林真須美は冤罪?和歌山毒物カレー事件の真犯人は小学生との噂! | ToraTora[トラトラ]

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「林真須美」…この人物の名前を一度でも耳にしたことがあるのではないでしょうか。

1998年7月に世間を騒がせた和歌山毒物カレー事件の犯人であり、現在服役中の女性死刑囚です。

和歌山毒物カレー事件があった1998年7月は、ちょうど学校が夏休みということもあり、全国各地で夏祭りが盛んに行われていました。この事件が起こってから、事件後の数年はお祭りで食べ物を扱う屋台の出店がなかったり、この事件のあった地区の小学校では、現在に至っても給食でカレーを出されることがないそうです。

和歌山毒物カレー事件で死刑囚となった林真須美とは、どのような人物なのでしょうか。また、この和歌山毒物カレー事件とは、どのような事件だったのでしょうか。林真須美死刑囚と、この和歌山毒物カレー事件について紹介します。

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林真須美の経歴を紹介

林真須美と言えば、あの和歌山毒物カレー事件で連日テレビのワイドショーをにぎわせていた時、家の前にいる報道陣に対して、頭を冷やせとばかりに、水道ホースを持って、水をまいている映像を思い出す方もいることでしょう。

林真須美は、この和歌山毒物カレー事件までにどのような人生を送ってきたのかを知らない人も多いかと思います。林真須美がどのような人物だったのか、林真須美の経歴をご紹介していきましょう。

幼少期

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林真須美は、1961年7月22日に和歌山県有田市の小さな漁村で誕生しました。父親は地味でおとなしいタイプ。母親はまじめで外交的で保険外交員をしていました。

林真須美は、兄が2人いて、3人兄弟の末っ子で、兄弟の中でただ一人の女の子でした。両親が共働きということもあり、共働きではない家庭に比べて、生活水準は高く、家にピアノがあるのが珍しかった時代に家にピアノがあったり、友達よりもお小遣いが多いなど、他の家庭に比べて裕福な家庭に育ちました。

しかし、両親が共働きのために忙しかったため、あまり両親から遊んでもらえずに寂しい思いをいつもしていたそうです。

幼少期の林真須美は、可愛らしく明るい子供でしたが、負けず嫌いという性格も持ち合わせていたといいます。

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林真須美は10代の頃は、事件の頃の体型とは違い、やせ型で、おとなしく、見た目は可愛く清純派の少女のようでした。

しかし、性格は、幼少期の負けず嫌いという性格をそのまま引きずっており、例えばテストで良い点数が取れなかった時など、自分の意に反する嫌なことがあった場合には、ヒステリックになり収拾がつかなくなるほどだったといいます。

周囲の人たちは、林真須美を、可愛いけど、ヒステリックでキレると怖いタイプと思われるようになりました。この頃から、林真須美は他人よりも下であることや、自由がないことへの不満を抱くようになっていきます。

看護学校時代

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林真須美は、和歌山の県立高校を卒業して、看護師を目指すために看護学校へ入学します。

この看護学校ですが、大学付属の看護学校で、林真須美は寮生活をしていました。寮生活はルールがとても厳しく、自由がない生活でした。林真須美は、そのような寮生活に嫌気を感じていて、自由が欲しいと常々思っていたのです。

看護学校2年生の時に、現在の夫である林建治と出会います。林真須美が19歳、林建治は35歳の時です。

夫の林建治は、当時シロアリ駆除会社を経営していました。会社の羽振りもよく、競輪などのギャンブルに多額のお金をつぎ込んでいました。林真須美の前で百万単位でキャンブルにお金を使う林建治の姿を見ていたことと思います。

当時、林建治は既婚者でもありましたが、若い林真須美に夢中になり、何十万もするネックレスをプレゼントしたり、看護学校まで派手な車で迎えに来たりするなど、猛烈にアタックしていたようです。

一方、自由がない寮生活をしていた林真須美は、この林建治と一緒になれば、お金に苦労せず、自由な生活ができるかもしれないと期待を抱き、恋に落ちていくのです。

結婚

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林真須美と林建治はお互いに惹かれ合い、1983年に結婚します。

