新実智光の生い立ち・経歴まとめ!ミラレバとして体感した神秘体験とは?

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新実智光とは?

 

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1995年3月20日午前8時ごろ通勤通学でごった返す東京の地下鉄車内で、化学兵器として使用されるサリンが撒かれました。

乗客や駅員13名が死亡負傷者数約6300人を記録したこの事件は当時世界的に見ても大都市において無差別に化学兵器が用いられるという前例のないテロ事件として日本中を震撼させました。

犯人は宗教団体のオウム真理教の教祖、麻原彰晃の命令によりその信者が実行していたことが明らかになりました。

教団内で麻原彰晃の腹心ともされていたのが新実智光(にいみともみつ)です。

地下鉄サリン事件時にはサリンを運ぶ実行犯の運転手役を担っており、逮捕後には計11件26人の殺害事件に関わっていることが判明し、この殺害人数は麻原彰晃の27人に次ぐ数になります。

オウム真理教の前進団体「オウム神仙の会」の初期からのメンバーであり、オウム真理教では古株として教団幹部の役割をしていました。

逮捕後も麻原彰晃への帰依を表明し、事件の正当性を主張し教団の教えを貫きました。

裁判では死刑判決がなされ現在すでに刑は執行されましたが、オウム真理教が関わっていた事件の詳細は未だに完全には明らかになっていないと言われています。

全盛期には1万人もの信者を獲得していたオウム真理教、そこに入信し教祖麻原を信仰し殺人まで犯していた新実智光。

彼はオウム真理教に何を見出し、麻原彰晃について行ったのでしょうか?

 

新実智光の生い立ちと経歴

引用: Pixabay

オウム事件は教団内で使われる言葉が仏教などから取られており難解です、それら用語も解説しながら彼の生い立ち経歴から関わった事件を伝えたいと思います。

 

愛知県で生まれ育つ


引用: Pixabay

1964年3月9日愛知県岡崎市に資源回収業を営んでいた両親の元に長男として生まれました。

小さな頃から漫画やSF小説に興味を示し読んでいました。

 

学生時代にイジメにあう


引用: Pixabay

地元の中学校、岡崎市立矢作中学校に進学しました。

中学校では水泳部に所属しており、将来は野口英世に憧れて東大医学部を出て医者になる夢を描いていました。

そして当時同級生から坊主頭の見た目から「空海」とアダ名を付けられ、また生まれつきの口唇の傷によりイジメを受けるようになったそうです。

口腔の傷は新実智光の写真からも確認できますが上唇の右側が少し裂けているだけであり、パッと見ただけでは分かりにくいですが多感な学生時代には同級生からイジメの材料になってしまったのでしょう。

これを受けて新実智光は中学校の卒業文集の中で

「苦しかったことを耐えてこれた、今の僕には生きる自由がはっきり言ってない、あっても自信がない、生きる資格がない」「かろうじてがまんしてきましたが、いつ、怒りが爆発して何が起こるかわからない……そのままにしておいて、人殺しでも起こしてしまってからでは、とりかえしができません。……現状に対し、臆病になるな。逃避は敗北である」

と痛切に綴っています。

どうすることもできないイジメのツラさ葛藤が伝わってきます。

この後宗教に入信し殺害をも厭わない性格になっているのは学生時代のイジメ体験が少なからず関係しているのではないでしょうか。

中学校で彼の心は閉ざされ屈折した性格になっていったのでしょうか。

 

宗教との出会い

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引用: Pixabay

その後愛知県立岡崎東高等学校に入学します。

新実智光は高校時代だけで地元東岡崎駅で飛び込み自殺を2度も目撃します。

この経験以来人の生死や無常などについて真剣に考え始めるようになります。

このことがキッカケで精神世界や宗教といったものに興味を抱き始めていきます。

高校在学中に崇高真光、阿含宗といった新興宗教に入信しますが、自分の求めるものは得られず、すぐに辞めてしまいました。

読書や仙道、瞑想といったことに打ち込みますが次第に興味が写り肉体鍛錬に力を入れるようになり極真空手に入門します。

結局始めた極真空手も続ける意味合いがないと感じ緑帯で辞めてしまいました。

また、高校時代よりオカルト雑誌「ムー」を創刊号から愛読していました。

 

