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皆さんは「セウォル号沈没事件」を覚えているでしょうか。
5年前、2014年4月16日に韓国の大型旅客船「セウォル号」が沈没し、死者299人と行方不明者5人を出した当時最大の沈没事故です。
死者の多さだけではなく、船長が真っ先に逃げ出したことや、事件後の韓国政府のあまりの対応の悪さも相まって、日本でも大ニュースとして連日報じられていました。
今回はその「セウォル号沈没事件」について、事件のまとめや詳しい背景などをわかりやすく解説していきます。
セウォル号沈没事件を詳しく知りたい人は、必見です!
セウォル号沈没事件の概要まとめ
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まずは、セウォル号沈没事件の概要まとめについて、船の出航から救助までわかりやすく解説します。
【1】船の出航!本当は出航しちゃいけない天候だった?
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2014年4月15日、この日セウォル号には一般人108人の他に、修学旅行中の京畿道安山市の檀園高等学校2年生生徒325人と教員14人が乗船予定でした。
当日は濃霧の影響で、午後6時半に出発予定のところをおよそ午後9時まで待つことになったそうです。
ただ、本来であれば延期どころではなく、出航自体が難しいほどの霧であったようです。その日セウォル号があった仁川港にいた大型船10隻のうち、出航を決めたのはセウォル号だけでした。
この時点で、船長はじめ乗組員の判断力に疑問があったことがわかります。
とにかく、セウォル号は午後9時頃に出港しました。事故が起こる、12時間前です。
【2】沈没事故発生!何故かの急旋回!
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4月16日の午前9時頃、セウォル号は突然右(南西)に45度旋回し、船体が傾き始めました。
その直後、今度は北に急旋回します。大きな質量を持った船ですから、それだけの急激な旋回を繰り返せばバランスは不安定になるに決まっています。当然、そのまま船は横に倒れてしまいます。
また、乗っていた男子生徒によると、「大きな音が聞こえて船が傾いた」と証言しており、船員も「船の前部が衝撃を受けた」と言っていることから、何かにぶつかったことも原因の一部になった可能性もあります。
とにかく、こうしてセウォル号沈没事件は起こったのです。
ここで、最初に事件を通報したのは乗組員ではなく、乗客の少年でした。彼は自分の携帯電話を使い、消防に通報したのです。
数分遅れてセウォル号も救難信号を出しましたが、対応が遅すぎると言わざるを得ないでしょう。
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こうして、最初にセウォル号沈没事件が通報されたのは8時52分頃でした。
その後、3分後の8時55分頃、海上交通管制センターが、乗客に救命胴衣を着用させ、避難の準備に入るようにセウォル号に指示を出します。
ですが、横転した船体が沈没するのも時間の問題でした。そこで、9時24分頃、同センターが船長に対して、乗客を脱出させるよう促します。
しかし、何故か船内放送で乗客に飛び降りるように指示があったのは、なんと約45分も経過した10時10分頃でした。
そして、海軍の海難救助部隊がようやく到着したのは、セウォル号沈没事件発生から約2時間半後の11時24分でした。
その後は民間のダイバーも参加しての救助活動が始まりましたが、悪天候もあってなかなか救助が進まず、それどころか、救助活動を行ったダイバーや消防隊員も作業中の事故などで8名が死亡しました。
また、韓国政府もこのような事態に対応できる体制が整っておらず、セウォル号沈没事件から一カ月経っても調査・救助活動は終わりませんでした。
こうして、行方不明者を含めた304人の尊い乗客の命が失われてしまったのです。
これが、セウォル号沈没事件のまとめでした。ここからは、セウォル号沈没事件の原因のまとめを、わかりやすく解説していきます。
セウォル号沈没事件はなぜ起きてしまったのか?
