桶川ストーカー殺人事件の概要!小松和人の経歴&猪野詩織遺族の悲痛な叫び | ToraTora[トラトラ] – Part 2

平成と事件「桶川ストーカー殺人」警察に放置された訴え 〜 ストーカー規制法が制定される契機となった事件。この事件の推移を見れば複数のストーカーが存在していたことが明らかだがなぜかストーカー規制法では恋愛感情によるストーカー行為に限定されてしまった。集団ストーカー野放しの最大要因。 pic.twitter.com/qTcvTPUhVk

— 集団ストーカーは危険人物冤罪 (@jVlbv4V4GwV2SLQ) April 22, 2019

平成が2000年を迎える前にとても恐ろしい事件があったのをご存知でしょうか。

駅近くで白昼堂々と女性大生の猪野詩織さんが殺害されてしまい、度重なるストーカー行為から発展したこの殺人事件は桶川ストーカー殺人事件と呼ばれる事件です。

この桶川ストーカー殺人事件では犯人である小松和人、その犯行に協力した複数の実行犯たちにも怒りの声が止まなかったことと思われますが、それに合わせて当時の警察の対応も悲惨なものだったとされています。

猪野詩織さんのご遺族も警察の態度を不服としており、この警察の対応が世間に公表されてからは警察への世間の目はより厳しくなったものと思われます。今回は、なぜ桶川ストーカー殺人事件が起こったのか、犯人の小松和人はどのような人物であったのか、桶川ストーカー殺人事件の概要をご紹介していきたいと思います。

桶川ストーカー殺人事件の概要

【1】きっかけは同年の1月

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引用: Pixabay

痛々しい事件である桶川ストーカー殺人事件は、同じ年の初めに始まります。1999年の1月、被害者である猪野詩織さんと犯人の小松和人は出会いました。

その後交際に発展しますが、和人が段々と見せる異常な言動に不安を覚え、交際を破棄しようとします。具体的には、年齢や名前の詐称や高級な贈り物を続けていたそうです。

ですが、小松和人はこのプレゼントを拒んだり別れ話を切り出すと突如として激昂し、猪野詩織との交際を無理矢理に続けさせました。

【2】ストーカー行為への発展と殺人

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別れ話があってからというもの、小松和人の異常とも思える性格面は更に悪化して猪野伊織さんを襲うことになりました。

別れ話の前から小松和人は電話も数十分おきと絶え間なく掛けたり、脅迫と思える言動を繰り返していましたが、その行為は次第に猪野詩織さんの周囲の友人、家族にまで行きました。

別れを切り出した日の夜、小松和人は兄である小松武史らと共に猪野詩織さんの自宅に上がり込み、散々な脅しを掛けました。この時のことを猪野詩織さんは録音し、後日上尾警察署に届け出ましたが、警察はこれを真面目に受け取らずに対応しました。

その後も誹謗中傷の掛かれたビラが配られたり、無言電話が続いたりと色んな嫌がらせが繰り返される中、数か月後に殺人は発生してしまいました。

殺人計画の概要は、この嫌がらせ行為が過激になった辺りから始まったとされています。

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引用: Pixabay

事件のあった2か月後の12月に、猪野詩織さんを殺害した犯人の久保田祥史を逮捕し、その翌日には当日殺人に協力した小松武史、川上聡、伊藤嘉孝を逮捕しています。

この時、桶川ストーカー殺人事件の原因となった小松和人だけが行方不明となっていましたが、北海道の自然湖で自殺しているのを発見されます。最終的に10以上の逮捕者を出して終結に向かった桶川ストーカー殺人事件ですが、逮捕後の事件の矛先は当時の警察の対応へ向かうことになりました。

何度訴えかけても不真面目な対応しかしない上尾署員、逆に事件の内容を改ざんして楽をしようとしたりと、非難の的であったことは明らかです。

こうした対応があったからか、猪野詩織さんは桶川ストーカー殺人事件で殺害される直前に遺言を思われるものを残されていたそうです。

これが桶川ストーカー殺人事件の概要となります。

犯人、小松和人と猪野詩織さんの関係は?【桶川ストーカー殺人事件】

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引用: Pixabay

続いて犯人の小松和人と猪野詩織さんの関係について詳細に見ていきましょう。

【1】出会いはゲームセンター

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概要の欄でも書きましたが、被害者の猪野詩織さんと犯人の小松和人は1月に埼玉県のゲームセンター内で出会いました。小松和人から声を掛けたのがきっかけのようです。桶川ストーカー殺人事件の最初のきっかけはなんということはない、皆が普通に遊ぶ場所でした。

