日生学園第二高等学校の現在&出身有名人まとめ!スパルタ指導日本一! | ToraTora[トラトラ]

みなさんは、日生学園第二高等学校という学校をご存知でしょうか?

現在は青山高等学校という名前に変更されていますが、三重県にある高校になります。

そんな日生学園第二高等学校はただの高校ではなく、日本一厳しいスパルタ指導が行われている高校として有名になり、事件にまで発展しました。

この事件が起こった当時の日生学園第二高等学校は、偏差値も低かったらしく、様々な事件が起きたため、社会問題としても取り上げられていました。

今回の記事では、そんな日生学園第二高等学校の事件が起きた当時の様子や事件の内容について、またあの有名人が実は日生学園第二高等学校の卒業生であったということまで、細かく紹介していきます。

刑務所とまで言われてしまった日生学園第二高等学校の生活は、一体どのようなものであったのでしょうか?

さっそく見ていきましょう。

刑務所とまで言われた日生学園第二高等学校

くにさん(@kuni8714)がシェアした投稿 – 2019年 1月月19日午前4時51分PST

まずは、事件当時の日生学園第二高等学校の様子を紹介していきます。

刑務所とまで言われた日生学園第二高等学校での生活とは、一体どれほどのものであったのでしょうか?

全寮制日生学園第二高等学校の生活

日生学園第二高等学校は男女共学の高校でしたが、全寮制というシステムが取られていました。

そこでの生活が、刑務所並みに厳しいものであったのです。どのような生活であったか紹介していきます。

日生学園第二高等学校の朝はとても早く、水曜日と日曜日以外は朝4時の起床が決められていました。点呼や洗顔・着替えを行ったあとは、心行(しんぎょう)と呼ばれる日生学園第二高等学校独自の清掃が行われていました。

