同和地区とは?未解放部落の概要と人権侵害問題をわかりやすく解説! | ToraTora[トラトラ]

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子供や高齢者への虐待、いじめ、差別に中傷…。

現在、わたしたちは大きな社会的問題に直面しています。

とりわけ『同和地区』、『部落』に対する差別は今も根強く残っています。こんな声を聞いたことはありませんか?

「同和地区出身であるだけで、就職のときに差別を受けた」

「相手の親、親戚に結婚を反対された」

「インターネット上で、理由もなく中傷された」

人権を侵害する、このような行為は、なぜなくならないのでしょうか。

実は、同和地区問題とはとても根が深く、歴史的に存在するものなのです。はるか昔、中世にまでさかのぼって存在する人権問題ともいえるでしょう。

ここでは、同和地区、未解放部落の人権侵害の問題を、わかりやすく解説していきます。

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同和地区の意味を解説!

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そもそも『同和地区』とは、どういう意味なのでしょうか。

法務省のHPにはこのように記載されています。

『同和問題(部落差別)とは,日本社会の歴史的発展の過程で形づくられた身分階層構造に基づく差別により,日本国民の一部の人々が長い間,経済的,社会的,文化的に低位の状態を強いられ,日常生活の上で様々な差別を受けるなど,我が国固有の重大な人権問題です。』

歴史上、形成された身分階層構造とは、どういう意味なのでしょうか。

歴史のお話はあとで詳しく述べるとして、ここでは『同和地区』とはどういう意味かをわかりやすく解説します。

『同和地区』『部落』『特殊部落』『未解放部落』──。

これらには、どのような違いがあるのでしょうか?

地区や部落という言葉がつくので、特定の場所を指していることは想像できます。ですが、行政区分や、集落の名前を指すわけではないようです。

歴史的な身分制度に端を発した、被差別民が住む場所、それが『部落』と呼ばれる地域です。

彼らは他の大多数の人たちと同じ存在であるにもかかわらず、著しく人権を侵害されて、住居や職業など、生活にさまざまな制限が加えられてきました。部落以外の場所に引っ越すことも許されなかったといいます。あるいは、引っ越したところで、部落出身者であると分かると不当な扱いを受けることもあったとか。

『部落』『特殊部落』とは、そこに住む人たちを差別するために作られた言葉なのです。これは、現在も続く問題で、差別から『未解放』の状態であるから『未解放部落』という言葉があるのかもしれません。

もちろん、現在、そんな人権侵害は許されることではありません。

『同胞融和』して、差別を撤廃し、人権を守ろうという取り組みが『同和』と略されるようになったのです。

つまり、部落に住む人、或いは部落出身者に対する人権侵害を『同和問題』と表すようになったということです。

そこから『同和地区』という言葉が生まれました。

同和地区の場所は?

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では、『同和地区』はどこにあるのでしょうか?

そもそも『同和地区』と呼ばれる場所が、日本全国でどのくらいの数があると思いますか? 人権侵害という大きな問題を抱える場所なのだから、ごく少数と思うかもしれません。

答えは、4,533地区です。

驚きの数字です。単純に計算して1都道府県に100近くの『同和地区』があるということになります。こんなに多いのなら、わたしたちの側にあってもおかしくはないですし、知らないだけで、自分の住む場所が『同和地域』なのかもしれません。

地域的には、どこに多く存在しているのでしょうか。

全国的に存在しているのは確かなのですが、数でいうと、福岡県や、広島県、愛媛県に多いといわれています。

1993年の総務省の調査では、福岡県(606地区)、広島県(472地区)、愛媛県(457地区)という数字が出てきました。

また、滋賀県は地区の数は少ないものの、同和地域がかなりの広範囲にわたって存在するという報告もあります。

地形的には、川のそばや、不便な場所といった、住環境の良くない所が多いようです。差別される人が住まわされた場所なので、氾濫する川のそばや、町や村から離れた場所をあてがわれたのでしょう。

