イラク日本人青年殺害事件の全貌!~世界平和を願う香田証生&国益を最優先した日本政府の建前

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イラク日本人青年殺害事件とは?

引用: Pixabay

イラク日本人青年殺害事件とは、旧政権の残存勢力だった「イスラム過激派」により、人質となった「日本人青年」がグループのひとりに「斬首」のもとで殺害された事件でありました。

「イラクの聖戦・アルカイダ組織」を名乗るグループから日本政府に対し「人質解放の条件」としてイラクの自衛隊撤退を求めていましたが、それに断固として応じなかった小泉首相。

これにおいて、世間から「猛バッシング」を受ける事となった小泉政権だったのです。

 

【時系列で見る!】イラク日本人青年殺害事件の概要とは?

 

【1】10月27日の時系列


引用: Pixabay

  • 午前2時07分・「イラク・アルカイダ機構」映像配信する

「イラク・アルカイダ機構」により、ウェブサイトで突如、日本人青年ひとりを人質にしたとする映像が公開される事となった。

そこには両腕を縛られ、悲痛な面持ちで助けを求める青年の姿が映し出されていた。

  • 午前6時09分・アウジャジーラが同時放映

この映像は「カタールの衛星テレビ」アウジャジーラでも放送される事となる。

  • 午前6時10分・首相官邸に連絡室設置

「イラク日本人青年人質事件」の情報を受けた日本政府は、首相官邸に連絡室設置に至ったのである。

  • 午前7時・在ヨルダン大使館「現地対策本部設置」

それとほぼ同時に在ヨルダン大使館でも「現地対策本部設置」に至る事となった。

  • 午前7時25分・小泉首相の「自衛隊は撤退しない」発言

当時発生していた「台風23号」の被害視察に自衛隊機で現地に向っていた小泉元首相は機内から細田官房長官に連絡。

「自衛隊は撤退しない」という旨を伝えた。

  • ~午前8時45分・ベーカー駐日米大使「日本政府の決定を支持」

外務省の竹内行夫事務次官がベーカー駐日米大使へ連絡すると同じくベーカー駐日米大使はこのように答えた。

「自衛隊を撤退する考えはない日本政府の決定を支持し敬意を表する」

  • 午前10時・小泉首相記者会見「テロには屈しない」発言

小泉元首相は「台風23号」の被害視察先であった兵庫県豊岡市で記者団らに再度このように伝えた。

「テロに屈することはできない。自衛隊は撤退しない」

  • 11時25分・細田官房長官「人質の名前を明かす」

そんな中、細田官房長官は記者団らに対し「人質は香田証生とみられる」と発表した。

  • 11時30分・アルジャジーラのインタビューを受けた町村外相

その際に「香田さんは純朴な民間人。日本はイラクの友人」などと答える

  • 午後18時30分・香田証生さんの家族が記者団に対応

香田証生さんの両親と兄が福岡県直方市の自宅前にて記者会見を行った。

両親は「彼は同情心や正義感でイラクの人々の苦しみに目を向けようとした。解放を心よりお願いします」と切々と証生さんの解放を祈るように語った。

 

【2】10月28日の時系列


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  • 午前7時55分・谷川秀善外務副大臣ヨルダン到着

現地対策本部の指揮をとるため、派遣される事となった谷川秀善外務副大臣がヨルダン入りをした。

  • 午後15時・民主党の対策会議

日本では民主党対策会議開催となる。

そしてその中で「駐イラク大使が母国のイラク暫定政府に電話で働きかけている」と外務省側の説明に「バグダットは大使が外出出来ないほど危険なのか?」という質問に「そうです」と一言答えた外務省だった。

  • 午後16時・「自民党」亀井静香の打診

「イラク政府が救出できないのであれば、サマワに駐留する自衛隊が捜索して救助活動すべきだ」と小泉元首相に提案した亀井静香氏。しかし、小泉首相は「憲法九条」を盾にその申し入れを即座に断った。

 

【3】10月29日の時系列

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  • 午前2時07分・自衛隊撤退の期限だった48時間経過

「イラク・アルカイダ機構」が、ウェブサイトで香田証生さんのビデオ映像を流してから48時間が経過。

犯行グループが自衛隊撤退の要求をして以降、時間は刻々と過ぎて行くだけだった。

  • 午前10時・香田さんの家族「外国人特派員協会で記者会見」

香田さんの家族らが東京の外国人特派員協会にて記者会見を行う。

「日本政府に自衛隊撤退を求めるのか?」の問いに、母・節子さんは気丈にも「一民間人として国に何をしろなどとは言えません」と答える。

  • 午前11時30分・首相官邸で開かれた対策会議での話

首相官邸で開かれた対策本部の会合内で、ドイツ通信が報道した内容が取り上げられる。

「アジア的な特徴がある外国人の遺体がイラク北部ティクリートで見つかった」

  • 午前18時50分・町村外相「遺体が香田さんである可能性を示唆」

町村外相が、駐イラク大使が入手した情報を記者団に発表した。

「ティクリートで発見された遺体は香田さんである可能性は非常に低い

 

