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みなさんは、ネオ麦茶事件(西鉄バスジャック事件)を覚えていますか?
2000年5月3日、西日本鉄道の高速バス「わかくす号」が当時17歳の少年によって乗っ取られ、少年に切りつけられた乗客2人が負傷、1人が死亡する惨事となりました。
日本の少年犯罪の凶悪化を象徴する事件ともいわれるネオ麦茶事件(西鉄バスジャック事件)の真相と、犯人である少年のその後、そして事件がネットに与えた影響について解説いたします。
ネオ麦茶事件(西鉄バスジャック事件)発生まで
【1】犯行の動機
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ネオ麦茶事件(西鉄バスジャック事件)の犯人は、当時17歳だった谷口誠一という少年でした。
谷口誠一は中学時代にいじめにあったことを原因に、家庭内暴力で家族を悩ませるようになります。
高校もすぐに中退してしまい引きこもりになった谷口誠一は、家庭内暴力をますますエスカレートさせ、危険を感じた両親は彼を精神病院に入院させました。
谷口誠一は病院で豊川市主婦殺人事件のことを知り、犯人の少年が自分と同年代であることに興奮を覚えると同時に、「先を越された」と感じたといいます。
また、神戸で連続殺人事件を起こした少年(通称・酒鬼薔薇聖斗)に心酔しており、「彼は神だ!」と語っていたこと、「酒鬼薔薇聖斗」と署名した手記を書いていたことも明らかになっています。
2000年5月3日、医者は谷口誠一の外泊を許可。帰宅した谷口誠一は、「ひとりでのんびり散歩にでも行きたい」とすぐにでかけていきました。
彼は最初、忌まわしいいじめの記憶からかよっていた中学校で無差別殺人を行おうと計画していましたが、あいにくゴールデンウィーク中で学校には人がいませんでした。
そのため、谷口誠一は中学校での無差別殺人からバスジャックへと計画を切り替えたのです。
【2】バスの出発
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事件当日の12時56分頃、高速バス「わかくす号」は定刻どおりに佐賀第二合同庁舎を出発しました。ゴールデンウイークということもあり、車内は買い物や旅行に出かける乗客でにぎわっていたといいます。
終点の西鉄天神バスセンターへの到着予定時刻は14時6分。たった1時間余りの道中で死傷者が出るほどの凶悪事件が起こることなど、誰が想像したでしょうか。
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バスが出発して約40分後。九州自動車道の太宰府インターチェンジ付近で、谷口誠一は突然運転手に牛刀を突きつけ、「天神には行くな。このバスを乗っ取る」と宣言しました。
谷口誠一は乗客を見回すと、「おまえたちの行き先は天神じゃない。地獄だ」と脅し始めたのです。恐怖のバスジャックのはじまりでした。
谷口誠一は運転手にしばらく運転を続けるよう命じ、乗客に対して「女性は前、男性は後ろの席に移動しろ」、「補助椅子を全部倒せ」と指示を出しました。腕力のある男性たちを遠ざけ、補助椅子で通路を塞ぐことで、誰かが自分を取り押さえるのを防ごうとしたのです。
最後に「カーテンを閉めろ」と命令し、外からバス内の様子が見えないようにしました。
そして、見せしめのように乗客3名を牛刀で切りつけたのです。
ネオ麦茶事件(西鉄バスジャック事件)の概要を解説
【1】外部との断絶
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当時のバスには、犯人に気づかれることなく外部に異常を知らせるための手段やマニュアルがありませんでした。それでも、運転手はハザードランプを点灯させたりパッシングをしたりして、懸命に外部へ異常を伝えようとしました。
そのころ、西鉄佐賀自動車営業所では「バスが天神に到着していない」と騒ぎになっていました。何度も無線で運転手に応答を求めるも、一向に反応がありません。
事件発生から約2時間後の15時30分頃、西鉄の本社内に対策本部が設置され、約20人の職員が情報収集にあたりました。
しかし、乗っ取られたバスが予約制ではなかったため乗客の身元確認に時間がかかったことや、当日は博多どんたく(毎年5月3日・4日に開催されるお祭)の期間中でバスの利用者が多かったこともあり、手がかりをつかむまでに時間を要してしまいました。
【2】捜査の開始
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そんななか、乗客のひとりがトイレに行くふりをして脱走、警察への通報に成功し、山口県警がバスの追跡を開始。そして、山口県の小郡インターチェンジ付近でひとりの乗客が走行中のバスから飛び降りて救出されました。
