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尼崎事件とは、2012年10月に兵庫県尼崎市で発覚した連続殺人および死体遺棄事件でした。
この尼崎事件の闇は相当深く、「事件自体」は1987年頃から始まっていました。1987年頃に発生した「女性失踪事件」を皮きりに、暴行や、監禁などで死亡した数名の被害者が確認される事となっていきます。
「尼崎事件」として呼ばれるようになったこの事件は、掘り下げていけばいくほど壮絶な実態が浮かび上がってきて、鬼畜以外の何物でもありませんでした。「尼崎事件の首謀者」角田美代子と「尼崎事件の黒幕」李正則は、鬼と畜生化して数々の犯罪を犯していく事になります。
今回の記事は、「尼崎事件の黒幕」李正則の犯行内容の解説なのですが、あまりにもややこしい背景のため、事件の概要と共に「尼崎事件の黒幕」李正則を洗脳した「尼崎事件の首謀者」角田美代子についても詳しくまとめてみましたので是非ご覧になってください。
わかりにくい疑似家族の詳細についても併せて解説させて頂きます。これらを参照しながら読み進めて頂く事により、尼崎先事件についての理解がより一層深まるのではないかと考えた次第でございます。
では、「尼崎事件」の概要をご覧ください。
尼崎事件の概要を紹介
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かなり複雑な形態を辿る尼崎事件の概要ですが、どこよりも解りやすく解説していきますので、非常に読みやすい記事となっている事でしょう。
では、「自爆装置」と呼ばれていた「尼崎事件の黒幕」李正則が疑似家族に加わるまでの様子も併せてご覧下さい。
主犯格・角田美代子をとりまいていた不可解な事件
おや角田美代子 pic.twitter.com/vNZVRpOst3
— つがろま文太 (@namoruragust) August 7, 2015
「尼崎事件の首謀者」角田美代子は、血縁関係など関係のない人たちを集め、自身が所有するマンションで疑似家族として共同生活をさせていました。
1987年辺りから、角田美代子の周辺では女性失踪事件や数多くの不審死が発生していましたが、なぜか表沙汰にされる事がありませんでした。
しかし、月日が流れて2011年11月、角田美代子らから監禁されていた40代女性が幸いにも監禁状態から脱出する事が出来、警察に駆け込んだ事が発端となって、角田美代子らは女性に対する傷害容疑で逮捕される事となります。
犠牲になった疑似家族の人数とは?
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「尼崎事件の首謀者」角田美代子のマンションで同居生活をしていた9名の犠牲者のうち、6名は「殺人・傷害致死事件」と断定されました。この尼崎事件の犠牲者を死亡させる経緯についてですが、同居していた近親者10名が加担していた事が捜査により浮き彫りになったのです。
角田美代子の恐怖の洗脳に、完全にマインドコントロールされていたこれら10名の親族たちは、この首謀者に言われるがまま、殺害された9名に暴行などを繰り返していました。
これら10名の近親者らは、角田美代子の指示に従わなければ「自身の身が危ない」と本能的に察知し、心の片隅に罪悪感を抱えながらも、尼崎事件へと関与を深めていきました。
尼崎事件発覚後、首謀者・角田美代子を含むこれら親族、総勢11名が逮捕され裁判員裁判で裁かれる事となりました。
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まずは尼崎事件全貌の解説の前に、尼崎事件にて無念の死を遂げられた犠牲者の方々へ心よりご冥福をお祈りしたいと思います。
この尼崎事件で犠牲になった被害者の方々は、「尼崎事件の首謀者」角田美代子により執拗に監視され、身動きがとれないような状態まで追い込まれ、疑似家族だった親族らの手により殺害されてしまいました。
しかし、尼崎事件で亡くなった犠牲者自身も、生前は同居人らに暴行を加えるなどしていた加害者もいた事から、いかに戦慄の恐怖の渦中に晒されていたのかが誰もが推測できる事でありました。
角田美代子や、「尼崎事件の黒幕」李正則の犯行方法は後に解説させていただきます。その恐怖の洗脳方法は、同じ人間が行う所業ではなかったのでした。また、皆様のご記憶に鮮明に残っているであろう首謀者・松永太が起こした「北九州監禁殺人事件」と同種だったこの尼崎事件。
共にマンションという密室で行われていた監禁殺人事件でしたが、想像するだけでも身の毛がよだつ凄惨な状況だった事は言うまでもありませんでした。
これから、殺害された被害者の詳細を解説していきます。疑似家族の構造があまりにもややこしい状態にあるため、こちらを先に見ていただいた方が皆様も混乱せずに読み進められると思います。
では、尼崎事件により命を奪われてしまった犠牲者の詳細をご覧ください。
北九州監禁殺人事件とは?
北九州監禁殺人事件の真相!サイコパスによる残虐連続殺人の全容とは
尼崎事件の被害者たちの詳細~死亡した方々
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中国はウイグルやチベットに背乗りして暴虐の限りを尽くしている。中国が国家レベルで「北九州監禁殺人事件」や「尼崎事件」のような犯罪を犯し、中国の国家意志は「松永太」や「角田美代子」の様な残忍なものであると理解すれば、左翼や媚中派が如何に愚かで有害か分かるだろう。 pic.twitter.com/1FBdO2MjUE
— 十貫坂 (@jyukkanzaka) December 27, 2018
これから、尼崎事件の被害者の詳細を解説をします。1987年あたりから始まっていたとされていた尼崎事件でしたが、「尼崎事件の首謀者」角田美代子による殺害は不明者などを含めると被害人数が15名にも及んでいた事がわかりました。
あまりにも多くの被害者がいたため、尼崎事件後、世間から見るとなにがなんだかわからない状況でした。しかし、これらの方々を把握しないと尼崎事件自体を理解する事が難解となってくるので、先に尼崎事件の被害者をご紹介させていただきます。
【橋本家関係者】
死亡/橋本次郎さん(当時53歳/角田久芳さんの実弟)
橋本芳子さん(不明当時66歳/角田久芳・次郎さん兄弟の実母)
行方不明/橋本さんの姉
【大江家関係者】
死亡/大江和子さん(当時66歳)
起訴/(長女)大江香愛(次女)大江裕美(次女の元夫)川村博之
【猪俣家関係者】
不審死/長男・祖母
行方不明/父親
【皆吉家関係者】
死亡/皆吉ノリさん(当時87歳/皆吉初代さんの母)
皆吉初代さん(当時59歳)
谷本隆さん(当時68歳・皆吉初代さんの夫の兄)
仲島茉莉子さん(当時28歳・皆吉初代さんの長女)
行方不明/皆吉初代さんの妹
逮捕/仲島康司(仲島茉莉子さんの夫)・角田瑠衣(皆吉初代さんの次女で仲島茉莉子さんの妹/角田優太郎の妻)
【角田家関係者】
死亡/角田久芳さん(当時51歳/角田美代子の兄 )
安東みつゑさん(当時58歳/角田美代子の兄の元恋人)
逮捕/(首謀者)角田美代子・(角田美代子の内縁の夫)鄭頼太郎・(長男・養子)角田健太郎・(次男・養子)角田優太郎・(戸籍上の妹)角田三枝子・(戸籍上のいとこ)李正則
これらの人々が、「尼崎事件の首謀者」角田美代子のもとで疑似家族らによって殺害されてしまいました。また、消息不明になるという不幸に見舞われた方々も含まれています。
では次に、「尼崎事件の首謀者」角田美代子と、「尼崎事件の黒幕」李正則によって乗っ取られてしまった家族の解説をさせていただきます。
家族が乗っ取られる?【尼崎事件】
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「家族が乗っ取られる」とは、どういったことなのでしょうか。
「尼崎事件の首謀者」角田美代子はなぜ家族乗っ取り計画を立ててしまったのでしょうか?