【4】10月30日の時系列

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  • 未明・在イラク大使館にきた連絡

イラク駐留米軍から在イラク日本大使館に連絡がなされた。

「バグダットとティクリートの中間にあるバラドで日本人らしき遺体が発見された。香田さんの特徴と一致する部分がある」

  • 午前1時15分・在イラク大使館からアンマンの現地対策本部に連絡

在イラク大使館からアンマンの現地対策本部へ連絡。

  • 午前2時30分・外務省「香田さん宅へ連絡」

福岡県直方市の香田証生さんの実家に、外務省から「香田さんらしい遺体が発見された」と伝えられる事となった。

  • 午前3時12分・記者団の問いに答えた細田長官

官邸にいた細田長官に「香田さんらしい人が見つかったという事でしょうか?」の記者団の問いに「まぁ、それに近い」とだけ答える。

  • 午前4時・高島肇久外務報道官の記者会見

外務省の高島肇久外務報道官は「バラドで日本人らしい遺体が発見された。遺体は香田さんの体の特徴と一致する部分があった」と記者団に語った。

  • 午前5時・与党対策会議で経緯を説明した細田長官

自民党本部で与党対策会議が開催される。その中で細田長官が経緯の説明をする事となる。

  • 正午12時・在クウェート日本大使館医務官「遺体確認」

発見に至った日本人らしい遺体が、米軍の輸送機にてクエートに移動する事となる。

在クェート日本大使館の医務官がこの遺体を確認する事となった。

  • ~午後15時35分・遺体は香田証生さんではないとの発表がなされる

「遺体を医務官が確認したが、総合的に判断して香田さんではないと確認した」と細田長官から記者団への発表となった。

 

【5】10月31日の時系列

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  • ~午前3時30分・大使館に遺体一部発見の一報届く

イラク保健省から大使館へ「香田さんの遺体発見」の一報が届く事となる。

  • 午前10時19分・香田証生さんの指紋と一致

「今朝、バグダット市内で遺体が発見され、指紋が一致したため香田さんの遺体と確認された」と、町村外相が記者団らに発表される。

  • 午前11時・「民主党」岡田代表が改めて自衛隊撤退を強く求める

「改めて12月14日に期限を迎える自衛隊の撤退を強く求める!」と、声明を発表した岡田代表。

  • 午後12時45分・小泉首相の声明発表

「解放のためあらゆる努力を尽くしたにも関らず、香田さんがテロの犠牲となってしまった。痛恨の極みだ!引き続き自衛隊による人道復興支援を行う」と、小泉元首相が声明を発表するに至った。

 

【6】皇太子徳仁親王のお悔やみの言葉

 

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2004年10月31日「イラク日本人青年殺害事件」の犠牲者・香田証生さんの出身地である福岡県を訪問中だった「皇太子徳仁親王」が麻生渡知事にお悔やみの言葉を述べられていたそうでした。

「大変残念な結果でありました。ご家族にお悔やみを伝えて下さい」と、遺族の事を大変気遣われていた皇太子徳仁親王だったのです。

 

【7】香田証生さん救出の緊急申し入れ書

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日本バブテスト同盟の理事長・澤野芳久氏が2004年10月28日に、小泉首相にあてていた救出の申し入れ書の一部を抜粋しましたのでご覧ください。

「今回の邦人拘束はイラクがまさに戦闘地域である事の証であり、自衛権を行使するという自衛隊本来の目的から外れている事を証明する結果となったのです。人質となって拘束されている香田証生さんの救出には一刻の猶予もなく、判断に躊躇は出来ない段階です。今一度、自衛隊派遣について再考し、自衛隊の即時撤退を含むご判断をなさいますよう要望します。」

しかし、その願い届かず日本政府は、人質となった香田証生さんを「実質見殺し」にしてしまったのであります。

 

香田証生の首を斬った男の正体

引用: Pixabay

「イラク日本人青年殺害事件」にて、人質となった香田証生さんを斬首した犯人は一体何者だったのか?

