奥平剛士の経歴まとめ!日本赤軍での活動と重信房子との結婚理由は? | ToraTora[トラトラ] – Part 2

奥平剛士 日本赤軍の最高幹部。奥平純三の兄。 1945年生まれ。京大では全共闘とパルチザン所属。 71年に重信房子と偽装結婚し、レバノンへ渡航。現地で日本赤軍を結成し、PFLPの下で軍事訓練を積む。

翌年のテルアビブ事件で自爆した。 pic.twitter.com/TzR1jnVgFR

— 日本赤軍bot (@JapanRedArmyBot) August 21, 2019

日本の革命や左翼活動として、数々の凶悪な犯罪を犯し日本を驚かせている過激派の犯罪グループ日本赤軍。この日本赤軍で積極的に活動していたのが、奥平剛士さんです。

そしてこの日本赤軍の創設メンバーでもあり、最高幹部として有名であるのも奥平剛士さんです。そんな奥平剛士さんは、同じ過激派グループの日本赤軍の重信房子さんと結婚し家族となっています。

今回は、日本赤軍の奥平剛さんの結婚理由から、奥平剛士と妻の重信房子さんの日本赤軍での活動、遺書についてなど含めた奥平剛士さんについて詳しくご紹介していきます。

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奥平剛士の生い立ち【日本赤軍】

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引用: Pixabay

まずは、日本赤軍で活動していた奥平剛士さんの生い立ちについて触れていきましょう。

なぜこのような日本赤軍で活動するようになったのでしょうか。

【1】生まれ

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引用: Pixabay

奥平剛士さんの地元は山口県です。奥平剛士さんは山口県の下関で生まれていますね。高校生になるまでは、地元である山口県の高校に通っている普通の高校生でした。

ですが、一旦は山口県の高校に入学するもすぐに岡山県の高校に転入をしていています。というのも、山口県から岡山県に転校しているので、地元を離れ高校生になった頃には岡山で生活をしていたことになりますね。

ちなみに奥平剛士さんには、兄弟がいて奥平純三さんという弟がいます。兄弟で日本赤軍での活動をしていましたが、奥平純三とは仲のよい兄弟として一緒に育ってきたのが分かるでしょう。

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奥平剛士さんは、20代で重信房子さんと結婚し新たな家族ができました。

しかし、この結婚が日本赤軍の活動による偽装結婚だったことが分かります。奥平剛士さんは、重信房子さんと偽装結婚し家族になった後に、レバノンのベイルートに出国し日本を離れることとなったのです。

家族の一員になり妻となった重信房子さんは、同じ日本赤軍の重要人物であり同じ同志で結婚をしているということになります。この結婚後には、大きな重要テロ事件を起こすこととなるのです。

【3】自殺

リッダ戦士の墓
1999年にレバノンのベイルート・シャティラ地区にあるパレスチナ人墓地に作られた。当初は奥平剛士と安田安之の2名のみが葬られていたが、その後に死亡した檜森孝雄と丸岡修も新たに葬られた。 pic.twitter.com/hUWcpuPbkE

— 日本赤軍bot (@JapanRedArmyBot) August 25, 2019

遺書が発見されます。

奥平剛士さんは、重信房子さんと偽装結婚をした後すぐに出国していたわけですが、この後にテルアビブ空港乱射事件という、大きなテロ事件を奥平剛士さん・重信房子さん含めた仲間と共に企て死亡してしまったのです。

中には、このテロ事件の銃撃戦で「射殺されたのではないか」という説もあり、詳しい詳細は分かっていませんが自殺として処理されています。ですが、母親・父親の家族に残した遺書が見つかったことから、自殺であったと分かったのでしょう。

遺書の内容には、「生きて帰ることはない」とはっきり書いていたことから、遺書を書く時点で死が分かっていたのでしょうか。遺書には、奥平剛士さんが家族に感謝する言葉の内容が詰まっていました。

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奥平剛士の経歴【日本赤軍】

【1】京都大学工学部進学

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奥平剛士さんは、重信房子さんと結婚する前は京都大学に進学しています。地元の山口県と高校の岡山県を経由し家族と離れて、関西に引っ越ししていることが分かります。

また、京都大学に進学するということは、奥平剛士さんはとても優秀で頭のいい青年だったことも分かるでしょう。そしてこの京都大学に進学しながら、同時にセツルメント活動・日本民主青年同盟の一員になっており活動していました。

さらに、一回この活動をやめて、京都大学の滝田修さんという方のパルチザンの構想に深く関心をもったことがきっかけで、全共闘運動への参加を決めています。この頃から、日本赤軍活動に関わりをもつことになってきたのでしょう。

【2】日本赤軍が誕生し参加

奥平剛士さんは京都大学に進学し、後に家族となる重信房子と偽装結婚をするきっかけになったのが日本赤軍です。奥平剛士さんは、日本の革命と共産主義化の実現を目指すことで日本赤軍を創設していきます。

