千葉少女墓石撲殺事件の概要!なぜ少女は焼かれなければならなかったのか

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千葉少女墓石撲殺事件とは?

引用: Pixabay

2003年10月1日、千葉県のとある墓地で、あまりにも痛ましい殺人事件が発生しました。

その事件とは、通称「千葉少女墓石撲殺事件」。ひとりの少女が頭を強く殴り殺害されたうえ、その遺体は焼かれてしまっていたのです。

さらには少女を殺した犯人が彼女の夫であったこと、少女が男性複数人による執拗な暴行の末命を落としたことが判明し、その残虐さに日本中が震撼しました。

 

千葉少女墓石撲殺事件の概要!

引用: Pixabay

なぜそのようなむごい事件が起こってしまったのか?そして、なぜ少女はそのような死に方をしなければならなかったのか?

本記事では、その真相に迫っていきたいと思います。

 

【1】遺体の発見


引用: Pixabay

2003年10月1日朝、千葉県のとある墓地の駐車場でジョギング中の男性の目に飛び込んできたのは、燃え上がる炎のなかに横たわる人間の遺体でした。

燃え残ったアクセサリーなどから、遺体は県内の飲食店でアルバイトをしていた石橋裕子さん(当時16歳)のものと判明。

何者かに殺害されたうえ、遺体に火をつけられた石橋裕子さん。残忍な犯人を捕らえるべく、すぐさま警察による捜査が開始されました。

 

【2】遺体の状況


引用: Pixabay

発見されたとき、遺体にはまだ火がついており、上半身は炭化してしまっていたといいます。

また司法解剖の結果、頭蓋骨が酷く損傷しており、それによる脳障害が直接の死因だと明らかになりました。

 

【3】犯人の逮捕

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引用: Pixabay

千葉県警は、殺された石橋裕子さんの夫である石橋広宣(当時22歳)と、共犯者とみられる18歳の男子高校生、17歳の土木作業員、無職の少年2人(それぞれ17歳と16歳)の計5名を死体損壊容疑で逮捕しました。

5人がかりで一人の少女を殺害した石橋広宣とその共犯者たち。彼らはいったい、どのような残虐な方法で石橋裕子さんを死に至らしめたのでしょうか。

 

【4】殺害の方法

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石橋裕子さんは5人の男にハンマーで次々と殴りまわされたうえ、70㎏もの重さのある墓石で頭を何度も殴られて死亡。

男たちはそれだけでは飽き足らず、裕子さんの遺体に大量のオイルをかけて火をつけたのち、逃走しました。

 

【5】石橋広宣と石橋裕子の出会いのきっかけは?

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そもそも、なぜ裕子さんは石橋広宣の妻になり、その後殺されることになってしまったのでしょうか。

裕子さんは、中学3年生で部活を引退したのを機に素行が悪くなり、不良グループと付き合うようになってしまいます。

そこで出会ったのが、後の夫であり、自分を殺すこととなる鈴木広宣です。彼は数々の恐喝事件を繰り返し、少年鑑別所や少年院送りになったこともある札付きの不良でした。

裕子さんは当時カラオケ店でアルバイトをしていましたが、給料の安さに不満を抱き、「水商売で働こうかな」と考えるようになります。しかし、18歳未満の裕子さんにはそれができません。

途方に暮れていた裕子さんに、鈴木広宣がある提案をします。

「結婚すれば成人として扱われるから、俺と結婚すればいい」というのです。

めちゃくちゃな理屈に思えますが、裕子さんはそれを承諾。ふたりは婚姻届けを提出し、鈴木広宣は「石橋広宣」となりました。

「なぜ広宣の方が性を変えたの?」と疑問に思われるかもしれませんが、当時広宣は多額の借金を抱えており、新しくローンなどが組めない状況でした。

しかし新車を買うためにどうしてもローンを組みたい広宣は、裕子さんと結婚することで苗字を変え、無事ローンの審査を通過したというわけです。

こうして、互いに愛情などまったくない偽装結婚が成立したのでした。

 

【6】千葉少女墓石撲殺事件の原因は?

