時津風部屋力士暴行死事件の真相!殺人兄弟子たちの現在は?

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時津風部屋力士暴行死事件とは?

引用: Pixabay

「時津風部屋力士暴行死事件」をご存知でしょうか。

時津風部屋力士暴行死事件(ときつかぜべや・りきしぼうこうじけん)とは、大相・時津風部屋に所属する、当時17歳の時太山(本名・斉藤俊さん)が、愛知県犬山市で集団リンチを受けて死亡した事件です。時津風部屋力士暴行死事件は「新弟子リンチ死事件」とも呼ばれています。

時津風部屋力士暴行死事件では当初、時津風親方が事件の真相を隠蔽しようとし、ウソの供述をしていました。

また、時津風部屋力士暴行死事件・犯人である力士「怒涛」「明義豊」「時王丸」の3人にも、真相を語らせないよう、口裏合わせを強要していたと言われています。

時津風部屋力士暴行死事件では、息子の死を不審に思った時太山(斉藤俊さん)の父親の執念によって、真相が明らかになっていきました。

当初「暴力などしていない」と供述していた時津風親方ですが、斉藤俊さんをビール瓶で殴った後、力士たちに”かわいがり”を命令していたという真相が明らかになりました。

それに応じた怒涛、明義豊、時王丸らが斉藤俊さんを金属バットで暴行し、殺害していたという真相も明らかになったのです。

時津風部屋力士暴行死事件という衝撃的な事件の真相が世に知れ渡ったことで、角界の習わしである”かわいがり”が問題視されるようになりました。

この記事では、時津風部屋力士暴行死事件の概要・真相や、犯人(主犯)である時津風親方の人物像、時津風部屋力士暴行死事件発覚のきっかけ、犯人の力士たち(怒濤、明義豊、時王丸)の経歴・犯行内容・逮捕・現在など、事件の真相をまとめました。

 

時津風親方の人物像は?【力士集団リンチ殺人事件】

時津風部屋力士暴行死事件を起こした犯人の一人が、時津風部屋の「時津風親方」です。時津風親方は、亡くなった斉藤俊さんに暴行を加え、その後怒濤、明義豊、時王丸たちに集団リンチを命令したとされています。

ここでは、時津風部屋力士暴行死事件の犯人・時津風親方の経歴、時津風親方の供述・真相、時津風親方の性格についてご紹介します。

 

【1】時津風親方の経歴


引用: Pixabay

時津風親方の経歴は、以下の通りです。

名前:双津竜順一(時津風親方)

本名:山本順一

生年月日:1950年2月28日

出身:北海道室蘭市

時津風親方は、中学生の時に時津風部屋に入門し、初土俵をとりました。1972年の春に新入幕、1979年に新小結に昇進します。

現役時のデータでは、身長185cm、体重172kgで、得意は右四つと寄りという力士でした。2002年に定年を迎えた時津風親方(元大関豊山)の指名で部屋を継いでいます。

 

【2】時津風親方の供述


引用: Pixabay

時津風部屋力士暴行死事件のあと、斉藤俊さんが亡くなった直後の会見で、時津風親方は次のように語っています。

「(時津風部屋力士暴行死事件を)部屋の力士がやったんじゃないかとか、人殺しとか言われました」

「(かわいがりは)ないです」

「(時津風部屋力士暴行死事件に)事件性は一切ない」

時津風親方は最初、暴行は行なっておらず、あくまで稽古による死であると、真相を隠して語っていたのです。

また、時津風親方は斎藤俊さんの葬儀に平然と参列していました。その上、マスコミに対し次のように語っています。

「斉藤俊さんは過去にマリファナを吸っていた」

「斉藤俊さんは入門後、たばこをやめられなかった」

「斉藤俊さんは時津風部屋の力士の荷物を盗んだりしていた」

亡くなった方に対してのコメントとして、人間性を疑うものでした。また、亡くなった弟子をけなすというのは不自然です。もし暴行がなく潔白であるのなら、このように触れ回る必要もないので、余計に時津風親方への疑いを深めていきました。

