附属池田小学校事件の詳細!犯行動機・被害者遺族・トイレの話まとめ | ToraTora[トラトラ] – Part 2

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2001年に起きた最悪の凶悪殺人事件である、附属池田小学校事件の概要について紹介します。

幼い命が8人も奪われた附属池田小学校事件は、犯人・宅間守の犯行動機や精神鑑定の結果だけではなく、学校の安全管理における問題点の詳細も話題になりました。そして、附属池田小学校事件は今でも被害者遺族の方に、深い傷を残しています。

また、この附属池田小学校事件の詳細や犯人を調べていくと、松本人志さんと宇多田ヒカルさんの名前が挙がります。本記事では、犯人と同級生という噂がある松本人志さんについては【松本人志と宅間守は同級生】で、犯人と宇多田ヒカルさんの関わりについては【宇多田ヒカルが追悼ソングを発売】で紹介します。

2001年の凶悪殺人事件

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附属池田小学校事件は2001年6月8日小学生8人が死亡、教員を含む15人が重軽傷を負った事件です。大阪府にある大阪教育大学附属池田小学校に刃物を持った犯人(宅間守・当時36歳)が侵入し、理不尽な犯行動機で次々に児童に襲いかかりました。

附属池田小学校事件では、小学校の安全管理についての問題点の詳細や、無差別に児童に襲いかかった犯人である宅間守の犯行動機に注目が集まりました。

附属池田小学校事件によって理不尽にわが子を奪われた被害者遺族の気持ちや、犯人の理不尽な犯行動機を考えると、附属池田小学校事件は日本で起きた凶悪殺人事件の中でも悪質な事件です。

この附属池田小学校事件では、二人の有名人の名前がよく挙がります。一人はお笑い芸人の松本人志さんです。もう一人は、歌手の宇多田ヒカルさんです。松本人志さんも宇多田ヒカルさんも知名度の高い有名人でしょう。

松本人志さんは、附属池田小学校事件の犯人・宅間守と同級生だったと噂をされています。

しかし、この松本人志さんの噂については、本人や事務所は認めていません。この松本人志さんの噂については、本記事の【松本人志と同級生との噂】で詳細を説明します。松本人志さんにとって「松本人志と宅間守は同級生」という噂は不名誉なものでしょう。

附属池田小学校事件の死亡児童が宇多田ヒカルさんのファンであることから、宇多田ヒカルさんは附属池田小学校事件の被害者児童に対して、宇多田ヒカルさんの新曲CDに追悼メッセージをのせたことで話題となりました。宇多田ヒカルさんと附属池田小学校事件についての詳細は本記事の【宇多田ヒカルが追悼ソングを発表】で説明します。

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宅間守の家族の現在!父親・母親・兄の末路&獄中結婚の妻まとめ

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附属池田小学校事件で殺害されたのは、小学校1年生と2年生の児童8人です。犯行動機が犯人である宅間守の理不尽な感情から発生しているので、無差別に襲われました。

附属池田小学校事件の犯人である宅間守に襲われた南校舎一階では、1年生と2年生のそれぞれ3組の教室があり、附属池田小学校事件が起きた当時に、1年西組のクラスは体育を行っていたため、犯人に襲われることはありませんでした。

附属池田小学校事件で犯人に殺されてしまったのは小学2年生の児童7人と、小学1年生の児童1人です。附属池田小学校事件による小学2年生の死亡児童の中には、のちに宇多田ヒカルさんから新曲CDを通じて追悼メッセージを貰う宇多田ヒカルさんのファンだった女子児童がいます。

負傷者は児童13人と教員2人の計15人です。幼い命を犯人の理不尽な犯行動機で奪われたことは、許されることではありません。

附属池田小学校事件で犯人の歪んだ犯行動機により刺殺された8人の児童は、同級生と共に卒業証書を授与され、小学校卒業という形になっています。さらに、文部科学省からは、附属池田小学校事件の被害者遺族らに総額4億円の慰謝料と賠償金が支払われました。しかし、お金で被害者遺族の気持ちが楽になることはなかったでしょう。

文部科学省から慰謝料や賠償金が支払われるということは、それだけ附属池田小学校事件における学校側の問題点が多かったことを表しています。それらの問題点のせいで、児童の尊い命は理不尽な犯行動機を持つ犯人に奪われてしまいました。

学校の安全管理が社会問題に

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附属池田小学校事件では学校で二つの安全管理が社会問題となりました。一つ目の問題点は、非常時に児童や教員がとる詳細な対応がきちんと決められていなかったことです。

二つ目の問題点は学校自体の防犯意識の低さでした。附属池田小学校事件が起きた当時は小学校の門を閉めることもなく、開門の状態のままであることが当たり前に行われていました。

附属池田小学校事件が起きたとき、教員たちから詳細な指示はなく、犯人から逃げろとだけ言われた子どもはパニックになりました。校庭やトイレ、廊下などに逃げ出し、逃げられなかった子が犯人に襲われました。

附属池田小学校事件では、トイレや廊下、さらには外のスーパーに逃げた子もいたため、教員はどこで誰が襲われたのか詳細の把握が遅くなりました。

その結果、附属池田小学校事件で犯人に切り付けられた8人の子どもたちは、20分前後放置されて出血死してしまったのです。

附属池田小学校事件が起こる前に、非常時の対応の詳細を指導・訓練が出来ていれば、児童たちは訓練通りに決められた場所へ走って逃げたはずです。そうすれば、トイレや廊下などに逃げる児童もいないため、すぐに現状の詳細を把握することができたでしょう。

さらに、附属池田小学校事件では、病院への付き添いに教員が行かなかったため、保護者に対する病院の搬送先などの詳細についての連絡が遅れたことも問題点でしょう。附属池田小学校事件直後に、死亡した児童の被害者遺族は、早い段階で学校へ到着していました。

