福田和子が潜伏した金沢の和菓子屋はどこ?ポケモンにも登場!?

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福田和子とは?【松山ホステス殺害事件】

 

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松山ホステス殺人事件の犯人とし、およそ15年に渡り逃走し指名手配までなった福田和子をご存知でしょうか?

偽名を使い、美容整形を繰り返し「7つの顔を持つ女」と呼ばれた彼女がたどり着いた石川県金沢でした。キャバレー勤務から金沢の和菓子屋で身を潜めていた彼女。

その和菓子屋はいったいどこにあるのか?そして、彼女の逃亡生活の様子がポケモンに登場!?

今回の記事では、福田和子について紹介していきます。

 

福田和子についてさらに知りたい方はこちら!


福田和子の性格や生い立ち!松山ホステス殺害事件の真相とは?

 

福田和子、複雑な思いを抱えた幼少期からの空虚な半生


引用: Pixabay

福田和子(ふくだかずこ)1948年1月2日生まれました。

幼少の頃両親が離婚し、一人っ子だった福田和子は母親に引き取れらて愛媛県川之江市(現在は四国中央市)に移転し、共に暮らしていました。

当時母親は自宅で売春宿を経営しており、商売に力が入っていた母親からは欲しい物は何でも買ってくれていたが、福田和子自身は心が満たされる事はなく、空虚だったといいます。

しばらくして母親は漁師であった男性と再婚し、来島に移転するがよそ者を嫌う事で排他的な扱いを受け、耐えきれなくなった母親と福田和子は今治市に移転しました。

愛媛県内の高校に入学するが、当時交際していた同級生の事故死により、自暴自棄になり高校3年の1学期に自主退学をして家を出ました。

 

17歳で最初の犯罪、そして逮捕。そこで起こった、福田和子を襲った悲劇

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引用: Pixabay

18歳の時、同棲していた男性と香川県高松市の国税局長の家に忍び込み、強盗に入った罪で逮捕され、松山刑務所に服役することになりました。

1966年暴力団との抗争が激化しており、一連の抗争で50人以上の構成員が逮捕されており、同じく松山刑務所に服役していました。

服役していた暴力団関係者が看守を買収し、刑務所内を自由に出入りするようになり、そして女性受刑者のエリアまで出入りする事が出来た構成員らは当時女性受刑者3名を強姦するという「松山刑務所事件」が起こし、福田和子もその被害者となりました。

更にその後、福田和子は高松刑務所に移監され、そこでも同様の事件が発生しまたしても被害に合ってしまいました。

被害届を提出することが認められなかったため、公訴時効として事件の責任追及も行われず福田和子は泣き寝入りするしかなかったといいます。

 

出所後、結婚・離婚・そして再婚と家庭円満だった福田和子だったが・・

引用: Pixabay

出所後、仕事を転々とした生活し、最初の結婚で1男1女を授かるが、離婚してしまいました。

子供2人を引き取り更に仕事を転々としましたが、そんな中で2番目の夫と再婚。その後1男1女を授かり、4人の子供を持つ母となり、夫婦仲も良く円満な家庭を送っていました。

だが、その反面愛人もいた福田和子は家庭と両立する暮らしを始めたのです。経済面では夫の収入だけでは難しく、生活するだけで精一杯であった家計の他家のローンも抱え、愛人と過ごす際にかかる費用の為に闇金から借金を繰り返していた福田和子はキャバレーのホステスとして勤務しました。

いくつかの店を渡り歩き、あるキャバレーで勤務する。そこでのちに殺害される同僚だったホステス(当時31歳)と出会いました。当時No1ホステスだった彼女だった彼女はみんなの憧れの的だったといいます。

その事に対し福田和子は嫉妬を抱いていたという風に報道では公表があったものの、未だ詳細は不明点もあるようです。

 

同僚ホステスを殺害。夫や親戚まで騙し、悪魔と化した福田和子

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引用: Pixabay

1982年8月19日、当時住んでいた松山市にあるホステスの自宅マンションへ訪れた福田和子。近くまで来たとの事で訪ずれた福田和子だったが、その後同僚ホステスを首を絞めて殺害してしまいました。

のちの「松山ホステス殺人事件」を起こしたのです。夫に同僚ホステスの自宅マンションまで来てもらい、正当防衛だと嘘をついたうえで、共に山中に死体遺棄をしました。

夫から自主を勧めれれるが、福田和子は子供や世間体の為にと伝え拒否しました。また、親戚まで手伝わせて、安岡さんの家財道具を持ち出し、愛人と密会するために借りたマンションへと全て運び出したのです。

