○○族20選!太陽族や竹の子族など懐かしい世代総まとめ

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懐かしい世代の○○族!【2019年最新版】

引用: Pixabay

昭和、平成が過ぎ、令和の時代に入った今、みなさんは○○族という言葉をご存知ですか?

このページでは、懐かしいあの世代の○○族を紹介していこうと思います。どの世代にも流行があります。昭和の時代には同じ趣向やファッション、を楽しむ者たちや同じ行動をとる人々を○○族と呼ぶ流行がありました。

その中でさまざまな○○族が次々と生まれ、そして消えていきました。昭和世代のみなさんにとっては懐かしいと感じるものの象徴かもしれませんね。○○族はファッションやスタイルを指す他に、トレンドやライフスタイル、社会の風潮も表現していることもありました。

つまり、あの頃の○○族を知るだけで、その世代の流行を全て知ることができるというわけです。○○族の流行の元祖になったのは、太宰治の小説「斜陽」より生まれた没落階級を意味する「斜陽族」です。

 

○○族を一挙紹介①【2019年最新版】

引用: Pixabay

昭和23年には流行語にもなっています。昭和の時代にはさまざまな○○族が流行しました。

今回は、そんな懐かしい時代の○○族を世代別にまとめてみたいと思います。もしかしたら昭和世代なあなたが所属していた○○族もあるかもしれませんね。

ぜひ懐かしい気持ちに浸りながら、古き良き昭和の時代を思い起こしてみてください。

 

【1】社用族(しゃようぞく)


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社用族とは、斜陽族をもじったもので、天声人語を執筆したことで有名な、朝日新聞記者の荒垣秀雄氏による造語です。

昭和26年に朝日新聞に掲載されたことで登場しました。社用族とは、会社の費用を使って遊興する人々のことを指します。主に接待という名目で社費を使い、食べたり飲んだりすることが多かったようですね。

高級クラブに通い、会社の経費として落とすこともあったそうです。社用と称して経費で移動する人も現れていたことから、社費を乱用するということで、あまりいい意味では使われていなかったようですね。

昭和39年には、「くたばれ!社用族」の題で東京映画が86分の映画を制作しています。社用族は主にバブルの時代に多く存在したらしいのですが、バブルが崩壊して以降はあまり姿を現さなくなりました。

昭和の時代に社用族をしていたみなさんは、懐かしいと感じると同時に少し胃が痛いのではないでしょうか。

 

【2】親指族(おやゆびぞく)


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社用族と同じ世代に流行したのが親指族です。

パチンコが全国的にもブームになり始め、主にパチンコをしている人々を指す言葉として使われていました。当時のパチンコは、現在のパチンコとは異なり、鉄球を一つずつ投入口に入れ親指で弾くという仕様でした。

親指族のみなさん、当時の親指の動かし方を思い出すと懐かしいと感じませんか?盤面を動く球の動きに喜んだり、時に悲しんだり、憤ったりしながらも、球を弾くレバーからは決して親指を離そうとしない姿が揶揄られて親指族と呼ばれていました。

現在のパチンコしか知らない若者にはパチンコ遊びに興じる姿を親指族と呼ばれてもピンと来ないかもしれません。逆に、団魂世代のおじさまたちは、若かりし頃の懐かしい思い出に悶絶するのではないでしょうか。

その後パチンコは電動化され、ハンドルを回すと球が飛び出る仕様になったため、親指を使うことがなくなったので、親指族という言葉は使われなくなりました。そして、2000年ごろに新たな親指族と呼ばれる集団が誕生しました。

新・親指族と呼ばれた彼女たちの正体は、ケータイのボタンを親指でたくみに操るギャルたちです。このように親指族は昭和の時代だけでなく、姿を変えて再登場しているのです。

もしかしたらこれからも、新たな親指族が誕生するかもしれませんね。

 

【3】太陽族(たいようぞく)