「最初のターゲットは猪俣家」
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「尼崎事件の首謀者」角田美代子が最初のターゲットにしたのは、滋賀県彦根市に住んでいた会社員の夫と、妻・ふたりの子どもに恵まれたごく普通の明るい家庭の猪俣家でした。
何も問題のない幸せな家庭だった猪俣家でしたが、角田美代子により家庭破壊されてしまいました。始まりは、猪俣家の遠い親戚だった角田美代子が葬儀に乗り込んできた事がきっかけでした。
乗り込んできた角田美代子は、その場にいた親戚一同を非難し暴言を吐くなどといった奇行に移り、「自分の背後には暴力団が潜んでいる」と見せかけて、怒声をあげては親族らを脅かせていき反抗心を押さえ込んで意のままにしていったそうです。
ターゲットとなった猪俣家は、次第にいがみ合うようになり、素直だった息子が父親を殴ったり、優しかった娘は母親に土下座を強要し、蹴るという荒れ狂った状況になっていったそうでした。
その後、猪俣家の父親は無理矢理会社を退職させられ、退職金を含む猪俣家の全財産を角田美代子らに奪われてしまいました。猪俣家の祖母は不審死を遂げ、父親は行方不明となり、息子も不審死を遂げてしまったとの事です。
「次のターゲットは橋本家」
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次に、「尼崎事件の首謀者」角田美千代の遠縁にあたる橋本家がターゲットとなってしまいました。当時、兵庫県に住んでいた橋本一家の叔母だった女性の葬儀にやってきた角田美代子により「家族乗っ取り計画」が実行される事となります。
葬儀の段取りや遺骨の取り扱いについて難癖を付け始めた角田美代子は、親族や姉らを人質にして親族全員を呼び付けたそうで、最初は「落とし前を付けろ」と脅しをかける程度だったそうです。
しかし、橋本家への支配を強めようとした角田美代子の行動は徐々にエスカレート、最終的に角田美代子は橋本一家を軟禁してしまいました。そして、監禁後、親族間で互いに暴力を振るわせて橋本家から全財産を奪い去ってしまいました。
これに味をしめた角田美代子は、「尼崎事件の黒幕」李正則の親戚宅だった皆吉家に乗り込むことを思いついて実行に移す事となります。
「李正則」~継父の親戚だった「皆吉家」に乗り込む
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内縁の夫・鄭頼太郎を通じて知り合った「尼崎事件の黒幕」李正則を、自爆装置に仕立て上げた「尼崎事件の首謀者」角田美千代は、次に李正則の親戚をターゲットにしました。
角田美代子は、危険な自爆装置へと化した「尼崎事件の黒幕」李正則と共に2003年の春、香川県・高松市にあった李正則の継父の親戚(皆吉性)だった谷本家に乗り込んで行きました。
李正則の継父が、高松で暮らしている妹の皆吉初代さんの家が少し金を持っているという話を耳にし、角田美代子の態度が一気に豹変する事となりました。
なんと、角田美代子は、「マサ(李正則)が、こんな風に悪くなったのは皆吉家の責任や!」と、皆吉家に因縁を付け始めたのです。勿論、これは角田美代子の猿芝居でした。
その後、皆吉家の親族を集めた角田美代子は、李正則に指示をし、皆吉家の親族が集まった中で大声を出したり、食ってかかったり、コタツを蹴ったり、掴みかかったりさせたそうです。
そして、頃合を見て、間髪いれずに角田美代子が止めに入ると言う猿芝居が繰り広げられたのでした。「やったれよ!」と、皆吉家で怒鳴ったり暴れたりするように指示されていた李正則は、角田美代子の洗脳されるがまま暴れたい放題していったそうです。
~「手が負えない李正則」を見せつけ脅しに徹する角田美代子~
「もうあんたらが知っている昔のマサやないんや。今はうちの言う事しか聞かん子になっとんや」・・・そのように皆吉家の家族に言って聞かせては恐怖心をあおいだのです。
角田美代子から、「皆吉家で好き放題して贅沢ざんまいして、とにかく困らせて来い!」と、困った皆吉家が角田美代子に助けを求めるような状況にするよう指示されていた「尼崎事件の黒幕」李正則だったのです。
皆吉家に乗り込んだ李正則は、親類をもてなそうとする皆吉家が用意した食卓を前に、「やかましい!なれなれしくすんな!」と、罵声を浴びさせたそうです。
スナックや風俗店でも皆吉家の財布から散在させていた李正則に、ついには皆吉初代さんが根を上げ角田美代子に助けを求めたのだそう。「すぐに来て下さい!」と、大泣きする皆吉初美さんを見て、腹の中で高笑いをしていた角田美代子でした。
そんな皆吉初代さんとは裏腹に角田美代子は、李正則に「ようやった!もうすぐ行くからその調子でやっとけよ!うちの好きな食べ物を揃えとけよ」などと伝えていたそうです。
ちなみに、角田美代子の好物とは、イカ・ウニ・コロッケ・高級チョコ・パン・コーヒー・紅茶だったそうです。何も知らない皆吉初代さんは、角田美代子が到着すると泣いてすがり付いていたそうでした。
~皆吉家の親族同士での性行為強要した角田美代子~
「尼崎事件の首謀者」角田美代子や、戸籍上の妹の角田三枝子・内縁の夫・鄭頼太郎なども乗り込み、「尼崎事件の黒幕」李正則の「育て方」についての話し合いが始まる事となりました。
その話し合いは、角田美代子によって故意にこじれた話になるよう誘導されていました。その上、夜を徹して口論させられ許可が出ないとトイレにも行けない過酷な状況だったようです。
次に、角田美代子は「足止めされた」と、親族らに因縁を付けて金銭を要求し、毎日10万円ずつ巻き上げられた皆吉初代さんだったそうです。家族間の口論は、いつしか殴り合いへとエスカレート、そうするうちに角田美代子による虐待がスタートしたそうです。
皆吉初代さんと茉莉子さんは、裸にさせられ来る日も来る日も庭に出され、夜間にはホースで水をかけられるなどの虐待を受ける事となりました。また、角田美代子の外出時には、裸のまま押入れに閉じ込められ、親族同士の男女の性行為まで強要されるまでになっていたようでした。
「よー見とりや。人前でこんな事平気で出来ると言う事を。家畜や、死んだれ」などと言い放っていたそうで、角田美代子は、支配から支配を行い悪行三昧な日々を送っていたのでした。
幸せだった「川村家」は家庭崩壊
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「尼崎事件の首謀者」角田美代子は、電鉄会社勤務だった川村博之(大江和子さんの次女の元夫)と、クレーム処理で出会う事となりました。その際に、角田美代子は、嫁の角田瑠衣の子どもが乗っていたベビーカーが電車のドアにはさまれたと因縁を付けはじめたそうでした。
やがて、飴と鞭を使い分けながら川村博之をマインドコントロールする事となった角田美代子は、川村博之の義母だった大江和子さん一家まで乗り込みをかけていくようになりました。
しかし、困惑していた川村博之は、そのような角田美代子たちに対応すべく角田美代子のマンションを訪ねたそうでした。すると、角田美代子は、「尼崎事件の黒幕」李正則を紹介してきて「この人は元ヤクザだ、怒らせたら何するか分からん」といい、川村博之を脅かしてきたそうです。