各部屋で10分ほど心行を行ったあとは、道場という名の体育館に生徒全員が集まり、再び約1時間の心行を行っていました。

朝の活動はこれで終わりではありません。

寮に戻ってからも、国旗と校旗の掲揚が行われます。そのあとは食堂で朝食を取り、全員で校歌を歌うのです。

これらが終わったら、やっと授業が始まります。授業は、午前中に4時間と午後に1時間の計5時間で終わります。

放課後もやらなければいけないことは続きます。点呼を取りジャージに着替えたら、再び心行が行われます。その後、全員で約6kmのマラソンを行うのです。

毎日このような生活を続けなければならないなんて、本当に刑務所のようなスパルタなものに感じることでしょう。

日曜日の日生学園第二高等学校の生活

引用: Pixabay

さらに、せっかくの休日である日曜日も、日生学園第二高等学校の生徒たちは以下のようなスパルタ生活を送っていたのです。

朝は7時に起床と平日よりは少し遅くなります。ですが、心行や校歌を歌ったりは変わりません。また、日曜日のお昼ご飯は食堂ではなく、配られたパンのみでした。

そのほかの空き時間は全て自習に当てられます。自由時間などは一切ないのです。

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引用: Pixabay

日生学園第二高等学校には、とても厳しい校則がありました。

先ほども述べましたが、自由時間などは一切ありません。そのうえ、授業と授業の間の休み時間や食事中、寝る前等24時間私語が禁止されていたのです。

また、テレビや雑誌・新聞・ラジオなど全ての娯楽も禁止となっていました。

一切の娯楽や楽しみがないためか、日生学園第二高等学校の生徒たちの間では唯一の娯楽として、いじめが流行ってしまったのです。

いじめ問題

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引用: Pixabay

全寮制の学校である日生学園第二高等学校では、1年生から3年生まで全員で一緒に生活をしています。

1部屋は48人まで暮らすことができるとても大きな部屋であり、学年関係なく食堂・お風呂なども使用されていました。そのため、スパルタな上下関係があったのです。

毎度の食事は、3年生が食べ始めてから2年生が、そして2年生が食べ始めたら1年生がやっと手をつけられるという決まりでした。

これだけではありません。洗濯物や布団たたみは全て1年生の仕事でありますが、1年生は湯船に入ることを暗黙の了解で禁止されていました。

先輩が言ったことは絶対であり、パイプ椅子で殴られたり一晩中正座させられたりと、先輩からの体罰や命令は日常茶飯事のことでした。

また、風邪を引いたとしても、めったに病院になど行くことができませんでした。先生たちの前で体温を測り、38度を超えてやっと授業などは休めました。

しかし、病院へは40度を超えないと連れて行ってもらえず、それまでは市販の薬を支給されて終わりでした。

上級生からだけではなく、先生たちからの体罰やいじめのようなスパルタ教育も、日生学園第二高等学校では当たり前のことだったのです。

日生学園第二高等学校の概要【スパルタ高校】

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引用: Pixabay

とてもスパルタな指導内容であった、日生学園第二高等学校。

実際に自分がこのスパルタを体験するとなると、想像を絶するものなのでしょう。

さて続いては、日生学園第二高等学校の概要についてを紹介していきます。

日生学園第二高等学校は、三重県津市にある私立の高等学校でした。2015年4月1日には、日生学園第二高等学校という名前から青山高等学校にという名前に変更されており、現在の正式名称は青山高等学校にななっています。

この時と同時に、普通コースに加えて特別進学Sコース・特別進学コース・進学コースを設け、心機一転進学校というイメージを作り上げたのです。

日生学園第二高等学校の設立者は?

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引用: Pixabay

日生学園第二高等学校のスパルタ指導の創設者は、青田強さんという方でした。

日生学園第二高等学校は1980年代に入ってからスパルタ教育が顕著に現れており、この時の学長が青田強さんだったのです。青田強さんの教育方針により、当時のような日生学園第二高等学校が出来たと言っても過言ではありません。

青田強さんが掲げていた教育方針は、『一流の人間を育てる』というものでした。なんとももっともらしいことだったのです。

青田強さんは軍国主義であった時代を生きていた方だったので、「お国のために死ねる」という考えが根強くあったのです。

そのため、徹底した団体行動や私欲は捨てるなど、軍国主義時代の考えを日生学園第二高等学校にも反映させていたのです。

青田強さんが学長を務められていた頃は、この軍国主義の時代から40年ほども経っていたため、時代に合ったものではなかったでしょう。

日生学園第二高等学校の系列校は?

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引用: Pixabay

1966年には現在の桜丘高等学校といい、当時は日生学園第一高等学校という系列校が開校しました。

その後、1982年に日生学園第二高等学校が開校したのです。

1982年には、現在の桜丘中学校という名称の日生学園附属中学校と、現在は休園している付属幼稚園が開校されました。

1983年には、現在の自由が丘高等学校である日生学園第三高等学校が開校したのです。

日生学園第二高等学校の偏差値は?

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引用: Pixabay

昔の日生学園第二高等学校の偏差値は、39ほどでした。当時は、素行が悪い生徒や不良の生徒など、他の高校へ行くことができなかったりほかの高校を受験できなかった生徒を受け入れる高校でした。

そのため、偏差値も奮わなかったのでしょう。

2019年現在の日生学園第二高等学校(青山高等学校)の偏差値は39-46となっています。特進コースもでき、徐々に勉強にも力を入れ始めているのかもしれません。

現在も、不登校の生徒たちを受け入れる学校であります。イギリスにあるイートン校という学校をモデルにしているとされており、きちんと勉学に励み大学にも進学できる力をつけられる学校になっています。

