過去に「犬鳴峠」で発生した悍ましい事件をご紹介させていただきます。
きっと、あなたの目の前でその惨状が繰り広げられる事となるのでしょう。
~1988年12月7日・仕事を終え帰路についていた梅山さん~
たまたま信号で停車していたところに地元のヤンキーが「女を送るんにカッコつかんき車貸してくれん?」と投げかけられた事が発端でした。
でも、梅山さんはヤンキーの問いかけに応じず断ってしまいました。それを機に「梅山さんの悪夢」が始まる事となったのです。
梅山さんから断られた主犯格のヤンキーは、とうとう梅山さんを拉致監禁する事となります。
車で連れ回しては、その都度、梅山さんに暴行を加えるなどしていたヤンキーたち。
見張りのヤンキーの目を盗んで、とっさに逃げ出した梅山さんは痛めつけられた体で必死に家を目指して逃げたのでした。
通りすがりの車に助けを求めなかった梅山さんは、ついに追手のヤンキーらに再び拉致される事となったのです。
激昂していた主犯格のヤンキーは、苅田港で梅田さんを海に突き落として殺害する事を思い付きます。
しかし、死にたくない一心でフェンスにしがみついた梅山さんの手を鉄製のクランクやレンチなので殴り続けたのだそうです。
「もう、やめようや」と言い始めたのですが、主犯格のヤンキーが事件発覚を恐れ仲間に「俺らはもう共犯やからな!」と脅し全員に梅山さん殺害を決意させたのでありました。
梅山さんは、ヤンキーらに車のトランクに押し込められ、クランチやレンチといった硬い工具で再び暴行を受ける事となりました。
弱っていく梅山さんを見てヤンキーらは、最初「力丸ダム」に遺体遺棄をしようと考えたのでしたが「万が一浮いてきたらいけない」と思い直します。
恐ろしい事に梅山さんを焼き殺す事により身元がわからないようにと考えたヤンキーたちだったのです。
「旧犬鳴トンネル」前に着いたヤンキー一行は、「バイクがガス欠になった」などとスタンドに嘘を言いペットボトルにガソリンを分けてもらう事に。
犬鳴峠に戻ってきたヤンキーらは、そのペットボトルに入ったガソリンを梅山さんの頭にかけ始めたのでした。
当然、驚いた梅山さんは必死に逃げる事となったのです。
そもそも、このヤンキーたちも犬鳴峠の怨霊にまつわる多くの話を知っていたため「梅山さんの悲鳴」を耳にし一瞬怯んだとの事でした。
ヤンキーらが怯んだすきに、旧犬鳴トンネルを突っ走り、雑木林に逃げ込んだ梅山さん。
ですがヤンキーらの「もう何もせんけん出て来んか。ウソじゃないけん」と問いかけ、隠れる梅山さんの呼び寄せに成功したのでした。
梅山さんは、ヤンキーらの問いかけを完全に信じる事となったのです。
その後、再度、梅山さんに暴行を始める事となったヤンキーたち。
梅山さんは、頭部を殴りつけらた時、その血しぶきがガードレールにまで飛び散っていたそうでした。
必死に命乞いをする梅山さんに、主犯格のヤンキーが「とうとう火を放ってしまった」のです。
梅山さんは、のたうちまわりながら助けを求めていたそうでした。ガードレールにぶつかった際に、焼けた梅山さんの衣類がこびり付いていたそうでした・・・。
「壮絶な痛みで半狂乱」となった梅山さんは、旧犬鳴トンネルの入り口付近で力尽きて絶命する事となったのです。
ヤンキーらは一旦その場を離れたそうでしたが、梅山さんが「本当に死んでいるのか」と2,3度現場に戻ってきたそうでした。
でも「死亡を確認すると安心」したヤンキーたちは福岡市内に戻っていったそうです。
その後、居酒屋で食事をする事となったヤンキーらは、機嫌良さげに「さっき人を焼き殺してきたんよ」と店内で言い放っていたそう・・・。
梅山さんの死因は頭からの出血だったといいますが、生身の人間が生きたまま焼かれるという事を想像しただけでも恐ろしい事でした。
翌日の昼に梅山さんの遺体が発見され「ヤンキー5人全員逮捕」となったのです。
1991年3月8日、福岡地裁で行われた控訴審判決に置いて主犯格だったヤンキー(当時21歳)は一審で無期が確定。
「確定的な殺意はなく量刑は重過ぎる」として、減刑を控訴する事となりましたが裁判長は「犯行は他に類例を見ないほど残虐で、その中心的な役割を果たしており責任は重い」とし棄却される事となったのです。
当然、他のメンバーも有罪確定する事となったのです。
亡くなった梅山さんは軽度の知的障害があったそうでしたが、母子ふたり暮らしだったそうで、それはそれは親孝行息子だったそうでした。
こんなにいい青年が気狂いしたヤンキーたちに惨殺されるなんて・・・・。
犬鳴峠で起こった哀しい哀しいリンチ焼殺事件は、今もなお地元住人によって語り続けられている事件でもあったのです。
加害者だったヤンキーたちの詳細について「地元の同級生」の証言を得る事が出来ました。
「あの子たちは、全然普通の子で、そんなに悪さするようなタイプじゃなかったよ」という事でしたが、群れをなす行動が結果として犬鳴峠でのあのような凄惨な事件を起こすことになってしまったのか。
本当に悔やまれて仕方がなかった梅山さんの死だったのです。
「犬鳴峠」は、本当に理解不能な事故が多発する場所として有名でした。
これからご紹介させていただきます事故は果たして単なる「偶発的」事故だったのか?