話し合いが終わった後、角田美代子に「途中で時計を見なかったのは偉い!」などと持ち上げられた川村博之は、まんまと角田美代子の術中にハマり、次第に角田美代子に心を許すようになっていったとの事でした。
角田美代子の術中に、すっかりハマってしまった川村博之は、次第に角田美代子へ個人的な相談などをするようになり、角田美代子に感謝の念を抱くようになっていったそうです。
結果、角田美代子や、李正則らに家庭を乗っ取られる事になってしまった川村家。
その後、角田美代子にマインドコントロールされてしまった川村博之や大江和子さんの長女や次女は、大江和子さんへのたび重なる虐待を繰り返していく事となったのです。さらには、その後角田美代子の命令で川村博之は、妻で大江和子さんの次女だった大江裕美と別居させられ離婚させられる事となりました。
退職金を巻きあげられ、離婚させられた揚句、妻だった大江裕美は、風俗で仕事するように命じられその収入も全て角田美代子に巻き上げられるという悲惨な状況に追いやられてしまいました。
大江和子さんは服従する事がなかったそうで、「一緒には暮らしていけない」と、角田美代子の家を後にし東京の親戚宅に移りましたが、再び連れ戻され、監禁後、疑似家族による執拗な暴行を加えられるようになっていきました。
再び、「娘に殺される」などと通行人に訴えて脱走を試みましたが、またもや連れ戻され、その後死亡した大江和子さんは、ドラム缶の中に入れられコンクリートで固められ貸倉庫に遺棄されてしまいました。
大江和子さんの遺体は、肋骨3本、喉の骨の一部が折れ、胸や腹に暴行を受けた後、喉を圧迫されて死に至った事が司法解剖により明確になったそうです。角田美代子が現れるまでは、普通に幸せな川本家がいっきに地獄へ叩き落とされてしまい、大江和子さん殺害という悲惨な結末になってしまったのです。
自爆装置と呼ばれていた李正則と共に、親戚や知人を地獄へと引きずり込まれた4家族でしたが、哀しい事に親族らが犯行に加担するという異質な状況だったため、難解極まる事件だった事には間違いなかったのでしょう。
~尼崎事件の被害者が増えてしまった理由~
実は、「尼崎事件の首謀者」角田美代子の遠縁にあたる男性が、隙を見て逃げ出し兵庫県警甲子園署に3度かけ込んでいたそうでした。しかし、いずれも「民事不介入」を理由に警察が動かなかったと証言していた事がわかりました。
警察は、男性に話をさせるだけさせて諦めて帰るのを待っていたような感じだったそうです。「困っている人間の話であんたらが出動するためには事件化せなあかんねんな。ほな、事件にしたるわ」・・・・。
男性は警察を動かそうと、「あえて窃盗事件の起こす計画」を角田美代子に提案したところ、あっさりと角田美代子に受け入れられ、計画は実行される事となりました。
その後、事件を起こした男性は、角田美代子のマンションに残っていた妻子を連れて逃げ出し、兵庫県内のある街で潜伏生活を送る事となったそうでした。そして男性は、窃盗事件の出頭を決意し、警察に出向いて洗いざらい証言する事となりました。
それを機に、角田美代子や、「尼崎事件の黒幕」李正則と共に犯行に加担した親族らも、窃盗に関与したとして次々に逮捕される事となっていきます。
これで2年半続いた家族乗っ取り事件に終止符が打たれる事となったのでしたが、男性は、「あの時私が警察に駆け込んだ段階で動いてくれていたら、それ以降に死んだ人らはみんな助かっとったんです」と悔しさを滲ませていたそうです。
では、次に「尼崎事件の首謀者」角田美代子の生い立ちや経歴について解説していきます。
犯人①角田美代子の生い立ち&経歴【尼崎事件】
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「尼崎事件の首謀者」角田美代子について、しっかり見ていきましょう。悪の根源である「ねじ曲がった思想」は、親譲りだったのか?と思わされるほど呆れた実態が浮き彫りになってきました。
1948年兵庫県尼崎で生まれる
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「尼崎事件の首謀者」角田美代子は、建設業を営んでいた両親のもと、長女として産声をあげました。凄腕だった手配師の父親のおかげか、幼少期から何不自由ない生活をしていたそうです。
ただし、角田美代子の凶暴性を培った父親でもあったようでした。父親は、素性によくわからない流れ者などを、手懐けて労働させていたようです。そして、賃金から初期時代や酒代などの名目で「ピンハネ」しながらも、「アメとムチを使い分け」し、時には美味しい食事や酒を与えて楽しませていたそうでした。
角田美代子の母親は、働くことをしない他力本願な女性だったようで、父親は「人夫は生かさず殺さず働かせるだけ働かせろ」という考えの持ち主だったそうです。幼少期からそのような親を見て育った角田美千代は、後に起こす尼崎事件で父親と同じ手法で犯罪を犯す事となります。
学生時代から凶暴だった角田美代子
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「尼崎事件の首謀者」角田美代子は、地元の小中学校に通っていたそうで、高校は地元私立の女子高に入学しましたが、たった一学期で自身から退学をしたそうです。
中学校時代は、ほとんど学校には登校していなかったそうで、たまに登校してきたかと思ったら、気に入らない女子生徒に因縁をつけるなどして喧嘩ばかりしていた角田美代子だったようです。
親分のような口のきき方や、子分を連れて回ったりしてハバをきかせていた角田美代子の人格への片鱗はこの頃から見え隠れしていたようです。角田美代子は、10代の頃尼崎市内の繁華街にてスナックを開店させ女性従業員を雇うまでになっていたそうでした。
18歳~兄の交際相手だった安藤みつゑさんと出会う
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「尼崎事件の首謀者」角田美代子は、兄・角田久芳さんの交際相手だった安藤みつゑさん(当時25歳前後)と出会う事となりました。後に、角田美代子の指示にもとで、「疑似家族」に殺害されてしまう事になる安藤みつゑさんは、角田美代子のマンションの連帯保証人となります。
その後、安藤みつゑさんは、角田美代子のマンションで暮らすようになり、家政婦のように働かされていたそうです。
20代に結婚するも「即離婚」~水商売や個人輸入業代行業を営む
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結婚離婚を経て、「尼崎事件の首謀者」角田美代子は、友人を頼りに横浜へ移住しました。
戸籍上の義理妹にあたる角田美枝子と共同経営を開始、ラウンジ経営と並行しながら、故郷の尼崎市内でブランド製品などを取り扱う個人輸入代行業にも専念していたようでした。
30代で分譲マンションに入居
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33歳で尼崎市長州東通の、5階建て・3LDK・家賃6万円の賃貸マンションに入居した「尼崎事件の首謀者」角田美代子でした。そこでは、角田美代子と内縁の夫、戸籍上の義理の妹・角田三枝子の3人で生活していたそうです。