もっとも、この時には猪野詩織さんも小松和人も桶川ストーカー殺人事件にまで発展するとは思わなかったことでしょう。

小松和人は出会った当時は優しい男だったようですが、その時から偽名と年齢なども偽りのものを話していたようです。ですが、出会った当初はまだ猪野詩織さんも不審には思わなかったのでしょう。

猪野詩織さんの疑問は、交際が始まってから徐々に持ち始めることとなりました。

【2】病的な愛と束縛心

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引用: Pixabay

犯人である小松和人は普段からお金に困らない生活を送っていたようで、常にお札の束を持っていたようです。そのお金で猪野詩織さんにも高い金額のプレゼントを度々送っていました。猪野詩織さんがそれを受け取らないとしようとするものなら、たちまち怒りをぶつけられていたようです。

度重なる電話も出なければ怒り、時には猪野詩織の飼っている犬にも嫉妬しています。頻繁な連絡や友人、家族周りのことまで調べていることから、現代で言われるメンヘラチックな性格と当てはまります。実際に小松和人がそうであったかはわかりませんが、とにかく猪野詩織さんのことを細かく知りたがり、時間を束縛しようとしていました。

これに恐怖を覚えた猪野詩織さんは小松和人との関係を断つことを考え始めますが、それが事件に行きついてしまいます。

【3】ストーカーと嫌がらせ行為が続く

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猪野詩織さんが別れを切り出した6月から桶川ストーカー殺人事件で殺害される10月の間まで、嫌がらせ行為は幾度となく繰り返されました。その前までは脅しで済んでいたことも、別れを告げた当日の夜に家に乗り込んできたことから強い被害に変わっていきます。

兄の小松武史らと乗り込んだ小松和人は、その場で猪野詩織さんに脅しを掛けながら復縁を迫りました。あとに父親が帰宅してその場は退散したようですが、この時から猪野詩織さんの殺害の計画は立てられていたようです。

小松和人の経歴【桶川ストーカー殺人事件】

【1】全くの嘘ではなかった職業

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ここで、桶川ストーカー殺人事件で主犯格である犯人の小松和人の経歴を追ってみたいと思います。

出身などの情報は見つかりませんでしたが、小松和人が猪野詩織さんと出会った時に偽ったとされる自動車ブローカーという職業は、実は桶川ストーカー殺人事件の5年前まで勤めていたもののようです。

ただ、問題を起こしクビになっていることから、桶川ストーカー殺人事件が起こるまでの間は別の職業でありました。名前も違うものを伝えていたことを考えると、自分の過去については知られたくなかったのかもしれません。

【2】家族との仲

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小松和人の家族構成については多くは語られていません。父親、母親、姉、そして兄の小松武史がいることが書かれていますが、どのような家庭だったかを具体的に示せるものは見つかりませんでした。

小松和人の家自体は決して富豪ではなかったとも書かれています。和人が自殺の際に残した遺言書の中にもお金のことが書かれていましたので、小松和人の持っているお金は自分で稼ぎあげたものだったのでしょう。

また、親に捨てられた、と猪野詩織さんに言っていたことから両親との仲は不仲であったとも囁かれています。桶川ストーカー殺人事件の背景には、こうした家庭の事情も絡んでいるのかもしれません。

小松武史は桶川ストーカー殺人事件で和人からの殺害を持ち掛けられたとされていますが、一部では小松武史はそれを否認しています。小松武史も和人とそこまで仲が良くなかったっというものです。それによると小松武史は桶川ストーカー殺人事件の逮捕後に和人への恨み言を連ねていたようであり、自分は久保田祥史の証言にはめられたという供述も見られます。

伊藤嘉孝についての言及は見受けられませんでしたが、伊藤嘉孝については話を持ちかけられただけの一人であったかもしれません。いずれにしても小松武史、伊藤嘉孝、久保田祥史の三人も事件に関与していた犯人であることは間違いなく、到底許されるものではありません。

【3】当時は風俗店の経営者

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引用: Pixabay

実際はなにを職業にしていたかと言うと、池袋周辺で3店舗ほどの風俗店を経営しています。桶川ストーカー殺人事件が起きるまでの間も営業を続け、その手法は強引であったと思えます。