香田証生さんを惨殺した犯人について詳細をまとめましたのでご覧ください。

 

【1】内務省対テロ部隊「オオカミ旅団」~フセイン・ファハミ・バドル逮捕

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別のテロ事件関連で「イラク日本人青年殺害事件」発生から3週間後、イラク当局により犯人逮捕に至ります。

逮捕された「国際テロ組織アルカイダ系」の男が、人質だった香田証生さんの殺害を自供したため捜査当局により起訴される事となりました。

この男の名は、フセイン・ファハミ・バドル容疑者(26歳)。

フセイン・ファハミ・バドル容疑者は、捜査官同席の下でイラク人通信員の取材に応じた際、人質となった香田証生殺害までの経緯を詳細に語ったのでありました。

元イラク陸軍兵士で「ザルカーウィー派のテロリスト」だったフセイン・ファハミ・バドル容疑者は、バグダードにあったスンニ派のモスクの付属施設に監禁されていた香田証生さんの首を斬って殺害した張本人である事が明確になったのです。

このフセイン・ファハミ・バドル容疑者には、無差別爆弾テロなどで「70件にも及ぶ余罪」があった事が判明。これらのテロ事件で400名の人々が命を落とす事となりました。

また、香田証生さんの拉致、殺害に関ったのは計6人のテロリストである事もわかったのです。

イラク内務省は、このうちの4人を逮捕する事となります。

2006年6月には、アメリカ軍がヨルダン生まれのテロリストだったスラーム主義活動家の「アブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィー」が爆撃により殺害される事となりました。

 

【2】「イスラム教の金曜礼拝」~香田証生さんへの哀悼

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陸上自衛隊が駐留するイラク南部のサマワでは「イラク日本人青年殺害事件」の犠牲者・香田証生さんを哀悼する金曜礼拝が行われたそうでした。

その際に、シーア派の有力聖職者の「マード・アルワイリ牧師」が武装グループに拉致・殺害された犠牲者・香田証生さんへの哀悼の意を表わしたのであります。

またマード・アルワイリ牧師は、イスラム教徒ではない日本人への敬意を表すと共に「イラクの復興に尽くしてくれる日本人に感謝するべきである」と信徒に論じたそうです。

香田証生さんの死は決して無駄ではなかった・・・この事を証明するものでもあったのでした。

 

香田証生の経歴に迫る!

では、これから「イラク日本人青年殺害事件」の犠牲者・香田証生さんの人物像に迫っていきます。

どのような青年だったのか・・・詳細を見ていきましょう。

 

【1】香田証生プロフィール

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  • 名前:香田証生(こうだしょうせい)
  • 年齢:享年24歳
  • 出生地:福岡県直方市
  • 家族:父・母・祖父・兄
  • 出身高校:東海大第五高校(高ニの終わりまで在籍)
  • 高卒資格取得:NHK学園(通信制)
  • 仕事:フリーター
  • 宗教:キリスト

 

【2】「高校中退」~塗装会社に就職するも一年で退社

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「イラク日本人青年殺害事件」の犠牲者・香田証生さんは、高校中退してから実家からほど近い塗装会社で働く事となったそうです。

しかし、一年足らずで塗装会社を退社した香田証生さんは、その後、「英会話教室」や「パソコン教室」などといった習い事に関心を示すようになったそうでした。

また、それ以外にも「国内を旅行」してみたりと「非常に好奇心旺盛な男性」だったようです。

実は、香田証生さんの友人が「本当にやりたい事が見つからず必死に探していたようにも見えた」と証言していたのでした。

香田証生さんは、単に「好奇心からイラク行きを決めていたのか?」もしくは「彼なりに想う何かがあったのか?」

香田証生さんは、一体どのような気持ちで危険なイラクに足を踏み入れる事になってしまったのでしょう。

その詳細については後ほどじっくり解説させていただきます。

 

【3】ニュージーランドのワーキングホリデーを機に渡航する事となる

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「イラク日本人青年殺害事件」の犠牲者・香田証生さんは、様々な葛藤を経ながらニュージーランドの「ワーキングホリデー」に人生の活路を見出す事となったのです。

制度を利用し渡航の途についたのは2004年・1月の事でした。

初めての海外渡航だった香田証生さんでしたが、実は「英語での会話もままならない状態」だったそうです。

ですが、持ち前の好奇心にて「行けばなんとかなる」と発想を切り替えながら前進した香田証生さんだったのでしょう。

その後、ニュージーランドでのワーキングホリデーを終えた香田証生さんはイスラエルへ向う事となります。

海外渡航をしてから8カ月後の事でした。

結果、イラクで武装組織に拘束され殺害されてしまう事となった香田証生さん。

でも、実際には「闇雲」にイラクへ向かったわけではなかったのでした。

 

香田証生がイラクへ突入したワケ

では、これから「イラク日本人青年殺害事件」の人質となってしまった香田証生さんが、どのような意図で危険なイラクへ足を踏み入れる事となったのか?

