三鷹ストーカー殺人事件の真相!池永チャールストーマスの現在は?【リベンジポルノ】

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三鷹ストーカー殺人事件とは?

引用: Pixabay

この「三鷹ストーカー殺人事件」とは、2013年10月8日の午後16時53分頃、東京都三鷹市で発生したストーカー殺人事件でした。

「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人は、元トラック運転手で「自称・関西有名私立大学」の池永チャールズトーマス(当時21歳)である事が判明しました。

また「三鷹ストーカー殺害事件」の被害者・鈴木沙彩さん(当時18歳)は、犯人の池永チャールストーマスと交際していた女子高生である事がわかりました。

交際相手だった「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんは、池永チャールストーマスに「執拗なまでのストーカー行為」を繰り返される事となり、その揚句、首や腹など計11カ所をメッタ刺しにされ殺害される事となってしまったのです。

その後「三鷹ストーカー殺人事件」が誘引となり「リベンジポルノの関連法案」が国会で成立する事となったのでした。

 

三鷹ストーカー殺人事件の概要!

引用: Pixabay

さて、これから「三鷹ストーカー殺人事件」の概要を解説させていただきます。

「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんと近い年齢の娘さんを持つ親御さんにとっても決して他人事ではない「三鷹ストーカー殺人事件」だったのでしょう。

 

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【1】「SNS」が元凶だった三鷹ストーカー殺人事件


引用: Pixabay

「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスと、被害者・鈴木沙彩さんは2011年10月に「SNS」のフェイスブックを通じて出会う事となります。

当時、他の男性からしつこく連絡を受け悩んでいた「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんが、池永チャールストーマスに悩みを相談した事が交際のきっかけになったようでした。

その後、池永チャールストーマスは鈴木沙彩さんに「関西有名私立大学生」と偽って交際する事となります。

そうとは知らず「純朴」な女子高生の鈴木沙彩さんは、次第に「イケメン」な池永チャールストーマスに入れ込む事となってしまったのです。

 

【2】「SNS」の危険性に無頓着だった鈴木沙彩さん

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引用: Pixabay

恋は盲目」といいますが、誰しも熱くなっている時は余計な事は考えないものです。「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんもそのひとりだったのかもしれませんでした。

交際が進むにつれ、「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスにプライベート画像を送るようになった鈴木沙彩さん。

しかし、それら画像の中には「性的」な画像も含まれていて「SNS」で知り合っただけの池永チャールストーマスに「安易にプライベート画像を送信」していた鈴木沙彩さんの行動が世間から指摘される事となります。

危険性が高い行動を、鈴木沙彩さん自ら行っていた事が後に問題視される事となったわけでした。

 

【3】「出会いから1年後」~別れを切り出してきた鈴木沙彩さん

引用: Pixabay

2011年の10月頃に「SNS」フェイスブックを通じ「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんと出会う事となった池永チャールストーマスに悲劇が起こります。

それは、海外留学が決まった鈴木沙彩さんから伝えられる事となった「サヨナラ宣言」でした。

「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスにとって想定外の事だったのかもしれません。

その後、予定通りに海外へ留学する事となった鈴木沙彩さんでしたが、翌年の2013年に帰国の途に着く事となります。

しかし、そこに待っていたのは池永チャールストーマスからの「執拗な復縁話」。

徐々に、鈴木沙彩さんは「地獄への階段」を下る事となったのです。

 

【4】「着信拒否」~ストーカーに豹変する事となった池永チャールストーマス

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引用: Pixabay

海外留学を終え、2013年に帰国した「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんに待っていたのは「ストーカー地獄」でした。

「三鷹ストーカー殺人事件」の扉が開いた瞬間でもあったのです。

帰国した2013年・6月頃には、あまりにもしつこかった「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスに、困惑した鈴木沙彩さんは着信拒否をする事となりました。

鈴木沙彩さんに連絡を取りたいがばかりに、池永チャールストーマスは周囲の知り合いから携帯を借りる事となります。

完全に「着信拒否」されていた池永チャールストーマスの携帯だったゆえ、そうせざる負えなかったのでしょう。しかし、どの電話にも出なかった鈴木沙彩さんに、次第に「恨み」を募らせていく事となります。

それらが「鈴木沙彩さん殺害」のきっかけになったのはいうまでもありませんでした。

 

【5】「鈴木沙彩さんの卑猥画像を拡散」~池永チャールストーマスの執念

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恨みに凝り固まる事となってしまった「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスは「三鷹ストーカー殺人事件」発生の数日前からネット上に鈴木沙彩さんの卑猥画像を流す事となります。

実は「XVIDEOS」や「2ちゃんねる」に複数アカウントで鈴木沙彩さんの画像や、動画を投稿していた池永チャールストーマスだったのです。

つまりはリベンジポルノでした。

このXVIDEOSですが「白人・黒人・日本人・ロリータ・ホモ・レズ・熟女から超熟女」まで多種多様にカテゴリー分けされている超人気なアダルトサイトとなっております。

ハイクオリティな動画を無料で視聴できるとあって、男性なら必ずお世話になっているサイトといっても過言ではなかったのでした。

そのようなサイトに鈴木沙彩さんの動画や画像を流したわけですから、どれだけ多くの男性の目に触れていたのかは、もう皆様にもお察しが付く事なのでしょう。

鈴木沙彩さんのご両親が言われていた「娘は二度殺された」という言葉の意味がこの事だったのです。

投稿された画像の中には、明らかに鈴木沙彩さんの自撮りも含まれていた事から「高校生がこんなことをして」「自己管理が甘かったのでは?」「どうみても自業自得じゃない?」などと世間の目が冷やかであった事も事実だったようです。

また、池永チャールストーマスは鈴木沙彩さんと同時進行で3歳年上の女性と交際していた事が発覚する事となります。

同じくその交際女性も、池永チャールストーマス動画アップされていた被害者でしたが、その後、直ぐに「動画削除」を行い女性に謝罪していたとの事でした。

 