そして時津風親方は、時津風部屋の力士たちに、真相を語らせないよう口裏合わせを強要していました。警察や相撲後援会から、時津風部屋力士暴行死事件の取り調べを受けた際に、どの様に供述するかを命令していたのです。

しかし、良心の呵責に耐えかねた一人の力士が、時津風部屋力士暴行死事件の真相を語り、事件の真相が明らかになっていきました。

 

【3】時津風親方の性格

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引用: Pixabay

時津風部屋力士暴行死事件を起こした時津風親方の性格は、どのようなものだったのでしょうか。

時津風親方について、時津風部屋関係者は次のように語っていたそうです。

「時津風親方は温厚な紳士として知られていた」

「酒癖が悪いことでも知られていた」

「酒を飲むと、明るくなるか、性格が悪くなるか極端だった」

「(時津風部屋力士暴行死事件が起きたときは)明るくならなかったのではないか」

また、時津風部屋力士暴行死事件・斉藤俊さんが亡くなった翌日、時津風親方は斉藤俊さんの実家を訪れました。その時の印象について、斉藤俊さんの父親は、

「時津風親方は”普段どおりの稽古だった”、”事件性は一切ないと警察も言っている”と繰り返していた」

「息子(斉藤俊さん)が亡くなったのに、とても威張った態度をとっていた」

と語っていたそうです。

 

時津風部屋力士暴行死事件の概要

 

【1】時津風部屋力士暴行死事件の概要

引用: Pixabay

時津風部屋力士暴行死事件とは、2007年6月26日に、時津風部屋に所属する序ノ口・斉藤俊さんが亡くなった事件です。

時津風親方は、斉藤俊さんの遺体を親族に見せないまま火葬することを提案しました。これは、リンチ死であることを隠蔽し、真相をわからなくしようと企てたためです。

不審に思った斉藤俊さんのご両親は、火葬を拒否し、実際に斉藤俊さんの遺体を見たところ、多くの外傷が見受けられました。とても稽古中の事故とは思えなかったご両親は、地元・新潟で解剖を実施。これによって暴行死であるという真相が発覚しました。

時津風部屋力士暴行死事件は、斉藤俊さんが時津風部屋から脱走しようとしたことがきっかけになっています。厳しすぎる稽古に耐えかねた斉藤俊さんは、脱走がきっかけで、時津風親方と所属の力士たち3人(怒濤、明義豊、時王丸)によって集団暴行を受け、死亡しました。

 

【2】6月16日

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引用: Pixabay

時津風部屋力士暴行死事件の被害者・斉藤俊さんは、6月16日に1回目の脱走をしたと言われています。これは、時津風部屋の厳しすぎる稽古に耐えかねてのことだと言われています。

そして父親に「帰りたい」と連絡しました。時津風部屋力士暴行死事件の被害者・斉藤俊さんの父親は「あとちょっと、1年2年やれば、どんなところでも就職できるから」、「高校中退でハンデがあるのだから、精神面で鍛えて」と、斉藤俊さんを励ましました。

この時点では、時津風部屋力士暴行死事件の被害者・斉藤俊さんの体にアザなどはないことが写真などから確認されています。しかし、この脱走が時津風部屋力士暴行死事件のきっかけになったと考えられます。

父親に説得されて時津風部屋へ戻った斉藤俊さんは、時津風親方たちと共に名古屋へ巡業。向かった名古屋で事件は起きました。

 

【3】6月25日

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時津風部屋力士暴行死事件の被害者・斉藤俊さんは、6月25日にも2度目の脱走をしています。

11時頃、時津風部屋力士暴行死事件の被害者・斉藤俊さんが脱走していることに兄弟子達が気付きました。斉藤俊さんは近くのコンビニ前にいるところを発見され、連れ戻された後、兄弟子たちから殴られています。

19時頃、脱走に腹を立てた時津風親方は、ビール瓶で斉藤俊さんを何度か殴りました。時津風親方の暴行は顔まで及び、最後は額のあたりを殴ったため血が流れていたと言います。