しかし、混乱している学校の中で、被害者遺族は犯人に傷つけられた自分の子どもに会うことができず、病院にも付き添ってあげることができませんでした。

その結果、どこに搬送されたのか分からず、自力でわが子が搬送された病院を見つけ出しましたが、そのときにはすでに亡くなってしまっていたそうです。すぐに子どものところへ行けなかった被害者遺族の気持ちは、言葉では表せないほどの苦痛だったでしょう。

また、附属池田小学校事件の犯人が容易に自動車用の門から侵入できてしまったことも問題点の一つでした。

学校のずさんな安全管理のせいで救える命が救えなかったのではないか、という考えは、犯人に家族を奪われた被害者遺族の気持ちを思うと当たり前の主張ではないでしょうか。これら問題点が発覚した学校の安全管理は、当時社会問題となりました。

附属池田小学校事件の詳細

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附属池田小学校事件の事件当時の詳細について、犯人の学校侵入から取り押さえるまでを時系列で説明します。

附属池田小学校事件の詳細を見ていると、学校にいた教員たちの動きにたくさんの問題点があったことが分かります。犯人逮捕のために重傷を負いながらも犯人に立ち向かった男性教員もいましたが、逃げた女性教員もいます。

附属池田小学校事件は、学校の安全対策の問題点が詳細に浮き彫りになった事件でした。また、附属池田小学校事件の詳細を見ることで、自分勝手な犯行動機によって事件を起こした犯人・宅間守の異常さがよくわかるでしょう。

2001年6日8日に事件発生

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2001年6月8日に附属池田小学校事件が発生しました。

犯人は正門へ車で向かいましたが、閉まっていたため自動車門である東門へ向かいました。犯人は自動車用の門から、小学校へと侵入すると車を止めて、包丁の入ったビニール袋を手に持って校内へ侵入しました。その後体育館の前を通って、附属池田小学校事件の犯行現場となる南校舎一階へと向かいます。

附属池田小学校では遠方から通学している児童がおり、自動車で保護者が児童を送迎するため、常に自動車用の東門が空いている状態でした。

犯人は閉まっていた正門からの侵入を諦めていたので、もしも自動車用の東門も閉まっていたら附属池田小学校事件は起きなかったかもしれません。自動車用の東門を開けっぱなしにしていたことは、附属池田小学校事件の問題点の一つです。

2時間目終了の時刻

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附属池田小学校事件の犯人が自動車用の門から侵入をしたのは、2時間目が終了する午前10時20分頃でした。

2時間目の授業が終了して、もうすぐ休み時間が始まるというときに、犯人は理不尽な犯行動機から包丁を持って小学校へやって来たのです。

学校の建物の位置も問題点がありました。自動車用の東門が職員室から事務室から詳細が見えにくい場所あるという見通しの悪さも、附属池田小学校事件を食い止められなかった学校の問題点の一つです。休み時間になれば教員へ児童が移動をするため、侵入してきた門の詳細が見えていれば、犯人の侵入に気が付くことができたかもしれません。

2年南組の担任と犯人が外ですれ違う

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附属池田小学校事件の犯人が自動車用の門から南校舎へ移動しているときに、児童たちと花壇へ向かう2年南組の担任である男性教員とすれ違いました。しかし、このとき男性教員は犯人のことを保護者と勘違いをして、なぜ学校にいるのか詳細を尋ねずにそのまますれ違ってしまいました。

附属池田小学校事件が起きた小学校の問題点は、外部の人に対する警戒心のなさです。この学校は保護者の送迎も多く、さらに当時は外部の人が入ってきても面と向かって要件を聞くことは失礼とされていました。犯人に対して適切な声かけをしなかったことは、学校の問題点の1つでしょう。

被害者遺族からすると、附属池田小学校事件の前に男性教員と犯人が出会っているため、ここで犯人に来校理由の詳細を聞いていれば、と悔しい気持ちになるのは理解できます。

2年東組に侵入し児童を襲撃

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難なく学校内へと侵入した犯人は、まずは2年東組へと行きました。包丁を持っている犯人に気が付いた2年東組の担任である男性教員は、児童たちに逃げるように大声で指示をしましたが、逃げる場所についての詳細はありませんでした。

教員の指示に悲鳴を上げて逃げだした児童たちに、犯人が襲い掛かり4人の児童が重軽傷を負いました。犯行動機が理不尽なものであるため、犯人は特定の人を狙うわけではなく、近くに居た児童から襲いかかっていったと考えられます。

逃げろと言われた児童たちは、犯人からどこに逃げていいかわからずにパニックになったでしょう。校庭や廊下、トイレなど逃げ場の詳細を指示してもらえませんでした。児童たちは個室であるトイレに逃げ込んだ子もいるでしょう。附属池田小学校事件では、犯人はトイレに行っていないので、この場合トイレに逃げた児童がいれば助かっていたでしょう。

犯人は男性教員からの椅子を投げるなどの抵抗を受けて、2年東組から出て隣の教室である2年西組の教室へ移動しました。これは、賢く裕福な児童を殺したいという犯行動機に従った行動でしょう。犯人の卑劣な犯行動機のせいで、この後も教員ではなく児童が狙われます。

2年西組で児童を相次いで襲撃

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2年西組の担任である女性教員は、犯人の姿を見ると教室にいる児童たちに逃げるように指示を出しました。もちろん逃げる場所を詳細に指定はしていません。そして、自身はすぐに通報のために犯人から逃げ出しました。

この女性教員の対応は大きな問題点として、附属池田小学校事件では、「逃げた教員」として被害者遺族やマスコミから責められることになります。

大人である女性教員がいなくなった教室では、犯人の理不尽な犯行動機のせいで児童が次々と襲われていきます。包丁を持った中年男性に、2年生の児童だけで抵抗できるわけもありませんでした。犯人には児童たちを殺すことはとても簡単だったでしょう。

