引用: Pixabay
2003年7月に政治家の多い赤坂のマンションで小学生が監禁された事件。それがプチエンジェル事件です。
プチエンジェル事件の被害者となった売春少女たちは全部で4人。渋谷で吉里弘太郎の巧みな話術によって勧誘され、プチエンジェル事件の起こった政治家の多い赤坂のマンションへ連れて来られました。
プチエンジェル事件の移動手段はタクシー。当時の国会(内閣総理大臣・小泉純一郎)でもプチエンジェル事件が取り上げられ、少年・少女の性教育の在り方について政治家の討論が行われています。
国会は毎年6月に閉会しますが、7月18日の衆議院予算委員会で保守新党の山谷えり子(政治家)がプチエンジェル事件(児童売春)に言及しているのです。プチエンジェル事件解決の翌日、渋谷で警察の取り締まりが強化され、プチエンジェル事件を契機に補導された少年や少女は軽く1,000人を超えました。
まさに売春少女や政治家の実態を世に知らしめた事件がこのプチエンジェル事件だったのです。
一方でDVなどでやむを得ず家出をしたプチエンジェル事件のような少女たちがいるのも事実。少年なら腕力で対抗できますが、プチエンジェル事件のように売春少女の場合はそうもいきません。
ほんのわずかな隙をついて家を飛び出し、生活費を稼ぐためにプチエンジェル事件(児童売春)のようなデートクラブを利用した可能性もあるのです。プチエンジェル事件は、被害者の年齢の低さだけでなく、売春少女を取り巻く社会環境をも問題視された事件と言えるでしょう。
プチエンジェル事件を独自取材していた染谷悟とは?
引用: Pixabay
フリージャーナリストの染谷悟。一見すると染谷悟はサラリーマン風のさわやかな印象の顔をしています。染谷悟はプチエンジェル事件を独自に取材し、本にして出版しようとしていたという噂が流れていました。
また、染谷悟は『歌舞伎町アンダーグラウンド』の取材でも複数の嫌がらせを受けており、染谷悟の取材は困難を極めていたのは事実のようです。
なお、染谷悟の書いた『歌舞伎町アンダーグラウンド』は政治家や歌舞伎町の闇を探った一冊で裏社会をレポートしています。中古でならば2019年現在も入手可能な一冊です。
プチエンジェル事件を機に政治家に興味の湧いた読者はオンラインショップなどで探してみましょう。
ペンネームは柏原蔵書
げんさん(@genzebra)がシェアした投稿 – 2018年 3月月16日午前1時24分PDT
染谷悟の著した『歌舞伎町アンダーグラウンド』では柏原蔵書(かしわばら・くらがき)の名で活動していました。
活動当初は本名・染谷悟で活動していましたが、途中から「柏原蔵書」のペンネームでも活動。染谷悟はプチエンジェル事件のように政治家や日本社会の闇を題材とした内容で耳目を集めました。
他方で染谷悟は深入りすべきではない核心にまで手を出し、どこからか圧力を受けていたと染谷悟の編集担当は語っています。他に染谷悟名で出版された本はなく、染谷悟はルポライターとして活動していた模様です。
ルポライターとは取材記者のことでネタを新聞社に売ったり、センセーショナルな政治家の記事を書いたりして生活しています。そのため、プチエンジェル事件や政治家のスキャンダルな記事を手に入れようと取材が過激になる側面もあり、危険な商売とも言えるでしょう。
ある事件が起きると刑事が知り合いのルポライターに尋ねることもあり、情報屋としても機能しています。主に取材が前提の上で記事を書いているので、染谷悟が政治家や歌舞伎町を嗅ぎまわっていたことは確かです。
命を狙われる
引用: Pixabay
染谷悟は『歌舞伎町アンダーグラウンド』の執筆がひと段落して、染谷悟が次のターゲットに選んだのは政治家の絡むプチエンジェル事件でした。
プチエンジェル事件の犯人の自殺に不審な点が多いことや唐突に警視庁がプチエンジェル事件の捜査を打ち切ったことから染谷悟は売れると睨んだのでしょう。本を書いたところで売れないと収益にはなりませんから…。
しかし、2003年4月ごろには染谷悟の住んでいたアパートで窓ガラスが割られるなどの被害を受けています。そんな平穏な生活を脅かしてまで、染谷悟は政治家の絡むプチエンジェル事件について取材を続ける必要があったのでしょうか。
プチエンジェル事件の政治家のように誰でも人に知られたくないことの一つや二つあります。染谷悟はプチエンジェル事件を取材する過程でこれ以上は踏み込んではいけないという直感が働けば、今も活動していたかもしれません。
時に染谷悟のようなジャーナリストはプライバシーを公然と侵害することがあります。表現の自由と訴え、権力に挑戦しているようにも聞こえます。しかしながら、人間らしい生活を送れるようにするのも人の権利。
両者のバランスを取るのは難しい問題です。
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引用: Pixabay
