小松博文の現在!茨城妻子6人殺人事件で家族皆殺しにした理由は?

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小松博文とは?【茨城妻子6人殺人事件】

引用: Pixabay

最近、自分の家族を殺害する事件が以前に比べて増えているような気がします。

親が子供を殺してみたり、子供が親を殺してみたりと、同じ屋根の下に住んでいながら、他人よりも長い時間を一緒に過ごしてきたのに、自分の家族を殺めてしまうという事件は、心苦しく感じます。

今回紹介する、この茨城妻子6人殺人事件も同じように自分の家族を殺害したという事件です。それも証拠隠滅のためか、自宅を放火してまでしているのです。

突発的だったのか、それとも計画的だったのか、この事件の犯人である小松博文について茨木妻子6人殺人事件を起こした真相を紐解いていきましょう。

では、犯人の小松博文とはどのような人物だったのでしょうか。この茨城妻子6人殺人事件は2017年10月6日の早朝に起こります。殺害された妻のインスタグラムを見てみると、小松博文の写真も投稿されています。

また、テレビ報道でも大きく取り上げられていたので、見た目的にどのような感じの人物であったかをご存知でしょう。そうです。太っていて、イカツイ感じのする30代の男です。

この小松博文について、生い立ちを追っていきたいと思います。

 

生い立ち


引用: Pixabay

小松博文の幼少期については2説あります。一つは、親と死別して幼少の頃から施設へ入っていたという説。

そしてもう一つは、父親からは、とても甘やかされて育ち、高校時代も遊び惚けて学校にもろくに行かずに最後には退学してしまうという、無責任な学生時代を送っていたという説。

一緒に住んでいた母親はというと、そのような小松博文の行動に嫌気がさし、半分諦めていたのかもしれませんが、父親とは反対に小松博文に冷たくあしらう母親であったそうで、小松博文にとっては、なるべく関わりたくはない人物であったのではないでしょうか。

その父親は20歳になる前に死んでしまいます。それからというもの、母親や兄弟とは連絡を取らず、母親が死んだ時に久しぶりに母親の死に顔を見に行ったというエピソードもあります。

このどちらの説であっても、小松博文は、幸せをあまり感じることなく育ったのだと思います。そして、学生時代から何をやるにしても、中途半端で投げ出してしまう性格でした。

胡散臭い仕事をしては、仕事をすぐにやめる。そしてお金がなくなると、パチンコ屋へ行きお金を作るようなことばかりしていました。

そういう性格や行動からか、定職にも就いていなかったので、友達も作ることができずに孤独な毎日を送っていたのです。

 

妻との出会い


引用: Pixabay

小松博文は千葉県八街市に住んでいた頃、八街市に近い茨城県のある街で仕事をしていました。

2009年5月、その仕事でケガをしてしまい病院へ診察に行った時に、待合室で偶然に知り合い、仲良くなって連絡先を交換したのが、後に妻になる恵さんでした。

恵さんは、当時3歳になる長女・夢妃(むうあ)ちゃんがいました。長女は前の夫との間にできた子供でした。恵さんが小松博文と知り合ったこの時は、前の夫と離婚してから3ヶ月位しか経過していない頃だったのです。

小松博文は、毎日のように恵さんに連絡するようになり、しばらく経つと恋心が芽生えていました。恵さんは、茨城県日立市の実家に住んでいました。離婚してすぐということもあり、また幼子がいることもあり、実家の両親に頼んで仕事へ行っていたのです。

実家暮らしということもあり、恵さんは、小松博文とデートをする時には、実家に上がらせることもなく、いつも外でデートを繰り返します。デートを重ねていくうちに、恵さんも小松博文に恋心が芽生えてしまうのです。

小松博文は、自分の両親からの愛情が少なかったからか、恵さんの長女・夢妃ちゃんに対して、とてもかわいがります。自分が好きな恵さんの子供、前の夫との間にできた子供でさえも、恵さんのことが好きだからか、子供をあやしたり、一緒に遊んだりと、子煩悩であったといいます。

小松博文の子煩悩ぶりを見た恵さんは、実家から着の身着のままの状態で家を出て、市内にある県営住宅に部屋を借ります。今まで実家で両親に子供共々、世話になっていたのに、いきなり実家を飛び出して、家を借りるとなるとお金がかかります。

給料もそこまで高くはなかったので、日々の暮らしを質素に、そしてつつましく生活をしていたのです。

 

