ドクター中松(中松義郎)の経歴・現在は?政治活動&歴代発明品まとめ! | ToraTora[トラトラ]

皆さんはドクター中松(中松義郎)という人物をご存知でしょうか?もしかすると「変なおじさん」という印象で覚えているという人も多いのではないでしょうか?

というのも、ドクター中松(中松義郎)というのは確かにちょっと変わった人物であるから。

一応、発明家という肩書を持っていて、過去様々な発明品も生み出しているのですが…その多くが「なんでこれを作ったの?」と思ってしまうような変わった発明品ばかりになっていますし。

また1991年から2014年までは、何度も何度も都知事選・参院選・衆院選などの選挙にも繰り返し出馬していて。その度にメディアでも変わったパフォーマンスなどを見せていて、しかも毎回必ず当選できず…ということもいつも繰り返していて、世間を大きく騒がせていたのです。

そうしてそんな変わった発明・行動ばかりするのでドクター中松(中松義郎)は変わった人物だという印象を持たれるようになり、世間の多くの人からは「変なおじさん」扱いされるようにもなってしまったわけです。

ですから実際、ドクター中松(中松義郎)=変なおじさんという印象で覚えている人も世の中には結構多く見られたりするわけなんですね。

ということで今回はこの記事でもそんなドクター中松(中松義郎)について注目。すっかり「変なおじさん」という印象が強まってしまっているドクター中松(中松義郎)ですが…厳密にはどんな発明をしてきたのか。また、どんな活動をしてきてそんな印象がつくようになってしまったのか?

これまで一体どんな人生を歩んできたのか。本当のところはどんな人物なのか。など…この機会に、ドクター中松(中松義郎)の詳しい人物像について改めて色々見ていきたいと思います。

ドクター中松(中松義郎)の家や家族のこと、現在の状況などについてもまとめていくので、そちらにも注目していただければと思いますよ。

もしかしたら新たな情報を知ることができたり、これまでとは違う印象を持てるようになるかもしれませんからね。ドクター中松(中松義郎)のことを知っていた方もそうでない方でも、ぜひ最後まで読んでいくようにしてみてください。

ドクター中松(中松義郎)の生い立ち

それではまずはドクター中松(中松義郎)がこれまでどんな人生を歩んできたのか。その生い立ちや経歴などから見ていくことにしましょう。

まずは簡単なプロフィールと生い立ちからご紹介していきます。

プロフィール

名前:ドクター中松

本名:中松義郎

生年月日:1928年6月26日(2019年現在は年齢91歳)

出身地:東京都

職業:発明家・実業家/ドクター中松創研  代表取締役

ドクター中松(中松義郎)は1928年6月26日、東京府(現在の東京都渋谷区あたり)で生まれ、その後も東京で育ちました。ちなみに母親は東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)を卒業し、教師をしていたそうです。

学校は最初、学区外である麹町小学校に通い始めますが、4年生からは自宅から近い青山師範学校附属小学校(現在の東京学芸大学付属世田谷小学校)に編入するようになります。

そして小学校卒業後は旧制麻布中学校・海軍兵学校舞鶴分校・旧制成城高等学校へと進学。その後はなんと東京大学の工学部への入学も果たすようになるんです。

東京大学はもちろん、それまでの学歴も素晴らしいものですし…ドクター中松(中松義郎)はこの頃からもうかなり優秀な人物であったんですね。

ドクター中松(中松義郎)の経歴

さて、では続いてはドクター中松(中松義郎)の大学卒業後からの経歴についてです。

ドクター中松(中松義郎)が東京大学を卒業してからどのような仕事をするようになり、いつから発明家として活動をするようになっていったのか。そこのところを見ていきたいと思います。