林建治は林真須美と知り合った当初は結婚していましたが、林真須美と結婚するために離婚。林建治は、林真須美との結婚が3回目だといいます。

結婚式の時に、林真須美が行き違いを起こして、林建治が怒り狂い、林真須美を平手打ちにするという、結婚生活1日目から林建治によるDVがスタートします。晴れて結婚した林真須美でしたが、お金に困らない自由な生活への憧れを抱いて結婚したのに、突き付けられた現実は違いました。

夫の林建治ですが、かなりのギャンブラーでした。1回に使う金額が百万単位と半端じゃない程だったといいます。ギャンブラーがゆえ、2人が結婚してからは、家賃3万円の家での生活が始まります。仕事よりもギャンブルの方が好きな林建治は、結婚したからといって、あまり仕事をしようとはしませんでした。

この頃、自分の置かれている立場に気付いた林真須美は、お金を稼がないと生活していけないことから、真面目に働きます。ウエイトレスや化粧品販売員として、生活を支えるために必死にお金を稼いでいました。

出産

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結婚した翌年の1984年に長女を授かります。

同年に、夫婦で稼いだお金を使って一軒家を住宅ローン購入します。裕福ではないながらも慎ましい生活を送りながら、林真須美は幸せを感じていたのかもしれません。

林真須美と林建治夫妻は、長女を出産した後、2人の間に3人の子供を授かります。娘が3人と、息子1人です。1984年に長女の誕生を皮切りに、1985年に次女誕生、1987年に長男誕生、1993年に三女が誕生しています。

子供を4人も授かるということは、子供好きだったのかもしれません。

保険金詐欺

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林真須美と林建治夫妻が一軒家を購入した、ちょうど同じ時期から林真須美の周囲で事件が起こります。

そして、その事件の結果、林真須美自身が多額の保険金を受け取るようになるのです。ちょうどこの頃、林真須美は自分の母親と同じく保険外交員の仕事をするようになりました。

あまり仕事をしない林建治に、結婚前はお金に困らない自由な生活ができると思っていたのに現実はそうではなかったことに腹をたて、お金を得るためには夫を殺す手段も厭わないと思うようになったのです。

後に林真須美は、夫の林建治が死ねば、保険金もたくさん入ってくるし、そうしたら子供と一緒に自由気ままに暮らしたいと言い、それほど夫である林建治については、愛情もなかったのです。

そして、林真須美は保険外交員の仕事をすることによって、保険の知識を得たことから、お金を得て自由になりたいがために保険金詐欺を行うのです。

・保険金詐欺①:林建治がバイク事故を偽装し、2052万円の保険金詐欺

・保険金詐欺②:林真須美がBBQ時に自転車で誤って両足を火傷したと偽装し、459万円の保険金詐欺

・保険金詐欺③:林真須美が夫の林建治にヒ素入りの葛湯を飲ませる(死亡保険金1億4000万円目的)

・保険金詐欺④:林真須美が知人男性にヒ素入り牛丼を食べさせ、539万円保険金詐欺(死亡保険金1億2910万円目的)

・保険金詐欺⑤:林真須美が入院中だった林建治の障害が重いと偽り、高度障害保険金1億3768万円保険金詐欺

・保険金詐欺⑥:林真須美が知人男性にヒ素入りうどんを食べさせ、殺人未遂(死亡保険金1億2910万円目的)

その他に、ヒ素を飲ませたのかは不明ですが、林真須美の実母が1995年に脳卒中で死去し、死亡保険金1億4000万円を受け取っています。

保険金詐欺をはたらいていた頃、林真須美と林建治家族の金庫には、多額の札束や、最新のゲーム機などが保管されており、子供たちは札束を積木代わりにして遊び、林真須美は高級リゾートマンションの最上階を契約するなど、貧しい生活から一転して裕福な生活に変わっていきました。

そしてまた、保険金詐欺を共謀して行っていた林建治に至っては、これくらいのヒ素だったら飲んでも大丈夫(大事に至らない)と思うようになり、夫婦で保険金詐欺をしてお金を稼ぐことが普通になっていくのです。

保険金詐欺をしていた当時、5億円もの大金が金庫の中に入っていたといいます。4人の子供たちにとっては、生まれてから普通にお金が金庫の中にある風景を見慣れているため、何も思わなかったそうです。