しかし、数年後、角田美代子は同じ賃貸マンション5階の隣同士の2室を借りる事となりました。借りていたマンションの部屋は、いずれも3LDKで倉庫代わりに使っていた部屋もあったそうでした。
また、賃貸マンションでは、角田ではなく「東」と名乗っていた角田美代子だったのです。
角田美代子再婚~「優太郎」は角田美代子が産んだ子どもではなかった
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30代後半に地元・尼崎に戻った「尼崎事件の首謀者」角田美代子は、再婚相手と、息子・優太郎、戸籍上の義理妹の角田三枝子と暮らすようになります。しかし、角田三枝子は、これら同居人に命令口調で語るなどして近所からも不気味がられていた存在だったようです。
それは、角田美代子が外出する際に、これら同居人が全員で廊下に立って見送るなど異様な光景が見かけられていたからでした。それから、ほどなくして同居中の義理妹・角田三枝子の夫だった橋本久芳さんの実母が行方不明になってしまったそうです。
失踪宣言が出されたのは2006年でしたが、94年に既に戸籍上の死亡とされていた実母について、角田美代子の関係者らが「殺された」などと明かしていたそうでした。
角田美代子の養子で、次男的存在だった優太郎(実質、角田三枝子が生んだ子どもだった)は、2007年に高松市に住んでいた谷本家の次女・谷本瑠衣と結婚する事となります。
後に、この瑠衣も角田美代子の洗脳から、角田健太郎(養子・長男)や、夫の優太郎(養子・次男)と共に殺人の共謀者となっていきます。実は、角田美代子の実子とされていた優太郎は、戸籍上の妹だった角田三枝子が産んだ子どもで実質、角田美代子の養子だったのです。
角田三枝子は、わが子でさえも角田美代子に差し出すほど、角田美代子に洗脳されていたようでした。
犯人②李正則の生い立ち&経歴【尼崎事件】
角田元被告いとこ無期懲役確定へ|NHK兵庫 20180308
自殺した角田美代子元被告(当時64)のいとこの李正則被告(43)が、同居していた5人に対する殺人や監禁などの罪に問われた裁判で、最高裁判所は、被告側の上告を退ける決定を出し、無期懲役が確定することにhttps://t.co/ZaugBWT8XW#韓国籍 pic.twitter.com/PnfTulTHKS— washima (@ewashxima) March 8, 2018
さて、これから本題に迫っていきたいと思います。「尼崎事件の黒幕」といわれていた李正則は、どのような人物だったのでしょうか?じっくり見ていきましょう。
1974年生れ~韓国籍だった李正則
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「尼崎事件の黒幕」李正則は、韓国籍の母親のもと、尼崎市内で生まれ育ちました。
小学生低学年から野球を始めた李正則は、着々と実力を付けてゆき高校時代には香川県内の野球の強豪校に進学しました。
高校球児だった青春時代
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「尼崎事件の黒幕」李正則は、野球のセンスに加え、非常に恵まれた体格をしていたそうでした。
野球の強豪校に進学後に転校をしていた李正則でしたが、アルバイトしながら生活費を稼ぐ傍ら、転校先の野球部では主将を務めるほど頑張り屋だったようです。
高校卒業後は大手鉄鋼メーカー勤務
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高校卒業後は、大手鉄鋼メーカーに就職した「尼崎事件の黒幕」李正則でした。決して裕福だといえる家庭ではなかったようでしたが、貧しいなりに満たされた人生を送っていたようです。
しかし、母親と義父が李正則名義で借金を作っていたため、その影響で李正則の勤務先にまで取り立てが及ぶようになってきたそうでした。これを境に、李正則が転機を迎える事となります。
暴力団に入る
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やむなく退社せざる負えなくなった「尼崎事件の黒幕」李正則は、自暴自棄になり暴力団に所属するようになります。背中に入れ墨を彫り、組の運転手や事務所番などを務めたそうでした。
時には、命令で人さらいや、集団で暴力に及ぶこともあった李正則だったそうです。
立ち直るきっかけの結婚
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そのような行いをしていた当時の「尼崎事件の黒幕」李正則でしたが、内心では立ち直るきっかけを模索していたようでした。その後、中学校時代の先輩だった女性との結婚を機に暴力団から足を洗ったそうでした。
そして、子どもが生まれ、人並みのささやかな結婚生活を営んでいた李正則でしたが、その幸せは長くは続かなかったのです。
義父が皆吉家の親族だった事で運命が流転した
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「尼崎事件の黒幕」李正則の母親は、李正則の幼少期に離婚していました。再婚した義父が角田美代子の内縁の夫・鄭頼太郎と知り合いだった事から、角田美代子との接点が生まれてしまったのでした。
そして、借金があった義父に連れられて家にやって来た角田美代子がすべての元凶となりました。
「何かあったら力になるで」「父親の借金もなんとかしたるで」、そのような事をいいながら、角田美智子は巧みな話術を用いて、李正則の幸せだった家庭をも崩壊させてしまったのでした。
徐々に本性を出してきた角田美智子
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「息子の自分が(尼崎事件の黒幕・李正則)が動かへんで、なんで私ばっかり動かなあかんねん」、と、ほどなくして本性を現した角田美代子。そして、李正則に対し、義父の借金返済に強力しないと責め立ててくるようになったそうでした。
「仕事があるから、おばちゃん(尼崎事件の首謀者・角田美代子)のように動かれへん」と、家庭と仕事を持つ自分の立場を説明した李正則でしたが、みるみるうち表情が変わっていった角田美代子は・・・・。
「なに抜かしとんじゃい!」「私のバックにあるもん(者)わかってんのか?」そのように李正則を脅し始めたそうでした。
そして、同行させた次男・優太郎を指し、「殺人罪で懲役17年が確定していて、大きな暴力団組長との間に生まれた子ども」だと、嘘をつき李正則を脅していたそうでした。
角田美代子は、様々なウソを付き、李正則に恐怖感を抱かしながら様々な要求を突きつけていきました。最終的には、李正則と妻は離婚させられてしまったのです。
角田美代子から幸せな家庭を奪われたうえ、社会から隔離されるというさらなる仕打ちを受けた李正則は、もう後に引けない状態になっていたのかもしれません。
角田美代子の命令のまま悪に手を染めていくようになる
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行き場がなくなった「尼崎事件の黒幕」李正則は、次第に角田美智子宅に出入りするようになります。それから、角田家で李正則の暴力生活がスタートする事となりました。