2003年9月12日。東京の江東区東雲2丁目で染谷悟の遺体が見つかります。プチエンジェル事件からおよそ二ヵ月の歳月が流れていました。
通報したのはトラック運転手、たまたま現場をトラックで通りかかったとのことです。東雲といえば街の南側は「東雲鉄鋼団地」。そこで働く人以外は通らない場所です。
国際展示場(東京ビックサイト)や警視庁第七方面本部が近いものの発見されにくいエリア。染谷悟の遺体の発見を遅らせるのには絶好の環境だったのかもしれません。
プチエンジェル事件から二ヵ月。プチエンジェル事件と染谷悟の関連は分かりませんが、背中をめった刺しにされていたことから、別の場所で殺害された可能性が高いと警視庁は判断。その後に江東区まで染谷悟の遺体を運び遺棄したと当時の警察は見ています。
また、直前まで染谷悟が住んでいた短期賃貸マンション内の部屋で血痕は見つからず、誰かと争った形跡もなかったとのことです。短期賃貸のマンションに引っ越してでも染谷悟がプチエンジェル事件の取材を続けたかった理由は何だったのでしょうか。
なお、プチエンジェル事件でも短期賃貸マンションが登場します。当時の東京の短期賃貸マンションは事件だらけなのでしょうか。
司法解剖の結果
引用: Pixabay
染谷悟の遺体を司法解剖したところ背中の刺し傷は8か所。東京湾に沈められたものの、染谷悟は水を飲んでおらず刺し傷が致命傷、つまり死亡原因と特定されました。プチエンジェル事件と染谷悟の関連は闇の中です。
さらに、後頭部2か所に陥没骨折のあともあり、背後から何者かの手によって殴打された後、背中から複数刺されたとみています。発見当時、染谷悟は上半身を鎖で縛られ、両手両足をひもで縛られていました。
染谷悟の腰には重しのついた潜水用ベルトが巻かれていたとのことです。重しは潜水用の1個2キログラムものが計8個、鎖と合わせると合計22キログラムにもなります。
染谷悟の衣服の上は黒っぽいTシャツで下も黒っぽい半ズボンを穿いていました。普通に遺体を海に捨てるとすぐに浮き上がってきます。それは肺に空気が入っているからです。
体の力を抜いて海で仰向けになると自然に浮いてくることからも推測できます。そのため、遺体をすぐに発見されたくない場合は重しをつけて海に投げるのです。
金銭トラブルか!?
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引用: Pixabay
警察の調べによると染谷悟は豊島区千早のアパートを2003年3月に退去、家具は置いたままで家賃は滞納していた模様。
その半年前の2002年9月に染谷悟は空き巣被害に遭い、カメラやパソコンなど取材に使った思われる機器が77点奪われていました。まだ、プチエンジェル事件は発生していません。
2003年1月にはベランダのフェンスを壊され、同年4月には玄関のドアが開かないよう隙間に物を詰められていたそうです。そして同年3月に染谷悟は文京区の短期賃貸マンションに移り、ジャーナリストとして活動していました。
この間4ヵ月後にプチエンジェル事件が起きています。同年9月5日午後。雑誌編集者との仕事の打ち合わせに関する電話を最後に染谷悟との連絡が途絶えました。
周囲に染谷悟は「中国人に狙われている」と話しており、染谷悟は複数人から借金をしていたことから金銭トラブルにも巻き込まれた可能性もあります。
同月6日に豊島区内で染谷悟のものらしきカメラを発見。カメラとプチエンジェル事件との関連は謎です。7日未明には友人が「旅に出ます」という染谷悟のメールを受け取ったという情報が寄せられています。
メール本文を見ると、染谷悟の自殺を予見しているようにも映ります。こうして染谷悟は5日後の2003年9月12日に遺体で発見されます。死亡原因は刺殺とされました。
犯人吉里弘太郎【プチエンジェル事件】
引用: Pixabay
プチエンジェル事件(児童売春)の犯人と目される吉里弘太郎は東京藝術大学を卒業後、デザイナーとして勤務。いかにも御曹司といった風貌で裕福な印象を受けます。とてもプチエンジェル事件を起こしそうな人物には見えません。
大学生の頃は複数の女性と交際するタイプでヒモ生活を行っていたという証言があります。ニューヨークやパリをはじめ、海外での生活経験もあり、外国人の友達が多いとの話です。また、ホストクラブでのアルバイト経験もあり、プチエンジェル事件以前より女性の扱いには慣れていた様子。
ホストクラブに勤めていたのは2年ほどで、当時からプチエンジェル事件で見られるロリコンの性癖があったそうです。もしかしたら、アルバイト代をロリコン専門のデートクラブで消費していたのかもしれません。やがて、「買春」に手を染めます。
ホストクラブで培った腕を使って経営に乗り出します。ところが最初は「人妻専門」で未成年には手を付けていませんでした。プチエンジェル事件(児童売春)とは対極の女性です。
のちにデートクラブ「プチエンジェル」をオープン。非合法で未成年の売春少女とデートできるシステムを構築しました。こうして、プチエンジェル事件の土台が出来上がったのです。なお、デートクラブとは名ばかりで実際には売春少女と行為に及ぶこともあったと言われています。
