件(くだん)が東日本大震災前に多数目撃!正体不明の謎生物とは? | ToraTora[トラトラ]

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引用: Pixabay

東日本大震災が起きる前に謎の生物が多数目撃されていたと、Twitterで噂になって騒ぎになっています。

東日本大震災の起きる前、車の車窓から道端に佇む女性を見つけて良く見てみると体は普通の女性なのに頭が大きく良く見てみると牛頭の女性だったとか仕事帰りの街灯の下に子供の顔をした4本脚の謎生物を見た。といった謎の生物の目撃情報が東日本大震災前後の出来事として多数投稿されているのですが、目撃されたという情報ばかりで謎の生物の実際の写真やいつどこで謎の生物を見たのかの謎の生物の具体的な情報が皆無なのです。

例をあげると東日本大震災の2日後の朝のことです。八戸に住む男性が東日本大震災によって道路が寸断された事が判明したので近所のガソリンスタンドまで様子をみに行きました。

ガソリンスタンドではすでに灯油を求める人たちが列を作っており、この男性はこのことを家族に伝えて灯油やガソリンのキープに走る必要があると思いたち、急いで家へと変える事にしました。

雪の降る中を家への帰り道を歩いていると前方から誰かが歩いてくるのに気が付きました。徐々に近づいてくる人影を見ていると黒い和服を着た女性であるとわかりました。

「スナックのママさんが東日本大震災で散らかった店の様子でも見に行くのだろうか」と思ったそうです。

だんだんと近づいて行くと女性に妙な違和感があることに気が付きました。女性は髪を結い上げていたのですがその下の部分が妙に大きく、黒い着物の裾には緑の蔦の詩集が見えるがなぜか違和感がぬぐえない、そんな状況のなかさらに接近すると男性は悲鳴をあげそうになりました。

「コイツ、髪の下、顔の部分に目と鼻と口がない」その場でで凍り付く男性の横を通り過ぎる時にきがつきました。右目が顔の真横についていたのです。そう、この女性は牛女だったのです。

日本の古くからの伝承によると頭が牛で体が人間の謎生物を牛女、体が牛で頭が人間の謎生物を件(くだん)と呼ぶそうでる。件(くだん)の伝承は江戸時代より伝わっており、その話が途中で枝分かれして関西地区で生まれた噂話から牛女が誕生したと言われています。

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件(くだん)とは?

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件(くだん)は凶兆を予言する謎の生物とされており、東日本大震災だけでなく阪神大震災や熊本地震の前にも目撃情報が挙げられています。第二次世界大戦前にも目撃されたそうです。

件(くだん)の漢字は亻(にんべん)に牛の字が合わさって作られています。漢字が意味する通り、人と牛が合わさっている謎の未確認生物です。頭は人間のものですが体が牛になっている謎生物です。同じような人の頭に動物の体をもつ謎生物として人面犬などが有名です。

人の体に牛の頭をもつ謎の生物は同様に件(くだん)としている場合もありますが、区別されて雄の謎の生物を牛頭(ごず)、雌の謎の生物を牛女と種別されてる事が多いです。

件(くだん)は生まれた直後から日本語を話し、近い未来に起こる大きな災害・事故・事件に関する予言を告げるとされています。予言を告げ終わるとその直後に息を引き取って亡くなるそうです。ゆえに、東日本大震災や阪神淡路大震災などの災害がおきる前に現れるのかもしれません。

牛頭人身の姿をする生物は仏教において牛頭馬頭鬼と呼ばれており、地獄の獄卒であり亡者をせめてさいなむ鬼です。日本の「今昔物語」「太平記」など多くの文献に登場しています。牛の頭をもつ伝説の生き物としてはミノタウロス、牛頭大王、モロクなど世界各地の伝承で見られます。

人の死に関わるという部分で東日本大震災や阪神淡路大震災といった凶兆の際に現れる件(くだん)が牛頭と類似しているのは長く伝わるうちに話が混同していった結果なのかもしれません。

件(くだん)について詳細解説!