【01】大学卒業後は様々な企業で働き活躍

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引用: Pixabay

東京大学工学部に入学し勉学に励んだドクター中松(中松義郎)は1953年(年齢25歳頃)に卒業をし、その後は三井物産への就職を果たします。

三井物産に入社するとヘリコプターの営業の仕事を任されるようになりますが、この時にヘリコプターによる農薬散布を発案したんだそうです。発明品というわけではないですが、この頃からもう様々なアイデアを生み出すようになっていたというわけですね。

そしてドクター中松(中松義郎)はそうして三井物産で約6年働いた後、1959年(年齢31歳頃)にはイ・アイ・イという会社に転職もするようになります。

その後イ・アイ・イでは約12年働くことに。優秀だったドクター中松(中松義郎)は順調に出世するようにもなっていき…なんと専務・副社長も歴任するようになっていったのです。

【02】独立後自身の会社を立ち上げ発明家としての道を歩む事に

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引用: Pixabay

そうしてイ・アイ・イでは順調に出世していき、副社長にまでなったドクター中松(中松義郎)でしたが…1971年(年齢43歳頃)になると同社の社長と対立をするようになります。その対立をキッカケにイ・アイ・イを辞め、独立することを決心するように。

そして独立するとすぐに自分の会社である「ナコー」(現在のドクター中松創研)を設立。その会社で様々な発明品の研究開発を行うようになり、ドクター中松(中松義郎)自身もいよいよ発明家としての道を歩むようになっていったのです。

そして実際ドクター中松(中松義郎)は会社設立後から続々と様々な発明品も生み出していったんですね。冒頭でもお話したとおり、中には変わった発明品も多くなっていますが…

そのドクター中松(中松義郎)の発明品については後程また詳しくご紹介するので、そちらもぜひ読むようにしてみてください。

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引用: Pixabay

また、いつ頃かや年齢などの詳しい情報は謎なのですが…この頃ドクター中松(中松義郎)は結婚もし子供も3人儲けるようになります。

ちなみに子供は息子さんが2人、娘さんが1人になります。奥さんと息子さん1人の情報はまったく公表はされていないのですが、息子さんもう1人と娘さんの情報は色々分かっているのです。

息子さんのもう1人は中松養成(よしなり)さんといって2019年現在の年齢は40代となっています。シンガーソングライターや写真家として活動をしていて、ブログなどもやられているんです。ですのでネットで検索すればその活動内容や顔写真などを拝見することもできるのです。

また娘さんは中松薫里(かおり)さんといって、2019年現在は西洋時期の上絵付けのアーティストをしているんだそうです。年齢は不明ですが、学歴は幼稚園から大学まで青山学院だったとのことで、ドクター中松(中松義郎)に似た優秀な子だったようです。

しかもドクター中松(中松義郎)は結婚後、なんと30億もの家を建ててそこで家族と暮らすようになるのです。

ドクター中松(中松義郎)は現在もまだその家で暮らしていて、2017年にはTVで紹介もされ大きな話題にもなったんです。(その番組には息子さんの養成さんも出演していたんだとか)家についてもいつ建てられたのか・いつから暮らし始めているのかなど詳しいことは分かっていないのですが。

仕事では様々な活躍や出世をしたり、自身の会社を立ち上げ発明家としての道を歩むようになったりと順調な様子のドクター中松(中松義郎)でしたが…どうやら私生活の方もそれなりに順調ではあったようですね。

ドクター中松(中松義郎)の肩書きは?

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引用: Pixabay

そうして発明家としての道を歩むようになり、実際様々な発明品も生み出すようになっていったドクター中松(中松義郎)ですが…実は活躍していたのは発明家としてだけではありませんでした。

先程プロフィールのところでも書かせていただいたように、実は「実業家」としての一面も持っていて、発明以外の様々な活動にも参加をし活躍をしていたのです。そして「発明家」「ドクター中松創研代表取締役」だけでなく、他にも様々な肩書きを持っていました。

