に出所をしました。

冒頭でもお話したように出所後は松本知子から「松本明香里」という名に改名。改名後はとりあえず次女・三女と暮らし始めたようです。

一方麻原彰晃も1995年に地下鉄サリン事件の首謀者として逮捕されたのですが、逮捕後薬剤師リンチ殺人事件をはじめとする他の17の事件への関与も発覚するようになり、2004年2月27日に死刑判決が言い渡されることになりました。

そしてご存知の方も多いかと思いますが…昨年2018年7月6日についに死刑が執行。

その麻原彰晃の死刑執行によって「妻は現在何をしているんだ」「どういう心境なんだ」という風に松本知子(松本明香里)に再び注目も集まるようになったんです。

その肝心の松本知子(松本明香里)の改名後から現在にいたるまでの状況についてはまた後ほどご紹介させていただくので、ぜひそちらも読んでいただければと思います。

とにかく松本知子(松本明香里)の人生は麻原彰晃に出会ってから一気に狂わされるようになり、こんな最悪な結果になってしまったというわけですね。

松本知子と麻原彰晃の関係は?

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改めて松本知子と麻原彰晃の関係についてまとめさせていただくと…2人は夫婦であり、オウム真理教内でも教祖・それを支えるNO.2の存在という、真のパートナーと言える関係でした。

特に松本知子の方は交際、そして結婚を経て麻原彰晃と一緒にいるうちにどんどん固執するようになっていったので、麻原彰晃への思いも本当に強かったのだと思われます。

結婚後は精神的に不安定になり夫婦喧嘩や家出が多くなったものの、結局は別れることができずにいつも麻原彰晃の元へと戻っていたわけですしね。

ただ…実は麻原彰晃の方は松本知子に対して本当に愛情を持っていたのか?ただ利用していただけではなかったのか?と疑問に思ってしまうようなところが多々見られます。

まず麻原彰晃には正妻である松本知子以外に、複数の愛人がオウム真理教内にいました。オウム真理教の教祖という立場を利用してなんと100人以上もの女性と肉体関係を持っていたのです。

しかもその他の女性達との間にも合計9人もの子供をもうけていたんです。

また先程ご紹介した薬剤師リンチ殺人事件のお話ですが、実はこの事件も松本知子はそこまで深く関与をしていなかったのに、麻原彰晃とオウム真理教幹部達の証言によって事実を捻じ曲げられ、そのせいで逮捕をされてしまった可能性があるのです。

先程もお話したように薬剤師リンチ殺人事件の際はポア(殺害)決定会議なるものが開かれ、松本知子もその会議に参加し殺害を容認する発言をした、という風に当初は考えられていたのですが

後々調べてみたところそれはオウム真理教の幹部達が松本知子に疑いを向けさせるためについた嘘で、実は松本知子はこの会議にすら参加をしておらず殺害も容認していなかった、という話も浮上するようになってきたのです。

噂では、麻原彰晃が自身の権力を松本知子に見せつけ恐怖心でコントロールするためにそうしたのではないか、という話も。結局真実は明らかにはならず、松本知子は薬剤師リンチ殺人事件に関与したということで懲役6年の判決を受けることになってしまったのですが……

とにかくこのように麻原彰晃は松本知子に対して「本当に愛していたのか?」と思えてしまうような疑わしい行動を多々とっていたわけです。

そして夫婦として、オウム真理教の仲間として、本当にいいパートナーだったのか?と2人の関係性も実に怪しいものに思えてくるわけです。

もし麻原彰晃に利用されただけだったとしたら、松本知子はただただ麻原彰晃にいいように使われ人生を狂わされただけということになりますしね。

だとしたらなんとも残酷な話です。

松本知子と麻原彰晃の子供まとめ

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アーチャリー松本麗華が 本で家族(父の松本智津夫&母の松本知子と

その長女・次女・四女・長男・次男)pic.twitter.com/3UH8qqMiYG

— アプリ紹介コレクション (@EdithPummell) March 22, 2015

そんなパートナーとしての関係性が少し怪しくなってきた松本知子と麻原彰晃ですが、2人にはなんと6人もの子供がいます。

先程松本知子の生い立ち・経歴のところでもお話したように、まずは結婚前に長女を妊娠・出産し、そしてその後結婚した後に次女・三女と続けて出産したわけですが、オウム真理教発足後にも四女を出産。さらにその後長男・次男も産まれ、結局4女2男という6人もの子供をもうけることになったんです。

しかも麻原彰晃はこの6人の子供全員もオウム真理教へ入団させ、松本知子同様高いポストを与えたのです。

ただ1995年に両親が共に逮捕されたことによって色々状況なども変わり、この子供達も様々な苦労をすることになったようですが……

では簡単にですが、その6人の子供達の情報・これまでの状況などもご紹介してきましょう。

長女:松本美和 オウム真理教内でのホーリーネームはドゥルガー。母親である松本知子に毛嫌いされていたため、長女でありながらオウム真理教では低いポストに就いていました。

ちなみに両親逮捕後数年してから長女自身も2度逮捕されています。1度目は交通事故を起こした際にナイフを持って車内に立てこもったため。2度目はスーパーで万引きをしたためだそうです。

次女:松本宇未 オウム真理教内でのホーリーネームはカーリー。オウム真理教でのポストは不明ですが、麻原彰晃からは「カーリーちゃん」と呼ばれ可愛がられていたようです。

ちなみに次女も長女同様、2000年に1度逮捕をされています。オウム真理教に不信感を抱き自身の弟である麻原彰晃の長男を教団施設から連れ出そうとしたのですが失敗。その後逮捕され保護観察処分となりました。

