だるま女とは?知りたくなかった闇社会の怖い真実を解説!

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だるま女とは?

引用: Pixabay

みなさんは、「だるま女」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

「『だるま女』という言葉自体は聞いたことがあるけど、具体的にどういうものかはあまり知らないかも」という人も多いかもしれません。

だるま女について少し調べてみると、そこには想像を絶するほど不気味な真相が隠されていました。

けれどもその反面、日本にはその生きざまが賞賛されただるま女が存在した、という真相を知ることもできたのです。

本記事では、そんなだるま女についてのさまざまな真相についてまとめていますので、どうぞゆっくりとお楽しみください。

 

だるま女の概要を紹介

引用: Pixabay

そもそも、だるま女とは具体的にどのようなものなのでしょうか。

だるま女の真相を究明するまえに、まずはその具体的な特徴について、ひとつひとつお伝えしていこうと思います。

 

【1】両腕両脚がない女性


引用: Pixabay

だるま女を一言で説明するならば、「両腕両脚がない女性のこと」です。

何らかの障害で両腕両脚がない女性をさすこともあれば、故意に両腕両脚を切断された女性をさすこともあります。

両腕両脚がないさまが置物のだるまに似ていることから「だるま女」と呼ぶようになったのであろうことは容易に想像ができますが、なかなか悪趣味なネーミングセンスですよね。

ところがその由来についてきちんと調べてみると、何やら興味深い言い伝えを発見することができました。

のちほど詳しく解説していきますので、そちらも楽しみに読み進めて行ってくださいね。

 

【2】日本でも戦前は見世物小屋に実在


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信じがたい話ではありますが、戦前の「見世物小屋」と呼ばれる場所では、演目のひとつとしてだるま女が実在していました。

見世物小屋とは、日常では見られない芸や珍獣、そして生身の人間などを見せ物として”展示”していた小屋のことをいいます。

当初は貝細工が見せ物としては主流であったようですが、その内容が次第にエスカレートした結果、人間までもを見せ物とするようになったわけですね。

極端に身長が低かったり、だるま女のようにいわゆる「奇形」とされる人々が見せ物とされていました。

「人間を見せ物にするなんてひどい!」という非難は必至ですが、社会福祉が発達していなかった当時の日本社会においては、身体に障害のある人が生活費を稼ぐために見世物小屋で働いていた、という一面もありました。

のちほど、実際に見世物小屋で生活費を稼いでいた女性についても紹介いたしますので、そちらもご一読ください。

 

【3】故意に両腕両脚を切断された、という説も

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引用: Pixabay

ここからは都市伝説の範囲ですが、見世物にされていただるま女のなかには、生まれつきそういった障害をもった人だけでなく、人買いにさらわれて両腕両脚を切断された女性もいたという説があります。

実際、見世物小屋に売られて来る子供のなかには、誘拐されて足の筋を切断された子供も存在したといわれています。

真相は不明ですが、そのような怖ろしい話、ただの都市伝説であると信じたいところですね。

 

だるま女の由来は?

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ここまでだるま女に関する怖い話をつらつらと書き連ねてまいりましたが、そもそもだるま女の由来とはどのようなものなのでしょうか。

調べてみると、その姿とだるまの類似性以外にもきちんとした由来らしき言い伝えを見つけることができましたので、そちらも含めてご紹介したいと思います。

 

【1】両腕両脚がないその形状から

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だるま女の由来としてまず挙げられるのが、両腕両脚がないその姿が置物のだるまに似ているから、というものです。

こちらの由来は容易に想像できるものですが、実はこの「だるま」自体の由来には、ある怖い話が絡んでいるようなのです。

 

【2】だるまのモデルとなった僧侶の話から

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引用: Pixabay

実は、だるま女の由来となっただるまそのものにもモデルがいました。そのモデルというのが、古代インドの僧侶である「達磨大師」です。

だるまの由来が古代インドにまで遡れるというのは驚きですよね。

達磨大師の教えが鎌倉時代に日本に伝わり、それが今も馴染みのある仏教の禅宗という宗派になったといいますから、それだけでも達磨大師が偉大な僧侶であったことがわかります。