【6】「鈴木沙彩さん殺害の予行練習」をしていた池永チャールストーマス

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実は「三鷹ストーカー殺人事件」発生前の2か月前、「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスは、鈴木沙彩さん殺害にあたり、予行練習まで積んでいた事実が浮上する事となります。

図書館で「人体の急所」について記した書物を読みあさったり、自宅のパソコン内には「三鷹ストーカー殺害事件」の被害者・鈴木沙彩さんの殺害計画を綴った文章が残されていたのでした。

しかも、池永チャールストーマスは信じられない事に知人を相手に「鈴木沙彩さんの首を切る練習」まで行っていたのです。

その際、目隠しをして視界が遮れられた状態でも確実にとどめをさせるよう、入念に予行練習を行っていたというのですから執念以外の何物でもなかったのでしょう。

ただ、その「練習」に付き合っていた友人にも問題はあったのかもしれません。池永チャールストーマスの事を本当の「友」と思っていた友人ならば、そのような練習に付き合うはずはなかったからでした。

 

【7】「2013年10月4日」~警察に相談していた鈴木沙彩さん

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9月27日に「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスは、自身の住んでいる関西から東京に高速バスで移動する事となります。

その翌日に、池永チャールストーマスは武蔵野市の雑貨屋で「刃渡り13センチのぺティナイフ」購入に至る事となったのです。

それ以降、池永チャールストーマスは購入したぺティナイフを隠し持ち、鈴木沙彩さんの自宅付近でストーカー行為を繰り返す事となったのでした。

それに気付いた「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんは、自身の通う高校の教師に相談。その後、鈴木沙彩さんから相談を受けた教師が警察に連絡する事となります。

連絡を受けた三鷹署は、教師の相談を受け「鈴木沙彩さんの自宅警戒を実施する事となりました。

実は「三鷹ストーカー殺人事件」発生当日、連日のように待ち伏せする池永チャールストーマスに業を煮やした両親は、その日の午前中に娘の鈴木沙彩さんと共に三鷹署に出向いて相談していた事がわかったのでした。

その後、両親から相談を受けた三鷹署は、池永チャールストーマスに何度となく電話を入れる事となりますが、本人が出なかったため留守電に「折り返し連絡してください」というメッセージを残す事となったのです。

 

【8】でももう「時は既に遅し」~背後に迫っていた殺人者

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両親と警察に向かい、その後学校に登校した「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんでしが、元恋人にあのような酷い殺され方をされるなんて誰が想像する事ができたのでしょう。

鈴木沙彩さんの輝かしい未来をも奪ってしまった「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマス。その罪の重さは死刑に値するものでした。

しかし、その後の裁判では「ご両親が納得する事のできない結果」に終わる事となり、ご両親は愛娘・沙彩さんの墓前にどのように報告されたのか・・・それを想うと本当にいたたまれない気持ちになるのでした。

では、次の章で「三鷹ストーカー殺人事件」の犯行場所と、その残虐極まりない犯行内容をじっくりとご覧ください。

 

三鷹ストーカー殺人事件の犯行場所は?

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これから「三鷹ストーカー殺人事件」の発生場所について詳細を記していきます。

また、犯行内容についても併せて解説させていただきます。

 

【1】鈴木沙彩さんの部屋に潜んでいた犯人

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非常におぞましい事ですが「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスは、既に事件当日の昼には「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さん宅に偲び込んでいた事がわかったのでした。

池永チャールストーマスは、2階の鍵のかかっていなかった窓から室内へと侵入し、一階にあった鈴木沙彩さんの部屋のクローゼットに身を潜める事となります。

この日、鈴木沙彩さんのご両親は共に仕事だったため、実質「不在」の状態でした。でも、いつもと変わらぬ光景に特に「違和感」を感じなかった鈴木沙彩さんであった事は容易に想像できたのでした。

夕方学校から帰宅後、三鷹署署員に電話で「無事に帰宅した」という旨を伝えていた鈴木沙彩さんでしたが、まさか自身の部屋に池永チャールストーマスが潜んでいたなんて夢にも思わなかったのでしょう。

その一方でクローゼットに潜んでいた池永チャールストーマスは、意外な行動をとっていた事が友人の証言により判明したする事となったのです。

 

【2】黙々と「無料通信アプリ」で友人に心情を語っていた

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実は「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスは、潜むクローゼットの中で、黙々と友人にメッセージを発信していた事がわかったのでした。

その内容ですが、鈴木沙彩さんを「殺害するかどうか躊躇っている事や、自分自身を責めたりするなど、殺人鬼とは思えないような繊細な心の内を明かしていた事が判明する事となったのです。

 

【3】ついに行動を起こす事となった犯人

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「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんが三鷹署に報告したのが「16時51分」でした。

そして、殺害か決行されたのが「16時53分」。

クローゼットに潜んでいた「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスは、ついに鈴木沙彩さんに襲い掛る事となってしまったのです。

クローゼットから飛び出してきた池永チャールストーマスに驚いた鈴木沙彩さんは、急いで屋外に脱出、家の前の道路まで飛び出す事となりました。逃げ回る鈴木沙彩さんを執拗に追いかけ回した池永チャールストーマスはついに・・・!

