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あまりにも、奇怪でおそろしい事件だったため、世間を大きく騒がせた埼玉少女誘拐事件。
今となっては、少し前に感じる人も多いかと思いますが、被害者や被害者家族の方にとっては、忌まわしい事件です。
埼玉で少女が誘拐され、”埼玉少女誘拐事件”として、多くの人に知れ渡りました。その後、少女が監禁されていたことがわかってからは、”埼玉少女監禁事件”と呼ばれるようになります。
被害者である斎藤杏花さんは、2年間監禁されていました。犯人は、寺内樺風です。
中学のころから、子供や幼女を誘拐したいという欲求があった寺内樺風は、長年にわたって緻密な計画を立て、斎藤杏花を誘拐します。両親が離婚することになったと嘘をついて、自分の車に乗せ、自宅で約2年間、斎藤杏花さんを監禁します。
この事件の興味深い点は、衝動的な事件なのではなく、計画的な犯行であった点です。まずは、被害者である斎藤杏花さんから見ていきましょう。
斎藤杏花生い立ち【埼玉県少女誘拐事件被害者】
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ここでは、埼玉少女誘拐事件の被害者である斎藤杏花さんについてご紹介していきます。
寺内樺風のおそろしい欲求のせいで、埼玉少女誘拐事件に巻き込まれてしまった可哀そうな斎藤杏花さんですが、事件までに寺内樺風と関係があったわけではありませんでした。
埼玉少女誘拐事件の当時、斎藤杏花さんは、中学1年生でした。そして、約2年間の監禁生活を送り、家に帰宅したときには、中学3年生になっていました。中学生というと、青春を過ごす大切な時期です。友達や好きな人となど、つくりたい思い出は、たくさんあったはずです。
斎藤杏花さんは中学生という青春時代をこの事件のせいで汚され、楽しい思い出を作る事ができませんでした。また、誘拐された体験は、彼女の心を深く傷付けたことでしょう。
無事保護されたとはいえ、彼女が感じた精神的なストレスは計り知れません。さらに、ご家族の心象も溜まったものではなかったでしょう。
そんな斎藤杏花さんの生い立ちを見て行きます。
出生(生まれ)から小学生・中学生まで
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斎藤杏花さんは、生まれてからずっと埼玉県で暮らしています。おそらく、今現在も暮らしています。
事件当時は、朝霞市立朝霞第三中学校に在籍する中学生でした。小学生の時から、クラシックバレエを習っており、中学生では、クラッシックバレエ、塾、エレクトーンの3つに習い事として通っていたと言います。
クラシックバレエが好きで、仲の良い女の子とと一緒にレッスンをがんばっていました。発表会にも出て、踊っていたそうです。通っていたバレエ教室は、”有子バレエスタジオ”とされており、10回目の発表会への出演申込書を、誘拐直前に提出しています。
事件当時の非常に髪が長かったとされていますが、それはクラシックバレエを習っていたことが関係しているのかもしれません。
捜索願の写真でも髪の毛は長いですし、捜索願の文章にも、『髪の毛:長めの黒髪二本結び、ピンで前髪留め』といった文章が記載されています。
近所の方の中でも、笑うと左の口元にえくぼあり、可愛いと評判でした。愛嬌のあるかわいらしい子だったようです。
家族構成・両親とは
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また、家族構成についてですが、兄弟については詳細までわかっていません。ご両親はご健在で、父親は会社員、母親は専業主婦です。
ご両親は、斎藤杏花さんが誘拐されてからは、精力的に捜索活動をしています。ご両親は行方不明になった直後から駅でチラシを配り、各地のPTA会合で呼び掛けています。
さらに、捜索活動を行うご両親を支援するため、地域の近隣住民は”捜す会”を結成しています。後のインタビューで、ご両親は「『今はただただ、帰ってきてほしい』と願うばかりで、必死に捜索をしていた」と言います。
寺内樺風と斎藤杏花は肉体関係があった?【埼玉県少女誘拐事件】
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寺内樺風の名前は、非常に珍しいため、事件当時、「海外の人間なのでは?」と噂されていました。
ただ、寺内樺風は、ずっと日本で生活しており、父親も日本で会社を経営しています。外国人だとは、考えられないでしょう。
また、そんな寺内樺風は異常者だったこともあり、「レイプをしていたのではないか?」という疑惑がありました。
