日本航空123便墜落事故の概要まとめ!墜落直前の機長悲痛な叫び!

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日本航空123便を知っていますか?

引用: Pixabay

1985年8月12日に起きた、安全と言われていた大型旅客機の墜落事故である、日本航空123便墜落事故をご存じでしょうか?

日本航空123便墜落事故は、日本航空史上最大の多くの方々が犠牲になってしまった凄惨な事故で、その事故原因を再調査してほしいと言う声も多くあがっています。

また日本航空123便墜落事故に関してフライトレコーダーボイスレコーダーの記録中曽根康弘の「真相は墓場まで持っていく」という発言が物議を醸しました。

520名の尊い命を奪った日本航空123便墜落事故という大事故の中で、懸命に命をつなごうと全力を尽くして戦ってくれた機長高濱雅己さんの奮闘についての紹介。

加えて、日本航空123便墜落事故で生き残った4名の生存者たちの戦い、犠牲になってしまった犠牲者たちの戦いなど、今回はそんな日本航空123便墜落事故についてまとめていきたいと思います。

 

日本航空123便墜落事故の概要!

1985年8月12日に突如発生した日本航空123便墜落事故という520名の尊い命を奪った痛ましい事故ですが、一体日本航空123便に何が起きたのでしょうか。

生存者から語られた事故当時の戦いや、ブラックボックスに記録されたボイスレコーダーで明らかになった日本航空123便墜落事故の真相をみていきたいと思います。

 

事故の原因とは


引用: Pixabay

日本航空123便墜落事故後の調査によれば、機体後方部分の接触事故で圧力隔壁が破損したのをボーイング社が修理ミスし、

飛び立った後にそこに亀裂が入り急減圧が起きたことで尾翼を吹き飛ばしてしまい、コントロール不能状態になったことで墜落してしまったと公式には発表されています。

しかし日本航空123便墜落事故当初からこの事故がおかしいという声もあり、急減圧が起きた場合は白い霧が強く発生してしまいますが、日本航空123便墜落事故で起きたのは急減圧の時ほどの白い霧ではなかったとされています。

さらに日本航空123便墜落事故に関して中曽根康弘が、真相は墓の中までもっていくと語ったことで、この日本航空123便墜落事故に隠された真実があることが発覚し、この発言により陰謀論など数多くの説が世に出回ることになったのではないでしょうか。

 

空白の13時間の謎


引用: Pixabay

また救助に向かったアメリカ軍人の証言では、日本航空123便墜落事故の18時56分のすぐあと19時には輸送機で御巣鷹山に123便を捜索に向かっており、19時15分に御巣鷹山の尾根と呼ばれる高天原山で炎を発見し、墜落地点を特定しております。

その後20時半頃横田基地から救援のヘリが出発し、救援のヘリが日本航空123便墜落事故の墜落地点へ到着するも炎により直接墜落地点への降下はできませんでしたが、すぐに付近への降下準備を始めていたといいます。

しかしこの救助を日本側が拒否し、横田基地からは日本側が救助に向かうため、すぐに引き返すようにと帰還命令を受けたと言います。

そして自衛隊がすぐに救援に向かっていますが、暗かったことや山の急斜面を理由に救助をおこなわなかったと日本航空123便墜落事故後に発表されていましたが、

アメリカ軍側の見解によれば80年代頃からすでに暗闇の中でも救助がおこなえるようにサーチライトや夜間暗視装置も常備しており、夜間の救助活動はまったく問題なくおこなえることを語っていました。

軍事評論家の専門家によれば、確かに急斜面に直接ヘリを着立させることはできないが、ヘリからの降下であれば十分に可能だと語っていました。

また、ヘリと無線機で交信することによって、サーチライトを使って救助活動がおこなえることも語っていました。

その後、落ちた場所は長野県だと日本航空123便墜落事故の墜落地点を二転三転させどこに落ちたのか分からないと日本側は発表し、群馬県の御巣鷹山だと発表されたのは翌5時10分でした。

しかし日本航空123便墜落事故のあった当時からレーダーがあったので、消えたの地点から捜索すれば群馬県付近だとある程度落ちた場所を特定することができたはずです。

また日本航空123便墜落事故現場は遺体が炭化するほど現場が炎上していたので、捜索に向かっていればその光源で、一目瞭然で墜落地点を発見することができたのではと語られています。

たしかに山中のような周りに光源がない暗闇の中で炎が出ていれば、上空からすぐに発見することは容易いと考えられます。

そもそもアメリカ軍は救助に向かって日本航空123便墜落事故が起きた場所を特定していたと言われています。

 

実は墜落地点はすぐに特定できていた?