実際のところ、一部の心ない人により「バッシング」に晒される事になってしまった香田証生さん。

しかし、これからお話しさせていただく内容をしっかりとご理解いただければ、皆様の心の中にもあったであろう香田証生さんへの「誤解や偏見」が一掃される事は間違いないのでしょう。

 

【1】イラク行きを止めた映画監督「四ノ宮浩」

「イラク日本人青年殺害事件」の犠牲者・香田証生さんは、同じホテルに泊まっていた映画監督の四ノ宮氏と出会う事となります。

そのホテルの名は「クリフ・ホテル」。イラクの隣国ヨルダン・アンマン地区にある安宿でした。

香田証生さんは、四ノ宮氏に「イラクに旅行に行きたいのですが・・」と、ホテルの場所を尋ねる事となります。

当然のごとく、イラクが危険な事を百も承知だった四ノ宮氏は「イラクには行かない方がいいよ」と忠告されたのだそう。

しかし「大丈夫ですよ」と忠告を聞き入れなかった香田証生さんは、バグダット行きのバスに乗り込む事となります。

実は、バスが出発する直前にも懸命に止めた四ノ宮氏でしたが「なんとかなる」「とりあえず行ってみたい」などと香田証生さんに言われたため、結果、制止する事が出来ずバスを見送る事となってしまったのです。

四ノ宮氏いわく「携帯電話も持っておらず、危険という認識が低かった感じがした」と証言する一方で・・・

「彼はまるでただの観光旅行をしていたようにいわれていましたが、それは断じて違うのでしょう。戦争の真実を自身の目で確かめようとしていた勇敢な若者だったのです。その事を全ての人々に知ってほしいのです。ただ、真実を見に行った。尊敬できる日本人なのです。」

と、四ノ宮氏は香田証生さんの印象をこのように語っておられたのです。

  • 何故?たくさんのイラク人が殺されなくてはいけないのか
  • 何故?一般のイラク人までもが米軍に銃を向けるようになってしまったのか

香田証生さんが、これらに「強い関心を示していた」事が四ノ宮氏により確認される事となったわけでした。

また、四ノ宮氏はそのような香田証生さんを見て「自身に課題を課す事でそれを懸命に乗り越えようとしていたようにも見えた」と証言されていたのです。

 

【2】「コーダ・ホテル」~惨殺された日本人青年を忘れないために・・・

 

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皆さんは中東ヨルダンの首都・アンマンに「コーダ・ホテル」という安宿があるのをご存知でしたか?

この「コーダ・ホテル」は、日本人旅行者に大変人気のある安宿で、ネットにもその口コミがあげられるほど。

現在のオーナーのアリ・アルサイダトさんは「香田さんの事を忘れないでほしい」とおっしゃられていたそうです。

また、ホテル関係者らも皆一様に「事件は今も無念だ。日本人の若者には彼の事を忘れないでほしいんだ」と口にしていたのだそう。

実は、この「コーダ・ホテル」の命名をされたのは「初代オーナーのサメールさん」という人物でした。

このサメールさんは、当時、香田証生さんに「イラク行のバスチケット」を手配した「クリフ・ホテル」の元従業員だったのです。

サメールさんも四ノ宮氏同様、香田証生さんのイラク行きを必死に止めていたひとりでありました。

しかし、このサメールさんもバスに揺られながら去っていく香田証生さんを見送る事になってしまったのであります。

サメールさんは、その後「日本人青年殺害事件」の報道を受け、ショックを受ける事に。

その後、夢だったゲストハウスを手に入れ晴れてオーナーとなったサメールさんでしたが「二度と同じ過ちが繰り返されないように」と自身のホテルに「コーダ・ホテル」と名付ける事となったのでした。

「あの時、青年を無理にでも止めていたら・・」と、映画監督・四ノ宮氏同様に、今だに「後悔の念」に苛まれておられるサメールさんである事は容易に想像できたのでしょう。

ちなみに、現在サメールさんは「現役を引退」されていてホテルにはいらっしゃらないとの事でした。

 

【3】「ひと粒の麦」~母に贈られた言葉

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「イラク日本人青年殺害事件」の犠牲者・香田証生さんのご家族も「キリスト教徒を信仰」している信者でありました。

夜、講演先の飯塚市から直方市内にある香田さんの自宅まで走る事となった牧師の木村公一さん(57)は、憔悴する母・節子さんに・・・

  • 一粒の麦は地に落ちて死ななければそのまま。落ちて死ねば多くの実を結ぶ

と、新約聖書を引用しながら「証生さんは一粒の麦ですね」と優しく投げかけられたのでした。

母・節子さんは、その投げかけに対し「その通りです」と毅然と答えられたそうなのです。

また、父・真澄さんは「証生の死を無駄にしない生き方をしたい」と声を振るわせながら涙ながらに語っておられたそうでした。

 

【4】「人の役に立ちたい」~香田証生さんの真意を友人が明かす!