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件(くだん)は牛から生まれ出ると言われています。

生まれた直後に会話を始めて近い未来に起きる大きな災害・事件・事故などについて予言を告げます。予言を告げた後に件(くだん)は息を引き取って亡くなってしまいます。

2000年を迎えるのにあたってのノストラダムスの大予言に翻弄された社会があったように人は自分に起こりうるであろう不幸な事象に対して敏感に反応します。それゆえに、民間伝承として凶事を伝える件(くだん)の話が広がってきたのだと言えます。

東日本大震災や阪神淡路大震災などの災害が起こると件(件)の目撃談が増えるのはこの為だと考えられます。

江戸時代末期頃の民間伝承では件(くだん)に関する伝承の一部が変化してきています。凶兆の予言が高い確率で当たるというのは共通しており、件(くだん)伝承の根幹の部分は常に変わっていないのが特徴です。

件の目撃の経緯

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最古の目撃談として語り継がれているのは、1827年の越中(今の新潟県)での事と伝わっています。

越中の山中で山菜取りをしていた男性が、山菜を探している最中に見たこともない謎の生物と遭遇、その姿が牛の体に人の頭をもっており件(くだん)だったと伝わっています。

件(くだん)に会った男性は「これから数年間疫病が流行し多くの犠牲者が出る。しかし自分の姿を描き写し絵図を見れば、その者は難を逃れる」と件(くだん)より予言され、その後に流行る疫病に関しての情報と疫病に対する防ぎ方を件(くだん)から伝授されたとされています。

この頃は件(くだん)のことを「くだん」ではなく「くだべ」と呼ばれており、そののちしばらくの間各地で、疫病から逃れる対処方法として「くだべ」の絵を描いて持ち歩く事が流行したといいます。

この件(くだべ)の伝承は江戸時代後期に書かれた「道徳塗説」の中で当時流行していた神社姫の話に似せて作られた伝承であると語られています。

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件(くだん)として残された最古の目撃情報は天保7年(1836年)の瓦版とされています。

この瓦版によれば、「天保7年の12月丹後国(現在の京都府)にある倉橋山で人面牛身の怪物件(くだん)が現れた」という一報が報道されたというものです。

この瓦版には以前の目撃情報も報じられており、「宝永2年(1705年)12月にも件(くだん)が現れ、その後豊作が続いた。この件(くだん)の姿を絵ににして貼っておけば、家内繁盛し疫病から逃れ、一切の災いを逃れて大豊作となる。じつにめでたい獣である」さらに「件(くだん)は正直な獣であるから、証文の末尾にも『件の如し』と書くのだ」とも記載されている。

つまり、1700年代にはもう件(くだん)の伝承が日本に広がっていた事と言えるのです。また、この瓦版が発行される頃には天保の大飢饉が発生しており、件(くだん)の伝承に対して豊作を期待する感情が込められていたと言えるでしょう。

江戸時代末期になると件(くだん)の出現方法に変化が見られます。

それまでの件(くだん)は突如湧いて出たように出現するという話だったのですが、江戸時代末期では人の飼っている牛から生まれ出でるとする話が広がり始めます。慶応3年(1867年)4月の瓦版「件獣之写真」によると出雲の田舎で件(くだん)が生まれ、『今年から大豊作になるが初秋頃より悪疫が流行る。」と予言し、3日で死んだと記載されています。

この瓦版には人の頭に牛の体をのつ人頭牛身の生物の絵が描かれており、件(くだん)の絵画資料として貴重な物になっています。

明治に入ってからの件(くだん)の目撃情報

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次に件(くだん)の目撃情報があるのは明治時代に入ってからになります。

明治42年(1909年)6月21日の名古屋新聞の記事にかかれた内容によると、10年ほど前に五島列島にある農家で、家畜として飼っていた牛たちの中から人の頭を持つ子牛はが生まれ、生後31日目に「日本はロシアと戦争をする」と予言を残して亡くなったと記事になっている。

この子牛は長崎県にある八尋博物館に剥製になって飾られていたが、現在この博物館は閉館しており、件(くだん)の剥製も行方不明になっていまっています。

明治時代から昭和初期の時代において件(くだん)の剥製と称される生物の剥製があちこちで公開されていたが、どこまで本物であったのか疑問の残る結果となっています。

小泉八雲の自署である「伯耆から隠岐へ」には件(くだん)を見世物にする旅芸人に対しての風説が残されている。それによると明治25年(1892年)件(くだん)の剥製を持った旅芸人が美保関行きの船に乗ったところ、その不浄な行為に神罰が下り、その船は突風により美保関には上陸できなくなったとされています。