ではなぜ、そのような偉大な僧侶が置物のだるまのモデルになったのでしょうか。

それにはこんなエピソードがあります。達磨大師は、修行のためにとてつもなく長い間座禅を組んでいました(その期間はなんと9年間!)。

そのような長い期間座禅を組んでしまったために、達磨大師の手足は萎え、しまいには腐ってしまったといいます。

置物のだるまに手足がない理由には、こういった達磨大師の怖い話が密接に絡み合っていたわけですね。

また、現在では赤色のイメージが強いだるまですが、当初はインドの僧侶の衣服の色として一般的だった黄色であったといわれています。

日本では、火や血の色である赤には魔除け効果があると考えられていたことや、お祝いの席にかかせない色であったことから、いつのまにか赤の方がメジャーになったのだと考えられているそう。

しかし自分をモデルとした置物ができるだけならまだしも、そこから世にも怖ろしいだるま女の呼び名にまで派生してしまうとは、達磨大師も想像していなかったのではないでしょうか。

 

だるま女は本当にいる?真相を解説!

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さきほど「戦前の見世物小屋にだるま女が実在した」というお話をお伝えしましたが、実はそれ以外にも、だるま女に関する怖い話がたくさんありました。

今回は、だるま女に関する都市伝説レベルのお話から、史実として伝わるお話まで、幅広く5つのエピソードをご紹介します。

その内容も、ただただ不気味で怖い話から、「こんなだるま女も存在したんだ!」と感動してしまうようなお話まで、さまざまなものを取りそろえております。

ただの怖い都市伝説として扱われることの多いだるま女ですが、読めば読むほどその奥深さにはまってしまうこと間違いなしです。

 

【1】都市伝説

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それでは、まずはだるま女に関する有名な怖い都市伝説からご紹介いたしましょう。

1980年代初頭、日本ではだるま女に関するある都市伝説が、まことしやかに囁かれていました。その内容は以下のようなものです。

海外旅行を楽しんでいた女子大生が、旅先のブティックで気に入った服を見つけ、それを持って試着室に入りました。

しかし、いっこうに女子大生は試着室から出てきません。一緒に旅行に来ていた恋人(友人とする説もあります)は不審に思い、試着室のなかを確認します。すると、たしかに試着室に入ったはずの彼女の姿が忽然と消えてしまっていたのです。

彼は懸命に彼女の姿を探しますが、いくら探しても彼女は見つからず、やがて諦めて帰国してしまいます。

数年後、彼は別の国の街角で衝撃的なものを目にすることになります。それは、両腕両脚を切断され、まさにだるまのような姿に変わり果てた彼女が見世物にされている姿でした。

彼女は恋人の姿に気がつきますが、両腕両脚がないため身動きが取れないばかりか、唸り声をあげるばかりで言葉を発することができません。

なんと、彼女は両腕両脚だけでなく、舌までもを切り取られてしまっていたのです。

彼はどうすることもできずその場を立ち去りますが、帰国後みるみる精神を病んでしまったといいます。

このような怖い話を聞いてしまうと、途端に試着室に入るのが怖くなってしまいますね……。

 

【2】暴力団説

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さきほど、「戦前の日本にはだるま女が実在した」とお伝えしましたが、実は戦後の日本にも存在したのではないか、という怖い話があります。

なんでも、暴力団が借金のある女性の両腕両脚を切断して見世物小屋で働かせていたとか、女性を売春婦として売り飛ばそうとしたら激しく抵抗され、見せしめのためにだるま女にしてしまったとか。

どちらにしても、知らない方が幸せな裏社会の真相といった感じですね。

 

【3】海外説

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そもそも、フランスで流れていた「オルレアンの噂」がだるま女の都市伝説の発端だといわれています。

1970年ごろ、フランスのオルレアンで、ブティックの女性客が試着室に入ったきり行方不明になっている、という噂が流れていました。

怖ろしいことに、行方不明になった女性は試着室から地下通路を通じて国外へ売春婦として売られてしまったというのです。

行方不明になった女性は60人に上るともいわれていましたが、実際にはこのような事件は発生しておらず、ただの噂にすぎませんでした。

けれども噂を信じた人々によって、噂になったブティック6件が取り囲まれ、暴動寸前となる騒ぎにまで発展してしまいました。

この噂に尾ひれがついて、日本でもだるま女に関する怖い都市伝説ができあがったというわけですね。

 