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昭和世代の大半が懐かしいと感じるであろう太陽族という言葉は、昭和30年の石原慎太郎の小説「太陽の季節」から生まれました。

そこに登場する若者たちと、彼らに影響を受けた若者たちを太陽族と呼びました。どんな若者たちが小説の中に登場したのかというと、裕福でかつ、もともとある世の中の秩序に反した行動をとる若者たちです。

彼らは、性にも奔放である様子が描かれており、世の中に衝撃を与えました。特に、「太陽の季節」内に出てくる「ペニスで障子に穴を開けるという描写」は当時大きな話題になりました。

「太陽の季節」映画化もされて一大ブームになっているので、あの頃若者だった皆さんは懐かしいと感じると共に少しの恥ずかしさでいっぱいになっているのではないでしょうか。

当時の若者たちはみな「太陽の季節」の登場人物たちの破天荒さに憧れ、後頭部とこめかみを刈り上げ前髪を短く垂らす「慎太郎刈り」と呼ばれる髪型に、サングラスとアロハシャツという出で立ちで海岸に押し寄せました。

彼らが集まったのは主に、「太陽の季節」の舞台となった湘南、鎌倉、伊豆などです。さらに彼らは「太陽する、スカす、ヨットる、ヤバい、シケる、ズラかる、ハクい」など特徴的な言い回しの言葉を使っていました。

一見乱暴そうな言葉を使うのが太陽族の流行りでした。女性も乱暴な話し方をしたというから驚きです。「太陽の季節」の映画は、性道徳の乱れや子供達への悪影響が取り沙汰され、教育関係者からの強い批判が出て、問題になりました。

 

【4】ロカビリー族

 

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ロカビリー族は、昭和33年に開催された「日劇ウエスタン・カーニバル」がきっかけとなって流行しました。

流行の中で、ロカビリー歌手の真似をしている人々がロカビリー族と呼ばれました。人々はロカビリー歌手のファッションやスタイルに憧れ、長いジャケットやカラフルなシャツ、マンボズボンを着こなし、髪型をリーゼントに整えていました。

革ジャンや細身のパンツを身につけていた人もいました。当時のロカビリー族は「カッコいい不良」と呼ばれており、不良が一つのステータスのようになっていました。彼らは主に六本木に集まり、当時の六本木はまるで異国のような雰囲気が漂っていました。

ロカビリー族に憧れて六本木に集まった人々が、のち六本木族と呼ばれるようになります。峰岸徹や加賀まりこなど、この頃の六本木から有名なスターも誕生しています。同世代の方はとても懐かしいと感じるのではないでしょうか。

その後も、このロカビリー族が影響を及ぼしたブームは多くあると言われています。近年では女性の中で、このロカビリー族のファッションが取り入れられています。

 

【5】ながら族

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ロカビリー族と同じ世代に流行したのがながら族です。

ながら族とはその名の通り、何かをし「ながら」別のことをしている人々のことを指します。当時は音楽やラジオ放送を聴きながら勉強をする学生がいたり、仕事をする人もいました。

主婦もテレビ番組を見ながら料理や洗濯などの家事をこなしていました。このように何かをしながら出ないと集中することができない人々をながら族と呼んだのです。昭和33年に日本医科大学の木田文夫教授が彼らのような症状のことを「ながら神経症」と呼んだことから、この名前が浸透するようになりました。

ながら族を懐かしいと感じた中高年世代のあなた、もしかして今でも「ながら族化」していませんか?でも心配はいりません。

ながら族が流行した当時は一つのことに集中できないということが問題とされていましたが、近年の研究の結果、何かをしながらの方が脳が活性化していると言われているのです。多くの人が何かをし「ながら」、別のことをした経験があると思います。

この記事を読んでいる若者世代のあなたも、知らない間に「ながら族」化しているのかもしれませんね。

 

○○族を一挙紹介②【2019年最新版】

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続いてはこちらです。

 