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実は、「イラク日本人青年殺害事件」の犠牲者・香田証生さんの友人らによりこのような証言がなされていた事がわかりました。

  • 自分の目で現地を確かめたい
  • 何か人の役に立つ事をしたい
  • アメリカで義手義足の研究をし、戦場で手足を失った人の役に立ちたい

心優しかった香田証生さんは、イラクの地で闘う人々の身を常に案じておられたそうです。

また「青年海外協力隊」についても興味を示していたという香田証生さん。

香田証生さんが、危険なイラクだと承知の上で足を踏み入れたのも「生きている証を残そうとしていたためではなかったのか?」と友人たちが語っていたのだそうです。

「香田証生さん拘束の報道」を受ける事となった友人たちは「証生の生きた証を刻もう!」と一斉に立ち上がったのでした。

~解放を呼び掛け28日から署名運動を開始~

友人の植松氏は「証生を棺に納めたい」・・・その一念から同級生全員が一致団結。

その後、植松氏は「集めた1701名分の署名」を持って直方市の対策本部へ向ったそうでした。

植松氏は、翌日以降も署名活動を継続し「証生さんを救うため」に必死に駆けずり回ったのであります。

また・・・

「証生は優しい人間でした。イラクで苦しんでいる人のために何かをしたいときっと考えていたはずです。僕らはそんな証生のために署名運動を通じて証生を応援してあげたいんです。」

と涙ながらに語っておられた植松氏だったそうです。

そんな植松氏が「友の訃報」を受け取ったのは、コンビニで署名活動に必要な用紙を複写している時でありました。

植松氏は「時」が止まったかのようにその場に立ちすくむ事になります。植松氏の彼女だった安田祐紀さんも同じ想いでありました。

当時、妊娠6週だったという安田さん。

「証生のために・・」と彼氏である植松氏と共に、懸命に署名活動を行ったという安田さんには本当に頭が下がるのでしょう。

実際のところ「するだけ無駄」という声もあったそうでしたが、そのような言葉に耳を傾けるようなふたりではなかったのでした。

~でも祈りは届かなかった~

しかし、結果「斬首」されてしまった香田証生さん。

友人たちの「無事に生きて帰ってきて!」という祈りは、無残にも打ち砕かれる事となってしまったのです。

現実には「香田証生さんの死」を直ぐに受け入れる事が出来なかった仲間たち。

届ける事のできなかった残りの「約350名分の署名用紙」を手にとりジッと見つめるしかありませんでした。

その後「証生には『これだけの人たちがお前を応援していたんだぞ』と棺の中に納めてあげたい」という友人らの想いが実行される事となったのです。

棺に納められた約350人分の署名と共に、永遠の眠りにつく事となった香田証生さん。

多くの友情」に包まれながら、安らかに天に召された事を信じて止まなかったのであります。

 

日本政府の対応&米国という名の地雷原【イラク日本人青年殺害事件】

引用: Pixabay

「イラク日本人青年殺害事件」にて、粗雑な対応をした日本政府へ不信感を募らせる事となった日本国民。

「国益と人命救助」を天秤にかけ、結果、国益を優先した日本政府の対応に戸惑いを隠す事ができなかったのは致し方ないのでしょう。

 

【1】日本政府の対応「要求を即座に拒絶」~小泉首相の責任は重い

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たしかに香田証生さんのイラク入りは「不用意、無謀」といわれても仕方がなかったのでしょう。

実は、イラク市民を含め中東諸国の人々はもともとは日本国に対し友好的でした。

しかし、自衛隊という軍隊を派遣して「侵略戦争に加担する」ようになってきた日本に対し、イラク国民感情が急速に変わる事となったのは自然な事だったのかもしれません。

そもそも「米軍の占領を非難」してきたイラク市民でした。

したがって、米国の傘下にいる日本の「自衛隊派遣」が批判を受ける事は当然の流れだったのでしょう。

侵略戦争への協力が日本人殺害の要因に繋がったのであれば、全責任は小泉内閣にあったと豪語する事が出来たのかもしれません。

兎にも角にも犯行グループの「要求を即座に拒絶」した日本政府の対応はただただ残念でならなかった・・・この一言に尽きるのでしょうか。

「イラク日本人青年殺害事件」において、小泉首相は「痛恨の極み」「テロに屈しない」などと強く話されておりました。

しかし、結局は米国の戦勝協力だけしか考えていなかった小泉内閣の在り方が露見される事となったわけなのです。

 

【2】イラクで人質となった邦人~自衛隊撤退を強調したムハメド・ファディ報道官

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まずは、過去にイラクにて被害に遭った方々をご紹介させていただきます。

