梅田耕太郎はなぜ犠牲になったのか。のぞみ265号新幹線殺傷事件まとめ!

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のぞみ265号新幹線殺傷事件とは?

のぞみ265号新幹線殺傷事件とは、2018年6月9日21時45分過ぎに、犯人である小島一朗が、新横浜~小田原間走行中に東京発新大阪行きの12号車内で、凶器の鉈(なた)を使用し、乗客1名を殺害、2名に軽傷を負わせた事件のことを指します。

この、のぞみ265号新幹線殺傷事件の被害者の中で殺害された人物は梅田耕太郎さんと言います。彼は当時38歳で東大卒の会社員でした。死因は失血死であると言われています。

当時世間でこのニュースは連日報じられ、facebookやtwitterなどSNS上でも話題になりました。

今回の記事では、のぞみ265号新幹線殺傷事件の概要はもちろんのこと、また、犯人の小島一朗についてもさることながら、被害者の中で唯一殺害されてしまった東大卒の会社員、梅田耕太郎さんの勇敢な行動や経歴についてもフォーカスを当てつつ、この事件のご紹介をしていきます。

それでは、本編をどうぞご覧ください。

 

のぞみ265号新幹線殺傷事件の概要

引用: Pixabay

ここではのぞみ265号新幹線殺傷事件の概要についてできる限り詳細にお伝えしていきます。

 

のぞみ265号新幹線殺傷事件【1】事件発生前


引用: Pixabay

2018年6月9日21時42分、定刻通りに、のぞみ265号は新横浜駅を出発し、次の到着駅である小田原を目指して走っていました。

ちなみに、こののぞみ265号について少しご説明をしておくと、東京発新大阪行きの新幹線で、車両は全部で16両という構成です。1号車が進行方向で、それに続く形で連結されています。この日は21時23分に東京を出発し、23時45分に終点の新大阪へ到着する予定でした。

こののぞみ265号の12号車に犯人である小島一朗、失血死という死因により被害者となってしまう東大卒の会社員、梅田耕太郎さん、2名の女性を含め他にも乗客が乗車していました。

そして、新横浜駅を出発して3分後に、犯人である小島一朗による凶行が行われることになります。

 

のぞみ265号新幹線殺傷事件【2】犯人の凶行開始


引用: Pixabay

新横浜駅を出発して3分後の21時45分に、いきなり犯人である小島一朗がスッと立ち上がり、小島一朗の右隣に座っていた27歳の女性を凶器の鉈で切りつけるという凶行に出ます。

この時、小島一朗は無言で鉈を振り下ろしていたと言いますから、異様な雰囲気だったに違いないと共に、まともな精神状態ではないことが伺い取れます。

そしてこの事件に関しては同乗者などによりfacebookやtwitterなどSNS上にも投稿されています。

そこから、小島一朗は無差別殺人行為を開始しようとします。

 

のぞみ265号新幹線殺傷事件【3】梅田耕太郎さんの勇敢な行動

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しかし、狂人と化した小島一朗の前に勇敢な一人の男性が立ちはだかります。

その方こそ、失血死という死因により後に命を落とすこととなってしまう梅田耕太郎さんでした。梅田耕太郎さんは38歳の尼崎在住の東大卒の会社員でした。

小島一朗の狂気とも取れる行動に怯える多くの人の中で、立ち向かったのは梅田耕太郎さんただ一人でした。そこで、小島一朗と梅田耕太郎さんは揉み合いになります。

揉み合いの末、梅田耕太郎さんは一瞬転倒してしまいます。その隙に通路を挟んで左隣にいた26歳の女性に再び凶器の鉈を振り下ろします。こちらの女性が第2の被害者です。

それでも、梅田耕太郎さんは小島一朗に再度立ちはだかり、鉈で切りつけられた女性2名を後ろに逃がし、懸命にその無差別殺人行為を制止しようと尽力します。

 

