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植松聖(うえまつ・さとし)は2016年7月26日に起こった、相模原障害者施設殺傷事件の犯人である人物です。
植松聖は2016年7月26日未明、神奈川県相模原市緑区にある知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に侵入し、複数の刃物で入所者19人を刺殺し、入所者・職員合わせて26人に重軽傷を負わせ、戦後最悪の大量殺人事件として日本社会を震撼させました。
植松聖の出身
植松聖被告は1990年1月20日生まれの男性(現在:29歳)です。
京都日野市の多摩平団地(現:多摩平の森)で生まれましたが、生まれて間も無い1991年1月(当時:1歳)に、のちに事件現場となる障害者施設からわずか500mほどの距離の津久井郡相模湖町大字千木良(現在の相模原市緑区千木良)の自宅に両親とともに移り住み、事件を起こした2016年までこちらの自宅に住み続けています。
植松聖の家族構成
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植松聖被告は一人っ子であり、父親は東京都内の小学校で図工教師として働いています。
また、教師をしつつ自治会活動に積極的に参加をしており、近所からは信頼もあつかったそうです。また、母親はホラー漫画家として活動しており、ペンネームや実名は明かされていません。
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植松聖被告は相模湖町立千木良小学校(現:相模原市立千木良小学校)、相模湖町立北相中学校(現:相模原市立北相中学校)を卒業しています。
中学時代はバスケットボール部員で、スポーツ熱心なだけでなく勉強もできる方で、クラスの中でも目立つ人気のある少年であったそうです。
しかし、感情的になると机や椅子を蹴るなど、物に当たり散らすような気性の荒さを持つ一面もあり、キレたら手がつけられなくなることで周りからは少し恐れられていたそうです。
植松聖の高校・大学時代
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中学を卒業した植松聖被告は東京都八王子市内の私立高校に進学しましたが、入学間もなくして同級生を殴って神奈川県立津久井高等学校定時制へと転校しています。
植松被告がだんだん変わって行ったのはこの頃からだと言われており、私服では派手なスーツにサングラスというような高校生らしからぬ姿が確認されています。
高校卒業後の2008年4月には、帝京大学文学部教育学科初等教育学専攻(現:教育学部初等教育学科)へ入学し、小学校教諭を目指して勉強や学童保育での指導員補助のアルバイトに励んでいたそうです。
植松被告が大きく変わってしまったのは大学在3年生 – 4年生頃とされており、このころ植松被告は「強い人間」に憧れ、刺青を入れたり、ナイトクラブに通い始めたりしたそうです。交友関係もガラッとかわり、2010年ごろからは大麻などを吸引し始めています。
大学4年生から、見た目はおろか内面も変わっていき、大麻や薬物を常習するようになりますが、あくまで大麻などの使用は、その場を楽しむためのツールとしての使用であり、悪いことをしているという意識はなかったと見られます。
教師への夢も諦めていなかったようで、その証拠に2011年5月末からの約1ヶ月間、母校である相模原市立千木良小学校で教員免許を取得するための教育実習を行っています。
刺青が入っていたことは近所でも噂になりましたが、子供の面倒見もよく、根っからの子供好きであったので、見た目は派手だが悪さをするような人間にはあまり見えなかったという意見も多いです。
そして2012年3月に帝京大学を卒業し、教員免許の試験には受かったものの、教員採用試験には受からなかったようで、その原因としては刺青の影響が大きいのではとされています。
植松聖の大学卒業後
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大学を卒業した植松被告は、さらに交友関係が裏社会に及び、犯罪を繰り返す半グレ集団や右翼関係者とも関係を持つようになっていったと言われています。
またこの頃、植松被告が背中に般若の刺青を掘ったことを母親が知り、母親は怒り悲しみ泣き叫んだそうで、その母親の声が近所に漏れていたそうです。そしてその騒動から間も無く、植松被告の両親は植松被告をひとり自宅に残し、都内の八王子にあるマンションに引越しています。