2003年11月29日~外務省/奥克彦参事官・井ノ上正盛3等書記官殺害

2004年4月7日~今井紀明・高遠菜穂子・郡山総一郎拘束

2004年4月14日~安田純平・渡辺修孝拘束

2004年5月27日~橋田信介・小川功太郎殺害

2004年10月30日~香田証生殺害

2015年1月25日~湯川遥菜殺害

2015年1月30日~後藤健ニ殺害

2004年4月の邦人拘束の際に、日本人解放に尽力されたイラクのイスラム教スンニ派組織「イスラム聖職者協会」のムハマド・ファディ報道官は、今回の「イラク日本人青年殺害事件」において次のように強調されたのであります。

外国人の拉致・殺害を根絶させる道は、その根本的要因である占領軍の撤退に尽きるのである。武装勢力に拉致の口実を与えてしまう状況がある限り、これらと効果的に戦う事はできないのです。占領軍がいなくなって初めてイラクの全ての国民が団結して、拉致を行う武装勢力に対処できるのです。占領こそ問題の根本であり、日本政府は撤退を決断すべきだと考えるます

このように「日本の自衛隊撤退」を強調したムハマド・ファディ報道官の言葉がもっと早くに聞く事ができたら「香田証生さんが亡くならずにすんだのではなかったのか?」と悔やんでも悔やみきれないのであります。

いくら考えても納得のいかない日本政府の対応だった事に間違いなかったのでしょう。

香田証生さんの一報を受け、熟慮される事もなく「たったの1時間」ほどで撤退拒否の方針を打ち出した日本政府の対応。

救済の糸口を断ち切ってしまった日本政府の対応は、残酷以外のなにものでもなかったのでした。

また「小泉内閣」は、2004年11月2日の米大統領選挙やその投票日の直近だったため「ブッシュ大統領」を裏切るわけにはいかなかったものと思われます。

「自衛隊撤退拒否」は、裏返せば全てを米国に捧げた「小泉内閣のなれの果て」だと表現しても問題はないのでしょう。

「嘘や誤魔化し」は帳尻が合わなくなれば自ずとばれるようになっております。

その嘘が「イラク日本人青年殺害事件」を機にボロボロと露見する事になったのもまさに「身から出た錆」という事になるのでしょう。

イラクでお亡くなりになられた全ての邦人に心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

事件へのみんなの反応とは?【イラク日本人青年殺害事件】

引用: Pixabay

「イラク日本人青年殺害事件」についてみんなの反応には賛否両論があったのも確かでした。

これからご紹介させていただく話は「賛否両論」などと片付ける事のできない「論外な話」になり、読み終えた後、腹の底から怒りがこみ上げてくる事は間違いないのでしょう。

 

【1】論外過ぎた!「♯KLACK事件」

皆様は「イラク日本人青年殺害事件」の犠牲者・香田証生さんが人質となり斬首に至るまでの経緯が、大型スクリーンに5分間も映し出される事となった「♯KLACK事件」をご存じでしたか?

その事件が起こったのは2004年12月26日。「TBS」主催で行われたロックイベントでの一幕でした。

千葉・浦安市のホールで開催されたロックイベントに参加していた「KLACK(クラック)」は、信じられない事に犯行グループがアップした動画を楽曲の「BGM」として流したというのですから呆れてものがいえなかったのです。

実は、KRACKの演奏が始まるやいなや、4500人いた観客は皆テンションが一気に急降下していたのだそう。

つまりは、不人気なバンドだったのですが、そんな観客に逆ギレしたボーカルは「全然おもしろくねーよ!」と口から放った後に流されたのがあの動画だったのです。

大型スクリーンに映し出された映像を目の当たりにした「みんなの反応は」当然ドン引きでした。

それを見たバンドのメンバーらは、さらに激昂し「中指を立て逆ギレ状態」で舞台から消えていったのだそうです。

イベント窓口であったバックステージプロジェクトには口頭で厳重に抗議がなされる騒ぎにまで発展。

しかし、騒ぎを起こした当人たちは残念な事に反省などといった気持ちは微塵もなかったようでした。

「KRACK」の活動は2008年で終わる事となり、実質、芸能界から干される事となったわけなのです。

 

【2】「動画配信された残酷な映像に世間は絶句」~死してなお世間に晒される苦脳

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たまたま見る事となってしまった「イラク日本人青年殺害事件」の犠牲者・香田証生さんの斬首動画にショックを受けた方は非常に多かったものと思われます。

みんなの反応は、ただただ「恐ろしかった」「ヤバすぎ!」「非常識過ぎる!」などという反応ばかりでした。

「フェスに来てしまったがために動画を見てしまう事になった」という方もいらっしゃったかもしれません。また、興味本位で事前に閲覧していた方もいらっしゃったかもしれません。

しかし、亡くなった香田証生さんの人格権やプライバシーという見地からすると、その映像自体の流通が否定されるべきではなかったのではないか?という声があがっていたのも事実でした。

たしかに、見る見らないは「各自の判断」で自由なのかもしれません。でも、お亡くなりになった香田証生さんの気持ちを汲めば、安易に閲覧などできないのであります。

そのような映像の対象になっている「ひとりの死者」や、その「ご遺族」への配慮をする事は人として当然な事なのでしょう。

もしも我々の大切な人がこのような目に遭って惨殺されてしまったと仮定したら、果たして「他人に見てほしい」などと願いますでしょうか?