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引用: Pixabay

当時、客室乗務員をしていた青山透子さんが学者になり博士号も取得し、同僚が亡くなったこの日本航空123便墜落事故に関して人生をかけて原因追求に務め著書を出しており、その中で新事実も明かされています。

当初は日本航空123便墜落事故の原因の究明に務めていた青山透子さんが、実際に日本航空123便墜落事故があった現場に行く中や現場の方々の声を聞く中で、疑惑を感じていくことになったとされています。

123便が墜落する前、追尾していた2機の飛行機がいたということを事故を目撃した小学生たちが事故当時のことを書いていたというのです。

もしこれが本当であれば前述した墜落地点がわからなかったという証言は崩れ落ち、すぐに日本航空123便墜落事故の場所はすぐに特定できたはずですが、真相は一体どこにあるのでしょうか。

また、飛行機に使われる燃料は燃えにくいほぼ灯油のような物を使っているということですが、

当時日本航空123便墜落事故現場では、するはずのないガソリンとタールの匂いがしたと言われており、遺体が炭化するほど燃えていたことに対しても疑惑の声があがっていました。

科学技術の進歩により事故後の調査でジェット燃料以外の成分であるベンゼン環が検出され、この物質は可燃性のあるベンゼンなどの6個の炭素原子からなるものですが、特に炭化した遺体のあった付近だけに集中していたようです。

当時の映像を見ても発見されるまで、13時間もの間燃え続けていたにも関わらず周辺の木々はあまり燃えていませんでした。

日本航空123便墜落事故で次の日まで燃え続け遺体を炭化させるほどの原因となった物質は、一体何だったのでしょうか。

 

事故発生搭乗前

引用: Pixabay

この痛ましい日本航空123便墜落事故が起きる前、出発前に撮られた写真にはもいつもと変わらない123便が写っていました。

この後墜落事故が起きるなど誰にも想像できなかったと思います。

普段はビジネスマンで埋められている座席が、お盆の帰省ラッシュと重なったこの日は一般客も多かったようで、その中には家族で搭乗していた乗客や、一人旅などをしている子供も乗っていたようです。

この日本航空123便墜落事故で坂本九さんが乗っていたことは有名ですが、実は明石家さんまさんもこの123便に搭乗予定でしたが、明石家さんまさんは飛行機への搭乗が間に合わずに事故を免れることになりました。

この123便のフライトに関わっていた人物は、1万2千時間を越えるフライト時間の経験を持つベテランの高濱雅己機長でした。

また操縦桿を握っていたのは機長への昇格目前の佐々木祐副操縦士と、福田博機関士で技術教官を務めるほどの有能な3人が操縦を担当していました。

しかし1時間後には目的地である大阪に到着するはずでしたが、その後日本航空123便墜落事故が起きてしまうことになります。

 

事故発生前

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引用: Pixabay

フライト直後は問題なく離陸できた123便は、大阪国際空港に向けて出発していました。

途中客室乗務員から乗客がトイレにいきたいと言っているという機長への連絡から、日本航空123便墜落事故で回収されたボイスレコーダーの音声は始まっており、その後3つの衝撃音が録音されていました。

 

緊急事態発生

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日本航空123便墜落事故で回収されたボイスレコーダーには、123便が出発後の12分後の18時24分35秒に突如相模湾上空で、短い間隔で爆発音が3回続けて鳴り響き、この時機体の後部尾翼が破壊されていたのでした。