鈴木沙彩さんに向けたぺティナイフで首や腹「合計11カ所」をメッタ刺にしてしまったのです。この時、鈴木沙彩さんは「断末魔の叫び」をあげながら大量の血と共に地面へ倒れ込む事となりました。

 

【4】11カ所のうち3カ所が致命傷に・・・

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「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんは、すぐに救急搬送されるも首などを集中的に刺されていたため、その事によって絶命する事となりました。

短時間で「急所」目がけてぺティナイフを動かしていた「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマス。

池永チャールストーマスにとって、あの「予行練習」が力を発揮していたのかは定かではありません。でも、鈴木沙彩さんへの激しい恨みが背景にあった事は間違いなかったのでした。

その後「三鷹ストーカー殺人事件」発生から3日経って、付近の路上で犯行に使われたぺティナイフが発見される事となったのです。

 

【5】同日午後6時半、付近をうろつく池永チャールストーマス逮捕

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三鷹署は、その場から逃走していた犯人確保に全力を注ぐ事となりました。

その後、三鷹市牟礼3丁目の路上で捜査をしていた三鷹署員が、紫のターバンを巻き白人風の風貌をしていた池永チャールストーマスに気が付き「殺人未遂容疑」で逮捕する事となったのです。

そして、その逮捕から30分後、搬送先の病院で鈴木沙彩さんの死亡確認がなされる事となったのでした。

10月29日に東京地検立川支部は、池永チャールストーマスを「殺人」「銃刀法違反」「住居侵入罪」で東京地裁立川支部へ起訴する事となります。

 

鈴木沙彩のリベンジポルノが流出?【三鷹ストーカー殺人事件】

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「三鷹ストーカー殺人事件」の概要で触れた「リベンジポルノ」の詳細についてもう少しお話ししていきたいと思います。

 

【1】リベンジポルノの定義

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まずは、リベンジポルノの定義について解説させていただきます。

リベンジポルノとは・・・

  • 離婚した元配偶者や別れた元交際相手が「自分を拒否する相手への仕返し」として、交際時に撮影した画像や動画を卑猥なアダルトサイトへ掲載し、元パートナーに対して辱めの行為を継続して行う

これがリベンジポルノの定義でした。

もしかしたら我々が閲覧しているアダルトサイトの素人動画には、そのような「ワケありの動画」が含まれている可能性も無きにしも非ずでしょう。でも「三鷹ストーカー殺人事件」が発端となって「リベンジポルノ」という言葉が世に広まった事は確かだったのです。

この「三鷹ストーカー殺人事件」発生後も、世間ではリベンジポルノ被害は後を絶たず、深刻な社会問題となっているのが現状でした。

 

【2】鈴木沙彩さんのような被害に遭わないためにも・・・

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交際相手とは「永遠の関係でいられない可能性がある」事を常に意識し、以下の行動は絶対に慎むようお願い申し上げます。

  • セックス中のふたりの様子
  • フィンガーセックスの様子
  • オーラルセックスの様子
  • 卑猥な言動をしている様
  • 女性器の露出
  • ランジェリー姿

これらを実行しない事により、被害は最小限にとどめる事が出来るのです。

また、リベンジポルノの被害件数ですが、年間1000件以上の相談が警察に寄せられているそうでした。平成26年の相談件数は、110件、翌年の27年には一気に増加して1143件。あなたは信じられますか?

 

【3】リベンジポルノ被害に遭ったら即弁護士へ!

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画像、動画拡散を防ぐためにも、リベンジポルノへの対応は「迅速」が要となります。

リベンジポルノの一般相談的な場所は多く存在していますが、スピード解決を願うのならやはり弁護士に頼るのが1番の得策といえるのでしょう。

~弁護士の対応とは?~

  • 投稿された自分の画像や動画の削除
  • 犯人の特定
  • 犯人への慰謝料請求

弁護士に相談するとこのような対処をして下さるそうなのです。

なので、ひとりで悩まずに即相談する事を絶対にお勧めいたします!「勇気ある一歩」「勇気ある行動」を念頭に置く事で自身で命を守る事は可能となるのです。

絶対にひとりで抱え込んではいけません。

 

【4】鈴木沙彩さん画像・動画流出~結果、世間の反応は厳しかった

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「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスが流出させた「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんの画像や動画は決して卑猥なものばかりではなかったようでした。

その中には「何気ないショット」などもあったそうでしたが、その画像の中に「葬儀中」であろう写真も含まれていたのでしたが、その画像が後に物議を醸し出す事となってしまったのです。

理由は、鈴木沙彩さんが「飲酒」をしていたと思われる画像だったからでした。

その後、この写真を目にした世間の人々により、鈴木沙彩さんのみならず鈴木沙彩さんのご両親までもが中傷のターゲットとなる事に。

結局、「怒りに感けて」池永チャールストーマスが、鈴木沙彩さんの写真を流すような事をしたために、ご両親まで誹謗中傷される事態になったわけでした。

なぜ、鈴木沙彩さんのご両親が「たったひとりの愛娘」を奪われた揚句、世間からこのような仕打ちを受けなければならなかったのか・・・

「踏んだり蹴ったり」とは、まさしくこのような事を指していたのではないのでしょうか。鈴木沙彩さんのご両親がお気の毒でしかたがありません。

 

「華々しい経歴の持ち主」~鈴木沙彩さんの素顔とは?

これからは「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんの生い立ちにスポットを当てて行きたいと思います。

生前の鈴木沙彩さんはどのような女の子だったのか・・・。亡き故人を偲びながら歴史を振り返ってまいりましょう。

 

【1】鈴木沙彩さんのプロフィール

  • 名前:鈴木沙彩(すずきさあや)
  • 愛称:sammy
  • 出身:東京都
  • 生年月日:1995年6月22日生れ
  • 年齢:享年18歳
  • 血液型:A型
  • 身長:161cm
  • 体重:45Kg
  • 家族構成:()映像関係(母)現代美術画家(ひとり娘)鈴木沙彩さんの3人家族
  • 趣味ピアノ・ヒップホップ・ランニング
  • 特技:英語・絵
  • 高校:文化女子大学付属 杉並高等学校

 

【2】小学生の頃から劇団に所属

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小学生の頃から女優を目指していた「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんは、高校進学後も学校に通いながら芸能事務所に所属していたそうです。

