新潟少女監禁事件の概要!佐野房子のその後&佐藤宣行は現在千葉市に在住? | ToraTora[トラトラ] – Part 2

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今から約29年ほど前、新潟県においてとても恐ろしい事件が起こりました。

新潟県の路上で当時9歳の少女が誘拐され、そのまま9年と数か月の間、行方不明とされていたものです。小学校も中学年辺り、まだ年端もいかない少女を恐怖の底に落とすにはあまりに行き過ぎた事件だったと言えるでしょう。

のちに少女は無事保護されていますが、9年という長い時間を奪われたのは想像しただけでも虚しく、ですが平和に過ごしてきた者からすれば想像を遥かに超える苦痛であったのではないでしょうか。

この新潟少女監禁事件とは、現在にいたっても大事件として未だ語られる事件です。では、その後の犯人の行方はどうなったのか?被害者は無事なのか?そして監禁事件の内容はどういったものだったのか。

今回はこの新潟少女監禁事件に関して、そして犯人の現在の状況を追っていきたいと思います。

新潟少女監禁事件の概要

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まずは新潟少女監禁事件の概要を時系列順でまとめていきます。

見ていきましょう。

【1】佐野房子さんが誘拐されるまで

1990 Fusako Sano 佐野 房子 was kidnapped at age 9 by Nobuyuki Satō in #niigata #OnThisDay held captive for 9 years @CI pic.twitter.com/eVTn40KXsO

— Iain McDougall (@Iain_McDougall) November 13, 2016

新潟少女監禁事件は1990年の11月13日に遡ります。

当時28歳であった犯人、佐藤宣行は下校途中だった被害者の佐野房子さんを発見し、「可愛かったから」という理由で誘拐を試みました。犯行に及んだきっかけは他にも周囲に誰もいなかったことが犯人の口から語られているようです。

犯人は佐野房子さんへ近づくとナイフで脅し、乗っていた乗用車のトランクに無理矢理詰め込み、自宅まで拉致しました。

【2】事件発生後の捜索

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佐野房子さんが自宅に戻らないことから、19時を過ぎて母親から捜索願いが出されることになりました。その翌日には200人以上もの人数での捜索が開始されましたが、発見することはできませんでした。

その後も手配書の配布など、県内全域への捜索となりましたがこれでも発見できず、翌12月の25日に捜索が打ち切られることとなってしましました。

発見されるまでの9年間の間は、毎年11月の13日、誘拐のあった日に新潟県警察の三条署員によってチラシでの呼びかけがされていたそうです。

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新潟少女監禁事件の発生から実に9年と2か月後、加害者宅の自宅から少女は無事に保護されました。

きっかけは、市職員らが医療保護入院措置を行うために加害者宅を訪れたことでした。これは佐藤宣行の母親が自らへの暴力に耐えかねて保健所へ行ったことが幸いしています。

突如として部屋に乱入してきた市職員ら7名に対し、加害者である佐藤宣行は激しい抵抗をしましたが、鎮静剤によりなんとか落ち着かせることに成功しました。佐野房子さんはその傍らの毛布の中から発見されたそうです。新潟少女監禁事件はこのことから発覚しました。

発見された当時の佐野房子さんは異常に白い肌をしており、髪も短髪になっていたようです。

佐野房子の監禁生活がヤバい。【新潟少女監禁事件】

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佐野房子さんが体験された監禁生活が、想像を絶するような大変なものであったと言われています。

それは、先ほど紹介した佐野房子さんの発見時からも想像していただけることでしょう。

そんな監禁生活についてを詳しく見ていきましょう。

【1】食事の制限

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新潟少女監禁事件での監禁生活当初、食事は母親の作る夜食が与えられていたようです。しかし、それもやがてコンビニエンスストアの弁当やおにぎりに切り替えられました。

加害者の言葉によると高齢の母親を気遣ってのことのようですが、佐野房子さんの足にできた痣から糖尿病になることを疑われ、それも減らされて一日一食となったそうです。

監禁生活という中でのこの食事制限は、佐野房子さんの体調を悪化させる原因としては充分でした。

【2】不衛生な環境

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一歩も部屋の外に出られないという生活には、トイレやお風呂も含まれていました。