オウム真理教での立場、役割

 

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オウム真理教は教団内で省庁制を採用しており、内部に「科学技術省」「自治省」「厚生省」などといった国家を真似した組織づくりをしていました。

新実智光は自治省大臣を任されており、教団内での信者の監督、監視を行う立場でした。

事件として立件できてないものもありますが、新実智光はその立場を利用し教団を裏切った信者に対しリンチするように指示したり、教団内で禁止されている男女交際をしたものに温熱修行と称した拷問ともいえる熱湯に入れさせていたことが分かっています。

 

逮捕

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引用: Pixabay

地下鉄サリン事件直後は犯人が単独か複数犯かが分からず、まさに未曾有のテロ事件としてパニックになりました。

その後オウム真理教の関与が濃厚になったとして、警視庁は捜査に乗り出しました。

逮捕前日に新実智光は旧知の宗教ジャーナリストに電話をかけ、「東京にいます。前後に警察の車が3台止まっています」、「なんでこうなったのか、わからないんです」と語ったそうです。

翌日の1995年4月12日、千代田区麹町一番町を歩いていたところを警察に任意同行を求められます。

この時点では地下鉄サリン事件の実行犯は誰か特定できておらず、オウム真理教が関係していることだけが情報として分かっていました。

警察側は信者の身柄を拘束することを最優先にし別件の元看護師監禁容疑で新実智光を逮捕しました。

元看護師監禁事件とは

出家した看護師だった信者の1人が教団本部で修行と称して行われていた50度近くの熱湯に浸からせる温熱療法で信者が亡くなっていることに疑問を持ち、オウムから脱走しました。

ですが失敗に終わり自治省大臣であった新実智光らによって捕らえられ3ヶ月近く監禁させられた事件です。

 

信者の女性と獄中結婚

引用: Pixabay

新実智光は2010年に死刑判決が確定しました。

ですが2012年にはオウム真理教の後継団体アレフの信者女性と獄中結婚をしています。

日本では収監されている被告人であっても婚姻の自由が保障されており、妻となった女性は新実智光のことを元々タイプだったと話しており、教団に無断で東京拘置所に手紙を送り接見を重ねたのち獄中結婚をしました。

新実智光の妻はブログを書いておりこちらになります。

事件当時の元信者は1万人を超えており事件後、多くの信者が脱退や家族の説得で教団を離れ、現在普通に暮らしていますその方がブログを開設し当時の教団、考え方に対して綴っていたりします。

結婚した妻は新実智光のことを尊敬していると語っており、時代が違えば英雄になれたのではとも発言しています。

毎日接見を行なっており、死刑執行の日も移送先の大阪拘置所を訪れ執行を知らされたそうです。

死刑執行後新実智光の遺品は彼女の元に送られました。

 

新実智光とオウム真理教の出会い

 

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新実智光とオウム真理教の出会いを紹介します。

 

大学時代は公認会計士になりたかった

引用: Pixabay

新実智光は愛知学院大学法学部法律学科に入学しました。

授業態度は真面目で3年生が終わる頃には4年の必修ゼミ以外の単位をほとんど取得しており、4年生のゼミでも進んで幹事役を務めるなど周りからは活発な学生と認知されていました。

他にもユースホステル愛好会に所属し、京都・奈良・高野山などの寺院を訪れています。

当時の学費は両親から出してもらっていましたが、生活費などはアルバイトをして賄い、1年間だけ下宿生活をしていましたがそれも深夜アルバイトをするなどして自分で稼ぎました

単位を早く取得し生活費を自分で賄うなど、新実智光は真面目で勤勉だったことが伺えます。

 

