引用: Pixabay
伊勢崎市同居女性餓死事件とは「犯人・金井幸夫」とその家族が共謀し、女性を暴行の末「餓死」させてしまうという非常に残忍な事件でありました。
この金井一家は「伊勢崎市同居女性餓死事件」の被害者・長谷川三根子さんを長きに渡って監禁。
その間、暴力を振るうだけではなく「食事を与えない」という行為に及び、最終的に長谷川三根子さんを餓死させてしまったのです。
また、金井幸夫は同居していた共犯者の「一歳年上の実姉に性の強要をしていた」という驚愕の噂が浮上する事となった「伊勢崎市同居女性餓死事件」でもありました。
これから「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫一家の劣悪な環境、及び「伊勢崎市同居女性餓死事件」の概要について詳細に解説させていただきます。
最後までお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。
伊勢崎市同居女性餓死事件の概要
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では、これから「伊勢崎市同居女性餓死事件」の概要を解説させていただきます。
「伊勢崎市同居女性餓死事件」の被害者・長谷川三根子さんがどのような経緯を辿って「餓死」まで追い込まれる事となったのか?
その全貌に迫っていきますので是非ご覧下さい。
【1】事件発生現場~その場所とは?
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「伊勢崎市同居女性餓死事件」の発生現場は、群馬県伊勢崎市上諏訪市・殖蓮周辺にあった木造平屋(4件のうちの1件)の借家でした。
間取りですが、四畳半と六畳間に、3畳の納戸・台所・風呂場・便所という非常に狭い空間である事が判明。
この場所で「伊勢崎市同居女性餓死事件」の被害者・長谷川三根子さんは息をひきとる事となってしまったのです。
【2】借家の住居人は誰?
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この場所に家移りする前は、太田市内にある「鳥之郷団地」にて家族5人で暮らしていた金井一家でした。
家族の内訳は以下になります。
- 金井幸夫の両親
- 金井幸夫自身
- 金井幸夫の姉
- 金井幸夫の中学生の娘
しかし突如、両親は長女と共に鳥之郷団地を出て姿をくらましてしまったのでありました。
長男・幸男と孫(金井幸夫の娘)を残し「姿をくらました両親と長女」は、新たなる場所で再出発を図る事となったのです。
その場所は「群馬県伊勢崎市上諏訪市の木造平屋」でした。
それは、まさに「伊勢崎市同居女性餓死事件」の現場となった住宅だったのです。
両親と姉が幸夫の元を去った理由は「長男や弟の脅威」から逃げるためでありました。
しかし、その後、伊勢崎市に住む両親と長女の居所を執念で突き止めた幸夫は、自身の中学生の娘を連れて家族の元へ転がり込む事となったのです。
平成10年1月の事でした。
これを機に「家族5人の生活が再開」される事となり、両親と姉の「地獄」も再開される事となったのです。
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実は、平成13年の春から夏にかけ「伊勢崎市同居女性餓死事件」の現場だった金井一家の住む借家を「入れ替わり立ち替わり」複数の男性が見張りしていた事がわかったのです。
これは、近隣の近所の住人により証言されたものでありました。
その事から、次第に「あの家にはもうひとり住人がいるのではないか?」という噂がまことしやかに流れる事に・・・。
しかし、その後、それらが最悪な形で世間に露見される事となったのはいうまでもありませんでした。ー
「入れ替わり立ち替わり出入り」しては、金井一家を見張っていたこれら男性は一体何者だったのか?
真相は後ほど解説させていただきます。
【4】平成13年11月12日~主婦・長谷川三根子さん遺体発見
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平成13年11月12日「伊勢崎市同居女性餓死事件」が発覚する事となりました。
「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫から「妻が死亡しているようだ」との連絡を受けた受けた消防署員と救急救命士。
当然のごとく、救急救命士は「死亡」を念頭に対処するべく金井家に向ったのであります。
しかし、その「妻」という女性の姿を見た消防関係者らは、全員「息を飲んだ」のだそう。
それは、布団に横たわっていた女性が「恐ろしいほど痩せこけていた」からでした。
また、体内中の水分を全て抜き取られたかのような、半ば「ミイラ」化していた女性だったのです。
その姿は、皆さんにも容易に想像する事ができたのでしょう。
当然、当たり前の状態ではなかった「女性の不審死」に火葬の許可など、直ぐにおりるはずはなかったのでした。
この女性、その後の警察の調べにより、平成10年に捜索願が出されていた「伊勢崎市同居女性餓死事件」の被害者・長谷川三根子さん(当時)である事が判明。
また、長谷川三根子さんは発見される2日前の11月10日に既に亡くなっていたものと思われます。
実は、この長谷川三根子さんには夫や子どもという「家族」の存在があった事が判明する事となりました。
つまりは、長谷川三根子さんは既婚女性だったのです。
家族がありながら何故、金井幸夫の家族と暮らす羽目になってしまったのか?