また、鈴木沙彩さんの特技が「絵画」という事でしたが「なるほど・・」と納得させられる新事実が判明する事となりました。

実は、鈴木沙彩さんの大伯父は脚本家の倉本聡で、曾祖父は美術家の高松次郎という芸術家が勢揃いする血筋である事が分かったのです。

他にも、親族には音楽家・芸術家・グラフィックデザイナーなどが勢揃い。

この血筋ならば、絵画のみならず「女優として才能を開花」させようとしていた鈴木沙彩さんであった事は十分に納得できたのでした。

 

【3】学業・女優業共に優秀だった鈴木沙彩さん

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小学5年生の時に芸能事務所にスカウトされて芸能界入りとなった「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さん。

2010年に公開された「冷たい部屋」で女優デビューを果たす事となります。

2012年2月には、横浜市内で開かれた横浜国大教育人間学科学部・マルチメディア文化課過程の卒業制作展に出品された短編映画「ガレージ・ドライブ」に出演されていた鈴木沙彩さん。

その後、皆様にお馴染みの「浅見光彦シリーズ第44弾 砂宴宮」で、中村俊介さんやダンカンさんとも共演を果たす事となったのです。

「学業においても非常に優秀」だった鈴木沙彩さんは、特に英語が群を抜くほど優秀だったそうで、将来は海外で活躍したいとも夢を語っておられたそうでした。

フェイスブックで知り合う事となった池永チャールストーマスに殺害される事となったきっかけが、まさにその英語を生かして経験する事となった「海外留学」だったのです。

 

【4】「鈴木沙彩さんが通っていた高校判明」~その余波は?

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「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんが通っていた高校は「文化女子大学付属 杉並高等学校」でした。

「三鷹ストーカー殺人事件」発生後、一時はイメージダウンによる受験者数減少などの懸念もされていたようです。ですが、学校が直接関与していなかったため学校への批判は少なくて済んだようでした。

「三鷹ストーカー殺人事件」後、「文化女子大学付属 杉並高等学校」は2日間ほど休校していたそうです。

また、生徒であった鈴木沙彩さんのストーカー被害の訴えをキチンと受け止めていた高校に対して、世間では警察への通報を怠らなかった教師への対応等を「評価」する動きもあったそうでした。

 

【5】両親にとって「念願のひとり娘」だった鈴木沙彩さん

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「三鷹ストーカー殺人事件」の犠牲者・鈴木沙彩さんは、資産家の両親のもとで大切に育てられたお嬢さんでした。

以下、「ご両親の哀しみのコメントになります。

私たちは今、苦しくて悲しい思いの中におります。

 娘を大切に育てたつもりです。

 娘を厳しく育てたつもりです。

 そして、娘を守る決心をしておりました。

 しかし、娘は旅立ち、神様のもとにまいります。

 皆様にはご心配をおかけしておりますが、心配をしてくださる多く

      の方のご理解とご協力を得て、今はただやすらかに天国に送ってあ

      げたいと思います

以上、鈴木沙彩さんのご両親のコメントでした。

ひとり娘に先立たれたご両親の悲しみは、我々の想像を絶するものであった事は間違いなかったのでしょう。鈴木沙彩さんの死は、ただただ「無念」の一言に尽きるのかもしれません。

 

【6】鈴木沙彩さんとゆかりのあった方々のコメント

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生前の鈴木沙彩さんとゆかりのあった方々」からのコメントを一部抜粋させていただきます。

~鈴木沙彩さんが通っていた高校の学校長~

英語を必死に勉強し、「将来への夢と希望をたくさん持っていた」事でしょう。そのような平和な日常と、かけがえのない命を奪った犯人を許す事はできません。彼女の叶えたかった夢や、これまでの頑張りを思うと無念な気持ちが募ります。

~近所の住人~

  • 通学時に顔を合わせると変わらずににこやかに挨拶していました。「いつも元気な子」でしたが事件に巻き込まれるなんて・・・。
  • 親戚の小さな子どもをよく見て家の前で遊んであげる姿が印象的で「素直で優しい子」でした。
  • いいお嬢さんでした。近所の幼稚園児と玄関前でよく遊んでいました。縄縄跳びをしたり、チョークで絵を描いてあげたり本当に「面倒見がよい子」でした。会えば必ず挨拶をする素直で明るい子でした。
  • ハキハキとした口調で朝夕の通学時にきちんとあいさつをしてくれてました。「すごく可愛らしい子」で家庭も厳しくて遊び歩くような子ではありませんでした。

~5年間鈴木沙彩さんのマネージャーを務めた男性~

本当にお父さんが大好きな子でした。成績も優秀で自分の考えをしっかりと持っていた。「女優としてこれからだったのに・・・」。

~共演した俳優・中村俊介さん~

現場では、出演者や監督・スタッフの皆さんにとてもかわいがられていました。とにかく真面目で、「ひたむきに取り組む」姿がとても印象的でした。

~父親役で共演したダンカンさん~

「明るい子」でしっかりしていましたよね。監督の指導も真剣に聞いてましたよ。それなのになんて事を。ひどいですよ・・・ひどすぎます。

~桶川女子大生ストーカー事件の被害者の父~

留守番電話で警察に名乗った以上、彼女に張りついて守り抜く姿勢がほしかった。沙彩さんは数カ月もの間つきまとわれていたと聞いていますが、まさに自分の娘と同じような「長い苦しみがあった」のでしょう。悔しいし、残念です。

~鈴木沙彩さんの友人~

将来の希望を全て奪われ、残された人は「皆心を押しつぶされそう」になっています。こんな事が許されると思いますか?