【1】船体の不備
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セウォル号沈没事件が起きた原因の一つとしては、数多くの船体の不備が挙げられます。
まずは「過積載とバラスト水の操作」です。
わかりやすく解説すると、事件当時セウォル号には、上限の3.6倍もの重さの貨物が乗せられていました。
そしてそれをごまかすために、バラスト水を抜いていたことが調査で分かっています。「バラスト水」とは、船が転覆しないように船体に貯めこまれている水のことで、これを抜いてしまうと、転覆の危険性が高まります。
このことがセウォル号沈没事件の原因の一つとなったことは間違いないでしょう。
次は「船体の無理な改造」です。
このセウォル号はもともと1994年に日本で建造され、日本でフェリーとして運行されていました。そしてフェリーを引退後、韓国にスクラップ同然のものとして売却されたのです。
その後、韓国の海運はこの船体を改造し、客室の増設などが行われたのですが、この改造が問題だったのです。
この改造によって船の重心が高くなり、より不安定な状態になってしまったために、セウォル号沈没事件が起こってしまったと言えます。
最後に「船体の故障」です。
同年2月に実施された点検では、船体の5か所に不具合があったことが指摘されていましたが、報告を受けただけで何も対策を講じなかったのです。
その中には沈没後の乗客の生存に大きく関わる装置も含まれていたとのことで、このこともセウォル号沈没事件の大きな原因となっています。以上、船体の不備のまとめについて、わかりやすく解説しました。
【2】船員の過失
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船だけではなく、船員の大きな過失もセウォル号沈没事件の原因とされています。
先述したように、出航すべきでない天候で出航を強行したことや、転覆の報告が遅れたことからも、それがよく分かると思います。
これについては後ほどわかりやすく解説していきます。
【3】運航会社の問題
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運航会社の清海鎮海運は、セウォル号沈没事件の前にも、何件か事故を起こしているのです。
2011年にはエンジン故障による漂流事故を起こしており、2013年にも同じく漂流事故が起きています。2014年には、漁船との衝突事故も起こしている、問題が大きい会社だったのです。
また、社員の緊急時の避難教育や、緊急時のマニュアルなどもまとめていなかったようです。船員にも問題はありますが、それ以前に教育を怠った会社にも大きな責任があります。
以上、セウォル号沈没事件の原因をまとめました。これだけ多くの問題があれば、このセウォル号沈没事件は起こるべくて起こった事件と言う他ないでしょう。
船長含む乗組員の対応に物議【セウォル号沈没事件】
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では、セウォル号沈没事件の大きな原因となった船員の対応のあまりにもお粗末な対応について、まとめたものをわかりやすく解説していきます。
【1】真っ先に逃げ出した船長!業務中にゲームをしていたとの証言も!
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セウォル号沈没事件のとき、船長としてイ・ジュンソクという男性が乗船していたが、様々な問題があったようです。
まず、セウォル号沈没事件発生当時には船長にもかかわらずイ船長は操舵室を留守にしていたようです。その間は船長室にいたようですが、乗組員の証言ではなんと携帯でゲームをしていたとみられています。本人は携帯のメッセージを見ていただけなどと否定していますが、船長としては失格です。
また、大きく非難されたこととして、セウォル号沈没事件が起こった後も乗客の避難誘導をせず、自分だけ真っ先に脱出を図り、警察の船で最初に保護されているのです。
本来ならば最後まで残って乗客の誘導をしなければならない立場なのに、自分本位の行為で救える命を救わなかったのです。
【2】未熟な三等航海士が沈没を引き起こした!
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船長が不在の間、セウォル号を操縦していたのは女性の三等航海士でしたが、なんとこの航路での操縦が初めての新人だったのです!
法律上船長不在時に三等航海士が操縦の指示を行うことは違法ではないですが、それでも初めての航路での操縦を任せるのは明らかに問題でしょう。
その結果、この女性の操縦によって船は沈没し、セウォル号沈没事件が起きました。更にはこの女性も救護作業を行わず脱出を図り、起訴されています。
【3】他の船員も問題だらけ!不適切な避難誘導!
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セウォル号沈没事件では、他の乗務員による避難誘導も適切とは言えなかったようです。
セウォル号沈没事件発生後、「救命胴衣を着用して待機する」旨の自動船内放送が流れただけで、船員はずっと乗客に動かないよう指示を繰り返していただけだったのです。
多くの乗客がこの誤った指示によって助からなかったとされており、適切な避難誘導がされればセウォル号沈没事件の被害はかなり抑えられたと言われています。
それにもかかわらず、多くの乗組員は避難を行いしっかりと救助されているため、乗組員の自分本位な行為が批判を浴びています。
いかがでしょうか。以上、セウォル号沈没事件における船員の不備まとめをわかりやすく解説しました。
セウォル号沈没事件では船長を含めたほとんどの船員が最後まで乗客を助けようとせず、自分の身可愛さに逃げ出しているのです。呆れて物も言えません。
当然、多くの乗組員がその後逮捕され、起訴されています。この後は、セウォル号沈没事件で乗組員がどのような処罰を受けたのかをわかりやすく解説し、まとめました。
船長含む乗組員への処罰は?【セウォル号沈没事件】
【1】イ船長の罪状は?