そして時津風親方は、兄弟子たちに「お前らもやれ」と指示しました。怒濤、明義豊、時王丸の3人は「根性を入れてきます」などと言って承諾。そして部屋の裏手や外で、30分以上に渡って金属バットや素手で暴行を加えました。

怒濤、明義豊、時王丸の3人は、斉藤俊さんを時津風親方の前に連れていき、脱走の件を謝罪させました。しかし時津風親方は「ダメだ」「何度騙されたか」と言って受け入れませんでした。

 

【4】6月26日

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脱走翌日の6月26日も、時津風部屋力士暴行死事件の被害者・斉藤俊さんに対する暴行は続きました。

10時頃、稽古が終わった後、斉藤俊さんに対して集中的なぶつかり稽古が行なわれました。いわゆる”かわいがり”というもので、斉藤俊さんが疲れて倒れ込むと、取り囲む兄弟子達が足蹴にするなどしました。このぶつかり稽古は1時間以上にわたり、時津風親方も側で見ていました。

その後時津風親方は「後は私が面倒を見る」などと言って、稽古場で斉藤俊さんと2人きりになりました。2人きりになった約20分の間に、斉藤俊さんの「あー」といううめき声が聞こえてきたと言います。

12時頃、時津風部屋力士暴行死事件の被害者・斉藤俊さんは意識不明に陥っていました。壁に寄りかかってグッタリとした様子で、体全体に血の気がない状態でした。

時津風部屋力士暴行死事件の被害者・斉藤俊さんに水をかけるも意識は戻らず、時津風親方は「温めろ」と指示。風呂場で湯をかけましたが、意識が戻ることはありませんでした。

それを見た弟子たちは「救急車は?」とざわつきましたが、時津風親方は救急車を呼ぼうとしませんでした。

風呂場で湯をかけても意識が戻らない斉藤俊さんを見た時津風親方は、ようやく救急車を呼ぶことを許したというのが、事件の真相です。

 

斉藤俊への厳しすぎる稽古【力士集団リンチ殺人事件】

時津風部屋力士暴行死事件の被害者・斉藤俊さんは、時津風部屋の厳しすぎる稽古についてゆけず、数度の脱走を試みたと言われています。

ここでは、厳しすぎる稽古の真相や、時津風親方の言動、問題点についてご紹介します。

 

【1】厳しすぎる稽古とは?

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斉藤俊さんに対して厳しすぎる稽古があったという噂はありますが、具体的なエピソードなどは残念ながら見つけることができませんでした。

そのため、脱走に直接的につながるきっかけなど詳しいことはわかりません。

しかし、相撲部屋といえば、”かわいがり”などの集中的な特訓や、新入りに対する横柄な態度などが横行していることで有名です。

時津風部屋力士暴行死事件の被害者・斉藤俊さんもまた、相撲部屋の慣習の中で、不条理な扱いを受けていたのではないかと推測されます。

 

【2】時津風親方の言動

引用: Pixabay

時津風親方は、時津風部屋力士暴行死事件の被害者・斉藤俊さんに対し、「このくそガキ!」と言ったり、ツバを吐きかけたりしたことがわかっています。

それを受けて、斉藤俊さんは「これからは本当に頑張ります」と言って、時津風親方に謝罪しました。しかし時津風親方は「ダメだ」「新潟に戻す」などと言い放って、立ち去ってしまいました。

こうなれば当然、見限られたのだと感じるのが人間でしょう。斉藤俊さんも、これ以上の行動には出られませんでした。

しかし時津風親方は、更に謝罪してほしかったらしく、次の日の朝に「なぜ昨日は俺の部屋まで謝りに来なかったんだ!」、「頑張るって言ったのは嘘か!」などと怒鳴りつけたそうです。

このように、時津風親方の言動はまったく筋が通っておらず、意味がわからないものでした。

斉藤俊さんも戸惑ったに違いありません。しかもこの後、斉藤俊さんは暴行され、死亡してしまったのです。

 

【3】問題点

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時津風部屋力士暴行死事件の問題点として、斉藤俊さんは当時17歳の少年でした。相撲部屋からすれば、ご両親からお預かりしている大事な息子さんということになります。

