緒方純子の現在!顔画像や家族・生い立ち・松永太との息子の情報まとめ | ToraTora[トラトラ] – Part 3

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2002年3月以降に発生した、「北九州監禁殺人事件」を知っていますか?この事件は北九州市小倉北区片野1丁目のアパートで発覚した事件で、1996年~2002年にかけて死亡者7人、負傷者1人を出した監禁・連続殺人事件です。

犯人は緒方純子受刑者と松永太死刑囚の2人で、このニュースは各メディアで取り上げられました。北九州監禁殺人事件とはどんな事件だったのでしょうか?また、犯人である緒方純子受刑者と松永太死刑囚とは、どんな人物だったのでしょうか?

緒方順子の生いたち・経歴まとめ

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それではまずは緒方順子の生い立ちと経歴を紹介します。

普通の生活をしていた緒方順子がなぜ今回このような事件に巻き込まれてしまったのか、早速みていきましょう。

【1】生まれ・学生時代。

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緒方純子受刑者は1962年2月25日、福岡県久留米市に生まれました。緒方純子受刑者の家は比較的裕福な家で、地元では有名な地主だったらしく、家柄もよかったそうです。

主犯である松永太死刑囚と緒方純子受刑者は同じ高校出身で、学生時代はお互いほとんど面識がありませんでした。

【2】学生時代~社会人へ。

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高校時代の緒方純子受刑者は大人しくて真面目で、今回の事件や犯罪を起こすような人物ではなかったと言います。緒方純子受刑者は高校を卒業すると、短期大学に入学し、卒業後は幼稚園の先生として勤務していました。

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緒方純子受刑者がはたらき始めて半年後に、松永太死刑囚から突然連絡が入ります。これが北九州監禁殺人事件の始まりと言っても過言ではありません。当時、松永太死刑囚が緒方純子受刑者に連絡するきっかけになったのは卒業アルバムに載っていた人物に電話をかけて、連絡がついたのが緒方純子受刑者だったのです。

そこから2人の交際が始まります。付き合った当時松永太死刑囚には妻がいて、緒方純子受刑者とは不倫関係でした。松永太死刑囚は言葉をたくみに操り、緒方純子受刑者を始め緒方純子受刑者の両親も丸め込みます。

【4】松永太死刑囚の性格。

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松永太死刑囚の束縛は激しく、浮気を疑うと緒方純子受刑者に暴力を振るうようになりました。次第に緒方純子受刑者の思考回路は、DV被害者と同じように「暴力を受ける自分が悪い。」となっていきます。

【5】事件発生。

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北九州監禁殺人事件が発覚し、緒方純子受刑者が逮捕された時には顔の頬にアザがありました。

その他にも右足の小指・薬指がくっついていた、親指の肉が欠けていた、声が老婆のように老け込んでいたなどの特徴があり、どれも松永太死刑囚の影響によるものでした。顔の頬のあざは暴力・足の指は通電・声はのどへの暴力が原因だと言われています。

北九州監禁殺人事件の刑事裁判・判決

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【1】第一審

北九州監禁殺人事件で亡くなったのは7人、そして負傷者が1人います。北九州監禁殺人事件はさまざまな事件を1つにまとめた言葉で、細かく分けると実にたくさんの事件があるのです。

北九州監禁殺人事件の第一審は、福岡地方裁判所小倉支部で開かれました。2002年6月に初公判が行われ、内容は松永太死刑囚・緒方純子受刑者の監禁致傷罪についてのものでした。

ですが殺人容疑での逮捕が相次ぎ、公判の期日が延期されることになります。殺人罪に関する審理が始まったのは、第3回公判(2003年5月)でした。2003年6月に一連の殺人事件に関しての最後の追起訴が行われます。裁判迅速化法(最後の起訴から2年以内に第一審判決を出す。)に基づいて2003年10月以降は集中審理を週1回のペースで行い、その審理は第72回公判(2005年1月26日)まで行われました。

松永太死刑囚と緒方純子受刑者の主張が分かれましたが、緒方純子受刑者側が併合審理を希望したので分離公判は撤回されました。松永太死刑囚は障害致死罪・殺人罪に関しては無実を主張し、法定上での発言は煮ても焼いても食えぬようなものばかりでした。緊張感がなくなることが度々起こったそうです。

そして論告求刑公判が2005年3月2日におこなわれ、検察側は松永太死刑囚と緒方純子受刑者に対して死刑を求めました。

第74回公判(2005年4月27日)で、緒方純子受刑者の弁護人は、最後に死刑の回避を求めます。一方松永太死刑囚の弁護人は無罪を主張します。そして、初の公判から約3年半続いた公判についに結審がでたのです。判決公判で第一審福岡地方裁判所小倉支部は2人に死刑判決を言い渡しました。