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イ船長はセウォル号沈没事件で不作為による殺人などの罪で起訴されましたが、地裁での判決では殺人罪を認められず、遺棄致死罪などで懲役36年の判決を下されました。
ですが、その後の高裁ではその判決が覆され、殺人罪を認め無期懲役の判決を下されています。
【2】他の船員の処罰は?
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他にも、船長を除き3人がセウォル号沈没事件において殺人罪などで起訴され、11人の船員に対して遺棄致死罪などで起訴されていました。
殺人罪などで起訴された3名のうち、機関長は当初地裁で殺人罪として懲役30年の判決を下されていましたが、高裁では殺人罪を認めず、懲役10年になっています。
残りの11人の船員に対しては、懲役12年以内の判決をそれぞれ下されているようです。
【3】この判決に対しての反応は?
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この乗組員のセウォル号沈没事件での判決に対して、事故で亡くなった方の遺族達は猛反発し、死刑を求める声が多く上がりました。
また、韓国市民の多くもこの判決については批判的な声が多く、死刑や無期懲役などの重い罪を課すべきだとの声が挙がっています。
確かに、乗組員達が故意にセウォル号沈没事件を起こしたわけではありませんが、乗組員には乗客が全員降りるまで避難誘導を行うことが義務づけられています。
それに背いて多くの命を見殺しにし、自分だけ助かろうと脱出したのですから、この判決は軽いと言えるのではないでしょうか。
以上、乗組員の処罰まとめの解説をわかりやすく記載しました。
高校生の悲痛な最期の言葉【セウォル号沈没事件】
【1】事件当時、乗客の高校生はメッセージを送っていた!
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先ほどわかりやすく解説したように、セウォル号沈没事件が起こってから、脱出を促す放送があるまで約1時間半もの時間がありましたが、その間、乗客は待機を繰り返すアナウンスに従い、ひたすら待っていました。
その間、修学旅行のため乗船していた高校生たちは、その時の状況を必死に家族に向けて発信していました。中には悲痛なメッセージも・・。
セウォル号沈没事件が起こった後、どのようなメッセージが送られていたのか、まとめたものをわかりやすく解説していきます。
【2】高校生の悲痛な叫び・・船内の状況を必死に伝える
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午前10時頃、既に船体の傾きは60度を超えていました。
その中で、セウォル号沈没事件時の船内の生々しい状況を以下のようなメッセージで、高校生たちは家族に伝えていました。
「船が60度傾いて沈没している」
「上から落ちてきたキャビネットに隣のクラスの子たちが下敷きになった」
「私は膝にあざができた」
船内の緊迫した状況が伝わってきます。
【3】家族との再会を切望する声も・・高校生の最期の声
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その後午前10時15分頃も、待機を促すアナウンスは続いていました。
高校生も、
「【待て】という放送の後に、他の案内放送は流れていない」
といったメールが次々に送られていました。
中には、
「母さん、父さん会いたいよ。」と、絶望的な状況で家族との再会を望むメッセージも送られています。
本来だったら救えたはずの命。大人の自分勝手な行動で起きたセウォル号沈没事件で、このような未来ある若者が亡くなったかと思うと、やりきれないものがあります。
韓国の対応は?【セウォル号沈没事件】
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続いては、セウォル号沈没事件において朴大統領率いる韓国政府の対応まとめについて、わかりやすく解説していきます。
【1】日本人からの支援断る!こんな時でも反日か?
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セウォル号沈没事件発生の翌日、日本政府側から、日本人が支援できることはなんでもする、という申し出がありましたが、当時の大統領である朴大統領はそれを拒否しています。
一刻を争う時にもかかわらず、日本人からの支援を断る理由はなんなのでしょうか。当時も日本人に対しての反日感情で乗客を見殺しにした、と批難を浴びていました。
【2】当時の首相が、対応の遅れを取った責任を取って辞任?