その後、安岡さんの行方不明のニュースが流れ、足取りが親戚を通して福田和子へと移ったのです。そして親戚の人を迎えに行くと言い残し、福田和子は逃亡してしまいました。

 

20の偽名、7つの顔を持つ女の逃亡生活の幕開け

引用: Pixabay

逃亡中、最初の潜伏先だった石川県金沢市に着いた彼女は仕事と住まいを探すべく偽名を使い、あらゆる水商売へ足を運び、働いては辞めて次の店と転々とする生活を送っていた福田和子。

あちこちの男性客と関係もあり、男性にだらしない面もあったといいます。

そして、金沢のスナックで働き、客として来店していた金沢の老舗和菓子屋の亭主と出会ったのです。

 

老舗和菓子屋の女将へ転身、その後またもや逃亡

引用: Pixabay

その亭主に見初められて福田和子は能美根上にある老舗和菓子屋の女将として店の切り盛りしていました。

明るく人慣れしていた愛想の良いと評判で売り上げも上昇していたといいます。亭主からは何度も結婚の申し出をするが、何なりと交わす福田和子でした。

その生活が2年程続き亭主も両親、親戚も不振に思っていたが、ある日亭主が指名手配証に出ていた写真をみて驚愕したのです。

その頃、福田和子は近隣の葬式の手伝いをしていたが、両親や親戚の通報により警察が福田和子がいる場所へ訪れるが、警察の行動をいち早く察知した福田和子は裏の窓から飛び出し、傍に会った自転車で逃走。間一髪警察から逃れました。

 

逃亡生活14年と11カ月、時効わずかの警察執念の逮捕劇

引用: Pixabay

幾度となく偽名を使用し、美容整形を繰り返しては、全国のキャバレーやラブホテルを転々とする生活を送っていた福田和子。

顔を変えていた事から「7つの顔を持つ女」と呼ばれ、愛媛県警察が福田和子の顔写真入りのテレフォンカートを配り、懸賞金100万円までかけた大掛かりな捜査となりました。

逃亡生活14年目にして、福井県にたどり着いた福田和子はあるおでん屋を訪れました。そこでは「れい子」と名乗り、エスティシャンとして身元を偽造してお店の女将から常連客まで共に飲むようになったのです。

家庭的な店で、感じの良い母のような女将と、気さくな常連客との温かい感じが気に入っていたとの事で週に3,4回は訪れていたといいます。

ちょうどその頃に時効が近づいていた事もあり、「松山ホステス殺人事件」の犯人福田和子の話題でメディアが騒いでいました。

番組の特集では肉声のテープや指名手配犯の顔写真も公開されていたのもあり、店の常連客の1人が「れい子」が福田和子ではないかと気づき警察に通報したのです。

おでん屋の女将と協力のうえ、警察から「れい子」(福田和子)の使用したグラスやビール瓶、マラカス等を保管するよう指示されたため、厳密に保管し警察へ渡していました。その一連の行動は福田和子は気づいかなかったといいます。

そして公訴時効が成立する21日前、1997年7月29日福井県市内のおでん屋から出てきたところを福井県警が取り囲み、始めは否定したものの押収したグラスやビール瓶、マラカスに付着していた指紋と一致した事を伝えると全て認め、逮捕となりました。

逃亡生活は5459日間、14年と11カ月に及び終止符を打ちました。逮捕当時は時効成立が近づいていた事もあり、大々的にマスコミ、ワイドショーで報道されていた事もあり、社会的関心が高まりました。

逮捕後、福井から岡山駅までは鉄道列車、岡山駅から愛媛県警のワゴン車で松山東警察署に移送されました。

 

逮捕後、無期懲役となった福田和子の最後

引用: Pixabay

1999年5月31日、松山地方裁判所にて福田和子は「無期懲役」の判決が下り控訴するが、2000年12月13日、高松高等裁判所にて控訴を棄却、拘置先の松山刑務所から高松刑務所へ移され収監となりました。

福田和子は最高裁判所へ上告するが、2003年11月に上告棄却、強盗殺人罪・強盗罪・殺人罪・死体遺棄罪の罪で「無期懲役」の刑が確定され、和歌山県和歌山市の和歌山刑務所に収監されました。

収監されてから2005年2月、刑務所内の工場で作業中に倒れ、和歌山市内の病院へ搬送し緊急入院をするが、意識の回復もなく3月10日に入院先の病院でくも膜下出血のため死去。57歳の生涯を遂げました。

 

