西川正勝(金田正勝)の生い立ち&経歴まとめ!逮捕に桂あやめが協力?

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西川正勝(金田正勝)とは?【スナックママ連続殺人事件】

半月の間に4人もの女性を相次いで殺害した西川正勝。その手口は窒息させてから鋭利な刃物で首を刺し殺すという残忍な手口でした。

裁判で明らかになったのは西川正勝の親の愛情を知らずに育った生い立ちです。

幼い時に母親は亡くなり父親は蒸発。中学生の頃から次々と非行に走り、少年院に入っていた時期もありました。

西川正勝は逮捕当時35歳でしたが、前科もあり大人になってから社会で生活していたのは僅か数ヶ月しかありません。

親の愛情を知らずに育った西川は社会での生き方が分からず、犯罪をすることで成り立っていました

といってもそれで起こした罪がゼロになることはありませんが、育ての親がいないということが子供の成長にどう影響するのかがよく分かります。

その結果は犯した罪に表れています。西川が殺害したのは全てスナックの経営している女性のみです。年齢も50代と高く、これは西川が母親を求めて相次いでスナックのママを狙ったと言われています。

逮捕される際も警察に指名手配を受けて逃亡していたのですが、殺害しようとして押しかけたマンションで女性に自首を説得されたことから、逮捕に至りました。

2017年に刑は執行されたのですが、再審請求中だったこともあり人権団体や死刑廃止論者からは批難の声があがりました。

彼の生い立ちや事件の概要に迫っていきます。

 

西川正勝(金田正勝)の生い立ちは?【スナックママ連続殺人事件】

引用: Pixabay

 

【1】鳥取で生まれる


引用: Pixabay

西川正勝は鳥取県で5人兄弟の末っ子として生まれました。ちなみに上にいたのは姉たちで西川正勝は長男になります。

9歳の時に母親が亡くなってしまいます、この時の記憶が原因で年上の女性ばかりを狙って殺人を犯していたと言われています。

父親は土木作業員として働いており、出張で家を開けることが多くほぼ子供達のみといった家庭環境でした。

西川正勝が姉たちとどのくらい年齢が離れていたのかは分かりませんが、姉たちが家事などをこなし兄弟を養っていたと考えられます。

 

【2】少年院に入るようになる


引用: Pixabay

中学に上がった頃から西川は非行を起こすようになります。年下の小学生を脅して買い物を強要させたり、下級生をいじめるようになりました。

また窃盗事件やナイフで女子生徒を脅して猥褻行為を働くなどして結果的に養護施設に収容、その後も中等少年院を出たり入ったりを繰り返します。

 

【3】職を転々とする

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引用: Pixabay

1973年に少年院を仮退所しますが、家に帰ると父親は蒸発しており行方が分からなくなっていました。

姉の住んでいる家に身を寄せ就職をしますが。テキ屋の使いっ走りや溶接工、運転手、店員等とどれも長続きせず職を転々とします。

 

【4】初の事件をおこす

引用: Pixabay

1974年に初の殺人事件を起こします。18歳の時にスナック経営者であるママの営業態度を勘違いして肉体関係を迫ります、抵抗されたためナイフで刺し殺しました。

一般的に「スナックママ連続殺人事件」とはこの後に発生した4人が相次いで殺された連続殺人事件をさしますが、西川正勝はこれ以前にもスナックママを殺害しておりこれが彼にとっての初めての殺人になりました。これを受けて西川正勝は逮捕されます。裁判での判決は懲役5~10年による不定期刑が言い渡されました。

西川は当時18歳であったことから更生を考え不定期刑が言い渡されたと考えれらます。松江刑務所で10年服役し1984年に満期出所しました。10年も服役していたのは身元引き受け人が現れなかったためと考えられます。

西川は上に姉が4人もいますが、その仲がどうだったのかは分かっていません。一時期は姉の家に住んでいたこともあるので連絡を知ってるのかも知れませんが、姉たちからすれば殺人を犯した弟とは縁を切っているのでしょう。

西川は出所をしましたが天涯孤独の身で頼る人もいません。松江駅前のパチンコ店に就職しましたがその2ヶ月半後に旅館の女性店員を襲い現金を奪おうとしました。

強盗致傷事件を起こし逮捕され、懲役7年が言い渡されました。

西川は子供の頃から非行を繰り返し、18歳でついに殺人に手を染めますそこから合わせると計17年間を刑務所で生活していたことになります。

この事件での出所後にスナックママ連続殺人事件を起こします。

 