その詳細については後ほど解説させていただきます。
犯人、金井幸夫の経歴【伊勢崎市同居女性餓死事件】
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さて、これから「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫の経歴について詳しく解説させていただきます。
自分の姉を犯したりなどの「近親相姦」を本当にこの金井幸夫は行っていたのか?
皆さんの「知りたい!」にグイグイ迫っていきます!
【1】金井幸夫のプロフィール
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- 名前/金井幸夫(かないゆきお)
- 誕生年/1964年
- 年齢/当時37歳
- 出生地/群馬県太田市
- 結婚歴/2回
- 女性遍歴/8人以上
【2】屈折していた両親、虐待を繰り返しながらも「えこひいき」された金井幸夫
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両親は、長男・幸夫に事あるごとに小遣いを余計に渡したりと、長女や次女と明らかなる「えこひいき」をしていたそうでした。
その一方で両親は、少年だった幸夫を「暴力でねじ伏せる」などして虐待行為におよぶ事も多々あったのだそう。
母親による長男・幸夫への態度にもかなりムラがあったようで、近所には「鳴き叫ぶ金井幸夫の声」響き渡るほどだったそうです。
いわゆる、現在ニュースで連日報道がなされている「児童虐待」になり、金井幸夫は「かなりの身体的虐待」を受けていたものと思われます。
母親の気分次第で「持ち上げられたり、叩き落とされたり」と、日々親の顔色を窺っていた金井少年だったのでしょう。
つねに不安定な環境にいた金井少年は、これらの経験から「弱い者いじめを徹底的に行う」という事を学ぶ事となってしまったわけでした。
【3】特殊学級に在籍~気の弱かった金井幸夫
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「特別支援学級」とは、小学校(軽度:中程度のみ)や、中学校・義務教育学校・高等学校および中等教育学校に教育上「特別な支援を必要」とする児童および生徒のために設けられた学級でした。
つまりは、これが「特殊学級」だったのです。
また「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫がこの「特殊学級」に入る事と理由に「劣悪な家庭環境」と「内向的な性格」の2点があったといわれていました。
子どもの頃の金井幸夫はとにかく内向的で、学校にも満足に通う事が出来なかった少年だったそうです。
一旦は学校に行っても、数時間もすれば自宅に帰ってきていたという金井幸夫。
実は、金井幸男には「あからさまな知的や精神面の遅れがなかった」そうでした。
なので、上記の2点の理由から総合的に判断され「特殊学級」に至ったものと思われます。
【4】「不登校」~イライラが募ることとなった中学時代
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中学生にあがると「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫は、次第に不登校となっていったそうです。
幼少期から、親の気分次第で行われた「虐待」へのトラウマが潜在意識の中にあったのでしょうか。
金井幸夫は、常にイライラする憂鬱な日々を送っていたそうです。
徐々にその矛先が、自身よりも力的に弱い立場にある母や姉に向かう事となったわけでした。
でも、母親においては「息子」からそのような扱いを受けるのも仕方がない事だったのかもしれません。
「自分よりも弱い者を従わせる喜び」を教えたのは紛れもなくこの母親なのですから。
まさに「因果応報」という事になり、身から出たサビとはこのような事を指すのでしょうか・・・。
家族を支配下に置くようになった金井幸夫は、日常的に「母親や姉に暴力を振るう」事となります。
父親への直接的な暴力はないものの「精神的支配下」に置いていたのはいうまでもないのでしょう。
【5】「中学卒業後」~だらしない生活の日々だった金井幸夫
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中学校卒業後の「伊勢崎市女性餓死事件」の犯人・金井幸夫は、高校進学をせずに定職もつかずブラブラする日々だったそうです。
当然のごとく収入のなかった金井幸夫でした。
友人ら相手に「借金を重ねる事となった」金井幸夫は、どんな方法で友人らに借金返済を行っていたのか?
この後、金井幸夫の信じられない「返済方法」についての解説をさせていただきます。
【6】「金井幸夫のはけ口」~母と姉をロックオン
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母と共々「幸男」からのたび重なる暴力に怯えていた姉は、ついに限界に達し精神科に入院する事となったのです。
その後、姉は障害者年金手帳を持つ身となりましたが、逆にいえば「障害者年金受給」を受けなければいけないほど精神が破壊されていたわけでした。
また、姉が受給する事となった障害者年金が皮肉にも「金井一家を支える柱」となってしまったのです。
母親への虐待についてですが、殴る蹴るにとどまらず、熱湯をかけ火傷させるなどという酷い仕打ちを受けていた事が判明しました。
でも、実はそれ以上に悲惨な状況下にあったのが1歳年上の「姉」だったのです。
【7】姉を盾に友人を繋ぎとめていた金井幸夫の恐怖とは?