皆吉さん一家を離散させ、財産を奪うという様々な悪行を角田美代子と共に行うようになっていきました。
角田美代子による被害者は、殺害された方以外にも消息不明になってしまった方まで様々でした。角田美代子の支配下なってしまった李正則は、悪行に加担する以外生きていく方法がなかったのでしょう。
角田美代子と李正則の関係は?【尼崎事件】
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さて、先にも「尼崎事件の首謀者」角田美代子と、「尼崎事件の黒幕」李正則の関係については少し触れてきましたが、改めてその関係について解説させていただきます。
角田美代子の脅かされ続けてきた黒幕・李正則だった
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尼崎市の皆吉家の長男の元妻の子だったの「尼崎事件の黒幕」李正則(韓国籍)は、38歳の時に角田美代子のおじの養子となりました。
そして角田美代子とは、いとこ同士の関係となりました。その後、家庭を奪われた李正則は疑似家族の一員となりましたが、実は、同居して3ヶ月間は角田美代子に監禁などされていたとの事でした。
そして、角田美代子や、角田美代子の弟・月岡靖憲の双方に、暴力団と右翼の名前を出されては「逃げたらどうなるかわかってるやろな」と、さんざん脅された李正則だったのです。
角田美代子の弟の月岡靖憲は、グリコ森永事件の重要参考人として当局から聴取を受けた過去を持つ男性で、現在、2007年に弁護士に対する恐喝容疑などで逮捕されて懲役14年の実刑判決を受けて服役中です。
そのような強面の弟に脅かされ、さらに角田美代子に逆らえなくなった李正則は、意のままに操られていくようになりました。そして、角田美代子の「暴力装置」に転じていく事となってしまったのです。
角田美代子と李正則と覚せい剤
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実は、「尼崎事件の黒幕」李正則の母親リツ子と、角田美代子は30年来の友人同士だったそうでした。また、母・リツ子は覚せい剤を使用していて過去に捕まった経験があったそうです。
「尼崎事件」では角田美代子の命令に寄り、連夜家族会議が開かれていましたが、角田美代子は覚せい剤で眠気を吹き飛ばして家族会議に臨んでいた事も判明していました。
角田美代子は、覚せい剤を腕ではなく内股に注射していたそうで、覚せい剤で眠気を飛ばしながら乗っ取った家族に対して連日連夜、家族会議を強要していたのです。
覚せい剤を打ってまでも、疑似家族らを会議と称して寝させなかった角田美代子の異常性はただならぬものがありました。また、角田美代子の覚せい剤の入手ルートですが、「尼崎事件の黒幕」李正則の後輩から入手していたものでした。
覚せい剤を手に入れるために、時には角田美代子の内縁の夫・鄭頼太郎と李正則が二人で大阪の西成まで覚醒剤を買い求めに出かける事もあったそうでした。大阪・西成区では、覚せい剤の販売人が路上にウロウロしていて、基本、誰でも入手しやすい状態となっているようです。
角田美代子と李正則の恐怖の犯行手口とは?【尼崎事件】
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皆吉・谷本両家は、「尼崎事件の首謀者」角田美代子により全財産を奪われてしまいました。
また、猪俣・橋本・大江家も乗っ取り家庭崩壊へと追いやってしまいました。この事によって角田美代子は、少なく見積もっても3億円程度手にしていたそうです。
恐怖に犯行手口とは?
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「尼崎事件の首謀者」角田美代子と「尼崎事件の黒幕」李正則が実行した犯行手口ですが、それは異常極まるものでした。
平穏に暮らしていた家族を乗っ取り、親族同士で殴り合いさせるなどの暴力を振るわせ、親族や知人らを恫喝や脅迫し暴行を与え、その上数千万単位の資産を根こそぎ奪った角田美代子と李正則だったのです。
アメとムチを巧みに使い分けて、家族の絆というものを完全に断絶して、家族同士が相互に憎しみ合うように方向付けて家庭崩壊に仕向けて行き、親族や知人らを肉体的・精神的に追い込み、徹底的に支配下に置くように仕向けて行くのが角田美代子らの上等手段でした。
時には、角田美代子の父親のように、時には一歩引き、肩をたたきながら相手に寄り添い、人生観に共感しながら共に涙を流すという態度を見せて、相手に疑いの念を抱かせないようにしていた角田美代子は筋金入りの悪党だったのでしょう。
しかし、その一方で、李正則のわずかな人の心を感じさせられるこんなエピソードがあったのです。
角田美代子から遺体の歯を抜く指示された李正則だったが・・・
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皆吉初代さんの母ノリさんを虐待死させた後、「尼崎事件の黒幕」李正則は、地中に掘った穴に埋めようとした際、再度、角田美代子に指示によってノリさんの歯をペンチで抜くよう指示されていましたが「出来ない」と答えていたそうでした。
鬼畜化していた李正則も、さすがに良心の呵責に捉われたのか、この時ばかりは角田美代子の命令に背いてしまったようでした。
反抗する者には容赦がなかった
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反抗する者への仕打ちとして行っていた事は以下になります。
- 殴る蹴る(素手、サンダルの底、タイヤブラシ、煙草の火を押し付ける)
- 正座の強要、直立したまま足踏みをずっとさせる
- 一日一食・2、3日食事抜き
- 睡眠制限
- 入浴なし、排泄はバケツに強要
- 真冬に半袖半ズボン
逆に、角田美代子の意に沿った行動をとる者へは、浪費や贅沢な生活をさせていたようでした。刃向かってくる者には、働かせて、その収入を巻きあげていたそうです。
家出した者は保険金詐欺対象となり、最終的には殺害されてしまいました。逃げても逃げても蛭のように吸いついて離れないのが尼崎事件の特徴だったように思えます。
尼崎事件の被害者詳細
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では、お亡くなりになられた9名の方の詳細に迫っていきたいと思います。
【1】安藤みつゑ
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安藤みつゑさんは尼崎市内の不動産会社に転職した際、「尼崎事件の首謀者」角田美代子に200万円の借金をさせられてしまいました。また、角田美代子のマンションの保証人にもなっていました。
そして、30歳前後に消息不明となった安藤みつゑさんでしたが、その10年後40代になった安藤みつゑさんが金策のために実家の兄弟へ連絡してきて、宝塚市で美容院を経営する三女のもとへ現れた安藤みつゑさんは、「お金を貸して」とせがんできたそうでした。