のぞみ265号新幹線殺傷事件【4】梅田耕太郎さん殺害

いきり立った小島一朗を抑えようとした梅田耕太郎さんでしたが、相手は鉈を持っていますので、歯が立ちません。

ちなみにですが、ある武道の達人に弟子が「凶器を持った相手と対峙するにはどうすればよいですか。」と問うたところ、達人は「速やかに逃げなさい」と伝えたそうです。

それぐらい、武器を持った相手と、丸腰の相手が対峙するのは難しいことで、体格差や武術経験がいくらあっても不可能に近いのです。

ましてや、相手が持っているのは長尺の鉈、しかも梅田耕太郎さんは体格は良かったと聞きますが、普通の東大卒の会社員です。勝てるはずがありません。

結果、小島一朗は梅田耕太郎さんに馬乗りになり、執拗に何度も鉈を振り下ろし、殺害することになります。死因は失血死でした。

ここで、死因の失血死について少しだけご紹介すると、失血死とは刺殺による殺人事件による死因のほとんどを占めます。要は生命を維持するために必要な血液が失われることによるショック死のことを指す死因です。

 

のぞみ265号新幹線殺傷事件【5】事件の鎮静化と収束

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引用: Pixabay

乗客からの通報を聞きつけた乗務員が12号車に到着した際にはあたり一面血の海だったと言います。この様子から梅田耕太郎さんの死因が失血死であることも納得できます。

そして乗務員到着後もまだ、小島一朗は東大卒の会社員梅田耕太郎さんに馬乗りになり、執拗に何度も鉈を振り下ろしていたと言います。失血死という死因により死んでしまうのも自明の理であると思われます。

もはや、普通の精神状態ではないでしょう。乗務員は外したシートの座面やキャリーバッグを盾として使い、小島一朗の説得に当たります。

その後、のぞみ265号は緊急停止ボタンが押下されたことにより、綾瀬市にて緊急停止。22時3分に小田原駅に緊急停車することになりました。

小島一朗は小田原駅に通報を聞き待ち構えていた警官たちにより、確保、殺人未遂の容疑で緊急逮捕されました。その後、梅田耕太郎さんを含む3人の被害者は小田原市の病院へと搬送されました。

この時、小島一朗の逮捕の様子がfacebookやtwitterなどSNS上に投稿されました。

しかし、梅田耕太郎さんが身を挺して助けた2人の女性は軽傷で済みましたが、梅田耕太郎さん本人は、新幹線内に救急隊員が到着した際に、既に心肺停止状態となっており、その後病院にて梅田耕太郎さんの死亡が確認されました。死因は失血死でした。

以上がのぞみ265号新幹線殺傷事件の概要です。

 

小島一朗の犯行動機&内容は?【のぞみ265号新幹線殺傷事件】

のぞみ265号新幹線殺傷事件の概要はご理解いただけましたでしょうか。次は、のぞみ265号新幹線殺傷事件の犯人である小島一朗の犯行動機と、その内容についてまとめていきます。

まず、のぞみ265号新幹線殺傷事件の犯人である小島一朗とはいったいどのような人物だったのかその点について簡単にご説明します。

小島一朗は中学時代にその特異な行動、言動からいじめを受け不登校になってしまいます。その後、父親と進路を巡り対立し、ことあるごとに、もめ事を起こしていたようです。寝室に金づちと包丁を持ってきたこともあるようで、この頃から人を殺めることに対してのハードルが低いことが見て取れます。

その後、自立支援学校に通い卒業します。それから程なくして、祖母と叔父の家に引き取られることになったようです。その際トラックによる配送の仕事をしていたようですが、「こんな仕事は自分の仕事ではない」と言って1週間でやめてしまうなど、忍耐力もなくわがままな性格で成長します。

それから、「旅に出る」と言って家出をし、所在が分からなくなります。そんな中小島一朗が起こしたのが今回ののぞみ265号新幹線殺傷事件です。ちなみにですがfacebookやtwitterなどSNSはやっていなかったようです。