乗客はバスが乗っ取られたこと、すでに負傷者が出ていることを警察に証言。やっとのことで事件が明るみになったのです。
その後、山陽自動車道に入ったバスは警察車両に行く手を阻まれたため減速し、そのすきに窓から身を乗り出した男性が救出され、その様子は事件の報道を開始したテレビ番組でも中継されました。
【3】犠牲者の判明
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バスが広島県に入ると、谷口誠一が新たな動きを見せました。広島市内で男性客全員を突然解放したかと思うと、東広島市のパーキングエリアで数時間バスを停車させたのです。
警察の説得により、谷口誠一は差し入れをもってくることを条件に、引き換えとして乗客を3名解放しました。
その3名は牛刀で切りつけられて負傷した人々でしたが、そのうちのひとりは解放された時点ですでに失血死してしまっていました。
死亡したのは当時68歳の女性でした。谷口誠一は彼女の首を刺し、その際にネックレスに触れた牛刀が刃こぼれしたことを気にしていたといいます。
女性はしばらく生きながらえていましたが、何人もの逃走を許してしまったことにいら立った谷口誠一は、ふたたび女性の首に牛刀を振り下ろしました。
女性は絶命し、ネオ麦茶事件(西鉄バスジャック事件)は、日本のバスジャック事件においてはじめての死者を出した凶悪事件になってしまったのです。
【4】警察官による説得
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ふたたび動き出したバスは、隣の小谷サービスエリアに移動し停車。広島県警が食料や毛布を乗客に差し入れ、さらには谷口誠一の両親が現場に到着しました。自分の息子がバスジャック事件を起こしたと知ったときの両親の衝撃はどれほどのものだったでしょう。
両親が説得を試みますが、谷口誠一はこれを拒否。事件は膠着状態に陥りましたが、警察も着々と動きを見せていました。
福岡県警と大阪府警の特殊部隊によって突入部隊が緊急結成され、訓練と図上演習を開始していたのです。
【5】警察の突入と少年の逮捕
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事件発生から15時間半後、5月4日の午前5時過ぎ。小谷サービスエリアでは、依然として警察による説得が続いていました。
人質が大勢いるだけでなく、谷口誠一が終始乗客のひとりである6歳の少女を盾にしていたため、警察も下手に動いて彼を刺激するわけにはいかなかったのです。
15時間半もバスの中で監禁状態にあった乗客の疲弊と絶望は、ピークに達していたにちがいありません。
しかし、谷口誠一が人質の少女から離れた一瞬のすきをついて、説得にあたっていた警察官が手袋を路面に落としました。それは、機動隊への突入の合図だったのです。
15名の機動隊員がバス内に突入し、谷口誠一の抵抗により機動隊員1名が左足を負傷したものの、すぐに谷口誠一は逮捕されました。こうして、日本史上最悪のバスジャック事件・ネオ麦茶事件(西鉄バスジャック事件)は収束をむかえたのです。
ネオ麦茶事件の由来は?
【1】2chへの書き込み
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ネオ麦茶事件(西鉄バスジャック事件)の犯人である谷口誠一は、当時創設されて間もないインターネット掲示板「2ちゃんねる」でしばしば書き込みを行っていました。
彼は「キャットキラー」という固定のハンドルネームで書き込みを行っていましたが、当時の2chでは固定のハンドルネームの存在は嫌われる傾向にあり、固定のハンドルネームでの書き込みを意図的に妨害したり、スレッドを荒らしたりするといった行為が後をたちませんでした。
この状況を不愉快に思った谷口誠一は、スレッドを荒らすユーザーに対して挑発的な書き込みをするようになります。当然、谷口誠一は2ch内で煙たがられる存在になっていきました。
一部のユーザーは「キャットキラーの分析」と称して、「名前はゴミカス、特技なし、顔は30点、友人・恋人はいない歴30年、存在感なし」などと谷口誠一を馬鹿にするような書き込みをするようにまでなっていたのです。
【2】ネオ麦茶の誕生
「自分の中に別の自分がいる。そいつが人を殺せと言っている」ネオ麦茶(通称)西鉄バスジャック事件
— 凶悪犯罪者の負の名言bot (@lostforest4) August 7, 2019
自分が煙たがられていることに気がついた谷口誠一は逆上し、ますますほかのユーザーを煽るような書き込みをくり返すようになりました。
そしてある日、ほかのユーザーに対して「先に1000レス目の書き込みをした方の勝ち」と勝負を仕掛け、自身のハンドルネーム「キャットキラー」入りの投稿をくり返します。