【6】カミナリ族

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昭和30年代から40年代にかけて存在したカミナリ族は、公道で速さや運転技術を競うような無茶な運転を行なっていました。

バイクのマフラーを外し、バリバリという爆音を立てる様子や、車の間を縫うようにジグザグと走る様子からカミナリ族と呼ばれるようになりました。全盛期には、全国に数百というグループが存在したと言われています。

深夜の繁華街を猛スピードで走り回るなどの迷惑行為も多発しており、交通事故や騒音問題で、一時期問題になりました。現代の暴走族の前身と言われていますが、バイカーズがアメリカの帰還兵の手によって誕生したように、日本のカミナリ族は軍隊の影響も受けていました。

神風特攻隊を模倣していたと言われていますから、時代を感じさせますね。カミナリ族をしていた若者はお金持ちのお坊ちゃんやお嬢ちゃんが多く、裕福な家庭で親に買ってもらったオートバイで爆音を響かせながら公道を激走していました。

当時やんちゃしていたカミナリ族の方は、懐かしいと思うと共に恥ずかしさでいっぱいになっている頃かと思います。

 

【7】カニ族

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昭和35年〜45年に流行したのがカニ族です。

彼らは横長のリュックサックを背負い、長期の低予算旅行や登山に繰り出していました。主に当時の学生や、若者の世代に多く流行しました。「時間はあるけどお金がない」彼らに取って、予算を切り詰め、長期間の放浪とも呼べる旅行をするというスタイルは魅力的に映ったことでしょう。

世界的にはバックパッカーと呼ばれます。当時は大量に荷物の入るリュックサックはキスリング型と呼ばれる横長のものしかなく、必然的に彼らはこのリュックサックを使わなければいけませんでした。実家の物入れを探してみると、この懐かしい形のリュックが出てくる方もいるのではないでしょうか。

この横長のリュックは幅が80cm以上あり、細い通路や出入り口、改札は横向きになって歩かなければならないこと、横長のリュックを背負っている後ろ姿がカニを想像させることからカニ族と呼ばれていました。

車やオートバイを持っている若者は少なく、列車や汽車で予算を切り詰め、低予算で長期間の旅行をしていました。国道に出て親指を立て、ヒッチハイクをする者もいたようです。

しかしアンノン族の登場で、よりオシャレに旅行を楽しむ若い世代が増えたことで、カニ族は衰退していきました。

 

【8】みゆき族

 

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昭和39年に流行したのがみゆき族です昭和ファッションの代表の一つであり、昔懐かしい雰囲気があるのが特徴です。

当時流行したファッションの一つに、アイビールックというものがありました。アイビールックは、アメリカ東海岸のアイビーリーグ(ハーバード大学、イェール大学、ペンシルベニア大学、プリンストン大学、コロンビア大学、ブラウン大学、ダートマス大学、コーネル大学の8校)で流行ったファッションのことです。

若者の多くがこのアイビールックを真似して銀座のみゆき通りのたむろしたことから、みゆき族と呼ばれるようになりました。男性はボタンダウンシャツに、マドラス・チェックのバミューダ・パンツか丈の短いコットンパンツを合わせ、足元は足元はローファーを履いていました。

女性はスリムなロングスカートを着てウエストをベルトで縛り、髪を長く伸ばしてリボンを結んでいました。足元は素足にサンダルがイケていました。男女ともに「VAN」の紙袋を抱えていました。「VAN」とは当時の銀座で流行していたファッションブランドです。

みゆき族世代以外の人にも、彼女ら彼らの姿には懐かしいと感じさせるものがあります。しかしそんなみゆき族は、オリンピックの開催に向けた警察の一斉取り締まり、一斉補導を受け、姿を消してしまいました。

 

【9】サイケ族

 

