王将社長射殺事件の真相!大東隆行を殺した犯人は暴力団関係者? | ToraTora[トラトラ] – Part 2

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王将社長射殺事件とは、2013年(平成25年)の12月19日の早朝に当時の4代目社長であった大東隆行氏が、遺体で発見された事件のことを指します。

その後の捜査で、この王将社長射殺事件で殺害された大東隆行氏は5時45分頃に待ち伏せしていた何者かによって拳銃により射殺されたと見られています。

この王将社長射殺事件については、当時メディアや2chなどで大きく取り上げられ、その犯人ついていろいろな憶測、推測がなされました。

例えば、王将社長射殺事件の犯人は暴力団関係者か?はたまた、北朝鮮や中国などの海外マフィアか?それとも、他のライバル企業による差し金ではないのかなど様々な説があります。

また犯人だけではなく、その犯行動機や、大東隆行氏を取り巻く暴力団などとの黒い関係など様々な議論等が展開されましたが、現在に至るまで、犯人はおろかこの王将社長射殺事件のほとんどの真相は闇の中という状態です。

ここで、王将社長射殺事件についてご説明する前に、王将という企業の背景や、大東隆行氏について簡単にご説明します。

王将という企業は1967年(昭和42年)に京都にその1号店が加藤朝雄氏によって開店したことから始まります。

この創業者加藤朝雄氏という人物についてですが、その出自については不明な点が多く、彼を取り巻いたと噂される、中国や北朝鮮、そして暴力団などの黒い交際が王将社長射殺事件の遠因ではないかとも言われています。

そして、王将社長射殺事件によって殺害された大東隆行氏は、彼の16歳離れた姉の梅子氏が加藤朝雄氏に嫁いでおり、創業者加藤朝雄氏の義理の弟ということになります。また、加藤朝雄・梅子夫妻には2人の息子がおり、娘はいません。

王将社長射殺事件の被害者である大東隆行氏はその縁から餃子の王将1号店へ1969年(昭和42年)に入店します。それから1978年(昭和53年)に営業本部長になり、1995年(平成7年)に副社長を経て、2000年(平成12年)に社長へ就任することとなります。

王将では、創業者の加藤朝雄氏から4代目社長の大東隆行氏までに2人大東隆行氏とは別の人物を社長として挟んでいます。2代目の社長となったのは、加藤朝雄氏の息子ではなく、他企業のアサヒ元副社長であった望月氏という人物でした。

創業者の加藤朝雄氏が体調を崩したため、望月氏に社長業を依頼することになり、この時点ではまだ王将は優良企業だったと言われています。

しかし、その後1993年(平成5年)に加藤朝雄氏が死去し、息子の加藤潔氏が3代目の社長としてその地位に君臨し、それだけではなく、王将の筆頭株主を一族で固め始めます。

この頃から、王将の企業としての経営は徐々に傾き始めます。それは、一説では息子である加藤潔氏が、中国や北朝鮮、そして暴力団などの黒い交際を引き継いだことや、そういった団体への過剰な忖度、資金提供を行った為だとの噂が理由として挙げられているようですが、真相は定かではありません。

そしてあれよあれよという間に企業としての王将の経営は傾き、クーデターにより、創業者の息子である加藤潔氏は2000年(平成12年)に社長の座を下ろされることになります。

そして、4代目社長に、後の王将社長射殺事件の被害者となる大東隆行氏が抜擢されます。大東隆行氏は創業者の息子、加藤潔氏とは一線を画し、王将に勤務してからの初期の精神を忘れず、本企業の社長であるにも拘らず、早朝5時半ごろには直営店舗に出向き、店の玄関先の掃除などをしていたようです。

また、フランチャイズオーナー達の写真を自身の見える場所に常に置き、一人一人の顔と名前を覚えたりと、謹厳実直な経営スタイルを擁立します。

しかし、この後に王将社長射殺事件において殺害された大東隆行氏は王将という企業での仕事ぶりについてはその手腕や経営方針、それに基づく行動がかなり明かされているのにも関わらず、プライベートにおいては結婚しているのか?娘や息子などお子さんはいたのかなどその真相は一切がベールに包まれているようです。

そして大東隆行氏に経営交代後、王将は徐々に企業としてその経営を立て直していきます。しかしその最中、2013年に王将社長射殺事件が発生し、大東隆行氏は凶弾に倒れてしまいました。

では、この王将社長射殺事件の概要について次項で見ていきます。

王将社長射殺事件の概要を解説!