近所に住む住民の間では、植松聖被告の大麻や薬物使用、荒い性格などに危険を感じた両親は、植松被告と別居する選択肢をとったと噂されていました。
両親が出て行った後、植松被告は一人暮らしを始めましたが、あまりトラブルもなく一人暮らしを続けていました。自宅の庭の草が伸び放題になり、隣の住宅の庭にまで雑草が伸びてしまったことで近隣住民から軽い注意を受けますが、自ら友人らを呼んで草むしりをするなど、問題のない社会性はあった模様です。
しかし植松聖被告の自宅は、男友達のたまり場にもなっていたようで、派手な友人たちが常に出入りしていたそうです。
大学卒業後の植松聖被告の職業、自動販売機の設置業者、運送会社、デリヘルの運転手など職を転々としていて定まっていませんでしたが、2012年12月に自宅から500メートルほどの距離にある障害者福祉施設に就職します。
相模原障害者施設殺傷事件の概要まとめ
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実際に植松聖被告が起こした、相模原障害者施設殺傷事件の内容を詳しく説明していきます。
相模原障害者施設に侵入
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植松被告は事件の前日、相模原市内で知人男性2人と会っており、暴力団関係者と親交があるとされる友人のうち1 人から、『お前は暴力団組員に追われている』と告げられ、施設襲撃計画の遂行に支障をきたすのではないかと危惧した。
元々、襲撃の日は2016年10月1日に予定されていましたが、暴力団に命を狙われるのであればなるべく早くに決行した方が良いと判断し、友人と会った日から間も無く翌日の2016年7月26日未明に、植松被告は障害者施設へと侵入することになります。
事件の前日、友人と別れた植松被告は自宅から包丁などを持ち出し、東京都内のホームセンターでハンマーや結束バンドなどを購入して犯行の準備をし、一度車で都内へ向かっています。都内では、好意を寄せていたとする女性と食事をしていましたが、その際に障害者襲撃計画を話していたそうです。
その後、植松被告は翌日26日午前1時頃、滞在していたホテルを出てそのまま襲撃予定の施設へ向かいます。
同日午前2時頃、植松被告は、警備員のいる正門付近の警備員室を避け、裏口から施設の敷地内に侵入しました。用意していたハンマーで入居者東居住棟1階の窓ガラスを割って施設内に侵入したとみられます。
そして通用口の門扉を開けて敷地内に侵入すると、その場にいた職員らを結束バンドを使って拘束し、「障害者を殺しに来た。邪魔をするな」などと脅して外部への連絡手段を絶ちました。その際、直接刃物で切りつけられた職員はいなかったそうです。
ナイフで施設内の患者を..
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侵入に成功した植松被告は、職員から奪った鍵で居住区画を仕切る扉を解錠しながら移動し、入居者に声をかけつつ返事のない入居者らを狙って次々と刺していったそうです。
意思疎通のできない障害者を多数殺害する目的で襲撃しているので、介護のいる障害者を主に狙っていたとされており、刺し傷の深さから見ても、植松被告の犯行に突発性はなく、明確な殺意があったと判断されています。凶器は、自宅から持ち込んだ柳刃包丁5本を使い分けて犯行に及んだようです。
施設侵入からしばらくして、西棟2階を担当していた職員が異変を察知して部屋に閉じこもったことで、警察に通報されることを恐れた植松被告は、襲撃を中断し、施設から逃走しました。侵入からおよそ50分間の出来事です。
犯行後は警察に自首
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施設襲撃に成功した植松被告は、同日午前2時50分に「世界が平和になりますように。beautiful Japan!!!!!!」という内容のコメントを自撮り写真を添付してSNSに投稿しています。
予定では2つの施設を襲撃するつもりでしたが、1度の襲撃で多くの障害者を殺害できたと実感したこともあり、同日午前3時過ぎに現場所近くの津久井警察署へ出頭し、「私がやりました」と自首しました。
出頭する途中に植松被告は、コンビニのトイレで手や腕に付着した血を洗っていますが、犯行時の衣類と同じものを着用しており、血も付いていたと言われています。
自首した植松被告は、殺人未遂・建造物侵入の各容疑で緊急逮捕されました。
相模原障害者施設殺傷事件の被害者は?
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事件の被害者にはどのような方がいたのでしょうか?