ではそののぞみ265号新幹線殺傷事件の犯行動機はいったい何だったのでしょうか?逮捕当初本人の口からは「ムシャクシャしてやった。誰でもよかった。」との随分身勝手な言葉が発せられたようです。

これだけを見ると、動機の無い無差別殺人かと思いますが、その後の警察の捜査で、新たな供述がされます。「自分で考えて生きるのが面倒くさかった。他人が決めたルール内で生きる方が楽だと思い、無期懲役を狙った。」という旨の供述です。これは当時facebookやtwitterなどSNS上で非常に叩かれていました。

要は、自分自身で家出をして自由に生きようと思ったけれども、何のあても計画もないため破綻したから、結局人に自分の生き方を決めてもらって自分は生きたいということなのでしょう。

何て忍耐力もなければ、根性もない、何もない人間なのでしょうか。本当に呆れますし、そんなくだらない理由で失血死という死因により亡くなってしまった梅田耕太郎さんのことを思うと無念で仕方ありません。実際facebookやtwitterなどSNS上にも同様の意見が多数あります。

さらに、新横浜~小田原駅の間で犯行に及んだ理由についても、小島一朗は供述しており、「途中停車駅が少なく、誰にも邪魔されずに目的が達成できると思ったから」と説明しているようです。こちらも当然facebookやtwitterなどSNS上で叩かれることとなりました。

なかなか、どうしてそういった下らない知恵はあるようです。しかし、そんな小島一朗の思惑通りにはいかず、梅田耕太郎さんという一人の勇敢な人間によって、その凶行が失血死という死因によりお亡くなりになった梅田耕太郎さんの命と引き換えにはなってしまったもののかなり食い止められたのです。

その一点においてのみまだ、のぞみ265号新幹線殺傷事件の救いと言えるのではないでしょうか。

 

小島一朗の逮捕後まとめ!【のぞみ265号新幹線殺傷事件】

引用: Pixabay

のぞみ265号新幹線殺傷事件の犯人である小島一朗の犯行動機についてはご理解いただけたでしょうか。次は小島一朗の逮捕後についてまとめていきます。

小島一朗はのぞみ265号新幹線殺傷事件発生後、緊急停車した小田原駅にて警官たちによりその身柄を拘束、殺人未遂容疑で現行犯逮捕されるのですが、その後、梅田耕太郎さんの失血死という死因による死亡が確認されたため、罪状を殺人に切り替えられ、送検されることとなりました。

送検後、6月19日に起訴されることとなりましたが、小島一朗が起こしたのぞみ265号新幹線殺傷事件の持つ、無差別性や、小島一朗の供述における不可解な点もあったため、横浜地検小田原支部は同日に、刑事責任能力の有無や、その程度を判断するという名目の下、7月13日から4か月間にわたり、鑑定留置を実施しました。

この鑑定留置に関してはfacebookやtwitterなどSNS上でものすごく非難されていました。

その結果、11月19日に小島一朗に対して刑事責任を問えると判断し、起訴することになりました。ちなみにですが、この鑑定中も職員に「面倒くさい。」などと小島一朗は述べており、職員が「なぜ面倒くさいのか。」と問うと、「自分がそういう風に思っているのだから仕方がない。」などと述べていたそうです。

他にも、2019年に入り、「出所したらまた同様の事件を起こす」などという旨の供述をしたりもしているようです。facebookやtwitterなどSNS上では「キチガイ」などと非難されています。

この発言を見ると、小島一朗は全くのぞみ265号新幹線殺傷事件に対して反省していなさそうです。本当に残念です。

そして、のぞみ265号新幹線殺傷事件にて梅田耕太郎さんが殺害されてから、1年が過ぎましたが、未だに小島一朗に対する初公判は行われていません

恐らく、今年中か、来年には行われると言われているようですが、小島一朗から失血死という死因により亡くなった東大卒の会社員、梅田耕太郎さんを始めとするご遺族、他の被害者に対する謝罪は聞けるのでしょうか。