被害者遺族の気持ちを考えると心が痛みます。結局2年西組では犯人に襲われて、8人の児童が死傷してしまいました。

逃げた教師と噂の2年西組の女性教員

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附属池田小学校事件での2年西組の女性教員の対応は、問題点だらけのものでした。まず、犯人は後ろのテラスから侵入してきたため、児童たちは気が付かずに真っ先に教卓に立つ女性教員が気が付きました。

その後、教卓のそばにある受話器で、校内放送を流そうと思ってやめています。犯人を刺激すると思ったから、という理由ですが、結局すでに犯人は興奮しているため、この行動も問題点の一つです。

このときに女性教員が事件の詳細を校内放送を流していれば、学校内にいる男性教員がすぐに集まり、児童たちはこの教室から遠くへ離れることができたでしょう。少なくとも、この後で犯人に襲われた2年南組や1年南組の児童は無事だったはずなので大きな問題点だといえるでしょう。

さらに、校内放送をしなかったことよりも、次の行動の方が大きな問題点になりました。校内放送を諦めた女性教員は、通報をするために教室から逃げ出したのです。教室の中で一番犯人から遠い位置におり、状況の詳細把握ができたはずの女性教員が教室からいなくなったことで、犯人にとっては襲いやすい環境となってしまいました。

教員が児童たちへ詳細な避難指示をせずに、教室から逃げたことは附属池田小学校事件の大きな問題点です。

教員も一人の人間なので、自分の身の安全を守ることは当然です。しかし、教員としては、児童たちを守る義務があります。なにより、大人として児童を残して逃げるということは、一番やってはいけないことではないでしょうか。

その結果、突然背後から襲われた児童たちは、トイレや廊下など犯人からどこに逃げていいのか分からずに、ただただ理不尽な犯行動機を持つ犯人に襲われてしまいました。この女性教員は被害者遺族たちや、世論に大きく責められることとなります。

2年南組に侵入し児童を襲撃

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犯人は西組の児童たちを襲った後に、さらに隣の2年南組へ侵入しました。そのとき南組の教室内には担任の教員がおらず、犯人の犯行を止められる大人はいませんでした。犯人はすぐに児童たちへ襲いかかり、5人の児童が死傷しました。外の花壇に水をかけていた担任の男性教員は、助けを求める児童たちの声に気が付いて急いで教室へ戻りました。

犯人は簡単に襲える児童ばかりを狙っていたので、犯人の犯行動機を考えると、教室内に男性教員が居れば中に入ってこなかったかもしれません。休み時間に教室に児童だけいることは、安全面で考えれば問題点の一つでしょう。

異変に気付いた教師達が犯人と格闘

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犯人が2組南組の児童を犯行動機のままに傷つけて外に出たところを、1年南組の担任である男性教員がタックルをしました。しかし、男性教員は胸を刺されて重傷の傷を負います。その後犯人は1年南組に入り、さらに犯行動機に従って逃げ遅れた児童4人を切りつけました。

附属池田小学校事件では学校や教員の問題点が目立ちますが、1年南組の担任である男性教員のように体を張って子どもを守っている教員もいました。

教師に取り押さえられ現行犯逮捕

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最初に犯人とすれ違った2年南組の男性教員と副校長が、暴れる犯人をようやく取り押さえることに成功しました。このとき犯人は「しんどい、しんどい」とつぶやいていたそうです。この附属池田小学校事件における一連の犯行は、わずか10分間の間に行われた出来事でした。

逮捕の後も犯人は被害者遺族の神経を逆なでするような言動が多くありましたが、このときの「しんどい」という発言も被害者遺族の気持ちを逆なでするものでしょう。

附属池田小学校事件の防犯上の問題点として、防犯グッズがなかったことがあります。現在の小学校では催涙スプレーやさすまたなど、犯人の動きを止めることができる防犯グッズが置いてあります。附属池田小学校事件が起きたときに、それらの防犯グッズがあればもっと早く犯人を取り押さえることができたでしょう。

附属池田小学校事件の救助活動

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附属池田小学校事件のときに行われた救助活動は、問題点が目立つものでした。

学校の安全対策について詳細が決まっていれば、素早い対応ができて、救われた命もあったかもしれません。以下で問題点の多かった附属池田小学校事件の救助活動について詳細を紹介します。

逃げた教師が警察に通報

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附属池田小学校事件のときに、2年西組の犯人から逃げた女性教員が、警察に通報したのは教室から逃げてから7分後のことでした。通報をするために教室から逃げたはずなのに、7分も時間がかかるのでしょうか。

女性教員と同じように教室から逃げた児童が、近所のスーパーに逃げ込んで警察に通報をしていましたが、この児童の通報の方が2分早かったそうです。このことも被害者遺族からの批判を浴びました。

通報をするために事務室に向かった女性教員の行動は問題点だらけです。逃げるときに隣の教室や他の教員たちに連絡をとりながら移動はできなかったのでしょうか。しかも、通報自体も遅れているので、通報というのは逃げる口実だと被害者遺族に思われても仕方がない行動でした。

警察の救急車要請の遅れ

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附属池田小学校事件では、警察への通報の仕方にも問題点がありました。警察に通報した教員は、警察から事件の詳細について聞かれ、その説明をしていたせいで、救急車の要請が遅れてしまったようです。

事件の詳細よりも怪我人がいる状況を警察に伝えていれば、すぐに救急車を要請できたはずです。この対応も被害者遺族からは、納得のできないものだったでしょう。

さらに、警察に通報をしている教員とは別に、救急車を要請しなかったことも問題点です。警察に詳細説明をしている横で、他の教員が救急車を要請すれば、何よりもすぐに救急車に来てもらうことができたでしょう。どの教員も適切な対応ができていない、ということがこの附属池田小学校事件の問題点です。