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実は「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫は「姉の身体までも食い潰していた鬼畜」だった事が露見する事となったのです。
金井幸夫は「友人を繋ぎとめたい」という意識以外にも、なんと「姉を盾に金儲けをする」という最悪な弟である事がわかったのでした。
結局、金井幸夫は友人らに「借りた金を返せない見返り」に姉の身体を提供して帳消しにしてもらっていたというのですから驚きです。
自身が負った借金の内訳は勿論、私利私欲を満たすための「遊び金」でした。
それらの借金を「姉の体をもって帳消しにしてもらっていた」という事なので、ある意味「姉を利用しながら遊ぶ金を得ていた」金井幸夫だった事には間違いなかったのでしょう。
近所の住人によれば、通りから金井家の中は丸見えだったそうでした。
姉の痛々しい悲鳴に驚いた住人が何事かと思い、中を覗いた時の事・・・。
その光景を目の当たりにした近所の住人は我が目を疑う事となったのです。
それは、ズボンを下げた複数の男たちが姉を取り囲むかのように立っていたからでした。
後は「皆様のご想像にお任せ」しますが、おそらく姉はひとりひとりの男の相手をさせられ強引に犯されていたものと思われます。
いわゆる「輪姦」されていたのでありました。
つまり「金井家を出入りしていた複数の男たち」とは、姉をもて遊んでいた男たちの事だったのです。
~輪姦とは?~
ひとりの人間を複数の人間が強姦する事である。
個人的嗜好であえて多くの男性と交わり興奮を得る「乱交プレイ」にも該当する輪姦ですが、姉・洋子の場合は明らかなる強姦でした。
【8】父親が非常事態に近所へ相談していた
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さすがの父親もこの「異常事態」を見過ごす気にはなれず、近所に相談を持ちかけていた事が判明。
でもその相談相手の近所の住人は・・・
- 家庭の揉め事に警察はいちいち介入しない。それに相談すれば晒し物になってしまう
というアドバイスをしたため「父親はなすすべのない状態」へと陥る事となったのです。
その理由は、父親に息子・幸男に太刀打ちする「力も知力もなかった」からでした。
【9】「自らも姉を」~金井幸夫の近親相姦の実態とは?
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「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫は、すでに自身で姉を犯していた当事者である事がわかったわけでした。
想像しただけでも悍ましい事でした。
弟・幸夫による姉への「近親相姦」はふたりきりでいた時に始まったそうでした。
金井幸夫が思春期にさしかかる頃から、姉の悲痛な泣き叫ぶ声が近所の住民によって確認されていたのです。
などという姉の声。
その泣き声は、最初は弟・幸夫がいる時にだけ聞こえていたそうでした。
しかし、次第に複数の友人らがやって来た時にも聞こえてくるようになったそうなのです。
「金井幸夫が実姉とセックス」をしているという話を聞きつけた複数の友人らが「借金チャラ」という名目で、姉に近付いて体を貪った事も事実だったのでした。
それらは、弟・幸夫にとっても「渡りに船」だったのでしょう。金井幸男と友人たちの利害関係が成立した瞬間でもあったのでした。
「伊勢崎市同居女性餓死事件」が発覚するまで、姉・洋子をセックスの対象とし抱き続けていた弟・幸夫であったのなら、やはり鬼畜以外なにものでもなかったのでしょう。
犯人、金井幸夫の家族構成
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これから、金井幸夫の家族について解説させていただきます。
長谷川三根子さんが弱っていくのを「見て見ぬふり」していた金井一家とはどのような家族だったのでしょうか・・・。
【1】父・賢次(当時72歳)
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「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫の父・賢治は、尋常小学校を卒業後、農業の手伝いや工員として従事していたそうです。
しかし、父・賢治はどの仕事も長く続かなく職を転々としていたそうでした。
また、父親・賢治は、幼少期に難聴を患い「通常の音量の会話での意志疎通が困難」だったそうです。
そんな父親・賢治と出会う事となったのが妻・アイ子だったのです。
重い難聴を患っていた父親・賢治は、アイ子の支えなくして家庭が築けなかったのはいうまでもありませんでした。
その後、賢治とアイ子の間に長女の洋子が誕生する事となります。
翌年には「長男の幸夫」が誕生、その二年後に妹が生まれ「ごく普通の家庭」の流れを辿っていた金井一家だったのでしょう。
しかし、難聴の父親・賢治には最大の汚点がある事が判明します。
それは、仕事が長続きしない事以外に「大のギャンブル好き」だったという事でした。僅かな収入も、そのギャンブルにつぎ込む事はごく普通だったようです。