異音を聞いた機長らは機体になんらかの異常が起きたことを察知し、エマージェンシーを管制室に送ります。

しかしこの時どれくらい緊迫した状況に直面していたのかを管制室などは把握出来ていませんでしたが、既に機体は油圧システムがダウンし操縦不能に陥っていたのでした。

 

その時日本航空123便に何が起きていたのか

引用: Pixabay

通常油圧システムがダウンしてしまった際には、油圧システムが1系統ダメになってしまった場合と2系統がダメになってしまった場合の2つのマニュアルがあります。

しかし、日本航空123便墜落事故が起きたこの時123便は、4系統あった油圧システムの全てが破壊されてしまっており、完全に操作不能に陥ってしまっておりました。

そんな中でエンジンの出力のバランスを調整することでなんとか飛行を続けていました。

 

客室の状況

引用: Pixabay

客室内では日本航空123便墜落事故が発生した直後、座席後部が破壊されたと同時に白い霧が一瞬客室内に立ち込めたと生き残った生存者からの証言で明らかになりました。

上から酸素マスクがおりてきたときには、乗客はパニックになり我先にと酸素マスクを手にとっていたと言われていました。

日本航空123便墜落事故の生存者の一人、当時12歳の川上慶子さんは記者からの質問に、「左後ろの上の天井がバリッと言って穴があいて、それと同時に白い煙が客室内に立ち込めた」と日本航空123便墜落事故の客室内の状況を証言していました。

日本航空123便墜落事故で乗り合わせていた客室乗務員の落合由美さんは、客室内の様子を「髪の毛が逆立つくらいのまったくの急降下で真っ逆さまだった」と語り、頭の両脇の髪が後ろに引っ張られるような感じで怖かったと語っています。

日本航空123便墜落事故で亡くなられた村上良平さんは家族あての手紙を残しており、その手紙には機体が大きく左右に揺れていると記されており、家族あての別れの言葉も綴られ、この時死を覚悟するほどの状況だったことがこの手紙からも予想されました。

 

コクピットの状況

日本航空123便墜落事故が発生してからコクピット内では高濱雅己機長の指示のもと、佐々木祐副操縦士らは懸命に機体を持ち直そうと操縦がおこなわれておりました。

この時機体に起こった異変が一体何だったのか、高濱雅己機長らははっきりと原因を掴めていませんでしたが、緊急事態だということは誰の目にも明らかでした。

 

墜落

機体に異変が起きてから32分後、ボイスレコーダーには高度低下の警告音が鳴り響き、この時機長の高濱雅己機長は、「もうダメだ」と最後の言葉を残し、その数秒後に衝撃音とともに墜落してしまうことになりました。

 

日本航空123便墜落事故の被害状況まとめ

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日本航空123便墜落事故が発生し、乗員乗客の生存は絶望的だと思われていました。

一刻も早い救助が必要な中、日本航空123便墜落事故が発生した場所を特定するのに13時間も要してしまったことで、生存者が劇的に減ってしまいました。

 

墜落事故現場

日本航空123便墜落事故が起きた場所の特定に、時間がかかってしまったのは一体なぜなのでしょうか。

日本航空123便墜落事故が起きた当時、在日アメリカ軍から墜落現場の位置情報の提供があったものの、この情報は活かされず、レーダーから消えた地点からも捜索されることはなく、匿名の110番通報での誤情報が錯綜していました。

日本航空123便墜落事故のあった墜落地点を特定するまでに、情報が二転三転していたのは情報操作されていた結果だったのかは、今となっては中曽根康弘氏以外は知る者はいないようです。

結局日本航空123便墜落事故現場である、高天原山(御巣鷹山の尾根)だと判明したのは13時間後で、救出が開始されたのは日本航空123便墜落事故から14時間経った後でした。

また、日本航空123便墜落事故のあった日にNHKで「自衛隊員が射殺された」というニュースが流れたという情報もありますが真偽は不明です。

一説では指令を無視して日本航空123便墜落事故の救助に向かおうとしていたためではないかと言われており、実際にリアルタイムで見ていたという人の証言によれば、ニュースは19時30分ごろに流れたと語られていました。