ちなみにその肩書きというのも、日本文化復興会第十代会長・リンカーン記念平和財団総裁・世界宗教連合会総裁・世界宗教法王庁第二代法王・世界婦人平和促進財団最高顧問・国際学士院大学総長といったものになります。

あまり聞き慣れない肩書きばかりなので、どれほどのものかというのは具体的には分かりませんが…すごい肩書きだということは名前からしてなんとなく分かります。国際的なものも多くなっています。

きっとドクター中松(中松義郎)はこうした様々な活動に参加し、そして活躍・貢献をしていたからこそこうした肩書きがもらえたということなのでしょう。

先程の生い立ち・経歴から優秀な人物であるということは分かっていましたが…ドクター中松(中松義郎)は思っていたよりもすごい人物だったのかもしれませんね。皆さんの印象もだいぶ変わってきたのではないでしょうか。

ドクター中松(中松義郎)の政治活動まとめ!

さて、発明家としての活動の裏で実はそうして実業家としても様々な活動をしていたとされるドクター中松(中松義郎)ですが…実はもう1つ、積極的に参加している活動がありました。

それが冒頭でもお話した、様々な選挙への参加。政治活動への参加になります。

1991年から2014年まで(年齢63歳~86歳頃まで)、何度も都知事選や参院選・衆院選などの様々な選挙に出馬。その度に当選できずに終わってしまうのですが、それでも何度も何度も繰り返し出馬をし続け…積極的に政治活動へ参加しようとしていたのです。

ここからはドクター中松(中松義郎)の政治活動の内容についてもまとめていきたいと思います。

【01】ドクター中松(中松義郎)が出馬した選挙まとめ

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引用: Pixabay

以下のものがドクター中松(中松義郎)が出馬した全ての選挙のまとめになります。

1991年 東京都知事選 政党:無所属   当選ならず

1992年 第16回参院選 政党:発明政治  当選ならず

1993年 第40回衆院選 政党:新自民党  当選ならず

1995年 第17回参院選 政党:無所属   当選ならず

1999年 東京都知事選 政党:無所属   当選ならず

2001年 第19回参院選 政党:自由連合  当選ならず

2003年 東京都知事選 政党:無所属   当選ならず

2007年 東京都知事選 政党:無所属   当選ならず

2007年 第21回参院選 政党:無所属   当選ならず

2009年 第45回衆院選 政党:幸福実現党 当選ならず

2010年 第22回参院選 政党:幸福実現党 当選ならず

2011年 東京都知事選 政党:無所属   当選ならず

2012年 東京都知事選 政党:無所属   当選ならず

2013年 第23回参院選 政党:無所属   当選ならず

2014年 東京都知事選 政党:無所属   当選ならず

2014年 第47回衆院選 政党:無所属   当選ならず

なんと63~86歳という年齢にして、計16回も精力的に選挙に出馬をしているんですね。しかもこれだけ出馬をしているのに1度も当選ならず……

普通は数回当選できなければ「もう無理だ」と諦めそうなものですが、こんな年齢でここまで挑戦し続けるなんて…ドクター中松(中松義郎)はただ優秀というだけでなく、同時にすごい情熱の持ち主だったのかもしれませんね。

【02】選挙中は変わったパフォーマンスをしたことも

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引用: Pixabay

これだけ何度も何度も繰り返し選挙に出馬しているというのももちろんすごいことですし、このことでドクター中松(中松義郎)は世間からも十分注目を浴びるようになっていったのですが…

選挙中は他にもあることが理由で大きな話題を呼ぶこととなるのです。それが選挙中の少し変わったパフォーマンスでした。

ドクター中松(中松義郎)は自身の作った発明品をアピールしたりなど、他の立候補者達とは少し変わったパフォーマンスや発言を見せて、世間の人達からの票を集めようと試みたんですね。

例えばドクター中松(中松義郎)の発明品の中にはフライングシューズと言われる有名なものがあるのですが(フライングシューズについても後程詳しくご紹介します)、1991年の東京都知事選(年齢63歳)の時はなんとこのフライングシューズを履いてピョンピョン飛ぶというパフォーマンスを見せたのです。