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しかし、いくら互いに愛情のない夫婦であったとはいえ、なぜ裕子さんはあのようなむごい方法で殺される運命をたどることになってしまったのでしょうか。

その原因は、裕子さんと石橋広宣の間に発生した金銭トラブルにありました。結婚成立後、石橋広宣は結婚した見返りとして「上納金」を払うよう裕子さんに命じます。

裕子さんも最初はこれに応じていましたが、しだいにそれがトラブルに発展。裕子さんはとうとう、「偽装結婚をさせられたと警察に通報する」と石橋広宣を脅すようになります。

石橋広宣は、当時別の事件で執行猶予中でした。もし裕子さんが本当に通報すれば、執行猶予が取り消されて逮捕されてしまうかもしれません。

それを恐れた石橋広宣は、口封じのために裕子さんを殺すことを決意するのです。

 

【7】事件当日の動き

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犯行当日、石橋広宣は裕子さんの勤める飲食店に電話を入れ、裕子さんを呼び出しました。

石橋広宣と離婚をしたいと考えていた裕子さんは、話し合いをするいい機会だと思ったのでしょう。自分がこれから殺されるとは知らず、石橋広宣の誘いに応じてしまいます。

午前3時過ぎ、裕子さんは石橋広宣の運転する車に乗り、殺害場所となる墓地の駐車場に到着します。

そして車を降りた裕子さんに、事件の共犯者である4人の少年たちが襲いかかり、一斉に殴る蹴るの暴行を加え始めたのです。

裕子さんが助けを求めるのを無視して、石橋広宣は彼女をハンマーで殴りつけました。さらに傍らにあった墓石で裕子さんの頭部を殴打し、ついに裕子さんは絶命してしまったのです。

5人もの男性に執拗な暴力を振るわれた裕子さんの恐怖は、どれほどのものだったのでしょう。

裕子さんが息をひきとったのは午前3時半ごろといわれています。裕子さんは30分近くにわたる壮絶なリンチのうえ、わけもわからないまま命を落としてしまったのです。

 

【8】共犯者はなぜ殺人に加担したのか?

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さきほど、千葉少女墓石撲殺事件には石橋広宣の他に4人の共犯者がいたことをお伝えしました。彼らはなぜ、石橋広宣といっしょになって裕子さんを殺害するに至ったのでしょうか。

実は彼らは、「裕子が俺たちの起こした窃盗事件のことを警察に通報しようとしている」と石橋広宣からデマを伝えられていたのです。

その結果、彼らは自分たちの罪が明るみになるのを恐れて、裕子さん殺害の共犯者になってしまったのでした。

 

【9】千葉少女墓石撲殺事件のその後

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事件発覚後、石橋広宣は自ら警察に「妻と連絡が取れない。事件に巻き込まれてしまったのかもしれない」と通報したり、マスコミのインタビューにも積極的に応じるなどして、「妻を失った可哀相な夫」を装っていました。

しかし、すぐに警察は偽装結婚の真相をあばき、さらには石橋広宣と共犯者たちが、事件現場付近のスーパーやコンビニエンスストアで大量のライターを購入・万引きする様子が映った防犯カメラの映像を入手。

これが、彼らが石橋裕子さんの遺体に火をつけたという決定的な証拠となりました。

逮捕された石橋広宣は容疑を否認しましたが、共犯者であった4人の少年が石橋裕子さん殺害を認め、石橋広宣も犯行を認めざるを得なくなりました。

なぜ遺体に火をつけたのか、という問いに対して、石橋広宣は「燃やせば確実に殺せるし、遺体についた指紋を消せると思った」と答えたといいます。

石橋裕子さん殺害が、確固たる計画性のもとで実行されたことがわかりますよね。

その後千葉地裁で裁判が開かれましたが、「石橋裕子さんへの暴行は想像を絶する残虐さ」、「動機は自己中心的で幼稚極まりない」、「石橋広宣の矯正は不可能」と判断され、石橋広宣へは無期懲役の判決が下されました。

そして共犯者の少年4人に対しては、「残虐極まりない犯行」、「遺体損壊に対する反省が感じられない」として、懲役3年半から10年の不定期刑の判決が確定しました。

また、石橋裕子さんの両親は、「娘と鈴木広宣の結婚は無効だということを認めてほしい」とのちに訴訟を起こしました。

裕子さんが死後もなお自分を殺した広宣の妻であり続けることを、両親が耐えられるはずがありませんよね。

千葉地裁はこの訴えを認め、石橋広宣はふたたび「鈴木広宣」となりました。

石橋裕子さんがいつかは非行をやめ、もとの活発な娘に戻ってくれると信じていた両親。そんななか、あまりにも身勝手な理由で娘の命を奪われてしまったその無念は計り知れません。

 

石橋裕子の生い立ち&経歴【千葉少女墓石撲殺事件】

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それではここで、千葉少女墓石撲殺事件の被害者である石橋裕子さんの生い立ちと経歴を一度振り返ってみましょう。