内容は主に、警察署の襲撃・銀行強盗・企業連続爆発事件などの数々の凶悪犯罪を起こす過激派テロ組織として活動していく、というものです。この日本赤軍で重要中心人物として主に活動していたのが、この奥平剛士さんや後に家族になる重信房子さんらということになります。

【3】テルアビブ空港乱射事件

奥平剛士さんや重信房子さんが日本赤軍で活動し、この後で偽装結婚を成立させ家族になった後はデルアビブ空港乱射事件のテロを起こします。この事件の内容については、後で詳しくご紹介しいきますが、この事件の重要人物が奥平剛士さんということです。

というのも、この事件では奥平剛士さんを含めた3人の中心人物が主に関わっており、死者を出すなど大きな事件として世界中を恐怖に陥れたテロ事件になりました。この事件で乱射騒動を起こし、中心といて活動していたのが奥平剛士さんだったのです。

結局は、この事件の後に家族に遺書を残し自殺を図っているわけですが、人生のほとんどが左翼活動に関わっていたことが分かります。

奥平剛士の日本赤軍参加の経緯

【1】きっかけ

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先ほども軽く説明いたしましたが、奥平剛士さんが日本赤軍に参加するきっかけとなったのが、大学生時代からはじまります。大学生時代には、同時に様々な活動に取り組んでいます。

また、一番のきっかけとなったのが、当時大学助手だった滝田修さんのパルチザンの構想に感銘を受けたからというのが、一番の決めてだったのではないでしょうか。この頃からは、積極的に活動に取り組み強い意志が感じられます。

【2】日本赤軍の創設

重信房子 日本赤軍の最高指導者。 1945年生まれ。明大紛争に参加し、赤軍派の創立に加わる。 71年に奥平剛士と偽装結婚し、出国。レバノンで日本赤軍を結成し、奥平亡き後の赤軍を統括した。

2000年に大阪で逮捕。翌年に日本赤軍解散。 pic.twitter.com/v9G5DfwoeZ

— 日本赤軍bot (@JapanRedArmyBot) August 29, 2019

奥平剛士さんが日本赤軍参加する経緯というよりも、家族になった重信房子らと自ら日本赤軍を創設しているのです。一番の目的は「世界に革命を起こす」ということがきっかけですが、それに向けて積極的に取り組んだ証がこの日本赤軍の誕生になります。

元々、赤軍派だった重信房子と、大学時代に感銘を受け京都パルチザンに参加していた奥平剛士さんが結合して、同地で創設したのがきっかけです。日本赤軍は元々「アラブ赤軍」などと呼ばれていたそうですが、後に日本赤軍として有名になり活動を繰り広げていったとされています。

【3】メンバー

上記の説明で分かると思いますが、奥平剛士さんが日本赤軍に参加したというよりは、自分たちで結合して日本赤軍として創立させています。そして、この日本赤軍の参加者として加入していたメンバーが、家族である奥平純三さんという弟でした。

また、重信房子さんや奥平剛士さんをはじめとして、家族である弟、その他5人以上が有名なメンバーとして名を残しているのです。

奥平剛士の日本赤軍での活動

【1】拠点はレバノン

奥平剛士さんらが日本赤軍を結成した当初は、レバノンを拠点としテロ活動を行なっていました。始まりは、パレスチナの過激派と一緒に日本航空機を狙ったハイジャック・イスラエル闘争では一般人を狙った乱射事件などを起こしています。

さらに、奥平剛士さんらは止まることなく、大使館を狙った武装攻撃や、身代金を目的としたハイジャックも含め数々の凶悪なテロ活動を行なっていたのです。

【2】最初はKGBのエージェント

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名前が日本赤軍に改名されるまでは、パレスチナ解放人民戦線の外部司令部からの指示の元、活動していたようです。ですので、日本航空のハイジャックや乱射事件などの数々は、こちらの指導のもと行われていたといえるでしょう。

ですが、こちらから一旦離れてから奥平剛士さんや重信房子さんらを含めた人たちが中心人物となって活動していたことになります。この頃は、自分たちで考え模索し活動をしていたようで、この時期に奥平剛士さんらが日本赤軍に改名していました。

【3】解散

奥平剛士さんらは初めは順調に活動を行なっていたものの、次第に時代遅れとなっていき活動連携や資金繰りが難しくなっていったそうです。そのため、日本赤軍の活動はほとんど行えないという状況に追い込まれています。

さらに、奥平剛士さんは遺書を残したまま自殺したことや、破滅に追い込まれ逃亡をしていた日本赤軍のメンバーも見つかり次々逮捕されていきました。この一連の騒動もあり、日本赤軍は解散を余儀なくされています。

テルアビブ空港乱射事件の概要

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世界規模で恐怖に陥れた、日本赤軍のテロ事件の中でも最も有名なのがテルアビブ空港乱射事件。