【5】出所直後に殺人

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引用: Pixabay

17年の刑期を終え、出所したときには西川は35歳になっていました。大人になってから社会で生活していた時間はわずか2ヶ月あまりです。

西川はいつも亡くなった母親の姿を追いかけていました。それは殺害された被害者の年齢をみるとよく分かります。西川は決まって中年以上の女性しか襲わないのです。

また人生の半分以上を刑務所で過ごしたことから社会の変化についていくことができず、当時町にはディスコやパブなどといった新たな場所が登場していましたが、西川が訪れるのは決まって昔からあるスナックでした。

そのスナックでもママが若い場合は水割り一杯だけで店を去りました。西川はスナックのママに母親像を追い求めていたのです。好みのママを見つけても話しかけるわけではなくカウンターの隅の席で静かにしているだけだったと言います。

西川の歪んだ性格は殺人へと傾いていきます。肉体関係を迫ることはせずきまって首を絞めて刃物で刺殺した後現金を奪って逃げるのでした。

そうして出所後に相次いで4人を殺害、警察の捜査により指紋から西川正勝が割り出され指名手配されましました。

 

スナックママ連続殺人事件の概要まとめ!

引用: Pixabay

 

【1】相次いで4人を殺害

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西川正勝はまた出所後2ヶ月足らずで殺人事件を起こします。最初の殺人は1991年12月12日兵庫県姫路市のスナック経営者を殺した後現金を奪って逃亡しました。

その後に相次いで島根、京都と場所を変えながら同様の手口で計4人を殺しました

いずれの女性も刃物で首を刺されていること、客のいない深夜の時間帯を狙って殺害していること、金を奪っていること、そして事件現場で採取された同一の指紋から西川正勝が容疑者として浮上、30日に特別指名手配されました。

半月の間に4人を殺害した西川正勝は凶悪犯罪として相次いで報道されました。

 

【2】自首するように説得される

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逃亡中も西川正勝は女性落語家の桂あやめ(当時27歳)の自宅マンションに隣人を装って侵入、彼女の首を絞めて失神させ、現金14万円を奪って逃走しました。

桂あやめは失神した後意識を取り戻し目の前では西川正勝がタバコを吸っていたといいます。恐怖に震えながらも西川を刺激しないようにと持ち前の話芸で会話を続け、最終的には西川から「あんたいい人やな」と言われ殺されずに済んだと話しています。

その後に西川は同じように母子2人で済んでいるマンションに押しかけ殺害を試みます。ですが母親に抵抗されたために殺すことはできず、逆に自首するように説得されたそうです。

西川はここでも女性と母親を重ねたのかは分かりませんが、その説得が功をそうして警察に逮捕される運びとなりました。

 

西川正勝(金田正勝)の逮捕に桂あやめが協力?

 

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西川正勝が指名手配された際に襲われたのは当時上方の若手女性落語家であった桂あやめさんでした。

桂あやめさんは襲われて殺されそうになったにも関わらず逃亡に協力した?などと根も葉もない噂が飛び交っています。今回は当時の状況や真相をお伝えします。

 

桂あやめとは

 

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桂あやめさんは兵庫県出身の大阪で活躍する女性落語家です。

学生時代、学校の課外授業で落語を聴いたことから落語に夢中になり落語家になることを決めました。

学生時代はオリジナルTシャツを自作して落語会に着ていくなど追っかけをしていました。

師匠に弟子入りを志願したところ、車の免許を持っていないという理由で追い返されたので2週間後に合宿でとった免許を見せて弟子入りを許されました。

当の師匠は弟子入りを断るための口実に免許を理由に断ったそうですが、本当に持ってきたので認めざるを得ませんでした。

 

西川正勝に殺されそうになった

引用: Pixabay

1992年に西川正勝は桂あやめさんのアパートに隣人を装って訪れます。当時あやめさんは駆け出しで、家にテレビがなかったので広く報道されていた西川のことを知りませんでした。

その日の午後1時過ぎに「隣に引っ越してきた者です」といって西川が訪ねてきました。その後に「自分の部屋に入ったら壁が汚れてて、お宅はそんなことなかったですか?」と言い、あやめさんの自宅をくまなく見回してその日は帰っていったそうです。

