相模原障害者施設殺傷事件の概要!やらせ説や犯行支持説も浮上!

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相模原障害者施設殺傷事件とは?

 

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相模原障害者施設殺傷事件とは、2016年7月26日午前2時すぎ、神奈川県相模原市緑区にある神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に元施設職員の植松聖(犯行当時26歳)が侵入し、所持していた刃物で入居者19人を刺殺し、入居者・職員計26人に重軽傷を負わせた大量殺人事件です。

殺害人数19人は、第二次世界大戦後の日本で発生した殺人事件としては最も多く、戦後最悪の大量殺人事件として日本社会に衝撃を与えました。犯行動機として植松聖は「意思疎通できない障害者は不幸しか生み出さない」「重度の障害者は人ではないから殺人ではない」と発言をしたことでさらなる物議をかもしました。

この事件は日本史上最悪な事件として報道されるだけでなく、今まで表には出てこなかった日本の問題点を取り上げられることにもつながりました。障害者は人ではないといった偏見や差別の問題や介護職の過酷さ。異常な行動をとる人物にたいする治療法や社会の在り方など様々な課題が残されています。

植松聖のような犯罪者はなぜ生まれてしまったのか、単に彼を異常視するだけでは問題を解決したことにはならないといった見方も多く報道されています。

今回は事件の詳細や植松聖という人物、この事件で表面化した日本の問題点などをご紹介します。

 

相模原障害者施設殺傷事件の概要

引用: Pixabay

ここでは相模原障害者施設殺傷事件の詳細と事件の論点、植松聖の生い立ちや事件前後の変化などをご紹介します。

 

事件の詳細


 

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2016年7月26日午前2時38分、相模原市緑区千木良の知的障害者施設「神奈川県立津久井やまゆり園」から神奈川県警察に「刃物を持った男が暴れている」との通報があった。

事件に気が付いた施設の当直職員が非番の男性職員にラインで「すぐ来て、やばい」と連絡を取っており、連絡を受けた男性職員が電話で確認したのち警察に通報した。

死亡したのはいずれも同施設の入居者の男性9人(年齢はいずれも当時41歳~67歳)女性10人(同19歳~70歳)である。死因は19歳女性が腹部を刺されたことによる腹腔内出血、40歳女性が背中から両肺をさされたことによる血気胸、残り17人が失血死とされ、遺体の多くは部屋のベッドの上でみつかっていたことから、植松聖が寝ていた入居者の上半身を次々と刺したとみられる。

殺害された19人全員に胸や首に複数の刺し傷があった。傷の深さから植松聖には明確な殺意があったとみられる。

また、負傷したのは施設職員の男女各1人を含む男性21人、女性5人で、うち13人は重傷をおっていた。入居者24人の負傷内容は全治約9日から約6か月の胸への切り傷や両手の甲への打撲などとされる。

被害者の名前について神奈川県警は、「施設には様々な障害を抱えた方が入居しており、被害者の家族が公表しないでほしいとの思いをもっている」として、公表しない方針を明らかにしている。

植松聖は犯行直後である午前2時50分に自身のTwitterで「世界が平和になりますように。beautiful Japan!!!!!!」と書き込みをしていた。

午前3時過ぎ、現場所轄の津久井警察署に植松聖(犯行当時26歳、元施設職員)が「私がやりました」と出頭し、午前4時半前、死亡した19歳の女性入居者に対する殺人未遂・建造物侵入の各容疑で、緊急逮捕された。その後現場にかけつけた医師が19人の死亡を確認し、重症の20人を含む負傷者26人それぞれ医療機関に搬送された。

その後の捜査で分かったことは以下の通りです。

植松聖は正門付近の警備員室をさけ、裏口から施設内に侵入し午前2時ごろ、ハンマーで入居者東居住棟一階の窓ガラスをわり、そこから施設内に侵入したとみられる。

起訴状によると植松聖は、意思疎通のできない障害者を多数殺害する目的で、通用口の門扉をあけて敷地内に侵入し、結束バンドを使って職員らを拘束し一部を結束バンドで縛り、その目の前で入居者の殺傷に及んでいた。

しかし直接刃物で切り付けられた職員はいなかった。植松聖は、職員らを拘束したうえで、所持していた包丁・ナイフを使用し、犯行に及んだとされる。また凶器として自宅から持ち込んだ柳刃包丁5本などをもっており、切れ味が鈍るなどするたびに取り換えながら使用していた。