施設名は神奈川県立津久井やまゆり園
まきさん(@makikyo2009)がシェアした投稿 – 2017年 7月月25日午後7時28分PDT
津久井やまゆり園は、神奈川県が1964年から設置し、社会福祉法人「かながわ共同会」が運営している知的障害者施設です。
敷地の面積は3万890平方メートルの敷地内に2階建ての居住棟や管理棟、グラウンドや作業スペースなどがあり、7月1日時点で職員数は164人、同日時点で入所していた19歳から75歳の長期入所者149人(男性92人、女性57人)全員が障害支援区分6段階のうち重い方の4から6に該当する重度の知的障害者(食事や入浴、排泄などの介助が必要)でした。
園では、夜間も職員を1棟あたり少なくとも2人配置し、園の正門・居住棟の入り口は、それぞれ施錠されている上、建物内に入ったとしても、各ホームに自由に行き来することはできず、すべての鍵を開けられるマスターキーを持っている職員もいないそうです。
また、園には警備員が常駐していますが、午後9時半以降は正門近くの管理棟で仮眠してもよいことになっており、当直の警備員は侵入に気づかなかったとされています。
やまゆり園は、植松容疑者の自宅から500mしか離れていない場所に位置し、植松容疑者が2013年4月1日から2016年2月まで、常勤職員として勤務していた施設でもあります。しかし、2016年2月16日付けで施設を退職しており、退職理由は「自己都合により」とされていますが、実際は植松被告の勤務態度に”施設入居者への暴行・暴言”があったとされ、何度も指導・面接を受けていたこともあり、目に余る問題行動によって施設から解雇されたも同然だったそうです。
相模原障害者施設殺傷事件の被害状況
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被害状況は、死亡者19名・負傷者26名です。死亡者は、いずれも施設の入所者男性9名(当時:41歳 – 67歳)、女性10名(当時19歳 – 70歳)です。
死因は、腹部を刺されたことによる腹腔内出血や、背中から両肺を刺されたことによる血気胸、その他はいずれも失血死とされており、ほとんどの遺体は発見時に居室のベッドの上で見つかっており、寝ていたところを植松布告に刺されたとみられます。
また、負傷者は施設職員男女各1名を含む男性21名、女性5名で、そのうち13名は重傷を負っています。入所者24人の負傷内容は全治約9日〜約6ヶ月間に及ぶ胸への切り傷、両手の甲への打撲などとされています。
死亡した被害者の実名公表は無し?
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事件後、施設の方や遺族はいっさい匿名になっており、マスコミの前で名前と顔を出して話すことはありません。通常、事件についての報道は必ず実名となりますが、今回は死亡者や被害者全てのかたの実名は明かされていません。
その理由として、やまゆり園の園長や会長に「絶対に名前を出さないで下さい」という遺族からのお願いがあったそうです。園長と会長は津久井警察署に掛け合いましたが、被害者の匿名報道は異例中の異例であり、最初は断られたそうです。
しかし遺族からの懇願は続き、園長と会長は再び津久井署に掛け合い、警察の方も本町と協議をかけたようです。その結果、「今回だけは障害者なので特例として匿名を認めます」ということになったそうです。
この件に関して、遺族の方たちが被害者の実名を明かさないのは、障害者の家族ということを公にしたくないという遺族の保身のためだとし、障害者差別を訴える声も多く寄せられています。
生存者は事件後PTSDに?
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事件に居合わせた職員3人が心的外傷後ストレス障害(PTSD)などで仕事ができなくなったとされており、拘束された目の前で繰り広げられた襲撃の様子でかなりショックを受けている模様です。
また事件後、やまゆり園には使えなくなってしまった部屋などがいくつか存在したと言われていますから、事件現場は壮絶なものだったと考えられます。
事件後の日本の反応は?
s_kuckeyさん(@s_kuckey)がシェアした投稿 – 2016年 7月月26日午後1時53分PDT
事件後、日本にはどのような影響があったのでしょうか?
障害者に対する問題定義
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今回の事件を経て、世間では「資本主義社会において、障害者の世話をして長生きさせて何の価値があるのか」という声もあり、SNSなどでは、殺人は抜きにしろ植松被告の思想を支持する意見が多く飛び交いました。このような障害者に対する考えが有る限り、今回のような事件が再び繰り返されてもおかしくありません。
また、犯人自身を障害者扱いする方たちも多いですが、「その考えこそが差別的な思考で、事件を生んだ犯人と変わらないのでは」という反差別思考に対する意見も飛び交い、物議を醸しました。
介護職者への問題定義
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犯人の犯行動機に、介護職の労働環境やストレスが関係している可能性があるのではとも話題になりました。介護職はなかなか思い通りに行かない職業としても有名ですが、障害者への偏見や差別的な思考を持っていると余計にストレスを感じてしまいます。
また、中年以降の障害者を少ない人数で対応していた労働環境への疑問の声や、介護職者への精神的なケアも行う必要はあったのではないかという声が寄せられています。
ネットではヒーロー扱い?(胸糞)
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今回の事件を経て、植松聖被告をヒーロー視する声が後を絶たないと言われています。
神奈川県警には「いつ植松に面会できますか?」という問い合わせも多く、その中には「労いの言葉をかけたい」「応援してるので、差し入れしたい」という声も寄せられているそうです。
植松聖の逮捕後
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植松被告は逮捕後、遺族に対しての謝罪はありましたが、実際に危害を与えた被害者に対してはまだ一度も謝罪の言葉を発していないと言います。