~鈴木沙彩さんの同級生~

両親が厳しくて性格も真面目でした。遊んでいるわけでもなかったです。友人らからは「姫」と呼ばれるほど「可愛くて目立っていた」存在でした。

鈴木沙彩さんの葬儀で同級生代表を務めた学生~

沙彩がいなくなったとは思ってないから「クラス34人で一緒に卒業しようね」。

~鈴木沙彩さんの葬儀に参列した女性~

「花嫁衣装」を着ないで、あの世に行ってしまった事がかわいそうで・・。犯人を絶対に許せません。

~鈴木沙彩さんの棺に献花した親族~

お顔は綺麗になっていました。今にも微笑みかけるような「安らかな表情」をしていました。

~鈴木沙彩さんの同級生の母親~

彼女の親族には芸術家が多い事もあり、芸能活動も遊び半分ではなく「真剣に取り組んでいた」そうでした。同級生の中には遊んでいる子もいましたが、沙彩さんは、そういう生徒と友達付き合いはなかったようです。

~事務所の先輩女優だった織田美織さん~

お別れしてきました。知った時は信じられず・・・というか今でもあまり実感がなく上手く言葉になりません。すごくすごく悔しいけど「泣いてたら怒られそう」だから頑張るね。沙彩、またね!

以上、ご両親の娘・沙彩さんへの想いが綴られたコメントから、鈴木沙彩さんにゆかりのあった多くの方々のコメントでした。

このコメントから鈴木沙彩さんという女の子が、どんなに素晴らしい女性であったのかは一目瞭然なのでしょう。

 

【7】「大伯父の脚本家・倉本聡さん」~めいへの助言

引用: Pixabay

脚本家の倉本聡さんが「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんの大伯父である事は先にも解説させていただきました。

「三鷹ストーカー殺人事件」発生当初、倉本聡さんは事務所を通じて「何も話す事はない」とコメントされていたそうです。

ですが、その後「ワイド!スクランブル」の独占取材に応じた倉本聡さんは、取材陣へ「芸能界に入る時、彼女自身から相談あった。それに対して「いい加減なところに入るな」と助言した」と鈴木沙彩さんに話していた事を明かす事となったのでした。

 

池永チャールストーマスの生い立ちとは?

さて、これから「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスについて解説させていただきます。

鬼畜・池永チャールストーマス」の全貌をご覧ください。

 

【1】池永チャールストーマスのプロフィール

  • 名前:池永チャールストーマス
  • 年齢:現在27歳(推定)
  • 出身:大阪府西区
  • 家族:(父)日本人(母)フィリピン人
  • 趣味:アニメ(オタク)
  • 職歴:高校卒業後、自衛隊に勤務していたが直ぐに辞める

 

【2】出生直後から育児に関与していなかった母親

引用: Pixabay

父親が日本人で、母親がフィリピン人だった「三鷹ストーカー事件」の犯人・池永チャールストーマスは、いわずと知れたハーフでした。

マニラで生を受けた池永チャールストーマスは、母親の両親及びメイドの手により育てられる事となったそうです。理由は、自国フィリピンで仕事がなかった母が日本に働きに出ていたからでした。

そのような経緯を経ながら母親は「愛着障害」に陥ったものと思われます。その後、池永チャールストーマスは、1歳10カ月で両親のいる日本へ渡る事となったそうです。

 

【3】劣悪な家庭環境だった池永チャールストーマス

引用: Pixabay

高校卒業後、自衛隊に入隊していた池永チャールストーマスでしたが、健康面の不良から自衛隊勤務の継続が困難となって除隊に至る事となります。

その後、大阪市内でフリーターをしながら「ひとり暮らしを開始」する事となった池永チャールストーマス。

池永チャールストーマスは「日本人の父親」と幼少期の頃に生き別れになっていました。

残された母と子には、その後壮絶な人生が待ちうける事となりましたが、貞操観念がなかった母親に関しては「自業自得」と言い切れる部分があったようです。

それは、日本人の夫と結婚し「ひとの妻」であったにも関らず、複数の男性と関係を持ち続けていた母親だったからでした。

 

【4】池永チャールストーマスに向けられた「三重苦」

引用: Pixabay

犯罪を犯す者の多くは、幼少期からの劣悪な環境であった事が多く報告されております。「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールすトーマスも例外ではなかったのでしょう。

その後、同居していた日本人の父と生き別れになってしまう事となった池永チャールストーマスに、過酷な人生が待ちうけていたのはいうまでもありませんでした。

~男とセックスする母親~

母と貧困生活の最中、住まいでは母親が交際相手とセックスをしては悶える母の喘ぎ声を頻繁に聞かされていた池永チャールストーマスだったそうです。

それは、多感な少年にとって「地獄以外の何ものでもなかった」のでしょう。

また、池永チャールストーマスが女体に執着するのは、それらの「トラウマ」が影響していた事が十分に考えられました。

本来、自分へと向けられるはずの「愛情」が、自分以外の男に向けられていたのですから、許せるはずなどなかったのでしょう。

そのような「愛情に飢えていた子供時代」を過ごした池永チャールストーマスゆえ、自分の元を去ろうとする鈴木沙彩さんを憎まないはずはなかったのでした。

~母親の交際相手から虐待を受ける~

そのうえ、母親の交際相手の男性から「過酷な虐待行為を繰り返されていた」池永チャールストーマスだったのでなおさらだったのかもしれません。

母親が関係を持っていたアルコール中毒者や暴力団関係者らから虐待を受けていた池永チャールストーマスでしたが、特にアルコール中毒者からの虐待が酷かったそうでした。

それは「拷問レベル」だったそうです。

その後、池永チャールストーマスが4歳の時の実父と別れる事になったそうです。母親は池永チャールストーマスに虐待をしていた「生活費」を一切入れないアル中男と内縁関係になったそうでした。