事件後に施設内で刃物が2本が発見され、植松聖は別の刃物3本をもって津久井署へ出頭した。植松聖は侵入時にスポーツバックを所持しており刃物やハンマー、職員を縛った結束バンドなどをバッグに収納し、行動しやすくしていたとみられる。

植松聖は犯行時、鉢合わせした職員に「障害者を殺しに来た。邪魔するな」などと脅しており、入居者に声をかけつつ、返事がない入居者を次々に狙って刺していった。

前に書いたとおり、植松聖は裏口から施設に侵入したことから植松聖は施設の構造・防犯態勢を熟知していたとみられる。取り調べに対し、植松聖は「ナイフで刺したことは間違いない」などと容疑を認めた上で、「障害者なんて居なくなってしまえ」と確信犯である持論も供述している。

入居者のうち、被害を免れた比較的軽度の入居者が植松聖が殺傷前に職員に取り付けた結束バンドを、ハサミで切断し職員を開放していたことが判明し、この行為が被害を抑えた可能性もあるとみている。

植松聖はさらに多くの入居者を殺す計画を立てていたが西棟二階を担当していた職員が異変を察知して部屋に閉じこもり、そのまま出てこなかったことから、この職員が警察に通報することを恐れ、襲撃を中断し逃走したとみられる。

津久井やまゆり園の入居定員数は事件当時で長期入居者150人、短期入居者数は10人の計160人だった。敷地内には2階建ての居住棟や管理棟、グラウンドや作業スペースなどがあった。

7月1日の時点で職員数は164人、同日時点で入居していた19歳から75歳の長期入居者149人(男性92人、女性57人)全員が障害支援区分6段階のうち重い方の4から6に該当する重度の知的障害者(食事や入浴、排せつなどの介助が必要)だった。

津久井やまゆり園では夜間も職員を一棟あたり少なくとも2人配置していた。

園の正門・居住棟の入り口は、それぞれ施錠されている上、建物内に入ったとしても、各ホームには自由に行き来することはできず、すべてのカギを開けられるマスターキーを持っている職員もいないという。また、園には警備員が常駐しているが、午後9時半以降には正門近くの管理棟で仮眠をとってもいいことになっており、当直の警備員は植松聖の侵入に気が付かなったという。

植松聖は襲撃の途中で施設の職員室にあるパソコンで勤務表を調べており、自分よりも体格が良い職員がいないことを確認していたことが判明した。そこで捜査関係者は「殺害計画に沿って合理的に行動しており、心神喪失状態ではなかった」とみている。

事件発生から捜査は約7か月にも及んだという。

 

植松聖の生い立ち



植松聖は1990年(平成2年)1月20日に東京都日野市の多摩平団地で生まれる。

植松は一人っ子で小学校教諭の父と漫画家である母を持つ。

 

植松聖の子供時代

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引用: Pixabay

このような悲惨な事件を起こした犯人はさぞ幼少期から異常な人格であったのではないかといったイメージを持たれがちですが、植松聖は極めて評判のいい子どもだったそうです。中学時代はバスケットボール部に所属し、勉強もできる生徒だったといわれていました。

近隣住民の人や植松聖を古くから知る知人によると「とても明るく、挨拶もしっかりしてくれていた。友達も多いようで、家には頻繁に友達が遊びに来ていた」「楽観的なやつ。事件については信じられない。本当に明るいやつで、全然人に危害を加えるようなタイプの人間じゃない」「高校では同級生でしたが、誰とでも仲良くなれるような明るい性格でした。小学校の先生を目指して大学に進学しました」

このように悲惨な事件をおこす犯人とは思えないほど素直で明るく礼儀正しい子ども像を感じさせるエピソードが次々とでてきます。ここまでのエピソードでは植原聖はもともと特別異常な性格であったことは分かりません。

 

大学に入ってから変わってしまう

引用: Pixabay

2008年に植松聖は帝京大学教育学部に進学して父と同じ小学校の教師を目指していたといいます。

周囲に対して「俺、子供が好きなんだ。将来は先生になりたい」といっていたそう。大学に入ると飲み会を頻繁に行うサークルに所属し、多くの友達や彼女をつくり、周囲の人とは比較的友好な関係を気づいていたことがわかります。

しかし、このころから植松聖は次第に不可解な行動を取り始めるようになったといいます。

具体的には不良仲間とつるむようになり、髪を金髪に染め全身に大きな入れ墨を入れるなど奇抜な外見をするようになっていきました。入れ墨の数は次第に増えていき、教育学部に在学していながら入れ墨の彫師にも弟子入りするほどのめりこんでいくようになったといいます。