「何があったんや!借金ならみんなで返したる!だから絶対に戻ったらアカン!」と、集まった家族ら全員に止められた安藤みつゑさんでしたが、泣きそうな、おびえきった表情で家族のもとを去って行ったそうです。
これが家族が安藤みつゑさんを見た最後の姿となりましたが、後に安藤みつゑさんの弟は、「姿を見せた時に強く引き留めておいたら・・・」と、悔しさぬい声を震わしていたそうでした。
その後、安藤みつゑさんは谷本さんや仲島茉莉子さん同様に、皆吉家の民家床下で発見される事となりました。
【2】角田(橋本)久芳
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角田美千代の戸籍上の妹・角田三枝子の夫だった角田(橋本)久芳さんは、沖縄旅行中だった2005年、崖から転落死していました。
角田三枝子ら親族・知人の9人で記念撮影中に崖から転落死後、角田三枝子は夫の死亡保険金1000万円を受け取ったそうです。
その受け取った死亡保険金は、戸籍上の姉である角田美代子にも流されていたそうでした。実は、夫の久芳さんは、角田美代子らに自殺の強要を迫られていたそうでした。行き場を失った久芳さんは自ら海に身を投じる事となったのです。
【3】橋本次郎
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この橋本次郎さんは、崖から転落死した角田(橋本)久芳さんの実弟でした。
2004年頃は、東京都内に住まれていた橋本次郎さんでしたが、職場の同僚によれば、「兄の葬儀で大阪に帰る」「俺ももしかしたら殺されるかも」などと言っていたそうでした。
心配した同僚は、「帰るな」と止めるも、橋本次郎さんは「決着をつけないといけないから」「どっちみち、こっちまで追っかけてくるから」などと漏らしていたそうなのです。
2007年、再び東京都内で暮らすようになった橋本次郎さんは知人に、「軟禁状態から逃げてきた」「殺人に関わってしまった」などと話していたようです。2005年頃、親族に「角田美代子から逃れたい」と漏らしていた橋本次郎さん。
しかし、とうとう「尼崎事件の首謀者」角田美代子と、「尼崎事件の黒幕」李正則のターゲットとなり命を落としてしまいました。物置に監禁されていた時は、橋本次郎さんのヒモが緩み始めたとき、「まだ動いとんのか、ボケ。動くなよ」などと李正則に恫喝されていたようです。
角田家の疑似家族とともに李正則は、橋本次郎さんの腕を横に広げさせ資材置き場から取ってきた丸太をあてがい、ヒモでくくりつけ正座をさせ、さらにひざや足首までも縛り付けたのです。
その先に、漬物石を結び、磔のような状態にさせられたそうでした。これは、李正則が考えた虐待方法でした。橋本次郎さんはその数日後、物置内で衰弱死しました。遺体は、コンクリ詰めにされた状態で、岡山県の漁港で発見される事となりました。
【4】橋本芳子
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昭和62年に行方不明となり、平成6年に失踪宣告されていた橋本芳子さんでしたが、その後、尼崎市東海岸町の海中で発見される事となりました。尼崎事件にて遺体遺棄された疑いが濃厚となったそうでした。
この橋本芳子さんとは、崖から転落死した角田美代子の夫だった久芳さんと、ドラム缶コンクリート詰めの橋本次郎さん兄弟の実母でした。
「尼崎事件の首謀者」角田美代子の親族らが、橋本芳子さんが尼崎市の海に捨てられたと供述していた事から、不明とされた時期にすでに殺害されていたようでした。ただし、橋本芳子さん対する殺人罪や死体遺棄罪については、すでに公訴時効が成立して罪に問われる事はありませんでした。
【5】大江和子
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大江和子さんの遺体は、ドラム缶にコンクリート詰めされた状態で、尼崎市の貸倉庫内で発見される事となりました。大江和子さんの遺体は、壮絶な暴行を物語るような醜い痕がいっぱいあったそうでした。肋骨3本を折られ、のどの骨も折られていていたそうです。
胸や腹に暴行を受けていて、最終的には喉を圧迫されて死亡に至ったようでした。つまりは首絞めにあったのでしょう。娘たちもこの暴行に加わっていたと言うのですから、ただただ無念としかいいようがないのでしょう。
【6】皆吉ノリ
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初代さんの母親だったノリさんですが、虐待の果てに尼崎で命を落とす事となりました。
そして、遺体は「尼崎事件の首謀者」角田美代子の指示で、「尼崎事件の黒幕」李正則が高松までノリさんの遺体を運んで地中に埋めてしまったそうでした。
その時、角田美代子からある指示がありましたが、さすがの李正則も実行することは出来なかったようでした。その内容については、後ほど解説いたします。
【7】皆吉初代
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大阪市内の駐車場で、車内に座っていた皆吉初代さんの頭を激しく揺さぶって急性硬膜下血腫で意識不明となって死亡しました。
亡くなり方としては、他の方に比べたら最も自然な亡くなり方になるのでしょうか・・・。
【8】谷本隆
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谷本家のおじだった谷本隆さんは、家族に「40万円を用意してほしい」と連絡したそうでした。しかし、最終的には「尼崎事件の首謀者」角田美代子の指示で殺害されてしまいました。
その後、谷本隆さんの遺体は尼崎市の皆吉家の民家床下に遺棄される事となりました。そこは、仲島茉莉子さんや、安藤みつゑさんが捨てられていた場所だったのです。
【9】仲島(皆吉)茉莉子
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物置内に監視モニターが設置され、死亡直前には頭を踏みつけられ暴行を受けていた仲島茉莉子さんは、谷本隆さんと皆吉ノリさんと共に尼崎市の民家床下で発見されました。
仲島茉莉子さんの実父が「茉莉ちゃんが暴力と空腹感と恐怖で次第におかしくなっていった。幼かった瑠衣ちゃんは、次第に角田美代子らに取り込まれていったんです」と証言していたそうです。
そして、実父は妻・皆吉初代さんとの離婚を強要され苦しい日々を送っていた胸中も明かしていました。「このままでは死んでしまう」・・・。隙を見て、妻・皆吉初代さんと長女・茉莉子さんを逃がして実父も逃げたそうでしたが、最終的にふたりは殺害される事となってしまいました。
実父は、その後友人宅を転々とし、「家族に会えるかもしれない」という希望を持ちながら、偽名で生活をしていたそうです。しかし、妻や娘の死を受けて、「生き残った者として知っている事は話したい」と、悲しみを押し殺しながら、凄惨な日々を証言していたのです。
尼崎事件に加担した「疑似家族」のその後
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さて、「尼崎事件の首謀者」角田美代子の恐怖から抜け出せずに、加担してしまった親族らは、その後どのようになったのでしょうか?