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本項では、大東隆行氏が殺害されるに至った王将社長射殺事件の概要についてご覧下さい。

【1】事件発生前

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まず、王将社長射殺事件発生前についてですが、2013年(平成25年)の12月19日の早朝5時半ごろ、王将本社へ出勤するために車で大東隆行氏が到着しました。

この日の朝も、大東隆行氏にとっては恐らくいつもと同じような朝だったに違いなかったことでしょう。

【2】事件発生

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大東隆行氏が車を降りるや否や、何者かに拳銃で4発撃たれてしまいました。その全てが急所に命中していたというのですから、絶命は免れなかったのでしょう。

そして、この時の犯人が未だに分かっていません。それは暴力団関係者や、中国、北朝鮮のマフィア、はたまた他企業による差し金説など様々あります。王将社長射殺事件の犯人の真相は今も闇の中です。

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その後、早朝に車の傍で凶弾に倒れる大東隆行氏が心肺停止状態で発見されます。そして病院で大東隆行氏の死亡が確認されます。

メディアはこの王将社長射殺事件をいち早く取り上げ、またそれに呼応するかのように2ch等のネット掲示板なども王将社長射殺事件についてその真相を探るべく騒ぎ始めます。

その内容は王将社長射殺事件の犯人が暴力団関係者や、中国、北朝鮮のマフィア、はたまた他企業による差し金であるなど、また、創業者に息子黒幕説など憶測にすぎないものがほとんどでした。

一方警察も捜査に乗り出します。犯人特定に繋がる手がかりや、有力かと思われる情報が王将社長射殺事件捜査本部に300件以上寄せられます。

しかし、どれも決め手に欠けるものばかりでした。犯人が逃走にバイクを使用したこと、そして事件現場の近くで発見された遺留品から検出されたDNA型が九州の暴力団組員のものと一致したことくらいしか有力な手掛かりはなく、九州を中心に捜査を実施しますが、結局犯人の真相は現在におけるまでつかめていません。

大東隆行を殺した犯人について謎が多い?

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ここまでご覧いただいてお分かりの通り、王将社長射殺事件で大東隆行氏を殺害した犯人などの真相については謎が多いままなのです。

その理由として王将社長射殺事件が発生し、大東隆行氏が殺害されたのが早朝だったことや、王将社長射殺事件の犯人を確定できる証拠の圧倒的な少なさ等もあり、この王将社長射殺事件についてはその経緯や、犯人像、また動機などについてもそのほとんどが現在に至るまで判明していません。

2chなど一部ネット上では、「創業者一族の権力で大東隆行氏が消された」や「大東隆行氏は王将の闇の部分に触れた」などの書き込みもあったようです。

創業者一族と言えば、王将には現在、王将社長射殺事件自体とは別でその遠因と言われている他の問題や謎も多々あります。その一つとして挙げられるのが、創業者の孫にあたる人物について(以下孫とします)です。

孫はウクライナ人の娘(以下娘とします)と結婚します。彼の父親に当たる3代目社長加藤潔氏は、その際、この娘との結婚に猛反対しています。式にも出席しなかったようです。