さらに入れ墨を入れ始めたころから家庭の中でも異変が起きていました。

もともと父と母と3人で暮らしていましたが、事件当時は植松聖は2階建ての一軒家にひとり暮らしをしていたそうです。隣人の話では入れ墨を知った母親の泣き叫ぶ声が聞こえてきてそのしばらく後で両親は植松聖を残して家を出て行ったそうです。

度々家の中でもおかしな言動を繰り返すようになっていたそうなので両親はそんな息子から逃げ出したのではないかというふうに思われていたようです。

教師になる夢を叶えるために教育実習に取り組み、教職免許を取得していました。しかし、当時入れていた入れ墨が原因で小学校の教師になることはできませんでした。

大学卒業後は民間企業に就職しましたが、転職を繰り返していたといいます。

 

植原聖は事件前に精神病棟にはいっていた?

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植松聖が2016年2月18日の勤務中に同僚職員に「重度の障害者は安楽死させるべきだ」という趣旨の発言をしたことを理由に、施設側は津久井警察署に通報しました。

警察は植松聖が人を傷つける恐れがあると判断したため、相模原市長に通報したといいます。通報を受けた相模原市は精神保健福祉法23条に基づき、植松聖を北里大学東病院へ緊急措置入院を決定しました。

入院した際に身体検査が行われ、植原聖の尿から大麻の陽性反応がみられ植松聖が日頃から大麻を使用していたことが判明しました。

そこで指定医師は植松聖に対して「大麻精神病」「非社会性パーソナリティ障害」「妄想性障害」「薬物性精神病性障害」と診断しました。

しかし、その医師は症状の改善を優先すべきといった理由で警察には通報しなかったそうです。そして「他人に危害を加える恐れがなくなった」と診断したため、2週間ほどで植原聖を退院させたのです。

事件の後、北里大学東病院と相模原市が行った植松聖に対する処置が問題視されるようになりました。

2016年9月14日に公表された厚生労働省の中間報告において、植松聖を措置入院させた北里大学東病院と相模原市が、本来は退院後に必要なケアや復帰プログラムなどを検討しないまま、退院させていたことが明らかとなったのです。

また、措置入院させた北里大学東病院内には、薬物使用に詳しい専門の医師がおらず、外部に意見をもとめることもなかったため、以後の薬物依存を防ぐ手立てが何一つなされていなかったことも指摘されました。

さらに、他の精神障害の可能性や心理状態の変化、生活環境の調査や心理検査が行われなかったことも問題として取り上げられました。

措置入院解除の時に必要な届け出に2点の不備があり、また病院と植松聖の両親との間で理解に食い違いがあり「同居を前提とした」措置入院解除であったにもかかわらず、植松は実際には一人暮らしをしていたことが後に判明しました。

届け出に空白欄があったにもかかわらず、相模原市はその空白欄を追及しなかったため、精神保健福祉法で定められている「精神障害者の支援」の対象とならなかった点について、報告書は「相模原市の対応は不十分であった」と結論付けたそうです。

これを受けて政府は措置入院の見直しを検討するとした姿勢を示したのです。

 

事件直前に植松聖は事件が起きた津久井やまゆり園を解雇されていた?

引用: Pixabay

小学校の教師の夢が叶わなかった植松聖は飲料メーカーの運送業など数々の職場を転々とした後、津久井やまゆり園で福祉職員として働き始めます。植松聖は「明るく意欲的で、伸びしろがある」といった判断をされたため採用されました。

しかし、植松聖は入居者に対して暴行を繰り返すようになり問題視されるようになっていきました。施設側は植松聖に対して繰り返し指導・面接を行っていたようですが、改善されることはなかったといいます。

先ほど書いたとおり、措置入院中に行われた身体検査で大麻の陽性反応が出てしまったことや以前からあった入れ墨のことなどが問題になったことで、入院中に「自己都合」という面目で退職せざるを得なくなり、事実上解雇されました。

その後は就職することなく、生活保護をうけて生活をしていたようで

す。その過程でますます障害者への嫌悪を募らせていったのではないかと思われます。

 

事件の背景にヒトラーの優生思想があった?