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このセウォル号沈没事件の時の朴大統領率いる政府の対応は最悪でした。
死亡人数を誤って報道してしまったり、救助の段取りをうまく行わなかったり・・他にも様々な問題がメディアにより報道されました。
このことにより、当時の首相の鄭烘原は初期対応が遅れたことなどの責任を取り、辞意を表明しました。
朴大統領もこれに対し、セウォル号沈没事件収拾の後に辞任を認める意志を示しましたが、これも捜査活動が行われている中での無責任な行動として批判されています。
ですが、後任として指名された首相が指名を辞退するなどで、首相選びが難航したため、結局朴大統領は鄭烘原を留任することに決めたのです。
一国の大統領が対応を二転三転させるということはさらなる混乱を招いてしまいます。結局、責任を取るつもりで取った行動も、更なる批難を浴びるだけで終わったのです。
【3】朴大統領の信頼もガタ落ち?この事件で支持率ダウン
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上記のようなことが重なり、この事件によって朴大統領の支持率は大幅に下がりました。
朴大統領の支持率は4月18日時点で71%でしたが、わずか5日後の23日、大統領支持率は56.5%にまで大幅にダウンしました。そして、その次の年には、朴大統領の支持率は46%にまで下がってしまっています。
朴大統領の支持率は、セウォル号沈没事件まで良いラインを保っていましたが、このセウォル号沈没事件によって大統領に対しての信頼がガタ落ちとなってしまったようです。
このような非常事態にこそ、大統領の力が発揮されます。今回、大統領としては全く良い対応はできなかったので、この結果も当然と言えるでしょう。
韓国国民の反応【セウォル号沈没事件】
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では、このセウォル号沈没事件について、韓国の国民の反応はどうだったのでしょうか。
実は、意外なことに「日本人を見習おう」という声が増えていたのです。どういうことか、まとめてわかりやすく解説していきます。
【1】日本でも似た事件が起きていた
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実は、2009年11月に、日本でも似たような事件が起きていたのです。
三重県沖でフェリーが転覆した事件なのですが、なんとセウォル号をかつて日本で使用していた会社が運航しており、造船所も同じという共通点があります。
転覆に至った原因は高波であり、セウォル号沈没事件とは違い防ぎようがない事故でした。しかし、最も異なる点は日本人乗組員の対応の違いです。
【2】乗組員の完璧な対応!韓国もうらやむその手際とは?
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船が傾いた時、船長はマニュアルに従いすぐに救助を要請しました。
そして、乗組員は客室に乗客が閉じ込められる可能性があるため、即座に客室に向かい、乗客を退避させたのです。
更に船が傾くと、ホースを使い、乗客を甲板に引き上げます。その後、乗客全員がヘリコプターで救助されるのをしっかりと確認した後、船長と乗組員達は救命ボートで避難したのです。我先に避難したセウォル号の船員達とは大違いですね。
この時、乗客は7人しかいなかったためにセウォル号沈没事件とは規模が違いますが、韓国国民はこの事件を引き合いに出し、日本人の完璧な対応を見習うべき、とする声が多かったのです。
最近の日韓関係の悪化から、韓国は日本人に対して悪い感情を持っていると日本人は思いがちですが、彼らは客観的に日本人の優れた点を評価し、自分の国に取り入れようとする素晴らしい姿勢を持っています。
【3】他にもこのような点に感心!
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他にも、韓国の人達は日本人の以下のような点に感銘を受けたようです。
セウォル号沈没事件があった月、テレビ東京では「ポケットモンスターXY」の放映がありましたが、その回では沈没する客船の場面があったそうです。そのため、放送を延期したのです。
このような、日本人にとっては直接関係のない他国の事件にさえも配慮する、日本人の姿勢に感謝の意を表した韓国人もいました。
また、このような事態にすぐ対応できる日本人が構築したシステムも評価を受けています。
日本では海難事故がある際、「118」番といった緊急窓口が設置されている他、三重県の転覆事故でも活用された、非常時のマニュアルがしっかりとまとめられています。
そのため、不測の事態でも慌てずに対処することができるのです。
こういった点でも、日本人は一部の韓国国民からは賞賛を受けていたのです。
日本人と韓国人は歴史上の問題から、現在も容易ではない道のりを歩んでいることは事実でしょう。
ただ、このような命に関わることについては、このように互いの良いところを認め合い、お互いに協力し合うべきではないでしょうか。
セウォル号沈没事件まとめ!
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いかがでしょうか?セウォル号沈没事件についてわかりやすく解説してきました。
過去に起こってしまったことは変えられません。セウォル号沈没事件の被害に遭った方の冥福を祈りつつ、韓国政府にはセウォル号沈没事件と同じ誤ちを犯さないよう学んでいってほしいものです。