~子どもを放置し自由気ままにしていた母親~

ホステスをしていた母親は男性宅に入り浸り、何日も家に帰ってこなかったため、実質「育児放棄」されていた池永チャールストーマスだったようです。

池永チャールストーマスが小学生の頃、母親はそのアル中男とふたりで旅行に出かけ、池永チャールストーマスをひとり家に残し、1週間近く帰って来なかったそうでした。

その時は、母親がお金を置いていったため自分で買い物に行き、食事の準備をする事が出来たのだそうです。

しかし、お金を置いていかない時も多々あったそうで、そのような時は、飢えをしのぐために近所のコンビニで消費期限切れの弁当をもらったりしていたそうでした。

実質「廃棄予定だった弁当」には間違いなかったのですが、問題なく食べられる弁当だったため事情を汲んだ店長が池永チャールストーマス少年に渡したものと思われます。

また、池永チャールストーマスは「真冬」光熱費滞納により電気・ガスを止められた時はろうそくの火を灯すなどし毛布に包まって暖をとっていたそうでした。

次第に母親も交際相手から暴力を振るわれるようになったそうでしたが、これについては「因果応報」とし「同情の余地は全くない」と考えてよかったのでしょう。

池永チャールストーマスにとって「児童虐待」「ネグレクト」「DV」という「三重苦」の子ども時代を聞くと、やはりそこに「同情という感情」が芽生えてしまう事は自然な事なのかもしれません。

 

【5】池永チャールストーマスにとって鈴木沙彩さんは「光」だった

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そんな母親を持つ「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスが「女性への執着が人一倍強かった」のも全然自然な事だったのでしょう。

また、「心に闇」を抱えたまま成長してきた池永チャールストーマスでしたが、フェイスブックで知り合う事となった鈴木沙彩さんに恋をする事も、ごくごく普通の事だったのでしょう。

交際前「鈴木沙彩さんの悩み」を真剣に聞いていたであろう池永チャールストーマスが、それまで感じることのなかった「心地よさ」を鈴木沙彩さんに見い出してしまった事も当然のことだったのかもしれません。

ネグレクトや虐待という劣悪な環境の中で育ちつつも、結局「母親の愛」に飢えていた池永チャールストーマス。

そんな自分が逆に異性から必要とされ相談をされる立場になったわけですから「父性本能」が疼かなかったはずはなかったのでした。

自己肯定感の低かった池永チャールストーマスにとって、偶然出会う事となった鈴木沙彩さんは、自身が生きていくための「原動力」となっていたのは確かだったのでしょう。

 

【6】「いち人間」として初めて異性に認めれた池永チャールストーマス

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「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスは、何もかもが否定され続けてきた人生観のもとで生きてきた人間でした。

自己肯定感の低さから「自分を取り繕う」事は、池永チャールストーマスにとって生き抜いていくうえで「大変重要な事」だったのでしょう。

交際当初「有名私立大似通う現役大学生」などと、鈴木沙彩さんに嘘を言っていた事もいわゆる条件反射だったのかもしれません。

兎にも角にも、それもこれも全て鈴木沙彩さんを引き留めるための池永チャールストーマスの「苦肉の策」だった事には間違いなかったのでした。

鈴木沙彩さんに「理解者」を見出すと同時に「父性」をも見出す事となった池永チャールストーマス。

「自分の事だけを一心に想ってくれている」鈴木沙彩さんだと「なんの疑いもなく信じていた」池永チャールストーマスだとしたら、別れという想定外の事態に柔軟に対応できるはずなどなかったのでしょう。

 

【7】「ストーカー行為」~後戻りできなくなった池永チャールストーマス

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愛に飢えていた「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスにとって鈴木沙彩さんとの出会いはまさに「運命」でした。

「唯一の理解者」だと信じていた鈴木沙彩さんが、自分のもとを去って行く事と自体が「青天の霹靂」だったのかもしれません。

そんな池永チャールストーマスにピッタリなことわざが「可愛さ余って憎さ百倍」でした。

今まで可愛いと思う心が強かっただけに、いったん憎み始めると憎しみの気持ちが勝ってどうしようも出来ないと言う意味でしたが、まさに今回の「三鷹ストーカー殺人事件」はその典型だったのでしょう。

ただし、このような池永チャールストーマスにとって、根深い過去の背景が要因になっていた事は紛れもない事実だったのです。

~息子の人間形成に害を及ぼす行為をし続けた母親の責任は重い~

子供は親からの「無償の愛」を望む事は当然の事でありました。

池永チャールストーマスの母親は、事件後「大変な事件を起こしてしまい母親として深く申し訳ない思いでいっぱい」と謝罪しておりましたが、ここまで子供の事を追いやったのは実質、母親であった事は確かだったのでしょう。

勿論、母親には母親の「言い分」や「想い」があった事と思います。

でも「百歩譲った」としても、子供のいる住まいの一角で「本能のままの自分」をさらけ出す行為は十分に「性的虐待」に値し、決して許されるものではなかったのでした。

また、池永チャールストーマスも健全な家庭で育っていれば「三鷹ストーカー殺人事件」を起こすような「屈折した人間」に成長する事もなかったのでしょう。

 

池永チャールストーマスの現在は?【三鷹ストーカー殺人事件】

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では、これから「三鷹ストーカー殺人事件」の経緯を振り返りながら「犯人・池永チャールストーマス」が現在どのような状態にあるのかを解説させていただきます。

 

【1】鈴木沙彩さんを母親に自慢していた池永チャールストーマス

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「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスは、母親に鈴木沙彩さんを自慢していたそうでした。

なので、母親も「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんがタレント活動を行っていた事も当然認識済みだったのです。

そんな彼女を持った池永チャールストーマスに母親は「立場が違い過ぎなんだから、そっと彼女の夢を応援して、彼女の気持ちを尊重するように」と促していた事がわかったのでした。

 

【2】別れ話が持ち上がり落胆していた池永チャールストーマス

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「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんを周囲にも自慢していた「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスでした。

しかし、母親によると鈴木沙彩さんとの別れ話が持ち上がった2013年夏ごろには、かなり憔悴しきっていた池永チャールストーマスだったそうです。

出会いから別れまでたった半年だったゆえ、池永チャールストーマス自身もなにがなんだかわからなかったというのが実情だったのでしょう。

 

【3】母親の助言もむなしく息子は強行に及んでしまった

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「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんの気持ちを「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスがキチンと受け入れる事が出来ていれば、あのような凄惨な事件は起こらなかったのでしょう。