早期の裁判開始がfacebookやtwitterなどSNS上でも多く求められています。

ここまでの情報だけで見てみると、到底そんな風にいくとは思えないのですが、少しでも改心してくれることを望みます。今後の裁判に注目しましょう。

 

梅田耕太郎さんの勇敢な行動が話題!【のぞみ265号新幹線殺傷事件】

ここまではのぞみ265号新幹線殺傷事件の犯人である小島一朗についてフォーカスを当てて見ていきましたが、ここからはのぞみ265号新幹線殺傷事件で惜しくも失血死という死因でその命を落とす結果となってしまった東大卒の会社員、梅田耕太郎さんについてご紹介します。

まずは、失血死という死因によりお亡くなりになった梅田耕太郎さんの、のぞみ265号新幹線殺傷事件における勇敢な行動を見ていきます。この様子は一部facebookやtwitterなどSNS上にも挙げられ、話題になりました。それではご覧ください。

 

梅田耕太郎さんの勇敢な行動【1】初動の速さ

引用: Pixabay

まず、のぞみ265号新幹線殺傷事件における東大卒の会社員、梅田耕太郎さんの勇敢な行動として挙げたいのが、その初動の速さです。最初の被害者女性が切りつけられ、その悲鳴が聞こえるや否や、梅田耕太郎さんは一目散に犯人へと立ち向かいます。

ちなみに乗務員が到着するまでに犯人に勇敢に立ち向かったのは梅田耕太郎さんただ一人でした。他の乗客は逃げ回ったり、動くこともできずに硬直していたと言いますから、その勇敢さが分かります。

何も、他の乗客の行為を否定しているわけではありません。皆が、「何とかせねば。」と思っていたと思います。梅田耕太郎さんが勇敢すぎるのです。

まず、「何とかせねば。」と思っていても人はなかなか、簡単に行動に移すことはできません。ましてや相手は鉈という長尺の凶器を振り回しているわけですから、絶対無傷で済むはずがありません。

実際梅田耕太郎さんは失血死という死因により亡くなっています。それが想像できるから人間はそう簡単に行動できないのです。

梅田耕太郎さんも100%無傷で済まないことは想像できていたでしょう。ましてや梅田耕太郎さんは東大を卒業していますから想像できないはずがありません。

それでも、いの一番に身を挺して犯人を制止しようとした行為は勇敢かつ立派だと言えます。この初動の速さが多くの乗客の命を救ったのは言うまでもありません。facebookやtwitterなどSNS上でも同様の意見が多く寄せられています。

 

梅田耕太郎さんの勇敢な行動【2】犯人と取っ組み合う

引用: Pixabay

次に、のぞみ265号新幹線殺傷事件における東大卒の会社員、梅田耕太郎さんの勇敢な行動として挙げたいのが、犯人と取っ組み合ったことです。

詳細は分かりかねますが、少なくとも1発は最初に梅田耕太郎さんが身を挺して立ち向かった際に切られているでしょう。

絶対痛かったに違いありません。料理をしている時に包丁で少し指を切っただけでも痛いのに、梅田耕太郎さんの痛みはそんなレベルではないはずです。

最終的な死因が失血死ですからその痛みは計り知れません。それでも他の乗客を守るために鉈を振り下ろす犯人にひるまず丸腰で立ち向かっていったのです。

先述でも記載していますが、いくら体格差があっても、武道・武術のたしなみがあったとしても凶器を振り回している人間に勝つことなど不可能に近いのです。梅田耕太郎さんは聡明な方ですから、当然それも分かっていたと思います。

言い方かも知れませんが、赤の他人である他の乗客の命を救うために自分の命を懸けて犯人と闘うという行為は乗務員でもない限りできないはずです。それどころか「乗務員ですらできないのでは?」などとfacebookやtwitterなどSNS上では言われているようです。