日本航空123便墜落事故後、自衛隊員の不可解な首吊り自殺(首を吊っている地点が、足が届く距離では無いため自力では不可能)や死などが相次いだそうです。

 

機体

引用: Pixabay

日本航空123便墜落事故発生後、現場の映像が流れるとまだ煙をあげて燃えているようでした。

機体はバラバラになっており、当時機体に重りとして使われていた劣化ウランや、医療用のラジオアイソトープなどからの放射能汚染を危惧し、すぐに近づくことが出来なかったといいます。

遺体は炭化するほど燃えていましたが、機体はそこまで燃えているようには当時の映像からは見て取ることは出来ませんでした。

この時日本航空123便墜落事故の音声が録音されていたボイスレコーダーは、生存者4名が居た機体後部で発見されることになりました。

 

乗客

引用: Pixabay

日本航空123便墜落事故後、生存が絶望的だと思われていた乗客は、50人ほど生きていたようだと言われており、実際に生存者たちは日本航空123便墜落事故後はまだ周りから励まし合う声など、何人もの声がしていたと語っていました。

しかし日本航空123便墜落事故では救助までの時間が遅くなったことで、多くの犠牲者を出してしまうことになりました。

また、川上慶子さんの証言によれば暗い中で懐中電灯のような光が見えたとも語っており、その後気を失って目を覚ましたときには明るくなっていて周りからの声は聞こえなくなっていたと証言していました。

日本航空123便墜落事故で現地へ行ったジャーナリストによれば、現場ではどこを見てもカメラに遺体が写ってしまうほどの状況で、生存者がいるとは思えなかったと語られるほどの事故現場で、

日本航空123便墜落事故で見つかった亡くなった方の遺体のほとんどは部分欠損、または遺体の一部しか見つかっていなかったりと、事故の衝撃の強さを物語っていました。

中には遺体が遺体にめり込んでいる遺体もあったりと、日本航空123便墜落事故の現場は本当に地獄だったと思います。

そんな中、生存者の救出や遺体の捜索活動を続けていた救助隊の方々は本当に辛かったでしょう。

日本航空123便墜落事故の乗客の遺体が回収されても身元が判明しない遺体も多く、身元を判別することが出来たのは事故の5日後で220のご遺体、五体揃っている遺体は177名ほどだったと言われています。

また、日本航空123便墜落事故で遺体の判別には、当時DNA鑑定などはなかったため所持品で判別したご遺体も少なくなかったようです。

日本航空123便墜落事故後、乗客の遺体は群馬県藤岡の市内にある、小中高の校舎や体育館に設置した遺体安置所でご家族によるご遺体の確認がおこなわれました。

また、日本航空123便墜落事故当時、検視に使われていた市民体育館は匂いが抜けずにその後取り壊されたようです。

遺体はヘリコプターで遺体安置所まで運ばれ、最終的に遺体確認作業が終わったのは4ヶ月後までかかりました。

日本航空123便墜落事故は遺体の損傷が激しかったことや、真夏の気温の高さもあり遺体の腐敗速度が早かったため、確認作業に時間を要してしまったようです。

 

コクピット

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日本航空123便墜落事故で懸命に機体を操縦していた、高濱雅己機長・佐々木祐副操縦士・福田博機関士の3人は即死だったと言われています。

機長の高濱雅己機長は遺体のほとんどが見つかっておらず、見つかったのは上顎の一部でした。

この上顎の一部から歯科の治療痕と歯が一致したことで、高濱雅己機長本人のだと判明したのでした。

また日本航空123便墜落事故があった当時DNA鑑定などの技術もまだ無く、機体の前方に乗っていた乗客などの遺体はほとんどが確認できなかった中で、高濱雅己機長の遺体だと判別できたのは本当に奇跡だったと言えるでしょう。

 

墜落まで機長、高濱雅己は何をしていた?【日本航空123便墜落事故】

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日本航空123便墜落事故を起こした機体は、爆発音の後すでに操縦不能となっていたものの、高濱雅己機長ら3人の手によってなんとか飛行を続けることが出来ていました。

 