また、母や長女のような暴力を受けていなかったと思われる父親・賢治でしたが、金井幸夫の強烈な「精神的支配」の渦中にあった事は間違いなかったのでしょう。
【2】母・アイ子(当時65歳)
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母・アイ子も父の賢治と同じく、仕事が長続きしない人であったようです。
しかし、母・アイ子にも「仕事に行くことができないそれなりの理由」があったようでした。
その事が窺えるエピソードですが、学校に行くのを嫌がるあまり母・アイ子の袖をつかんで離さなかったという長男・幸夫だったそうです。
したがって、母・アイ子はまとわりついて離れない息子を置いていく事ができずに、仕事を休まざるおえなかったのかもしれません。
金井幸夫が「特殊学級」へ入る事になったのも、これらの事情が関係していたものと思われます。
この母・アイ子も「長女・洋子」と結託して、長谷川三根子さんの虐待へ加わる事となったのですが、それは単に「自己保身」以外のなにものでもなかったのでした。
【3】姉・洋子(当時38歳)
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金井幸夫の一歳年上の姉は、中学校卒業後一旦は高校の門をくぐるも中退。
その後、工場に勤務する事となった姉の洋子でした。
しかし、弟・幸夫に泣かされる日々にとうとう参ってしまう事となります。
金井幸夫の「近親相姦」は勿論ですが、それに加え「借金のカタ」に複数の男達から繰り返された「輪姦」に身も心もすっかり破壊されてしまった姉・洋子。
姉・洋子の自尊心は完全に破壊する事となってしまったのでした。
弟・幸夫の強烈なマインドコントロールの影響は計り知れなく、姉の洋子のみならず両親にとっても強烈な脅威だった事には間違いなかったのです。
「伊勢崎市同居女性餓死事件」の被害者・長谷川三根子さんへの虐待に積極的にかたったのも、全ては「幸夫という脅威」から身を守る防御反応である事は明確だったのでした。
家族の中で、最も「深い傷」を負う事となったのは姉・洋子でしたが、現在はすでに刑期を終え「社会復帰」しているものと思われます。
しかし、その心の闇は相当根深い事が推測され「あの時の光景」がフラッシュバックしているであろう姉・洋子なのかもしれません。
自身の犯した罪を反省し、一女性としてしっかりと前向きな人生を歩んでいればよいのですが・・・。
【4】妹(当時35歳)
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金井幸夫の2歳年下の妹についてですが情報量も少なく、この記事で確実な情報を提供する事が難しいため差し控えさせていいただきます。
ただし、ハッキリしている事がひとつだけありました。
それは、「伊勢崎市同居女性餓死事件」の裁判で、父・賢治を出所後に面倒を見るという事が酌量される事となったのでしたが、次女は父親を引き取らなかったそうです。
この次女に関しては「伊勢崎市同居女性餓死事件」発生時は、おそらく別に生計を立てていて同居していなかったものと思われます。
現在、この次女が「どこでどのような暮らしをしている」のか誰も知る術がなかったのでした。
【4】金井幸男の長女(当時14歳)
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「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫が20歳の時に授かった長女でした。
この金井幸夫の長女は、事件当日まで「平屋の木造建て住宅」の6畳一間で父の幸夫と同居。
当時、中学生だった長女は、実際には学校には通っていなかったそうでした。
この金井幸夫の長女は「祖父・祖母・父親・伯母」らが共謀し、長谷川三根子さんを死に至らしめる光景を目の当たりにしてきたわけでした。
父親が伯母を犯すという「近親相姦」に事実についても、もしかしたら認識済みだったのかもしれません。
家族という「密室」の中で行われた悪の数々を目にしながら、多感な時期を過ごしたこの長女の気持ちを思うと本当にいたたまれない気持ちになるのでした。
その長女も現在31歳くらいになっているかと思われます。
密室で繰り広げられたあの「光景」を目の当たりにし、金井幸夫の長女はどのような想いで過ごしていたのか、それを思うとなんとも切ない気持ちになるのでありました。
犯人、金井幸夫の性格【伊勢崎市同居女性餓死事件】
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では、これから「金井一家」の脅威だった「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫の性格について解説させていただきます。
3人の家族をマインドコントロールし、長谷川三根子さんを死に至らしめた金井幸夫の本質に迫っていきます。
【1】「幼少期・少年時代」~非常に内弁慶だった