学校側の組織的な救命活動はなし

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附属池田小学校事件では、逃げた児童がトイレや廊下など様々な場所にいたと考えられます。

学校の教員たちはどこで誰が倒れているのか、などの状況詳細の把握もできておらず、組織的な救命活動ができなかったことも問題点の一つです。

指示を出す立場であるはずの管理職の人間が、詳細な指示を出さなかったため、死亡した8人の児童は20分前後放置されました。被害者遺族からしてみると、附属池田小学校事件における学校の対応は、最悪だったとしか言いようがないでしょう。

逃げる場所を子どもたちに詳細に指定する、怪我をした児童を集める場所を決めておく、などの学校としての組織的な動きができていれば、適切な救命活動ができたでしょう。

児童は即死ではなく失血死

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附属池田小学校事件で犯人に殺されてしまった児童8人の死因の詳細は、即死ではなく出血死だといわれています。つまり、学校が適切な救命活動をしていれば、8人の命が救われたかもしれません。実際は、20分前後何も救命活動をしていなかったというのですから、被害者遺族から責められても仕方がないことです。

さらに、上記で述べた救急車要請が遅くなったという学校の対応の問題点も、児童の命を救えなかった原因となりました。

犯人・宅間守の人物像

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悲惨な附属池田小学校事件の犯人・宅間守はいったいどんな人物で、松本人志さんと同級生という噂は本当なのでしょうか。

異常な犯行動機につながる生い立ちや家族構成、そして有名人の松本人志さんとの関係についての詳細を以下で説明します。

生い立ちや家族構成

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附属池田小学校事件の犯人である宅間守は、1963年11月23日兵庫県伊丹市で四人家族の次男として生まれました。

犯人である宅間守を妊娠した母親は、妊娠が分かったときに父親に対して「あかんわ、これ、おろしたいねん、私。あかんねん絶対」と伝えました。このときに母親が感じた嫌な予感通りに、犯人・宅間守は幼少期から問題行動を繰り返しました。

附属池田小学校事件の犯人・宅間守は、小さいころから三輪車で国道の中心を走ったり、小動物を虐待したりするなどの性格的に問題点が多い子どもでした。

小中学校の頃には、性格的な問題点がさらに悪化します。自分よりも弱いと思った同級生をかしずかせたり、暴行をしたりしました。女子生徒には唾を吐きかけ、小動物への虐待も悪化します。そのときには、燃やしたドラム缶に生きたままの猫を入れたり、猫を布団で巻いて川に流したりしていました。

このときに周囲に犯人・宅間守を止める人がいれば、間違った犯行動機から附属池田小学校事件を起こすこともなかったのではないでしょうか。しかし、犯人・宅間守は誰にも止められることはなく、抱えている人間としての問題点も治ることはありませんでした。

その後、附属池田小学校事件の犯人・宅間守は、尼崎市の工業高校へ入学しますが、2年で中退してしまいました。このとき中退してしまった工業高校は、お笑い芸人の松本人志さんが通っていた高校と同じだという噂があります。松本人志さんと同級生かどうかの噂については、以下で紹介していています。

松本人志と同級生との噂

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附属池田小学校事件の犯人・宅間守は、ダウンタウンの松本人志さんと同級生という噂があります。有名なお笑い芸人である松本人志さんと、残酷な事件の犯人である宅間守が同級生だと聞くとびっくりする人が多いでしょう。松本人志さんのファンの方であれば、「松本人志と宅間守は同級生」という噂は嘘だと否定をしたくなると思います。

松本人志さんと附属池田小学校事件の犯人・宅間守が同級生という噂はなぜ発生したのでしょうか。まず、松本人志さんと犯人・宅間守は同じ年齢でした。

そして、どうやら松本人志さんと犯人・宅間守は同じ工業高校へ通っていたそうです。犯人・宅間守が松本人志さんと同じ年齢で同じ学校へ通っていたため、「松本人志と宅間守は同級生」だと噂が広まったようです。

松本人志さん本人は、「松本人志と宅間守は同級生」という噂について特に発言をしていません。しかし、松本人志さんの事務所は、確認がとれないという発言をしました。

さらに、附属池田小学校事件の犯人・宅間守は高校を中退しているので、余計に松本人志さんとの関りは薄い可能性が高いです。「松本人志と宅間守は同級生」という噂を裏付ける話はないようです。

そして、松本人志さん自身は何度か高校時代に停学処分を受けるくらい、やんちゃだったようです。お笑い芸人としての松本人志さんからは想像もつきませんでしたが、高校生時代の松本人志さんが「いじめっ子」のような存在だったという話もあります。

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やんちゃな高校生だった松本人志さんなので、問題点の多い宅間守には近寄らないような気がしますね。松本人志さんと犯人・宅間守の関係は、宅間守が死刑になっているため松本人志さん自身にしか詳細はわかりません。

しかし、残虐な附属池田小学校事件の犯人の宅間守と、松本人志さんが同級生であったとしても、気にしないファンがほとんどかもしれませんし、松本人志さんは被害者遺族の責める対象にもならないでしょう。

松本人志さんは知名度も人気も高いため、今回の「松本人志と宅間守は同級生」のような悪い噂がいくつかあります。噂だけではなく松本人志さん自身の独特な発言から、よくネット上で炎上をしてしまうこともあります。

松本人志さんと附属池田小学校事件の犯人である宅間守が同級生である、という噂は、松本人志さんに対してあまりよく思わないアンチが、松本人志さんの地位を落とすために広めたのかもしれません。