この時は西川はあやめさんの部屋の隣にある畳一畳ほどのガスメーターの設置された所で寝泊まりをしており、あやめさんの生活スタイルを調べていました

その後同じように隣人を語ってあやめさん宅を訪れ、「電話を貸してくれ」と部屋に上がります。そしていきなりあやめさんを押し倒し両手を使って首を絞めました

あやめさんは抵抗しましたが、西川正勝の力に勝てずに失神してしまいます

すぐに気を取り戻しましたが西川正勝が目の前におり、命乞いでもなんでもしようと必死に話し現金の居場所などを教えました。

仕事である話術を使ってなんとか時間を延ばしていると、西川正勝は落ち着きを取り戻し自分の身の上話と殺人を起こし逃げていることを話しました。その後も話していると一言「あんたいい人やな」と言い残し現金14万円を持って部屋から立ち去りました

桂あやめさんはすぐに警察に通報しこの2日後に西川は逮捕されました。

西川が逮捕されても桂あやめさんは後遺症としてPTSDを患い、今でも首を絞められる夢をみるそうです。また殺されそうになった恐怖から今でも人混みや電車に乗ることを躊躇すると話しています。

西川の死刑が執行された際もコメントを発表しており、一方的な西川の犯行を許すことはできないと否定しました。

また死刑判決から執行までに20年もの時間がかかったことにも疑問を呈しており、どうしてこれだけ時間が掛かったのか死刑囚はどういう順番なのかと意見を述べました。

 

西川正勝(金田正勝)の判決は?【スナックママ連続殺人事件】

引用: Pixabay

逮捕された後、西川正勝は無罪を主張していました。主張も虚しく大阪地裁で死刑判決が言い渡され控訴します。

控訴審である大阪高裁での結果は控訴棄却、この時は西川の弁護側は兵庫県姫路市での事件は認めましたが残る3人に対する殺人については無罪を主張しました。

2005年、最高裁で上告棄却され死刑判決が確定しました。西川は再審請求を何度もしました。

2014年には養子縁組に入り、名前を刑執行時の名前西川正勝に改めました。それまでは金田正勝を名乗っており生まれてから逮捕されるまではこちらが本名になります。

この養子縁組を結んで苗字が変わったということについてですが、死刑が確定した死刑囚が他人と養子縁組を結ぶというのはそう珍しいことではありません

それは養子縁組を結ぶと刑務所や拘置所での面会が可能になったり、出所後の生活を支援しやすくするためです。

今回の西川の場合は死刑判決が出ていたので出所は不可能ですが、面会は自由にできました

では誰が何のために罪を犯した人と養子縁組を結ぶのかというと、一般に養子縁組を結ぶのは死刑廃止を唱える考えを持つ人たちです。

以外にも世界を見渡すと先進国で死刑を導入しているのはアメリカと日本ぐらいで、世界からは死刑制度を導入しているのは異常だという見方もあります。

日本でも死刑制度廃止を訴える人は多く、そういった団体も存在しそのような人たちが死刑囚を支援するために養子縁組を結んだと考えられます。

こうして西川正勝もとい金田正勝は養子縁組を結び姓を変えました

再三の再審請求も認められず2017年に死刑が執行されました。

これに対して再審請求中にも関わらず刑を執行するのは人権を無視する行為だと非難の声が上がるなどしましたが、当時の法務大臣は刑法上再審請求中の死刑を禁止する等の決まりは無く、法に則って裁いたと発表しました。

確かにそれまででは再審請求中に死刑が執行されたことは無く、また全国の死刑囚の約7割以上が再審請求を起こしていますが、それとは関係なく刑が執行される可能性が出てきました

 

スナックママ連続殺人事件まとめ!

引用: Pixabay

小さな時に両親から愛情をもらえずに育った西川正勝は人生の半分以上を刑務所の中で暮らし最後は死刑を持って人生にピリオドが打たれました

わずか半月の間に続けて4人を殺したことは決して許されることではなく、裁判でも「生育歴の不遇さが、被告人の性格形成に悪影響があったことを考慮しても死刑をもって臨むほかはない」と述べられました。

彼を生んだのは社会なのかも知れません。調べても西川正勝の遺族や親族の情報は出てきませんでした

上に姉が4人いるということですが、何を思い生きているのでしょうか。

ありがとうございました。

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