だらしなかった母親のせいで、次から次と住まいを変える事となった池永チャールストーマス。小学校5年~中学3年の間に合計7回も引っ越しをしていたというのですから、本当の友達を作る事など出来るはずはありませんでした。

母親のネグレクトによって、池永チャールストーマスは2度も児童相談所に保護されていた事実が判明。

したがって、異常な環境で多感な子ども時代を過ごした池永チャールストーマスは、おのずと「他者視点でものを考える能力」を培う事が出来なくなっていたのかもしれません。

 

【4】そんな池永チャールストーマスは現在も獄中に

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「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスは後に・・・

  • 彼女を失った苦痛から逃れるために殺害を考えた
  • 脅してまで関係を続けるのはおかしいと思い忘れようとしたがどうする事もできなかった
  • 心の整理ができておらず混乱しているが後悔はしていない
  • (遺族が)苦しんでいる事は想像できるが共感はできていない、謝罪の気持ちはまだ抱けていない
  • (リベンジポルノについて)彼女との交際をネットでひけらしたかった
  • 付き合った事実を半永久的に残したかった、かなり話題になると思った
  • 彼女の尊厳を傷つけたいという気持ちもあった

こんな事をいう池永チャールストーマスに重いお咎めが与えられないはずはなかったのでしょう。

現在も拘置所で過ごしている池永チャールストーマスですが、現在どこの拘置所に移されているのかは情報がつまめず、残念ながらここに記す事ができませんでした。

 

池永チャールストーマスの判決は?

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鈴木沙彩さんの未来を奪ってしまった「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスにどのような判決が下ったのでしょうか。

 

【1】非常に難解経路を辿っての判決言い渡しだった

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2013年10月29日に「殺人罪・銃刀法違反・住居侵入罪」で起訴され、翌年の2014年7月22日から東京地裁立川支部で裁判員裁判が行われる事となりました。

裁判員は6人中5人が男性と言う構成になっていました。

しかし、結果は「懲役22年」。「三鷹ストーカー殺人事件」の裁判はたったの2年半で終結する事となりました。

「懲役22年」という判決結果は、当然両親にとっては納得のいかないものでありました。

実は、それに至るまでのプロセスが非常に複雑だった事が判明する事となります。

 

【2】2014年7月29日~検察「無期懲役」を求刑

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検察は、逃げ回る鈴木沙彩さんを執拗に追いかけまわし、路上で身体の上にまたがり何度も刺す行為は悪質と指摘。

そのうえ、性的な画像や動画の流出・拡散をし鈴木沙彩さんを屈辱し名誉を汚したとして、池永チャールズトーマスに無期懲役を言い渡す事となりました。

鈴木沙彩さんには、なんの落ち度もなかった事をあげ、酌量の余地はないとさらに厳しく指摘したのでありました。

鈴木沙彩さんの母親は「被告は娘の未来・夢・希望・尊厳も全て冒涜した。二度とこのような事件があってはならない。極刑で償うべき」と訴えたのだそうです。

 

【3】一方で池永チャールストーマスを擁護していた弁護側

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最終弁論で「殺意は強固ではなく、幼少期から虐待を受けるなどした生育歴が心理的負担になっていた」と懲役15年が相当だと主張していた弁護側だったのです。

 

【4】2014年8月1日~東京地裁立川支部「懲役22年」を言い渡す

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東京地裁立川支部は「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスに有期刑の上限の懲役22年を言い渡しました。

  • 強固な殺意に基つく執拗な犯行
  • 高い計画性も認められる
  • 性的な画像や動画流出・拡散は極めて卑劣
  • 被害者に落ち度はなく犯行動機があまりにも一方的で身勝手
  • 生育歴の影響が背景にあるといえ反省を深めていると認められない
  • 被害者や遺族に謝罪の言葉すらない

しかし、その一方で・・・

  • 若くて更生の可能性もある

とされ極刑を回避し、懲役22年を言い渡したのでありました。勿論、極刑を望んでいたご両親にとって納得のいかなかった判決結果となったのでした。

「失望した。どうしてこんなに軽いのか全く理解が出来ない。判決はリベンジポルノ犯罪の本質、被害の大きさを全く理解していない」と強く反論したご両親だったのです。

 

【5】2014年8月4日~被告人側「控訴」

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「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスを擁護する弁護側。

過酷な生育歴が十分に考慮されてない」とし、懲役22年という判決を不服年、控訴する事となったのです。

 

【6】2015年2月6日~東京地裁の「差し戻し審」

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東京高等裁判所は、2015年2月6日に東京地方裁判所に差し戻し判決を言い渡したのでありました。

理由は・・・

  • 公判前整理手続きにおいて、リベンジポルノに関する主張や立証を行うことの当否、範囲や程度が議論された形跡が見当たらない
  • 検察官による論点整理や審理の進め方に誤りがある

という内容だったのです。

 

【7】2015年8月7日~池永チャールストーマス再び起訴される

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  • 児童ポルノ禁止法違反(児童ポルノ公然陳列罪)
  • わいせつ電磁的記録媒体陳列罪

にて起訴される事となります。

当初、これらの罪状で池永チャールストーマスを起訴に至らなかったのは、鈴木沙彩さんのご両親が「娘の名誉が傷つくことを懸念」していたからでした。

しかし、東京高等裁判所の判決を受けて、池永チャールストーマスの画像・動画行為が罪に反映されずに量刑が軽くなる可能性が出てきたために、東京地裁立川支部は、期日間整理手続きを開き、追起訴した「児童買春・ポルノ禁止法違反」を殺人罪と併合して審理のし直しを決定したのでありました。

最初の一審では、リベンジポルノについての画像は2枚だけしか証拠として提出されていなかったのです。でも、差し戻し審では67枚のリベンジポルノに関する画像が証拠提出される事となりました。