その成果もあって、最近の日生学園第二高等学校(青山高等学校)は早稲田大学を始めとする有名私立大学や国立大学への進学者も輩出するような学校へと成長してきました。

日生学園第二高等学校の評判

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引用: Pixabay

日生学園第二高等学校(青山高等学校)ですが、現在実際に通われている方やその保護者の方による評判は、以下のようなものとなりました。

  • 自分次第で自立する力がつく
  • 自分を変えたいと思う人にはとてもぴったりな高校
  • 青春が詰まっている
  • 楽しい学校

しかし一方で、以下ような評判もありました。

  • 設備が整っていなく、校舎があまりきれいではない
  • 嘘つきの学校
  • 休憩時間があまりない
  • ご飯が美味しくない

嘘つきとは一体どういうことなのでしょうか?よく調べてみると、「最高の学校」などの良い口コミは、ほとんど学校側の人間によって書かれたもので、事実でない。」とのことでした。

実際のところはわかりませんが、「楽しい学校」「最高な学校」などの口コミが多くあったのは事実です。人によって捉え方も違うのかもしれません。

また、現在でも全寮制の学校となっているため、全寮制ならではの大変なことはもちろんあるようでした。ですが、それゆえのメリットももちろんあるようです。

何事もそうですが、日生学園第二高等学校(青山高等学校)でも自分次第で良いようにも悪いようにも自分を変えることができるとのことでした。

いじめやスパルタ指導で自殺者?!

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引用: Pixabay

日生学園第二高等学校では、その凄まじいスパルタ教育や先生・上級生たちからのいじめのせいで、自殺者や事故死された方がいたのです。

1980年代に数多く起こった脱走事件や暴力事件が理由でした。

このことは当時社会的な問題にもなっており、国勢調査や行政指導が行われたほどでした。

日生学園第二高等学校出身の芸能人まとめ

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引用: Pixabay

日生学園第二高等学校について紹介してきましたが、なんとあの有名人も日生学園第二高等学校出身の方だったのです!

この大変な環境をくぐり抜けて来られた方なのでしょう。

さっそく、日生学園第二高等学校出身の有名人の方たちを紹介していきます。

【1】浜田雅功

まっちゃんの愛称で知られる、人気お笑い芸人ダウンタウンの浜田雅功さん。彼は、日生学園第二高等学校を卒業されていたのです。

もともと浜田雅功さんは、系列校である日生学園第一高に入学していましたが、高校2年生の時に日生学園第二高等学校に転校し、そのまま卒業もされています。

浜田雅功さんが日生学園第二高等学校に入学した経緯として本人が話していたことがありました。その理由としては、「人の家のドアをのこぎりで切った」ことがきっかけとなっていたようでした。

友達の家に行ったが不在だったため、ドアをのこぎりで切って家の中に入ろうとしたのだとか。そのことに激怒した浜田雅功さんの父親が学校から勧められた、厳しいと有名だった日生学園第二高等学校に入ることになったようでした。

当時の浜田雅功さんは悪だったのですね。「日生学園第二高等学校を卒業してまともな人間になった」とのちに浜田雅功さん自身も語っていました。

高校時代の浜田雅功さんの様子について、コンビである松本人志さんは、「毎日死にそうな様子だった」と語っていました。浜田雅功さんは脱走を試み、松本人志さんの家に逃げ込んできたこともあったそうです。

しかし松本人志さんは浜田雅功さんに対して、「そこを卒業してるって言うのがスゴイ」とも述べていました。やはり、それほどまでにスパルタな学校なので、卒業するだけでもすごいことなのでしょう。

また、浜田雅功さんは日生学園第二高等学校時代、最終的に副学寮長という立場にまで上り詰めていました。

人気有名人の中には、このスパルタ教育に耐えきれず、途中で退学をしてしまった方もいました。その方は、こちらの方になります。

【2】今田耕司

人気芸人の今田耕司さんです。今田耕司も日生学園第二高等学校の出身者だったのです。

しかしながら、今田耕司さんは日生学園第二高等学校のスパルタ教育に耐えきれず、途中で退学をしています。

今田耕司さんは、日生学園第二高等学校を退学するまで何度も脱走を試みたことがあったようです。一度目は1年生の秋。その後もなんども脱走するたびに、「脱出した生徒が駅にいる」などの通報によって見つかってしまいました。