そして1000レス目に「僕の勝ち!」と勝利の言葉を投稿しようとしましたが、文字を書き込んでいるすきにほかのユーザーが1000レス目を投稿、谷口誠一の勝利の言葉は1001レス目となってしまいました。
谷口誠一はますます逆上し、そのユーザーへの暴言を書き込みます。そしてその後、「キャットキラーのハンドルネームを返上する」と宣言したのです。
やっと固定のハンドルネームで居座るのをやめるのか?というユーザーたちの予想に反し、谷口誠一は「ハンドルネームを『キャットキラー』から『ネオ麦茶』に変更する」と発表。「ネオ麦茶」というタイトルのスレッドまで立ち上げました。
しかし、スレッドにはほかのユーザーからの誹謗中傷が殺到。ますます谷口誠一の居場所はなくなっていったのです。
【3】ネオ麦茶の意味
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そもそも、「ネオ麦茶」とはどういう意味なのでしょうか。
創設当時、2chには「むぎ茶」というハンドルネームで、2chの不備を見つけては荒らしを繰り返し、ほかのユーザーから「スーパーハカー」と揶揄されている人物がいました。
「スーパーハカー」とは、当時2ch内で「自称パソコンに詳しい人」を馬鹿にしてつけられていたあだ名でした。
谷口誠一は、この「むぎ茶」を模倣して、「むぎ茶の復活」という意味合いを込めて「ネオ麦茶」というハンドルネームを考えたといわれています。
【4】2chでの犯行声明
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キャットキラーからネオ麦茶への改名後、谷口誠一は「ネオ麦茶の友人による書き込み」を装って、「彼は精神病院に入院しました」と2chに投稿しました。
しかし、谷口誠一自身がしばしば「自分には友達がいない」と書き込んでいたことから、ユーザーたちは「本人が書きこんでいるんじゃないか」とうわさしていました。
「精神病院への入院」自体は虚言というわけではなく、実際に谷口誠一は精神科の病院に入院していたことがあり、犯行当時は仮退院という扱いになっていました。
そして仮退院の翌日、谷口誠一はホームセンターで凶器となる牛刀を購入。
2chにネオ麦茶のハンドルネームでふたたびスレッドを立て、「ヒヒヒヒヒ」という不気味な書き込みを残して犯行に及んだのです。
この書き込みが投稿されたのは、事件当日の12時18分。事件が報道されると、たちまち「バスジャック事件とこの書き込みに関係があるのでは?」と推測する書き込みが投稿されるようになりました。
のちに谷口誠一による「ヒヒヒヒヒ」という書き込みが犯行声明とみなされ、マスコミによる2chに対する批判的な報道がくり返されるようになりました。
ネオ麦茶事件犯人、谷口誠一のその後
西鉄バスジャック事件から18年経つのかぁ…
この ネオ麦茶こと 谷口誠一(当時17)は今何をやってんだかな…#西鉄バスジャック事件#あさチャン pic.twitter.com/cTjQNtt989— DD_OROCHI (@orochi_dd) May 8, 2018
逮捕後、谷口誠一は佐賀家庭裁判所で裁きを受けることとなりました。
精神鑑定の結果、谷口誠一は乖離性同一障害(多重人格障害)であると診断を受けました。
谷口誠一が乖離性同一性障害(多重人格障害)であることは、彼の手記にもある「最近もう一人の別のが出てきた。そいつは、ぼくに恐ろしいことをすすめる。人を殺せ」という記述からもうかがうことができます。
治療が必要であると判断され、谷口誠一は医療少年院に送られることが決定しました。
事件から6年後の2006年1月、谷口誠一は医療少年院を仮退院。その際、事件の犠牲者である女性の遺族と面会を果たしました。谷口誠一は、床に頭を擦りつけながら何度も謝罪の言葉をくり返したといいます。
その後、谷口誠一は刑期を終え正式に出所。無事に社会復帰を果たしたといわれています。
2chの書き込みが話題に。
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谷口誠一が2chに投稿した犯行声明は大きな話題となり、現在でも彼に関するスレッドが立てられることもあるほどです。
「2ちゃんの闇」、「ヒヒヒヒヒってたった5文字の書き込みなのに震える」という書き込みからも、ネオ麦茶事件(西鉄バスジャック事件)がどれほど日本中を震撼させたかがうかがえます。
また、2chでは谷口誠一の模倣犯が何人もあらわれ、彼らはいずれも補導されたり有罪判決を受ける事態にまで発展しています。
日本史上最悪のバスジャック事件であるネオ麦茶事件(西鉄バスジャック事件)をうけ、日本バス協会はバスジャックに対する対応マニュアルを作成。西鉄は毎年訓練を行うなど、二度とバスジャックによる犠牲者をうまないための努力をつづけています。