取り調べに対して衝撃的な一言
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逮捕後、植松聖被告は取り調べで「今の日本の法律では、人を殺したら刑罰を受けなければならないのは分かっている」と供述する一方で、「権力者に守られているので、自分は死刑にはならない」「事件を起こした自分に社会が賛同するはずだった」という趣旨の供述もしているそうです。
また、「障害者なんていなくなってしまえ!」などという発言もしており、障害者への差別発言が目立つ様子でした。
植松聖の犯行の動機
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植松聖被告は障害者に対して、「国への生産性」を問題視しています。
中学時代に障害を持つ同級生と関わったことや、施設で働いた経験などを踏まえ、「障害があることで家族や周囲も不幸だと思った」「事件を起こしたのは世の中の不幸を減らすため」「障害者の安楽死を国が認めてくれないので、自分がやるしかないと思った」などと供述しています。
障害者施設を襲撃して重度の障害者の命を断つことが正義だとしており、犯行の動機はあくまで世界の平和のためだとしています。
実は植松聖被告は、事件を起こす前の2016年2月中旬ごろに衆議院議長公邸を訪れ、衆議院議長の大島理森に宛てた『犯行予告』となる手紙を職員に手渡しています。手紙の内容は以下の通りです。
1枚目 (一部抜粋)
この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。 私は障害者総勢470名を抹殺することができます。 常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。 理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。 障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。 私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。 重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。 戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます。 今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます。 世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。
私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。
引用: PAKUTASO
2枚目
私は大量殺人をしたいという狂気に満ちた発想で今回の作戦を、提案を上げる訳ではありません。全人類が心の隅に隠した想いを声に出し、実行する決意を持って行動しました。 今までの人生設計では、大学で取得した小学校教諭免許と現在勤務している障害者施設での経験を生かし、特別支援学校の教員を目指していました。 本当は後2つお願いがございます。今回の話とは別件ですが、耳を傾けて頂ければ幸いです。何卒宜しくお願い致します。 医療大麻の導入 精神薬を服用する人は確実に頭がマイナス思考になり、人生に絶望しております。心を壊す毒に頼らずに、地球の奇跡が生んだ大麻の力は必要不可欠だと考えます。何卒宜しくお願い致します。日本軍の設立。刺青を認め、簡単な筆記試験にする。
出過ぎた発言をしてしまし、本当に申し訳ありません。今回の革命で日本国が生まれ変わればと考えております。
引用: PAKUTASO
3枚目 作戦内容
職員の少ない夜勤に決行致します。 重複障害者が多く在籍している2つの園【津久井やまゆり、他】を標的とします。 見守り職員は結束バンドで身動き、外部との連絡をとれなくします。職員は絶対に傷つけず、速やかに作戦を実行します。
2つの園260名を抹殺した後は自首します。
作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。 逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。 新しい名前(伊黒崇)、本籍、運転免許証等の生活に必要な書類、美容整形による一般社会への擬態。 金銭的支援5億円。
これらを確約して頂ければと考えております。
ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。 日本国と世界平和の為に何卒よろしくお願い致します。
想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。
植松聖
以上の内容を綴った手紙を、2月14日午後3時25分ごろに議長公邸を訪れ、書簡を渡したいと申し出ました。
しかしもちろん受け入れられずに追い返されましたが、植松被告が土下座をするなどしたため、警備の警察官が職務質問するとそのまま立ち去ったそうです。その後、植松被告は翌日午前10時20分ごろ再び議長公邸を訪れ、正門前に座り込むなどしたため、衆議院側が協議をした結果、午後0時半ごろに手紙を受け取ってもらうことに成功し、ようやくその場を立ち去った。
しかし手紙には犯罪を予告するような内容があり、衆議院の事務局が警察に通報しています。この手紙について、警視庁は同15日中に津久井署に情報を提供していますが、適切な対応も虚しく、事件が起こってしまいました。
相模原障害者施設殺傷事件、犯人植松聖の判決
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公判裁判はまだ開かれておらず、被告側の弁護士が犯行に至った理由として植松被告の精神疾患を訴えているため、二度目の精神鑑定が実施されることもあり、公判前手続きが遅れているもようです。今後の予定として初公判期日を「2020年1月8日11時開廷」と指定し、2020年3月末までに判決が言い渡される見込みだそうです。
未だに自分の正当性を主張?