しかし最終的に、今田耕司さんは脱走に成功したのです。トイレの窓から脱走し、探しに来る先生たちから逃れるため、草むらに隠れたりして逃げたそうです。

最寄りの駅に行ってしまえば誰かに通報されてしまうかもしれないため、野宿しながらも先の駅へ行き、とうとう日生学園第二高等学校がある三重県から大阪の実家まで脱走に成功したのです。

この時の心境について今田耕司さんは、「ともに脱走した生徒たちと手を取って喜びあった」と述べていました。

ですが、これだけでは終わらないのが日生学園第二高等学校でした。脱走に成功し実家へと戻れたのは良いものの、退学の手続きを行うためもう一度日生学園第二高等学校へと戻らなければならなかったのです。

今田耕司さんが退学の手続きを取るために自身の母親と日生学園第二高等学校へと戻った際、先生は「学校を続けるというまで殴り続ける」と言い、実際に今田耕司さんのお母様もいる目の前で今田耕司さんを殴り続けたのです。

今の時代にこんなことをしてしまったら、大問題どころではない騒ぎに大問題どころではない騒ぎになってしまいますよね。それでも当時の日生学園第二高等学校は、スパルタ指導という名目で容認されていたのです。

今田耕司さんはこの暴行に耐えきれず、しまいには「学校を続ける」と言ってしまったそうなのです。結局数ヶ月は続けたそうなのですが、最終的には無事退学することができたのです。

【3】千葉和彦

なつきさん(@cbnt__05)がシェアした投稿 – 2019年 2月月23日午前5時37分PST

Jリーグの名古屋グランパスに所属 されているプロサッカー選手の千葉和彦さん。

彼も、日生学園第二高等学校出身の有名人になります。2001年に特待生として日生学園第二高等学校に入学されました。

千葉和彦さんは、プロサッカー選手を目指すことになったきっかけの時を高校時代だと述べていたことがありました。

スパルタ指導をされる厳しい環境の中、高校時代を過ごされてきたのですから、プロサッカーの厳しさにも耐え切れることができるのでしょうか?

日生学園第二高等学校の生活に耐えきれたのですから、ちょっとやそっとのことでは挫けることはないのでしょう。

【4】尾崎瑛一郎

まっくんさん(@mackun55)がシェアした投稿 – 2017年 8月月22日午前5時52分PDT

続いても、Jリーグであるアスルクラロ沼津に所属されているサッカー選手の尾崎瑛一郎さん。彼も、日生学園第二高等学校を卒業されており、その後有名人となっておられる方です。

尾崎瑛一郎さんは、自身が中学生の時からサッカーの実力が秀でておりました。そこからか、「無名の高校を自分の力で有名にしたい。」という夢を描き始め、日生学園第二高等学校に進学したのです。

その時ちょうど、日生学園第二高等学校はサッカー部が強化指定クラブへとなったのです。尾崎瑛一郎さんは、3年生の時に日生学園第二高等学校のサッカー部で主将を務めました。

【5】山口賢一

プロボクサーとして活躍されており、WBOアジア太平洋スーパーバンタムの暫定王者 にもなられた経歴を持っている山口賢一さん。

現在はオーストラリアやフィリピン・メキシコなどを拠点に活動されていますが、高校時代は日生学園第二高等学校で過ごされていました。

実は山口賢一選手は、日生学園第二高等学校時代は野球に夢中だったと言います。ボクシングはテレビで見るくらいであり、本気でプロ野球選手になることを目指していたそうなのです。