名目上はカラオケや下着提供などとされていましたが、プチエンジェル事件からも分かるように実態は違ったようです。
プチエンジェル事件の真相まとめ
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プチエンジェル事件(児童売春)とは、2003年7月に小学生6年生が赤坂のマンションに監禁された事件。
プチエンジェル事件の犯人・吉里弘太郎の狡猾さもさることながら、プチエンジェル事件の売春少女の年齢の低さと事件の唐突な幕切れが話題に上りました。
また、犯人・吉里弘太郎は、どのような手口でプチエンジェル事件の少女を児童売春したのでしょうか。
プチエンジェル事件の内容を探り、女性は今後事件に巻き込まれないよう児童売春の防衛策を立てていきましょう。プチエンジェル事件のような犯罪に巻き込まれないためには相手を怪しいと見抜くことも大事です。
一回会っただけの人物や政治家にホイホイついていかないようにしましょう。
勧誘方法
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吉里弘太郎は渋谷で売春少女をターゲットに勧誘を行っていました。すでに女子高生数名がデートクラブ「プチエンジェル」で働いており、売春少女たちの間でも名が通っていたとのことです。
そんな折、一人の売春少女が吉里弘太郎と渋谷で会い、実際に渋谷で会ってくれたお礼としてお金を受け取りました。プチエンジェル事件(児童売春)の始まりです。
金額にして1万円でしたが、小学生の売春少女(プチエンジェル事件被害者)にとっては大金だったと思われます。それまでは連絡先のみを知る間柄で売春少女が吉里弘太郎と現に会ったのは、それが初めて。2003年7月上旬のことでした。
吉里弘太郎はデートクラブの少女斡旋や勧誘を担当しており、カラオケや下着の提供、裸の撮影と称して売春少女たちを勧誘。裕福なデートクラブの会員(政治家)からお金を巻き上げていました。話しでは吉里弘太郎の資金は35億円に上っていたとされています。
また、プチエンジェルは他のデートクラブより儲かると渋谷の売春少女たちの間で評判になっており、数人の女子高生が現にスカウト済みだったとのことです。
このとき吉里弘太郎に会った売春少女がプチエンジェル事件(児童売春)の被害者の一人と見られています。
犯行準備
引用: Pixabay
2003年7月11日(金曜日)。
プチエンジェル事件(児童売春)の吉里弘太郎がフェラーリ2台を売りに出します。当時の値段で1台数千万円、2台で5千万円近くになったことでしょう。
同時に仲間の一人が政治家の多い赤坂の短期賃貸マンションを契約。部屋はそのマンションで最上階となる11階で広さは2DKです。
日本で最上階といえば、最も値段が高い部屋。高級感を出す演出と言えます。なお、マンション契約の支払いはプチエンジェル事件(児童売春)の主犯・吉里弘太郎でした。マンションの契約といっても短期賃貸なので、それほど費用はかかりません。
そのため、フェラーリ2台の売却が謎を呼んでいます。おそらく賃貸料ではなく、プチエンジェル事件に絡んだ証拠隠滅を図ったと思われます。
陸運局を通じてナンバープレートを照会してもらえば所有者が判明しますから、フェラーリの所有者がプチエンジェル事件に関わっていたとも考えられるのです。売却すれば中古買取店に所有権が移るので、元の所有者(政治家など)は抹消されます。
また、短期賃貸マンションとは俗に言う「ウィークリーマンション」ですが、契約者と支払者が別でも違和感を持たれないシステムとなっています。そのため、外国人が数カ月滞在する場合にもリーズナブルに利用でき、便利な面もあります。
ところがプチエンジェル事件のように売春少女たちを一時的に住まわせることも可能で、児童売春の温床となりやすいのです。
プチエンジェル事件の吉里弘太郎はデートクラブ(児童売春)を店舗型ではなく、紹介型にしているため警察に検挙されにくかったのでしょう。
会員(政治家)と売春少女との待ち合わせは近所の駅にし、そのままデート(児童売春)をするというパターンです。
店舗を所有して会員を呼んでいた場合、店舗に警察が乗り込めば簡単にお縄にできるので検挙されやすいという運営側のデメリットがあります。
そういった点でプチエンジェル事件(児童売春)の吉里弘太郎はデートクラブの運営に精通していたと推察されます。
同月12日(土曜日)。東京にある量販店でポリタンクや鉄亜鈴を購入。後に売春少女を監禁する際に使用されたものです。ポリタンクには水を入れ、重しとすることで手錠などにくくりつけたのかもしれません。
プチエンジェル事件(児童売春)の相手が小学6年生とはいえ拘束するにはやや不十分な感じも受けますが、いざとなったらスタンガンで対処しようとしたのでしょう。
プチエンジェル事件では売春少女が逃亡した場合に備えて、拘束しようとしていたことが伺えます。