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みゆき族と同じ世代に登場したのがサイケ族です。

「サイケ」とはサイケデリックを指し、ドラックなどの幻覚剤によってもたらされる派手な色や音楽のことを指します。

当時、ビートルズが日本で流行し、ビートルズの音楽やファッションがサイケ調に変容していったことから、ビートルズに憧れてサイケ調のファッションを好む人が増え彼らがサイケ族と呼ばれるようになりました。

彼らは新宿駅に突如として現れました。オーバーサイズの、今でいう「古着ファッション」のようなTシャツにデニム、サンダルといった、ヒッピーのようなファッションやあまりセットしない髪型を好み、男性はヒゲを蓄えていました。

身に着けるTシャツやデニムはボロボロのものが多く、汚らしく見えるか、着こなし次第でオシャレに見えるかで大きく異なりました。

 

【10】モンキー族

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モンキー族は、大音量のエレキサウンドに乗ってモンキーダンスを踊る若者を指す言葉とし流行しました。

「ワイルド・ア・ゴーゴー」(通称:ゴーゴー)と呼ばれるリズムに合わせて踊ります。この時、猿のように手足を上下に動かして踊ることが特徴で、その姿がユーモラスなことからこういったダンスをモンキーダンスと呼ぶようになりました。

昭和30年代に盛んに踊られ、若者の社会現象にもなりました。当時の若者だったみなさんにとって、モンキーダンスはとても懐かしいものだと思います。この時にモンキー族が通ったクラブは「ゴー・ゴー・クラブ」と呼ばれ、ディスコの前身となったと言われています。

モンキー族世代のみなさんの手によって、ディスコは形作られて行ったのですね。

 

○○族を一挙紹介③【2019年最新版】

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続きましてこちらになります。

 

【11】フーテン族

 

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昭和40頃に現れたのがフーテン族です。

瘋癲族と書かれることもあります。東京新宿駅の東口に集まり、ぼーっと芝生に座り込んでいた若者たちのことを指します。長髪にジーパン姿をしていた者が多いようです。その容姿は、アメリカのベトナム反戦運動のヒッピー族を真似していました。

「新宿こじき」と呼ばれることも合ったそうです。「瘋癲」とは定職につかずぶらぶらしている者のことを指すようで、現代でいうニートがフーテン族と呼ばれていたみたいですね。一日中新宿の路上に寝そべり、問題になりました。

「睡眠薬遊び」という睡眠薬を飲んでフラフラする遊びをしたり、彼らを中心にシンナーが大流行したりと、社会問題にも発展しました。大麻を吸って警察と乱闘騒ぎを起こすことも頻繁で、当時の日本ではフーテン族は問題視されていたことが安易に予想できますね。

 

【12】エレキ族

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昭和40年1月ごろ、「ザ・ベンチャーズ」の来日・人気の急上昇が火付け役となり、エレクトリックギター(通称・エレキギター)が流行しました。

若者たちの間でエレキギターの爆発的な人気が起こり、エレキブームが訪れました。その時に誕生したのがエレキギターを好むエレキ族です。エレキギターの人気を後押しするテレビ番組も多く製作され、エレキ族を中心としたエレキブームは勢いを増していきます。

しかし、同年10月に栃木県の教育委員会の働きかけにより、「エレキ禁止令」が発令されます。これは、小・中学生のエレキギターの購入や、エレキギターの大会参加を禁止するもので、新聞に取り上げられるなど社会現象化しました。

一方的にエレキギターを楽しむことを制限されたり、コンサートに行っただけで高校を退学させられるなど、全国的に激しくエレキギターが追放されていきました。当時は「エレキギターは不良少年が楽しむもの」という偏見もあり、ブームは次第に沈静化されていきました。

それに伴い、エレキ族も見かけることが少なくなっていきました。このエレキ族は、グループ・サウンズのブームにも繋がっていったと言われています。エレキ族だったみなさん、これを機に懐かしい青春の思い出が詰まったエレキギターに、もう一度触れてみませんか?