いえ・・それともあの世の者の「しわざ」なのか。事故の真相について語れるのは「故人」だけだったのでしょう。
幽霊を見に行こう!~犬鳴峠の帰りに起こってしまった死亡事故
引用: Pixabay
2001年2月10日の午前7時頃「犬鳴峠に幽霊を見に行こう」などといって出掛けた少年5人らの乗った軽自動車が、犬鳴峠からの帰路の最中に福岡県二丈町福井の国道202号線バイパスで、建設業の男性(37歳)が運転するトラックと正面衝突。
軽自動車に乗っていた少年5人のうち4人が死亡、ひとりが重体となりました。
幸いトラック運転手だった男性は軽傷で済んだのですが、地元でもこの事故は犬鳴峠に潜む「悪霊」のしわざだと噂はたちまち広がる事になったそうでした。
少年の内訳は以下になります。
- 佐賀県唐津市神田 コンビニストア店員の男性(17歳)死亡
- 佐賀県唐津市和多大土井 福大大濠高校3年の男性(18歳)死亡
- 佐賀県唐津市養母田 無職の男性(17歳)死亡
- 佐賀県唐津市町田 中学3年の男性(15歳)死亡
- コンビニエンスストア店員の男性の弟(15歳)重体
兎にも角にも「犬鳴峠のたたり」とまで言われたこの事故。
皆様もくれぐれも用心なさってください。急にエンストを起こすなどは「序の口」と言う事を肝に銘じ犬鳴峠をご利用くださいませ。
犬鳴き峠にまつわる悍しい出来事【心霊体験談編】
⚠️決して行ってはイケナイ
恐怖の心霊スポット
福岡県『犬鳴峠』
日本で最も恐ろしいと言われるほど数々の噂や心霊話が絶えない有名な場所 pic.twitter.com/vnqFYD81ai
— ※ガチで怖い動画垢※ (@kowa_ikk) September 10, 2019
これからご紹介させていただきます霊体験は「事実」であり、決して作られた話ではありませんので、心して読み進めて頂きますようお願い申し上げます。
驚愕!後部座席にいた友人が・・・
引用: Pixabay
時期的にはちょうど「田川・工員焼殺事件」発生して、犬鳴峠が心霊スポットとして有名になった頃だったでしょうか・・・。
当時、大分県中津市在住の少年3人が「犬鳴峠に肝試ししに行こう」と向った先で起こった奇怪な事件だったのです。
結論を言いますと3人のうちのひとりは行方不明で今だ見つかっておりません。
少年ら3人が乗ったセダンは犬鳴峠に到着。
旧犬鳴トンネル前に着いたところ運転席の少年がバックミラーを見るとそこには「顔面蒼白な友人」が・・・。
前にいた少年二人2人は「どうしたん?」と声掛けするも、真っ青な顔をしたその友人が必死に目を動かして「下を見てくれ」といわんばかりの表情をしていたのだそうです。
全身を震わしている友人の足元を見ると・・・・。
そこには「少年の足首をがっちり掴む白い手」が下から伸びていたそうでした。それを見て発狂した友人2人は、なんとその友人を置いて車から降りて猛ダッシュしたそうです。
その少年2人が後から車に戻ると、あのとき置いてきたはずの友人の姿がどこにもなかったそうなのです。
残るのはセダンだけ・・・。
その後、完全に消息不明となったその友人の事件は当時新聞にも掲載されるほどでした。
この話は犬鳴峠から無事に生還を果たした少年ら2人によって証言される事となったのです。
犬鳴峠の怨念なのか、もしくは神隠しにあってしまったのか・・。
真相を知っているのは「消息不明になった少年」だけだったのでしょう。
~番外編~筑豊地区にあった驚異の心霊スポットをご紹介!