和歌山毒物カレー事件の概要

林真須美が犯人と言われている和歌山毒物カレー事件から、もう20年以上も経っているので、事件についての記憶があいまいとなっていると思います。では、ここで和歌山毒物カレー事件について振り返ってみましょう。

ああ、そうだったと、テレビのワイドショーなどで連日報道されていた頃の記憶がよみがえるかもしれません。

事件前

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この和歌山毒物カレー事件の舞台は、和歌山県和歌山市園部の夏祭り会場です。

夏祭り会場といっても、園部地区にある空き地でした。この場所で毎年夏祭りが行われ、カレーの他におでんや冷えたジュースが売られている屋台がありましたが、自治会の女性達が作るカレーが特に人気でした。

何時間もかけて煮込んだカレーと聞くと、誰しも美味しいカレーと思うでしょう。そうです。事件前はこの園部地区に住む誰もが、毎年夏祭りで恒例になっている煮込んだカレーを待ち望んでいました。

この和歌山毒物カレー事件が起こる1998年7月25日に、夏祭り会場にあるガレージで自治会の女性たちが交代でカレー鍋を見ていました。その中で、林真須美は次女と一緒に昼の12時20分から13時までの間、カレー鍋の見張り番として、カレー鍋に付きっ切りだったのです。

林真須美と次女は自分たちの担当が終わると、同じくガレージにいた他の自治会の女性達とおしゃべりが始まります。特に他の女性達から疑われる素振りもなく、夏祭りが始まるまで、坦々と時間が進んでいくのです。

事件概要

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自治会の女性達により、カレーの見張りは交代で行われ、カレーは良く煮込まれて、夏祭りが始まる18時に用意されたカレーが振舞われました。カレーをもらってすぐに食べる人、家へ持ち帰る人など、様々でした。

振舞われたこのカレーですが、夏祭りに参加してカレーを食べた住民の証言から、カレーの匂いはするものの、カレーの味は全くしなかったと言います。

いつものカレーとは違うなと気付いていた人もいたかもしれませんが、このカレーを最初にもらって食べた女子高生は、カレーを食べ終わるや否や、口にしたカレーを全て嘔吐し、体調不良を訴えました。

カレーを食べた人達が、次々に嘔吐し、周りは異様な雰囲気に包まれました。異変に気付いた参加者が「カレー、ストップ!」と叫び、この一連の嘔吐はカレーによるものだと発覚したのです。

このカレーを食べた67人が病院へ搬送されます。この搬送された67人はいずれも中毒症状があり、そのうち4人が死亡してしまいました。死亡した4人は、小学4年生の男子児童、高校1年生の女子校生、園部地区の自治会の会長と副会長の4人でした。

最初にカレーをもらって食べた女子高生も死亡してしまった4人の中の一人です。

逮捕まで

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事件当日、保健所は、カレーを食べて嘔吐していることから、集団食中毒によるものだと判断しましたが、翌日に和歌山県警が吐瀉物を調査したところ、青酸化合物が検出されたとして、「青酸カレー事件」と判断されました。

しかし、中毒症状が青酸化合物の中毒症状と異なるとして、事件から1週間後に、警視庁の科学警察研究所が改めて調査したところ、ヒ素が混入していたことが判明し、青酸化合物とヒ素という2つの毒物によるものではないかという見解となるのです。

この見解の時に、ヒ素で保険金詐欺を働いていたのではないかと疑いをもたれていた林真須美について、「ヒ素=林真須美」という公式を元に、警察がカレー事件の犯人として、林真須美に疑いをかけます。

青酸化合物という毒物が混入していたという事実がなかったかのように、警察は青酸化合物はカレーに混入されていなかったとして、事実を覆してしまうのです。

林真須美に疑いをかけた警察は、まず同年1998年10月に林真須美と夫の林建治を保険金詐欺の容疑で逮捕します。林建治はその後、保険金詐欺の容疑を認め、2000年10月に懲役6年の実刑判決が確定します。