これには加害者の不潔恐怖症という持病も絡んでおり、排泄は全てビニール袋の中に済ませていたとされています。この行為は少女にも強制させていました。

また、9年2か月という長期間の中で、お風呂に入れたのは一回だけ、それも埃にまみれた時だとされています。こうした悪環境の中で、食事も取らなければならない状態でした。新潟少女監禁事件で、このことも過酷なことだったと言えるでしょう。

【3】度重なる暴行

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新潟少女監禁事件でのちに裁判の中で供述したことによると、加害者は数えるだけでも1,000回に及ぶ暴行を佐野房子さんに加えました。誘拐して2~3ヶ月は両手両足を束縛し、1年ほどは両足の束縛を解きませんでした。

さらに1年目を過ぎた辺りから暴行にスタンガンを使用し始め、行為は徐々にエスカレートしていったように思えます。

この暴行行為は新潟少女監禁事件の前から母親に対しても行われていた節があり、新潟少女監禁事件が起きたあとにはそれがエスカレートしました。新潟少女監禁事件が起きた後に入手したスタンガンも用いて、母親への虐待を繰り返していたようです。

佐野房子は妊娠させられていた?【新潟少女監禁事件】

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新潟少女監禁事件の被害者が9歳の少女だったことからも佐藤宣行には小児性愛の疑いがあり、これは裁判の中でも病名として報告されています。

シャワーなどを共にしたことからも性的暴行を与えたことは疑う余地がありませんが、それだけで済んでいたのでしょうか。

【1】監禁の目的

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「一緒に暮らしたい」と述べていることから、少女に殴る以上の、妊娠に及ぶような暴行を加えていた疑念があります。新潟少女監禁事件で佐藤宣行は少女を妊娠させていたのか、また妊娠させたならその子供はどうしたのか。

監禁ということから、新潟少女監禁事件の中で佐野房子さんが妊娠させられていた疑問は残ります。

【2】異性と二人きりという空間

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新潟少女監禁事件で監禁されていた家では、加害者の母親が同居していたとはいえ実際の監禁部屋には加害者と佐野房子さんの二人きりでした。

このような環境であることから、新潟少女監禁事件で佐野房子さんが妊娠に及ぶ行為をさせられたのではないかという疑問が浮かぶのは当然とは言いませんが、あって仕方ないことだと思われます。

しかし、そうすると一つ疑問に思えることが増えます。新潟少女監禁事件時、佐藤宣行は佐野房子さんに対して物音を立てないようにと厳しくいいつけ、気を遣ったとされています。そんな加害者が、わざわざ自分から物音を立てるような行為をするでしょうか。

そしてもし本当に妊娠していたなら、妊娠中の処理も気になるところです。新潟少女監禁事件での事件後に母親は一切を知らないと供述していることから、妊娠していたならこのことは二人で処理していたことになります。

不潔恐怖症の佐藤宣行が進んで妊娠の処理をしたとは思えず、衰弱した佐野房子さんにその気力があったとは考えにくいのですが、であれば処理はどうしていたのでしょうか。

【3】妊娠について確たる事実はない

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調べてみた結論を言うと、新潟少女監禁事件の中で少女が妊娠させられていたという証拠はどこにもありませんでした。妊娠させられていたかもしれないという上記の内容も、現在ネットで呟かれているようなことも全て予想と想像に過ぎません。

敢えていうなら妊娠の事実があっても公表していない、とも考えられますが、それも飽くまで言うだけに過ぎないことです。事実が確認できない以上は、新潟少女監禁事件で無闇に妊娠について触れないほうが良いでしょう。

犯人、佐藤宣行の経歴【新潟少女監禁事件】

山下大輔氏と松山千春氏の頭髪というサンプルをもとに、20年間ひきこもりであった新潟少女監禁事件犯人の佐藤宣行の頭髪の変遷を研究しております。 pic.twitter.com/nRZCffQh6u

— 大前田 (@noboruyuki2009) December 21, 2018

それでは、ここからは犯人・佐藤宣行についてをまとめていきます。

見ていきましょう。

【1】過剰な愛情

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父親、母親ともに高齢での出産で生まれた佐藤宣行は、その両親の過剰と言える環境で溺愛されて育ちました。欲しい物は我慢させずに与え、特に叱ることもしなかったようです。