昭和の時代に入ると、件(くだん)の絵が御利益のあるものという説は衰退し、災害や戦争などの凶事に関する予言をもたらすという面が強調されるようになってきました。

昭和5年(1930年)香川県で、村人が森の中にいる件(くだん)に出会い「間もなく大きな戦争があり、勝利するが疫病が流行る。しかしこの話を聞いて3日以内に小豆飯を食べて手首に糸を括ると病気にならない。」という予言を聞いたという噂話が広がった。

昭和8年(1933年)にはこの噂話が長野県で小学生と中心に流行し、小豆飯を弁当で食べることが流行った。しかし、伝わる過程で話が大きく変わっており、諏訪大社の祭神である蛇の頭をした新生児が予言したという事になっています。

第二次世界大戦がはじまると件(くだん)が戦争や空襲に関する予言をしたという噂話が多く広がったのです。昭和18年(1943年)に山口県の岩国市にある下駄屋に件(くだん)が生まれ、「来年4、5月ごろには戦争が終わる」との予言を残したとされ、昭和20年(1945年)には愛媛県松山市など各地で件(くだん)が兵庫県神戸市に生まれ出て、「3日以内に小豆飯かおはぎを食べた者は空襲から逃れられる」という予言を残したという噂話が広まっていたといわれます。

近年においては東日本大震災や阪神淡路大震災で目撃情報があがっています。

件(くだん)についての伝承

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件(くだん)の起源については様々な説があります。

中国の白澤(ハクタク)に原型があるという説や件の漢字が人と牛になる事から漢字に込められた人の思いから生まれた妖怪だという説があります。

南方熊楠の全集第3巻に件(くだん)についての記載があります。紀州で件(くだん)が飼われていて、蹄も毛もない生物で顔がまるで牛という牛頭人身タイプで知能がそこまでないのに正確な予言をするという事から、「そこから拠って件の如しという言葉が生まれた」という話が記載されている。

しかし一報で、件(くだん)の字はもともと「亻に半」だった可能性があり、近年以前の文献に件の文字が全然出てこないといった事もあり「拠って件の如し」という言葉が妖怪である件(くだん)から生まれた説は俗説だという人もいます。

件(くだん)の起源は?

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古くからの風習の中で奇形に生まれた牛が凶兆を呼ぶという伝承がまずあって、これが民間で伝わるうちにだんだんと変化していく過程の中で牛鬼や牛頭馬頭鬼が持つ恐怖や地獄というイメージを取り込んで行き、さらには奇形牛を凶兆と解釈した占い師や祈祷師といった媒介者の存在がなくなっていった結果、牛が自分で直接予言をするという伝承として伝わったものが「件(くだん)」をこの世に生み出したのではないかと考えられます。

件(くだん)の姿がなぜ人頭牛身になったのかというと、奇形の牛は顔がちゃんとできておらず、人間の顔に見えることがあるのだそうです。科学的に遺伝子異常を説明できる現代なら明確な理由がわかるので理解できますが、昔の人は人の頭に見えた事で信仰と恐怖を感じたのだと思います。

件(くだん)は他の災害でも目撃されていた?

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ここ数十年の間日本では東日本大震災をはじめ阪神淡路大震災、熊本地震の際にも、件(くだん)を目撃したという目撃情報が多く寄せられていました。

阪神大震災の時の目撃情報として件(くだん)が警備会社の報告日誌に記載されているとか、自衛隊院が音楽に合わせて踊り狂っている女性をみつけて近づいて見ると頭が牛だったとかいう目撃談があがっています。

本来、件(くだん)は予言をすると伝えられていますから震災の前ではなくあとに目撃されているという点も件(くだん)とは異なっていますし、姿も牛女のようです。この目撃談が件(くだん)だとは言い難いかもしれません。もっとも、件(くだん)が今の時代に合わせて姿かたちが変わってきているのかもしれません。

次、件(くだん)が見えるのは…

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件(くだん)という存在が凶事を予言する生物であることから次に件(くだん)が日本に現れるのは、東日本大震災クラスの災害が起こる際なのかもしれません。

昨今、言われているのは駿河湾おきにある南海トラフ大地震だと言われています。この地震の規模については関連する地震がどこまで広がるか不確定の為なんともいえませんが、件(くだん)が予言を告げに現れる事象の一つだと思います。

次に件(くだん)を見たという噂話しが聞こえてきたら東日本大震災クラスの大きな災害に注意した方がいいかもしれません。件(くだん)は現れれば災厄がおきるのであれば、できれば件(くだん)の姿が見えない未来があればいいですよね。