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「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫の幼少期から少年時代については先にも触れましたが、母・アイ子の行った虐待が長男・幸夫の精神を「破壊」し、人間形成に影響を出してしまった事は紛れもない事実でした。
両親の気分次第で幸夫への対応が変わる事も多々あったそうです。
押さえつけられて育つ事となった幸夫が、明確な意思表示が出来ない子供になったのは致し方なかったのでしょう。
「何をしたらいいのか」「これをしたらまた叱られるんじゃないのか」・・・。
そのように「常に親の顔色を窺ってきた長男・幸夫」ゆえ、内弁慶にならざるおえなかったのは当然だったのです。
【2】中学校の不登校を機にキレやすくなった
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金井幸夫の「片鱗が見え隠れ」する事となった中学生時代。
親の感情で「さんざん振り回されてきた子ども時代」の恨み辛みが爆発する事となります。
両親から受けた肉体的・精神的暴力によって培われる事となった長男・幸夫の「心の歪み」。
幸夫は自分より明らかに弱い立場にある者をターゲットにし、執拗にからかっては虐めながら「服従」させる行為を繰り返すようになったのでした。
自身が両親に服従していたよう、同じように弱者を服従させ「主従関係」を作る事を喜びにしていた幸夫だったのです。
幸夫は、そうする事で「自分」を保ち続けていったものと思われます。
両親から植え付けられる事となった「絶対的権力の保持」が、皮肉にも母・アイ子や姉・洋子へ示される事となったわけなのです。
【3】「2度の離婚歴」~その原因も暴力だった
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「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫には、2度の離婚歴があったのです。
初めの結婚は20歳の時でした。その時の結婚生活は4年間だったそうです。
それから間もなくして、あらたな女性と再婚をした金井幸夫。2度の結婚で授かった子どもは女の子と男の子でした。
最初の結婚で授かった女の子が、一緒に同居していた長女だったのです。
また、金井幸夫の離婚原因は「ドメスティックバイオレンス」である事がわかりました。
あまりの暴力に耐えかねて逃げ出したふたりの奥さんだった事が判明したのです。家族にも暴力・結婚相手にも暴力。その後、実姉を近親相姦。
ドラマにような話ですが本当に事実だったのです。きっと「ありえない事」とはこのような事を指すのでしょう。
犯人、金井幸夫と長谷川三根子の関係は?
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次に「伊勢崎市同居女性餓死事件」の被害者である長谷川三根子さんと「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫はどのような関係性だったのか?
詳細を記してまいります。
【1】特殊学級の同級生だった
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「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫と「伊勢崎市同居女性餓死事件」の被害者・長谷川三根子さんは共に、太田市内の中学校にあった「特殊学級」のクラスメイトでした。
その特殊学級は、僅か7人という生徒によって構成されていた学級だったため、クラスメイト同士が仲良くなるのも容易だった事が想像できます。
当時、金井幸夫は学校へ行っていなかったのでしたが、長谷川三根子さんとはすでに仲の良い関係だったため交流がなされていたのでしょう。
【2】卒業後も互いに連絡をとりあっていた
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実は「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫と「伊勢崎市同居女性餓死事件」の被害者・長谷川三根子さんは共に「勉強に付いていけない程度」で外見的にはいたって普通学級の生徒と変わりがなかったそうでした。
たしかに、複雑な計算や難易度の高い漢字の読み書きは苦手だったというふたりでしたが、当時の特殊学級の担任が証言していたよう「普通学級」でも適応できたふたりだったのかもしれません。
なので、そんなふたりが卒業後も仲良く連絡を取り合う事はいたって普通の事だったのでしょう。
長谷川三根子さんにおいては、特殊学級に入ったのも両親いわく「普通学級でもよかったが、三根子のストレスになってはいけないから」という配慮のもとで選ばれただけの事でした。
金井幸夫も似たようなものだったのでしょう。
当時、どのようなやりとりを行っていたかは定かではありませんが、ごく普通の会話のやり取りだったものと思われます。
【3】中学卒業後「部品製造工場」に勤務していた長谷川三根子さん