池永チャールストーマスの弁護側は「一旦判決が出た後に検察側が追起訴した事は公訴権の乱用で違法だ」と主張する事となります。

しかし、東京地裁立川支部は「画像投稿の性質や内容をふまえれば被害者側の意向が当然考慮されてしかるべき」とし問題がないとの結論に至る事となったのです。

 

【8】2016年3月6日~差し戻し審判決「またも懲役22年」

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「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスが「不十分ながら謝罪の言葉を述べた」とし、検察側の求刑25年に対して、結局差し戻し前と同じ懲役22年の刑を言い渡したのでありました。

 

【9】2017年1月24日~東京高裁「懲役22年確定」

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検察、被告側共に差し戻し審の判決を不服として東京高裁に控訴する事となります。しかし、東京高裁は「一審の量刑判断に誤りはない」とし一審判決を支持。

控訴していた検察側と被告側双方の控訴を棄却してしまったのでした。

その後、検察側と被告人側双方が上告しなかったため、2017年2月8日午前0時に池永チャールストーマスの「懲役22年」の刑が確定する事となったのです。

 

愛娘を奪われたご両親の切ない想い

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「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスの極刑を望んでいたご両親でしたが「懲役22年」という刑に止まる事となりました。

その苦しみの胸中は、同じストーカー被害のもとで亡くなった娘を持つ親御さんにしか理解できない部分があるのも確かでした。

 

【1】娘を「二度も殺された」鈴木沙彩さんのご両親の悲しみ

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「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩さんのご両親が、被害者参加制度にて法廷した際に我が娘を手に掛けた「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスの印象を・・・

  • とても自己顕示欲が強くて達成感すら感じているようだ。
  • 反省の気持ちも一切感じられない

と非難されていたそうです。また「事件当時、仮に自分が殺された場合はどうしましたか?」という質問に対し鈴木沙彩さんのご両親は・・・

  • どんな方法を使ってでも敵をとる!

と話されていたそうでした。

実は、ご両親が怒りに打ち震えていたのには大きな理由があったのです。

 

【2】獄中で取材に応じていた池永チャールストーマスだったから

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2014年10月8日に収監されていた立川拘置所内で、週刊文春のインタビューに応じていた池永チャールストーマスだったからでした。

週刊文春の面会は10回以上に及び、計5時間を要するほど濃厚なインタビューとなっていた事が判明したのです。

池永チャールストーマスの肉声はありのまま「週刊文春の2014年2月27日号」に掲載される事となったのでした。

鈴木沙彩さんのご両親が「池永チャールストーマスが反省していない」と指摘した点がこれでした。

  • (ネットに画像や動画拡散について)事態が大きくなる事は想像していましたが、そんなに凄いんですか?
  • 後悔はしています。ただ反省という言葉を簡単に使いたくないです

などとあり得ない言葉が池永チャールズトーマスの口から出ていたのです。

皆さん、信じられますか?

これではご両親が極刑を望むのも当然だったのでしょう。三重苦に苦しめられた生育歴があろうとも、池永チャールストーマスの犯した罪は死をもって償うことがやはり妥当だといえるのかもしれません。

結婚13年目でやっと授かった」という鈴木沙彩さんの命をいとも簡単に池永チャールストーマスに奪われてしまった苦しみは想像を絶するものだったのでしょう。

鈴木沙彩さんの死で生きる希望を失い、ご両親自身の将来も消し飛ばされてしまう事となってしまいました。

今現在、鈴木沙彩さんのご両親がどのようにされているのかは情報がつかめないところでありましたが、亡き沙彩さんの分まで長生きされるよう願うばかりでした。

 

三鷹ストーカー殺人事件まとめ

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「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人・池永チャールストーマスは、鈴木沙彩さんというひとりの女性を苦しめた挙げ句、命を奪い去ってしまいました。

鈴木沙彩さんのご両親は「娘を守る事が出来なかった」罪悪感から、一生自身を責め続ける事となってしまったのです。

また「娘が欠けた事で私たち夫婦の未来も消し飛んでしまった気がします」と口にされていたそうでした。

娘・沙彩さんの画像・動画流出後に、父親は「娘は日本で普通に暮らすことは出来ないのではないか」と案じておられたそうです。

しかし、現実にはもう「案じていた娘・沙彩さん」はいません。どんなに叫んでも「ご夫婦が愛してやまなかった娘・沙彩さん」はどこにもいないのです。

ご両親の、この気持ちを考えると本当に胸が張り裂けそうになります。

ご両親が三鷹警察署に出向き、相談した段階で早急な「厳重な警備体制」がなされていたら鈴木沙彩さんは亡くならずに済んだのかもしれませんでした。

池永チャールストーマスが容易に鈴木沙彩さん宅に忍び込む事ができたのも、結果、警備が甘かったために起こった事だったのです。

総括すると三鷹署の「職務怠慢」に尽きるのでしょう。

実際に、警視庁も三鷹署の初動捜査において言及していたのです。

どんな事件でも「初動捜査」は重要な要となります。この初動捜査の段階でミスが生じれば、様々なところで悪影響が出る事は我々にも容易にわかる事でした。

そのような意味も含めて「三鷹ストーカー殺人事件」は、未然に防ぐ事ができた事件であったのはいうまでもなかったのでしょう。本当に残念です。

鈴木沙彩さんのご両親も「二度とこんな事はあってはならない」と法廷で訴えられておられたように、このような事件は絶対に繰り返されてはいけないのです。

また、我々もこの「三鷹ストーカー殺人事件」から非常に多くの事を学ばされました。

亡き鈴木沙彩さんやそのご家族の「想い」を引き継ぐためにも、我々も「ストーカー被害」から身を守る術を身に付けなければならない時がやってきたのでしょう。

なので、皆様も「ストーカー被害に遭っている」という自覚をされた時は、迷わず勇気を持ってしかるべき場所に相談されるよう心よりお願い申し上げます。

それが亡き鈴木沙彩さんやご遺族の願いでもあるからです。

鈴木沙彩さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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