ですから、何か起きた時でも、親心を持って接するというのが大人の責務だったのではないでしょうか。

また、斉藤俊さんが相撲に向かなかったとか、辞めたがっているといった問題があったとしても、時津風親方からご両親に直接お話するといった方法があったはずです。

やる気がないから、未熟だからといったことが、時津風部屋力士暴行死事件のような集団リンチが行なわれる理由には、到底ならないというのが、一般的な意見ではないでしょうか。

 

斉藤俊が死亡した際の犯人たちの供述は?【力士集団リンチ殺人事件】

引用: Pixabay

時津風部屋力士暴行死事件では、犯人の逮捕までおよそ7ヶ月もかかってしまいました。これは当初、犯人たちが真相を供述しなかったことが理由として挙げられます。

犯人の一人である時津風親方によって、口裏合わせが行なわれていました。そのため、斉藤俊さんが死亡したすぐ後の事情聴取でも、力士全員が「普段どおりの稽古中に倒れた」と異口同音に供述しています。

時津風部屋力士暴行死事件の主な犯人は4人で、時津風親方、怒濤、明義豊、時王丸ですが、彼ら犯人4人全員だけでなく、周りの力士も口裏を合わせていたため、真相の究明に時間がかかってしまったと言われています。

その後、斉藤俊さんの遺体を解剖したことで、やっと暴行の疑いが上がりました。そして事件からおよそ1ヶ月経った7月になってから、犯人の一人である時津風親方がビール瓶で殴っていたことや、怒濤、明義豊、時王丸らが暴行していたという供述を、別の力士から得ることができたのです。

このような供述があっても、警察は”指導の延長線上だった”という見方をしていたので、傷害致死ではなく、業務上過失致死傷罪の適用を検討していました。

しかし、別の力士の供述によって、犯人の一人である時津風親方が主導となって「柱に縛り付けろ」などと命令していたことがわかりました。10月末のことでした。

厳しい師弟関係があり、命令を破ればどのような報復があるかわからない空気の中、勇気ある力士が真相を供述したことによって、時津風部屋力士暴行死事件の真相が明らかになりました。

しかし、犯人である時津風親方、怒濤、明義豊、時王丸の4人は、逮捕まで真相を供述していなかったと考えられます。裁判になってはじめて、時津風部屋力士暴行死事件の詳細な真相を供述したようです。

 

事件発覚のきっかけ【力士集団リンチ殺人事件】

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時津風部屋力士暴行死事件は当初”指導の延長線上による死亡”とみなされていました。しかし、斉藤俊さんの遺体の状態などに不自然な点がいくつかあったことから、暴行事件が発覚することとなりました。

時津風部屋力士暴行死事件が発覚したきっかけの一つが、時津風部屋力士暴行死事件の被害者・斉藤俊さんの”遺体の状態”です。

犯人の一人である時津風親方は、斉藤俊さんの遺体を親族に見せず、火葬に回そうとしました。不信感を抱いた斉藤俊さんの親族が、直接斉藤俊さんの遺体を見たところ、次のような不自然な点がありました。

・右耳はグシャリと挫滅

・目の周りは腫れ上がり陥没

・脇腹に青あざ

・額に3cmほどの裂傷

・左顔面一帯に赤紫のアザ

・顔面や腕に表皮剥脱

・太ももにはタバコの火を押しつけた跡

“単なるぶつかり稽古で、このような傷ができるはずがない”と考えた斉藤俊さんの遺族が、地元・新潟の大学病院に解剖を依頼したことで、斉藤俊さんの死因が「多発性外傷性ショック」であることが判明し、暴行による死亡である疑いが高まりました。

また、警察の初動ミスも疑われます。時津風部屋力士暴行死事件を捜査していた愛知県警は、斉藤俊さんの遺体を見ても「解剖の必要なし」と判断していたのです。

遺体の損傷が激しい状態で、このような判断ミスを犯すものなのでしょうか。原因として、愛知県警が犯人の一人である時津風親方の言い分をすべて聞き入れてしまったことや、時津風親方と愛知県警の馴れ合い的な関係性があると言われています。