 

【13】アンノン族

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昭和45〜55年代にかけて、若い女性の間で流行したのがアンノン族です。

女性向けファッション雑誌「an・an」と「non-no」に影響された女性たちのことを指します。この二つの雑誌は独自の特集を多く掲載しており、その一つが旅行特集でした。

カラー写真の旅行特集を多く掲載し、その写真の美しさや記事に刺激を受けた多くの女性たちが、このファッション雑誌を片手に特定の観光地に殺到しました。アンノン族世代のあなたも、懐かしい旅行の思い出、楽しい旅行の思い出、少し苦い旅行の思い出があると思います。

昭和45年までは、女性が旅行することは多くありませんでした。当時の一般的な観光地は、男性社員の社員旅行をターゲットとした温泉や、児童、生徒の修学旅行向けの寺院、神社、若者の団体旅行向けのスキーなどがメインで、女性をターゲーットにした旅行先はほとんどありませんでした。

ところが「an・an」や「non-no」の購入層は若い未婚のOLであり、若い女性たちが旅に出るこのアンノン族現象はこれまでの旅行スタイルとは全く異なった者でした。旅行先もこれまでのものとは違い、小京都など小さくて落ち着いた静かな観光地が人気になりました。

この流行を経て、女性客をターゲットにしたまちづくりが行われ、小京都と呼ばれる小規模で小洒落た街が全国各地にできるようになりました。実はこのアンノン族は、それ以前に流行った「カニ族」の流れを受けて流行したとも言われています。

女性の一人旅が一般的ではなかったこの時代に、「カニ族」の流行は若い世代の一人旅がよりポピュラーなものとなる手助けをしました。当時一人旅に出かけたアンノン族世代のみなさん、懐かしい旅の記憶は思い出せましたか?

 

【14】ニュートラ族

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ニュートラとは、ニュー・トラディショナルの略称で、女子大生やOLなどを中心に流行したファッションスタイルのことを指します。

昭和レトロの代表格の一つで、懐かしいと感じる人も多いのではないでしょうか。昭和50年に登場し、その流行は60年頃まで続きました。これは現在まで至る日本のブランドブームの先駆けとされています。神戸のお嬢様を中心に流行しました。

起源はみゆき族のアイビー・スタイルにあり、このスタイルを「an・an」や「JJ」が取り上げたことでブームになりました。反・ジーンズを掲げていて、シャツに膝丈のタイトなスカートを組み合わせるというスタイルが一般的でした。

トラッドを基本として、海外のブランドを取り入れた清楚なスタイルが好まれました。トラッドとは、三つボタンのブレザーを象徴とした、ボタンダウンシャツ、ポロシャツに、チノパンやカーディガン、足元はコインローファーを合わせたスタイルのことです。清楚で可愛らしく、懐かしい雰囲気もあるそのファッションは現代の若者世代にも好まれています。その後、横浜周辺の女子大生を中心に、横浜トラディショナル(ハマトラ)がニュートラから分岐して流行しました。

大人っぽさや女性らしさが特徴のニュートラに対して、ハマトラは子供っぽさが特徴になっていました。ニュートラもハマトラも、レトロでどこか懐かしい雰囲気を感じさせるスタイルは、現在でも若者の間でオシャレとして取り入れられることがあるようです。

 

 

【15】窓際族(まどぎわぞく)

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窓際族とは現代でも使われる言葉で、日本の企業や団体において、閑職に追いやられた社員や職員を指します。

昭和52年の安定成長期、円高不況の際に登場しました。主に管理職から外され出世コースから外れた中高年層がデスクの端(いわゆる窓際)で新聞を読んだり、外を眺めて時間を潰す様を呼びます。

北海道新聞のコラムがこういった中高年世代を「窓際おじさん」と呼んで載せたことから、この名前がつけられました。高度経済成長期に終身雇用が定着すると、年齢に応じた役職や立場を用意できない人間でも定年まで雇用する必要が出てきた。

