村井秀夫。ホーリーネームはマンジュシュリー・ミトラ。教団では麻原に次ぐナンバー2、科学技術部門最高幹部と見られていた。麻原からはマンジュシュリーをもじってマンジュウと呼ばれていた。1995年4月23日、教団東京総本部前で刺殺された。 pic.twitter.com/dQLuGhID0x
— オウム幹部bot (@aumkanbu_bot) June 10, 2019
松本サリン事件や地下鉄サリン事件など数々の犯罪行為を行ってきたオウム真理教。2018年7月に数々の犯罪事件にかかわった麻原死刑囚と元幹部の合計13人の死刑執行が行われました。
オウム真理教と聞いて、日本ではその名を知らない人がいない程、平成史上最悪な犯罪集団であることは言うまでもないと思います。
このオウム真理教で教祖である麻原彰晃死刑囚の右腕であり、教団No.2と言われていた男、村井秀夫は1995年4月23日に東京・青山にある教団東京総本部前で刺殺されていなければ、他の幹部と同じように死刑囚となり、死刑となっていたと思われます。
そんな教団No.2の村井秀夫という人物はどのような人物だったのか、刺殺事件も含めて説明しようと思います。
村井秀夫の生い立ちと経歴
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では、村井秀夫の生い立ちと経歴を紹介します。
幼少期~少年時代
1958年12月5日に大阪府吹田市で、村井秀夫は誕生します。
子供の頃は、内向的でSF少年でした。望遠鏡で星を観察したり、グッピーやミジンコを養殖したりするのが好きでした。顔が元アイドルの城みちるに似ていたため、学校では「ジョー君」というあだ名が付き、勉強が得意でしたが、運動は苦手な少年でした。
テレビの影響で超能力や精神世界、また仙道やヨガなどに興味を持ち、超人になりたいという願望があったそうです。
ただ、1972年、中学生の頃に、友人の兄がトラックに飛び込み自殺をするのを目撃してしまうという、中学生であった村井秀夫には衝撃的な出来事であったと思います。
青年時代
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村井秀夫は大阪府立千里高等学校へ入学します。
高校時代は、無遅刻無欠席で表彰されています。授業中などに、目を閉じているのにも関わらず、どんな質問にも全て回答できていたというエピソードがあります。
大学は、歩いて通えるからという理由で、大阪大学理学部物理学科にトップの成績で合格します。大阪大学では、X線天文学を専攻し、大学の学士卒業後も、大阪大学大学院理学研究科の修士課程を修了して、理学博士をとります。
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大学院卒業後に、神戸製鋼に入社して、金属が飴のように伸びる超塑性鍛造という金属加工の研究を行います。
1985年4月に、森脇桂子と職場結婚をします。ただ、その頃、会社にも家庭にも満足していなかった村井秀夫は、オウム真理教の教祖である麻原彰晃の著書「生死を超える」、「超能力秘密の開発法」などを読み、子供の頃から超人願望があったため、興味を持ち、1987年4月にオウム神仙の会の大阪支部を訪れます。
感銘を受けた村井秀夫はオウム神仙の会を訪れた翌日に、オウム神仙の会に入信します。
出家
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オウム神仙の会に入信してから、妻である森脇桂子も影響されたのか、夫婦で1987年6月に出家をします。出家後は、オウム真理教の科学者の代表格として、真理科学研究所(のちの科学技術省)を任されます。
この真理科学研究所では、村井秀夫の好みであるSF思想満載の、アストラル・テレポーターや占星術のプログラム、ビラ配りマシーン、多足歩行ロボット、ホバークラフトなどを企画・開発します。オウム真理教と言えば、頭に電流を流すためのヘッドギアを思い出しますが、このヘッドギアも、村井秀夫が開発したものです。
村井秀夫は、オウム真理教で数々の発明品を開発していますが、そのほとんどがSF思想満載の発明品であり、非現実的なものが多く、教団信者からは開発に多額のお金を注ぎ込むだけで画期的で現実的である発明品が全く発明されないという声も出ていたとのことです。
この村井秀夫ですが、物理学専攻で、医師免許も持っていないのに、麻原彰晃の主治医を務めていました。オウム真理教には村井秀夫以外にも多くの医者がおりましたが、その医者が麻原彰晃の主治医を務めるわけではなく、村井秀夫に主治医を務めさせていました。
村井秀夫は、麻原彰晃からホーリーネームと言われている教団名を授かります。ホーリーネームは、マンジュシュリー・ミトラという名前でした。名前の由来は、大乗仏教の菩薩、文殊菩薩から来ているそうです。麻原彰晃からもホーリーネームで呼ばれていましたが、ホーリーネームが長いことから、略して「まんじゅう」とも呼ばれていました。
また、村井秀夫は、幹部であったこともあり、また麻原彰晃の家族ともかかわりがあったため、麻原彰晃の3女である松本麗華からは「まんじゅう」と呼ばれているなど、村井秀夫は3女の松本麗華の良い遊び相手とされていたそうです。
村井秀夫は秀才だった?天才エピソードを紹介!