失血死という死因でお亡くなりになった梅田耕太郎さんは男の中の男に違いありません。こちらの行為に関してもfacebookやtwitterなどSNS上に多く同様の意見が見られます。

 

梅田耕太郎さんの勇敢な行動【3】被害者女性たちを後ろに逃がす

引用: Pixabay

3つ目に、のぞみ265号新幹線殺傷事件における東大卒の会社員、梅田耕太郎さんの勇敢な行動として挙げたいのが、被害者女性達を後ろに逃がしてあげたことです。

失血死という死因でお亡くなりになる寸前だった梅田耕太郎さん自身も本音で言えば今目の前で起こっている状況から逃げたかったはずです。

しかし、まず、被害に遭った2人の女性を後ろの車両に避難させたのです。これは今回の行為でfacebookやtwitterなどSNS上で一番称賛されている部分です。

どうして梅田耕太郎さんはこんなにも赤の他人のことを慮ることができるのでしょうか。本当に感服するのみです。被害に遭われた女性達はこの時逃げることができたため、犯人の追撃にあうことなく、命を取り留めて、軽傷で済んでいます。

恐らく2人は今も感謝していることでしょう。

 

梅田耕太郎さんの勇敢な行動【4】最後まで命を賭して闘った

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最後に、のぞみ265号新幹線殺傷事件における東大卒の会社員、梅田耕太郎さんの勇敢な行動として挙げたいのが、自身の命を賭して最後まで犯人を制止するために闘ったことです。

ここまでで梅田耕太郎さんは随分ボロボロになっていたと聞きます。死因となった失血死寸前だったでしょう。女性や他の乗客が逃げる中、皆の命を救うために最後までそのボロボロの状態で命を賭して犯人と闘ったのです。

そのせいで、犯人の凶刃に倒れ、失血死という死因により命を奪われることになってしまうのですが、一体最後梅田耕太郎さんは何を思い絶命したのでしょうか。

最後の最後まで犯人から他の乗客の命を救うことを考えていたのでしょうか。もしくは、薄れゆく意識の中で残された家族のことを考えていたのでしょうか。それは私たちには分かりません。

しかし失血死という死因でお亡くなりになった梅田耕太郎さんがのぞみ265号新幹線殺傷事件において行った行為は本当に勇敢で人として非の打ちどころのない行為だと言えます。上記同様、facebookやtwitterなどSNS上では称賛の声が相次いでいます。

この梅田耕太郎さんの勇敢な数々の行動により、梅田耕太郎さん以外の乗客全員の命が救われることになったと言っても過言ではありません。

願わくば、失血死という死因で亡くなってしまった梅田耕太郎さんの命も助かってほしかったです。facebookやtwitterなどSNS上でも皆さんそう思っておられるようです。

 

梅田耕太郎さんの経歴は?【のぞみ265号新幹線殺傷事件】

梅田耕太郎さんが行った勇敢な行動はいかがだったでしょうか。本当に感服するばかりです。

では、梅田耕太郎さんという素晴らしい人物がどうやって形成されていったのか。次は梅田耕太郎さんの経歴を見ていくことでその答えを探していきます。

 

梅田耕太郎さんの経歴【1】生誕~幼少期

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梅田耕太郎さんは2018年、のぞみ265号新幹線殺傷事件で失血死という死因によりお亡くなりになった際に38歳だったことから、1980年生まれの代にお生まれになっていると考えられます。

家族構成は、マスコミで勤務する父、専業主婦の母、そして姉、梅田耕太郎さんという構成のようで、神奈川県横須賀市に居を構え幼少期はお過ごしになったようです。

そして、梅田耕太郎さんの幼いころを知る近所の人の証言やfacebookやtwitterなどSNS上の声から、「子供の頃から賢くて有名。」「梅林小(梅田耕太郎さんが通っていた小学校)始まって以来の秀才。」「勉強ができるだけでなく、きちんと挨拶ができる聡明な子。」という情報が挙がっています。