事故発生直後

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日本航空123便墜落事故で録音されていたボイスレコーダーには、客室乗務員からの連絡の後すぐに、短い間隔で3つの爆発音が発生し、高濱雅己機長はすぐに「なんか爆発したぞ」と異変を感じ取っていました。

そしてすぐに航空機における最高レベルの緊急事態を意味するスコーク77を発し、すぐに原因を探し始めました。

この時ギアやエンジンを確認しながら、ボイスレコーダーの記録から高濱雅己機長が「オールエンジン…」と言ったとされていました。

しかしボイスレコーダーの前後の話の繋がり方や、航空機内でオールエンジンという言葉を使う場面は無いことなどから別な言葉だったのではと調査が進められることになりました。

その中でこの「オールエンジン…」という言葉は、機体の胴体部分の車輪を意味する【ボディギア】と解析されるようになりました。

ですが、音声を聞いてみるとどうやら【オレンジエア】と言っているように聞こえ、ネット上でも多くの方は同様に聞こえたようでした。

ちなみにオレンジエアというのはどうやら無人偵察機などのことを言うようです。

「オールエンジン…」と聞こえた音声は、【ボディギア】と【オレンジエア】と一体どれが本当だったのでしょうか。

 

緊急無線連絡

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この時高濱雅己機長らは管制室に緊急連絡をしているのですが、乗組員や管制室ともに尾翼を失っている事実を知らずに飛行を続けることになります。

そして羽田に戻るために進路を変えていますが、このすぐ後に油圧システムのダウンを知ることになります。

 

羽田空港に向けて引き返す

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機体は羽田に向けて進路を変える際に、ダッチロールやフゴイド運動などといった不安定な飛行状態に陥ってしまっていました。

その際に傾く機体を持ち直すように高濱雅己機長は指示を出しますが、操作がきかないことを佐々木祐副操縦士が告げ、福田博機関士が油圧系統のオールダウンを伝え、改めて操作ができないか確認するも無情にも機体の操縦不能を痛感することになりました。

 

操縦不能の機体での格闘

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しかし日本航空123便墜落事故が起きるまでの間、ボイスレコーダーの記録からも高濱雅己機長らはなんとか持ちこたえようと懸命に戦い、20分以上も操作不能に陥った機体をなんとか制御し、操作していたことが記録されていました。

油圧システムがオールダウンしてしまったことで、高濱雅己機長らが出来た操作はかなり限られており、出来たのはエンジン出力を左右でコントロールすることによって旋回したり、電力でフラップを調整したりすることでした。

そしてこの時に123便が操作不能だと管制室が知ることになり交信を続けますが、高濱雅己機長らは交信に応える余裕は殆どありませんでした。

さらにその後福田博機関士により車輪を出すことを提案していたことがボイスレコーダーで判明し、このギアダウンにより空気抵抗を増して機体の速度を下げ、高度を少しずつ降下することができました。

しかし懸命の操縦を続けるものの、ボイスレコーダーには高濱雅己機長の「ダメかもわからんね」と悲痛の言葉が残されていました。

また、途中横田基地から緊急着陸受け入れ体制が出来ていることを連絡を受けますが、羽田に向かうと高濱雅己機長は申し出を断っています。

その後ボイスレコーダーには山にぶつかりそうになる音声が記録されていましたが、これはなんとか回避することに成功しています。

 

墜落

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しかし日本航空123便墜落事故の瞬間は突然来てしまうことになりました。

なんとか制御しながら飛行を続けていましたが突如機体が傾き、右に旋回をしながら失速していってしまいます。

その後ボイスレコーダーには高度低下を知らせる「PULL UP」「PULL UP」という警告音が鳴り響き、最後の最後まで懸命に戦い抜きましたが、無情にも墜落してしまうことになり、ボイスレコーダーの記録もこの時の衝撃音を最後に途絶えています。

 

機長、高濱雅己の娘の現在は?【日本航空123便墜落事故】

520名の犠牲者を出してしまった日本航空123便墜落事故で、懸命な操縦をおこなった高濱雅己機長の娘である高濱洋子さんは、事故後日本航空の客室乗務員として働いていました。