同居生活

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引用: Pixabay

出会ってから2ヶ月経ったある日、小松博文と恵さん、そして長女の夢妃ちゃんは、茨木県にある阿見のアウトレットモールへ行きます。そして、この日を境に小松博文は、恵さんが新しく借りた家に一緒に住むことになるのです。

小松博文も職を転々としていたので、貯金もあまりありません。でも胡散臭い仕事はしていたようです。その仕事で稼いだお金を使って、県営住宅の家賃である3万円を折半したり、また県営住宅で暮らすために風呂釜やエアコン、そして家財道具も買い、恵さんと幸せな生活を送るために協力するのです。

この県営住宅は、恵さんの実家から車で15分程のところにあったため、引っ越しした直後は恵さんも小松博文も実家に帰ることもありましたが、2人が付き合い始めてから3ヶ月経った時には、すでに同居を始めていました。恵さんは、小松博文の内縁の妻になったのです。

この頃、恵さんが小松博文との結婚に至らなかったのは、恵さんの両親から大反対があったからです。ろくに仕事もせずに、遊び惚けてばかりいる小松博文を見て、恵さんの両親は呆れたのではないでしょうか。

そんな男に娘はやれん!と言ったかどうかはわかりませんが、当然、娘が可愛い両親であれば、これが親心だと思います。

同居を始めたその頃、恵さんのお腹には新しい命が宿ります。小松博文との子供でした。その子が後に生まれる、長男・幸虎(たから)ちゃんでした。恵さんは、生理不順のためピルを服用していました。

しかし、小松博文のことを愛していたこともあり、ピルの服用をやめて、セックスをした結果、子供が出来てしまったということです。

小松博文自身、驚きました。ずっとピルを服用し続けているから、大丈夫だと思ったのでしょう。でも恵さんは計画的でした。

2010年8月に長男・幸虎ちゃんは誕生します。しかし、その1ヶ月後、小松博文は無免許運転で逮捕され、前科もあったために在宅起訴となり、黒羽刑務所へ収監されます。

この間、恵さんは何度も小松博文に会いたいけれども会いにいけない気持ちを伝えたくて毎日手紙を書きます。200通にもおよぶ手紙を小松博文に書くほど、恵さんは小松博文のことが好きだったのです。

逮捕から4ヶ月後に、1ヶ月半の仮釈放で出所した小松博文は、恵さんと幼子2人を養うため、水道工事会社に就職します。しかし、無免許運転で逮捕されていることから、無免許であったため、日給7000円の稼ぎにしかならず、月給に換算しても14万円にしかなりませんでした。

その頃、恵さんは幼子を抱えていましたが、病院の事務の仕事に就きます。正規雇用ではなかったので、満足いく程の給料ではありませんでした。

小松博文とはまだ入籍をしていなかったことから、日立市から母子家庭手当と児童手当をもらっていたので、生活は、小松博文の14万円と、恵さんの給料、そして手当でまかなっていたのです。

なんとか生活をしていたのですが、小松博文が就職をした水道工事会社は自営業で資金繰りに苦労していたのか、給料の滞納が続きます。こんな会社にいても稼ぐことができないと知った小松博文は、次の職を見つけることなく退職してしまうのです。

小松博文の無職の生活は半年続きました。その間、恵さんの給料と手当でなんとか生活をしていました。貧しいながらも幸せな生活。小松博文にとっては幸せを感じることができる日常でした。とても楽しかったに違いありません。

水道工事会社を退職して半年後、今度は建設現場での仕事に就きます。水道工事会社とは違い、日給は1万1000円もありました。この仕事を始めた2ヶ月後に、恵さんのお腹に新な命が宿ります。

小松博文にとっては2人目、そして恵さんにとっては3人目の子供です。恵さんに子供ができてから、恵さんの給料も頼ることができなくなりました。小松博文自身の給料と手当にしか頼ることができなくなり、家賃や携帯電話代の滞納が続きます。そして2012年9月に、次男・龍煌(りゅあ)ちゃんが誕生するのです。

次男誕生と同時期に、日立市から恵さんが小松博文と同居していることがバレてしまいます。それにより、2ヶ月に1度振り込まれる20万円もの手当を受けることができなくなりました。

それにより、今までも貧しい生活が続いていましたが、もっとお金で悩むようになり、小松博文と恵さんはケンカが絶えなかったのです。

 