また、もしも松本人志さんと宅間守が同級生だった場合、同じように同級生だった人がたくさんいるはずです。本当に「松本人志と宅間守は同級生」という噂が事実だった場合、他の第三者がSNSで発信をしてもおかしくありません。

しかし、松本人志さんと宅間守は同級生だったと主張する二人の同級生は現れないので、「松本人志と宅間守は同級生」という噂は信憑性が低いでしょう。

宅間守の犯行動機

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身勝手に幼い命を奪った宅間守は、なぜ附属池田小学校事件を起こしたのでしょうか。

宅間守が附属池田小学校事件を起こした犯行動機として、彼自身の家庭環境や学歴コンプレックスなどが深く関係しています。宅間守の身勝手な犯行動機についての詳細を以下で説明します。

荒れた家庭環境

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附属池田小学校事件の犯人となる宅間守の育った家庭環境は、周囲の環境と比べて荒れていました。

犯人・宅間守は両親が忙しいという理由から、幼稚園入園までは父方の祖父母宅で育てられました。そのため、犯人・宅間守はおじいちゃんによく懐いていたそうです。

幼稚園に入園するときに、伊丹市の実家へ帰りました。附属池田小学校事件で逮捕された後の精神鑑定のときに犯人・宅間守は、実家ではなくて祖父母の家の方がよかったと語っています。祖父母の家のままで育っていたら、もしかすると性格の問題点も育たずに、理不尽な犯行動機で附属池田小学校事件を起こすことはなかったかもしれません。

実家に帰った後に犯人・宅間守を待っていたのは父親からの暴力でした。父親はたびたび宅間守に叱責や暴行を繰り返し、暴行のときには木刀を使用することもありました。この荒れた家庭環境がのちに附属池田小学校事件を起こす犯行動機を形成してしまったのではないでしょうか。

学歴コンプレックス

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附属池田小学校事件の犯人である宅間守は、強い学歴コンプレックスを抱いていました。その学歴コンプレックスは、附属池田小学校事件の犯行動機にもつながっています。

犯人・宅間守の学歴コンプレックスが生み出されたのは、宅間守が小学校6年生の頃が最初でしょう。犯人・宅間守は地元でレベルの高い大阪教育大学附属池田中学校への進学を希望しましたが、成績が足りないため受験を受けさせてもらえませんでした。

その後は地元の中学校へ進学しましたが、この時から賢く生んでくれなかった親を恨み、附属池田小学校事件の犯行動機へつながります。附属池田小学校事件の犯人である宅間守の問題点は、責任を全て他人にあると考えることでしょう。他者責任の意識から、理不尽な犯行動機が生まれます。

学歴コンプレックスが一つの犯行動機となり、自分が通いたくても通えなかった附属池田中学校と同系列の学校である小学校で、附属池田小学校事件を起こしました。

学歴コンプレックスが犯行動機になったことを裏付けるように、犯行後に附属池田小学校事件の犯人・宅間守は「自分みたいにアホで将来に何の希望もない人間に、家が安定した裕福な子どもでもわずか5分、10分で殺される不条理さを世の中に分からせたかった」「世の中勉強だけちゃうぞ、と一撃を与えたかった」という理不尽な発言をしています。

このことからも附属池田小学校事件の犯行動機として、犯人・宅間守の学歴コンプレックスが関わっていることが分かります。自分の学歴コンプレックスを抱えることで感じる劣等感などを、賢くて裕福な子どもたちへの理不尽な怒りへと変えたのでしょう。被害者遺族としても納得のできない犯行動機です。

無職になり世間に絶望

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附属池田小学校事件の犯人・宅間間守は、中学校卒業後に工業高校へ入学しますが、2年のときに退学しています。その後さまざまな職を転々とし、事件の直前には無職になっており、金銭的な苦労も犯行動機の一つになります。以下に犯人・宅間守が無職になるまでの詳細をまとめます。

高校を退学した後に、パイロットになろうと航空自衛隊に入隊をしますが、犯罪を起こして自衛隊を辞めます。その後不動産会社に就職するも、再び事件を起こして逮捕されます。さらに、路線バスの運転手、クリーンセンターの技能員、タクシーの運転手など多くの仕事につきますが、すぐに事件を起こすなどして辞めています。

それぞれの職業についていた年数などの詳細は省略しますが、犯人・宅間守は自身の性格の問題点から、どの職業も長くは続きませんでした。

附属池田小学校事件の犯人・宅間守が附属池田小学校事件を起こす前に逮捕されていた事件は、暴行や強姦が多く犯行動機もひどいものでした。逮捕のたびに罪を軽くするために、精神鑑定で精神異常を主張しています。

精神鑑定の結果はほとんどが神経症(人格障害)という診断でしたが、最終的に2級精神障害者保険福祉手帳を交付され、事件の直前まで障害基礎年金が支払われていました。

附属池田小学校事件を起こす前に、犯人・宅間守は就職に失敗して金銭的に困っていました。そのときに全ての原因を他人へ責任転嫁し、自分が味わっている絶望を、たくさんの被害者やその被害者遺族に味わわせてやろうと考えました。この身勝手な考えが附属池田小学校事件を起こす一番の犯行動機になります。

附属池田小学校事件の犯人・宅間守は、自身の学歴コンプレックスや無職であることの絶望感を、他人を攻撃することで解決しようとしました。これは、身勝手極まりない犯行動機でしょう。その犯行動機の身勝手さが分かるように、宅間守は自分と全く関わりのなく、抵抗のできない小学生を狙いました。

理不尽な犯行動機に対して、附属池田小学校事件を起こす犯人・宅間守自身が問題点を感じていないことが、附属池田小学校事件を引き起こした問題点そのものではないでしょうか。