 

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優生思想とは
身体的・精神的に秀でた能力を有する者の遺伝子を保護し、逆にこれらの能力に劣っている者の遺伝子を排除して、優秀な人類を後世に遺そうという思想。(中略)人類差別や障害者差別を理論的に正当化することになったといわれる。引用元Wiktionary https://ja.m.wiktionary.org/wiki/優生思想

過去にヒトラーのナチス・ドイツ政権で精神病者・障害者を排除したことを正当化するのに利用された思想でした。現在、この思想はタブー視されているが一部の人には共感を持たれることもあり、深く社会に根ざしている思想でもあるのです。

実際に日本社会には出生前診断受精卵診断があり、受精卵や胎児に障害があるとわかった場合に障害があることを理由にして人工中絶を行っています。これは優生思想が背景にあります。

このように日本でも優生思想に基づいた行動を医療として行っているのです。植松聖の行動は障害者は人ではないとしている点で常軌を逸しているとはいえ、このような思想を持つのは一般人にもありうることなのです。

植松聖は措置入院中に病院の担当者に「ヒトラーの思想が2週間前に降りてきた」と話していたそうです。

さらには「ずっと車いすに縛られて暮らすことが幸せなのか。周りを不幸にする。最近急にそう思うようになった」「ナチスの考えはよいと思います。ただよく自分のことを障害者差別と言われるのですが、差別とは違うと思うんですよね。」とも話していたといいます。

優生思想に基づき人を殺してはいけないという見方はこれからも議論の余地を残しています。

 

植原聖が置かれていた労働環境

引用: Pixabay

事件直前まで植松聖が働いていた津久井やまゆり園は比較的障害が重い人が多いことや入居者の数に対して担当していた職員の数が少ないという問題があり、過酷な労働環境であったことがわかってきました。

複数の障害を持つ重複障害者重い障害を持つ人などは徘徊も激しく、暴言や暴力を行うこともあり相当な負担がかかるのが実情です。事件のあった施設には重複障害者を含めた約160人もの障害者が収容されていました。

本来であれば重度の障害者1人に対して、常に2人から3人の職員がつくことが望ましいとされています。しかし、事件のあった施設では夜勤の際、1人で20人以上の入居者を担当していたこともあったといいます。

ここでは少ない職員で多くの障害者の世話をしようとするシステムに問題があったのではないかともいわれています。

事件前に植松聖が衆議院議長に送ったとされる手紙には「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気を欠いた瞳」という記述があります。職員たちは疲れ切っていて十分な休みが取れていない。どれだけ頑張ってもやりがいを見出すことができないといった介護の過酷な労働環境を物語っています。

障害者施設の職員の給与は夜勤の分を含めても20万前後が一般的であり、サラリーマンの平均年収と比べてみると100万前後も低いのです。労働の内容にくらべて、対価があまりにも安すぎるのです。

さらにはスキルも不十分で、支援体制も整っていない中で働きつづけるというのはとても厳しく、離職率も高い現実があります。ただでさえ給料が低い上に残業代も支払われないケースもあり、ほとんど最低賃金といってもいいくらいの給与で勤めている人も多いのです。

本来介護は命を預かる仕事なので処遇を上げるべきですし、それに見合う人を募集すべきなのですが人手が非常に足りないため、だれでもいいからきてほしいという状態になっているのが実態です。

 

事件前に衆議院議長に『犯行予告』を渡していた?

 

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驚くべきことに植松聖は、事件前に衆議院議長にむけて今回の犯行をほのめかす手紙を渡していたことが後に判明しました。

植松聖は2月14日午後3時ごろに議長公邸を訪れ、手紙を渡したいと申し出をしたのだが、受け入れられなかったため土下座をして頼み込んだといいます。そのあと警備にあたっていた警察官が職務質問したところ、そのまま立ち去ったそうです。

しかし、植松聖はあきらめることなく翌日の午前10時ごろにまたやってきて正門前に座り込むなどしたので、手紙を受け取られたのです。その時はそのまま帰っていったといいます。

手紙の内容は以下のように書かれていたといいます。

「職員の少ない夜勤に決行する。職員には致命傷を負わせず結束バンドで拘束して身動きや外部との連絡を取れなくする。2つの園260名を抹殺した後は自首する」

ここでいう2つの園とは実際に犯行が行なわれた津久井やまゆり園と神奈川県厚木市内の障害者施設のことを指しているようです。この内容は実際に犯行で行われていたことに酷似しているのです。

さらに「『逮捕後は心神喪失で無罪として2年以内に釈放して5億円の金銭を支援し自由な人生を送らせる。新しい名前として“伊黒崇”を与え整形手術をさせる』などの条件を国から確約してほしい。日本と世界平和のためにいつでも作戦を実行するつもりだ」と国に対してこのような要求もしていたのです。

手紙は犯罪を予告するかのような内容であったため衆議院の事務局が警察に通報し、手紙を提出したとされています。この時点で犯罪を防ぐことはできなかったのか疑問が残ります。

 

刑事裁判の行方は?

