村崎百郎の死因は?鬼畜ライターの残した最期の予言とは? | ToraTora[トラトラ]

SHO🇯🇵さん(@shomonroe)がシェアした投稿 – 2019年 5月月5日午後7時33分PDT

自称「電波」を受信する体質として数々のゲスな記事、「鬼畜」系ライターとして独自のアングラ文化を築いた作家 村崎百郎。

奇妙、グロテスク、エロ、どの言葉を使っても表し足りない彼のゲスな記事は熱心な読者を獲得していきました。

ライター、漫画原作者、編集者、小説家、翻訳家、多くの肩書きを並べても足りない彼は「鬼畜系」「電波系」といった言葉を生み出すキッカケになりました。

近所のゴミを持ち帰って調べることがライフワークと語り「ゴミ漁り」という言葉を世に出しました。

メディアに出る際も紫色の頭巾を頭からかぶり片目だけをだすスタイルで彼の風貌、来歴は全くの謎になっていました。

ですが2010年に狂信的なファンにより自宅にて刺殺されてしまいます。没後、本名が「黒田一郎」だったことが分かりなんと女性漫画家森園みるくさんと結婚もしていました。

今でも多くの人を惹きつけてやまない村崎百郎はどんな人物だったのか、また後世に何を残していったのか調べてみたいと思います。

鬼畜系ブームとは

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引用: Pixabay

1990年代に死体写真やフリークス写真、エロといった変態さえも軽い文章を載せてタブーとされるものを逆に軽いポップなものとして捉えようという流れ、ブームです。

当時は特集する週刊誌やそれを主体として雑誌が創刊されていました。

怖いもの見たさも相まって若者の間でブームを巻き起こしました。

これらは単に気持ち悪いものを寄せ集めしていたわけではなく、当時の執筆者達はこういった行為ジャンルも元は同じ人間の行いであり、それを禁止、タブーとするのは自己否定ではないか、これらを認めることが人間を肯定し正直な姿勢ではないかといった主張も存在します。

村崎百郎の経歴

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引用: Pixabay

村崎百郎こと黒田一郎は1961年に北海道で生まれました。

小学生の時に田舎に引っ越しますがそこでイジメを経験します。

彼はこの体験を機に、具体的には海で溺れ欠けた際に宇宙の始まりを目撃し、その神秘体験により鬼畜活動に邁進する使命を帯びたと語りました。

宇宙の始まりとは何だったのかそれがなぜ鬼畜活動と結びつくのかは第三者には理解するのが難しいですね。

こういった体験談を残していることから分かるように村崎百郎は独特の感覚センスを持っており、それは確かな理由に裏付けられていたからこそ新たなブームを牽引したのでしょう。

明治大学文学部を卒業後、製粉工場に勤務する傍ら出版社のペヨトル工房に勤務し雑誌の編集を行いました。

他にも同社でウィリアムSバロウズ(代表作 裸のランチ、ブレードランナー等)、フィリップKディック(代表作 高い城の男等)の単行本の翻訳なども手がけていたそうです。

これらの外国人作家はSF小説が世界各国で高い評価を得ており、村崎百郎がこれらの本の翻訳をしたことがあるのは驚きでした。

ペヨトル工房で働いていたのがきっかけで根元敬、青山正明と知り合い後のアングラブームの始まりになります。

根元敬、青山正明は共に作家をしておりアングラブームの火付け役として名前が挙がる人物です。

作家デビュー

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引用: Pixabay

漫画雑誌ガロのとある特集の根元敬によるインタビューで村崎百郎はメディアに初登場します。

漫画雑誌ガロとは1964年から2002年まで青林堂によって刊行されていた漫画雑誌です。

ガロに載せられる漫画は先見性と独自性で他の漫画雑誌と一線を画し、その漫画群はガロ系と評されカルト的な人気を誇りました。

代表的な作品にカムイ伝、ねこぢるうどん、ねじ式など数多くあり今尚熱心な読者を獲得しています。

ここで村崎百郎は自らを工員と名乗り、工員風の似顔絵で紹介されました

その後1994年に33歳の工員としてインタビューを受けゴミ漁りが載り、読者に衝撃を与えました。

深夜の路上にくりだしゴミ袋を物色する、片っ端から開けるわけではなく袋を見れば何が中に入っていたのか当てることができたそうです。

そして日記やノート、写真が入っているゴミを持ち帰りそれらを戦果として集めたそうです、まさに「鬼畜」という言葉が当てはまる趣味ですね。

1990年代後半の世紀末ブームの中でライター活動を本格的に始めました。

1995年の雑誌「ユリイカ」に寄稿した「ゲスメディアとゲス人間/ワイドショーへの提言」と題した原稿がライターデビューだったそうです。

この記事の中で自分のことを「電波」と呼ばれる神や悪魔の声が生まれつき聞こえてくる「電波系」の特異体質であることを打ち明け、感情とのバランスをコントロールして日常生活を送っていると語りました。