福田和子の死、当時を振り返り息子の母への思い

引用: Pixabay

福田和子が逃亡中にも関わらず、何度か息子には会っていた事がありました。

その頃の心境と真相について、以前にテレビの特番でインタビューを息子さんは受けておりました。「松山ホステス殺人事件」発生から突如逃亡した母。息子さんは当時14歳。

母親から「当分帰ってこれない。おばあちゃんの家に行きなさい」と電話で告げられ、祖母の家で過ごすことになったそうです。

テレビ視聴禁止と言われたが、胸騒ぎがして祖母が寝静まったある日、こっそりテレビを付けるとそこには父親が死体遺棄の容疑で逮捕され手には手錠がかけられ、母親は殺人事件の容疑がかけらて逃亡中とのニュースを目にしてしまいました。

その時の心境については体の奥から叫びたい気持ちが込み上げてきたといいます。ただ、弟や妹の事を思うと自分がしっかりして支えなきゃと自身に言い聞かせたそうです。

母、福田和子に対しては恨む気持ちは欠片もなかったとテレビインタビューで語っていた息子さん。当時を振り返り、母親が逃亡犯として話題になっていたため、学校へ行くのが辛かったのではないかとの問いに対し、学校へ行くのが憂鬱に思ってはいたものの、学校では反対に周りから気遣ってくれて励ましてもくれたと語っています。

最初は父方の祖母にいた息子だったが、祖母あ周囲の目を気にしたのか福田和子の実家の方へと息子さんと下の妹(福田和子の前夫との間の子2人)を引っ越させてそこで暮らすよう言われたそうです。

事件を起こし、自分たちを捨てて行ってしまった福田和子をずっと慕っていたという息子。尊敬できるお母さんと語っておりました。

それは、わずかな時間でも理想的な家庭を築いていたからだそうです。

その後も数カ月たったある日から、月に1回福田和子と電話で話すようになったとの事。そして事件から4年が過ぎたある日、18歳になった息子さんは実の父親の元で定時制の高校に通いながらアルバイトをしていたとの事。

その矢先、母・福田和子から連絡があり、一緒に来ないかという事で石川県能美根上(現・能美市)の老舗和菓子屋へと和菓子職人の見習いとして働きながら共に暮らす事になったそうです。

それからある日、警察の捜査が和菓子屋にたどり着いた時、息子に何も告げられず母はまた逃亡する事となりました。

1991年、23歳になった息子さんは再び、祖母の家に戻り、アルバイトで暮らしながら、母親と電話で話すようになりました。そして、結婚相手を紹介、報告する。とても喜んでくれた母。

当時奥様には指名手配犯として逃亡している福田和子だと伝えた際は大変驚いたようですが、奥様始め、奥様のご両親も事情を知りながらも息子さんを受け入れてくれたとの事です。

そして、時効まで21日となった1997年7月29日に母・福田和子は逮捕されました。逮捕当時、29歳になっていた息子さん。「母を恨む気持ちは欠片もありません。」と語っていました。

無期懲役として服役していた福田和子への面会も時々行っていたそうです。2005年、福田和子は刑務所内で倒れ、緊急入院となり、連絡を受けた息子さんはすぐ、病院へ駆けつけ、福田和子の手を取り、「ママは強いけん。大丈夫や」と語りかけたといいます。

息子さんは37歳になり、母親と触れ合うのは奥様を紹介して以来、14年の月日が経っていました。そして「ママ、ありがとうね。ママ・・」と告げると、福田和子は静かに息を引き取ったといいます。

一緒にいる時間は普通の家庭より全然短いが、子を思う母の気持ちは何よりも強く、息子さんにはちゃんと伝わっていたからこそ、母親を恨む事なくずっと慕ってきたそうです。

 

松山ホステス殺害事件概要

 

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1982年8月19日愛媛県松山市で当時キャバレーのホステスとして働いていた福田和子は同僚だったホステスの安岡厚子さん(当時31歳)をホステスの自宅マンションにて首を絞めて殺害しました。

殺害直後、夫に電話で「以前に話した、夜逃げをする子の出発が今日になったから今すぐ急いで来て」と松山のマンションに来るよう呼び出し、夫がマンションへ駆けつけると福田和子は夫にだけ安岡厚子さんを殺害した事を告げました。

驚愕した夫に対し、更にお酒を飲んで口論の末、相手が包丁を持ち出したため、正当防衛の末の殺してしまったと嘘をつき、一緒に始末するのを手伝って欲しいと頼んだのです。

夫は自首をするよう説得したが、子供たちの事を考えたら自首は出来ないと拒否しました。一緒に死体遺棄を手伝うよう頼み、夫と共に遺体を市街地から離れた山中に遺棄しました。