結婚

引用: Pixabay

でも、まだこの時には、この2人に愛情がありました。

そして小松博文にとっても子供が可愛かったのでしょう。まだ恵さんとの関係は破綻していませんでした。だからこそなのですが、この2人にまた子供ができます。それも2人。双子ちゃんです。

双子の妊娠がわかってから、小松博文は5人の子供と恵さんを支えなければならないと、以前にも増して働き始めます。建設現場での仕事は変わらず、早朝の新聞配達の仕事も行うようになりました。

その結果、月に30万円の給料を得ることができたのです。小松博文は、人並みに稼ぐことにより、ようやくお金の悩みから脱却できるだろうと思っていたのではないでしょうか。そして、この頃、ようやく恵さんの両親から結婚の許しがでます。

確かに、すでに4人の子供を産んでいます。親権などの問題もあるでしょう。恵さんの両親は、小松博文に婿として入ることを条件に結婚を許すのです。

そして2人は晴れて結婚しました。特に結婚式などはなく、日々の生活をただ淡々と過ごしていました。

2015年になると、小松博文は建設現場の仕事や新聞配達の仕事を辞めて、東日本大震災で被害のあった福島県の原発へ出稼ぎに行っています。

東日本大震災の直後は、放射能の危険から、マージンを抜かれてもかなりの収入となっていたそうですが、すでに東日本大震災から5年経過していたため、汚染地域であっても2時間1万5000円の日給でした。

この原発への出稼ぎは半年間続きます。

半年間の出稼ぎから戻ってくると、茨城県ひたちなか市にある運送会社で新しい仕事に就くことになりました。この頃、恵さんも双子という幼子はいましたが、生活するために働きに出ていました。

そのため、小松博文と恵さんの給料で、なんとか子供5人を育てられる生活を送っていたのです。

そして、小松博文は運送会社で働く以外にも副収入を得ていました。自動車の転売の仕事をしていたのです。それらの収入を生活費につぎ込んでいたのだと思います。

以前、無免許で逮捕されていましたが、運送会社で働き始めたこの頃には、再度運転免許を取得していました。運送会社で働き始めて半年たったある日、会社からトレーラーへの乗車を打診されます。

トレーラーに乗るための大型・牽引免許取得費用は会社が出してくれるようでした。小松博文は今まで会社から良い扱いをされたことがなく、舞い上がります。そして、トレーラーに乗りたいとも思うようになります。

しかし、意気揚々と働いていたと思われていた小松博文は、いきなりこの運送会社に行かなくなるのです。会社に何も言わず、欠勤を繰り返します。

なぜ小松博文は会社に行かなくなったのかというと、大型免許を取得するためには、普通免許を取得してから3年経たないと取得できない条件があり、その条件に自分が足りていなかったからでした。

運送会社に入社する時、または、トレーラーへの乗車を打診された時に、普通免許を取得してからまだ3年経っていないから、まだできませんと断れば良かったのに、この言葉を言い出すことができなかったのです。

大の大人がたったこれだけのことを言えずに、逃げてしまう…これが小松博文の悪いところでした。学生時代の頃から、嫌なことがあると逃げて、面倒なことがあると逃げて、疲れたことがあると逃げるという無責任な性格の賜物だといえます。

そして、小松博文が運送会社を辞めたその頃、恵さんの仕事も契約満了となり、仕事を失ってしまうのでした。

 

茨城妻子6人殺人事件の概要

引用: Pixabay

小松博文について、少しはその人物像が理解できたかと思います。

この小松博文が起こした茨城妻子6人殺人事件について説明しましょう。この茨城妻子6人殺人事件は、2017年10月6日の早朝に起こります。

 

茨城妻子6人殺人事件の悲劇。

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小松博文はこの殺人事件で使う包丁を事件を起こす前日に用意をしていました。それは、犯行動機ともなる、ある事件が起きてしまったからです。

妻である恵さんと話し合った結果、恵さんも子供たちも、幸せな生活を送れると思ったのにもかかわらず、ある事実を知ってしまった。それを許すことができなかったからではないでしょうか。

この茨城妻子6人殺人事件は、2017年10月6日の早朝に起きますが、小松博文は前日の夜から考えていました。

5日の夜、お風呂からあがった恵さんは、寝るために子供たちが寝ている寝室へ行き、床につきます。小松博文は、その日は寝ることもできずに、寝室の隣のリビングに布団を敷き、テレビはつけっぱなしのまま、明かりを消し、布団に寝っ転がりながらずっと考えていました。