ですが、そんなこんなでプロボクサーになり、とても活躍されている有名人になることができたので、この選択は正解だったのでしょう。

大変なことや苦しいことなどすべて日生学園第二高等学校で経験されているのですから、どんな形でも山口賢一さんは活躍されることでしょうが。

日生学園第二高等学校のスパルタエピソードまとめ

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引用: Pixabay

日生学園第二高等学校を卒業されて、その後活躍されている方は他にもたくさんいらっしゃいます。

日生学園第二高等学校時代に我慢強さや努力・やり抜く力など様々なことを学ばれるからこそ、強くなるのでしょう。

さて、そんな日生学園第二高等学校のスパルタエピソードをまとめていきます。見ていきましょう。

【1】素手でトイレ掃除

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日生学園第二高等学校には、トイレ掃除は素手で行わなければならないという決まりがありました。

もちろん、便器の中を素手で掃除しなければならなかったのです。トイレについている汚れなども、爪で削って掃除していたそうなのです。

しかし、なぜ素手で掃除しなければならないのかの真相はわかっていないのです。あくまで伝統であり、決められていたことでした。なんとも不可解なトイレ掃除でしょう。

日生学園第二高等学校を卒業された有名人、浜田雅功さんや今田耕司さんも日生学園第二高等学校時代のトイレ掃除について触れていたことがありました。もちろんお二人も、素手でトイレの掃除をされていたことがあったのです。

今田耕司さんに関しては日生学園第二高等学校での経験が強く、『トイレは素手で洗うもの。他のところでもそういうものだ。』と思われていたそうです。

【2】男子生徒は丸坊主

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続いて紹介する、日生学園第二高等学校のスパルタエピソードは、男子生徒は丸坊主でなければならないというものです。

しかも、長さは5厘と決められていたのです。5厘とは、今でいうと約1.5mmほどの長さなので、とても短いものだったのです。

日生学園第二高等学校では、定期的にバリカンを使って髪の毛を切るというシステムがありました。そのため否が応でも男子生徒はみな、髪の毛の長さを5厘にさせられていたのでした。

しかも、スパルタだったのはこれだけではありません。散髪した後に髪の毛を洗い流すのは、水道水のみと決められていました。夏はともかく、極寒の真冬でも冷たい水道水しか使うことができなかったのです。

【3】雨の日でも傘の使用は禁止

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続いてのスパルタエピソードは、雨の日でも傘を使ってはいけないというものになります。雨だけではなく、雪の時も同様でした。

傘を使用してはいけない理由はわかっていません。ですがこれも、青田強さんの「強い人間を育てたい」という意向に沿った決まりとなっていたのです。

【4】席を離れることは禁止

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授業中だけでなく休み時間でさえも、日生学園第二高等学校の生徒たちは席を離れることを禁止されていました。

休み時間、唯一席を離れて良いのはトイレに行く時のみでした。それ以外は、机の外側に足を放り出すことさえ禁止されておりました。

【5】現金の所持は禁止

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外の情報をすべて遮断されていた日生学園第二高等学校。

そのため、現金を持っている必要がないとされ、現金を所持しておくことも禁止されていたそうなのです。

文房具など勉強に必要なものがなくなってしまい、新しいのを買う必要が出た場合にのみ、購買手帳というものに欲しい文房具の名前を書いた上で、担任に提出する必要がありました。

しかし、これで終わりではありません。購買手帳を提出し、担任の許可が出てからやっと購入することができるのです。

【6】男女交際は一切禁止

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全寮制のため、男女ともに同じ寮で暮らしていましたが、男女交際は一切禁止されていました。

一緒に暮らし、生活しておきながらも、男子生徒と女子生徒はお互いに、ほとんど交流する場がなかったそうなのです。

そのためか、男子生徒と女子生徒が一緒にいるだけで厳しい注意が与えられたり、最悪のところ退学になってしまうこともあったといいます。

日生学園第二高等学校の男女比率は、およそ8:2であり、ほとんどが男子生徒でした。

また女子生徒も、あの厳しいスパルタ教育を耐え抜いてきている方たちばかりなため、女性らしいというよりは男勝りな強い女性が多かったといいます。

【7】学校行事がない

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高校生の楽しみのうちの一つといえば、文化祭や体育祭・修学旅行だと思います。

ですが、日生学園第二高等学校にはこういった学校行事が一切なかったのです。ひたすらに勉強と厳しい心行の繰り返しでした。

本来であれば、学校行事は生徒間の絆を深めたり、思い出に残るものでありました。しかし、日生学園第二高等学校にはこのような娯楽は必要ないという考えが根付いていたのです。

日生学園第二高等学校は現在でもスパルタ高校で有名?