三女:松本麗華 オウム真理教内でのホーリーネームはアーチャリー。オウム真理教での地位はかなり高く、母親である松本知子と同じ教団内トップ2になっていました。

両親が逮捕された後は麻原彰晃の娘だからという理由で大学から2回入学拒否をされたり、アルバイトを首になったりと色々辛い経験もされたようです。

四女:松本聡香 オウム真理教内でのホーリーネームは不明。また松本聡香という名前も仮名で、本名は不明のままになっています。

オウム真理教でのポストは兄妹内で最も高く、松本知子や三女よりも上の地位になっていました。が、両親の逮捕後は家族やオウム真理教に対し激しく嫌悪感を抱くようになります。

自分が麻原彰晃の娘ということにも嫌気がさし、自殺未遂も繰り返していたそうです。

長男:本名不明 麻原彰晃の初の男児ということでオウム真理教内では皇子・猊下という後継者を表す称号を与えられていました。

両親の逮捕後は教団施設から離れたところで生活するようになり、学校に通うこともできたりと、兄妹の中では1番まともに社会生活を送ることができていたようです。成人してからは教団活動に無断で名前と写真を使われたりしたことに対して訴訟を起こしたりもしています。

残念ながら敗訴となってしまったようですが。

次男:本名不明 長男と同じく、オウム真理教内では皇子・猊下という称号を与えられていました。

両親逮捕後は他の兄妹同様、学校にまともに通うことがなかなかできなかったようで。小学校卒業後は春日部共栄中学校にも1度合格しましたが、麻原彰晃の息子ということで入学を拒否されてしまったようです。

松本知子(現・松本明香里)と子供の現在は?

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そうして麻原彰晃によってオウム真理教に巻き込まれ様々な辛い経験もするようになり、人生を台無しにされてしまった松本知子とその子供達。

そんな彼女達は現在は一体どうしているのでしょうか?そこが1番気になってくるところですよね。

まず松本知子についてですがこれまでお話してきたとおり、彼女は薬剤師リンチ殺人事件の罪で6年服役した後、2002年10月15日に出所をしました。出所後はすぐに松本知子から「松本明香里」という名前に改名をし、現在もその改名後の名前のまま暮らしています。

松本知子(松本明香里)は改名後はしばらくはとりあえず次女・三女と暮らしていたようですが、最近は茨城に移住して次男と一緒に生活していたという情報も入っています。

出所後はオウム真理教との関係も薄くなったと言われていましたが、実は生活費の提供を受けていたり運営について文書のやり取りをしていたりとまだ接点があるようで…松本知子(松本明香里)は現在でもまだオウム真理教との関わりが深いのでは?と囁かれるようにもなっています。

また6人の子供たちの現在については詳しい情報が分かっている人と分かっていない人とがいるのですが…先程もいったとおりとりあえず次男は最近まで松本知子(松本明香里)と共に生活をしていたようで(現在は謎なのですが)、家族の中では松本知子(松本明香里)と現在最も近い関係にあるようです。

逆に松本知子(松本明香里)や兄妹達と現在最も遠い関係にあるのは長女と四女のようですね。この2人は現在はそれぞれ1人で生活をしていて、家族やオウム真理教とは一切関わりを持っていないとのことです。

ただ四女は「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか: 地下鉄サリン事件から15年目の告白」という本を出版していて、麻原彰晃の娘・オウム真理教の一員として育った苦悩や社会からの迫害などを書籍の中で洗いざらい告白しているんですよ。

また次女と三女にいたっては近年積極的に姿を見せるようになっていて、実名・顔出しでTVなどのメディアに出演をしたりSNSで情報を発信したりしています。

三女は先程の四女同様、「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記」という本を出版し、麻原彰晃やオウム真理教の実態について語っていたりもしています。

お話したようにこの2人も出所後しばらく松本知子(松本明香里)と暮らしていたようですし、もしかしたら現在も松本知子(松本明香里)との交流があるのではないでしょうか。

人生を狂わされた松本知子

私も…盲学校で片目が見えた麻原は、全盲の同級生たちに強く出ていたらしく、恐喝などで卒業までに300万円を貯めたそうです。
さっきのツイートはどちらも愛人の石井久子です!本妻 松本知子はこの人ですね…どちらにしてもロングヘア。 pic.twitter.com/erR7xsjS20

— 人間のマカロン (@macarronneko) July 7, 2018

今回は松本知子(松本明香里)の生い立ちや近況、また松本知子(松本明香里)と麻原彰晃の子供達についてご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?

これまで松本知子(松本明香里)に対して「麻原彰晃の妻」「オウム真理教の一員」「薬剤師リンチ殺人事件に関与した人物」というようなイメージばかりしか持っていなかったという方も多かったかもしれませんが…色々な事情を知ったことで少しそのイメージが変わったりもしたのではないでしょうか?

結局松本知子(松本明香里)も麻原彰晃によって人生を狂わされてしまったというわけですね。もちろん松本知子(松本明香里)自身はとても麻原彰晃のことを思っていたわけですし、オウム真理教で共に色々活動もしたわけですから、100%悪くないとは言えません。

きちんと罪も背負っていくべきです。

ただ……もしも代々木ゼミナールで麻原彰晃に出会っていなかったら。麻原彰晃の交際を頑なに断っていたら。結婚後目を覚まして離婚を決意していたら。もう少しまともで幸せな人生を歩めたのではないでしょうか。

もちろん子供達の人生も、事件の被害者など多くの人の人生だって変わっていたかもしれませんよね。

オウム真理教は完全になくなったわけではありませんし、松本知子(松本明香里)が改名したまでした今でもまだ関わりがあるのではと囁かれてもいますし、今後オウム真理教と松本知子(松本明香里)、そして子供達の動向はまだまだ気になってくるところです。

また度々話題になることもあるかもしれないので、皆さんもぜひ注目するようにしてみてください。

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