自分がいなくなれば良いのか、それとも、これからどうすればよいのか…。

頭の中が堂々巡りになって、わけがわからなくなっていた頃、テレビを見ると、朝のニュースとが始まっていました。ふと時計を見ると、朝の4時39分でした。頭の中では、全く整理がついていなかったのですが、もうそろそろすると、長男が起きてきてしまう。時間がない、まずいと思った小松博文は、前の日に買った包丁を手にします。

そして、包丁と一緒に前日に買ったガソリンを家中に巻きました。どうしよう。気が動転しています。身体も震えていました。

引用: Pixabay

小松博文は包丁を手にして、無我夢中になって妻の恵さんを布団の上から、一突きします。いきなり刺されてびっくりした恵さんは、長女の名前を呼ぶのです。恵さんの行動に慌てた小松博文は、恵さんに何度も包丁で刺しました。そして、隣に寝ていた子供たちも、一突き、一突きと無我夢中になって刺してしまうのです。

恵さんを刺してから、小松博文は慌てたように、火を付けます。自分がやっていることが、どういうことなのか、頭の中ではよく理解ができていませんでした。ただただ、恵さんと子供たちを包丁で刺し、そして火の渦の中に放置したのです。

小松博文はその後、朝5時5分頃に、近くの日立警察署に自ら出向きます。自分も火傷を負い、そして履いていたズボンを脱ぎすて、パンツ姿で警察署に訪れるのです。警察署に着くと、自白します。「ごめんなさい。ごめんなさい。」泣きながら、警察官に訴えるのです。

自分がしてしまったことをようやく理解できたのでしょう。自分がしてしまったことを果たして悔やんでいたのでしょうか。

小松博文は、妻である恵さんと、子供5人を包丁で刺し、家を放火しましたが、実際にその時に近所にいた人は、ただ火事があっただけであって、その中で殺人が起きているとは思わなかったそうです。そんなおぞましい出来事を誰が想像できるでしょうか。

この事件がテレビなどのメディアで放送された最初の頃は、長女の殺害容疑でした。長女は即死せずに、病院へ運ばれたのちに死亡したからです。

しかし、この火事により、消防から10台の消防自動車により、朝の6時に鎮火します。その後、消防と警察による現場捜査により、恵さんと子供4人の殺害がわかり、またさらに大きくメディアに取り上げられるのです。

恵さんと長女以外の子供4人は即死でした。

 

小松一家の家族構成【茨城妻子6人殺人事件】

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小松博文と、この茨城妻子6人殺人事件で被害者となった6人について家族構成を紹介しましょう。年齢は事件当時のものです。

  • 小松博文(33歳)…茨城妻子6人殺人事件の犯人。学生時代から努力もせず、嫌なことや辛いこと、言いにくいことから逃げる人生を送る。
  • 小松恵(33歳)…小松博文の妻。小松博文と出会い、同居を始め、2人の子供を授かるが、両親から結婚を反対され内縁の妻となる。後に、双子が授かってはじめて結婚。
  • 小松夢妃(むうあ・11歳)…小松博文と小松恵の長女。小松博文との間に産まれた子供ではなく、小松恵の前の夫との間にできた子供。子供たちの中で一番年長であることから、毎日のように弟たちの世話をしていた。
  • 小松幸虎(たから・7歳)…小松博文と小松恵の長男。小松博文との間に産まれた子供。
  • 小松龍煌(りゅあ・5歳)…小松博文と小松恵の次男。小松博文との間に産まれた子供。
  • 小松頼瑠(らいる・3歳)…小松博文と小松恵の三男。小松博文との間に産まれた子供。双子の兄。
  • 小松澪瑠(れいる・3歳)…小松博文と小松恵の四男。小松博文との間に産まれた子供。双子の弟。

小松博文について、良い点を強いてあげるのであれば、子煩悩だったということがいえるでしょう。子供が大好きで、子供と一緒に遊ぶのが好きでした。よく県営住宅の前で遊んでいるのを見かられています。

そして、恵さんの前の夫の子供である長女・夢妃ちゃんについても、自分の血は入っていませんが、他の子供と同様に分け隔てなく接していたようです。

 