これを見ただけで、梅田耕太郎さんは将来東大に行くことになる片鱗が垣間見えます。ちなみにですがお姉さんも東大に進学されていたことがfacebookやtwitterなどSNS上の情報により判明しています。

それでも、両親ともに、近所に自慢することもなく飄々としていたと言いますからご両親も立派な方たちなのでしょう。

自分の子供が東大に入ったら少しくらい自慢したくなるのが親心というものですからそれを考えるとしっかりした方達だということが分かります。

また、梅田耕太郎さんの幼少期を知る知人はfacebook上でこういう風に証言しています。「子供同士で仲間はずれが起きると『そういうのはやめよう』と言える人でした。」

のぞみ265号新幹線殺傷事件で発揮された梅田耕太郎さんの正義感はこの頃既に培われていたのでしょう。勉強ができるだけでなく、礼儀正しく、正義感が強い。梅田耕太郎さんはそんな親にとっては理想ともいえる息子さんだったのに違いありません。

 

梅田耕太郎さんの経歴【2】中学生時代~東大合格まで

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梅田耕太郎さんは、facebookやtwitterなどSNS上の情報から地元梅林小学校卒業後、名門私立中学の栄光学園中学校へと進学されたことが判明しています。

栄光学園中学校と言えば、東大名誉教授で、解剖学者の養老猛氏を輩出したことでも有名です。

その栄光学園中学校にて梅田耕太郎さんは、中学、高校生活を過ごすことになります。

そして、こちらもfacebookやtwitterなどSNS上の情報によると栄光学園の中でも常に成績はトップで、しかもバスケットボール部に所属し、バンド活動も行っていたというのですから、梅田耕太郎さんは、単なる勉強の虫であるということではなく、様々なことをマルチにこなすことができたということになります。

そして、高校時代に勉学に励んだ結果、梅田耕太郎さんは見事、現役にて東大工学部へと進学することになりました。

ただでさえ、勉強だけに力を入れても東大に入学することは至難の業ですから梅田耕太郎さんがいかに優秀な人物であるかがお分かりいただけるのではないでしょうか。

 

梅田耕太郎さんの経歴【3】東大時代~就職まで

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梅田耕太郎さんは、東大入学後もテニスサークルに所属しながら、自身の勉学に励まれます。

そしてその後難なく東大を卒業し、さらに東大大学院新領域創成学研究科という場所へと進学したことがfacebookやtwitterなどSNS上の情報から判明しています。そして、梅田耕太郎さんは、博士課程の特別研究員というポジションに着きます。

特別研究員とは、研究費をもらいながら学べるという研究者としての未来に期待された者だけが、就ける特別なポジションです。つまり、梅田耕太郎さんは、普通の東大大学院の学生だっただけでなく、東大大学院の中でも成績が優秀であったということを示唆しています。

東大の大学院に行っているだけでもすごいのに、それだけではなく、梅田耕太郎さんはその中でもトップだったことから、日本のトップレベルの頭脳を有していたと言っても過言ではありません

そして、梅田耕太郎さんは、その中で、プラズマ核融合の研究を行っており、一定の成果を出しておられるそうです。すごすぎるとfacebookやtwitterなどSNS上でよく言われています。

他に、梅田耕太郎さんのその頃の人柄についても、当時をよく知る人物やfacebookやtwitterなどSNS上などの情報からいろいろと判明しました。

例えば「梅田耕太郎さんは非常に穏やかな性格の人物で人付き合いも積極的な人物であった」や「梅田耕太郎さんは、経済的に苦しい留学生の為に、懇親会の費用を安くするように提案していた」など、周りの人から愛され、弱きを助ける優しき性格であったことが見て取れます。

そして他のfacebookやtwitterなどSNS上の情報によると、他の日本人学生とは違い、日本語が分からず、困っている留学生をフォローしたり、積極的に輪の中に彼らを組み込もうとするなど、もはや聖人としか言えない程の行動を当時の梅田耕太郎さんは取っていたようです。