犯行当日
引用: Pixabay
2003年7月13日(日曜日)。
渋谷でプチエンジェル事件(児童売春)の吉里弘太郎と売春少女が邂逅。今度は4人です。売春少女ら4人が「部屋を掃除してほしい」と言葉巧みに勧誘されて、金曜日に契約した政治家の多い赤坂のマンションに連れていかれます。
吉里弘太郎が告げた金額は数万円と見られています。部屋を掃除するだけで大金が手に入るとプチエンジェル事件(児童売春)の売春少女たちはウキウキしたかもしれません。しかし、法外な報酬は危険(児童売春)が伴うものです。
渋谷から政治家の多い赤坂への移動はタクシーでした。少女だったので後部座席に4人を押し込んだのでしょう。政治家のように体格がそれほど大きくなければ可能です。
プチエンジェル事件(児童売春)の売春少女4人のうち1人が吉里弘太郎と面識のあった人物で、その売春少女が友達を連れてきたというシチュエーションが考えられます。
友達の紹介となると安心しやすいという心理をうまく狙った犯行(児童売春)と言えるでしょう。ほどなく吉里弘太郎とプチエンジェル事件の売春少女4人が政治家の多い赤坂のマンションに到着します。
売春少女たちは言われたとおりにマンションの部屋の掃除を始めますが、ほどなく吉里弘太郎に目隠しと手錠をされます。
話しでは、ここでプチエンジェル事件の吉里弘太郎の態度が変わったとのことです。プチエンジェル事件の監禁がスタートした瞬間でした。
部屋の間取り
引用: Pixabay
プチエンジェル事件(児童売春)が起きたマンションの間取りは横長。玄関を入って右にトイレと浴室があり、突き当りとその右隣りに洋間が2部屋あります。
入ってすぐの左側に小さなキッチンが置かれ、さらに左奥の広いスペースが「リビングダイニング」という形でした。
プチエンジェル事件の売春少女の内、二人が浴室のそばの脱衣場、一人が突き当りの洋間、もう一人がその右隣りの洋間に監禁されていたようです。
なぜ、脱衣場に二人も押し込めたのか不明ですが、吉里弘太郎の頭の中でプチエンジェル事件の売春少女の扱いに優劣があったように思われます。
その後、監禁されたことに危険(児童売春)を感じた二人が脱走するも失敗。再び逃げる気を起こされないように吉里弘太郎はスタンガンで脅していました。
しかし、実際にスタンガンを売春少女に対して使用した痕跡はなく、スタンガンを持っていることをアピールしたにすぎません。
「核は持って脅すもの」、北朝鮮が「光明星4号」を海にしか落とさないのと同じです。実際に戦争したら、勝機は薄いですから…。
そうした強い武器を持っていることで4人の売春少女を精神的に逃げづらくしていたのです。その日の深夜、心配した家族が地元・稲城の警察署に捜索願いを出します。
このときはプチエンジェル事件(児童売春)の重大さに警察も家族も気づいていませんでした。ちょうど日曜日で学校はありませんでしたが、もともと夏休み前で小学校は短縮授業。
生徒は放課後の時間を長く児童売春に使える時期でした。こうした時期を見計らって犯罪者は跋扈しているのです。なお、稲城市から渋谷までは京王線で40分ほど。学校が終わってからでも十分に児童売春に行ける距離です。
空白の一日
引用: Pixabay
犯行から二日後の15日(火曜日)。
マスコミを通じて売春少女数名が行方不明になったとプチエンジェル事件(児童売春)のニュースが流れます。
プチエンジェル事件には「一日の空白」がありますが、警視庁も吉里弘太郎を一年前から指名手配していたので、捕まえる自信があったのでしょう。
監禁されているのが小学6年生(児童売春)ということもあって、警察がマスコミに報道規制(政治家の圧力)をかけていたとも考えられます。
16日(水曜日)。吉里弘太郎を犯人と睨んだ警視庁は前年に行った買春容疑で吉里弘太郎の逮捕状を裁判所に請求。同時にプチエンジェル事件(児童売春)と関係のありそうな場所で刑事が聞き込みを始めます。
一方のマンションでは、プチエンジェル事件(児童売春)の売春少女たちが監禁されている部屋とは別のリビングダイニングで吉里弘太郎が一人で練炭自殺を計ります。
ビニールシートをテントのような形にして空気が漏れないように目張りし、椅子に座った状態で七輪に据えた「練炭」に火をつけた模様です。ひそかにプチエンジェル事件は収束していたのです。
17日(木曜日)。犯人の吉里弘太郎が亡くなったことから、部屋の中では物音一つ、聞こえなくなります。丸一日経っても、部屋が静かなままだったことから、プチエンジェル事件の売春少女のうちの一人が手錠を外し、助けを求めます。
ほかの3人は手錠を外すことができなかったため、部屋に残ったまま。なお、マンションに入る際、目隠しをされたのは部屋に入ってからだったので、部屋に入るまでの状況はプチエンジェル事件の売春少女たちの目に入っていたはずです。
エレベーターで11階まで行く間やタクシーを降りてマンションに入るまでも目隠しはされていません。