小松博文の犯行動機【茨城妻子6人殺人事件】

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では、なぜ、この茨城妻子6人殺人事件において、犯行に及んでしまったのか、真相に迫りたいと思います。

実は、恵さんと他の子供は、それぞれ犯行動機が異なっていました。子供への殺害は、恵さんの殺害があってこそ行ったものなのですが、その実態はいかに。

 

犯行動機①恵さんの浮気

引用: Pixabay

運送会社を辞めた小松博文は職を探すことなく、遊び惚けます。

最初は妻の恵さんも子育てに追われ、職がなかったため、2人でパチンコ屋に行き、当たれば5万円、10万円と稼いで帰ってきては、それを生活に充てるというものでした。

しかし、そんな生活の中でも小松博文は自分の趣味である車の購入と改造のためにお金を使ったりと、自分本位で自由気ままな生活を送っていたのです。

2016年になり、恵さんはようやく職が見つかります。病院の事務の仕事でした。子供を5人も抱え、そして仕事をしないでぐうたらな夫と一緒の生活。妻の恵さんが働かなくては家計が動きませんでした。

恵さんは昼間に病院の事務の仕事しながら、夜は近所のスナックで働き始めるのです。最初は、スナックの営業が終わってからすぐに帰ってきていました。家計を助けるために、必死になって働きます。

恵さんは努力の人だったのです。子供を育てるためには、自分が働かなくてはと思っていたのでしょう。

いくら体調が悪くても、昼夜問わず働きました。しかし、ある時からスナックで働いていた恵さんの帰りが遅くなるのです。

恵さんがスナックに働き始めてから、小松博文は申し訳なかったのか、子供の世話をしたり、恵さんの帰りを遅くまで待っていました。最初は深夜1時頃の帰宅であったのが、2時、3時、4時と、帰宅時間が徐々に遅くなるのです。

恵さんのことを不審に思った小松博文は、スナックが終わる時間にスナックへ向かいました。しかし、スナックには、恵さんの車がありません。深夜4時頃までスナックで働いていると思ったのに、そのスナックにはいなかったのです。

その頃、恵さんは、小松博文が職を探さないこと、働こうと思わないこと、そしてパチンコや趣味で家計のためにと働いたお金を使うことが嫌でたまりませんでした。友達にも、どうしたものかと相談したり、もう別れたい、離婚したいともいうようになります。

そして、スナックで知り合った建設会社の男性と恋に落ちてしまうのです。小松博文も恵さんから尻を叩かれ、自動車修理工場へ見習いとして働き始めた頃でした。恵さんは、スナックで働いた後、この建設会社の男性の家にいくなど浮気をしていたのです。

恵さんは、この男性に小松博文のことを相談していたそうです。浮気相手に夫のことを相談したら、別れて一緒になろうというのが常だとは思いますが、この男性と浮気をしていくうちに、小松博文と離婚することを決断するのです。

小松博文は、スナックを早くに出たのに、帰ってこない恵さんに不信感を抱いていました。そして、恵さんがスナックへ行くと持ち帰ってくる日用品が浮気相手である男性からもらったものであることを、小松博文へ話すこともなかったので、この日用品についても不信感をあおっていたのです。

小松博文は、恵さんのことを怪しみました。恵さんに、なんで帰りが遅いのか、そして持ち帰ってくる日用品は何なのかを問いただしたかったのです。しかし、小松博文は恵さんに仕事もろくにせずに迷惑をかけていたことから、それを聞くこともできなかったのです。

9月30日の土曜日に、長女と長男の小学校の運動会でした。小松博文と恵さん、そして子供たちの住む県営住宅から恵さんの実家が近いことから、恵さんの両親も運動会を見に行きます。

小松博文は、他のお父さんと同じように、運動会では子供たちにビデオを回し、目を細めて子供たちへ声援を送るのです。

運動会が終わり、車に戻ると恵さんの携帯が鳴ります。ラインが来ているようでした。小松博文は、恵さんの携帯を覗いてしまいます。ラインの相手はスナックのお客さんからだとわかりました。でも、その内容はスナックの単なるお客さんではなく、様子が違うのです。

ラインの内容を見ると、お客さんとの会話ではなく、恋人同士の会話でした。その相手は、浮気相手の建設会社の男性だったのです。運動会で家族のために作ったお弁当の写真もラインで送っていました。