オカルト雑誌を読み漁る

引用: Pixabay

70・80・90年代は空前のオカルトブームが巻き起こっており、UFO、UMA、幽霊、都市伝説、超常現象など科学で説明不可能な事を扱った雑誌が数多く出版されており、その中でも月刊誌「ムー」は多くの若者を引きつけ人気を誇っていました。

新実智光も例に漏れず「ムー」を創刊号から愛読しており、他にも「トワイライト・ゾーン」五島勉の「ノストラダムスの大予言」を全巻読破するなど夢中になりました。

 

オウム神仙の会に入会

引用: Pixabay

オカルト雑誌に載っていた麻原彰晃の空中浮場の記事がキッカケでオウム真理教の前進団体「オウム神仙の会」のセミナーに参加をするようになります。

オウム真理教の始まりは健康になるためのヨガ教室のようなものから始まりました。

それが発展してヒンドゥー教、チベット密教などを混ぜ合わせた独自の宗教を作りだし自らを教祖としてオウム真理教は始まりました。

地下鉄サリン事件以前はオカルトブームなども背景にあり、今ほど新興宗教は危険視されておらず、上記で述べたオカルト雑誌にも記事広告などが掲載されており超常現象、神秘体験を売りにして雑誌読者を惹き付けました。

麻原彰晃も空中浮場といって座禅を組んだまま空中浮遊をしている記事を掲載しておりこれが噂になり「オウム神仙の会」は有名になっていきました。

坐禅をした麻原彰晃が浮いている写真が載っていましたが現在これは坐禅を組んだままジャンプをしているフェイク写真として空中浮遊しているわけではないと否定されています

新実智光もこれを目にしてセミナーに参加し会員になりました。

入会すると会員には運命鑑定書と呼ばれるものが渡され、個々人の内面これからの将来が占われて書かれたものが渡されたそうです。

新実智光はそこに書かれていた普段は隠している自分の気持ち、認めたくない性格を言い当てられ今までの宗教とは違う確かな実感を感じました。

またシャクティーパッドといって教祖麻原彰晃に眉間を押してもらい霊力を与えてもらう行為を通じて赤と青の光の点滅を見たと言ったそうです。

こういった経験を通して新実智光は前進団体「オウム神仙の会」に傾倒していき道場で修行に励むようになります。

 

教団で行われていた修行

引用: Pixabay

教団では数多くの修行が麻原彰晃によって提案され信者は日々修行を重ねていました。

設立当初はヨガをベースにしたものが多かったですが数々の事件を起こすようになった教団末期には拷問やただの虐待監禁とも取れるような常軌を逸した行為が修行と称してまかり通っていました。

修行の名前は全て仏教用語から取られており一部を紹介します。

アーサナ

教団初期から行われている修行でヨガをベースにした体操になります。

当初は通信教育なども行なっており信者は送られてきたDVDやCDを見ながら自宅でも修行ができました。

ですが修行は1日3時間が必須など初めての信者には大変なもので、この修行を重ねて道場に行けば教祖から力が与えてもらえるなどとうたっていました。

またDVDには無意識に教義を挿入するサブリミナル効果が組み込まれており「尊師大好き」などが入っており信者は無意識に信仰を強めるような仕組みになっていました。

クンバカ

息を数分間止める修行になります。

派生して水中クンバカなど水の中で息止めをする修行などもあり、テレビなどで実際の映像が流されるなどしました。

同じく死刑囚の井上嘉浩は多数の報道陣を前に5分30秒の水中クンバカを見せました。

普通に5分30秒息を止めていられるのは驚異的ですが、これに対し教祖麻原彰晃は「何を怖がっているんだよ」と報道陣の前で叱責しました。

ちなみに当時教団が宣伝していた水中クンバカの最高記録は14分です。

14分に対する映像などは残っていないので教団が宣伝に嘘をついていたのかも知れません。

ですが調べたところ世界記録はダイバーが打ち立てた22分という記録があるそうです、潜水などを仕事にする人間は訓練しだいで10分以上息を止められるそうですが信者が修行を通して14分の記録を出せたのかは大きく疑問が残ります。