 

高濱雅己の娘とは

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日本航空123便墜落事故が起きた当時、洋子さんはまだ高校3年生でした。

高校3年生という若さで父親の高濱雅己さんを亡くした洋子さんの辛さは、とても大きなものだったと思います。

しかしこの日本航空123便墜落事故で遺族を亡くした立場は同じにも関わらず、高濱雅己機長が懸命に奮闘していた声が録音されていた、

ボイスレコーダーの音声が意図的に編集されたことによって、15年間もの間519人の命を奪った機長の娘として非難の声を浴び続けることになってしまいました。

また、遺体安置所で父親を探しにいきたい気持ちが強い中で、他の遺族と鉢合わせ出来ない状況に陥ってしまったことで、夜中になるまで父を探しにいけなかったといいます。

 

ボイスレコーダー音声の公開

その後事態が一転し、転機が訪れたのは日本航空123便墜落事故から15年経った後、ボイスレコーダーの音声が公開されたことがきっかけでした。

以前公開された日本航空123便墜落事故で、高濱雅己機長が言っていた「どーんといこうや」と切り取られて非難されていたボイスレコーダーには続きがあり、

ボイスレコーダーに記録されていたのは、何度も「がんばれ」「がんばれ、がんばれ」と最後の瞬間がくるその時まで諦めずに戦った高濱雅己機長という英雄の姿でした。

そして、そのボイスレコーダーの音声が世に出たことで、他の遺族たちにも高濱雅己機長が最後まで頑張って全員を生還させようとしていたことが伝わり、

高濱雅己機長の娘である洋子さんに感謝の言葉がかけられました。

現在は日本航空で客室乗務員になった洋子さんですが、誇り高い父親の高濱雅己機長と同じ空に関わる職種を選ばれたようです。

 

日本航空123便墜落事故、その後まとめ

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520名の尊い命を奪った日本航空123便墜落事故ですが、中曽根康弘がこの事故の原因について何か裏があると感じさせる発言をしたことで、陰謀論などが飛び交うことになってしまったように思います。

 

ボイスレコーダーの音声

この日本航空123便墜落事故は裏があると感じる要素は、ボイスレコーダーの音声にもあります。

日本航空123便墜落事故で当初から公開されたのはボイスレコーダーの一部のみで、15年たった後にさらに追加公開されたボイスレコーダーの音声も、ところどころが切り取られた作為的なものを感じる内容になっていました。

さらに日本航空123便墜落事故のボイスレコーダーが文章化されたものは、明らかに聞こえてくる音声と似た違う言葉を使っていると感じる部分もあり、陰謀論はこのボイスレコーダーからも疑惑が加速していったのでしょう。

なぜ日本航空123便墜落事故では最初からボイスレコーダーの一部ではなく、ボイスレコーダーの全体の音声が公開されなかったのでしょうか。

 

事故調査

引用: Pixabay

日本航空123便墜落事故が起きた後におこなわれた事故調査では、123便の後部圧力隔壁が以前起こした尻もち事故の修理の際、

修理が本来3列分のリベット穴のあいた結合板を使って修理するところを、結合版を2枚にカットして使っていたために接点が1列分しかなくなったことで強度不足に陥りその結果、圧力隔壁に穴があき、尾翼に向かって空気が流れ込み垂直尾翼や機体後部が吹き飛ばされ、

その時に油圧パイプも一緒に破壊されてしまったことで完全に操縦できなくなってしまい、今回の日本航空123便墜落事故の原因だとされていました。

しかしそうであれば、日本航空123便墜落事故の原因となった圧力隔壁の損傷により破壊されたであろう地点で尾翼を発見することで、事故の原因の裏付けを取る必要性があるように思われますが、尾翼の捜索は打ち切られてしまったようです。

また、日本航空123便墜落事故で衝撃音のあった高度24000フィートで圧力隔壁が破壊された場合強風が吹き、「急減圧」が発生し機内の酸素は奪われ、気温もマイナス40度まで低下すると事故調査委員会の調査で計算されています。