しかし、そういった事実はなかったようです。斎藤杏花さんが妊娠していたといった噂は事実無根であり、妊娠やレイプ、性的な関係の類はなかったと言います。
当時の斎藤杏花さんは、中学1年生です。年齢でいうと、16歳ですので、妊娠することは可能だったかもしれませんが、子供を産み、親になれるのかというと、まだ小さすぎます。
ではなぜ、インターネット上をはじめ、妊娠説が浮上してしまったのでしょうか。
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実は、妊娠を疑われているのには、きちんとしたワケがあります。警察の調べによる、寺内樺風の供述を見てください。
中学時代から、幼女を誘拐したいという願望があった。(出典:警察の調べによる寺内樺風の供述)
このように、寺内樺風は、幼い頃からずっと誘拐願望のある人間でした。特異であまりに恐ろしすぎる願望ですが、このために、高校生ぐらいの頃から、緻密な計画を練ったのだと言います。
実際に、寺内樺風は、高校時代から誘拐に関する本を読んでいたとも言われており、埼玉少女誘拐事件は、衝動的な事件ではないことがわかります。寺内樺風の長年の欲求を叶える、計画的な念願の行動だったわけです。
そんな恐ろしい寺内樺風ですが、誘拐について、深く調べていたため、自身の憧れとなる事件がありました。それが、クリーブランド監禁事件です。
クリーブランド監禁事件とは
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クリーブランド監禁事件とは、2013年に、アメリカのクリーブランドで発覚した誘拐事件のことです。女性3人が行方不明になりますが、最終的には、監禁されていた家から約10年ぶりに救出されました。
容疑者として逮捕された男は、被害者である少女の近隣にある学校のスクールバスを運転する男性でした。
また、恐ろしい事実が、容疑者である男性と被害者に肉体関係があったということです。実際には、容疑者は、被害者を合計5回妊娠させています。ですが、腹部などを蹴り、死産させたと言います。
また、事件が発覚した時には、1人の子供も一緒でした。
この子供は、DNA鑑定により、被害者と容疑者と間に妊娠した子であることが確認されており、被害者が監禁中に出産したのだと言われています。事件が発覚したときは、6歳の幼い子供でした。
この事件は、後に映画化もされています。
寺内樺風が妊娠させた事実は一切なし
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寺内樺風が斎藤杏花さんを妊娠させたかどうかについては、斎藤杏花さんも「そういった事実はなかった」と証言しているため、斎藤杏花妊娠疑惑は事実無根の嘘だったと言えるでしょう。
ただ、寺内樺風がクリーブランド監禁事件に憧れていただけだったということです。
とはいえ、2年間の監禁の監禁があったぐらいなので、正直、斎藤杏花さんが洗脳されていた可能性はあります。実際に、寺内樺風は、アサガオの種から採取した麻薬のような作用を持つ成分を飲ませていたと言います。
もしかしたら、レイプなどの行為はあったのかもしれません。
洗脳の一環として、19、20日ごろ、アサガオの種から合成麻薬LSDに似た作用がある成分を抽出してドラッグを作り、少女の食事に混ぜて体調不良にさせたようです。
被害者斎藤杏花まとめ【埼玉県少女誘拐事件】
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被害者である斎藤杏花さんですが、事件当時は、洗脳されていたため、この事件の全貌同様、謎が多いです。
寺内樺風が、斎藤杏花さんを洗脳するのには、さまざまな手法が用いられました。
「おまえは家族に見捨てられた存在だ」と連呼する
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斎藤杏花さんは、誘拐当時、寺内樺風に「君のお父さんとお母さんが離婚することになった。お父さんもお母さんも、君はいらないと言っている。」と言われ、車に乗り込んだと言います。
さらに、監禁中、「おまえは父親に捨てられた」「借金のかたに売られた」「俺がおまえを買ったから一緒に暮らそう」と言われてたそうです。
後に、専門家は、寺内樺風は、斎藤杏花さんに心理的にダメージを与えていたと判断しています。
アサガオの種から抽出した麻薬成分を飲ませる
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また、洗脳の一環として、アサガオの種から抽出した麻薬成分を、斎藤杏花さんに飲ませていたと言います。
寺内樺風は、精神状態や心理を虚ろなものにし、混乱させることを楽しんでいたみたいです。