当時の読者はどのような気持ちでこの記事を受け止めていたのでしょうか。村崎百郎はかなりの衝撃をもってライターとしてデビューしたのでしょう。

上記のSF小説以外にも幻想小説にも深くのめり込んでおり、自身の電波体質と合わせた電波評論として多くの小説評論を雑誌に寄稿しました。

鬼畜ブームを牽引

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引用: Pixabay

1995年に青山正明率いる鬼畜系ムック本(雑誌と書籍を合わせた刊行物のこと、内容が過激なので現在では出版できない内容だと思います)の「危ない一号」にゴミ漁りルポ「ダスト・ハンティング」「勝手にゴミュニケーション」を寄稿し同紙の看板作家となりました。

その後に青山正明のアドバイスで紫頭巾をかぶったキャラクターを形成し、週刊誌「SPA!」の特集でメディアデビューしました。

この時の記事に大幅な加筆修正を行った単行本「電波系」が太田出版から根元敬との共著で出ています。

ですがこの書籍が後に原因で事件に巻き込まれてしまいます。

1996年には新宿ロフトプラスワンにおいて20世紀末最悪のトークライブ「鬼畜ナイト」を主宰しました。

このイベントは鬼畜系ムック本「危ない一号」の第2巻刊行記念に行われたもので当時の鬼畜系文化人が一堂に参加し、伝説的なトークセッションになったそうです。

この模様は単行本として書籍化し7万部を超えるヒットを飛ばしました。

現在では鬼畜系や電波系といわれるジャンル自体が下火になってしまい、言葉自体を聞くこともほとんどありませが、ほんの20年前までこういったアングラブームがあったのは驚きですね。

また初の単独著作となる「鬼畜のススメ 世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! みんなで楽しいゴミ漁り」をデータハウスから出版しました。

この著作で初めて詳細な経歴を載せています。経歴では1961年生まれ、最終学歴中卒、1980年に上京。凶悪で暴力的な性格が災いし、陰惨な傷害事件をくり返しながら多くの工場や工事現場を転々とする。

1995年より「すかしきった日本の文化を下品のどん底に叩き堕とす」ために「鬼畜系」を名乗り、この世の腐敗に加速をかけるべく「卑怯&卑劣」をモットーに日本一ゲスで下品なライター活動をはじめるとしていました。

実際には大学を卒業していたりと事実を違う事柄を述べているのでキャラクター作りとしてこのような経歴を名乗っていたと思われます。

また自分の死を周りに予言していたりと村崎百郎は本当に電波と呼ばれる何らかの声が聞こえていたのかもしれません。そうすると「村崎百郎」というのは人間「黒田一郎」の中に潜むもう1人の人格といえるかもしれませんね。

この著書「鬼畜のススメ」では鬼畜的生き方の入門書と称して自身が行なっているゴミ漁りのノウハウを詳細に解説しており、集積所から集めてきたゴミを通して人間の精神構造、さらには思想までもが事細かに分析できることを綴っています。

悪趣味ブームを牽引していた他のライターは記事は鬼畜だが自身はまともというスタンスをとっており、自身すらも電波系といい鬼畜記事を執筆していた村崎百郎はその中でも目立つ存在でした。

鬼畜でゲスな記事を書きながらもその行間からは人間の深淵や哲学が見え隠れし、その文体からは汚穢の底から生を実感する村崎流の人間賛歌が伝わってくるとまでも評されました。

当時の鬼畜ブームの中においても村崎百郎が唯一無二の存在だったことが分かります。

村崎百郎の迷著まとめ!