奥平剛士らが自ら率先したこの事件についてみていきます。

【1】実行犯

パトリック・アルグレロ隊 テルアビブ事件の実行部隊。 部隊名は1970年のPFLP旅客機同時ハイジャック事件で殺害されたPFLP義勇兵のパトリック・アルグレロから取られた。

奥平剛士を筆頭に、安田安之、岡本公三の3名で編成されていた。 pic.twitter.com/25B1B2JY9d

— 日本赤軍bot (@JapanRedArmyBot) September 1, 2019

この事件の実行犯となったのが、日本赤軍の中心人物であった奥平剛士さんです。その他、日本の大学生のメンバー2名が実行犯として乱射事件を起こしました。

テルアビブ空港で、持っていたスーツケースから拳銃を取り出し、旅客ターミナル内で一般人を含み無差別で乱射していきます。そしてまだ乗客を乗せていた旅客機に2発の手榴弾を飛ばしているのです。

この一連の乱射事件での死亡者は26人にも登り、その他多勢のかたが重症をおっています。

【2】目的

奥平剛士さんらが、この乱射事件を起こすことになった経緯というのが「サベナ機ハイジャックの失敗」ということがあります。そして日本赤軍との協力のもとこの乱射事件が実行されたのです。

そして実際に奥平剛士さんらが起こしたこの乱射事件により、イスラエルの大統領になる人物の身内や、プエルトリコ人が被害者となっているのです。具体的な計画などは、奥平剛士さんが遺書を残して手榴弾によりこの場で自殺を図っているので不明なままだそうです。

【3】前代未聞の事件になった

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この乱射事件は、関係のない一般人も殺害したことで世界規模で大きな衝撃を与えました。日本赤軍をはじめ、テロリストが無関係な一般人を巻き込むというのに前例が無かったためです。

ですが、イスラエルと当時対立関係にあったパレスチナ側では、遺書を残し自殺した奥平剛士さんやその他2名の実行犯を英雄と称えていたようですね。そして遺書を残し自殺した奥平剛士さんと、実行犯の一人がその場で亡くなっていますが、生存した1名はイスラエルで終身刑を受けるも釈放されています。

奥平剛士の出版本がある

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今となっては遺書を残し自殺したなき奥平剛士さんですが、実は奥平剛士さんの出版本があります。

詳しく見ていきましょう。

【1】天よ、我に仕事を与えよ

奥平剛士「天よ、我に仕事を与えよ―奥平剛士遺稿」 (1978年)

この本がamazonで古本でも手に入らないというのはどうしたことか。
不朽の名著なのに。

— 八島健助 (@ken2675pigtig) January 22, 2017

この出版本は、奥平剛士さんがテルアビブ空港乱射事件で遺書を残し戦死したと言われている遺稿集になります。この本の内容には、奥平剛士さんの京都大学時代のセツルメント活動から、日記や読書ノートなどが記されているものです。

さらに、奥平剛士さんの戦士としての部分だけではなく、遺書を残し亡くなった乱射事件までの一人の青年としての半生を綴ったものになります。奥平剛士さんは、これまでの活動を読書で通じてずっと戦ってきたようですね。

この本には、家族み対してあてた遺書についてのこれまでの生き方も綴られているものになっています。

【2】唯一の出版本

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この「天よ、我に仕事を与えよ」という出版本は、これが最初で最後です。唯一の遺稿集になっており、とても貴重な一冊として名を残している奥平剛士さんの本になります。

このタイトルも、今は亡き奥平剛士さんの自身が考えた言葉だそうです。

【3】重信房子の出版本

最近は電子書籍ではなく、ブックオフで本を買って読むようにしてる。 1ヶ月に1冊目標。

#日本赤軍 #重信房子 #共謀罪になるかもね? pic.twitter.com/hFstejoJyM

— びすこⓒ (@623_sideB) July 9, 2017

奥平剛士さんの唯一の出版本ですが、妻である重信房子さんの出版本もあります。このタイトルは「革命の季節・パレスチナの戦場から」というものになっていて、奥平剛士さんらと共にリッダ闘争について描かれているものです。

ひたすら未熟ながらに戦った日々を通して、様々な内容が綴られているようですね。奥平剛士さんと重信房子さんのそれぞれの内容がびっしり書き込まれ、活動で何かを変えたのかという全貌を知ることができます。

奥平剛士まとめ【日本赤軍】

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引用: Pixabay

いかがでしたでしょうか。

今回は日本赤軍の中心人物であった奥平剛士さんについてご紹介していきました。セツルメント活動から、日本赤軍に移行し世界的なテロ事件を起こし亡くなっていった奥平剛士さんの全てが分かったのではないでしょうか。

奥平剛士さんや、偽装結婚した重信房子さんの半生全てはこの出版本を読めば全貌があきらになるでしょう。現在は平和な日本ですが、当時はこのような闘争が実際に行われていたのが想像もつきません。

人事ではなく、一人一人が考えさせられる出来事として胸に刻んでいきたいものです