石橋裕子さんは、幼い頃はとても活発な少女であったといいます。中学時代はハンドボール部に所属し、部活に打ち込むどこにでもいるふつうの少女でした。

しかし、中学3年生の7月、裕子さんの所属していたハンドボール部は大会で敗退。裕子さんは部活を引退します。

そして、それを機に彼女の運命の歯車が狂い始めることとなります。熱中していた部活が生活から消え、いわゆる燃え尽き症候群になってしまったのでしょうか。暇を持て余し、だんだんと非行に走るようになってしまったのです。

夏休みに入ると、裕子さんは先述したように水商売のアルバイトをはじめました。最初は、夏休みの間のおこづかい稼ぎのつもりだったのかもしれません。

しかし、夏休みが過ぎても裕子さんはキャバクラやスナックで働き続け、ついには家出をするようにまでなってしまいます。

そんな裕子さんを見かねて、両親は一度裕子さんを児童養護施設に入所させています。

施設の中で幼い子供たちと過ごす時間が、裕子さんにとっては心地よかったのでしょう。「保母さんになりたいな」と将来の夢を話すようになり、少しずつ自分を見つめなおすようにもなりました。

その後、なんとか高校受験を受けて私立高校への入学を果たします。しかしそれを機に、裕子さんはまた不良少女に逆戻りしてしまいました。

登校しても、授業を受けずにちらりと教室に顔を出すだけ。入学からわずか半年で、裕子さんは高校を退学することとなってしまいました。

家にもほとんど帰らなくなり、いつしか両親には裕子さんの行方がわからなくなるばかりか、裕子さんと連絡を取ることも叶わなくなってしまったのです。

それからというもの、裕子さんの不良行為はとどまるところを知らなくなってしまいます。

酒を飲み歩いたり、不特定多数の男性と体の関係をもった挙げ句、相手から金を巻き上げたりするようになったのです。そして、石橋広宣とその仲間らとともに、乱れた生活を送るようになってしまいました。

はたから見れば、熱中していた部活を引退し、暇を持て余した少女が一時的にグレてしまったのだな、程度のことだったのかもしれません。

しかし、それが後の千葉少女墓石撲殺事件に繋がってしまうことなど、誰が想像できたでしょうか。

 

石橋広宣の生い立ち&経歴【千葉少女墓石撲殺事件】

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では次に、千葉少女墓石撲殺事件の加害者である石橋広宣の生い立ちと経歴を振り返ってみましょう。

石橋広宣は、10歳のときに両親が離婚したのを機に親戚の家に預けられました。

その2年後に再婚した母親に引き取られますが、母親の再婚相手には身体障害がありました。

広宣は最初、父親の介護をかいがいしく行っていたといいます。しかし、それにより十分に勉強をすることができなくなり、第一志望の高校に不合格。

高校に入学すると不良仲間と付き合うようになり、広宣の素行はみるみる悪くなっていきます。車を盗んで事故を起こしたり、バイト先のコンビニエンスストアの金を盗むなどして、少年院に送られたこともありました。

その後、裕子さんとは別の女性と結婚して一児を授かりますが、もはや広宣には平穏な家庭を築くことなどできませんでした。広宣は妻にたびたび暴力を振るうようになったのです。ひどいときは木刀で殴りつけることもあったといいます。

結局、その女性とはほどなくして離婚。離婚する直前から同棲していた秋山久美子さんという女性と本格的に交際をはじめますが、その友人のひとりが石橋裕子さんだったのです。こうして、広宣と石橋裕子さんとの交流が始まりました。

その後、広宣はカード詐欺の容疑で逮捕され、執行猶予付きで出所してすぐに石橋裕子さんと結婚します。

そして、最終的には妻となったはずの裕子さんを、あのような残忍な方法で殺害することになってしまったのです。

 

石橋広宣の現在!【千葉少女墓石撲殺事件】

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先ほどもお伝えしたように、石橋広宣には無期懲役の判決が下されました。石橋広宣は現在も服役中ということになりますね。

数々の犯罪に手を染め、あまりにも身勝手な理由で石橋裕子さんの命を奪った石橋広宣。

矯正不可能といわれた彼の心に、少しでも石橋裕子さんに対する贖罪の念は芽生えているのでしょうか。

 

千葉少女墓石撲殺事件まとめ

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ひとりの少女が複数の少年たちによってたかって殴り殺され、挙げ句遺体を焼かれてしまった千葉少女墓石撲殺事件。

このような痛ましい事件を起こしておきながら、主犯格である石橋広宣が事件発覚後も被害者を装い、刑罰を免れようとしていたことを思うとぞっとしてしまいますよね。

ささいなきっかけで非行に走ってしまった若者たちの、究極に悲痛な末路ともいえる千葉少女墓石撲殺事件。このような残忍な事件が、二度と繰り返されないことを祈るばかりです。

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