そのころから伊藤嘉孝や久保田祥史との関係はあったものと推測できます。伊藤嘉孝と久保田祥史は同じく風俗店での従業員であり、上司と部下の関係であったと思えます。小松武史もその内の一人で、同じ経営者としては小松武史よりも和人のほうが伊藤嘉孝や久保田祥史との付き合いがよかったようです。

小松武史は伊藤嘉孝、久保田祥史に厳しく当たっていたようですが、和人は伊藤嘉孝などに対しても優しい一面を見せていました。こういうところから、桶川ストーカー殺人事件以前の行為にも伊藤嘉孝や久保田祥史とは事件に噛んでいたようです。

小松和人の犯行動機【桶川ストーカー殺人事件】

【1】贈り物を付き返された

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直接の原因かはわかりませんが、小松和人は度々高価な贈り物を猪野詩織さんに与えていました。しかし、不審に思った猪野詩織さんはある時からこれを拒否するようになります。

小松和人からすれば、なぜこれで満足しないんだ、もしかして他の男からもっと良い物を貰っているんじゃないか、という勝手な嫉妬心を生みました。実際にそのようなことはありませんが、桶川ストーカー殺人事件はこのような嫉妬心が増大して起こったものでしょう。

【2】伊藤嘉孝や久保田祥史という仲間がいたこと

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仲間と言うよりは部下、手下と言ったほうがしっくりくるかもしれませんが、桶川ストーカー殺人事件を実行した久保田祥史など、小松和人には犯行をするだけの人員がいました。

久保田祥史は殺害の実行、伊藤嘉孝は見張り役であったとされています。小松武史はそれらをまとめて指示を出す役割だったようで、桶川ストーカー殺人事件に直接関係した犯人は小松和人を含めてこの四人であると思われます。

特に桶川ストーカー殺人事件の実行の犯人である久保田祥史は元暴力団関係者であったことから、殺害の計画を持ち出すにはうってつけだったと思えます。桶川ストーカー殺人事件までの嫌がらせをする際にも久保田祥史や伊藤嘉孝が絡んでいたとも考えられますが、刺殺をしてしまうような久保田祥史がその程度で終わらせているとは考えにくいものもあります。

逆に、本当に久保田祥史や伊藤嘉孝がこの行動にも直接絡んでいたとすれば、久保田祥史と伊藤嘉孝は小松武史と和人の従順な部下であったはずです。

【3】親との関係

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桶川ストーカー殺人事件の概要には、この親との関係性も一つ絡んでくるのかもしれません。

経歴の概要では親との仲は不仲であったとご説明しましたが、その時の「捨てられた」という発言が猪野詩織さんから贈り物を返されたことと重なって、猪野詩織さんにも捨てられたと感じたのではないでしょうか。

昔から性格に難があったのかはわかりませんが、和人はとにかく相手をお金と暴力で屈服させることで関係を築こうとしていたようです。久保田祥史や伊藤嘉孝などもそのようにして関係を保っていたのでしょう。

猪野詩織さんの経歴【桶川ストーカー殺人事件】

【1】普通の女子大生であったこと

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概要の欄でも触れましたが、猪野詩織さんが犯人と出会ったのは普通のゲームセンターでした。

猪野詩織さんは別に特別な職についているというわけでもなく、犯人の和人や小松武史らともなんら関係のない、ごく普通の女子大生でした。

それが桶川ストーカー殺人事件を通して、誤報だらけのニュースとして報道されてしまいます。恐らく、桶川ストーカー殺人事件が起こった当時の猪野詩織さんの概要は風俗嬢であったり、高級ブランドを集めている女性であったと言われていたかもしれません。

しかし、そのような概要は一切の事実がなく、勝手に報道されてしまったものです。桶川ストーカー殺人事件で猪野詩織さんの概要が歪められてしまったのには、警察の勝手な対応と不正によるものもありました。

【2】高級品を欲しがるわけではなかった

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警察が勝手に語った猪野詩織さんの人物概要として、ブランドに執着する女性、というものがありました。当時はそんな概要が大々的に報道され、猪野詩織さんはそういう人なんだという概要が視聴者の中で出来上がり、桶川ストーカー殺人事件の大体の概要も想像されてしまったかもしれません。