引用: Pixabay
心霊の宝庫・九州筑豊地区には、犬鳴峠のみならず「心霊マニア」にはたまらない心霊スポットが多く点在しております。
今回は、その中から選りすぐりの恐怖スポットを動画と共にご紹介させていただきます。
【1】力丸ダム
【力丸ダムOL強姦殺人事件】
~福岡県在住・椎木奈津美さん行方不明となる~
1979年7月23日、娘・奈津美さんの捜索願が家族によって出される事となりました。
通報を受けた警察が周辺を捜索したところ、雑木林の中から椎木真奈美さんの全裸遺体発見に至る事となります。
~椎木真奈美さんの着衣が道に点在~
椎木真奈美さんが身に付けていた衣類が宮田町から、遺体発見現場となった区間の道沿いで転々と捨てられていた事がわかりました。
おそらく犯人によって、走行中の車内から投げ捨てられたものと思われます
~椎木真奈美さんが殺害された晩に、中間市の道路に道をふさぐ形で路駐されていたホンダプレリュードを発見した警察は不審に思い、割り出したところ北九州市の土木作業員・大八木明利(21歳)と判明。
大八木明利は警察に逮捕される事となったのです。
~大八木明利の犯行方法~
大八木明利は、犯行当日、中間市を走行していた椎木真奈美さんを停車させ「ナンバープレーとが外れよるよ」などといい、その後、強引に椎木真奈美さんの車に乗り込んだ大八木明利。
そして、椎木真奈美さんの首を絞め失神させてしまったのでした。
~椎木真奈美さんの車で力丸ダム周辺まで移動した犯人~
大八木明利は、失神した椎木真奈美さんを乗せたまま力丸ダム周辺へと移動する事となります。
次に、車内で椎木真奈美さんを乱暴後、絞殺してしまったのです。その後、椎木真奈美さんの遺体を雑木林に投げ捨てる事となったのです。
~大八木明利・無期懲役となる~
1991年12月4日、福岡地裁飯塚支部で判決公判が行われ「犯行には人間性のかけらもなく情状の余地はない。若い女性や社会に与えた衝撃・恐怖は大きすぎた」とし求刑通り「無期懲役」を言い渡される事とまりました。
捜査段階で大八木明利は「乱暴後は首を絞めてはいない」と主張。弁護側も
- 窒息状態で最初の首絞めから乱暴まで約十五分間も生き続ける事は法医学上極めて稀
- 大八木明利が最初の首絞めで誤って殺したとし傷害致死罪を適用を求める
事となったそうですが、いずれにしても卑劣な犯行極まりなく到底情状酌量の余地などなかったのでしょう。
【力丸ダム暴力団保険金殺人事件】
引用: Pixabay
1979年11月15日、力丸ダムに乗用車が転落し、車内から男性(当時26歳)と女性(当時27歳)の水死体が発見される事となりました。
この女性は、北九州市の暴力団組長の妻だった事が判明しました。
この女性には当時、1億4800万円の保険金が夫に支払われる事となったのです。後のこの夫が、配下だった暴力団組長と共謀していた事が発覚。
さらには亡くなった男性にも共謀させていた事がわかりました。
夫や配下にあった暴力団組長に誘われた男性は3000万を受け取る約束をして実行に移すも、車内から脱出に失敗し自身も亡くなる羽目になってしまったのです。
したがって被疑者死亡でこの男性については不起訴となったのでした。
~力丸ダムの霊体験談(男性・48歳)~
これは、俺が高校生の時の話になります。たしか・・犬鳴峠でリンチ焼殺事件のあった時期とダブっていたと思います。
俺は霊感のあった友人とふたりで「力丸ダムに胆試しに行ってみようか?」とノリで意見が合致して早速「力丸ダム」へ向かう事となったんです。
俺らはダム沿いをだべりながらゆっくりと歩いてたんだけど、霊感のある奴が急に青ざめだし思わず「おい?どうしたん?」と話しかけたんです。
そうするとその友人は小声で「さっきから俺らの後を誰かがついてきとるんよ・・・」と俺に話してきたからマジで驚いてね。
霊感のなかった俺もさすがに背後に冷たい空気を感じとってからは、友人共々「後ろを振り返る勇気」が湧かず、力丸ダムをそそくさと後にしたのを今でも鮮明に覚えています。
後ろにいたのは一体誰だったのか・・・。
その後、友人は数日間「悪夢」にうなされる事となり、友人いわくその夢の中には「ダムの水面から腐敗したかのような姿」をした女性が凄い形相で睨んでいたそうでした。
力丸ダムで過去に亡くなった女性の霊なのかはよくわかりませんが、その話を聞いた俺は速攻で霊媒師のところに駆け込んだんです。
やはりその女性は超最強な悪霊だった事が判明。もう少し遅かったら「死の淵」に引きずり込まれていたようでした。