また、それらの動画を題材にして「語り合われる」事など望んでいると思いますか?ご遺族の悲しみの深さを理解する事がなによりも優先なのです。

その事に気が付く事が出来れば、故人に対して勝手な憶測だけで中傷する行為がどんなに愚かな事なのかわかるはずなのでしょう。

 

【3】なので香田証生さんをそっとしてあげておいてください

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一番傷ついているのは、香田証生さんのご家族であります。哀しい事にネットにはそれらの情報が永遠に残されるからわけなのですから。

斬首動画においては、中東発信のサイトを検索すれば行き着いてしまうのが現状となっております。

ですが、わざわざ「人の生き死に」を平然と閲覧する神経の方が感覚的に「ナンセンス」だといえるのでしょう。

もし、自身が香田証生さんの立場に置かれていたらどうでしょうか?香田証生さんがどのような想いで息絶える事になったのか考えられてみて下さい。

そうすれば、答えはおのずと出るはずです。

それよりも、最初から最後まで「見殺し」で事を運んだ小泉政権と日本政府を責めるべきではないのでしょうか?

国家の最高責任者としてあるまじき行為を行った小泉政権とそれらの考えに賛同した日本政府が厳しく糾弾されて当然だったのです。

 

香田証生の家族の胸中とは?

 

【1】病弱な父・真澄さん~希望を見失うも・・・・

引用: Pixabay

「イラク日本人青年殺害事件」の被害者・香田証生さんの遺体は、2004年11月3日に故郷の福岡に到着。

そして、ご家族と無言の対面を果たす事となった香田証生さん。

翌日・4日に通夜、翌々日・5日に告別式が、福岡県直方市頓野にある「善光会館直方会場」で営まれる事となったのです。弔問客は約400人おられたそうでした。

式後、父・真澄さん(当時54歳)は・・・

「息子の生還を自分の事のように祈ってくれた全国の方々にお礼を申し上げたいと思います。息子の死を無駄にしないよう家族で力を合わせて生きていこうと思います」

と、こみ上げてくる哀しみを押し殺しながら喪主の挨拶をされたのであります。

「香田家」は、亡き証生さんの分まで生きるというあらたなる決意をする事となったのでした。

 

【2】終始、気丈に振る舞っていた母・節子さん

引用: Pixabay

この母・節子さん(当時50歳)も最初から最後まで日本政府の対応を責める事なく「証生さんの死」という現実だけに懸命に向き合っておられたのです。

頭が下がるとは、まさにこの様な事を指しているのでしょう。

次に、死の直前に日本政府に投げかけていた香田証生さんのメッセージをご紹介させていただきます。

彼らはなぜ日本政府が法を破ってイラクに自衛隊を派遣したのかと尋ねています。小泉さん、彼らは日本政府に自衛隊の撤退を求めています。さもなくば僕の首をはねると言っています。すみませんでした。また日本に戻りたいです。

これが最後の肉声となってしまった香田証生さん。

日本政府を一度も責めなかったという母・節子さんと父の真澄さんは、壮絶な哀しみの中でも息子・証生さんの身を案じ、共に心配してくれた方々への配慮を決して怠らなかったそうです。

国益しか考えなかった日本政府の対応とは雲泥の差があり、人間としての本質を垣間見る事ができた事件でもあったのでしょう。

 

【3】「平和のために働く男」~弟想いの兄

引用: Pixabay

勿論、兄・真生さん(当時26歳)も同じでした。

「弟は、自衛隊と関係なくひとりの生身の人間として、何か平和のために出来ることがあるのではないかとイラクに足を踏み入れたんだと思います。帰って来られたら平和のために働く男になるので、どうぞ無事に返してほしい」

このように訴えていた兄の真生さんでしたが祈りは虚しくも届く事はありませんでした。

また、香田証生さんには彼女がいた事が判明しておりますが、その詳細についてはどこにも記されていないため書くことが出来ません。

ただ、この彼女のショックも計り知り得ないものだったのでしょう。

愛する彼が、異国の地で「斬首」されたうえ動画までネット配信されたのですから、ただただお気の毒としか言いようがなかったのでした。

今現在、結婚されているのか、もしくは彼の死から「生きる希望を見いだせないまま」ひっそりと人生を歩んでおられるのか・・・

事件発生から今年で15年目となりますが「温かい家庭」を築いて幸せな彼女である事を願わずにはいられなかったのでした。

 