事実としての猪野詩織さんは、父親の古着を使用したり、高い装飾品でも何年も使いこんだりと値段を掛けずに上手くファッションに昇華するといった思考の持ち主でありました。

【3】度重なる誤った印象

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桶川ストーカー殺人事件でのニュースの際、相次いで猪野詩織さんについての情報が飛び交いましたが、そのどれもが猪野詩織さんの事実とは無関係な誤報でありました。

ただ一つ、FOCUSという週刊誌が猪野詩織さんや桶川ストーカー殺人事件についての独自の調査を進めており、それが結果として猪野詩織さんの誤報を改めてくれたばかりか、桶川ストーカー殺人事件の解決にもいたりました。

それまでは桶川ストーカー殺人事件の犯人は逮捕されないばかりか、桶川ストーカー殺人事件自体がそれほど大事にならないように捜査が進められていた節がありましたが、この報道をきっかけに次々と犯人が逮捕されることとなりました。しかし、犯人の中でも特に重要人物であった小松和人だけは見つからず、のちに遺体で発見されます。

小松和人が逮捕に至らなかったのも、警察の怠慢な取り調べによるものだったと言えるかもしれません。

猪野詩織さん遺族の悲痛な叫び【桶川ストーカー殺人事件】

【1】被害は一度にならず

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桶川ストーカー殺人事件の被害者、猪野詩織さんの一家もまた、桶川ストーカー殺人事件で長く苦しめられる結果となりました。

猪野詩織さんが生前に周囲に打ち明けていた悩みは遺言として残されていましたが、桶川ストーカー殺人事件で娘の猪野詩織さんを失ったばかりではなく、その遺言も聞き入れられることはなく捜査が進んでいったのです。

その遺言をちゃんと受け入れて警察が事前に捜査していれさえすれば、桶川ストーカー殺人事件が起こることもなかったように思えます、これが遺言となることもなかったでしょう。

猪野詩織さんは殺害された後も不名誉な報道によって汚されてしまったのです。

【2】警察の対応と処理

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桶川ストーカー殺人事件が起こる前から、猪野詩織さん、そして家族に対する警察の対応は冷たいものがありました。事件が起こったあとも警察は事実の改ざんや遺族の訴えを拒否する部分があり、その捜査はどうにも納得できないものが多くあります。

中でも自分達の捜査ミスをよりにもよって猪野詩織さんになすりつけようとする報道への発表は、国民が頼れるとは思えない卑怯なやり口でした。事件が起こった後でも、猪野詩織さんの遺言や家族の訴え、また猪野詩織さんの遺言をちゃんと思い起こして遺言を元に捜査を進めれば、きっとまだ早い段階で犯人も特定できたと思われます。

【3】取り敢えず報道したいマスコミ

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猪野詩織さんがこのように殺害されても仕方が無いというような人物像にされてしまったのは、警察の動きに上乗せされたマスコミの報道のせいもあります。

猪野詩織さんのことを詳しく調べようともせずに、入手した情報だけを浮足立って報道した故に、事実とは大きくことなる事件の概要ができあがってしまいました。

猪野詩織さんの遺言がどれだけ多くの人に伝えられ、また遺言を信じて貰えていたかは定かではありませんが、その遺言を大きく発表していればここまで歪められることもなかったかもしれません。遺言にはストーカー行為の相談も含まれていたことから、小松和人の存在も容易に特定できたことでしょう。

ストーカー規制厳格化の発端【桶川ストーカー殺人事件】

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儚い命が失われてしまったストーカーの事件でしたが、この事件をきっかけとしてストーカー規制法が厳格化されることとなりました。ただし、この法律ができたからと言ってストーカー事件がなくなるわけではありません。

ストーカー行為をしている人間はそれと気づかずに行っているものであり、法律によって裁かれるのは大抵、事が起きた後になるからでしょう。

桶川ストーカー殺人事件はのちに書籍化などの媒体として、猪野詩織さんが残した遺言や遺言から推測されるストーカー行為の実態が明らかとなりました。遺族によって事実を曲げないように描かれていますので、実際に体験されたことがそのまま表示されているものと思われます。

ストーカー行為が耐えない中、警察が信用できないならば頼れるのは周囲の人間だけになります。このような事件に発展させないために、深い悩みを打ち明けられる友人を築き上げて守り、頼っていきたいところです。