宅間守の逮捕後

幼い命を奪った附属池田小学校事件の後、逮捕された犯人・宅間守の言動は信じられないものでした。精神鑑定でバレるような精神異常者のフリをして、被害者遺族を逆なでする言動を繰り返します。

さらに、犯人・宅間守の発言から、附属池田小学校事件を引き起こした理不尽な犯行動機も明らかになりました。宅間守が逮捕されてから、死刑になるまでの信じられない言動の詳細も紹介します。

精神鑑定は異常なし

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精神鑑定とは、犯人が精神機能に障害をもつかどうかを法的な手続きの上で診察することで、精神鑑定の結果により犯人の責任能力の判断が行われます。そのため、精神鑑定によって責任能力がないと判断されると、罪が軽くなることがあります。

附属池田小学校事件の犯人である宅間守が精神異常者のフリをしたのは、精神鑑定の結果を変えたかったからでしょう。

精神鑑定では特定の障害名の診断が出ても、精神鑑定の結果は責任能力ありとなることもあります。例えば「津久井やまゆり園」で19人殺害した植松聖も、宅間守同様に精神鑑定を受けました。植松聖の精神鑑定で【自己愛性パーソナリティー障害】という障害名がつきましたが、精神鑑定としては責任能力は十分にあるという結果でした。

附属池田小学校事件の犯人・宅間守は、慎重に医師から精神鑑定を受けることになります。そのときに精神鑑定を行った医師は、のちに【宅間守 精神鑑定書】という本を発売しました。精神鑑定を行った医師が精神鑑定の鑑定書そのものを出版するのは、宮崎勉元死刑囚の例があります。

犯人・宅間守が起訴前と公判中に受けた精神鑑定では、統合失調症などの責任能力がなくなるような精神疾患ではないという精神鑑定の結果が出たため、附属池田小学校事件に対する責任能力を認める結果がでました。つまり、精神鑑定では宅間守は異常なし、という結果になったのです。

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附属池田小学校事件を起こした犯人・宅間守が死刑を回避する方法は、精神鑑定によって責任能力がないと判断されることでした。なぜなら、上記で説明をした通り、精神鑑定によって責任能力なしと判断されれば、罪が軽くなるかもしれないからです。

しかし、精神鑑定の結果は責任能力あり、というものでした。この精神鑑定の結果により、犯人・宅間守が死刑の求刑を免れる可能性はなくなりました。精神鑑定では異常なしと判断された附属池田小学校事件の犯人・宅間守ですが、逮捕前には精神異常を認められて障害者手帳を交付されていました。

附属池田小学校事件後に、犯人である宅間守の自宅を調べると大量の薬物が押収されました。これらの薬は病院でもらったもので、処方されていた薬は飲まずにため込んでいたようです。

精神鑑定を行う前に通っていた病院では、精神疾患があると判断されていましたが、本当に精神的に疾患を抱える人であれば、治すために処方された薬は飲むでしょう。精神鑑定の異常なしの結果と合わせて、精神異常者のフリをしていたのではないでしょうか。

精神鑑定は長いものだと一年くらいかけて調べるものなので、精神鑑定の結果は普通の精神病院の診断結果よりも、信憑性が高いでしょう。

精神異常者のフリをし続ける

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附属池田小学校事件の逮捕直後に、犯人・宅間守は警察に「薬を10回分飲んだからしんどい」と伝え、その後医師からの診察を受けました。しかし、宅間守がそのとき病院から処方されていた薬を10回分飲んでも、ただ眠くなるだけのものでした。

さらに、上記で述べたように自宅には大量の薬を飲まずに保管してあり、ため込んでいました。逮捕後の尿検査では薬の成分は検出されず、そのことを知った宅間守は発言が嘘だったことを認めました。これらの行動も精神鑑定の結果責任能力がないと判断されるためでしょう。

附属池田小学校事件の後に行われた精神鑑定では異常なしという判断でしたが、犯人・宅間守はその後も精神異常者のフリをし続けました。

附属池田小学校事件の犯人である宅間守が精神異常者のフリをしたのは、附属池田小学校事件が初めてではありません。犯人・宅間守が22歳の頃に、精神鑑定で刑罰を免れるために異常者のフリをしますが、そのときの精神鑑定の結果は「精神分裂ではなく、性格異常」というもので、精神鑑定で異常なしという結果になりました。

附属池田小学校事件の犯人・宅間守のように、精神鑑定を刑罰を免れるために利用する人もいます。そのため、精神鑑定は非常に慎重に行われます。たとえば、精神鑑定で行われる問診では、犯人だけではなく犯人の身内や、犯人の近所の人たちなどに詳細にインタビューをします。精神鑑定の問診によって、犯人の普段の行動を詳細に知ることができます。

また、精神鑑定では脳波を取ったり、MRI検査をすることもあります。それらの精神鑑定では何人もの専門家が関わり、行われたすべての精神鑑定の問診結果を審査し、最終的な精神鑑定の結果が作られます。そのため、精神鑑定は時間をかけて詳細に調べて作られるため、精神異常者を演じることは、不可能に近いでしょう。

謝罪の言葉は一切なし

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附属池田小学校事件の犯人・宅間守は、法廷へ入るときには口笛を吹きながら入廷していました。そのときに被害者遺族に対する謝罪や反省は一切ありませんでした。それどころか、附属池田小学校事件について、被害者遺族ではなくても理解できないような暴言をはきました。

以下に附属池田小学校事件の犯人・宅間守の発言の詳細をまとめました。附属池田小学校事件の被害者遺族を思うと見るだけで嫌な気持ちになる発言なので、注意してご覧ください。