林真須美への保険金詐欺の容疑は、この和歌山毒物カレー事件について自白させるための逮捕であり、連日厳しい取調べが行われました。

この頃、園部地区に住む住民に警察が状況証拠をつかむべく、住民からの証言を集めていました。警察から誘導された結果、住民から出された証言として、夏祭り当日、12時20分から13時までは、林真須美が一人でカレー鍋を見ていたことを特定し、そして林真須美以外にヒ素を混入する人物はいなかったと結論づけたのです。

そして、林真須美は12月9日に、和歌山毒物カレー事件の容疑として再逮捕となります。

死刑判決まで

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林真須美が逮捕されてから、現在までにおいて、ヒ素を混入していないと無実を言い続けています。しかし、警察は林真須美がヒ素を混入したという事実を証明しないと実刑判決がくだりません。

そのため、東京理科大学理学部応用化学科の中井泉教授に、警察は、ヒ素について調査を依頼します。夫の林建治が所持していたドラム缶入りのヒ素と、林真須美宅のキッチンに置かれていたヒ素と、事件現場に捨ててあった紙コップのヒ素についてです。

中井教授は大型放射光施設「スプリング8」を使い、この3つのヒ素は、「同一の工場が同一の原料を用いて同一の時期に製造したヒ素」という結論を導きます。

この結果により警察は林真須美宅のキッチンにあったヒ素と事件現場に捨ててあった紙コップのヒ素は同じで、自宅のキッチンにあったヒ素を紙コップに移して、カレーに混入したのだと結論づけたのです。

この中井教授が導き足した結論は、輸入元が同じで同じ時期に作ったヒ素だというだけであり、証拠不十分にもかかわらず、状況証拠のみで警察は和歌山毒物カレー事件の犯人は林真須美だと断定します。

同年1998年12月29日に林真須美は和歌山地方検察庁により、殺人と殺人未遂の罪で和歌山地方裁判所に起訴となるのです。

その後、1999年5月13日の第一審・初公判から始まり、約3年7ヶ月におよぶ一審の開廷数は95回、二審の結審まで12回を要しました。

しかし、証拠不十分であり、殺人をする動機の解明もできていない中であっても、「4人もの命が奪われた結果は、あまりにも重大で、遺族の悲痛なまでの叫びを胸に刻むべきだ」として2002年12月に死刑判決を言い渡します。

死刑判決に不服であった林真須美は控訴・上告を行いますが棄却され、2009年5月18日に林真須美の死刑が確定されるのです。

林真須美は冤罪との噂も?

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証拠不十分であり、動機の解明もできていない、この和歌山毒物カレー事件。

林真須美は本当に和歌山毒物カレー事件の犯人なのでしょうか。和歌山毒物カレー事件から20年が経った今、死刑囚となっている林真須美について、林真須美は冤罪なのではないか?という噂があるのをご存知ですか?

証拠不十分で動機について解明ができていないのに、死刑判決までされてしまった林真須美について、ネットでは、現在までに色々な噂が出ています。林真須美が冤罪なのではないかという噂について紹介しましょう。

誰でもヒ素をカレーに入れられた

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和歌山毒物カレー事件で20年前に連日にわたりテレビ報道がされていた時に、自宅にヒ素があるのは林真須美と林建治の一家だけであると、テレビ報道により私たちは洗脳されていたかのしれません。この園部地区において、ヒ素が自宅にある家は、林真須美宅の他に6軒もあったのです。

夫の林建治は以前、シロアリ駆除の会社を経営していました。シロアリ駆除にはヒ素を含んだ薬剤を使っていたのです。ただ、このヒ素はとても猛毒であるため、1986年にはヒ素を使った薬剤の製造や、輸入、販売が禁止されています。

事件があったのは1998年ですから、シロアリ駆除に使われたヒ素入りの薬剤は流通していません。林建治のようにシロアリ駆除会社を経営していたのであれば、ヒ素入りの薬剤の在庫があり、所持していたということもわかるのですが、他の6軒の家に関しては不明のままです。

近所にシロアリ駆除の会社が多かったとなれば納得は行くのですが、同じ地区に7軒もシロアリ駆除の会社があるのもおかしく、なぜ他の家で所持していたかについては未だにわかりません。

ヒ素を持っている家が他にもあるのであれば、誰でもヒ素をカレーに入れることができたといえるでしょう。

カレーの見張りは林真須美1人ではない

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林真須美がカレー鍋の前にいたのは、12時20分から13時までの間。