また2003年の都知事選(年齢75歳)の時には自身の発明品である「ドクター中松ディフェンス(DND)」というものを発表して、「これでミサイル攻撃を防止できる」「北朝鮮のミサイルをUターンさせることができる」という風にアピールもしました。

2011年の都知事選の時は既に年齢が80歳を超えていたのですが、「普段から筋トレで鍛えていて、50トンの重りも持ち上げることができる」などというような驚きの発言をして、80代という年齢でも都知事の激務に耐えられるというのをアピールしたりもしていたんです。

しかしこういった少し変わったパフォーマンスや発言、確かに他の立候補者たちとは違っていて面白いものでしたし、強い印象も残したのですが…結局当選とまではいかなかったわけです。

おそらくこうしたパフォーマンスがキッカケで「変なおじさん」という印象も世間に残すようになってしまったのではないでしょうか。そのためドクター中松(中松義郎)のことを不安視して票を入れなかったという人も多くなってしまったのかもしれません。

【03】ドクター中松の名で出馬をしたことも

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引用: Pixabay

またドクター中松(中松義郎)は計16回のうちの10回の選挙を、本名の中松義郎ではなく、ドクター中松という名義で出馬したこともあったんです。厳密には1999年~2011年までの8回の選挙と、2014年の2回の選挙の時にドクター中松名義で出馬をしています。

これもアピールだったのかどうかは分かりませんが…こうした名前で選挙に出馬する人というのは実際あまりいませんでしたからね。これも強い印象を残すようになり世間の多くの人にドクター中松という名を知ってもらえるようになったわけなんです。

しかし2012年の都知事選の時にあの橋本徹さんに「カタカナ名前はふざけている」と言われたらしく…それで2012年以降は1度また本名の中松義郎名義に戻して出馬をするようになったようです。

結局2014年にはまたドクター中松名義に戻りましたが。本人はやはり本名よりもドクター中松名義で出馬をしたいという気持ちが強かったのかもしれませんね。

ドクター中松(中松義郎)の歴代発明品まとめ!

さて、それではここからはいよいよそんなドクター中松(中松義郎)が実際にどんな発明をしてきたのか。歴代の発明品について見ていくことにしましょう。

冒頭でもお話したように、ドクター中松(中松義郎)はこれまで様々な発明品を作ってきましたが、その多くが「どうしてこれを作ったの?」と思ってしまうような変わったものばかりで…世間からも「変なものを作る発明家」「インチキ臭い発明家」なんていう風に言われてきたりもしたんです。

ですからあまりきちんとした発明品は作っていないという印象もあるのですが……実はきちんと見てみると、中にはびっくりするような本当にすごい発明品も生み出していたということが分かってきたんです。

ドクター中松(中松義郎)は変な発明家などではなく、やはり優秀な素晴らしい発明家でもあったということです。実際作られた発明品を見ていけばそれが皆さんにもよく伝わると思いますよ。

ということでここからはドクター中松(中松義郎)が作った歴代発明品を一緒に見ていくことにしましょう。変わったもの・すごいもの、どちらの発明品にも注目するようにしてみてくださいね。

【01】フライングシューズ

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引用: Pixabay

まず最初にご紹介するのは、先程も少しお話したこの発明品。フライングシューズになります。

フライングシューズは底が板バネになっているピョンピョンと高く飛べるシューズになっていて、ピョンピョンシューズやジャンピングシューズなんていう風に呼ばれていたりもします。

ドクター中松(中松義郎)の代名詞的発明とも言えるほどかなり有名な発明品となっていて、世間にもよく知られているシューズとなっています。先程もお話したようにドクター中松(中松義郎)自身も選挙中に履いて見せたりと、様々なメディアで度々このシューズを登場させアピールしているんです。