それでも、加藤潔氏を始めとする創業者一族はこの孫に王将の次期社長として王将の店舗で勤務させたり、王将の中枢に入れるように尽力します。

しかし、孫は、全くまじめに勤務しなかったそうで、さらに結婚間もなく、妻であるこの娘にDVをし、娘の祖国ウクライナの家族ともめています。

そして、娘はその後誕生した長男と共に一旦ウクライナに帰国してしまうことになります。焦った孫は、娘との関係を取り繕うために、エジプト旅行を娘に提案します。

娘はそれを了承し、家族3人でエジプト旅行に出かけます。その時、娘が一瞬席を外した隙に、孫は長男を連れて失踪します。娘は必死に捜索しましたが、長男と、旦那である孫は結局見つかりませんでした。そして現在に至るまで2人は見つかっていません。

失意の中、娘はこのDVから失踪までの一連の孫の行動を、某週刊誌にリークし、大々的に報じられます。実はこの娘の暴露によって、創業者一族が経営のトップに立つことが永遠に断たれてしまうことを危惧した一族の誰かが王将社長射殺事件を企てたのではないかとも言われています。

しかし、こういった2chなど一部ネット上の書き込みは憶測の域を越えるものではありません。結局、王将社長射殺事件の真相は現在も闇の中です。

次項では、大東隆行氏を殺害した王将社長射殺事件における犯人などの可能性として挙げられている説をいくつかご紹介していきます。

大東隆行殺害に暴力団?中国マフィア?北朝鮮が関与?

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本項では、大東隆行氏が殺害された王将社長射殺事件における犯人として挙げられている説をいくつかご紹介していきます。

中国マフィア説

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まず、2ch等の掲示板等で大東隆行氏を殺害した王将社長射殺事件における犯人の筆頭として挙げられる説が、この中国マフィア説です。

簡単にご説明すると、創業者の加藤朝雄氏については、王将を創業するまでのその出自がはっきりせず、謎に包まれた部分が多い人物なのですが、一説によると彼は戦中、中国大陸に出兵しており、王将の代名詞ともいえる中華料理もその頃覚えたという話があります。

それだけではなく、後の中国マフィアとの繋がりもその頃既に構築しており、王将創業後もずっと続いていたと言います。

2chでは王将のオーダーが今現在も中国語で統一されているのはその影響だという意見もありますがこれについては定かではありません。

そして、その中国マフィアとの繋がりは先述の3代目社長であり、創業者の息子に当たる加藤潔氏にも受け継がれていたと2ch等一部ネット上では記載があり、王将の経営が創業者の息子加藤潔氏の代で大きく傾いたのも、そういった中国マフィアへの資金提供があったからではないかと言われています。

どうやら、その流れを強引に断ち切ろうとした大東隆行氏が王将社長射殺事件において殺害されたのではないかとする説です。しかし、真相は定かではありません。

北朝鮮関与説

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他に2chなどを中心としたネット上で多く挙がっている大東隆行氏を王将社長射殺事件にて殺害した犯人の説として北朝鮮関与説という説があります。

こちらの北朝鮮関与説も中国マフィア説とそう大きくは変わらない内容です。要は北朝鮮と創業者には黒い交際が創業当時より存在し、息子が社長の代でもその交際は続いており、経営資金等が北朝鮮へ流れていた。

そしてそれを大東隆行氏が止めたことにより、北朝鮮当局が激怒し、北朝鮮工作員により、王将社長射殺事件にて大東隆行氏が暗殺されたという説です。

この王将社長射殺事件における北朝鮮関与説には、2chなどネット上でその派生バージョンも存在します。それは創業者や、息子は関係なく大東隆行氏自身が北朝鮮と深い縁のある人物で、資金的な問題で北朝鮮の怒りを買ってしまい、北朝鮮工作員により、王将社長射殺事件にて大東隆行氏が暗殺されたというものです。

また、2chなどのネット上でこの北朝鮮関与説が支持されている理由として、王将社長射殺事件翌日に何者かによって九州で同様の射殺事件が起きており、その犯行からプロの手口すなわち、特殊訓練を受けた北朝鮮の工作員によるものではないかということも挙げられています。

上記、中国マフィア説と同様、その真相を裏付けるまでには至らず、ただの説であるという見方が正しいようです。

暴力団員説

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こちらも2ch等で王将社長射殺事件で大東隆行氏を殺害した犯人として挙げられている有力な説です。