それも次女と2人一緒にカレー鍋の見張りをしていました。そして、カレー鍋の見張りは、カレーを振舞う18時までに自治会の女性10数名で交代して行っていたのです。

林真須美の次女は、林真須美と一緒にカレー鍋の見張りをしながら、カレーの味見もしていたという住民の証言があります。カレーを煮込んでいる間に、次女のように味見をする人もいたのではないでしょうか。

この12時20分から13時までの間にヒ素を混入していたとしたら、カレーを振舞う18時前には、カレーを味見した人が嘔吐してしまうなど体調が悪くなる人が出て、夏祭りどころではなくパニックになっていたと思われます。

動機がない

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林真須美はお金が欲しくて保険金詐欺をするためにヒ素を使っていました。

夫や知人に高い死亡保険金が出る生命保険をかけて、作った料理にヒ素を盛り、多額の死亡保険金を得ようとしていたのです。ろくに仕事もしない夫の林建治について、お金を得るためであれば、殺しても良いとも思っていたのでしょう。

しかし、この和歌山毒物カレー事件は、不特定多数の人を死亡させることにより、林真須美が大金を得ることはありません。

林真須美には不特定多数の人を殺すことにより、どんなメリットがあるのでしょうか。多額のお金をヒ素により得れれば事件を起こすメリットはあると思いますが、この和歌山毒物カレー事件には、そのメリットがないのです。

林真須美の夫である林建治も、林真須美はお金のために人を殺すことはあるだろうが、他の理由で人を殺すことはないのではないかと証言しています。

もし、林真須美が園部地区全員に多額の生命保険をかけ、林真須美が死亡保険金の受取人となっていれば、不特定多数の人にヒ素入りのカレーを食べさせて、死亡保険金を得ることもできると思われますが、実際にはそのような事実はないため、林真須美が不特定多数の人を殺す動機が見当たらないのです。

混入されたヒ素は、林真須美宅のヒ素ではない

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林真須美の死刑判決が下された後、林真須美の弁護団は、カレーに混入されていたヒ素について再調査を行います。蛍光X線分析の第一人者である京都大学大学院工学研究科の河合潤教授へヒ素の再鑑定を依頼するのです。

以前、中井教授のヒ素に関する調査結果を警察は捻じ曲げた形で、林真須美宅のキッチンにあるヒ素と、事件現場に捨ててあった紙コップのヒ素は同じものだとしていました。

しかし、河合教授の再鑑定の結果、林真須美宅のキッチンにあったヒ素は、不純物が多く低濃度のヒ素であり、反対に事件現場に捨ててあった紙コップのヒ素は、亜ヒ酸濃度に換算すると98.7%という高濃度のヒ素だと鑑定しました。

警察は林真須美宅にあったヒ素を紙コップに移し、カレーに混入したとしていましたが、林真須美宅にあった低濃度のヒ素を紙コップに移したところで、高濃度になるわけもなく、この2つのヒ素は全く異なるものであることがわかったのです。

消去法により導き出された犯人

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警察が林真須美を疑い始めてから、犯人は林真須美だいうことを前提として園部地区の住民から証言を得ていました。住民の証言の中で、林真須美以外に怪しい人がいたかもしれないという証言も中にはありました。

住民の証言の中には、見ず知らずの人がカレー鍋の前にいたけれど、カレーの見張りをしていた女性の知り合いかと思ったという証言があります。林真須美以外の人物が疑わしいという証言があったにもかかわらず、警察は、その人物について調査することもありませんでした。

和歌山毒物カレー事件の犯人は、夏祭りの関係者の中にいる、そしてその犯人は林真須美に違いないという結果を導くために、住民からの証言を元に消去法で、犯人を導き出していたのです。

怪しい男の存在

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林真須美は控訴審で、カレー鍋がある現場の近くに怪しい男性が2人いた、また次女と一緒にカレー鍋の見張りをしている時に、別の男が通りかかったと証言をしています。

この証言は自分を守るための証言かもしれませんが、住民からの証言においても見ず知らずの人がいたという証言がある以上、真実なのかもしれません。

この証言についても特に調査はされませんでした。

和歌山毒物カレー事件の真犯人は小学生?