未解放部落の概要【同和地区】

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なぜ、このような人権侵害が行われてきたのでしょうか。

これには日本史を少しだけ掘り下げる必要があります。

江戸時代の身分制度『士農工商』について、日本史の授業で習ったことがありますよね。武士・農民・職人・商人の順に身分が固定されていたという体制です。

実際はそれ以外の身分も多々あり、また、武士以外の身分については上下関係も定かではないといわれており、身分制度としてどれだけの拘束力があるかは疑問視されているのですが。

この『士農工商』の下に、さらに『えた』『ひにん』という身分があったのです。

『えた』は『穢多』という漢字で示されていました。この『穢』という文字には『汚れる』という意味があります。さらに『ひにん』は『非人(人あらざるもの)』と表されていたように、その名称からも人権を侵害された存在であると一目瞭然で分かります。

この『えた』『ひにん』は、鎌倉・室町時代の文献にもその名称が確認されていることから、『士農工商』制度がはじまる以前から存在した身分であるといわれています。

彼らが、なにか特殊な集団なのかというと、決してそうではありません。

とある集落に生まれた、とある親から生まれたというだけで、自動的に『えた』『ひにん』という身分が確定するのです。

『えた』『ひにん』の子供は、やはり『えた』『ひにん』として差別の対象となり、職業や住むところを制限されてきました。何百年という長いあいだ、血統で差別されてきたのです。

住居は前項でのべたように、集落からはずれた不便なところや、危険な河原。人が住みたくないような場所に住まわされました。理由もなくそこから出ることは許されません。また外出したところで村で石を投げられたり、ひどい扱いを受けるため、彼らは、そこに集団で住むようになりました。

もちろん、教育を受ける機会も奪われました。そのため、抵抗するための知識や、訴えるための文字も教えられずに、幼いころから働かされたのです。

そうです。差別されるためだけの存在である、そんな彼らも働いて社会の役に立っているのです。

しかし、職業を自分で選ぶことは許されず、人が嫌がる仕事をあてがわれたといいます。肥溜めやドブの掃除、処刑された遺体の処理など、誰もやりたがらないことをして生活費を稼いでいました。嫌な仕事であるにもかかわらず、賃金は安く、その日暮らしを抜け出すことは難しいギリギリの生活でした。

そんな生活が何百年も続きました。

ようやく、その身分制度が廃止されたのは明治4年のこと。

明治政府による『解放令』が発令されたのです。それは江戸時代の身分制度の廃止を意味します。江戸時代以前の公家は華族になり、武士には士族という新たな身分が与えられました。

『解放令』といっても、身分制度がなくなったわけではないのです。

農民、職人、商人は『平民』という身分になり、そして『えた』『ひにん』は『新平民』とされました。

ようやくその身分から抜け出して『新しい平民』となった彼らは、他の『平民』たちと同列に扱われたのでしょうか?

答えは否です──。

『平民』『新平民』の名称からも分かるように、彼らはハッキリと区別されていました。『解放令』というなら、同じ『平民』とすればいい話ですが、政府はそうしなかったのです。

『平民』は『新平民』を受け入れることはありませんでした。

『新平民』は『平民』と同じ町や村に住むことは許されず、以前のように住居を制限されたままでした。その場所が『特殊部落』『部落』と呼ばれて、今日の人権問題につながってくるのです。

未解放部落の人権侵害問題

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このような背景から、日本社会に根強く残った『同和問題』。

では『同和地区』に住む人、或いはその出身者はどのような扱いを受けてきたのでしょう。

江戸時代までは住居や職業を制限されて、その日暮らしの貧しい生活を強いられてきました。『新平民』となった明治以降も、差別は続きます。

戦前の話ですが『部落』に住む住人が理由もなく殺されたという記録があります。また、学業優秀であるはずの学生が、どうしても進学できないわけを問うと『部落』出身を理由にされたといいます。軍隊でのいじめもひどかったようです。『部落』出身者には、装備品も支給されなかったという話もあるくらいです。

差別する人々は、彼らを「不潔で反抗的、貧しく、犯罪者である」と決めつけ、いわれのない言葉で貶めたといいます。

現在でも、同和地区出身者が、恋人の両親に結婚を反対されたというのは、珍しい話ではないそうです。身元調査をされて、就職で不利な扱いを受けるということも、今でも実際に行われているとか。

同和地区出身であることを話すと、差別的な言葉を投げかけられたり、同和地区に建つ自宅の塀に、人権を侵害するような落書きをされるということもあるという話です。逆にそれ以外の地域から同和地区に引っ越そうとすると、身内から反対されたという例もあるようです。

ネットが普及した現在、インターネット上で同和地区や、その出身者に対しての中傷が散見されるようにもなりました。

同和地区の現在は?