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中学を卒業した「伊勢崎市同居女性餓死事件」の被害者・長谷川三根子さんは、部品製造工場に勤務する事となります。
非常に堅実で真面目な長谷川三根子さんである事がわかったのでした。
一方で「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫は中学卒業後も定職にも就かずに家に引きこもってばかりの生活をしていたのです。
中学時代に「家族への暴力」に目覚めた金井幸夫でしたが、最終的には暴力は家族だけにとどまらず「関った女性すべて」に向けられる事となったのでした。
【4】「平成元年」~長谷川三根子さん結婚
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知人の紹介で知り合った男性と結婚した「伊勢崎市同居女性餓死事件」の被害者・長谷川三根子さんだったそうです。
優しい夫が建ててくれた新築一戸建てで結婚生活を営んでいた長谷川三根子さんは「女の子」に恵まれて大変幸せな日々を送っていたそうなのです。
また、長谷川三根子さんの夫は妻が「特殊学級」に在籍していた事を知らなかったそうでした。
家事もきちんとこなし、子育てにおいてもとりたてて問題があるわけではない長谷川三根子さんだったのでなおさらなのでしょう。
【5】結婚から4年後に突如家を出て行ってしまった長谷川美根子さん
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実は「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫は「伊勢崎市同居女性餓死事件」の被害者・長谷川三根子さんにずっと連絡をとり続けていた事が明らかとなったのです。
金井幸夫から、長谷川三根子さんに頻繁に電話が入っていた事を認識していた夫だったそうでした。
正直な話、どうして黙認していたのか悔やまれるところではあります。
その後、突然、妻が家族を置いて自宅を出て行った事に対し、夫は真っ先に金井幸夫を疑う事となります。
夫はすぐさま金井幸夫に連絡を取り、問い詰め寄る事となったのです。
【6】金井幸夫の家にいた妻をとり戻した夫
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太田市内の鳥之郷団地にいた妻の長谷川三根子さんを無事にとり戻す事とに成功した夫。
長谷川三根子さんは、夫に連れられ自宅へ帰る事となったのです。
別の日に、長谷川三根子さんの兄と義理の弟が金井幸夫の住む鳥之郷団地に出向き・・
などの項目をあげ、金井幸夫に誓約させたのでありました。
その際に録音され証拠として残される事となります。
もうお分かりになられた事と思いますが、近所の住人が指摘していた「金井家のもうひとりの住人」とは長谷川三根子さんの事だったのです。
「何故、長谷川三根子さんが容易に金井家に転がり込んでしまう事になってしまったのか?」・・・その気持ちについては当然本人にしかわかり得ない事だったのでしょう。
【7】怒り心頭な兄らに怯んだ金井幸夫
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無事に長谷川三根子さんをとり戻す事となった親族。
それでも兄や義理弟は、不安を隠しきれない様子だったそうです。
理由は、その出来事の前から金井幸夫の素行の悪さを耳にしていたからでありました。
実は、当時「特殊学級」のある中学校は1校しかなかったそうでした。
長谷川三根子さんのご両親は「娘のためになるならば」と、わざわざ群馬県邑楽郡から娘・三根子さんを送迎しながら特殊学級のある中学校へ通わせていたのであります。
そのような経緯から金井幸夫との接点が生れる事となったわけでした。
なので、おのずと「金井幸夫と関った女性は皆酷い目に遭っている」という噂も家族がキャッチする事ができたのでしょう。
【8】長谷川三根子さんの明暗をわけることとなった「二度目の家出」
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その後、再び家出を繰り返す事となった長谷川三根子さん。
家族らが当初、長谷川三根子さんを発見する事となった太田市内の鳥之郷団地に向かうと、その場所は「蛻の殻」になっていたのです。
家族は、娘・三根子さんを追い方々を探し回る事に。そして、やっとの事で父親は伊勢崎市にある金井一家の住まいを突き止める事に成功したのでした。
しかし、母・アイ子は懸命に娘を探しにやって来た長谷川三根子さんの父親に「三根子さんは来ていません」などと嘘をついたのでした。
しかし、その言葉をすっかり信じてしまった父親は、疑う事もなく金井一家を後にする事となったのです。
【9】それが運命の分かれ道となってしまった
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長谷川三根子さんは、自分の意志で金井一家のもとへ訪れていたため、父親が探しに来ていた事を知ってても奥にかくれて出てこようとしなかったのでした。
どれほど、この金井幸夫が魅力的だったのか?夫や子供を置いてまでも追いかけたくなるほどの男性だったのか?