先ずは、捕まった親族らを再度確認していきましょう。
捕まった疑似ファミリーたち
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- 李正則(無期懲役):角田美代子のいとこ
- 鄭頼太郎(懲役21年):角田美代子の元夫
- 角田三枝子(懲役21年):角田三枝子の戸籍上の妹
- 角田優太郎(懲役21年):角田美代子の実子とされていましたが、実質、角田三枝子が出産した子どものため養子となります
- 角田健太郎(懲役21年):角田美代子の養子
- 角田瑠衣(懲役23年):角田優太郎の妻
- 仲島康司(懲役15年):仲島(皆吉)茉莉子の夫
- 大江香愛(懲役3年):大江和子さんの長女
- 大江裕美(懲役2年):大江和子さんの次女
- 河村博之(懲役3年6カ月):大江和子さんの次女の夫
「尼崎事件の黒幕」李正則の数奇な運命は、先にご紹介しましたのでここでは控えさせていただきますが、内縁の夫・鄭頼太郎も角田美代子には呼び捨てされ粗末に扱われる存在でありました。
また、小さい頃から角田美代子に虐待され体を舐めさせられるなどの性的虐待を受けていた次男・優太郎だったようです。
「小さい頃から虐待されていて、逆らえなかたった。変な愛情をかけらていて逃げても絶対に連れ戻されると思って逃げ出せなかった」と証言していて、そのような優太郎に同情的な視線を送る裁判員もいたとの事でした。
次男・優太郎の妻だった瑠衣もこの疑似家族に加わる前は、学業優秀で明朗快活な普通の女の子だったそうです。
川村博之も一家離散させられ、大江和子さんの娘たちは、角田美代子の手が自分たちに及ばないように、川村博之と共に止む負えず母・大江和子さんを死に追いやってしまいました。
壮絶死した仲島茉莉子さんの夫だった仲島康司も、やむおえず妻に暴行を加える事となってしまったのでしょう。角田三枝子も夫殺しに加担し、保険金を手に入れるなどし、すっかり悪魔の角田美代子に洗脳され心を奪われていたのです。
密室で起こった疑似家族の悲劇は、「尼崎事件の首謀者」角田美智子のよって起こされた「尼崎事件」が元凶でした。そして、「尼崎事件」に関わらざるおえなかった親類全ての人生をも奪う惨劇だった事は、みなさまにも十分ご理解いただけた事でしょう。
角田美代子のその後【尼崎事件】
複雑な疑似家族による、難解極まる「尼崎事件」でしたが、殺人容疑などで再逮捕されていた「尼崎事件の首謀者」角田美代子は、兵庫県県警本部の留置場で自殺してしまいました。
時は2012年12月12日でした。享年64歳、Tシャツを用いての首つり自殺でした。
遺書はなかったそうですが、生前、角田美代子は、「生きていても意味がない」と、弁護士に話していたそうでした。
留置場という環境下におかれた角田美代子は、やりたい放題にしてきた生活から隔離された生活に変わった事が「絶望感」を引き起こした原因なのではないかと言われていたようです。結局は、最後まで自分本位な角田美代子だったのでしょう。
角田美代子から、自殺願望を聞かされていた弁護士らは「尼崎事件で逮捕・起訴された関係者の処分を見届けずに死ぬことは許されない。最後まできちんと裁きを受け真相を述べる必要がある」事をいい続けたそうでした。
死の間際、角田美代子は弁護士の接見後には、深々と頭を下げ「ありがとうございました」などと、礼を言っていたそうなのです。しかし、疑似家族を利用して、多くの親戚や、知人を犯罪に巻き込んだ後悔や、命をかけてでも懺悔する角田美代子はいなかったようでした。
ただ、自分が作り上げた疑似家族というワールドが崩壊した事だけに絶望感を感じて死に至ったのであろうと専門家は指摘していたのです。暴力や精神的に脅かす行為を繰り返しながら、他人を取り込んで支配下に置くことが角田美代子にとっての悦びは非常に特殊な事だったのです。
恐怖から抜け出したくても抜け出せなかった被害者らの心をコントロールし続けていた角田美代子。しかし、亡くなった方や、殺されたであろう被害者らに対して、「全く愛情がなかったわけではないのでは?」と推定する犯罪心理学者もいたとの事でした。
角田美代子の自殺に怒りを覚えた被害者遺族
日本の刑務所でも殺されてますよね。
「戸籍ロンダリング」「背乗り」の有名な尼崎事件で自殺した角田美代子。
口封じの他殺としか思えないです。 pic.twitter.com/qobOtce89W
— Quest (@JP_Quest) August 11, 2019
2003年に、「尼崎事件の首謀者」角田美代子に一家離散に追い込まれた角田瑠衣容疑者の父親は、「何ひとつ語らぬまま死んでしまった」と落胆を隠せなかったようでした。
この瑠衣容疑者の父親は、今後の裁判で角田美代子らの犯行が明らかにされる事だけを支えに生きておられたそうでした。
また、尼崎事件により、行方不明になっている男性(36)の祖母で、角田美代子から虐待を受けていた女性の知人は、「死を持って償ったのではなく、いろいろと警察の追求に耐えきれず自殺したのでは」と語っていたそうです。
尼崎事件の首謀者の死は、真相究明において非常に大きな影響を与えることとなり、裁判で真相を知りたいという被害者遺族らへあらたな仕打ちとなってしまったのです。
李正則のその後【尼崎事件】
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尼崎事件で、3件の殺人、および1件の傷害致死を含む10件の罪に問われていた「尼崎事件の黒幕」李正則でした。上告審で最高裁第2小法廷は、被告側の上告を棄却。無期懲役とした1、2審判決が確定しました。
幸せだった家族を人間としても誇りが砕けるまで踏みにじっていた李正則には当然の判決だったのでしょう。
角田美代子と知り合ったことで疑似家族の一員になってしまった李正則は、「角田美代子に従わないと自分が標的にされる可能性があった」と自身も角田美代子に怯えながら生きていた事を証言していたそうです。
あのとき、角田美千代が家にやって来さえしなければと・・・と後悔していたであろう李正則だったのかもしれません。家庭を奪われ、堅実に生きてきた自分から幸せを全て奪ってしまった角田美智子への恨みは計り知れないものだったのでしょう。
尼崎事件の新事実!新たに浮上した「黒幕の存在」
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実は「尼崎事件の首謀者」角田美代子には、若かりし頃に男女の関係にあった男性がいました。角田美代子より10歳前後年上でしたが、非常に若々しくエネルギッシュなパワー溢れる男性だったようです。