小学校に入るまでは、家庭環境は比較的良好であったとされています。佐藤宣行の性格面で難が見始められたのは、主にこの小学校に入学して以降だとされています。

【2】不潔恐怖症の表れ

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中学校入学後、佐藤宣行は精神科を受診しています。学校へ行くのに恐怖を感じていたらしく、その際に診断された症状が不潔恐怖症でした。

ですがその後も中学、高校へと進学はできています。ただ、その高校生活の中でいじめと思われる対象になってしまし、佐藤宣行はそのストレスを家の中で晴らすようになってしまいました。

そのような中でありながらも工業高校をなんとか卒業した佐藤宣行ですが、そのストレスを晴らすための家庭内暴力は止むことがなかったものだと思われます。

【3】就職後、早期退社

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工業高校を卒業した佐藤宣行は、その後製に造会社の工場員として就職を果たしています。しかし、通勤途中の些細なことから自宅へ引き返すようになり、わずか三か月で退職してしまいました。

これにも不潔恐怖症が関わっていると見られ、自宅のトイレを使用出来なくなるまで症状が悪化していた佐藤宣行は、通勤途中でトイレを済ませていたとされています。その際に服が汚れるなどして、通勤を諦めているのです。

退職した佐藤宣行は自宅に引きこもるようになりました。そんな生活を続けていた1990年、新潟少女監禁事件という事件を起こしたのです。

犯人、佐藤宣行の犯行動機は?【新潟少女監禁事件】

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佐藤宣行は一体どうしてこのような残虐な犯行を行ったのでしょうか?

その理由を追求していきます。

見ていきましょう。

【1】直接的な犯行動機

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佐藤宣行が新潟少女監禁事件を起こした理由ですが、これは犯行当日の動機だけに絞れば冒頭辺りに記載したように「可愛かったから」と「周囲に人が居なかった」というこの2つが要因であると考えられます。

しかし、佐藤宣行の経歴を見るとそういった新潟少女監禁事件を起こした当時の心情以前にも様々な要因が重なって犯行に及んだという考え方もできるでしょう。

【2】我慢を知らずに育ったこと

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幼少期からの過保護な両親の愛情が、我慢を知らないまま育ってしまい、新潟少女監禁事件を引き起こす原因となったことに当てはまると思われます。

佐藤宣行は新潟少女監禁事件を起こす前にも、別の少女に対する強制わいせつ未遂で逮捕されていたのです。新潟少女監禁事件は、その執行猶予中に起こってしまいました。

【3】精神病の存在

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佐藤宣行は小児性愛の他にも、いくつかの精神疾患を持っていたとされています。その中で、小児性愛、自己愛性人格障害であったことが事実ならば、この2つが新潟少女監禁事件を起こす要因になったと考えられます。

また、こうした精神鑑定結果から裁判では佐藤宣行の精神異常が主張されましたが、新潟少女監禁事件が判明したあとの裁判の中で、判決では却下されました。

犯人、佐藤宣行への判決は?【新潟少女監禁事件】

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新潟少女監禁事件の被害者が保護された2000年の5月、この新潟少女監禁事件の裁判が開始されました。

被告人の佐藤宣行は新潟少女監禁事件の前にも強制わいせつ未遂の前科がありましたが、新潟少女監禁事件の最中にも窃盗罪を犯していることが明らかになりました。

これは監禁中の少女の下着や生活用品を万引きしたことであり、このことは第2回の裁判で追起訴されています。裁判はこれらを含む犯罪を考慮して進められ、慎重な判決が求められました。

精神の摩耗を主張する弁護士に対し、地方裁判所が下した判決は懲役14年でした。

幼い少女の大切な時間を奪ったことを考えればこの判決でもまだ軽く感じるかもしれませんが、窃盗などの罪状も含めてこの判決が言い渡されたのであろうと思われます。

しかし、被告人の佐藤宣行はこの判決に対してすぐさま控訴しました。

懲役14年の判決が下された年の12月、東京高等裁判所から新たに言い渡されたのは懲役11年の刑でした。これは一審判決の際に下した判決の中に誤りがあったからのようです。