何にせよ、今回こうして梅田耕太郎さんについてお調べしている中でも、とにかく彼に関する良い噂、情報しか目にすることがないので、本当に皆から愛され、かつ、頭が良く、いろんなことをマルチにこなせる方だったのだなということが分かりました。

そして東大の大学院卒業後、京セラへと就職したことも今回facebookやtwitterなどSNS上の情報より判明しています。

 

梅田耕太郎さんの経歴【4】社会人~のぞみ265号新幹線殺傷事件まで

引用: Pixabay

その後、京セラの社員として勤務することになった梅田耕太郎さんは、キャリアアップのための転職をどんどんしていくことになります。

京セラからSABIC、SABICからBASFジャパンへと職場を変えていくこととなります。そんな梅田耕太郎さんの評判ですが、前述の幼少期から学生時代までと変わらず、彼を知る人の証言やfacebookやtwitterなどSNS上の情報からはいい評判しか聞こえてきません。

梅田耕太郎さんの職場の同僚はこのように証言しています。「梅田耕太郎さんは京セラでもともと研究分野である太陽光パネルの研究をされていたが、SABICではプラスチックを扱うということで一から勉強していました。そして、梅田耕太郎さんは非常に頭がよく、入社後2~3カ月目には独自に動けるようになっていました。」

このエピソードから、梅田耕太郎さんは自身の東大という学歴を振りかざすことなく、一から新しい分野を勉強し、早々に自身のものとし、仕事にできることから、大人になっても非常に努力家で優秀な人物であったと言えるでしょう。

また、他の同僚はfacebook上でこのようにも証言しています。「梅田耕太郎さんは正義感が強く、自身の為ではなく後輩が日系企業では年功序列で評価されにくいことに対する懸念や配慮をしていた。」

梅田耕太郎さんは自身が優秀なだけではなく、後輩や他者に対する配慮を常に行っていたということになります。他人をここまで慮れる人はなかなかいないでしょう。

しかも、東大出身であるならば、自身に驕りがあったとしてもなんら不思議ではないのに、ここまで人のことを思いやれるのですから、梅田耕太郎さんは人として完璧に近い人物であったと言っても過言ではありません。

プライベートでは、2014年頃、ご結婚され、兵庫県尼崎市に居を構えており、優秀で多忙な梅田耕太郎さんはなかなか家には帰れず、週末婚のようなスタイルだったそうです。また、2人の間にお子さんはおられないようです。

しかし、そんな順風満帆の2018年6月9日梅田耕太郎さんに悲劇が襲います。のぞみ265号新幹線殺傷事件との遭遇です。

のぞみ265号新幹線殺傷事件については、上述でご説明しているので割愛させていた抱きますが、この殺傷事件において勇敢な行動を、犯人に対し実行した梅田耕太郎さんはその凶刃に倒れ、38歳の若さでお亡くなりになってしまいました。死因は失血死でした。

ここまでが梅田耕太郎さんの経歴となります。ちなみに彼はfacebookやtwitterなどSNSはやっておらず、堅実な性格だったこともそこから見て取れます。

 

梅田耕太郎さんは勇気ある偉大な方だった。

いかがでしたでしょうか。梅田耕太郎さんは本当に素晴らしい人物、優秀な人物であったという一言に尽きると言えます。ここで、今回ののぞみ265号新幹線殺傷事件について簡単に以下にまとめておきます。

●のぞみ265号新幹線殺傷事件とは2018年6月9日に新幹線内で起きた殺傷事件のことを指し、その事件の犯人は小島一朗、そしてその被害者となったのは梅田耕太郎さんという会社員の方であった。

●のぞみ265号新幹線殺傷事件において梅田耕太郎さんは、鉈を振り回す犯人に対し、勇敢にも丸腰で立ち向かい、被害に遭った女性2人を後方に逃がすとともに、他の乗客に被害が及ばないよう、文字通り、身を挺して命を懸けて闘い続けた。しかし、絶命する結果となってしまった。死因は失血死で、享年38歳という若さであった。