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【2】福岡高等裁判所での控訴審

松永太死刑囚は死刑判決を不服として、その日のうちに福岡高等裁判所に控訴しています。

緒方純子受刑者は死刑判決を受け入れていましたが、「支配の構造や暴力などの事件の真相を審理するため」という理由で控訴を決めていた弁護人の意見に同意して、福岡高等裁判所に控訴しています(2005年10月11日)。

二審で緒方純子受刑者の弁護団は松永太死刑囚に撮影された裸の写真や心理の状況を法廷に提出し、「DVという言葉の多用。・性暴力被害専門家の証言。・酌量を求めて性暴力被害団体が求めた署名。」などを考慮し、一審ではなかったDVの観点から「北九州監禁殺人事件が発生した時は、緒方純子受刑者の判断力が低下していた。」ことを認めて、酌量減刑を求めています。

福岡高等裁判所は松永太死刑囚の死刑を支持し、控訴を棄却。一方緒方純子受刑者の死刑判決は破棄されて無期懲役の控訴審判決が言い渡されました(2007年9月26日)。

判決には捜査段階での自白や公判における態度も考慮されています。松永太死刑囚は無罪を主張していたので、またもこの判決を不服とし、2007年10月5日に最高裁判所に上告しています。

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【3】松永太死刑囚の上告審・最高裁判所による第一小法廷

最高裁判所第一小法廷は、松永太死刑囚について上告審口頭弁論期日を2011年11月21日指定して関係者に通知しています。そして最高裁判所小法廷にて上告審口頭弁論期日が開かれます(2011年11月21日)。

松永太死刑囚の弁護人は無罪を主張しますが、検察側は松永太死刑囚の弁護人の上告を棄却するよう求めています。そして、最高裁判所第一小法廷は松永太死刑囚について、上告審口頭弁論期日を2011年12月12日に指定したことを関係者に通知しています。

最高裁判所第一小法廷は、上告審判決公判において松永太死刑囚に対して下された死刑判決を支持して弁護人側の上告を棄却します。そうして松永太死刑囚の死刑が確定したのです。そして緒方純子受刑者の無期懲役も確定します。

緒方順子の家族の事件後総まとめ

緒方順子の家族関係についてまとめました。

ここでは緒方順子の家族が事件後にどうなったのかみていきましょう。

【1】松永太死刑囚の両親

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北九州監禁殺人事件が発覚したことで、松永太死刑囚の母親や父親にも注目が集まりました。

松永太死刑囚の両親は小倉で畳店を経営していましたが、松永太死刑囚が7歳の時に転居しています。父方の実家を継ぐためでした。松永太死刑囚の北九州監禁殺人事件が起きてからは、親戚を含めマスコミによる取材を全て拒否しています。

松永太死刑囚の両親が今現在どうなっているのかは、明らかにされていません。

【2】松永太死刑囚と緒方純子受刑者の息子

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松永太死刑囚と緒方純子受刑者の息子さんは、テレビ番組に出演し心境を告白しています。北九州監禁殺人事件の発覚後の息子さんの人生は、被害者でありながら加害者の家族でもあるという十字架を背負っています。

児童養護施設で育てられたあとはガソリンスタンドではたらきながら定時制の高校に通い、その後は里親の元を離れ住所不定の人生になります。息子さんには重い記憶がたくさんあるのです。

また、北九州監禁殺人事件はノンフィクション作品として本が出版されています。

『消された一家ー北九州監禁殺人事件』

【3】被害者女性が訴訟した、遺族給付金

北九州監禁殺人事件の被害者がその後どうなったのかという情報はほとんどありませんが、日本経済新聞の記事の中に、被害者である女性が遺族給付金に関する訴訟を起こしていたことが分かりました。

北九州監禁殺人事件の被害者であるA子さんは、父親を殺害されA子さん自身も監禁されていました。

福岡県公安委員会は犯罪被害者の遺族給付金が「期限が切れたために支給できない。」と判断しましたが、A子さんはそれを取り消して欲しいと訴訟を起こしています。これを受け福岡地方裁判所は、福岡県公安委員会が下した判断を取り消します。この判断を下した裁判長は「第一審の判決が出ていなければ福岡県公安委員会や女性は父が被害者であることを認識できなかったため、その申請権は無くならない。」と指摘しています。

遺族給付金の申請権は「申請する人が被害が分かった時から2年」または「犯罪の被害が発生してから7年」となっていて、それをすぎると権利が消滅してしまいます。

A子さんは2006年の2月に遺族給付金を申請しましたが、第一審では父親が殺害されたのは1996年となっていたため、福岡県公安委員会は「7年を過ぎている。」と判断し、遺族給付金を支給していませんでした。しかし、訴訟の結果申請権はなくなっていないと判断されたため、A子さんは「裁判所が理解をしてくれたことに感謝している。」とコメントしています。