つまり時津風部屋力士暴行死事件は、斉藤俊さんの遺族による真相追求がなければ、事故として扱われていた可能性がとても高いということになります。

 

斉藤俊へ暴行を行った力士①怒濤【力士集団リンチ殺人事件】

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時津風部屋力士暴行死事件の犯人は、時津風親方、怒濤、明義豊、時王丸の4人です。

ここでは、時津風部屋力士暴行死事件の犯人の一人・怒濤の経歴、犯行内容、逮捕後から現在までをご紹介します。

 

【1】怒涛の経歴

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時津風部屋力士暴行死事件の犯人・怒濤の経歴は、次の通りです。

名前:怒涛(どとう)

怒濤の本名:伊塚雄一郎

生年月日:1982年11月9日

怒濤の最高位:三段目12

怒濤の出身:福岡県福岡市城南区

怒濤の身長:178cm

怒濤の体重:122kg

 

【2】怒涛の犯行内容

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時津風部屋力士暴行死事件の犯人・怒濤の犯行内容は、どのようなものだったのでしょうか。

残念ながら、時津風部屋力士暴行死事件で、犯人・怒濤が具体的にどのような犯行を行なったかの真相・詳細はわかりませんでした。

しかし、時津風部屋力士暴行死事件で、怒濤、明義豊、時王丸の3人は「根性を入れてきます」などと言って、30分以上に渡って金属バットや素手で暴行を加えたということです。

また、次の日に行なわれた斉藤俊さんに対する集中的なぶつかり稽古では、斉藤俊さんが疲れて倒れ込むと、怒濤、明義豊、時王丸の3人が取り囲み、足蹴にするなどしたということです。このぶつかり稽古は1時間以上に及んでいます。

 

【3】怒涛の逮捕

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時津風部屋力士暴行死事件の犯人・怒濤は、愛知県犬山署に傷害致死容疑で逮捕されました。

また、時津風部屋力士暴行死事件の犯人・怒濤は、2008年12月8日の名古屋地方裁判所の裁判で、執行猶予付きの有罪判決(懲役3年、執行猶予5年)が言い渡されました。

時津風部屋力士暴行死事件および逮捕を受けて、時津風部屋力士暴行死事件の犯人・怒濤は、相撲協会を解雇されています。

 

【4】怒涛の現在

引用: Pixabay

時津風部屋力士暴行死事件の犯人・怒濤は、現在どのような状況なのでしょうか。

残念ながら、時津風部屋力士暴行死事件の後、怒濤がどのように過ごしているか、正確な情報は得られませんでした。

しかし、角界の関係者によれば、「時津風部屋力士暴行死事件の犯人・怒濤は現在、時津風部屋に出入りしている」「現・時津風親方(犯人の時津風親方とは別の方)の息子に、相撲の稽古をつけている」との情報もあるようです。

 

斉藤俊へ暴行を行った力士②明義豊【力士集団リンチ殺人事件】

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時津風部屋力士暴行死事件の犯人は、時津風親方、怒濤、明義豊、時王丸の4人です。

ここでは、時津風部屋力士暴行死事件の犯人の一人・明義豊の経歴、犯行内容、逮捕後から現在までをご紹介します。

 

【1】明義豊の経歴

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時津風部屋力士暴行死事件の犯人・明義豊の経歴は、次の通りです。

名前:明義豊(あきゆたか)

明義豊の本名:木村正和

生年月日:1983年11月9日

明義豊の最高位:幕下12

明義豊の出身:福島県耶麻郡猪苗代町

明義豊の身長:189cm

明義豊の体重:116.5kg

 

【2】明義豊の犯行内容

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時津風部屋力士暴行死事件の犯人・明義豊の犯行内容は、どのようなものだったのでしょうか。

残念ながら、時津風部屋力士暴行死事件で、犯人・明義豊が具体的にどのような犯行を行なったかの真相・詳細はわかりませんでした。

しかし、時津風部屋力士暴行死事件で、怒濤、明義豊、時王丸の3人は「根性を入れてきます」などと言って、30分以上に渡って金属バットや素手で暴行を加えたということです。