引用: Pixabay

本事件は横浜地方裁判所にて裁判員裁判で審理されるが、被害の大きさ・証拠量の膨大さから公判前整理手続が長期化したことにより2017年2月の起訴から初公判期日まで三年近くかかったそうです。

これまでの精神鑑定で植松聖は「自己愛性パーソナリティ障害」など複合的なパーソナリティ障害があったことが判明したが「動機の了解可能性」「犯行の計画性」「行為の違法性の認識」「精神障害による免責の可能性」「犯行の人格異質性」「犯行の一貫性・目的性」「犯行後の自己防衛行動」の面から犯行時には「完全な刑事責任能力を問える状態」であったため、横浜地検は起訴する方針を決めたようです。

横浜地検は2017年2月24日に被疑者植松聖を以下の罪状で横浜地方裁判所に起訴しました。

・殺人罪ー死亡した入居者男女19人を刃物で刺して殺害した

・殺人未遂罪ー負傷した入居者男女24人を刃物で刺して重軽傷を負わせた

・逮捕・監禁罪ー職員3人を逮捕・監禁した

・逮捕・監禁致傷罪ー別の職員3人を逮捕・監禁して怪我を負わせた

・建造物侵入罪・銃刀法違反

被告人植松聖は殺傷行為を認めているため、今後開かれる刑事裁判の公判では「刑事責任能力の有無・程度」が最大の争点になる見通しになるようです。検察側の死刑求刑が確実視される一方で、弁護側は「被告人は犯行当時に責任能力を問えない心神喪失状態状態だった」として無罪を主張する可能性があります。

精神鑑定経験が豊富な医師によれば一般的に「自己愛性パーソナリティ障害」は衝動の抑制が効かなかったり理性的な判断が難しくなる場合はあるものの、刑事責任能力を左右する精神病とは区別されるといいます。

精神病というよりは「性格の大きな歪み」に分類され自分の意見が通らないと「周囲がいけない」「法律がおかしい」と自己中心的な思考に陥りがちになるものだそうです。

そのうえで植松聖の「かなり冷静に一貫した行動や言動」や事件後の逃走を「自分の行動が犯罪だと認識している」点を指摘し、植松聖の日常生活には問題なかったことから「自己責任能力の否定材料が乏しく、起訴はまったく当然な判断である」と語っているといいます。

横浜地裁は2018年1月23日までに弁護側の請求をうけて、被告人植松聖にたいして再度精神鑑定を実施することを決めました。

2018年9月4日、被告人植松聖の精神鑑定について「捜査段階とは別の精神科医による再度の精神鑑定は2018年8月に終了しており一回目と同様に(刑事責任能力に問題がない)『パーソナリティ障害』との診断がでた」と報道されたのです。

横浜地裁は本事件の初公判期日を「2020年(令和2年)1月8日11時開廷」と指定して2019年4月24日に公表しました。今後は第2回公判以降の公判予定に関しても横浜地裁・横浜地検・弁護人の三者協議により決定され、2020年3月末までに判決が言い渡される見込みだそうです。

被害者に対して横浜地検は刑事裁判の公判において横浜地方裁判所に「起訴状を朗読する際などに被害者の実名を呼ばず匿名で審理すること」を求めるように検討し、2017年6月になって「氏名・住所などを伏せるように申し出た被害者」を匿名にして公判を開く方針を決定して被害者側に通知しました。

法廷でも被害者名が明かされない可能性が出たことに対して被害者家族・障害者団体など、関係者の意見は「遺族や家族の要望を重視するのは当然だ」という肯定的なものや、「障害者であることを理由に特別扱いするなら差別だ」という否定的なものなどに分かれているそうです。

 

事件後の植松聖は?