このような人々に対して形ばかりの肩書きだけを与えて仕事をさせない社員が増えました。窓際族の誕生から50余年、その姿はドラマや映画でも取り上げられ、徐々に浸透していきました。マイナスな意味で揶揄られていた当時と異なり、現在では「窓際族は勝ち組」「羨ましい」などの声も上がっています。

他にも「新社会人よ、窓際族を目指せ」と言う題名の、窓際族を題材にした漫画がネット上で話題になるなど、働き方や窓際族に対する考え方は時代の移り変わりや年代によって変容していることが推測されます。

あなたは、窓際族になりたいですか?それとも、なりたくないですか?窓際族を懐かしいと思うだけでなく、この問題にも向き合って行かないといけないですね。

 

○○族を一挙紹介④【2019年最新版】

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最後はこちらです。

 

【16】夕暮れ族(ゆうぐれぞく)

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夕暮れ族とは、中年の男性と若い女性のカップルのことを指します。

昭和53年に吉行淳之介によって書かれた「夕暮れまで」という著書に由来しています。のちにロマンポルノ作品として映画化されました。この小説では、杉子と言う若い女性と主人公の男の関係性を描枯れており、「夕暮れ族」はこのカップルを取り上げ出来上がった言葉です。

2年後の昭和55年には、売春や買春を斡旋する愛人バンク「夕ぐれ族」も登場しました。筒見待子は様々なテレビ番組に出演し、類似の組織が全国に広まっていきます。所属していた女性は主にOLや女子大生などでした。

「ゆうぐれ族」の代表である筒見待子のルックスがよかったためにマスコミにもてはやされましたが、昭和58年に摘発され解散しています。筒見待子はヌードを披露したことでも有名です。当時は、「若い女性が中年の男性の愛人になる」という意味で、夕暮れ族という言葉が使われました。

平成に入ると、中年の女性と若い男性のカップルを「逆夕暮れ族」と呼ぶ俗語も誕生しました。

 

【17】竹の子族(たけのこぞく)

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これぞ昭和、昔懐かしいのが竹の子族です。

昭和55年に日本初のストリートカルチャーとして流行したのが竹の子族です。平成世代の方でも聞き覚えがあるほど有名ですね。同世代の人にはとても懐かしい響きなのではないでしょうか。

竹の子族とはド派手な衣装に身を包み、ディスコサウンドに合わせてステップを踏む若者たちのことを呼びます。主に東京都原宿の代々木公園近くの歩行者天国で、ラジカセを持参して踊っていました。当時の原宿は竹の子族の若者たちで溢れかえり、最盛期には2000人を超えるメンバーがいたそうです。

竹の子族の名前は、彼らが独特のド派手な衣装を購入していたと言われる「ブティック竹の子」から名付けられていたと言われています。「ブティック竹の子」は竹の子族の全盛期には年間10万着もの衣装が売られていたというから驚きです。

現代の路上でダンスやパフォーマンスを披露する若者たちの先駆けとなったのがこの竹の子族でした。竹の子族の衣装は、チームごとにデザインされ、制作されていました。主に原色と、大きな柄物の生地で作られていました。

竹の子族からスカウトされ、デビューした芸能人も数多くいます。この頃の中高生たちは詰め込み教育や競争社会に追われ、行き場を失っていました。このような過酷な状況に耐えきれなくなった若者たちの多くはディスコへ居場所を求め通い詰めるように。

しかしながら、ディスコにも限界があります。日増しに多くなっていく人数を収容することができなくな理、若者はクラブから溢れました。行き場を失った若者たちがたどり着いたのが、原宿の歩行者天国でした。このように竹の子族の背景には悲しい現実があったのです。

次第にローラー族やブレイクダンスなどの多種多様なパフォーマンス集団に押され、竹の子族の流行は廃れていきました。

 

【18】ローラー族

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竹の子族と同じ世代か少し後の世代にローラー族が登場します。