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鎌倉・室町の時代から続くこの人権侵害という問題ですが、人々は差別に屈したわけではありません。

近年、『部落民』と呼ばれた彼らは、差別に抗うために運動をはじめたのです。

1922年に『全国水平社』という団体が結成されました。『全水』『水平社』とも呼ばれています。被差別部落の人々の地位の向上と、人権の確立を目的とした団体です。

1922年といえば、大正11年。『大正デモクラシー』という民主化運動の中で、それに賛同し、運動に参加する人も徐々に増えていきました。

差別撤廃を求めた運動は、多岐に渡りました。

差別の原因のひとつである貧困問題を解消するため、部落の経済的な向上を目指したり、劣悪な住環境を整備するために富裕層に訴えたり。また、部落に住む住人の意識を高め、部落外の人の理解を得るために、さまざまな場所で啓発活動をおこなったり。

『人間を差別する言動はいっさい許さない』という言葉は、日本で初めての人権宣言であったといわれています。

『全国水平社』とは、イングランドのピューリタン革命の一派『水平派(レヴェラーズ)』から名前をとったといわれています。静かな水面は、常に平らであることから、人の間でも差別をなくして平等であることを目的に名づけられました。

『全国水平社』は第二次世界大戦中に、団体としては消滅してしまいましたが、その地道な運動は徐々に世間に浸透していきました。

現在では同和地区を差別することは禁止されています。『特殊部落』という言葉は差別用語として定着しました。

同和地区は現在、どういう状態なのでしょうか。

多くの都道府県に存在する『同和地区』ですが、今、そこは普通の街並みと変わりません。家が建ち、家族が住み、店が並んでいる、どこにでもある町のひとつなのです。笑い声に満ち、公園で子供が遊んでいる光景が浮かぶようです。

学校で行われる同和教育や道徳の授業でも取り上げられることが多く、多くの人も人権侵害に対して拒否感を示すようになってきたといわれています。差別はなくなってはいませんが、人の意識も変わっていったのです。

現在は、インターネット上で、特定の地域を『同和地区』と指摘する内容が見受けられたページや、人権侵害が認められた書きこみは、行政からの要請で、プロバイダによる削除が行われています。

同和地区まとめ!

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このページでは、人権侵害が生み出した『同和地区』『部落』について解説してきました。

身分制度に端を発したいわれのない差別は、現在は『あってはならないこと』として認識されています。ですが『同和地区』出身者が、今なお、就職や結婚で理不尽な目に合っているのも、また事実なのです。

差別はなぜ、なくならないのでしょうか。

社会の中で、経歴や出自、国籍、容姿や信仰を理由に、いわれのない人権侵害がはびこっているのは全世界で共通の課題です。時にそれは、暴力や戦争にまで発展することもあります。

教科書や先生、親が「差別をしてはいけませんよ」と教えてくれても、社会の中でさまざまな形で人権侵害は繰り返されているのです。

たとえば、職業や財産の有無で人を区別したりしていませんか。貧しい家の友だちを、からかったりしてはいませんか。

特定の場所に住んでいるだけで、人権を侵害されるようなことがあってはならないように、人を不当に貶めることは決して許されないのです。

『同和問題』と、差別を受けてきた人々の歴史をかえりみると、わたしたちは人権について、まだまだ学ぶことが多いのかもしれません。

差別や偏見をなくすこと。学ぶこと。そして共有すること。

それが、ひとりひとりの人権が尊重された、よりよい社会、人類の明日に繋がっていくのかもしれません。