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先ほども述べたように、日生学園第二高等学校は現在青山高等学校という校名になっています。

現在でも、当時のようなスパルタ指導は残っているのでしょうか?どのような校風になっているのでしょうか?

さっそく、現在の日生学園第二高等学校についてを見ていきましょう。

【1】毎朝マラソン

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青山高等学校になってからも、月曜日から土曜日は毎朝マラソンをしています。

日生学園第二高等学校時代にも朝のマラソンはありました。それは、全員参加が義務付けられており、とても辛いものでした。

しかし現在のマラソンは、ジョギング程度の軽いもので、参加しなくても許される程度までに優しくなりました。

おそらく、現在のマラソンはリフレッシュや健康のために取り入れられているものなのでしょう。

【2】男女交際禁止

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現在でも、日生学園第二高等学校時代と同じく男女交際は禁止されています。

男女交際していることが見つかった際には、停学などの可能性もあるそうです。ですが現在では、見つからないように付き合っている生徒たちもいなくはないようです。

当時よりも、学校や先生に怯えている様子はなくなってきた証拠でしょう。

【3】礼儀を重んじている

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現在でも、上級生や先生など目上の人を敬う意識というのは残っています。

敬語を使う、挨拶をするなどどれも人として基本のことばかりが必要とされています。こういったことであれば、他の高校でもあるのではないでしょうか?

もちろん日生学園第二高等学校時代のような、上級生からのいじめなどは無くなっています。

【4】服装・時間に厳しい

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現在でも、全員が丸坊主とまではいきませんが、ある程度は服装や髪型にも厳しいようです。

また、時間通りに動くということも重視されています。全寮制のため、起床時間・就寝時間・サンドのご飯などは学校側によって決められます。ですがこれは、生活リズムを整えることが目的であります。

社会に出てからも必要な時間を守ることなどを、高校生のうちから身につけさせておこうといった意図になっています。

全寮制だからこそできることであり、現在の日生学園第二高等学校だからこその良いところでしょう。

【5】進学校へと改革

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現在の日生学園第二高等学校では、大学受験に向けた力をつけるため勉強に力を入れたり、テストの結果によってクラス分けがなされたりと、進学校を目指しています。

昔の日生学園第二高等学校時代でも、自習時間を設けたり、机から離れることを禁止されていたりと決して勉強に力を入れていないわけではありませんでした。

しかしながら、現在では生徒のことを考えられており、勉強しやすい環境だったりがきちんと整っています。

日生学園第二高等学校の現在

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スパルタ指導として名を馳せており、刑務所とまで言われた日生学園第二高等学校について紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?

1980年代の日生学園第二高等学校では、今では考えられないような凄まじい環境であり、暴力やいじめなど当たり前のことでした。厳しすぎる環境のせいで、事件などもあとを絶ちませんでした。

この環境を乗り切られた方たちには、よほど強い精神力があるのでしょう。日生学園第二高等学校出身の有名人の方たちも紹介しましたが、みなさん現在でも活躍されている方ばかりでした。

おそらく、日生学園第二高等学校での経験があるため、どんなに大変なことでも乗り越える力があるのでしょう。

現在の日生学園第二高等学校は、青山高等学校と名前が変更されています。

当時の日生学園第二高等学校の良さを残しつつも、心機一転新しくなっており、現代に適応する学校に変わっています。

今後の日生学園第二高等学校(青山高等学校)にも、注目でしょう。

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