ローラー族は、第二次ロカビリーブームとも呼ばれています。1950年代のアメリカで流行したロカビリーやロックンロールミュージックで踊るダンスパーティーを真似して踊る若者たちが増えました。竹の子族のようにチームを組んでそれぞれ違った衣装を着ます。

ロカビリー族はファッションのみの流行でしたから、路上で踊ることは竹の子族の流行を汲んでいると考えられます。ロカビリー族と同じように男性は革ジャンやリーゼントに身を包んでいました。女性はふんわりとしたお嬢様風の水玉ドレスやサーキュラースカートにポニーテールです。

ビートルズなどのロックを好み、ロックンロールの「ロール」からローラー族と命名されました。約30年の時を超えて登場した彼らの時代錯誤な姿になぜ? と思った人も多かったことでしょう。

ほぼ絶滅したと言われているローラー族ですが、実は現代でも活動しているローラー族が「茨城県」に存在します。希少で懐かしいローラー族に出会いたいと感じたあなた、ぜひ茨城県に足を運んでみてはいかがですか?

 

【19】クリスタル族

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同じく昭和55年に流行した○○族にクリスタル族があります。

これは、一橋大学の学生・田中康夫の著書「なんとなく、クリスタル」から取られています。小説の主人公は女子大生で、高級ブランドやブティック、一流ブランドに高級レストランの名前が本文中に散りばめられていました。

作中に注釈が多くつく構成が斬新と評価されました。この本をきっかけに多くの学生は一流ブランドの存在を知り、ブランド品を欲するようになります。

このことから、主にブランド品でオシャレをした裕福な女子大生のことをクリスタル族と呼んでいました。若者たちは「クリスタル族」とからかわれながらも、先進的で前衛的な「なんとなく、クリスタル」略して「なんクリ」を真似し、憧れ、支持していました。

このクリスタル族、なんクリのブームは、豊富な経済力を背景にした新しい消費の文化を確立させました。

 

【20】くれない族

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昭和59年の流行語大賞として「くれない族」が登場します。

くれない族とは「〜してくれない」とよく口にする人々のことです。昭和58年に放送された「くれない族の反乱」というテレビドラマから生まれました。リアルタイムで視聴していた読者さんには懐かしい響きだと思います。

このドラマは、それまでに子供が使っていた「〜してくれない」という言葉が、主婦の層まで浸透しているという実態を描いたものとして評価されました。

「夫がいつも○○してくれない」と家の中でため息ばかりついている主婦が、そんな自分を変えようと仕事を初めて、次第に別ならぬ恋に目覚めていく……という物語です。この「くれない族」ははじめ、若者へ向けた言葉でした。

しかしこのドラマのヒットで、欲求不満の主婦たちへの言葉へと変貌を遂げたのです。また、平成24年には「新・くれない族」が登場しています。

石渡嶺司氏が定義しており、新入社員がゆとり教育による依存体質であることから「教えてくれない」「認めてくれない」とよく口にすると言われています。

 

あなたはなに世代?

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懐かしい昭和世代の○○族を紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか? 

今回は世代別にファッションや音楽のブーム、集団、社会の風潮といったさまざまな○○族をまとめていきました。懐かしい○○族はありましたか? あなたの世代の○○族は見つかりましたか? 

昭和世代ではない読者の皆さんには驚きの○○族や、初めて聞く○○族もあったのかもしれませんね。一つの流行はその世代だけでは終わらず、次の時代に引き継がれて再度流行したり、現代まで形を変えて流行しているものがあることがわかったかと思います。

あなたが気になった○○族をより深く調べて見ると、意外な発見や新たな気づきがあるかもしれませんね。知らない間に、あなたも○○族に所属していた……なんてことも? ここまで読んでいただきありがとうございました。

現代の若者世代の皆さんも○○族を話題に上司や親などの中高年世代と話をしてみると、懐かしい気持ちから話が盛り上がるかもしれませんね。 

世代を超えたコミュニケーションツールとして○○族を使ってみてくださいね!

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