もっとも日曜に目隠しをした売春少女を連れて歩いていたら、怪しまれますが…。
そして、近くで花屋さんを営業していた店員のところに脱走に成功したプチエンジェル事件の売春少女が現れ、警察へと通報。
駆け付けたお巡りさんによってマンション内に残っていたプチエンジェル事件の売春少女3人も無事に保護され、犯人の死亡も確認されました。
犯行当日から4日。プチエンジェル事件は、犯人の自殺という恰好で幕切れとなりました。4人の売春少女やその家族にとっては実に長い時間(児童売春)に感じられたことでしょう。その日のうちにプチエンジェル事件の売春少女たちは家族と警察署で面会を果たしています。
被害者の名前が2chで晒された?【プチエンジェル事件】
引用: Pixabay
プチエンジェル事件の被害者4人の売春少女は監禁されたとき小学6年生。年齢にして11歳か12歳です。
報道で名前は出されませんでしたが、インターネット上(2ch)でプチエンジェル事件の被害者の名前が暴露されてしまったとのことです。
警察はインターネット犯罪に警戒し始めた時期ですから、サイトに上がった名前はすぐに削除されました。
警察は日頃から検索エンジン会社と連携しており、事件(児童売春)を引き起こす可能性のあるサイトをチェックしています。
そうしたサイトは見られないようにブレーキをかけているのです。当時はインターネットの利用者やサイト数もそれほど多くなかったですから、比較的見つけやすかったのでしょう。
また、被害者が小学生だったこともあり、警察はプチエンジェル事件(児童売春)に神経をとがらせていました。
プチエンジェル事件の由来は?
引用: Pixabay
プチエンジェル事件の語源は、被害者が小学生だったからでも政治家がロリコンだったからでもありません。犯人の吉里弘太郎が経営していたデートクラブ(児童売春)の名称が「プチエンジェル」だったのです。
少女を専門にしていたので「プチ」などといういかにも怪しいネーミングとなっていました。そのことから、デートクラブ「プチエンジェル」の名を冠して「プチエンジェル事件」と呼ばれています。
プチエンジェル事件が公になったきっかけ。
引用: Pixabay
きっかけはプチエンジェル事件(児童売春)の発生から二日後のマスコミ報道です。
家族は事件当日の7月13日に警察に捜索願いを出していたのですが、丸一日経ってもプチエンジェル事件の売春少女たちが見つからないことから警察側が公表に踏み切ったと思われます。
女性が被害(児童売春)を受けている可能性が高い場合、その後の日常生活も考慮して警察は事件そのものを公表しないことがあります(政治家の圧力)。
その事件がきっかけで生活しにくくなるからです。女性警察官が採用されているのはそうした側面も強いのです。性的な被害にあった女性にとっては、たとえ警察官でも男性というだけで恐怖を覚えます。
そんなときに対応するのが女性警察官の役目なのです。性別が同じであることから、被害者も安心感を覚え、事件の概要をゆっくりとではありますが、話してくれるようになります。
しかし、誘拐されたプチエンジェル事件の売春少女が4人もいたことや、プチエンジェル事件の重要性を優先したのでしょう。
警察はマスコミの報道規制を緩めます。こうした葛藤を経てプチエンジェル事件(児童売春)は公にされました。
プチエンジェル事件の報道に違和感?
引用: Pixabay
実はプチエンジェル事件が世に知れ渡ったものの、当初は「渋谷」でプチエンジェル事件(児童売春)が起きていると各局が伝えていました。勧誘が渋谷で行われていたという理由もあるでしょう。
いずれにしろ、政治家の多い「赤坂のマンション」ということは最初の報道では伝えられませんでした。その理由にデートクラブ「プチエンジェル」の利用者に政治家や皇族が含まれていた可能性が挙げられています。
実は犯人の吉里弘太郎がプチエンジェル事件の売春少女を監禁したマンションは衆議院赤坂議員宿舎の裏で、政治家との距離は目と鼻の間だったのです。
真実は闇の中ですが、吉里弘太郎の仲間が「プチエンジェル」の会員(政治家)に気を配って赤坂に短期賃貸マンションを借りたと思われても仕方ありません。現在、事件(児童売春)のあったマンションは取り壊され、ホテルに変わっています。
プチエンジェル事件の売春少女が助けを求めた花屋さんは近くになく、飲食店が点在しているのが現在のプチエンジェル事件の現場周辺です。
政治家を除き当時の様子を物語るものは、ほとんどありません。
被害者は未成年ばかり?【プチエンジェル事件】
引用: Pixabay
プチエンジェル事件(児童売春)の被害者は監禁された小学6年生の売春少女4人以外にもいました。明るみには出ていませんが、みな18歳未満だったと思われます。
もともとプチエンジェル事件(児童売春)に出てきたデートクラブは「ロリコン」がテーマでしたから、もっとも年上でも18歳。下はプチエンジェル事件の被害者のように小学生となっています。