しかし、被告人はこの判決にすら不服とし、二度目の上告をすることになります。最高裁はこれに対して高裁での判決を棄却し、元の懲役14年の刑へと戻しています。最終的な被告人への判決は、懲役14年で確定しました。

佐野房子の現在は?【新潟少女監禁事件】

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新潟少女監禁事件という9年間もの間で不衛生、かつ少量の食事と身体を動かすことも制限されていたせいで、少女が発見された時はかなりの衰弱状態だったようです。

著しい筋力の低下が見られ、同時に栄養失調でもありました。

加害者は、新潟少女監禁事件の最中に少女に対して勉強を行ったとされています。

これも結局のところは話し相手欲しさなど自分のためではありましたが、これによって少女の知能は比較的に発達していた状態でした。

2019年の現在、少女の行方を追えるような情報は見つかりませんでした。

昔の情報によると新潟少女監禁事件の事件後は自動車免許を取り、旅行やスポーツの観戦などに出掛けられたようです。現在どこに住んでいるかなどはわかりませんが、無事で過ごされているならそれが何よりだと思えます。

9年間の手痛い空白期間を埋めるには時間が足りないことと思いますが、現在幸せであるなら喜ばしいことです。何より、現在にいたるまでこのように何も情報が出なかったというのも、彼女や新潟少女監禁事件に関して追いかける人が少なくなったということであり、心情としては良かったことではないでしょうか。

佐藤宣行の現在は?【新潟少女監禁事件】

【1】現在は出所している

「(母親に向かって)絶対に2階には上がってくるな」

【自宅に少女を9年以上監禁・暴行、新潟少女監禁事件(2000)】、佐藤宣行 pic.twitter.com/7fzuwy9iV8

— ◆マジキチ犯罪者の名言◆ (@mazikiti_hanzai) August 14, 2019

2003年に判決が下されて以降、14年の歳月を服役していた犯人は2917年に出所しています。

現在、どこで生活しているのかという新しい情報はこちらもありませんが、当時28歳だった犯人も現在では60歳近い高齢者となり、生死も定かではありません。

現在にいたるまで続いているのかはわかりませんが、母親も悩まされたであろう精神障害は服役中と服役後も続き、入退院することとなっています。

服役中に精神的な苦痛が多かったためか、佐藤宣行は服役中に障害者手帳を支給されています。

新潟少女監禁事件の起こる前の年に父親は他界していますが、唯一の肉親であった母親も服役した約10年後に他界されたようです。

母親は最終判決のあった翌年くらいに介護施設に入院したとされており、母親についての情報もここから先は不明です。母親は痴呆が進んだために入院したとされていますが、新潟少女監禁事件がきっかけとなったのかは定かではありません。

佐藤宣行は出所後、千葉市に在住?【新潟少女監禁事件】

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懲役判決となった犯人は、千葉の刑務所にて過ごすこととなったようです。

千葉刑務所内でどのように過ごしていたかまではわかりませんが、千葉刑務所を出所したあとはどこで生活していたのでしょうか。

一部の情報によれば、犯人は千葉刑務所を出所したあと、千葉県千葉市に在住している可能性があります。

とはいえ現在まで千葉県千葉市にいるという明確な情報はなく、そのまま千葉に住んでいるのか、はたまた違う場所に移動したのかまではわかりません。

新潟少女監禁事件の現場となった家は、現在は空き家になっているようです。このことからも、犯人が千葉県千葉市にいるという情報も有り得ると思われます。

大事件を起こした犯人として千葉だけではなく各所を転々としていた可能性もありますが、詳しい情報を見つけるにはいたりませんでした。

新潟少女監禁事件まとめ

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今回ご紹介した歴史的な大事件、新潟少女監禁事件は、小さな少女が狙われるという何とも痛ましい事件でした。長い月日が経っても発見出来たのは大変喜ばしいことです。

この事件から学ぶべき気を付ける面はとても多く、それは小さな子供の独り歩きだけではなく親子の関係、警察やメディアの対応にも繋がることと思います。

この事件を教訓として、次なる被害者を出さないように心がけていきたいものです。

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