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大阪大学大学院理学研究科を卒業している村井秀夫ですが、IQが180という情報も出ています。
こんなに頭が良いのに、なぜその頭の良さをオウム真理教という悪事に発揮してしまったのは、残念ではありますが、村井秀夫の天才?といえるエピソードを紹介したいと思います。
ただ、SF的な発想がゆえに、非現実で、お金はかかっているのに、使えない代物が多かったと教団信者は話しています。
【1】ヘッドギア
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オウム真理教と言えば、ヘッドギアを装着しているオウム真理教信者の姿を思い出す方もいるでしょう。このヘッドギアですが、村井秀夫が発明した代物です。
このヘッドギアですが、オウム真理教信者達がこのヘッドギアを被り、麻原彰晃の脳波を電気で送るというものでした。
信者達が被るヘッドギアには、当然電流が流れるのですが、かなり粗悪にできているので、ヘッドギアを被った教団信者達は、やけどをして、頭がかさぶただらけになるなどしたそうです。女性信者においては、長時間被り過ぎて、禿げてしまう人もいたとか。
ヘッドギアという発想は良いのですが、それを形にすると、ろくでもないものが出来上がるという事態になってしまいました。このヘッドギアはのちに改良版として、やけど防止用のスポンジがついたヘッドギアが普及したとのことです。
【2】ビラ配りマシーン
スターウォーズに出てくるロボット「R2-D2」を模したドラム缶型の機械であるビラ配りマシーンも、村井秀夫が発明したものです。このロボットの中には、CDラジカセが内蔵さえていて、音楽を流しながら、ビラが一枚ずつでてくるというビラ配りマシーンでした。
このビラ配りマシーンを使って、原宿の歩行者天国でオウム真理教の入信者獲得のためのイベントを行う予定でしたが、実際は、このビラ配りマシーンの隣でSFアニメの衣装を来た女性信者が踊り、配っていたといいます。
実は、このビラ配りマシーンは、1台100万円もした代物。広告宣伝用として10台も作ったのですが、街頭においても誰一人として興味をしめしている人も居ず、ただ単に散在しただけの結果で終わりました。
村井秀夫のオウムでの活躍
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村井秀夫は、教祖の麻原彰晃とは教祖・子弟という間柄以上の関係にありました。
村井秀夫は子供の頃からSF好きで妄想好きでした。麻原彰晃も同じように夢想家だったといいます。麻原彰晃は、子供の頃、アニメが好きだったこともあり、大人になったらお金を儲けて、ロボット帝国を作るとまで豪語していたそうです。
村井秀夫と麻原彰晃は同じような思想にいたため、お互いに通じるところがあり、麻原彰晃の右腕として、オウム真理教のNo.2として君臨していたのです。そのような村井秀夫はオウム真理教の中で活躍をしていきます。
麻原彰晃から開発できるかと言われたロボットや毒物なども、はいはいと簡単に了承し、開発をしていきました。自分では難しい化学的開発は、化学が得意である別の幹部・土谷正実に指示し、あたかも簡単に作っていたのです。
そのようなことから、村井秀夫は、1988年には、オウム真理教内で大師に、1990年には正悟師に昇格しています。この頃、オウム真理教内で麻原彰晃や村井秀夫は、衆議院議員選挙に出馬します。
しかしながら、落選したために、麻原彰晃は人類ポアというテロ計画し、村井秀夫を中心としてポツリヌス菌やホスゲンといったオウム真理教の兵器製造に乗り出すのです。
その後、同じく幹部であり化学が得意であ土谷正実にサリン製造を決心させ、サリンの大量生産を目指して、サリンプラント計画やサリン噴霧車などの製造を行っています。
1994年6月にオウム真理教内で省庁制が発足したことにより、村井秀夫は科学技術省大臣となり、松本サリン事件を実行。そして、同年8月にヘッドギアを開発したことで、ステージが正大師へと昇格します。
1995年には公証人役場事務長逮捕監禁拉致事件で麻原彰晃への連絡役として参加し、また地下鉄にサリンを巻く提案を行い、あの地下鉄サリン事件の総指揮をとりました。
1995年にオウム真理教に強制捜査が入りましたが、その時のスポークスマンとして村井秀夫は登場し、サリンプラントがサリン製造ではなく、農薬DDVP工場だと主張しました。
その後、警察の捜査をかく乱するために、テロを指示し、新宿駅青酸ガス事件や都庁爆弾事件のきっかけを作るのです。
村井秀夫刺殺事件概要
【#今日は何の日? #4月23日】
1995年の今日、オウム真理教東京総本部前で、教団の「科学技術省」トップ・村井秀夫氏が男に包丁で腹部を刺されました。翌24日未明、搬送先の病院で出血多量のため死亡しました。
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— 時事ドットコム(時事通信ニュース) (@jijicom) April 22, 2019