年齢は不明ですが、登録した売春少女は100名を超えていると言われているのです。女子高生は派遣する売春少女たちの面倒を見ていたと思われます。
一般的に小学生(売春少女)が大人(政治家)と取引するのは難しいでしょう。間に女子高生が入って、会員の好みや小学生の派遣先などを決めていたと考えるのが自然です。
年齢的に小学生にはそれほどお金を渡すことはありませんから、犯人の吉里弘太郎は坊主丸儲けだったことでしょう。うまいビジネス(児童売春)を考えたものです。
被疑者死亡でプチエンジェル事件は終結しましたが、仮に吉里弘太郎が生きていたとして裁判が行われたら、どうなっていたか解説していきます。
プチエンジェル事件のように誘拐された人物が未成年者の場合、「未成年者略取及び誘拐」となります。
相手が20歳だった場合は、「ただデートに誘っただけ」となるので、こうした点が成人年齢の議論と絡んでくるのです。
もし、成人年齢が18歳に引き下げられた場合、17歳の売春少女を誘ったら「未成年者略取及び誘拐」ですが、18歳の売春少女の場合では「ただのデート」になります。
高校三年生には17歳と18歳の売春少女が存在します。やや微妙な年齢設定となるでしょう。さらにデートクラブで働かせる目的で勧誘していたので営利目的となり、「営利目的等略取及び誘拐」が成立。
相手が未成年でも、単に誘拐したケースでは最大で懲役7年ですが、営利目的(児童売春など)となると最大10年の懲役を科すことができます。
なお、営利目的の場合は成人女性も対象となります。では、マンションに手錠をして閉じ込めた監禁の罪はどうなるかというと「逮捕及び監禁」では3ヵ月以上7年以下の懲役。
昭和7年2月12日の大審院の判決によると「暴行や脅迫により八畳間に30分間、拘束すること」は監禁となります。よって、プチエンジェル事件で4日間監禁されていた4人の売春少女は確実に監禁状態にあったと言えます。
しかし、ここで一般感情として上がるのは逮捕・監禁の罪が思ったより軽いということではないでしょうか。
吉里弘太郎はプチエンジェル事件の売春少女を手錠で拘束していたので、逮捕の罪に当たります。最短でも3ヵ月の刑が科せられますが、最長でも懲役は7年。
検察の求刑が7年だったとしても二回まで減刑できますから、一回目で半分の3年6ヵ月。二回目でさらに半分の1年8ヵ月にまで罪状を減らすことが可能です。また、スタンガンで逃げられないよう脅す行為は「脅迫」となり、2年以下の懲役または30万円以下の罰金です。
ただし、プチエンジェル事件の二人の売春少女は一度脱走を図っているので、そのときに吉里弘太郎がプチエンジェル事件の売春少女にケガを負わせていれば「傷害」が成立。
15年以下の懲役または50万円以下の罰金に該当します。ところがプチエンジェル事件の売春少女たちに傷を負わせていないことから「傷害」は成立しません。
傷を負わせると会員とデート(児童売春)する際に不利に働くからです。そのため、プチエンジェル事件の売春少女の扱いはかなり丁寧に行っていたと思われます。
吉里弘太郎本人は自殺しましたが、売春少女たちはその後もプチエンジェル事件が明るみに出なければ、継続して派遣されるからです。
つまり、プチエンジェル事件の犯人である吉里弘太郎が自殺せずに法廷で裁かれたとしても最大で懲役10年(営利目的等略取及び誘拐)。
弁護士が優秀ならば懲役1年で出所する可能性があるのです(営利目的の誘拐は最低でも懲役1年以上)。
ただし、初犯の場合は多めに見られるので、執行猶予がつくでしょう。
執行猶予とはもう一度同じ罪を犯すまで刑の執行を猶予するというもので、刑務所には入りません。ポイントは「同じ罪」という点です。「営利目的等略取及び誘拐」以外の窃盗や脅迫では直ちに刑に処せられることはないのです。
それは別の事件として起訴され、裁判が行われます。実際には犯人の吉里弘太郎は自殺し、プチエンジェル事件の売春少女は無事救出されました。
しかしながら、そのときに使われた鉄亜鈴やポリタンク、スタンガンはプチエンジェル事件の売春少女の脳裏に刻まれ、生涯に渡ってトラウマとなることでしょう。
たとえ、保護されたとしても4日間も監禁されていた事実はプチエンジェル事件の売春少女たちに恐怖を植え付け、まともな日常生活に戻るには相当な時間がかかるはずです。
ニュースを見て無事に救出されてよかったと思う視聴者もいるかもしれませんが、それ以上に精神的な苦痛が傷跡としてプチエンジェル事件そのものが売春少女の記憶に残ります。
こうした心理面でのサポートは日本社会で普及が遅れ、心理カウンセラーの活用が叫ばれています。署内に「心理課」があってもいいのではないでしょうか。
顧客名簿が公開!内容が衝撃的!【プチエンジェル事件】
引用: Pixabay
プチエンジェル事件の売春少女救出後、犯人が借りていた埼玉県久喜市のアパートからはプチエンジェル事件に関する多数のビデオテープや顧客リストが押収されました。