まぁただピョンピョンと飛ぶだけのシューズなので、これもやはり「どうして作ったの?」と言えるような変わった発明品の1つではありますが。ドクター中松(中松義郎)が注目を浴びるようになり発明家として世間にも認知されるようになった、そのキッカケを作ったシューズとも言えるんですね。

ちなみにこのフライングシューズ、ドクター中松(中松義郎)が履いたまま旅客機に乗り込もうとしたところ、天井に頭をぶつけてしまい思わず怒った…なんてエピソードもあります。

つまりそれほどよく飛ぶシューズということですね。利用目的はともかく、機能面はバッチリのシューズとなっているようです。

【02】ウデンワ

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「どうして作ったの?」という変わった発明品だと他にもウデンワというものがあります。

これは2003年に発表されたもので、携帯電話を左手に装着・固定できるベルトとなっています。わざわざ携帯電話を手で持ったりバッグなどから出し入れしたりする手間をなくし、いつでもサッと使えるようにした、という発明品になっています。

ただそうしたしっかりした目的はあるものの…「そこまで必要ではない」と世間からもツッコまれるようになりました。

また携帯電話をベルトに装着するだけということで「そこまですごい発明というわけでもない」という風に言われるようにもなってしまったので、これも少し疑問な変わった発明品として知られるようになってしまったのです。

ちなみにドクター中松(中松義郎)は2012年にこのウデンワとそっくりの、スマ手というものも開発しています。スマ手は、スマホを固定できるポケットが付いたグローブになっていて、ウデンワ同様スマホをサッと楽に使えるようにという目的で作られたものになっています。

が、やはりウデンワとほぼ同じということで、これもツッコミどころ満載の発明品として認識されるようになってしまったわけです。

【03】自動パチンコ

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引用: Pixabay

このようにツッコミどころ満載の変わったものが多く、そのせいで変わった発明家という印象も強くなっているドクター中松(中松義郎)ですが……それだけで終わりではありません。

先程もお話したように、中には驚くような本当にすごい発明品も生み出していて、しかもそのすごい発明品でとんでもないほどの収入を得たりもしているんですよ。

そのすごい発明品の中で特に代表的と言えるものが、自動パチンコになります。

そう、これはあのパチンコのこと。なんでも昔パチンコというのは玉を1つ1つ入れて弾いて打つという手動パチンコが普通だったようなんですが、その手動パチンコを自動式にできるように発明し現在のパチンコの形にしたのが実はこのドクター中松(中松義郎)だったのです。

普段は先程ご紹介したフライングシューズやウデンワのように、ちょっと変わったものばかり作っていたドクター中松(中松義郎)でしたが、当時たまたま手動パチンコに目を付けこの自動パチンコを開発したところ、これが見事に大当たり。

その後瞬く間に自動パチンコは世間にも多く広まっていくようになり、現在のようにほぼ全てのパチンコが自動化されるようになっていき、これによりドクター中松(中松義郎)も驚くほど大きな収入を得ることとなったんですね。

ちなみに2017年にTVでドクター中松(中松義郎)の家が紹介されたという風に紹介しましたが、その番組内ではドクター中松(中松義郎)の自動パチンコによる収入を推測して、その額を発表したりもしていたんです。

その推測によると…その自動パチンコによる収入はなんと年間約552億円にも上るんだそうです。これは本当に信じられないような額です……

番組内ではドクター中松(中松義郎)自身も自動パチンコの成功について「僕がお金はいらないと言っても、ひとりでにお金が入ってくる」「それが発明なんです」という風に自信満々に話していたそうです。

変なものばかり作る発明家、としてすっかり有名になったドクター中松(中松義郎)ですが、その陰で実は自動パチンコなんていうこんな立派な発明をして大成功もしていたということだったんですね。

先述したように、やはりドクター中松(中松義郎)は優秀ですごい発明家でもあったということです。これで読者の皆さんのドクター中松(中松義郎)に対する印象もすっかり変わったのではないでしょうか。

ドクター中松(中松義郎)の現在は?