オウム真理教内でNo.2であり、科学技術省大臣でもあった村井秀夫は、1995年4月23日午後8時35分に、東京・青山にある教団東京総本部ビル前で、報道陣が詰めかける中、それも生放送中にテレビカメラの前で刺殺されるという事件が起こりました。
村井秀夫は当時、山梨県上九一色村にあるサティアン群から戻ってきたところを、犯人により、刃物で左腕と右脇腹を立て続けに刺されています。
通常、教団東京総本部ビルに入るためには、地下通用口を使用していました。しかしながら、この日は地下通用口が施錠されており、村井秀夫と他の幹部は引き返して1階の出入り口に向かう際に襲われたのです。
実行犯は、在日韓国人の徐裕行という人物で、三重県伊勢市にある右翼団体「神洲士衛館」の構成員だと名乗っていますが、実際のところ、山口組系暴力団「羽根組」の構成員でした。
当初、徐裕行は羽根組の若頭の指示により犯行に及んだと、若頭も共犯で村井秀夫を殺したと言っているが、オウム真理教とこの暴力団との接点がないことや、実行犯である徐裕行が、若頭から指示されたという日の証言が不鮮明であることから、羽根組の若頭は一旦逮捕されたが、公判で無罪となっています。
実行犯の徐裕行は、旭川刑務所へ服役し、2007年に出所しています。
実行犯の徐裕行は、犯行当初、オウム真理教について、とんでもない連中だと憤りを持っていたらしく、オウム真理教幹部である上祐史浩や青山吉伸でも村井秀夫でも誰でも良かったと話しています。
しかしながら、村井秀夫が刺されたこの日、上祐史浩や青山吉伸も同じく山梨県上九一色村から教団東京総本部ビルに戻って来たときにも、現場に居合わせていますが、何も動きはしませんでした。
徐裕行は、上祐史浩や青山吉伸の2人との距離やタイミングが合わなかったと言っており、最後に教団東京総本部ビルに戻って来た村井秀夫を刺殺するタイミングを狙っていたのかもしれません。
村井秀夫は刺殺された後、すぐに病院へ搬送されました。手術をしましたが、最後に「ユダにやられた」、「私は潔白だ」という言葉を残して、翌24日午前2時33分に出血多量で死亡します。
その後、村井秀夫は、週刊新潮に、左胸部と腹部が縫い合わされた遺体を掲載し、物議を醸し、死亡してからも村井秀夫という人物に注目が集まってしまったのです。
村井秀夫妻の現在
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村井秀夫の妻、森脇桂子は、オウム真理教に出家後、離婚しています。
この夫婦ですが、神戸製鋼時代に結婚しています。元妻の森脇桂子は、兵庫県神戸市内の進学高校に入学し、大学では宇宙物理学を専攻したいと思っていましたが、家庭の事情で大学入学はできずに、高校卒業後、神戸製鋼へ入社しています。神戸製鋼での同期が村井秀夫でした。
村井秀夫と森脇桂子は、物理学が好きであったこと、生物好きで天文学に興味を持っていたことなど、共通点はたくさんあることでお互いに惹かれて結婚します。
妻となる森脇桂子とヒマラヤが見たいとネパールのカトマンズで結婚式を挙げ、結婚式が終わり、日本に戻ってくると、神戸製鋼の社宅で休日は2人で一緒に外出するなどといった普通の夫婦だったそうです。
しかしながら、夫婦2人でオウム真理教へ入信し、出家後に生活が変わります。オウム真理教へ出家する際に、今まで夫婦で貯めてきた資産全部をオウム真理教へお布施として寄付したのです。オウム真理教は、出家時に、全財産を寄付しなければならないという状況でした。決まりだったのです。
元妻である森脇桂子は、サリンの製造に関与したということで懲役3年6ヶ月の実刑判決となっていますが、村井秀夫との離婚理由は、オウム真理教内のステージの違いから1990年に離婚しています。
この森脇桂子は、オウム真理教の元信者である菊地直子の裁判員裁判の第6回公判で、2014年5月に証人として出廷しています。すでに20年も前の事件のことなので、忘れてしまったことも多々あり、うやむやな証言となってしまいました。
森脇桂子は、現在、オウム真理教を退会し、再婚。そして親族の介護で毎日忙しい日々を送っているといいます。
村井秀夫まとめ
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大阪大学大学院を卒業し、IQ180と言われるほど頭も良く、天才肌の科学者だと言われていた村井秀夫。
もともとSF癖はありましたが、このIQをオウム真理教に捧げるのではなく、大学院卒業後に入社した神戸製鋼での研究に捧げていれば、現在には考えられない金属加工の技術が日本において、世界において主流となっているかもしれません。
村井秀夫が刺殺されたのは、テレビ報道番組で阪神大震災は人工地震だ、それも何か大きな組織によって行われていると発言したことにより、その陰謀で殺されたのだという説もあります。
不透明なオウム真理教の世界において心身ともに捧げた村井秀夫。このような人物が今後、この世の中に現れないことを願うばかりです。