その顧客リストは2,000名(政治家)とも言われ、世間は一時騒然となります。プチエンジェル事件以上に耳目を集めたと言っても過言ではありません。
しかしながら、その顧客名簿はいずれも偽名で、背後にあったデートクラブ「プチエンジェル」との関連はうやむやに。理由は名簿に医者や政治家、皇族の名前が載っていたという噂が立っています。
プチエンジェル事件の少女が監禁された短期賃貸マンションは政治家の多い赤坂。議員宿舎や迎賓館からも徒歩圏内です。
迎賓館は政治家など外国の要人を招く場所として使われ、時に信号機をストップさせて迎賓館へと入る国賓(政治家)の乗った高級車を目にすることができます。
実は迎賓館と同じ敷地に東宮御所が鎮座し、皇族が在住。時の天皇は吹上御所(皇居)に住んでいますが、親王(天皇陛下の親戚筋)は東宮御所に居を構えています。
ほかに静養と称して「那須」や「葉山」の御用邸に滞在することもあり、まれに「京都御所」にいることもあるのです。
犯人吉里弘太郎は自殺?【プチエンジェル事件】
引用: Pixabay
報道では犯人の吉里弘太郎はリビングダイニングにビニールシートを張って、目張りし「練炭自殺」を図ったとされています。
過去の事件では車内で一酸化炭素中毒による集団自殺が行われた例がありますが、ビニールシートのみでの成功例は少ないようです。
そのことから、当時の報道関係者の間ではビニールシートだけでは七輪が高温となり、ビニールが溶けてしまうのではと疑問を呈しています。
練炭は燃やすと「二酸化炭素(CO2)」が発生します。炭素が燃焼するためです。しかし酸素不足、つまり換気が不十分だと「一酸化炭素(CO)」が発生し、一酸化炭素中毒を起こします。
火災などで煙の吸引による死亡はこれと同じ症状です。だから、タオルなどで口元を覆い、逃げるように学校や消防などで指導しているのです。
練炭は暖房器具として中国の北京などの寒い地域で使用されています。大きさの割に暖房効率が悪く、現在では使う人も減っています。
プチエンジェル事件の吉里弘太郎は練炭の使用による一酸化炭素中毒が原因で死亡したとされています。
しかし、機密性の高いマンションでは、部屋中に一酸化炭素が充満していたと考えるのがセオリー。
そのため、プチエンジェル事件で監禁されていた少女たちも一酸化炭素中毒になっているのが自然な流れです。マンション内で自分一人が昇天する方法としては少し疑問が残ります。
プチエンジェル事件が起こったのは7月。梅雨明けしていなかったとしても、かなりの暑さです。マンションの部屋の中で練炭を炊けば、相当暑かったことでしょう。
また、遺書が見つかっていないというのも不審な点として挙がっているのです。必ずしも自殺に遺書がともなうわけではありません。
しかしながら、何らかのメッセージはあってもいいのではないか、というのがプチエンジェル事件の一般的な見解です。なお、七輪と練炭はプチエンジェル事件の少女を拘束する鉄亜鈴やポリタンク(水を入れて重しにする)と一緒に購入していたと考えられています。
そうなると吉里弘太郎はプチエンジェル事件の少女4人を監禁するときに自殺を考えていたことになるのです。犯人にはロリコンの性癖があったので、自分の死を見届けてほしかったのでしょうか。
プチエンジェル事件の少女が誰も傷つけられていなかったことから、それが真実なのかもしれません。
事件関係者が謎の死【プチエンジェル事件】
引用: Pixabay
プチエンジェル事件とは直接関係ありませんが、フリージャーナリストの染谷悟が取材を行うかたわら、プチエンジェル事件後に東京湾に沈められています。
出版済みの『歌舞伎町アンダーグラウンド』の次の題材がプチエンジェル事件(児童売春)だったのではという憶測が流れているのです。
プチエンジェル事件が起こったのは2003年7月。染谷悟の遺体が発見されたのは2003年9月です。時期は合いますが、本当に染谷悟がプチエンジェル事件を調べていたのかはミステリーに包まれたまま。口封じにプチエンジェル事件で見つかった顧客名簿の人物が圧力をかけたのかもしれません。
しかし、プチエンジェル事件そのものは被疑者死亡でけりがついているので、染谷悟を殺害する動機が見当たらないのです。
プチエンジェル事件を蒸し返そうとしてトラブルに巻き込まれたという可能性もありますが、決定打には欠けるでしょう。
そもそも染谷悟には借りていたアパートの家賃を滞納しており、保証人が肩代わりしていたと言われています。
さらに助手として活動していた人物に対する給料未払いが発覚しており、染谷悟に恨みを抱いていました。
プチエンジェル事件の発生の有無に関係なく、染谷悟に怨恨がある人物は、たくさんいたと思われます。
ミステリー性を高めるためにプチエンジェル事件と関連させようという噂もありますが、おおよそ説得力に欠けるものです。
被害者少女たちの現在【プチエンジェル事件】
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プチエンジェル事件の被害者の少女は謎の死を遂げたとか、アイドルデビューしたなどの噂が流れていますが、どれも疑わしいものです。