また、次の日に行なわれた斉藤俊さんに対する集中的なぶつかり稽古では、斉藤俊さんが疲れて倒れ込むと、怒濤、明義豊、時王丸の3人が取り囲み、足蹴にするなどしたということです。このぶつかり稽古は1時間以上に及んでいます。

 

【3】明義豊の逮捕

引用: Pixabay

時津風部屋力士暴行死事件の犯人・明義豊は、愛知県犬山署に傷害致死容疑で逮捕されました。

また、時津風部屋力士暴行死事件の犯人・明義豊は、2008年12月8日の名古屋地方裁判所の裁判で、執行猶予付きの有罪判決(懲役3年、執行猶予5年)が言い渡されました。

時津風部屋力士暴行死事件および逮捕を受けて、時津風部屋力士暴行死事件の犯人・明義豊は、相撲協会を解雇されています。

 

【4】明義豊の現在

引用: Pixabay

時津風部屋力士暴行死事件の犯人・明義豊は、現在どのような状況なのでしょうか。

残念ながら、時津風部屋力士暴行死事件の後、明義豊がどのように過ごしているか、正確な情報は得られませんでした。

時津風部屋力士暴行死事件の犯人・明義豊は、将来を有望視された力士でした。このような事件を起こさなければ、現在も力士として活躍していたかもしれません。

 

斉藤俊へ暴行を行った力士③時王丸【力士集団リンチ殺人事件】

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時津風部屋力士暴行死事件の犯人は、時津風親方、怒濤、明義豊、時王丸の4人です。

ここでは、時津風部屋力士暴行死事件の犯人・時王丸の経歴、犯行内容、逮捕後から現在までをご紹介します。

 

【1】時王丸の経歴

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時津風部屋力士暴行死事件の犯人・時王丸の経歴は、次の通りです。

名前:時王丸(ときおうまる)

時王丸の本名:藤居正憲

生年月日:1985年6月4日

時王丸の最高位:三段目70

時王丸の出身:滋賀県愛知郡愛知川町

時王丸の身長:177.5cm

時王丸の体重:139kg

 

【2】時王丸の犯行内容

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時津風部屋力士暴行死事件の犯人・時王丸の犯行内容は、どのようなものだったのでしょうか。

残念ながら、時津風部屋力士暴行死事件で、犯人・時王丸が具体的にどのような犯行を行なったかの真相・詳細はわかりませんでした。

しかし、時津風部屋力士暴行死事件で、怒濤、明義豊、時王丸の3人は「根性を入れてきます」などと言って、30分以上に渡って金属バットや素手で暴行を加えたということです。

また、次の日に行なわれた斉藤俊さんに対する集中的なぶつかり稽古では、斉藤俊さんが疲れて倒れ込むと、怒濤、明義豊、時王丸の3人が取り囲み、足蹴にするなどしたということです。このぶつかり稽古は1時間以上に及んでいます。

 

【3】時王丸の逮捕

引用: Pixabay

時津風部屋力士暴行死事件の犯人・時王丸は、愛知県犬山署に傷害致死容疑で逮捕されました。

また、時津風部屋力士暴行死事件の犯人・時王丸は、2008年12月8日の名古屋地方裁判所の裁判で、執行猶予付きの有罪判決(懲役2年6ヶ月、執行猶予5年)が言い渡されました。

時津風部屋力士暴行死事件および逮捕を受けて、時津風部屋力士暴行死事件の犯人・時王丸は、相撲協会を解雇されています。

 

【4】時王丸の現在

引用: Pixabay

時津風部屋力士暴行死事件の犯人・時王丸は、現在どのような状況なのでしょうか。

残念ながら、時津風部屋力士暴行死事件の後、時王丸がどのように過ごしているか、正確な情報は得られませんでした。

時津風部屋力士暴行死事件の犯人・時王丸は、他の力士たちに比べると”相撲に対して消極的だった”と語る人もいるようです。そのため、現在は相撲と関係のない生活をしていることも推測されます。