その後親戚を呼び、安岡さんの家財道具一式を福田和子の愛人と密会のために借りたマンションへと全て運び出しました。

家財道具から全てものが高級品であり、現金を含め総額約〇万円を福田和子は奪い、警察が動く前に逃亡しました。所持金は60万円程だったといいます。

やがて、松山市内の山中で安岡厚子さんの死体が発見され、家財道具一式持ち出された事から、夜間に持ち運びをしていた事が目撃されていた事もあり、強盗殺人及び死体遺棄事件として松山東警察署が捜査を開始されました。

福田和子が容疑者だだと捜査で発覚し、夫は自供したため、死体遺棄の共犯で逮捕され、福田和子は逃亡している事から指名手配犯としてあげられた。これが「松山ホステス殺人事件」として報道でも大きく取り上げられました。

そしてこの後石川県へ逃亡し、能美根上(現在は能美市)に潜伏します。

 

福田和子が潜伏した金沢の和菓子屋の場所は?

引用: Pixabay

犯行後、逃亡生活を送る事となった福田和子。最初の潜伏先は石川県金沢市でした。

色々なお店を転々としていたが、あるスナックで「小野寺 忍(おのでらしのぶ)」という偽名で働いていた時に知り合ったのが老舗和菓子屋の店主でした。

そしてそこでは「小野寺 華世(おのでらかよ)」と偽名を使い、和菓子屋の亭主の内縁の妻として入り込みました。

当時の福田和子は明るく接客態度も良く、店の評判も業績も上がり、店を切り盛りする和菓子屋の女将として働いておりました。

和菓子屋の場所は、石川県能美群根上町(現在は市町村合併により能美市となっています)にある「松村松栄堂」との事で現在でも営業しているそうです。

あの、元メジャーリーガーの松井秀喜さんが能美市のご出身との事で小学生の頃から、例の和菓子屋さんによく行っていたようです。

その時の女将として働いていた、福田和子の印象については「愛想のいい明るくキレイな人だった」とインタビューに答えていたそうです。

以前に松井秀喜ベースボールミュージアムの近所に、江戸時代から続く老舗和菓子屋があるとNHK「妄想ニホン料理」で紹介されていましたが、福田和子が潜伏していた和菓子屋かについては未だ確信をつかめておりませんが、場所からしてそうではないかと噂が流れた事があったそうです。

当時の福田和子は亭主を始め、彼の両親や親戚もとても気に入られていたそうです。

店主は福田和子を大変気に入っており、一緒になりたい為に前妻と離婚しており、子供2人いたが内縁の妻となっていた福田和子にはなつかなかったといいます。

そんな中大胆にも福田和子は息子に電話をかけ、大胆にも愛媛県今治市まで出向き息子に会いに行ったといいます。そこで親戚の子として和菓子屋に連れて来て、和菓子職人として同居させていた事があったそうです。

そこでも、結局は逃亡してしまう結果になるのですが、和菓子屋の女将としてで明るく接客していた福田和子のイメージからは想像しなかった方もいるようですが、今現在でも評判を落とす事なく、営業されているようです。

 

福田和子が潜伏した金沢の和菓子屋がポケモンに登場?

引用: Pixabay

ポケットモンスターのゲームの1つである、「ポケットモンスター・サンムーン」で何と、あの「松山ホステス殺人事件」で殺人罪として起訴された福田和子が潜伏していた石川県を舞台に登場しているといいます。

ただ実際のところ、石川県能美根上(現在は能美市)を舞台という訳ではなく、サンムーンのバトルツリーの中で、バックパッカーの女性がおり、「そろそろ顔を変えなきゃまずいのです。」「また顔を変えなきゃ」等といった、整形を繰り返している事を発言しているそうです。

また「あちらこちら逃げてる」等の逃亡している様子のあるようで元ネタは福田和子ではないか、福田和子は「松山ホステス殺人事件」の殺人犯であるため、彼女をイメージしている等とプレイヤーの中で現在問題になっているとの事でした。

またそのバックパッカーの名前も「カズコ」なので、尚更問題になっているのです。ポケットモンスターシリーズのゲームを開発している株式会社ゲームフリークは、今回このサンムーンのゲームに限ら図、実際に起こった事件を元とするブラックユーモアの要素を入れる描写が好きなようだとポケモンファンの間でも噂になっているようです。

各作品にも何等かの事件性を元に入れていると、ある種ポケモンの都市伝説として噂になっており、真相は謎のままです。

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