ただ、このアサガオの種のよる麻薬成分は、斎藤杏花さんの体調不良を引き起こしたらしく、飲ませたのは1回のみだったと言われています。
寺内樺風は、裁判で、「女子中学生か女子高校生を社会から隔離させることで、その女子中学生(女子高校生)にどういった変化がおこるのかを見たかった」と言っているので、斎藤杏花さんに危害を加えることはなかったのでしょう。
帰宅した斎藤杏花さんは
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寺内樺風は、千葉大学生のため、非常に頭が良かったと考えられます。持ち前の知識や頭のキレを利用して、このように、さまざまな方法で、斎藤杏花さんを洗脳していたのでしょう。
実際に、斎藤杏花さんは、監禁中にひとりで出かけてスーパーマーケットに行っていたともされています。
斎藤杏花さんが、寺内樺風のもとから逃げなかったのは、洗脳されている証拠です。
そんな中、寺内樺風から使用が許可されたインターネットで、自分が誘拐されたことがニュースになっていることを知ります。両親が自分を探していることを知り、「ご両親の離婚が嘘だったこと」「今、自宅に帰っても、自分の居場所はあること」がわかって、すぐに両親に電話をかけます。
繋がった電話で安心した両親は、今すぐその電話でそのまま110番通報するように言い、その後、無事帰宅できたと言います。
帰宅後は、特におかしかった様子はなく、外傷も負っていなかったため、両親は非常に安心したみたいです。
斎藤杏花の現在まとめ【埼玉県少女誘拐事件】
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斎藤杏花の今現在についてですが、正確な情報は何もわかっていません。もとより一般人ですから、現在の詳細プロフィールまでは公開されていないのでしょう。
事件が起きたのが、2014年ですから、今現在の斎藤杏花さんはおそらく、今、未成年です。今後も、斎藤杏花さんの身も考えて、メディアへの露出などを全て断っているのでしょう。
しかし、事件当時通っていた朝霞第三中学校は、無事卒業したと言います。
朝霞第三中学校の卒業証書
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斎藤杏花さんが無事に保護されたのが、中学校3年生の3月27日です。もう数日後には、高校に入学してしまう日付です。
このため、斎藤杏花さんが朝霞第三中学校に通えたのは、中学1年生のたった1年間だけです。さらにこの2年間は完全に欠席していたため、あまり朝霞第三中学校の記憶はないでしょう。
母親の話だと、斎藤杏花さんは、「朝霞第三中学校の卒業証書を受け取っていいのか」、ずっと悩んでいたみたいです。数日前まで、寺内樺風と二人で生活しており、地元の環境は2年ぶりでした。悩むのも当然でしょう。
しかし、斎藤杏花さんは、結果、朝霞市立朝霞第三中学校を無事卒業します。
もちろん、斎藤杏花さんが3月27日に帰宅したこともあり、朝霞第三中学校の同級生たちの卒業式は終わってしまっていました。一緒に卒業式に出ることはできませんでしたが、無事に朝霞第三中学校の卒業証書を受け取ることができました。
当時の朝霞第三中学校の校長先生は、3月31日まで斎藤杏花さんを待つとして、卒業証書をしっかりと保管していました。後に、「ギリギリの日まで信じていてよかった」と語っています。
高校に関しては、一切情報がないため、何もわかっていません。ですが、帰宅したのが、3月27日ですので、5日後に高校に入学しなくてはならないことになります。
そんな直前に対応してくれる高校があるとは考えにくいため、高校には行っていない、または、定時制の高校などに通ったのではないか、などを噂されています。
斎藤杏花と寺内樺風【埼玉県少女誘拐事件】
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今回の記事では、埼玉県少女誘拐事件についてご紹介してきました。
寺内樺風はあまりに奇妙で、恐ろしかったため、メディアでは、その特異性が面白く書かれていましたが、被害者である斎藤杏花さん、また、そのご両親にとっては、今でも忌まわしい事件です。
今現在、寺内樺風は、懲役12年を言い渡されていますが、斎藤杏花のご両親にとっては、短すぎる時間でしょう。大事な娘さんの多感な中学生の時期を奪われて、怒りがおさまるわけがありません。
また、寺内樺風は、裁判中などもふざけた発言が多く、常識ある人間だとは思えません。
今は、斎藤杏花さんやご両親をはじめとする関係者の皆様が、今後幸せな暮らしを送れるよう、また、こんな奇怪な事件に巻き込まれることが絶対にないよう、願うばかりです。