でも、調べてみると金井幸夫は、逮捕当初は小太りで身長も低く決して「モテるタイプ」の男性ではないことがわかったのでした。
また、ふたりの妻を含めて鳥之郷団地には、少なくとも8人以上の同居女性がいたのでした。
もしかしたら、他にも付き合いのあった女性はいたのかもしれません。
外見的、環境的、経済的にも「モテル要素は一切なし」だった金井幸夫が何故ここまで女性に縁があったのかは定かではなかったのであります。
ただし、一つだけ言える事がありました。
それは知的障害とまではいかないものの、おそらく金井幸夫と同じ水準の女性たちばかりではなかったのではないかと言う事でした。
勿論、絶対的とは言い切れないのですが・・・。
金井幸夫と関った女性は皆酷い目にあっていたのは事実でしたが、それでもこの金井幸夫に惹かれるのは理屈では証明する事は難しかったのでしょう。
長谷川三根子さんの餓死までの闘い
【1】「長谷川三根子さんの口答え」~激昂した母と姉
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金井一家で同居を始めて以来、長谷川三根子さんは一度も家事を行わなかったそうです。
それは、長谷川三根子さんにとり「嫁に来たわけでもなくお手伝いしにきたつもりではなかった」からでした。
長谷川三根子さんは「なぜ、強要されてまで家事をしなくてはいけなかったのか」、その意味がわからなかったのかもしれません。
しかし、母・アイ子と姉・洋子がそのような長谷川三根子さんに激昂しないはずはなかったのでした。
【2】母と姉が完全に結託する事となった
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今まで自分たちに向けられていた幸夫の脅威が、この長谷川三根子さんに向けられる事でその脅威を回避できる事を学んだ母と娘。
次第に「長谷川三根子さん虐待」という行為への共同作業を行う事となっていったのです。
長谷川三根子さんが大小便の粗相をすれば、激昂し容赦なく暴力を振るうふたりだったのです。
【3】「壮絶な虐待!」~絶句する内容とは・・・
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母・アイ子と姉の洋子が行った虐待の内訳は以下になります。
- 煙草の火の押し付け
- 殴る蹴るの暴行
- 食事は一日2回、次第に日に一回の食事に
- 同居2年目あたりから2,3日に一度に
- 金井幸夫が気まぐれで長谷川三根子さんにご飯を与えようとした際、受け取ろうとした三根子さんの手を姉の洋子が叩いた
- 金井幸夫が出かける際に手足をガムテープで縛る
このような虐待が「3年10カ月」も続いたわけでした。
金井家の中で唯一、長谷川三根子さんにとって「希望」でもあった幸夫の父親・賢治は、三根子さんの「監視役」的立場にありました。
容体が徐々に悪くなっていく長谷川三根子さんを察し、時折内緒で食事をあたえていたという父親の賢治。
長谷川三根子さんは、そんな賢治に「姉ちゃんがご飯をくれない、叩かれて怖い、家に帰りたい」と必死に訴えかけていたそうです。
しかし、現実には長谷川三根子さんの脱走を阻止したりと「幸夫の怒り」を買わない行動をとっていた賢治だったのです。
長谷川三根子さんは、2度ほど脱走を試みた時があったそうなのですが、それを阻止していたのもこの賢治なのでした。
なんだかんだいっても「わが身が一番可愛かった」・・・これに尽きるのでしょう。
【4】「ついに力尽きる」~長谷川三根子さん死去
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「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人・金井幸夫と、その家族たちと同居を始めて3年の夏・・・。
ついには、ひとりで歩行する事が困難になってきた長谷川三根子さんを見ながら「死んでもしかたがない」と判断した金井一家でした。
それから3カ月後の11月には、酷く衰弱しきった身体へと変わってしまった長谷川三根子さん。
この頃には米粒さえも喉に通らない状態にまで容体が悪化していた長谷川三根子さん。
完全に「るい痩状態」となった長谷川三根子さんが亡くなるのも時間の問題だったのです。
それから間もなくして長谷川三根子さんは死亡する事となったのです。
死因は「餓死」。
その苦しみは想像を絶するものといわれていたのでした。
金井幸夫の逮捕&判決まとめ
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特殊学級のクラスメイトだった長谷川三根子を陥れた張本人だった「金井幸夫」は逮捕後どのような態度を示していたのでしょうか?
また、判決はどのような結果になったのか詳細を見ていきましょう。
【1】伊勢崎市同居女性餓死事件の判決結果は?