引用: Pixabay

植松聖は事件後も障害者蔑視の主張は変わっていません。今でも「意思疎通が図れない人間は生きている意味がない」「重度障害者を養うことには莫大なお金と時間が奪われる」などと話しているそうです。

一方で「障害者の全てを生きている意味がない人とは思わない」とも話しているようです。障害の程度によっては意思疎通が図れる障害者の人もいることが理由で、犯行時についても「寝ている入居者に『おはようございます』などと声を掛け、返事があれば襲わなかった」とも明かしていました。

障害者を殺したことは悪いと思っていないという主張は以前と変わりませんが、障害者家族に対してはつらい目にあわせてしまったことを謝罪するような発言も見られるようになったようです。

そして、犯行前に自ら障害者は安楽死させるべきだと主張していたにも関わらず、刃物で殺傷したことに関しては良くなかったとの発言もあったといいます。

これから先、植松聖は独善的な判断で障害者の命を奪ってしまったことの重大さに気づくことはあるのでしょうか。

 

やらせ説?相模原障害者施設殺傷事件の黒い噂

 

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この事件は単に死傷者が多いということで大きく取り上げられているだけではありません。実はこの事件はやらせなのではないかという見方が浮上しているのです。例えば、

・この事件は何か別の大きな力が働いていたようだ

・犯人は植原聖単独であるとは思えない

・まるで自作自演である

などの声がネット上にあがるようになったのです。ここではこの事件がやらせであると思わせる相模原障害者施設殺傷事件の黒い噂についてご紹介します。

 

この事件はやらせだった?

引用: Pixabay

下にあるのは事件の流れを時間別に表したものです。

7月26日深夜1時37分

犯人が現場近くで車から降りる(防犯カメラに植松聖とみられる男が映る)

2時10分

ハンマーで窓ガラスを割って施設に侵入

2時45分

職員が110番通報

2時50分

車に戻り逃走

3時過ぎ

津久井署に出頭

この時での被害者の数は死者19名、重軽傷者20名以上

ここから考えると植松聖は40分間で40人以上の人を刺したということになります。

事件当時、施設内にいた職員9人のうち拘束されたのが確認できたのは5人。植松聖はいずれも指や手を結束バンドで結び、さらに別のバンドを使って移動できないよう廊下の手すりに縛り付けた。顔や頭を殴られけがをした職員もいたが、刃物は使わず致命的なけがはなかったという内容でマスコミは報道しました。

しかしこの報道には数々の矛盾や疑問点があり、この事件はやらせなのではないかという声があがる原因となりました。これからその数々の矛盾や疑問点をご紹介します。

 

結束バンドの謎

引用: Pixabay

職員を動かないようにするために使用さえたとされるのが結束バンドであるがこれがどうも怪しいといわれています。実際使われた結束バンドは10数センチくらいのとても短くしかも細いものでした。

さらに言えば、通常結束バンドは片手では結べないので結束バンドを取り付ける際は植松聖は両手がふさがっていたはずなのです。その時、職員は複数いたはずなのにどうしてそれを見ていた職員は誰も通報ブザーを鳴らさなかったのでしょうか。

事件当時は夜中であったとはいえ職員がそれぞれ別々の部屋で仮眠をとっていたなんてことはあり得ません。もしそうでないとしたら5人を別々に包丁で脅しながら結束バンドで拘束しなければいけないはずです。

単独で犯行を実行する場合はそれだけでかなりの時間がかかってしまいます。ここから共犯者がいたのではないかという見方がでてきました。

 

40分間のうちに刃物で人を40人も死傷させられるのか

引用: Pixabay

植松聖は持参した刃物で40人ほどを刺したとありますが、これは実際に可能ではないように感じられます。

一般的に市販の包丁やナイフで人を切りつける又は刺した場合、人間の血と脂で刃がべとべとになり切れ味は落ち、骨に刃が当たったとすると刃の先は摩擦によりボロボロになってしまうそうです。そうなると殺傷能力が持つのはせいぜい2人から3人までになってしまうはずなのです。

植松聖は複数の刃物をあらかじめ準備していたとはいえ、40人以上を殺傷するほどは持ち合わせていなかったのです。

さらに植松聖は施設の棟から棟へ移動しながら刺していったと供述していますが、相手は重度の障害者であるため、暴れたり大さわぎする可能性も十分にあったはずです。

その中で1分間のうちに1人以上を刺していくのはとても不可能なはずなのです。この点も大きな矛盾がありますし、植松聖ひとりにはとても行えるものではなかったのではないか共犯者がほかにいたのではないかという意見がでるのも理解できます。

 

返り血が少なすぎる?

引用: Pixabay

前に書いたように植松聖は40人以上の人を刺していたとあるので当然大量の返り血を浴びているはずです。

しかし、犯行後に植松聖がSNSに載せたとされる自撮り画像ではほとんど汚れている形跡は見られません。さらには警察署に出頭したときも全身にほとんど血は付着しておらずとてもこざっぱりとした印象をうけます。

とても刃物で多くの人を刺した犯人のようには見えません。ここから植松聖は着替えをして手や顔を洗っていたのではないかといった見方もされています。

 

なぜ被害者が匿名なのか?