もし急減圧が起きれば実験結果などから通常2分から数分ほどで意識の低下などが起きるとされており、酸素マスクなしでは思考能力の低下や手が震えるなど危険な状態になると実証されており、

訓練を受けたパイロットは急減圧が起きた際は必ず酸素マスクを着用するようになっています。

ですが日本航空123便墜落事故でボイスレコーダーの音声を聞いても、高濱雅己機長らはこの急減圧に酸素マスクを着用するなどの対策をおこなっておらず、

このことから日本航空123便墜落事故では「急減圧はなかったのでは」と、この調査結果が破綻していることを指摘されていました。

この日本航空123便墜落事故で急減圧が起きていたのであれば、酸素マスク無しで24000フィートで飛行し続けることはほぼ不可能なようです。

また日本航空123便墜落事故後に作られた垂直尾翼が破壊された状態での飛行をシミュレーション出来るシミュレーターを使った飛行訓練では、高濱雅己機長らのように数十分飛行することは出来ずに、即座に墜落するシミュレート結果もでていました。

しかし一部では日本航空123便墜落事故ボイスレコーダーの音声から低酸素症の兆候も見られるという意見もあり、高濱雅己機長らは操縦を優先するために酸素マスクを着用しなかったのではないかとも言われていました。

この圧力隔壁破壊に対する陰謀論によれば、尾翼は自衛隊に回収されたと証拠写真なども出回っており、圧力隔壁破壊というシナリオをでっち上げるために自衛隊が垂直尾翼を現場から持ち去ったのではとされていますが、いったい何が正しい情報なのでしょうか。

 

事故後のJALの調査

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日本航空123便墜落事故後、JALも独自に調査委員会を設置し調査をおこなっています。

しかしこの日本航空123便墜落事故の調査報告書は公にされることは無く、事故調査委員会の調査とほぼ変わらないと説明されていました。

ですが航空関係者の中にはこの事故原因に異論を唱える者もおり、圧力隔壁の破壊から始まった事故ではなく、垂直尾翼破壊から始まった事故なのではと言う声もありました。

技術的や工学的な分野からの声によれば圧力隔壁破壊からよりも、垂直尾翼が異常振動などで破壊されたか外部からの衝撃によって破壊された可能性が高いとされています。

日本航空123便墜落事故の事故原因に対して不審の声が上がる中で、日本航空123便墜落事故遺族などから再三に渡って再調査を求める声もあがっていますが、その後日本航空123便墜落事故の再調査はおこなわれていないようです。

 

日本航空123便墜落事故が壮絶だった。

引用: Pixabay

ボイスレコーダーの音声や日本航空123便墜落事故後の救助までの遅さなど、さまざまな要因から日本航空123便墜落事故の発表されている事故原因が、

本当に真実なのか疑問視される声が現在も多くあり、再調査を求める声も多いのは事故調査結果にあまりにも不可解な点が多すぎたからによるものだと考えられます。

さらに日本航空123便墜落事故に対して中曽根康弘の暗に陰謀論を感じさせるような「真相は墓場まで持っていく」という発言もそれを助長しています。

しかし2019年6月12日におこなわれた国土交通委員会質疑で、国民民主党の津村啓介が日本航空123便墜落事故の事故調査に関して質疑をおこなっており、

これに対して国土交通大臣・水循環政策担当の石井啓一は事故原因に関して、後部圧力隔壁の破損による操縦不能に陥ったことによる事故と、日本航空123便墜落事故の原因は断定は出来ないが、ほぼ間違いなく推定できると質疑に答えていました。

また、事故調査資料の保管に関して30年間と定められていますが、日本航空123便墜落事故に関してはこれを引き上げて保管すると発表しています。

こうして政治家の中にも真相を明らかにしようと考えている人物もいたりと、日本航空123便墜落事故に関してしっかりと納得できる原因が明かされる日も遠くないのではないかと感じます。

いつか日本航空123便墜落事故に関して納得できる事故原因が明らかにされるのを願うと同時に、日本航空123便墜落事故で懸命に戦った、520名の乗員と乗客の皆様のご冥福をお祈りします。

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