  • 「反省や申し訳ない気持ちはない。自分への後悔だけ」
  • 「(傷つけた人たちについて)100人でも1000人でも同じだった」
  • 「(初公判で述べた生命で償いたい、という言葉について)償うとか関係ない。現実的に死刑しかないと思ったからそう言っただけ。謝罪する気持ちもない」
  • 「幼稚園ならもっと殺せたと、今でもこんなことばかり考えてしまう。いずれにしても死ぬことはびびってません」

死刑判決を受けたときには、附属池田小学校事件の犯人・宅間守は、暴言を述べたことで強制退廷しました。このときに犯人・宅間守が持ち込んでいた便せん3枚には、被害者遺族を中傷するような内容のものもありました。

2004年に死刑執行

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附属池田小学校事件の犯人・宅間守に死刑が確定してから、控訴期限のうちに弁護士が控訴しましたが、犯人・宅間守自身が控訴を取り消すことで、死刑が確定しました。

さらに、犯人・宅間守は弁護士に対して「死刑確定後の6か月以内の死刑執行」を求めました。さらに、担当弁護士に対して「ケジメをつけるためにご協力お願いします」という年賀状を送っています。

附属池田小学校事件の犯人・宅間守からの強い望み通り、死刑確定後の約1年後である2004年9時14分8時16分に、大阪拘置所で死刑が執行されました。死刑執行直前に、犯人・宅間守はタバコとリンゴジュースを味わってから、40歳で亡くなりました。

犯人・宅間守が述べた死刑執行前の最後の言葉は、「ありがとう、と僕が言っていたと妻に伝えてください」という言葉でした。自身の妻に対しては感謝をする気持ちがあったようですが、最後まで被害者や被害者遺族い対しての謝罪はありませんでした。

被害者遺族の対応

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附属池田小学校事件が起きた附属池田小学校では、現在でも「祈りと誓いの集い」というものが行われており、被害者遺族と全校児童がともに黙祷をささげています。突然家族を奪われた被害者遺族の気持ちは、時間が経っても完全に癒えることはありません。

附属池田小学校事件後の被害者遺族の対応として有名なのが、死亡児童の母親が手記を公開したことです。さらに、被害者遺族の苦しみだけではなく、附属池田小学校事件の後には、生存者の児童や教員がPTSDに苦しめられました。

被害者と苦しむ被害者遺族のために動いた有名人が宇多田ヒカルさんです。附属池田小学校事件の後に、宇多田ヒカルさんは被害者児童へ追悼ソングを発表しました。

死亡児童の母が手記を公開

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附属池田小学校事件から16年後の2017年6月8日に、附属池田小学校事件が起きた附属池田小学校では「祈りと誓いの集い」があり、そこで事件で死亡した児童の母親が、手記「あの笑顔、もう一度会いたいよ」を読み上げました。

「あの笑顔、もう一度会いたいよ」は、附属池田小学校事件により子どもを突然奪われた母親の悲しみや、わが子に対する愛情が詰まった手記です。附属池田小学校事件の被害者遺族の感じた悲しみを知ることができる内容で、詳細を見ると誰でも悲しみがこみ上げてくるでしょう。

さらに、この手記の中には、附属池田小学校事件で死亡した児童が宇多田ヒカルさんの大ファンだったことが書いてあります。死亡した児童と宇多田ヒカルさんの関係については、以下の【宇多田ヒカルが追悼ソングを発表】で詳細をまとめています。

生存者もPTSDに苦しむ

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附属池田小学校事件で生存した児童や教員、保護者の中には、心的外傷後ストレス障害(以下PTSDと表記)にいまだに苦しめられている人もいます。PTSDは命を脅かされるような強い精神的なストレスを感じることで、苦痛や生活機能の障害をもたらすストレス障害のことです。

PTSDになることによって、フラッシュバックや不安を強く感じるなど、日常生活に支障をきたします。附属池田小学校事件で生き残ることができた児童たちの心は、どれだけ傷つけられたでしょうか。さらに、附属池田小学校事件が起きた日に、自分の子どもが通う小学校が襲われた、と知った保護者や被害者遺族のストレスは想像を絶するものでしょう。

さらに、附属池田小学校事件で児童を助けることができなかった教員たちも、PTSDの症状に苦しめられています。子どもたちを導くために教員となった人たちにとっては、犯人から児童を守れなかったことはとても耐えられるものではないでしょう。

附属池田小学校事件は、犯人の訳の分からない犯行動機で突然起きました。犯行動機に因果関係がほとんどないため、犯人である宅間守のような凶悪犯に、また学校で襲われたらどうしようと考えてしまうことは当然でしょう。

宇多田ヒカルが追悼ソングを発表

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附属池田小学校事件では歌手の宇多田ヒカルが、追悼ソングを発表したことが知られています。宇多田ヒカルさんが作った附属池田小学校事件の追悼ソングについての詳細は、以下の通りです。

附属池田小学校事件の後に、被害者遺族から死亡した児童が宇多田ヒカルさんのファンであることを聞いた宇多田ヒカルさんは、その児童のために追悼ソングを発表しました。

宇多田ヒカルさんの8枚目のシングル「FINAL DISTANCE」のCDケースの内側には、附属池田小学校事件の被害者や被害者遺族への宇多田ヒカルさんからの追悼メッセージが書かれています。

死亡した2年生の女児は宇多田ヒカルさんの大ファンで、告別式でも宇多田ヒカルさんの曲が流れていました。附属池田小学校事件を知った宇多田ヒカルさんは、すぐにこの曲を献呈することを決めたそうです。

宇多田ヒカルさんの行動によって、附属池田小学校事件の被害者遺族の気持ちが少しでも安らいでいれば、追悼ソングを発表した宇多田ヒカルさんも安心するでしょう。死亡した児童の被害者遺族である母親が、手記の中で宇多田ヒカルさんの名前を出しているため、被害者遺族の心に宇多田ヒカルさんの気持ちが届いたのではないでしょうか。