【2】十二支苑
この「十二支苑」も、犬鳴峠や力丸ダムと続く最凶心霊スポットとして名高い場所でありました。
現在はこのような廃墟の状態となっておりますが、全盛期は「水子供養」をしにくる夫婦などが多く訪れていた場所でもあったのです。
「十二支」とはなかなか聞きなれない言葉になりますが、その名の由来は「奈良新薬寺の分霊「薬師如来」を中心とした干支の十二神将がまつられている礼拝所」という事だったようです。
メインだった朱塗りの二重仏塔は、現在では朽ち果てている状態にあります。
このニ重仏塔の地下は「胎内めぐり」ができる仕組みになっていました。地下に降りるとコンクリの無機質な通路が続き、途中に秘仏を祭った小さな祠が3つあります。
胎内めぐりの出口付近に別室がありますが、その場所が「水子供養」の部屋となっているわけでした。
廃墟となった現在は、多数の関連品が放置されている状態にあるのです。
~水子の弟に悩まされていた私が見た夢(男性・50歳)~
私には、3歳年上の「水子の兄」がいました。当時生活に苦しかった両親がやむおえず中絶を決意。それから3年後に私がこの世に生を受ける事となります。
それはそれは両親は私の事を大切にしてくれ、好きな事もいっぱいさせてくれて今でも心から親には感謝をしております。
そんな私が25歳の頃、とても不思議な夢を見る事となったのでした。
夢の中には自宅のトイレがドアを開けた状態で、トイレの中は「真っ赤なリンゴ」で埋め尽くされていて、その傍には「哀しそうな表情をしていた小さな男の子」が。
・・・私は、思わず夢の中で「兄ちゃん?」と問いかけたのであります。
そうすると「コクン」とうなずいた男の子は、次第にリンゴの中に吸い込まれるように消えていったのでした。
その瞬間、目が覚めた私。
しかし、その夢は「怖い」というよりも非常に「もの哀しい」という印象だったのです。
その夢がどうしても気になった私は母に内緒で、当時付き合っていた妻と一緒に線香を持ち「十二支苑」にお参りに行く事となります。
するとその晩、夢の中に懸命に私に頭を下げる「小さい兄ちゃん」が現れたのでした。
私は夢から覚め現実に戻った時「目から大粒の涙」が流れ、胸が締め付けられる想いに駆り立てられる事となったのです。
「十二支苑」にお参りに行って本当によかったと思った私だったのです。
現在、完全に朽ち果ててしまった「十二支苑」ですが、今でも私にとって「亡き兄」との仲をとりもってくれた大切な場所である事は確かなのでした。
【3】田川・旧仲哀トンネル
福岡県田川郡香春町と京都郡みやこ町を繋ぐ場所に「旧仲哀トンネル」があります。
この「旧仲哀トンネル」は、1890年(明治23年)に開通したトンネルでした。
「仲哀」は御名になり、日本武尊命の子で神功皇后を妻としたと伝えられている14代目天皇・仲哀天皇が峠及びトンネルの名の由来だったそうです。
ただし、仲哀天皇自体の存在自体が定かではなかったようですね。
【西口彰事件の発生現場だった旧仲哀トンネル】
1963年10月(昭和38年)から1961年1月にかけて起きた連続殺人事件の現場でもあった「旧仲哀トンネル」でした。
犯人の名前は「西口彰」。
この西口彰は、詐欺・窃盗・殺人などを繰り返しながら5人の尊い命を奪った凶悪犯だったのです。
最初に殺害された2人は、煙草や塩の専売事業を行っていた公共企業の職員でした。
目的は金品強奪。そのうちの1人がこの「仲哀峠」で絞殺される事となったわけでした。
その後、逃亡先の浜松で旅館経営者の親子を殺害。さらに東京で弁護士殺害にまで至ったのです。
そして九州・熊本で西口彰は弁護士を装い、ターゲットに近付くも男性の娘が西口彰と勘付いて警察に通報、張り込んでいた警察に見事に御用となったのです。
その後、西口彰は福岡拘置所で死刑執行される事となったのでした。
~通勤帰りに新仲哀トンネルで見た白い影の正体(女性・35歳)~
あれは私が、通勤帰りに通過した新仲哀トンネル内での出来事でした。
あんな恐ろしい体験は後にも先にもこの出来事以外なかったのです。
時間は午後9時くらいだったでしょうか。数台通っていた車の最後尾にいた私でしたが、中間地点にさしかかったところ・・・。
当時、私は50キロほどのスピードで通過していましたが、前方に女性か男性かは定かではありませんでしたが「人らしき白い影」が視界に入ってきたのでした。。