アンダーグラウンド・サマディ

土中にコンテナを埋めその中で数日間瞑想をする修行。

コンテナの上から完全に土を被せて覆ってしまうので空気の供給なども断たれてしまいます。

つまり何も食べずに呼吸もせずに数日間瞑想を行うというものです。

教団幹部の上祐史浩さんが報道陣を集めてこの修行を公開しました。

修行はショベルカーを使って穴を掘るところから始まり、コンテナ1つが入る大きな穴を掘り、そこにコンテナを埋め上祐さんが入り蓋をした後また土をかぶせます。

期間は5日間とされ5日目に穴を掘り返して上祐さんが出てくるまで報道陣に一般公開されました。

教団ではこれを達成することで解脱に境地に達し魂のレベルがあがると教えられていました。

多くの報道陣を前に行われましたが多くの懐疑の声が上がっています。

本来人間は3日間何も食べなければ生命の危険が及ぶと言われており現在は健康法の1つに断食がありますがこれはあくまで塩分や水分は好きなだけ摂っていいという方法になっています。

多くの人が5日間コンテナに入っているのを目撃していましたが否定的な声があがります。

まず上祐氏がコンテナに入る際、瞑想に必要な道具が様々一緒に入れられていたのですがこの中に酸素ボンベや食料が隠されていたのではとゆう主張。

またコンテナに細工が施してあり空気穴や予め食料があったのではという意見です。

穴の中の様子は誰にも確認することができずブラックボックスなのでインチキをしていたというのが妥当な見方だと思います。

 

オウム真理教は勢力を拡大させていく

 

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こうした修行を通して信者を増やしていき麻原は「オウム真理教」を立ち上げました。

麻原は教団を組織として強めようと出家制度を設けました。

これは家を出て住み込みで修行に打ち込み麻原彰晃から直接教えを受けるものです。

新実智光は制度ができると直ぐに出家を決意し、当時大学を卒業して務めていた食品会社を半年で退職し家族には「ヨガの修行を二、三年積んでくる」と言い残し連絡をたちました

出家制度と共に麻原は信者に対し高額なお布施を要求するようになりました、お布施の額に応じて教祖から与えられるパワーも変わり、額が高いほど強烈な神秘体験ができるとされ熱心な信者ほど高額なお金を払いました

このお金を元手に教団は資金を獲得し土地買収を行い、道場やサティアンと称した教団施設を作り上げました。

 

新実智光のオウム真理教時代のエピソード

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新実智光は麻原からとても可愛がられていたと事件後逮捕された信者は語っており、その様子を飼い主のゆうことを忠実に守る犬に例えてドーベルマンと言い表しました。

麻原彰晃の教え、教義は逮捕後も一向に変わることがなく他の信者は麻原批判をするなどしても新実智光は最後までオウム真理教によって行われた一連の事件は間違っていないと語っています。

 

違反、脱走信者の拷問を担当

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オウム真理教は国家を真似する形で省庁制を導入し組織づくりを強化しました。

そこで新実智光は自治省大臣に任命され、教団内の信者の監督・監視を任されます。

在家信者死亡事件では修行中に突如大声を出した信者(これは修行によって薬物中毒に陥っており精神が錯乱していたのではといわれている)を教祖の「頭を冷やしてこい」という言葉にしたがい新実智光らが逆さにして浴槽に沈め死亡させてしまった事件です。

新実智光はこの事件を発端に教祖の指示で殺害を繰り返していきました。

この在家信者死亡事件を知った信者の1人が教団のやり方に疑問を持ち脱退したいと伝えた際、再び教祖によって殺害を意味するポアが新実智光ら信者に命令されました。

信者は呼び出され修行と称して富士の独房に監禁され当初はロープでの窒息死が計画されていましたが抵抗されたため新実智光によって首の骨を折られたことによる殺害が分かっています。