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まずは判決結果をご覧ください。
~2002年2月13日・金井一家逮捕~
「未必の故意」として金井一家の「長男・幸夫」「姉・洋子」「父・賢治」「母・アイ子」の4人が逮捕される事となる
~2002年3月6日・4人を殺人罪で起訴~
前橋地裁は、長谷川三根子さん殺害で金井一家4人を「殺人罪」で起訴する事となる
~2002年10月15日・公判~
主犯格だった金井幸夫に懲役13年。姉・洋子と母・アイ子共に懲役10年が求刑される
父・賢治の公判は分離される事となる
~2002年11月25日・判決言い渡し~
前橋地裁にて、主犯格の金井幸夫に「懲役12年」、姉・洋子と母・アイ子共に懲役8年の実刑を言い渡される
【2】罪の意識なし
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「伊勢崎市同居女性餓死事件」の犯人だった「金井幸夫」「父・賢治」「母・アイ子」「姉・洋子」は、それまで互いの心が完全にバラバラでしたが、皮肉な事にこの事件をきっかけに一致団結する事となったのです。
金井幸夫は中学時代に、母と姉への暴力に目覚めて以来、このふたりにとって大変な脅威でした。
主に激しい暴行を加えていたのは長男・幸夫と姉の洋子でしたが、そんな洋子も内心、安堵感に浸っていたのでしょう。
母・アイ子も娘の洋子と共に長い間、金井幸夫に虐げられてきた存在だったので、長谷川三根子さんの存在はふたりにとり「救世主」だったに事には違いなかったのでした。
そんな中、ひとり浮いていたのが父・賢治でした。
一度は家に帰す提案を息子の幸夫にするも見事に却下され、流されるままになっていた父・賢治だって結局は「同じ穴の狢」だったのでしょう。
逮捕後、「ほっといたら死んでしまった」「世話をしてあげていただけ」などと供述していたそうですが、そこには亡くなった長谷川三根子さんへの謝罪は一切なかったそうです。
また、金井一家は「本気」でこのように思っていたそうでした。
逮捕後、犯人と加害者が共に「特殊学級にいた」事が明るみになってからは、繊細な事ゆえメディアもとりたてて追及出来ない現状にあったのも事実だったようです。
「伊勢崎市同居女性餓死事件」の加害者家族と被害者が、共に若干ながらハンディを抱えていた事から「配慮」がなされたわけでした。
犯人、金井幸夫の現在【伊勢崎市同居女性餓死事件】
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2002年(平成14年)に「伊勢崎市同居女性餓死事件」にて懲役12年の実刑をうたれていた金井幸夫は、現在「社会復帰」していると思われます。
しかし、金井幸夫の所在については正直わかり兼ねるところでありました。
ただ、逮捕時、全く罪の意識がなかったという金井家族でしたが、これもひとえに金井一家が「知的」であったためなのか、もしくは本当に反省していなかったのか。
また、自分たちが行った「虐待という悪行」の罪の重さを理解できていなかっただけなのか?
我々にも理解しがたいものがあるのは事実なのでしょう。
「成育歴に問題」があった金井幸夫にしても、金井幸夫の脅威に晒されていたであろう家族でも、ひとひとりを「黙殺」してしまったのですから「言い訳」など通用するはずはなかったのです。
伊勢崎市同居女性餓死事件まとめ!
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先にも触れましたよう、この「伊勢崎市同居女性餓死事件」では、加害者と被害者が共に「特殊学級」に在籍していた事がわかってから地元の新聞以外はみな沈黙する事となりました。
でも世間では、ハンディを抱えているからといって健常な犯罪者とん区分するのは如何なものなのか?という声があがっていたのも確かだったのです。
健常な犯罪者とは違う「配慮や保護」に、違和感を感じた方が少なからず存在していた事も紛れもない事実なのでしょう。
たしかに、個人的な保護はあるにしても犯罪を起こした事実への配慮を過剰なまでに行うのは「事件の本質」を見失う事に繋がる恐れがあるわけでした。
また、現実に「統合失調症患者や薬物患者」による事件は少なくはないのでなおさらだったのでしょう。
「たまたま、加害者に出くわしてしまった被害者が悪かったのか?」
「被害者の運が悪かっただけなのか?」
このような憶測だけで片付けられしまっては、たまったものではないのでしょう。
これらの犯罪者により家族を奪われた遺族らが、陰でどんなに涙し「泣き寝入り」しているのかは皆様も認識されている事と思います。
「伊勢崎市同居女性餓死事件」の被害者の父親は、娘の三根子さんを探し出せないままお亡くなりになられたそうでした。
その後、亡くなった父の墓石の横に埋葬される事となった長谷川三根子さん。ようやっと父と娘が一緒になれた瞬間だったのでしょう。
現在、日本では虐待からの哀しい餓死事件が後を絶たない現状にあります。でも、それらの被害者を救う手立てはいくらでもあるといえるのでしょう。
しいて、ないものといえば「我々の勇気」だけなのでしょうか?
周囲がいち早く異変をキャッチし、通報する事で救われる命がいっぱいある事を忘れてはならないのでしょう。
みなさまの周辺でも不審に思う家族がいたら、しっかりと見守ってあげてください。その事によって「尊い命」が救われる事となるのです。
「明日は我が身」と考えれば勇気ある一歩を踏み出す事は可能なのでしょう。だって、いつ自身の家族に降りかかって来るのかわからないのですから・・・。
地域を守るとはそのような事ではないのでしょうか。
お亡くなりになられた長谷川三根子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。