一瞬「ゾクッ」としましたが「新トンネルだから平気平気」などと自分に言い聞かせながらもハンドルを握った手の中は汗でグッショリ。
そして、もうすぐトンネルを抜けると思った瞬間、バックミラーに映っていたものは・・・。
けたたましい笑い声と共に「ニヤリと笑う」女性の顔が映っていたではありませんか。
私は、心の中でお経を唱えながらアクセルを全開しトンネル通過。「無我夢中」とはこのような事を指すのでしょうか・・・。
その事を霊感の強い友人に話したところ友人の口から出た言葉はこれでした。
「その人、今、あんたの傍にいるよ」
その後、友人に付き添われて有名な霊媒師の下へ行き「無事にお祓い」を済ますことが出来たのです。
その出来事があった後、「新仲哀トンネル」を利用しないように、あらたな職場を探し再就職した私。
でも「あの恐ろしい女性の顔」が今でも脳裏に焼き付いていて、完全にトラウマ化してしまった私だったのです。
皆さんに信じてもらえるかどうかはわかりませんが・・・。
犬鳴随道の先にある謎の集落「犬鳴村」
さて、犬鳴峠の事件事故・心霊現象のご紹介が全て終わったところで、次に「犬鳴村の都市伝説」解説へと移らせていただきます。
「犬鳴村の行き方」なども併せてご紹介させていただきます。
じっくりと「犬鳴村」の恐怖をご堪能下さいませ。
【1】とにかく超不気味な「犬鳴村」
心霊スポットの元祖的存在の「犬鳴村」。
犬鳴峠から少し離れた場所にある「犬鳴村」は旧犬鳴トンネルの先にあるとされています。
しかし、ネットでは単なる「都市伝説」の噂もあり「真相はどのようになっているのか?」と気になる方は非常に多いかと思います。
2020年2月7日公開の映画「犬鳴村」では、実写にて「犬鳴峠」をスクリーンで体感することができるのでしょう。
でも、映画公開まではやはり待ちきれないのが本音ですよね?
犬鳴村の場所については「旧犬鳴トンネル」を抜けた先にある事は先にも触れさせていただきました。
でも、新犬鳴トンネルの傍にある「旧犬鳴トンネル」に続く道が「どのようになっているのかイマイチわからない」という方が多くいらっしゃるようなので、ここでは「犬鳴村への行き方」を細かく解説させていただきます。
行き方ですが「旧犬鳴トンネル」は「新犬鳴トンネル」の若宮方面出口から少し進んだところにある脇道から進む事が出来るのです。
その脇道を進むと「フェンス」が見えてきます。このフェンスが以下の動画で確認することが出来ます。
【2】「犬鳴村」~久山側ルート
こちらは久山ゲートは動画ありますように「無断侵入禁止」となっております。
赤外線カメラで監視されており、無理に入れば不法侵入となるのでしょう。
なので「旧犬鳴トンネル」を目指したいのであれば以下の「宮若ゲート」を利用して下さい。
【3】「犬鳴村」~宮若側ルート
こちらを使えば「旧犬鳴トンネル」の前まで行くことが出来ます。
そもそも、犬鳴ダム側の宮若ゲートは、登山者用に開放されている入り口でもありました。
ここを通過して、とぼとぼと歩くこと15分ほどしたところに慰霊碑があり、その右側に旧犬鳴トンネルがあるのです。
ただし、現在は久山側と宮若側双方のトンネルは「ブロックで完全に封鎖」されている状態ですので、隙間からトンネル内は覗けても中へ入る事はできませんのであしからず。
動画と共に是非ご体感下されば幸いでございます。
では、これからネットで噂される犬鳴村の都市伝説を解説していきます。
恐怖の旧犬鳴トンネルの内部はこれだ!
「旧犬鳴トンネル」についての説明は改めてする必要はないのでしょうか・・・。
集団リンチ殺人もたしかにこの場所で行われ、神隠しにあった中津市の少年も、たしかにここで消息をたっていたのです。
言葉では語り尽くせない出来事があったのも事実だったのです。
霊能者の宜保愛子さんがこの「旧犬鳴トンネル」内に入り、直ぐに退散したのもこの動画を見れば理解していただけるのでしょうか。
このトンネルの先にあった「犬鳴村」。
日本屈指の最凶スポットと言われた元凶がこれだったのです。
ネットに蔓延している犬鳴村の都市伝説
【1】犬鳴村に日本国憲法は通じない
引用: Pixabay
犬鳴村の入り口には「この先、日本国憲法は通じません」などといった不気味な看板が立てかけられているとの事です。
旧犬鳴トンネルの先に「犬鳴村」があるとされておりますが、先にもご説明させていただきましたよう、犬鳴村へのアクセスはこの旧犬鳴トンネルを通過する以外手立てはないのです。
日本国憲法が及ばない村なんて本当にあるのか?