また教団施設の水槽で信者が火傷を負う事件が発生し、水中から化学薬品が検出されました。

教団側はこれはオウムを貶めるスパイの仕業だとし、信者の中にスパイがいると教え込ませました。

犯人探しが始まり、浴槽内の水を搬入していた信者の1人がスパイと見なされ麻原の命令で新実智光を含む自治省の信者が尋問を行うことになりました。

この浴槽に薬品が混ぜられていたのはオウムによる自作自演だったのではという見方も存在しています、オウムは勢力を拡大するにつれマスコミや一部ジャーナリストから危険団体とみなされ脱退を望む信者家族が抗議などを展開していました。

新実智光はスパイ疑惑の信者に体力テストの名目で施設に呼び出し、信者を椅子に拘束すると、「薬品をまぜたのはお前だろう」と脅迫を始め、背中を竹刀で叩いたり、足の指に待ち針を刺したりしたが自白が得られなかったためその後も熱した火かき棒を押し付けるなどをしてました。

信者は位の高い新実智光に対し私の心が読めるでしょうと最後まで身の潔白を主張していましたが拷問により信者は殺されてしまいました。

 

冷淡さと温かさの二面性をもっていた

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新実智光は他の信者からの証言でノリの軽いようなところがあり麻原彰晃の命令は絶対でその延長で凶行に手を染めていたと言われれいます。

死刑判決後も麻原帰依を貫いており、どこまでも従順で犯行後に悩む様子は無かったとされています。

その一方で信者に対してはどこまでも丁寧で位の低い信者にも丁寧に接していた、明るくひょうきんだったという意見もあり、極端な二面性をもっていたとも元信者から語られています。

他にも男性信者リンチ殺人事件では麻原から焼却炉での殺害を指示されましたがそれを避けたり、男性信者殺害事件ではその後麻原から被害者はシロクマに転生したという言葉を聞いて安堵していたといわれています。

 

自治省のトップ

引用: Pixabay

オウム真理教は省庁制を発足させ新実智光は自治省大臣に任命され、教団の警備、信徒の懲罰、スパイ摘発を主に行いました。

新実智光に教団批判や教義に対して不満をいうと教祖に密告されるといわれていたようです。

脱退を図った信者や異議を唱える者に修行と称して不当な拉致や拷問を主導していました。

判明しているだけでも男性信者殺害事件、男性信者リンチ殺人事件、温熱療法関連事件の実行犯とされています。

 

オウム三大事件での新実智光

引用: Pixabay

オウム真理教は分かっているだけでも教祖麻原の意向で17事件が立証されており立件されていない、分かっていない事件も数多くあるといわれています。

その中でも「坂本堤弁護士一家殺害事件」「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」はオウム三大事件とされ新実智光も全てに関わったうちの1人です。

坂本堤弁護士一家殺害事件

この事件は犯行は地下鉄サリン事件の5年前に行われたにも関わらず、オウム真理教によるものだったことは地下鉄サリン事件後に判明しました。

オウム真理教設立当初から危険性や出家信者の親族から相談を受けていた坂本堤弁護士とその家族がオウム真理教信者によって殺害遺棄された事件です。

当初は弁護士と話し合いの場を設けるなどオウム真理教側も慎重な姿勢をみせていましたが坂本堤弁護士が裁判などを辞さない強気な姿勢を貫いたところ教祖麻原彰晃によりポア(教団で使われていた用語で殺害、殺すことを意味する)を示唆されました。

新実智光らの教団幹部は深夜に坂本堤宅へ向かい、当初の予定では堤氏1人を殺害する計画でしたが、玄関が無施錠だったことから自宅へ侵入し妻と1歳になる娘家族を殺害し、山中へ遺棄しました。

坂本堤弁護士を含む1家が失踪したことは直ぐに判明しましたが、警察はオウム真理教への捜査を強く行わず地下鉄サリン事件後に実行犯の1人が供述するまで解決されませんでした。