引用: Pixabay

相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入居者19人が刺殺された事件をめぐり、神奈川県警は障害者への配慮などを理由に被害者の実名公表を拒んだ。

戦後最大級の犠牲者を出した殺人事件にも関わらず、「誰が亡くなったのか」という事実確認に障壁を設け、被害者の足跡や遺族の思いなどを世に伝える機会を奪った形だ。障害者団体は「逆に障害者への差別になっていないか」と批判、メディアの専門家も対応に疑問符を付けている。引用元:https://取締り110番.com/column/column-72/amp/

これによって本当は殺されたとされる人たちは生きているのではないかという疑問の声もあがりました。今までは当たり前のように被害者の実名報道がなされていたのに今回だけは特別にしないという報道のされ方に何かを隠しているのではないかと感じられます。

さらに、これは植松聖が主張と同じく個人の尊厳を無視した行動なのではないかという意見もありました。これをきっかけにテレビ局などがすべての被害者に対して匿名報道に切り替えようとしているのではないかともいわれています。

 

犯罪者にGPSを埋め込む政策を行うための口実づくり

引用: Pixabay

自民党の元参院副議長・山東昭子はこの事件を受けて「私どもも法律をきちんと作って、犯罪をほのめかした、主張した人物については、GPSを埋め込むようなこと。何がいいのかもちろん、これから議論すべきだと思いますけれども」と発言し犯罪防止にむけて法律を見直すべきといった持論を展開しました。

これは人権問題になるのではないかという反対意見も見受けられますが、政策実行動機としては今回の事件は大きな理由付けになるという見方をされています。

このことから犯罪者に対してのGPSの埋め込み計画を政府が推進させ、監視社会を実現するための布石として植松聖に今回の事件を起こさせたのではないかともいわれています。

 

医療用大麻の合法化を阻止するためか

引用: Pixabay

報道では植原聖がこのような事件をおこした背景に植松聖が大麻を使用していたことが関係しているのではないかというものがありました。まるでこの悲惨な事件を招いたのは大麻のせいであるような内容に疑問の声があがっています。

アメリカでは大麻は種類によっては薬として使えるという見方から一部の州では合法化されているのです。近年日本でも大麻を合法化すべきかの議論が行われるようになっていました。

そんな矢先に起きた事件であるため、政府がこの事件を大麻の危険性をアピールして違法性を訴える口実に利用したいだけなのではないかという声があがりました。

実際、大麻を今回のような犯罪を引き起こしてしまう大きな原因とするのは無理があるように感じられます。

 

措置入院の制度をきびしくするため?

引用: Pixabay

事件を起こす前に植松聖が措置入院をしていたことは前にあげましたが相模原市と病院が2週間ほどで退院させてしまったこと、退院後にきちんとした対応を怠ってきたことが今回の事件を機に問題視されました。そこで政府は措置入院の在り方を検討するとしたことで措置入院の制度がさらに厳しくなることが予想されます。

これを受けて精神障害者にたいする差別が強まるのではないか、精神障害者をできるだけ社会から隔離すべきといった思想が広まるのではないかといったことが危惧されています。精神障害者に対する社会の管理を強化することが狙いでもあるかのようにもとれます。

参考資料 https://matome.naver.jp/odai/2146986115332899801

 

植松聖を支持する声も?【相模原障害者施設殺傷事件】


植松聖の行動は人の尊厳を無視した非道な犯罪者だという声が上がる中で植松聖を支持する・共感を示す人々も現れました。なぜ植松聖を英雄視している人たちがいるのか、その背景は何かをご紹介します。

 

ネット上では植松聖を支持する声が続出?

引用: Pixabay

この事件は戦後最悪の殺人事件ともいわれる非常に残酷極まりないものですが、その犯人である植松聖をヒーローであるとする声がTwitterなどのネット上であがりました。

これには障害者に対する差別や偏見また社会

 

「遺族は自分で面倒見きれないから、金を払って施設に押し付けてたんだろ。殺してくれた植松に感謝すべき」

引用: Pixabay

この発言には介護における劣悪な職場環境の問題が隠されているように思われます。

重度の精神障害者の世話をする介護施設では非常に深刻な労働環境があり、この事件でよりそのことを報道する機会が増えました。

 