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引用: Pixabay

ちなみにそんなドクター中松(中松義郎)が現在は一体どうしているのかというところですが…2019年現在は91歳という年齢ではありますが、それでも変わらずに元気に生活をされているようです。

実をいうとドクター中松(中松義郎)は数年前に前立腺導管がんということが発覚し、しかも医者から余命は2015年12月31日までという風にハッキリ宣告もされていたんですが、

なんと2015年12月31日になっても亡くなるどころか、体調を悪化させることもないまま、元気にご存命のまま。

2017年に放送されたTV番組にもしっかり出演なさってましたし、2019年になった今でも変わらずお元気なままという風に言われているんです。

もちろん年齢も年齢ですし病気もあるのできっとずっと元気というわけにはいかず、体調が悪い時もあるでしょうが。実際近年は選挙にも出馬をしていないようですし…それでも余命宣告を受けた日をはるかに超え、現在でもご存命なままだなんて、それだけでも本当にすごいことですよね。

しかも噂では、最近は発明よりも息子・養成さんの結婚のことを心配して、お嫁さん探しに夢中になっているなんて話もあったりします。お話したように息子・養成さんは現在40代という年齢ですが未だに独身なままなので、ドクター中松(中松義郎)もそんな息子の将来のことが気になって仕方がないのかもしれません。

またドクター中松(中松義郎)はこれまで「息子の嫁は東大出身が条件」という風に頑なに言ってきて、そのせいで息子・養成さんはなかなか良い人に巡り合えず婚期が遅れてしまったというところもあるようなので、そうなってしまった息子さんにも責任を感じているのかもしれませんね。

とにかく今は「亡くなる前に息子に良い相手を見つけてあげたい」という強い気持ちがあるのかもしれません。その思いがドクター中松(中松義郎)に生きるパワーを与えているのではないでしょうか。

息子さんが良い結婚ができ…でもそこで満足するのではなく、むしろ息子さんの結婚によってさらにパワーをもらって、ドクター中松(中松義郎)がもっと長生きできるようになるといいですね。

発明家おじいちゃんドクター中松!

冒頭でもお話したように…ドクター中松(中松義郎)という人はこれまで変な発明品ばかり作ったり、何度も何度も頑なに選挙に出馬し続けたりと、変わった行動ばかりが目立つ「変なおじさん」という印象が強い人でありましたが

今回この記事を読んで、実はいかにすごい人だったかというのが皆さんにもよく分かっていただけたのではないでしょうか。

学生時代から優秀で様々な企業でも活躍をして、自身の会社を立ち上げ発明家としての活動をしていく一方で、実業家としての活動も精力的に行っていき、素晴らしい肩書きもたくさん。

変な発明品だけかと思いきや、実は自動パチンコなんていうすごい発明品まで生み出していて、それで約500億もの収入も得ていて…30億という家まで建てていて……

変なおじさんというよりは、本当にすごい優秀でパワフルなおじさんと言える人ですもんね。2019年現在はもう91歳という年齢なので、優秀でパワフルなおじいちゃんですね。

しかもドクター中松(中松義郎)は現在でもまだ様々な発明品を考えている、という噂もあります。お話したように、現在は息子・養成さんのお嫁さん探しも大切にしているようですが、やはり発明家としての情熱も未だに残り続けているのかもしれませんね。

そうした発明に対する情熱もまた、ドクター中松(中松義郎)に生きるための強いパワーを与えているのではないでしょうか。

変わった発明品でもいいので、できればドクター中松(中松義郎)らしい新たな発明品をまた何か生み出し、世間に発表もしてほしいです。

まだまだ元気な発明家おじいちゃんドクター中松(中松義郎)の今後にも引き続き注目していきましょう。

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