自分たち家族だけのものだと思っていたのに、家族団らんのお弁当までもが、浮気相手にも共有されていたのです。

この日、小松博文は、恵さんに問いただします。このラインの相手は誰なのか。浮気をしているのかと。恵さんは、別れたい。離婚したいと小松博文に訴えるのです。

そこで、小松博文は考えます。自分の身体に刺青があるので、浮気相手に会って、浮気相手の前でこの刺青を見せれば、ビビッて逃げていくだろうと。

運動会があった日から数日後の10月2日に、小松博文は恵さんの浮気相手である男性と会うのです。そして、もし何かあったときのために証拠になるだろうと、ICレコーダーを忍ばせるのです。

小松博文は、その男性と会います。その男性と会った時に、ふと、この男性は暴力団関係者ではないかと思ってしまうのです。この男性の口からは、自分が暴力団関係者だとは言っていません。

ただ、この男性の言動から、小松博文は察したのでしょう。最初は、自分の刺青を見せればビビッて、恵さんと別れるだろうと思っていたのですが、暴力団関係者と察してしまった今となっては、何もすることができずに帰ってきてしまうのです。

家に帰り、恵さんと話します。恵さんは、この建設会社の男性とは男女の関係にはなっていないと言います。それを聞いた小松博文は、この男性と別れるのであれば、自分と離婚しても良いと諭すのです。しかし、恵さんの気持ちは変わりませんでした。恵さんの心は、すでに小松博文にはなく、この男性のもとに行っていたのです。

恵さんの気持ちに納得ができないまま、離婚届を出すことを決意します。しかし、小松博文はその時でも恵さんのことが忘れられません。自分が自殺したほうがよいのではないかと思い、犯行の日を迎えるのです。

 

犯行動機②子供たちを自分とは同じ目に合わせたくない

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犯行時に最初に恵さんを包丁で刺します。

この時、小松博文は自分も死のうと思うのです。結果的には、死ぬことなく生きてしまうのですが、もし死んでしまったら、自分たち夫婦がこの世の中にいなくなってしまったら、自分が幼少の頃に味わったように、不幸せな人生を送るのではないかという想いが頭をよぎります。

子供を殺すということは、子煩悩でも何物でもありません。しかしながら、小松博文はそのように思ったことで、子供たち5人を次々に包丁で刺し、殺していくのでした。死んでいった子供たちの中には、火災による一酸化炭素中毒により死んでいった子供もいるそうです。

あまりにも身勝手な考えで殺人を行った小松博文を許すわけにはいかないでしょう。

 

小松博文の逮捕後【茨城妻子6人殺人事件】

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小松博文は逮捕後に収監され、服役中です。

この茨城妻子6人殺人事件から2ヶ月後から約1ヶ月かけて書いたという手記が朝日新聞記者宛に送付されました。それは、便せん87枚にもわたり、事件を起こした背景や、小松博文の生い立ち、そして犯行動機などの詳細を記したものだったといいます。

その手記の中で、5人の子供たちから大変好かれていて、恵さんからもうらやましがられていたことや、恵さんの浮気を知ってから、浮気相手の男性に恵さんだけではなく、5人の子供たちを奪われてしまうと思い、誰にも渡したくないと思ったこと、そして恵さんと子供5人を殺害してしまったことの後悔などが、つらつらと書かれています。

しかし、6人も殺してしまった小松博文について、いくら、恵さんの浮気が原因であったとしても、小松博文の今までの素性を考えてみても、世間からは同情の声もなく、死刑になるのではないかと思われています

 

小松博文の現在【茨城妻子6人殺人事件】

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この茨城妻子6人殺人事件については、まだ全容が明らかになっていません。

そのため、まだ裁判による判決が行われていないのです。死刑になるのか、それとも無期懲役になるのか、もしどちらに転んだとしても、世間として反対するものはいないでしょう。

 

家族の絆はどこへ?【茨城妻子6人殺人事件】

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殺害された恵さんは、なぜ小松博文というクズ人間を選んでしまったのか。

小松博文という人物に出会わなければ、このような殺人事件の被害者になることもなかったのではないかと思うのです。

小松博文は、6人を殺害してから後悔していると嘆いていますが、後悔したからといって、また生きて戻ってくるわけではありません。6人の命の重さは、家族の絆よりも重いのです。

今後、小松博文にどのような判決が下されるのか、期待したいと思います。

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