●犯人の小島一朗は、「誰でもよかった。ムシャクシャしてやった。」や「自分で考えて生きるのが面倒になったので、刑務所に行こうと思った。無期懲役を狙った。」など、犯行動機としてはあまりに勝手な内容を述べている。

●小島一朗は、現在十分、刑事責任があると判断されたため起訴されてはいるが未だに初公判は開始していない。

●失血死という死因でなくなるまで梅田耕太郎さんは犯人と必死に闘った勇敢な人物であるということが言える。

●梅田耕太郎さんの経歴を追っていくと、幼少期から非常に勉学において優秀で、東大に合格し、最終学歴が東大大学院であることからもそれが見て取れる。

●また、梅田耕太郎さんは東大卒で勉強ができるだけでなく、他者を慮れる非常に優しい、正義感のある人物であったと言われており、生まれてから38歳でこの世を去るまで、梅田耕太郎さんに対し、悪いことを言う人物は皆無である。

今回の事件に関して言いたいことが2つあります。まずは、犯人小島一朗に対してですが、一体何が不満で、どういった人生を送ればそこまで卑屈で、自分勝手な生き方ができるのだろうかということです。

もちろん、人の命に優劣をつけることはできないのですが、果たして彼のような人間が、梅田耕太郎さんのような優秀で優しく、正義感のある人間を殺めることができる価値があったのかという疑問が浮かびます。

年齢も違うので一概には言及できませんが、小島一朗が生きていて梅田耕太郎さんが死ぬのは本当に理不尽と言わざるを得ません。何の努力もせず、不平不満しか言えない人間が、懸命に努力して生きてきた人間と対等の価値であるとは到底考えられないでしょう。

これから初公判が始まり、裁判が進んでいくでしょうが、今現在彼は一つも反省できていないようなので、厳罰と、深い反省を求め、自身のあり方を今一度考えてもらいたいです。

もう一つは、失血死という死因によりお亡くなりになられた梅田耕太郎さんについてです。梅田耕太郎さんについては、筆者のような人間が到底かなう方でもないですし、言及するのもはばかられます。

本当に調べれば調べるほど、梅田耕太郎さんがどれだけ優秀で、どれだけ他人を慮ることができ、どれだけ正義感が強かったかについては感服するのみでした。

東大を出ているのにも関わらず、その傲慢さやずる賢さもなく、他を慮り、優しく接することができる人間、こんな素晴らしい人が現実世界にいるとはにわかに信じがたいです。

梅田耕太郎さんはそういう風に生きてきたからこそ、周りの人に非常に愛されていました。ですから、この事件で梅田耕太郎さんが惨殺された挙句、失血死という死因でお亡くなりになってしまったことが本当に悔やまれます。

しかし、梅田耕太郎さんがのぞみ265号新幹線殺傷事件で執った数々の行動は、本当に勇敢の一言ですし、身を挺して命を懸け、自分以外の全乗客の命を守ったと言っても過言ではありません

私たちは、こういった場合に梅田耕太郎さんと同じような行動がとれるでしょうか。なかなか難しいのではないでしょうか。想像では何とでもできるでしょうが、現実こういった場面に遭遇した場合、ここまで勇敢な行動はとれないかもしれません。

けれども、私たちも、今回のような事件ではなくとも日常生活の中で他者を助けようとすることはできるはずです。例えば、お年寄りに電車で席を譲ったりすることも他者を慮る行為の一つであると言えます。

このように、身近にもたくさん、他者に対してできる優しい行動は存在します。そういったところから実践していくことでこの世界はきっと良くなるでしょう。

そして、他者に対し行った善行は必ず私たちにも善行として返ってきます。世の中とはそんなものです。何にせよ、今回の記事で他者に対して優しく接しようと思っていただけると幸いです。

最後になりましたが、勇敢な行動で多くの命を救った梅田耕太郎さんのご冥福をお祈りいたします。

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