「人に危害を加える重度障害者に、人権なんて与えなくていい。犯人はよくやったと思う」

引用: Pixabay

このような発言をする人の中には過去に知的障害者によって傷つけられた犯罪被害者である人もいました。

重度の知的障害者は例え犯罪を犯しても「心神喪失の行為は罰しない」などと規定されている刑法39条に基づき、刑事責任能力の喪失と判断されて無罪になるケースは少なくありません。

この場合、被害者は泣き寝入りをすることしかできない実態があります。そのことでこういったケースの被害者の中には知的障害者の人に対して憎悪の感情を募らせてしまうこともあります。

このような感情は知的障害者がいなくなればいいといった思考を生み出し、重度の知的障害者は人ではないとする植松聖を英雄視してしまうことにつながってしまうのかもしれません。

今回の事件でも刑事責任能力の有無の判断に焦点が当てられていますが、安易に刑罰を軽くするといったことはさらなる問題に発展するかもしれません。

 

「植松はぶっちゃけ、障害者という税金食い潰すだけのやつらを殺処分した英雄」

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自分たちは懸命に働いて生活をしているのに、障害者は働かずに国から補助金をもらって暮らしている。生産性のない障害者に税金を使われるのは嫌だといった考え方が表れているように感じられるこの言葉。

これは働いても満足な給与が得られず、自分たちの生活だけで精一杯という人たちが増えてきていることでこのような発言がみられるのではないでしょうか。

経済的なゆとりがない社会であればあるほど、保護を受けて暮らしている障害者・高齢者などの社会的に弱い立場の人たちに対してこのように攻撃的な見方や態度が表面化し、誰もが持っている差別や偏見の感情が出てきてしまうのかもしれません。

その点では植松聖の「障害者なんていなくなればいい」と思うことは特別おかしいといわれるものではないのかもしれません。誰もがこういった考えを持ちかねない実態があるのです。

こういった考えをなくしていくには、労働者がゆとりを持って暮らせるようにしなければならないのです。そうすれば、できるだけ障害者のような弱い立場の人たちに手を差しのべようという考えが広まっていくのかもしれません。

 

植松聖の言葉や社会のコメントに対して障害者の反応は?

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植松聖が事件前に衆議院議長に渡したとされる手紙には「私の目標は重複障害者の方が家庭内でに生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」「障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます」と述べていました。

さらには「全人類が心の隅に隠した想いを声に出し、実行する決意を持って行動しました」「私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます」と障害者を殺すのは社会の為であることを強調した発言も見受けられ、捜査関係者に「殺害した自分は救世主だ」「(犯行は)日本のため」と話していました。

こうした植松聖の考え方・発言、そして先ほど書いたような植松聖を支持するコメントをみた障害者はどのように感じていたのでしょうか。

こういったコメントをみた障害者のなかには「障害を持つものとして一人の人間として扱ってもらえない社会があることを改めて実感した」「ただ、困っている時に少しででも助けてくれるような気持ちを持てる社会になれば」というものもありました。

こうした植松聖を支持する声があがることでますます世間の障害者に対する差別が強まる危険性を不安に思っているのでしょう。

また、健常者に対して配慮や理解を求める声がある一方で、中には「合理的な配慮も必要ですが、障害者が権利ばかり主張するのもよくないと感じました」といった意見を持つ人もいました。

ただ特別な配慮を求めるだけでは逆に健常者に対する差別になってしまうという考えも見受けられました。これから先、障害者に対してどのような行動をとるべきなのか、どこまでが保護するべき境界線なのかが健常者・障害者がともに考えなければならないのかもしれません。

 

闇が深すぎる…相模原障害者施設殺傷事件

 

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戦後最悪の殺傷事件である相模原障害者施設殺傷事件をご紹介しました。

障害者は人ではないといった植松聖の発言や思想は到底受け入れられるべきものではないとする一方で、これから障害者に対する差別そしてそういった考えを生んでしまう社会に対してどのような措置をとるべきかが問題の焦点となりました。

これから日本が考えなければならないとされている問題を大まかにまとめると

・障害者に対する差別やそれを支える優生思想

・介護職の劣悪な労働環境

・精神病患者に対する治療や措置入院の見直し

・犯行予告をした人物や再犯の恐れがある犯罪者に対する監視化を政策として推進すべきか

・障害者に対してどこまでの配慮・保護をすべきか

などがあげられます。

相模原障害者殺傷事件は日本が今まで曖昧にしていた問題に改めて向き合わなくてはならない機会を生み出した事件ともいえます。

これから行われる植松聖の裁判の行方や日本が今後どういった方向に進んでいくのかは誰にも分からないのです。

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