この看板を見ただけでも後ずさりしたくなる心境になるのではないでしょうか・・・。
【2】犬鳴村に入ると携帯が圏外になる
引用: Pixabay
山奥にある犬鳴村には全く携帯電波が通ってなく、どんなメーカーの携帯を持ってしてでも全て「圏外」と表示されるのだそう・・。
外部への連絡手段が閉ざされてしまったうえ、日本国憲法が通じ犬鳴村などと聞けば、足がすくんでしまう事はいたしかたない事なのかもしれません。
【3】日本の行政記録から抹消されている犬鳴村
引用: Pixabay
日本の行政記録や地図から完全に抹消されている「犬鳴村」。
そういわれれば、たしかに地図にはそのような村は存在しておりません。
【4】放置されているボロボロのセダンと消えたカップル
引用: Pixabay
犬鳴村の広場には「明らかに年代物のボロボロのセダン」が放置されているとの事でした。
噂によれば、その昔、島根から福岡県に旅行に来ていたカップルの車だったらしいのです。
でも、犬鳴村に興味本位で近付いたため「怒り狂った村人」によって惨殺されたとの事でした。
【5】犬鳴村に一歩でも足を踏み入れたら命の保証はなし
引用: Pixabay
旧犬鳴トンネルの先にある犬鳴村に一歩でも足を踏み入れたら「命の保証なし」という恐ろしい言い伝えがあったそうです。
そこに待ち受けているのは、犬鳴村の人々によって仕掛けられた様々な罠だったそうです。
その罠に引っ掛かれば、たちまち斧や鎌を持った村人たちがやってきて、不法侵入者をどこまでも追っかけまわしてくるのだそうです。
当然、追いつかれたら命はないのでしょう。
【6】江戸時代から差別を受けてきた村人
引用: Pixabay
江戸時代の頃から、激しい差別を受け続てきたという犬鳴村の人々。
現在でも政府から「特別保護区」等と指定されており、そのため現在も「法律が一切適用されない」村なのだとか。
自給自足で外界をシャットアウトさせられた村人は自給自足で生きて行く以外方法はなかったそうなのです。
【7】近親相姦がくりかえされていた犬鳴村
引用: Pixabay
江戸時代から激しい差別を受けてきた犬鳴村の人々でした。
なので外界との交流が、おのずと出来ない状況にあったため、近親者同志で子孫を残す以外手立てがなかったそうでした。
血縁の近い者同士の交わりだったため、生れる子どもの多くが「精神的な病」を抱えていたそうなのです。
それらの影響から、犬鳴村の人々が「攻撃的で凶暴」であったというのが「都市伝説上の話」だったのですが真相はどのようになっているのか・・・?
その事についても、後にゆっくりと解説させていただきます。
結局「犬鳴谷村」はどんな村だったのか?
【1】犬鳴村ではなく「犬鳴谷村」という名称だった
ちなみに犬鳴村との関連性は分かりませんが、旧犬鳴谷村があった場所は現在犬鳴ダムになっています。 旧犬鳴トンネルを抜けた先ではなくて旧犬鳴トンネルから10分ほど離れた場所。ただ、犬鳴山が旧犬鳴トンネル~犬鳴ダムに繋がっていたので、旧犬鳴谷村が犬鳴村の舞台だと思います。#犬鳴村 pic.twitter.com/kBW3HPZydm
— ぷりか (@Punikanbin) September 17, 2019
2006年2月11日(平成18年)の宮若市と宮田町合併によって「宮若市犬鳴」という地名だけが残る事となりました。
江戸時代から農林業や産業が非常に盛んだったという「犬鳴谷村」。
1691年に発足された「犬鳴谷村」でしたが、1889年に「犬鳴谷村・乙野・脇田・小伏・縁山畑」の集落合併となり新たに「吉川村」が発足する事となります。
1955年に昭和の大合併により、この吉川村は宮若町に編入合併するに至ったのでした。
【2】吉川村とともにダムの底へ消えてしまった「犬鳴谷村」
[犬鳴村]現在の宮若市の西端部にあたる区域に、かつて犬鳴村が実在した。都市伝説とされる「犬鳴村と呼ばれる地域」とは全く関係がない。ダム施工前に存在した犬鳴村(吉川村)の集落は、国土地理院の過去の航空写真で確認可能となっている。 pic.twitter.com/QOAY6ebBGG— 都市伝説・超常現象アーカイブ (@mystery_guide) May 25, 2017
1970年に着工した犬鳴ダム建設により犬鳴谷村は吉川村と共にダムの底に沈む事となりました。
犬鳴ダム建設に伴い、犬鳴分校が吉川小学校と併合後に廃校となってしまいます。
犬鳴谷村の住人は、脇田地区などに集団移転する事となったのです。
周囲にあった集落の住民らは、結果として都市部に移動したりと散りじりに。
吉川村のあった場所には「宮若市犬鳴」という住所のみが残される事となったのでした。
【3】今もひっそりとたたずむ福岡藩犬鳴御別館跡
引用: Pixabay
1865年に福岡藩勤王攘夷派の加藤司書の推進で建てられた犬鳴御別館でした。外国と戦争になった時に藩主をかうまうためのもでありました。