引用: Pixabay
植松被告は障害者に対して、「国への生産性」を問題視しています。
「重度の障害者たちを生かすために莫大な費用がかかっている」とし、障害者への支援を「税金の無駄」だと語っています。そして、「重度・重複障害者を育てることは莫大なお金・時間を失うことにつながり、命を無条件で救うことが人の幸せを増やすとは考えられない」と障害者殺害を正当化する考えを示しているそうです。
植松被告は、障害を持った方たちのことを『心失者』とし、「心失者を擁護しては誰も幸せにはならない」と語っています。
また、意思疎通がとれない者を安楽死させるという植松被告の意見に対して否定をする世間に対しても、(否定をする人たちは)「常識を鵜呑みにし、自分で考えることのできないバカ」か「周囲の意見に同調するブス」だとし、「たくさんある問題を何も解決せずに否定をすることが博識だと勘違いしているのではないか」と訴えています。
そして、「年金・生活保護受給者などの自立できないヒマ人ばかりが声を挙げる日本で、私の考えに賛同できるはずがない」「世間から離れ、個人に問いかけた時に、心失者を擁護するわけがない」とも綴っており、「彼らを安楽死させることは仕方の無いこと」と主張しています。
植松聖の獄中生活
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植松被告は接見は拒否したが、マスコミの手紙による依頼には応じています。
これまでの凶悪犯罪者とは違い、あれだけの事件を起こして社会から指弾されてもなお、未だに自分の考えは正しいと思い込んでいます。それだけでなく、それを世に問いたいと考えています。
彼が接見禁止が解けて以降、マスコミ取材に応じてきたのは、それが理由と考えられています。
しかし植松被告の送った手紙の内容は、反省の色が伺えないどころか、障害者の安楽死を求める内容であったため、差別思想を増幅させないためにも、全てのマスコミは「身勝手な主張」として内容を公開されることはありませんでした。
そうした中で、『創』は敢えて2017年の9月号で植松布告からの手紙の全文を公開しています。植松被告はそのことに対して喜びの言葉を綴っています。
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【8月2日付:植松被告の獄中からの手紙(一部要約)】
同封してもらいました「ドキュメント死刑囚」を拝読し、宮﨑勤に関して執行までに12年、1食300円として食費だけで12年間で432万円の血税が奪われている。
意思疎通がとれない者を認めることが、(解離性同一性障害と鑑定され、複数の幼女を殺害する事件を起こした宮崎被告のような)胸クソの悪い化け者を世に生み出す原因の一つだと考えております。
ナチスのT4作戦は、第二次大戦前のひどい貧困に苦しんでいたドイツを救うために決行された作戦において、貧富の差がユダヤ人を抹消することにつながったが、心失者(重度の障害者)でない普通の人間をも殺すナチスの考えと、自分の考えは違う。
現在、赤ん坊も含める全ての日本人に一人800万円の借金があり、戦争で人間が殺し合う前にまず心失者を抹殺するべきだ。とはいえ、1千兆円の借金は返済可能な金額ではないので、戦争をすることでしか帳消しにできないのかもしれない。
ゴミ屋敷に暮らす者は周囲への迷惑を考えずにゴミを宝と主張する。客観的思考を破棄することで自身を正当化させている。遺族や障害者協議会など関係者に対して「現実逃避障害」と診断させていただきます。
植松聖の獄中手紙②
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【8月9日付、植松被告からの手紙(一部要約)】
多くの利権を壊す私の考えは世間に出ることは無いと諦めかけていた中、(自分の手紙が掲載されている)『創』を読んだ時は手が震えてしまった。死と向き合い、魂を燃やされている篠田先生(創・編集長)、並びに創出版の皆様に心の底から脱帽しました。
この度は篠田先生に折り入って御願いを申し上げたいのですが『創』10月号をセブンイレブン様、及び各コンビニのレジ横に置いて頂くことはできませんか。読書ばなれが進む日本で本を販売されることはとても困難でしょうが、形だけの選挙よりも実りある答えがだせるのではないかと考えています。
僭越ではありますが、改めまして龍のイラストを描かせていただいたので、再び篠田先生に鑑査して貰えましたらとても嬉しく思います。
植松聖の獄中手紙③
引用: Pixabay
【8月15日付、植松被告からの手紙(一部要約)】
お手紙を書いていただきまして誠にありがとうございます。
(イラストの)鯉は自分のイメージで描かせていただきました。今描いている龍は「闇金ウシジマくん」の滑皮さんを参考にしています。
それにしても自分の送検時の不敵な笑みにはゾッとします。走る車に人波が突撃する姿にふと笑ってしまったが、あの場で笑顔をみせるべきではなかったと反省しております。
相模原障害者施設殺傷事件の犯人、植松聖。
戦後最悪の事件を引き起こした植松聖被告ですが、死刑判決がくだされる可能性が高いとされています。
しかし、本人は死刑判決を受け入れる旨を語っていますが、このまま被害者への謝罪の言葉を聞けずして死刑となってしまうのでしょうか。今後の判決に注目です。