【4】「香田証生さんへ捧げる」~福岡で開催されたキャンドルウォーク

引用: Pixabay

「イラク日本人青年殺害事件」の被害者・香田証生さんの死を追悼しようと、2004年11月6日の夜に福岡市内でキャンドルウオークが行われました。

こんなことは二度とあってはならない!」、そのような祈りのもとろうそくを手に福岡市民が街を練り歩いたのです。

ひとりひとりが様々な想いを抱えながらのキャンドルウオークだったに違いありません。

香田証生さんを見殺しにした日本政府への怒りはもとより、新聞、メディアらの日本政府を擁護する様な情報発信への不信感などに怒りをあらわにする人々であった事もたしかだったのでしょう。

たしかに危険だとわかっていた国に「制止を振り切った形」で入国してしまった香田証生さんにも、100歩譲って非があったとしましょう。

それでも「交渉の努力」すらしなかった日本政府には重大なる責任があった事には間違いなかったのでした。

「日本に帰りたい」・・・そう願う香田青年の想いは無残にも打ち砕かれる事となりました。

でも、香田青年が生前友人たちに語っていた「平和への願い」は必ず引き継がれていく事になるのでしょう。

 

香田証生の遺志は後世に引き継がれるのである

引用: Pixabay

「イラク日本人青年殺害事件」の被害者・香田証生さんは、まさに国家により殺害された犠牲者でありました。

ひとひとりの命がかかっている最中「人質事件と自衛隊撤退は別」とし「テロに屈した形での自衛隊自衛隊撤退は反対」などと主張し続けた日本政府の対応は、たしかに普通ではなかったのでしょう。

また、異常性をおびていたのは小泉内閣だけではなく「野党民主党やマスコミ」までもが、こぞって同様な態度をとっていたのですからあきれ果ててしまったのであります。

日本政府は「テロに屈するな」と唱和しつつ、小泉内閣と日本政府の周りに再び「翼賛的な結束」を見せる事となったのですから、みんなの反応が冷ややかになってしまったのは当然の事だったのでしょう。

宿営地の被害、果ては自衛隊員の被害などが大きければ大きいほど「泥沼に足を突っ込む事になる」のはわかっていただろうに。

また、読売・産経・日経・毎日・朝日などの新聞紙面でも「首相の判断はやむを得ない」「首相は犯人の要求に拒否したがやむおえない」などと、露骨に小泉政権を支持するような記載が多くあったのも確かでした。

イラクをこのような苛烈な戦場に変えた米国を支持した日本政府は紛れもなく占領国であり「侵略軍・占領軍」だった事には間違いなかったのでしょう。

こぞって、はやし立てる事となった野党やマスコミはどこまで、これらのことを自覚しているのか?香田証生さんは死をもって、我々日本国民にどのような事を伝えようとしていたのか?

「香田証生さんがなぜ殺害されなければいけなかったのか?」・・・これらについて日本政府に徹底的に問うてみる必要があったのでしょう。

小泉内閣やメディア」がこぞってイラク情勢の真実や戦慄の惨状を覆い隠すかのように過小評価するのはなぜなのか?・・・国民として、その異常性に着目せざる終えないのが現状だった事には間違いなかったのでした。

また、米国旗に包まれて捨てられていた香田証生さんのご遺体は、まさに日本が侵略者「米国」の手先であった事を意味していたのでした。日本の「撤退拒否宣言」を一番喜んだのはブッシュ政権だったからです。

実は、日本政府は一報を受けた後、武装グループでもなく、日本国民でもなく、香田さんの家族にでなく「真っ先に日本の離脱を懸念している米国」にメッセージを送っていたのですから呆れてモノがいえなかったのでした。

日本の日の丸は、もはや星条旗に吸収されたといっても過言ではなかったのでしょう。勿論、現在の安倍政権においてもいえる事でした。

斬首された香田証生さんの「恐怖と切望とその無念」は、我々に到底計り知り得ない壮絶な苦しみだったのでしょう。「壮絶」とはまさにこのような状況を指す言葉であったのでしょう。

「イラク日本人青年殺害事件」発生で露見される事なった日本政府の醜態は、信頼という意味においても我々国民に多くの疑問を残したのはいうまでもありませんでした。

一方、世界ではイラクで命を落とす事となってしまった香田証生さんへの称賛の声がなりやまない状況になったのであります。

世界平和に向き合い「苦しい人々」に寄り添おうとしていた香田証生さんの想いは、ついには国境を越え世界平和を願う人々をひとつにしたのでありました。

「命がけ」で平和を伝えようとした香田証生さんの想いは未来永劫語り続かれるのでしょう。

香田証生さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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