この事件は教団が初めて教団以外のものに対して殺害を起こした事件でした。

これ以降オウム真理教、麻原彰晃は教団の邪魔をするものにポア(殺害)を命じるようになりオウム真理教の暴走は加速していきます。

松本サリン事件

地下鉄サリン事件の化学兵器サリンの実験をかねて長野県松本市の住宅街で撒かれ8名が死亡重軽傷者合わせて600名の事件になりました。

新実智光はこの事件では警備役として現場を指揮していました。

事件当初警察は原因が毒ガスサリンであるということを突き止められず、自然発生したガスなのか故意に起こされたものなのか分かりませんでした。

マスコミの報道から農薬を混合して発生したガスと誤った情報が流れ、無罪であった一般人がさも犯人かのように大々的に報じられ後にオウム真理教だと発覚すると報道姿勢が問題視された事件でもあります。

事件は1994年6月に起こり、その翌年に警察はサリンに必要な化学物質を個人が購入していることを突き止めオウム真理教の関与が濃厚になっていきました。

購入は個人からだけではなく会社も捜査線上にあがり、調べていくと全てがオウム真理教のペーパーカンパニーであり、また教団施設で異臭騒ぎがあり土壌からサリン生成成分が検出されたことが決定だになりオウム真理教が怪しいとマスコミは報道をするようになりました。

地下鉄サリン事件

オウム真理教は松本サリン事件で警察に強制捜査されるのは時間の問題と考えており、施設回りには連日信者の親族やマスコミがカメラをもって張り込んでいました。

マスコミで毎日のように報道される中 阪神・淡路大震災が起こり、日本の関心はそちらに動きました。麻原彰晃はそれをみて同じように都心をパニックに陥れれば強制捜査されないのではないかという考えから地下鉄サリン事件は計画されました。

新実智光はサリンを車両内で撒いた信者の送迎役を担っていました。

この事件では死亡者13名負傷者約6300名を記録した日本を代表するテロ事件になりました。

警察は2日後に教団に強制捜査に入りましたが、確たる証拠は発見できず教団側も堂々と反論するなどして捜査は難航を極めました。

新実智光を含めた実行犯達はそれぞれ逃走しており、警察は全国に指名手配するなどしてひとまず信者の身柄を拘束しようと考えました。

事件から19日後に教団幹部の林郁夫の身柄が拘束されました。当初警察は教団内部の実態把握を目的に取り調べを行なっていましたが、林が地下鉄サリン事件の実行しましたと供述を始め、これを機に地下鉄サリン事件の実態が明らかになっていきました。

事件直後にテレビで報道されるのをみて新実智光は大きくはしゃいでいたと他の信者からの証言があります。

 

新実智光がミラレバとして体感した神秘体験とは?

引用: Pixabay

新実智光は出家後修行を麻原彰晃に認められホーリーネーム「ミラレバ」を与えられます、ホーリーネームとは出家信者に与えられた洗礼名であり麻原彰晃直々に名前を与えます。

教団内では信者同士ホーリーネームで呼び合い、また教団内での階級も存在し新実智光は上から2番目の「大師」と呼ばれるステージにいました。

新実智光はセミナー参加当初から苦しい修行の末に解脱できるという教えに他の宗教との違いを感じ自分の求めているものだと直感したそうです。

修行を進めていくと体の浄化作用、体調の回復を実感しこれらを通じて麻原信仰を強めていきました。

また麻原彰晃からの修行により体の浮遊感を獲得したり多大な至福感を覚えたりを通じ「麻原彰晃に一生付いていくしかない」と確信に変わっていきました。

新実智光は信者の中でも修行時において、体の痙攣や光の点滅を見たりと超常現象が起こりやすかったとされており、これらの経験が麻原帰依の大きな理由とみられています。

 

新実智光と地下鉄サリン事件

 

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新実智光はサリン散布役の林郁夫の送迎役として地下鉄サリン事件に関わりました。