被害者になっていたかもしれない女性

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松永太死刑囚の被害にあった女性は、他にどんな人がいるのでしょうか。

一人目の女性は松永太死刑囚が布団販売業をしていた時に出会った女性で、B子さんは当時19才でした。クラブで働いていた時に松永太死刑囚に呼ばれたらしく、松永太死刑囚は銀行の支店長とともに来ていたのでヤリ手な感じがあったんだとか。スーツにネクタイ姿だったので、悪い人には見えなかったそうです。

クラブのママからは「いいお客さんだから」と言われ、B子さんは松永太死刑囚が店に来るたびに呼ばれていました。

松永太死刑囚が店に通い始めて4~5か月ほどたった時、誕生日だからとB子さんはデートに誘われます。食事やドライブに行き付き合いが始まりましたが、そこからしばらく連絡が取れなくなったり、急に連絡が来たりするようになります。

周りの人にはいつも自分の彼女であることを紹介していたようです。キスはしたそうですが、それ以上はなかったとB子さんは話しています。

その後、B子さんは松永太死刑囚から会社の社員が事故を起こしたので200万円が必要になったと言われ、100万円を消費者金融で借りることになります。当然そのお金が戻ってくることはなかったが、B子さんの被害はそこで収まりました。松永太死刑囚はすでに、地元の暴力団からの追い込みから逃れるために逃亡していたのです。北九州監禁殺人事件が発覚する以前、松永太死刑囚は金づるとなる女の網を張っていたとも言われています。

2人目は、北九州市内のカラオケボックスで働いていたC子さんです。

C子さんの勤務先には、松永太死刑囚が東京大学を卒業した医師として、緒方純子受刑者が病院の看護師長として来店していました。そこで松永太死刑囚はC子さんにアプローチをかけて飲みに誘い、緒方純子受刑者はその後押しをしていたと言います。そして北九州監禁殺人事件が発覚した時、C子さんのもとに警察から突然連絡が入ります。「松永太死刑囚の部屋からあなたの住所と顔写真が載せられた紙が出てきたのですが、どんな関係ですか?」と聞かれて、C子さんは大変驚いたそうです。

C子さんは松永太死刑囚に顔写真を撮られた記憶も、住所を教えたこともなかったからです。松永太死刑囚の逮捕で被害が広がることはなくなりましたが、放っておけば更なる被害が出ていたかもしれません。

緒方順子と松永太の息子の現在

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緒方純子受刑者と松永太死刑囚の子供である息子さんに対してのインタビューが行われていたことがありました。

緒方純子受刑者が長男である息子さんを生んだのは1993年1月のこと。緒方純子受刑者と松永太死刑囚が逮捕されたことに伴い、息子さんは9歳で保護され、そこから15年間隠してごまかして逃げて生きてきたそうです。しかし、逃げていては両親と変わらないと感じ、取材を受けるようになったと言います。

息子さんには戸籍がなかったので、学校に通えるようになってからも苦難が続きます。過去の記憶と経験が残っていることから、女の子から告白されても好きの意味が理解できなかったそうです。

両親の事件を指摘されたこともあり、荒れた時期もありました。息子さんは人間不信に陥っていたと言います。小学生の時には獣医師になりたいという気持ちがあったそうですが、その理由は「動物は素直だから、言葉の裏を考えることがない。」というものでした。

中学を卒業すると、息子さんは里親の元から高校に通い始めますが、里親とうまくいかなくなったことで高校を中退します。

職を転々としながら生活を続けて、小学生の時に幼馴染だった女性と再会して同居を始めます。その後籍を入れますが、それは「籍を入れることで彼女に社会的保証がつく」ということを考えた上での判断でした。

そして現在は、高校の時の友達に紹介された会社で働いているそうです。そこでは5年ほど勤務しています。息子さんは両親へ面会にも行っているらしいのですが、関係が回復したわけではありません。父親である松永太死刑囚からは署名集めをお願いされたこともあるんだとか。

このインタビューを通してインタビュアーは『彼(息子さん)は、今後きちんと自分の人生を送るだろう』とコメントしています。

緒方順子。全てを乗っ取られた女。

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緒方純子受刑者は無期懲役の判決を言い渡されて服役していますが、裁判では松永太死刑囚からの暴力やマインドコントロールの影響が認められて死刑判決が破棄されています。

殺人事件をおこしたことに間違いはありませんが、緒方純子受刑者自身も、松永太死刑囚に操られていたこともまた事実です。

北九州監禁殺人事件のような事件が二度と起きないことを願います。

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