その後、勤王攘夷派と佐幕派が対立。
その事により、勤王攘夷派は全員逮捕され、犬鳴御別館建設を推進した加藤司書とその他関係者の計7人が切腹を命じられる事となったのです。
月形洗蔵ら14名は斬首、野村望東尼は姫島流罪となります。
その後、福岡藩主になった黒田長知は視察で御別館に宿泊する事となりましたが、残念ながら犬鳴御別館は1884年の暴風にて倒壊に至る事となったのでした。
さらに、糟屋郡久山町にある「安楽寺」の倉庫立て替えにより、貴重な犬鳴御別館の遺構は完全に失われる事となったのです。
現在、この犬鳴御別館跡には「庭園跡と加藤司書の忠魂碑」だけが残されております。
春には美しい桜が満開となり、本来ならば素晴らしい花見の場所になるはずであろう犬鳴御別館跡。
しかし、あまりにも犬鳴の奥地にあるため、ほとんど人が訪れる事のない忘却の地でもあったのです。
【4】「隔離されていた犬鳴谷村」~住人が村から出られなかった本当のワケ
引用: Pixabay
その昔、隔離されていた犬鳴谷村の住人があたかも「気狂いした人間」だったかのように言われてきました。
でも、実は村人が外界に出る事を阻んでいた大きな理由があったのです。
山奥にあった犬鳴谷村に着目した黒田藩・黒田長知でしたが、なんと犬鳴谷村を隠れ蓑にし「鉄砲」を作っていた事が判明。
犬鳴谷村の住人には、火薬の知識を持ったお医者さまもいたため、そのような方々が鉄砲製作に従事したのではないかとも言われておりました。
兎にも角にも、この事実を村人が外に持ち出さないよう「犬鳴谷村の住人が隔離」される事となったわけでした。
なので隔離されていた事も事実でしたが、けっして犬鳴谷村の住人らが「ヤバかった」というわけではなかったのです。
都市伝説の真相を暴露!~オカルトマニアに育まれた架空の世界だった
ホラー映画『犬鳴村』のポスターかっこよすぎるし、久々に質の高いジャパニーズホラー感ある。
モデルになった犬鳴峠、ウチの実家から車で15分くらいでだいぶ近いんですが、貯水率少ない時のダム底見たら橋が沈んでたり、かつての村の名残りがあるんですよね〜。 pic.twitter.com/uDxu9YxTX1
— soejima takuma (@soejima_takuma) June 30, 2019
実は「犬鳴村の都市伝説」に新事実が浮上する事となりました。
それでは「都市伝説の真相」を見てまいりましょう。
【1】犬鳴村に日本国憲法が通じないはウソ
引用: Pixabay
犬鳴村の「この先、日本国憲法が通じません」という看板についでですが、たしかに周辺にはなにかしら看板が設置されているそうです。
でも、そのような事を記した看板ではなかったそうで「注意書き」的な文言が記されただけの看板だったのでした。
【2】犬鳴村に入ると携帯が圏外は当たり前
引用: Pixabay
あたかも「犬鳴村から二度と出る事が出来ない」といった印象付ける内容の都市伝説になります。
でも実際な話、かなりの山奥ゆえ携帯が「圏外表示」される事は特に不思議な事ではなかったのです。
ちなみに旧犬鳴トンネルまで進む事が出来るのは「宮若側ゲート(犬鳴ダム)」になり、こちらは電波ありとなっています。
【3】日本の行政記録から抹消されているのもウソ
引用: Pixabay
この噂についてですが、そもそもダムの底に沈んでしまっている「犬鳴村」に番地など存在するはずもなかったのでした。
住人がいて初めて番地が付けられるので、したがってこれも完全なウソとなるわけでした。
ただし、この話にはオチがあり、真相は1644年~1647年(正保年間)に福岡藩が幕府に提出した国絵図に「犬鳴山」についての記録がなされなかった話から想を得たものだったのです。
【4】「セダン」に乗ってやって来たカップルの話もウソ
引用: Pixabay
そもそも、この話にもかなり無理がありました。
理由は簡単です。それは旧犬鳴トンネルをギリギリ通過できたとしても、その先の細い山道を軽トラックならともかく、普通車のセダンが通過できる道幅ではありませんでした。
また、本当に島根県民が行方不明になっているのであれば、島根県側が何も手を講じないはずはなかったのでしょう。
その前に、新聞報道すらなされていなかった現状なので、よってこれも大いにガゼネタであったのでした。
【5】犬鳴村に一歩足を踏み入れたら命の保証なしもガゼネタ
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これについても「犬鳴村は山奥にある村」という事から、おのずと山を通過しなければいけない場所であったのは確かでした。
でも、この界隈の山のみならず、近隣の山にもイノシシ用の罠などが仕掛けられる事はいたって普通な事だったのでしょう。