まず殺害されたとする場合、顧客名簿にあった誰かがプチエンジェル事件の露出を恐れて口封じをした説が挙げられます。
しかし、プチエンジェル事件の少女の口封じならば、お金を渡すでしょう。命まで取るのはやや酷な気がします。
次にアイドルデビュー説ですが、4日間も監禁されたプチエンジェル事件の少女が人前で歌を歌えるでしょうか。きっと男性恐怖症になって、会話どころではないはずです。プチエンジェル事件と全く関係のない男性との恋愛ですら、恐怖を感じていると考えるのが妥当です。
心理カウンセラーなどの助けを借りても普通に生活していくだけで精一杯でしょう。最後に病気やひき逃げ、自殺という説があります。これは信ぴょう性も高いのですが、プチエンジェル事件の性質上、何者かに殺害されたいう噂も流れました。
プチエンジェル事件をきっかけに病気や自殺する可能性はあり得るでしょう。しかし、ひき逃げが偶然なのか、ひき逃げを装った殺人なのかは分かりません。
顧客名簿に名前のあった人たちの現在
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そもそもプチエンジェル事件の顧客名簿(政治家)にあった人の名前は偽名として警察で処理されているので、現在の様子は分かりません。
プチエンジェル事件で埼玉のアパートを家宅捜索したときに顧客名簿が発見されたのでしょう。アパートは埼玉ですが、プチエンジェル事件が起きたのは政治家の多い赤坂。警視庁の管轄です。
そのため、家宅捜索に入ったのも警視庁の人間でしょう。埼玉県警は人員が不足していますから、東京で起きた事件まで手が回りません。
保有する警察官の数から考えても久喜のアパートには警視庁が乗り込んだと思われます。もちろん地元警察がパトカーの1台や2台は貸したかもしれませんが…。
また、同時に1,000本以上のビデオテープがプチエンジェル事件で押収されています。この中に会員(政治家)と未成年とのつながりを示す証拠があってもおかしくはありません。
顔が出ていれば顧客名簿以上に門外不出の証拠とされるでしょう。実は似たような事件が、プチエンジェル事件よりも前に英国でも起こっていました。やや年代は古いのですが、英国のある銀行を強盗団が襲うという計画が持ち上がりました。
強盗団はその銀行の貸金庫にある「秘密の手帳」を盗んでくるよう依頼者に指示されました。強盗団は百戦錬磨のつわもの。
いともたやすく貸金庫にある品物を全て手にしました。ところが貸金庫には怪しい品も混ざっていたのです。「愛人の下着」や「愛人とのラブレター」など…。しかも貸金庫を利用するのは政治家などの大物ばかりでしたから、これは興味深いとばかりに強盗団は興奮します。
ところが、リーダーが依頼された手帳以外はすべて銀行に返すといい、泣く泣く手下は銀行に手帳以外の全てを返しました。
そこで銀行側は盗まれたものを本人に返すので貸金庫に預けていた内容物を書いてほしいと貸金庫の所有者(政治家)に伝えます。
本来、貸金庫とは銀行員ですら中身を見ることの許されないもの。金銭的な値打ちはないもののゴシップになりそうなアイテムばかりだったので、利用者(政治家)は誰一人として貸金庫の中身を申し出なかったとのことです。
同じようにプチエンジェル事件の顧客名簿(政治家)や撮影されたビデオもスキャンダラスなものばかりだったのでしょう。
その一つに皇族の男性と少女が事に及んでいるビデオがあるのでは、という噂が立っています。皇族にゴシップがつきものなのは英国だけではありません。そのビデオを宮内庁が懸命に探しているとの噂も流れています。
プチエンジェル事件の顧客名簿が有名人だという可能性は捨てきれません。
まだまだ謎多きプチエンジェル事件
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プチエンジェル事件にまつわる謎や概要を解説してきました。
プチエンジェル事件の捜査が警視庁によって打ち切られたため、プチエンジェル事件の顧客名簿(政治家)や押収されたビデオテープの行方はヴェールに包まれています。
たいてい捜査が終了すると証拠品は持ち主や親族に返還されますが、プチエンジェル事件の犯人は亡くなってしまったので警視庁に保管されることになります。
保管にも期限があるので、何十年が経過すると処分されます。もっともプチエンジェル事件の場合は被疑者が死亡してしまっているので、すでに警察が押収したものはこの世に存在しない可能性もあります。
ただ、警察が押収しきれなかった部分は謎です。デートクラブ「プチエンジェル」の従業員が隠し持っていたり、誰かの手にこっそり渡っていたら警察も手に負えないのです。
そうした資料が公にされていないところを見ると何らかの形で破棄されたのでしょう。仮に持っている人物がいても、それは少女や女子高生ではなく、政治家の銀行の貸金庫に入っているかもしれません。