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林真須美が冤罪なのではないかと現在までに色々な噂があります。真犯人は夏祭りに来ていた小学生なのではないかなど多々あるのです。色々な噂の中で、最も有力な噂として挙がっているのが、この和歌山毒物カレー事件の真犯人は、一緒にいた次女なのではないかという噂です。

夏祭りで振舞われるカレーのカレー鍋は2つあったそうです。住民の証言から、林真須美がカレー鍋を見張っていた時間帯に、2つのカレー鍋のうち1つのカレー鍋の周りをウロウロして、カレー鍋の蓋を開けている人がいたという証言がありました。カレー鍋の蓋を開けていたその人物は、白いTシャツを着て首にタオルを巻いた長い髪の女性だというものでした。

事件当日の林真須美は黒いTシャツを着ていました。カレー鍋の蓋を開けていたその女性は、林真須美ではない人物と思われます。

林真須美と一緒にいた次女は、林真須美に似ている体型であり、事件当日には、カレー鍋の蓋を開けていたとされる人物とそっくりの格好でした。証言した住民は、次女を林真須美と間違えたのではないでしょうか。

当時、中学2年生であった次女は、学校でいじめられており、不登校だったそうです。次女は、学校への不満や友達への不満など、むしゃくしゃしていたから、カレーにヒ素を混入したのではないかという噂もありました。

しかし、もし次女がヒ素を混入したとすれば、娘をかばって、林真須美は自分がしましたと自白するかもしれません。しかし、未だに無罪を主張しているとすれば、和歌山毒物カレー事件の真犯人が次女という可能性が低いと思われます。

そして、他の住民の証言からも、次女が開けた方のカレー鍋には、ヒ素は混入されていなかったそうです。

もし、林真須美がカレー鍋を開けて、ヒ素を混入したのであれば、ずっと一緒にいた次女の目を盗んで行ったことになると思います。また、林真須美はカレーの見張りが終わってから、このカレーを家に持ち帰って食べようとお持ち帰りしているのです。

林真須美はヒ素を使って、夫や知人を使って保険金詐欺までしていましたが、自分の子供をヒ素の被害者となるために、わざわざ家にヒ素入りのカレーを持ち帰ることはないのではないでしょうか。

この和歌山毒物カレー事件の後、連日多くの報道陣が林真須美宅の前に集まっている時期に、子供たちの中でも、カレー鍋にヒ素を入れたのは、自分たちの母親がやったのではないかと思い、子供たちから母親である林真須美へ犯人なのかどうかと問いかけをしたと言います。

中学生だった長女と次女、そして小学生だった長男、まだ4歳だった三女からも、疑われてしまった母親の林真須美。

真実はわかりませんが、母親の立場から考えると、子供からも疑われてしまい、悲しさもあったのではないでしょうか。

和歌山毒物カレー事件。犯人は?

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2012年に、河合教授によるヒ素の再鑑定を行った結果をもとに、林真須美の弁護団は再度、和歌山地裁に提出をしています。しかし、和歌山地裁は再審請求を棄却し、現在に至っています。

和歌山毒物カレー事件の後、林真須美の4人の子供たちは、それぞれ苦難の日々を送ります。父親である林建治も、母親である林真須美も拘留され、拘置所にいました。連日の報道から、子供たちは社会から疎外されてしまいます。

親戚からも突き放された結果、4人の子供たちは養護施設に入所します。養護施設では、養護施設内で職員や入所している子供から虐待やいじめを受けます。

後に、林真須美の息子がテレビやインタビューで証言をしていますが、毎日暴力を受けたり、給食のカレーライスに乾燥剤を入れられたりと、あまりにも酷い扱いを受けていたそうです。

2009年に林真須美の死刑が確定されてから、10年が経とうとしています。でもまだ死刑執行に至ってないのです。これは、証拠不十分と動機の解明ができていないからこそ、死刑執行に至っていないのではないでしょうか。

和歌山毒物カレー事件から20年が経とうとしている今、ネット上での噂もあり、林真須美が犯人であるのか、それとも林真須美は冤罪で、真犯人が別にいるのか、本当の真相が知りたい限りです。

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