当時の営団地下鉄千代田線の千駄木駅まで送りマスク姿の林郁夫は綾瀬、北千住で時間を潰したのち北千住からサリンを撒く予定の列車の1号車に乗り、新御茶ノ水駅直前でサリンを散布しました。

事件後新実智光らは渋谷のアジトに集合し事件の様子をテレビで確認しました。

その後教団施設に戻り麻原に計画は成功したことを告げると「これはポアだからな」と念入りに教えられ、マントラを1万回唱えなさいと言われたそうです。

ポアは殺害を意味する言葉ですが教団内部における意味では「地獄に墜ちるべき人間を殺すことで天界へ生まれ変わらせることができ、殺した方も殺された方も救われる」と殺害を正当化する言葉になっていました。

 

新実智光の逮捕と裁判・判決まで

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地下鉄サリン事件からおよそ1ヶ月後の4月11日に千代田区麹町一番町の路上を歩いていたところを任意同行されたのち、元看護師監禁容疑で逮捕されました。

取り調べ中に「自分を尊師と一緒に日比谷公園で公開処刑してほしい」といっていたとされています。

 

裁判

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法廷では最後まで麻原帰依を表明し、「尊師と一緒に断罪されたい」「ポアは慈悲の心による救済」などと発言しました。

事件は全て正当なものだったと主張し被害者は死ぬべくしてポアされたとまで発言しています。

謝罪としても独自の見解を述べており、教団の意思を達成することができずに申し訳ない、贖罪としては死刑になり来世において真理勝者になるしかないと語りました。

このように根底にはオウムの教えが根強くあり唯一オウム信者の中で新実智光だけが麻原彰晃を正しかったと主張し続けていました。

 

死刑判決

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第一審で死刑判決を受け上告をしましたが棄却、2010年2月16日に最高裁への訂正申し立ても棄却され刑が確定しました。

第一審では主文が述べられた際、笑顔で傍聴席を振り返ったそうです。

また被害者に対しても「オウムの犯罪の原点とされる富士山総本部のリンチ殺人事件から最後に関わった地下鉄サリン事件まで、すみませんとか申し訳ないとか言うつもりはありません。それを言うくらいなら、最初からしなければいいのです」、「全ては因果応報。罪の無い人達が亡くなったのではなく何らかの原因がある」と一貫して被害者に謝罪をしませんでした。

 

死刑確定後

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逮捕後に獄中結婚した信者の女性がおり、毎日留置所で接見にきていたそうです。

妻によると刑確定後も拘置所でヨガや瞑想などの修行にくれていたと伝えられています。

また獄中からも手紙を通じて信者へ教義の指導を続けていたそうです。

新実智光はずっと死ぬまでオウムの信者を通し続けた人物だったことが分かります。

拘置所でも修行を続けているのは転生の準備をしていると本人はいっており、憲法では信仰の自由がありますが何が正しいのか分からなくなります。

 

新実智光(ミラレバ)まとめ

引用: Pixabay

ホーリーネーム、ミラレバこと新実智光は逮捕された信者の中で唯一と言っていいほど死刑執行に至るまでオウム真理教の教義を肯定し麻原彰晃は正しかったと証言していた人物でした。

彼は死刑が確定したことで2種の短歌を詠んでいます。

人は皆 時の定まぬ 死刑囚 会って別れて 夢と消えゆく

雨が降り 天が泣くのか 水無月に 大地うるおす 慈悲の甘露

2018年7月6日、死刑判決が出た新実智光を含む教祖麻原彰晃とその信者は刑が執行されました。

生前には妻に対して遺骨はガンジス川上流のウッタルカシ村で流してほしいと伝えていたそうです。

刑が執行された今新実智光、彼は教団の教義通り転生を果たしているのでしょうか。

人は何かを信じなければ生きてはいけないと言われますが、信じるものひとつでここまで人間は変わってしまうことに驚いてしまいます。

教祖麻原彰晃が創り上げ、本当に国家転覆を企んでいたオウム真理教とゆう集団が存在していたと今考えると怖いばかりです。

ありがとうございました。

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