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引用: Pixabay

鬼畜ライターとして様々な名著ならぬ迷著を残して村崎百郎、当時のブームを牽引した代表作を紹介します。

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引用: Pixabay

出版社データハウス内に存在した編集部「東京公司」が編集・製作していた鬼畜系ムック本です。

鬼畜ブーム、悪趣味ブームの原点となった出版物で、1990年代を代表するアンダーグラウンドカルチャー雑誌です。

全4巻まで刊行され、各巻の特集としてはドラッグ、殺人&死体、変態、フリークス、盗聴、快楽などが組まれていました。

ありとあらゆる悪趣味と違法スレスレの危ない情報を網羅する読み物となっており、現在ではこのようなジャンルの本が合法的に出版できるのか分かりません。

そういった事をふまえてもアングラ文化を牽引する代表的な雑誌でした。

どのような層が興味を持って買っていたのでしょうか?若い頃にこのようなジャンルに触れてしまうと性格や考え方に多大な影響を及ぼしそうです。

電波系

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週刊誌において「電波系な人々大研究―巫女の神がかりからウィリアム・バロウズ、犬と会話できる異能者まで」と特集が組まれ、インタビュー記事が載せられました。

これに大幅な加筆修正、書き下ろしを加えて自身の電波体質、また電波とは一体何なのかを考察的に解説した本が「電波系」と題して出版されました。

社会派くんがゆく!

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村崎百郎にとって後期の活動になる作品です。

評論家の唐沢俊一との時事対談形式で雑誌上で連載を行いました。連載は掲載紙を変えながらも全102回を数え、7巻に渡る単行本が刊行されました。

ですが時代の影響か全盛期のような鬼畜、悪趣味は鳴りを潜めゲスな口調を除けば終始論理的な考察が展開されるなどどちらかといえばまともな人物として発言しています。

村崎百郎の本

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村崎百郎が亡くなった後に根本敬や小説家京極夏彦その他多くの関係者の証言や本人の残した文章を綴った一冊です。

没後に謎が多く実体が掴みにくかった村崎百郎が多面的に語られてる貴重な一冊です。

村崎百郎が残してきたものが230項に渡り収録されています。

村崎百郎の死因は?

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村崎百郎は2010年の7月23日の午後5時ごろに自宅にて、読者を名乗る32歳の男性に包丁で身体中計48ヶ所滅多刺しにされ殺害されました。

犯人はその後自ら通報し逮捕されたということです。

ですが容疑者は精神病にかかっており、精神鑑定の結果統合失調症と診断され、不起訴で終わっています。

電波系を自称していた村崎百郎が精神病を患っていた読者に殺害という形で殺されてしまったのは衝撃的です。

その後の調査により犯人は村崎百郎の著書「電波系」を読み、当初は共同執筆者である根元敬を殺害する予定でしたが不在だっため、標的を村崎百郎に変え殺害を実行したそうです。

村崎百郎が最期に残した予言が話題に?

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読者によって殺されてしまった村崎百郎ですが、周りの人の証言では本人は自分が殺される事を周囲に伝えていたといいます。

事件の一週間前から村崎は「もう俺殺されるから。きちがいに。電話も盗聴されてるから」「俺はこの部屋でキチガイに包丁で殺される、ごめん」と妻である森園や周囲の人間に語っていたり、興味の無かった生命保険に直前に加入していたことが分かりました。

村崎百郎が電波という不思議な声を聞くことができたというのはあながち間違えではないのかもしれません。

事件直前に使っていたパソコンには遺書なのかは分かりませんが、

ミズの中からさざ波を立てて移動しながら浮かび上がる十字架のイエス像」といった言葉が残されていたそうです。

現在でもこの言葉の意味は不明ですが、偶然にタイプされたものなのでしょうか?もしくはハッキリと意味を含んだ言葉なのでしょうか。今となっては村崎百郎自身にしか分かりません。

死後に起きた不思議な現象

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引用: Pixabay

村崎百郎が亡くなった後、残された奥さんは不可解な心霊現象を体験したといいます。

自宅で毎日のようにラップ音が鳴ったり、睡眠中に人の声が聞こえてきたとも語っています。7回忌に当たる2016年には生前使っていたパソコンを供養のため開いたら目のような模様が浮かび上がったそうです。

村崎百郎の奥さん森園みるくさんはこの体験を元に「私の夫はある日突然殺された」を執筆しています。

鬼畜ライター村崎百郎。

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引用: Pixabay

1990年代のアングラブームを牽引した村崎百郎、自称「電波系」と称する彼の経歴は死を予言していたりとあながち嘘ではなかったのかも知れません。

現在では鬼畜系や悪趣味といったジャンルはめっきり聞かなくなってしまいましたが、その理由のひとつにSNSが発達したり、実際に起きる事件の方が凄惨さを極めていたりと現実が想像を超えてしまってブームは減衰していったとも言われています。

90年代当時の出版物も殆どが廃刊になっており、現在ではほぼ入手不可能です。

また現在では様々な事情でこのような過激な出版はできず、当時だから存在できたといえるのではないでしょうか。

調査していく中で本の数十年前にこのようなブームがあったことに驚きました。