【4】史実のなかのだるま女

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中国ではだるま女は実在したとされており、史実にもいくつかだるま女実在説を裏付けるような怖い話がのこされています。

そんな中国史におけるだるま女実在説のカギを握る人物が、中国史上唯一の女帝として知られる武則天(ぶそくてん)です。日本では則天武后の名で呼ばれることが多いですよね。

武則天は皇后となった際、ライバルであった2人の妃の両手両足を切断。まさにだるま女にしてしまったうえ、酒壺に突き落として放置したというのです。当然、2人の妃は長時間苦しんだ末に絶命することとなりました。

中国には、同じような逸話を残した女性がもうひとりいます。漢王朝を興したあの劉邦の正妻、呂后です。

呂后は劉邦の死後、跡取りである息子の地位を脅かす存在は排除しなければならないと考えました。

その結果、劉邦の側室であった戚夫人の両手足を切断したうえ、薬物を使って聴覚を破壊。さらには眼球までくりぬき、それでもなお生き延びた戚夫人を便所に放置して「人豚」と呼んで嘲ったといわれています。

よく西太后が同様の行為をしたと勘違いされがちですが、実際はそれはフィクションで、武則天や呂后と混同されているだけだ、というのが真相のようです。

どちらにしても、女同士の権力争いの絶えなかった中国王朝のことですから、このような怖い話はいくらでもありそうですよね。

 

【5】病気でだるま女になった人も

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だるま女と呼んでしまうのは少々躊躇われますが、日本にもひとり、有名なだるま女が実在しました。その名も中村久子です。

彼女は都市伝説やオルレアンのうわさのように誘拐されて手足を切断されたわけでも、中国史にあるように誰かの恨みを買って手足を失ったわけでもありません。

幼い頃に起こった凍傷が原因で、両手両足が壊死。家族が手術をすべきかどうかを話し合っているうちに、左手がポロリと崩れ落ちてしまったという怖い話が残っています。

その後、残りの手足を切断。当時3歳の中村久子は、それから生涯を「だるま女」として過ごすことになります。

彼女は自立をするために、身売りされる形で見世物小屋に入ります。そして、「だるま娘」と名付けられ、見世物小屋の芸人として働くことになるのです。

彼女は最後まで「自立した女」としてハンディキャップをはねのけながら生き続け、あのヘレンケラーをして「私より不幸な人。そして、私より偉大な人」と言わしめたといいます。

また、晩年には厚生労働大臣賞(当時は厚生大臣賞)を受賞し、彼女の生きざまは歴史として語り継がれることとなりました。

怖い話ばかりが先行しがちなだるま女ですが、中村久子のように多くの人に称えられた女性の存在も忘れてはいけませんよね。

 

だるま女は本当に都市伝説なのか?

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日本では「海外のブティックで試着室に入った女性が誘拐され、だるま女にされてしまった」という都市伝説ばかりがイメージされがちなだるま女ですが、実際には様々な説や事例があることがおわかりいただけたかと思います。

都市伝説だと言い切れる部分についても充分怖い話ですが、暴力団説のように真相は藪のなか、といったパターンが1番怖ろしいですよね。

また、中国ではだるま女に関する史実が存在する、というのも怖い話です。とはいえ、両腕両脚を切断された女性が果たして当時の医学でそう長い間生きていられたのかというと、未だ真相は不明のままとなっています。

そして、怖い話としてのイメージが強いだるま女ですが、日本にはその自立した生きざまが賞賛されただるま女も存在したのだ、ということもおわかりいただけたかと思います。

以上のことから、だるま女は都市伝説としてのイメージが強いですが、実際は中国史のなかにも、そしてつい最近の日本にも、だるま女は存在していた=だるま女はただの都市伝説ではない、結論づけることができますよね。

とはいえ、先ほどご紹介した暴力団説や、中国史のなかのだるま女に関しては、未だ謎に包まれた部分が多いのも事実です。

いつかその真相が解明され、また新たにだるま女に関する伝説や怖い話が生まれるのが、怖ろしい反面楽しみでもありますね。

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