 

時津風親方のその後は?【力士集団リンチ殺人事件】

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時津風部屋力士暴行死事件の犯人は、時津風親方、怒濤、明義豊、時王丸の4人です。

ここでは、時津風部屋力士暴行死事件の犯人・時津風親方の逮捕、判決、死去までをご紹介します。

 

【1】時津風親方の逮捕

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時津風部屋力士暴行死事件の犯人・時津風親方は、愛知県犬山署に傷害致死容疑で逮捕されました。

また、時津風部屋力士暴行死事件の犯人・時津風親方は、2008年12月8日の名古屋地方裁判所の裁判で、”暴行を指示した”として、懲役5年の実刑判決が言い渡されました。実刑判決だったため、時津風親方は三重刑務所で服役していました。

時津風部屋力士暴行死事件および逮捕を受けて、時津風部屋力士暴行死事件の犯人・時津風親方は、相撲協会を解雇されています。

 

【2】時津風親方の判決

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時津風部屋力士暴行死事件の犯人・時津風親方の判決の詳細は、どのようなものだったのでしょうか。

時津風部屋力士暴行死事件の直後、時津風親方は「(かわいがりは)ない」、「(時津風部屋力士暴行死事件に)事件性は一切ない」と語っていたことは、上述の通りです。

しかしその後、時津風親方は、斉藤俊さんをビール瓶で殴り、力士たちに「お前らも教えてやれ」などと言って暴行を指示したことがわかっています。

ぶつかり稽古に2人きりになったのも時津風親方で、その後も救急車を呼ばず適切な処置を施さなかったことがわかっています。

従って、最終的に斉藤俊さんを暴行で死に至らしめたのは、時津風親方と考えられます。時津風親方は、4人の犯人の中でも主犯格であると言えるでしょう。

こういった事実を踏まえ、2009年5月の一審で、時津風親方は”力士たちに暴行を指示した”、”犯行を主導した”、”刑事責任は重い”と指摘され、懲役6年が求められています。

しかし翌4月の二審判決では、時津風親方が遺族に6460万円の被害弁償をしたことで刑が減軽され、懲役5年で確定したようです。

 

【3】時津風親方の死去

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時津風部屋力士暴行死事件の犯人・時津風親方は、2014年8月に死去しています。

愛煙家だったという時津風親方は、懲役刑で服役中、刑務所内で体調を崩し、肺ガンと診断されていました。三重県の病院に入院後、東京都内の病院に移りましたが、そこで死去したということです。時津風親方は64歳で死去しました。

都内の病院にお見舞いに訪れた別の部屋の親方によれば、「その時点ではとても元気そうに振る舞っていた」、「他の力士に声をかけるなどしてくれた」と語っています。

しかしこの時点で、時津風親方は末期がんだったことがわかっています。また、末期がんのため、服役が停止された状態であったとも言われています。

 

時津風部屋力士暴行死事件まとめ

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この記事では、時津風部屋力士暴行死事件の概要・真相や、犯人(主犯)である時津風親方の人物像、時津風部屋力士暴行死事件発覚のきっかけ、犯人の力士たち(怒濤、明義豊、時王丸)の経歴・犯行内容・逮捕・現在など、事件の詳細をまとめましたが、いかがだったでしょうか。

時津風部屋力士暴行死事件までに、相撲部屋で稽古中に死んだ人は17人いたと言われています。そのうち時津風部屋の死亡事故は、時津風部屋力士暴行死事件を含めて3人となっていて、どの部屋よりも多いものでした。

斉藤俊さんのご両親が真相を追求したことで、相撲部屋で行なわれている暴力的な教育が問題視されるようになりました。しかしそれまで、相撲部屋での事件は、暴行事件であっても事故として扱われていたのではないか?と考えられます。

また、時津風部屋力士暴行死事件の後も、相撲部屋での暴力事件は起きています。今後は時津風部屋力士暴行死事件のような痛ましい事件が起こらないよう、角界が注視していくことが望まれます。

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