行動力がある上、頭脳明晰で金融・証券の知識から、最新のIT器機の活用法まで精通していたそうで、さらに語学も日常会話程度なら、英語と中国語が話せるという俊英だったそうでした。
角田美代子は、その男性の影響から人生哲学や人心掌握術などを学んだようでした。当時、カルト教団や、新興宗教団体との繋がりがあったとされる男性が、そこで学んだ詐欺的脅迫的手法を角田美代子に伝授していた節があったようでした。
実は、角田美代子は日常的に日記を付けていたそうでしたが、その中にはその男性から受けたアドバイスが多数書きこまれていたそうでした。
男性と警察の癒着
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そのアドバイスとは先に解説した「尼崎事件の首謀者」角田美代子と、「尼崎事件の黒幕」李正則の犯行手口でした。
この男性は、山口系暴力団下部組織の幹部で、尼崎事件と類似した事件の北九州監禁殺人事件の全貌を知悉していて、明るみになっていなかった警察当局の捜査情報を握っていたそうです。
おそらく、警察上層部とのコネクションがあったのだろうと推測されていた人物だったのです。しかし、その後、角田美智子は乗っ取り事件を起こす事となりましたが、アドバイスをもらっていたその男性が急死し、事件への流れが変わる事となっていきます。
アドバイザーを失ってしまった角田美代子はミスを多発、角田美代子の手に内から逃走した親類が大阪府警にかけ込んだことで全てが露見する事となりました。
その後、一年以上拘束されていた角田美代子、留置所内で習慣だった日記をつけていて、最初はきれいな字で書かれていた日記が、だんだんと殴り書きに変わっていきました。
信頼していた仲間たちの自供が、角田美代子を窮地に追い込む事となったのです。そして、自殺前に「警察に殺される」というメッセージを残しこの世を去っていきました。
しかし、不思議な事に、これ以降のページが何者かにより破り取られていたそうです。このような事が出来るのは当然、警察内部の者以外いるはずがなかったのですから・・・。
やはり日記のページを破り捨てた犯人は「警察内部の者」?
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実は、この角田美代子の自殺に対して異を唱えていた人物がいたのです。それは、現役ヤクザの男性でした。
まずは、「自殺をほのめかしていた角田美代子を単独房に留置しなかった事が最大の判断ミス」と指摘していたそうでした。
次に、警察がよくやるやり口だそうですが、わざと3人部屋に入れ、他の受刑者に「刑をを軽くしてやるから角田からなにか聞き出せ」と指示した可能性も指摘していました。
もうひとつの指摘ですが、留置所ないでの自殺が可能かどうかでした。実質、角田美代子は、刑務官や同部屋に他の受刑者がいる中での自殺でした。
異変を察知した巡査長が、当直の職員と共に部屋の中に入って、Tシャツの袖を首に巻き意識を失っていた角田美代子に人工呼吸を施しましたが、搬送先の病院で死亡したそうでした。
警察の失態があった事は明確でしたが、男性が証言するように背景に他の受刑者との癒着があった警察だとしたら、角田美代子が書いていた日記をこれら受刑者に破らせ破棄させる事は容易い事だったのかもしれません。
この事から協力を求めた警察と受刑者の双方が、日記に記されていた内容を把握済みだと考えても全然不思議ではなかったのです。
角田美代子が真相を語らぬままこの世を去った以上は、生き残った者の証言に頼る以外手はないのでしょうが、「真相を墓場まで持っていこう」と考えている関係者がいるとするならば、それは決して許される事ではないのでしょう。
尼崎事件まとめ
中国はウイグルやチベットに背乗りして暴虐の限りを尽くしている。中国が国家レベルで「北九州監禁殺人事件」や「尼崎事件」のような犯罪を犯し、中国の国家意志は「松永太」や「角田美代子」の様な残忍なものであると理解すれば、左翼や媚中派が如何に愚かで有害か分かるだろう。 pic.twitter.com/1FBdO2MjUE
— 十貫坂 (@jyukkanzaka) December 27, 2018
みなさま、この尼崎事件の全貌を読まれてどのような感想を持たれましたでしょうか?
この「尼崎事件の首謀者」角田美代子は、もうひとりの黒幕だった男性から犯行に関しての様々な指導を受けていました。また、角田美代子の自殺に関しても、受刑者や警察らの癒着が否定できない証言も判明しました。
みなさまの中でも、「点と線」が結ばれたのではないでしょうか?
角田美代子は、その「もうひとりの黒幕だったという男性」から様々な手法を学んだ結果、「尼崎事件の黒幕」李正則と共に、その中で自分たち流に進化させた手法を用いて悪行を行い、多くの命を奪ってしまいました。
また、犯行が行われた角田美代子のマンションですが、その後競売にかけられ、大阪の金融業者が1330万で落札したようでした。尼崎市長州東通り3丁目にあるこのマンションは、2008年築・8階建てで、角田美代子らは最上階に住んでいたそうです。
2011年11月まで疑似家族が生活していたマンションでしたが、実際のところ、なかなか買い手が付かなかったようでした。不動産検索サイトの物件ページにて、「重大な心理的瑕疵あり」と表記されていたのにも関らず、好条件なため問い合わせが多くあったようでした。
しかし、このマンションであった事を伝えると途端に電話が途切れていたそうなのです。地域的な繋がりの残っている地方では、いまだにこのマンションへの抵抗が根強いようでした。
北九州監禁殺人事件と同種だったこの事件は、首謀者の角田美代子が自殺したため、完全な真相究明には至っておりません。しかし、事件に加担した親類たちは、皆揃って後悔の念を明かしていました。
角田美代子の呪縛から解き離れて、各々が事件の詳細を語っていましたが、一方で自殺した角田美代子が残した日記が何故破り捨てられるという事が警察署内で行われていた事実をどのように理解すればいいのでしょうか。
このような問題も山積している尼崎事件でしたが、「角田美代子や組幹部だった男性と癒着があった警察上層部が誰なのか?」、また「他の受刑者にあのような指示を本当に警察内で行われていたのか?」
これらが本当に事実であれば、角田美代子は国家によって消されてしまったと考えても決しておかしい事ではなかったのです。
真実が明かされてこそ、初めて犠牲者を弔う事が出来るのです。お亡くなりになられた犠牲者に心よりご冥福をお祈り申し上げながら、いつの日か「尼崎事件の闇」が晴れる事を願いつつ、真相が明らかになる日をみんなでひたすら待ち続けましょう。