経緯に関しては、先述の創業者や息子による黒い交際に関する者や、また、他企業による差し金説など様々存在しますが、要は王将社長射殺事件で大東隆行氏を殺害したその犯人が暴力団員ではないかとする説です。

警察も、王将社長射殺事件で大東隆行氏を殺害した犯人はその遺留品であるタバコ等から検出したDNAなどにより、暴力団員である可能性が高いとしており、同DNAなどから割り出した暴力団員が九州の所属であったため、九州でも王将社長射殺事件の捜査を実施しています。

しかし、2ch等、ネット上ではこういった書き込みもあります。「王将社長射殺事件で大東隆行氏を暗殺しに来た暴力団員がわざわざ証拠になるようなものを現場に残していくだろうか」というものです。これは一理あります。

また、同業である暴力団員は、「今現在、暴対法が厳しくなっているのに、そんなハイリスクローリターンな殺人を簡単にはしない」また、「日本の暴力団は殺人をする時、拳銃ではなく刀を使うのが一般的である」などの証言も行っているようで、確かに納得させられる部分もあります。

こうしたように、やはり、上記の中国マフィア説や北朝鮮関与説同様、真相というには暴力団員説もいまいち決め手に欠けるような気もします。

大東隆行の追悼はやっぱり餃子だった。

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いかがだったでしょうか。今回は王将社長射殺事件について、その被害者である大東隆行氏の人物像や、事件の顛末、また、犯人などの真相について調査致しました。それでは、簡単にまとめます。

●王将社長射殺事件とは、2013年(平成25年)に起きた、当時王将の社長だった大東隆行氏が早朝、何者かによって射殺された事件である。

●創業者である加藤朝雄氏は1967年(昭和42年)に京都に第1号店を出店し、その後王将は全国展開し、今に至る。しかし、同氏についての出自は不明な点が多く、また、黒い交際についても度々噂されている。王将社長射殺事件の被害者大東隆行氏は義弟に当たる。

●その後、外部の人間が一度社長の座に就くが、加藤朝雄氏の死去後、息子の加藤潔氏が社長に就任し、一族がその経営権のほとんどを握る。しかし、その経営は悪化する一方で、そんな中クーデターが起こり4代目社長として就任したのが、王将社長射殺事件の被害者大東隆行氏である。

●王将社長射殺事件で大東隆行氏を殺害した犯人はについては2chなどのネット上を中心に、中国マフィア説、北朝鮮関与説、暴力団員説など様々で、その黒幕が創業者の息子、大東隆行氏本人説などこちらも様々あるが、どれも憶測や推測の域を越えておらず真相とは言えない。

●結局、大東隆行氏が殺害された王将社長射殺事件は犯人や、その動機など、2chを始めとするネット上でいろいろ言われているが、その真相は謎のままである。

王将は企業として王将社長射殺事件で大東隆行氏が殺害された翌年の2014年(平成26年)に、大東隆行氏への追悼の意を示す「追悼餃子」として事件後に約2000万人が来店したことと、2chやSNSを中心とするネット上で常連客により焼きたて餃子の写真をネット上でシェアする動きが広がったことを明かしました。

そして、大東隆行氏の後任社長として就任した渡邊直人氏は「つらい時にたくさんの支援を頂いた。御礼申し上げたい」と一企業王将として感謝の意を述べるに至りました。

大東隆行氏が殺害された王将社長射殺事件については現在もその真相は謎のままですが、この一連の流れは、大東隆行氏、そして王将を皆さんが愛していることの表れに違いありません。

道半ば、志半ばで王将社長射殺事件により凶弾に倒れてしまった大東隆行氏は本当に気の毒でしたが、大東隆行氏が目指した王将の志は多くの人に共有されて今現在も生きていることでしょう。

王将の餃子は本当においしいです。一度食べると病みつきになります。是非今日のメニューに王将の餃子はいかがでしょうか。

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