宇多田ヒカルさんの8枚目のシングルの内側に入っている追悼メッセージによって、被害者遺族以外の人も、附属池田小学校事件を思い出すことができます。

附属池田小学校事件は、学校の対応など問題点が多かった事件なので、今後も安全対策を取る必要があります。附属池田小学校事件を風化させないという点でも、宇多田ヒカルさんのCDは役に立つのではないでしょうか。

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附属池田小学校事件の被害者遺族のために行動した姿から、宇多田ヒカルさんの心優しい性格が分かると思います。宇多田ヒカルさんは附属池田小学校事件と同様に、被害者遺族のためにいくつか活動をしています。宇多田ヒカルさんが行っている活動を二つだけ紹介します。

一つ目は被災地への義援金です。宇多田ヒカルさんは2011年に東北地方太平洋沖地震被災地に対して、8000万円の義援金を送っています。宇多田ヒカルさんの母親が岩手出身で、宇多田ヒカルさんの祖母のお墓が宮城にあるようです。この報道には、宇多田ヒカルさんの行動に対して、いい印象をもった人も多いでしょう。

二つ目は支援団体への寄付です。宇多田ヒカルさんは自身の母親を自死で亡くしているのですが、自分と同じように身内が自死してしまった人たちを助けるため、宇多田ヒカルさんは自死遺族の支援団体へ巨額の寄付をしました。

有名人の発言力は大きいものです。宇多田ヒカルさんのように被害者遺族の気持ちに寄り添える、発言力の大きい有名人がいることは素敵なことです。宇多田ヒカルさんについては調べれば調べるほど、色々な寄付活動をしていることが分かります。宇多田ヒカルさんの優しい気持ちは、宇多田ヒカルさんの歌にも表れているでしょう。

【おまけ】トイレに駆け込んだ児童

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附属池田小学校事件について暗い残酷な話が続きましたが、最後に九死に一生を得たトイレに関わるエピソードがあるので紹介します。

このエピソードは附属池田小学校事件が起きたときに、トイレへ駈け込んで生き残ることができた児童のものです。

2017年11月にインターネットの掲示板2chの「今まであった最大の修羅場を語るスレ」にて、附属池田小学校事件の体験者と思われる人が、トイレに駆け込んだ体験談を投稿しました。

その投稿者は附属池田小学校事件があった当日の2時間目が終わる頃、突然トイレに行きたくなってしまいました。そのため、トイレに行きたいと教員に申し出てトイレへ行ったそうです。投稿者がトイレへ行ったのは、ちょうど附属池田小学校事件の犯人である宅間守が、侵入してくる直前だったと考えられます。

トイレに行った後に、用をすませてトイレから出ようとすると不穏な空気を感じたそうです。投稿者がトイレから出ようとすると、外から教員の声で「トイレから出るな、トイレの鍵を閉めろ」という内容の指示をされました。

投稿者は状況の理解ができないまま、教員のトイレから出るな、という指示を守るために、トイレに鍵をかけてしばらくトイレに閉じこもったそうです。

トイレに閉じこもっていると、廊下から悲鳴などが聞こえてきますが、そのまま投稿者は3時間目のチャイムが鳴っても、怖くてトイレから出ませんでした。

そうしていると、トイレの中にいても外からパトカーや救急車のサイレンの音が聞こえてきたそうです。そうして、トイレにこもったまま3時間目終了のチャイムが聞こえた頃、投稿者はようやくトイレから出ました。

トイレから出て、教室に戻るために廊下に出てみると血の海でした。そのとき担任の教員がやってきて「無事だったのか」と言ってきました。それに対して、トイレから出るなと言われたから、トイレにこもっていたということを伝えます。このときに教員から何が起こったのかを始めて伝えられました。

この投稿者ははっきりと附属池田小学校事件であるとは書いてはいませんでしたが、時期や内容を察するに附属池田小学校事件のことでしょう。たまたま投稿者は附属池田小学校事件の犯人・宅間守がやって来る前にトイレに行きたくなり、トイレにこもっていたおかげで助かることができたのです。

トイレから出るなと言われていなかったら、もしくは教員の言葉を信じずにトイレから出てしまっていたらどうなっていたでしょうか。また、附属池田小学校事件の犯人である宅間守はトイレへ行かなかったので助かりましたが、もしも犯人・宅間守がトイレへ向かっていたら、トイレに鍵をかけていても、簡単にトイレの扉を壊されて襲われていたでしょう。

本来トイレは襲われたときの逃げ場としてはふさわしくありません。なぜならトイレは鍵をかけることはできますが、トイレの鍵を開けられてしまえば逃げ場がなくなるからです。附属池田小学校事件では犯人がトイレに向かわなかったため、トイレへと逃げて助かることができました。

附属池田小学校事件の詳細まとめ

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引用: Pixabay

本記事では、附属池田小学校事件の詳細について紹介しました。

附属池田小学校事件は学校や教員の問題点や、犯人・宅間守の異常な犯行動機が特徴的な事件です。犯人の理不尽な犯行動機から尊い8人の命が奪われた附属池田小学校事件は、今でも被害者遺族の心に深い傷を残しています。

現在の小学校は附属池田小学校事件の問題点を教訓とし、防犯対策をしっかりと取るようになり、不審者訓練も行うようになりました。また、児童たちには防犯ブザーを持たすなど、保護者の防犯意識も高まりました。

いつ附属池田小学校事件のように、理不尽な犯行動機から襲いかかってくる犯人が現れるか分かりませんし、そういった人たちの犯行動機をなくすことも難しいでしょう。

どんな犯行動機を持つ不審者や犯人が来ても、児童たちの命を守ることができるように対策をすることが、附属池田小学校事件の被害者のために社会ができることです。

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