なので人々が「危険な罠」などと恐れていたものの正体は、それらのイノシシを仕留める罠に過ぎなかったのでした。
また、犬鳴村に通じる山道で「怪我をした」などといった人はいませんでした。
そもそも、犬鳴村があったところは人が侵入出来るような場所ではなかったので「怪我をした人」がいるはずもなかったのです。
【6】江戸時代から差別を受けていた村人は完全ハッタリ
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そもそもは「同和地区」でもあった犬鳴谷村でした。
なので、おのずと「部落民同志」の交流しかとれない現状もあったようでした。
したがって、自ら外界を断ったいうのは間違いで、先にもお話ししましたよう「隔離されていた」だけなのでした。
自分たちで望んで外界との交流を閉ざしたわけではなかったのでした。
江戸時代の犬鳴谷村では、黒田藩の指示の下「密か」に銃が作られていたため、それら情報が外界に漏れぬよう住人を隔離した事が「差別扱いを受けてきた」という話の根源だったのです。
ちなみに、元犬鳴谷村の住人は「町に繰り出したりと、いたって普通の生活だった」と証言していたようでした。
なので、結局は「特別保護区」などではなかった犬鳴谷村(犬鳴村)だった事がわかったわけでした。
【7】でも近親相姦が繰り返されてきた事は事実だった
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以上の事から、おのずと「犬鳴谷村の中だけで生殖行為」を行わなければいけなかったのは事実だったようです。
江戸時代の犬鳴谷村は、そのような背景があったため村人が外界へ出入りする事が不可能だったのでした。
勿論、外界からの侵入も不可でした。
なので、近しい親戚同士での「近親相姦的行為」も犬鳴谷村の村民にとって本当に「苦肉の策だ」ったといえたのでしょう。
「それでも軽々しく足を運んではダメ!」~後悔する事が目に見えているから
見た目からして「邪気がまん延している」犬鳴峠にある旧犬鳴トンネル。
テレビの心霊モノの企画で必ず取り上げられていた「犬鳴峠の旧犬鳴トンネル」でしたが、本当にふざけて行くような場所でもなんでもないのです。
田川の工員・梅田さんが惨殺された「犬鳴峠・リンチ焼殺事件」を機に、全国からオカルトファンが集結したりと何かと騒がしかった犬鳴峠でした。
それに便乗して、地元のヤンキーや暴走族が連日犬鳴峠に集結しては周辺住民を困惑させていたのも事実だったのです。
その後、2000年1月13日に64歳の男性が拉致監禁後に殺害され、犬鳴ダムに遺棄された事件についても「これ以上犬鳴峠の悪名を高めたくない」という当時の宮若市の判断により新聞報道がなされなかったわけでした。
なので、何処を探しても情報がヒットしなかったのは当然だったのでしょう。
また、この事件とは別件になりますが1996年には「大晦日に夫婦が犬鳴ダムで飛び降り自殺」がありました。
1991年には、犬鳴ダム周辺でトラック事故を起こした男性が「相手を殺してしまった自責の念」から犬鳴ダム近くで首つり自殺を図るという事件が発生していましたがご存知でしたか?
話は変わりますが、2020年2月7日に映画「犬鳴村」がクランクイン決定しましたが、おそらくその影響で「犬鳴峠のフィーバーが確実視」されております。
正直な話、地元は懸念している方が多くいらっしゃるようなのです。
なので、犬鳴峠をどうしても見てみたいという方は、昼間の散策をお願いいたします。夜間はやはり迷惑になる事は間違いありませんので是非避けていただければと思います。
犬鳴峠に行く行かないは別として、これだけはハッキリ言わせていただきます。「犬鳴村」はないけれど、たしかに「霊の存在はある」と・・・。
実際に、犬鳴峠で霊を目撃した地元住人の証言も多く、夜犬鳴峠を通行中に「エンジンが突然止まる」などといった怪現象はよくある事でした。
さらには「遊び半分」でいったがために、悪霊に取りつかれ「気が狂ってしまった」という人も確認できております。
なので、それでも「興味本位」で犬鳴峠に行かれるのであれば・・・後は「自己責任のもとでお願いいたします」としかいう事が出来ないのでしょう。
勿論、憑依されやすい方などについては「自身の体質を熟知」されているでしょうから心配はいたしません。
最後になりますが「全然、霊感がない」という人でも、新犬鳴トンネルから見える旧犬鳴旧道をちらりと見ただけでも体が凍りつく感覚になるのだそうです。
非常に強い邪気を道路越しで感じる方は非常に多かったのも事実なのです。なので、確かに強力な「霊」がいる事には間違いなかったのでした。
寒いと感じる場所には必ず目に見えない「霊」がいるんだとどうぞ自覚なさってください。
その証拠にあの「宜保愛子さん」が怯んだくらいなのですから。
「ナメてはいけない・・・」、それが福岡県の犬鳴峠だったのです。