Chunsing Lauさん(@yokokao)がシェアした投稿 – 2017年 8月月1日午前7時47分PDT
北海道への旅行中に行方不明になった中国人女性、危秋潔(ウェイ・チウジエ)さんを知っていますか?
連日テレビでニュースが報道され、目撃情報の呼びかけとしてご本人の映像や画像も多く流されていたので、記憶に残っている方もいると思います。
中国で小学校教師をしていた危秋潔さん(当時26歳)は、北海道を1人で旅行している途中に突然失踪し、その後行方がわからなくなりました。そして約1ヶ月後、捜査の甲斐もむなしく釧路市の海岸で死亡しているのが発見されたのです。
若くて美人で優秀な未来ある女性が、なぜ日本への旅行中に失踪し、命を落とすことになったのでしょうか。事件の詳細と残る謎についてまとめました。
危秋潔(北海道阿寒湖失踪&死亡)事件を紹介!
引用: Pixabay
危秋潔さんは2017年夏に日本へ一人旅に訪れました。旅行期間中の足取りは次のようになっています。
【1】7月18日、北海道に到着する
【2】7月19日、洞爺湖を観光する
【3】7月20日、札幌市に泊まる
【4】7月21日、美瑛町を観光する
【5】7月22日、宿泊先に戻らなくなる
【1】7月18日、北海道に到着する
引用: Pixabay
危秋潔さんは函館空港で日本に入国しました。
函館空港は地方空港ですが、コンパクトながらもきれいと評判は良く、国内の主要都市に向かう便が出ていて使い勝手がいいと言われています。危秋潔さんは初めて訪れる北海道をどう感じたのでしょうか。
また、帰りもこの函館空港から上海経由で帰国する予定だったと見られています。
【2】7月19日、洞爺湖を観光する
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危秋潔さんは翌日から北海道観光をしていたとされています。
中国版ツイッターと言われるSNS「微博(ウェイボー)」には観光先の写真が投稿されていました。その投稿の様子から19日は洞爺湖付近を観光していたと見られます。
洞爺湖は北海道の人気観光地のひとつで、「日本百景」などにも選定されている中国人が多く訪れる観光地です。
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引用: Pixabay
翌日もSNSに観光先の投稿がありました。
この時は小樽を訪れていたと見られています。
危秋潔さんは前もって宿泊施設を決めていたそうで、この日は札幌市にあるゲストハウスに宿泊したことがわかっています。
【4】7月21日、美瑛町を観光する
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危秋潔さんは21日もSNSへ投稿をしていました。
この日に投稿された写真からは、美瑛町を観光していたと見られます。美瑛町は広大な自然の美しい場所で、CMの撮影地にもよく使われています。
夏にはラベンダー畑が見頃を迎えるため、危秋潔さんは美瑛町の近くの富良野にラベンダー畑を見に行く予定だったと言われています。
また、ここでは「駅の左側奥に案内書がある。中国語ができるスタッフに相談することができる。彼女は訪れるコースのプランまで練ってくれる。考えられないほど親切だ」と日本人スタッフのもてなしに対する感想も述べられており、旅行を楽しんでいたように捉えられます。
【5】7月22日、ゲストハウスに戻らなくなる
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引用: Pixabay
しかし、危秋潔さんはその日、札幌市内のゲストハウスに戻ってきませんでした。
中国への帰国予定日である7月25日までの宿泊代金を前持って支払っていたにもかかわらずです。またスーツケースなど大きい荷物もゲストハウスに残していました。22日夜に危秋潔さんが宿に戻らなかったため、ゲストハウス側が警察に連絡したそうです。
ところがその後の捜査によって、危秋潔さん22日は釧路市の阿寒湖の温泉付近のホテルに宿泊していたことがわかりました。札幌と阿寒湖はおよそ300 キロ離れているので、急遽行き先を変えたとしたらかなり大きな予定変更です。
そして翌日23日の朝にホテルを出た後から、危秋潔さんの行方はわからなくなりました。
その後のいくつかの目撃情報を手がかりに、警察は捜索を続けます。
23日にパン屋さんでパンを購入していた、同じく23日にJR釧路駅近くの防犯カメラに映っていた、25日の夜に危さんに似た女性が阿寒湖付近を歩いていたなど、様々な目撃情報が寄せられますが、確実な手がかりにつながるものが見つからず、危秋潔さんは行方不明のままとされました。
日本、中国ともに危秋潔さんの安否を心配するネットへの書き込みも多かったようです。
危秋潔さんが立ち寄ったカフェの店主はその時の様子をこう振ります。
「カフェの店主と妻は、危さんは近寄りがたい様子で、1人で考え事がしたいという雰囲気を持っていたと話した。手にはスマートフォンを持っていたが、まなざしは絶えず窓の外の風景に向けられていたという」
何か思いつめている状況だったのでしょうか。カフェの店主はその様子に何か普通の旅行者とは違うものを感じながらも、声をかけられなかったことを悔やんでいたそうです。
しかし結局23日に失踪した後ははっきりとした足取りがつかめないまま、操作は難航しました。
危秋潔さん、ついに発見されるも…。
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連日、国内では目撃情報の呼びかけが繰り返され、中国からは心配の声が続きました。
中には「不法滞在してるのでは」などの心ないネット上の声もあったそうなので、家族や友人はいても経ってもいられない心情で日々を過ごしていたことでしょう。
そして、危秋潔さんが失踪してから1ヶ月以上たった8月27日、釧路市の桂恋の砂浜で、地元の漁師が海外に打ち上げられている若い女性の遺体を発見しました。白いブラウスやベージュのスカート、赤色系のスカーフなどの身につけているものから行方不明となっている危秋潔さんに似ていたため、警察は身元の特定を急ぎます。
遺体は一部白骨化していて、司法解剖されたそうです。そしてDNA検査が開始されました。ですがその結果、残念なことに遺体は危秋潔さんと確定しました。死因は溺死とされています。ただ、自殺か他殺かは明らかにならなかったそうです。
危秋潔さんは意味深なSNS投稿をしていた?
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危秋潔さんは日本に訪れる少し前の6月下旬、SNSに意味深な投稿をしていたとされています。
危さんは中国版ツイッター・微博(ウェイボー)に、小学校での実習の様子などをシェアし、ユーモアを交えた言葉でつづっているが、日本を訪れる前の6月下旬には「人生は永遠に矛盾するもの。どんなに孤独でも友達は必要、友達がいても孤独は解決できない」とつづっています。
さらに7月上旬には「シャワーを浴びて民宿のそばのブランコに。耳には途切れることのない風の音、そして音楽も。星もあなたの姿もないけれど、今はそれでも構わない。このすべてを人生最後の輝きにしよう。時間を切り詰めて、無駄な時間を過ごそう」と気になる言葉を残しており、この投稿にはネットユーザーから多数のコメントが寄せられている。
この投稿から、人生への迷いや孤独感に悩んでいる様子に感じていたのかと考えられます。しかし具体的に何が原因で悩んでいたのかは、この投稿からは読み解くのは難しい状態です。日本に旅行することと関係があったのかさえわかりません。
また、宿泊先のゲストハウスでは危秋潔さんのものとされる書き置きも発見されました。
危さんが札幌のゲストハウスに残した荷物から見つかった手紙には、「ごめんなさい。これは別れの手紙です。27年間生きてきたけど、もう頑張っていくことはできません」「星になってみんなを見守ります。みんなのことを愛しています」などと自殺をにおわせる内容がつづられていたという。
「もう頑張れない」「私がいなくなることで苦しまないで」などと書かれた両親宛ての手紙もあったことで、それまで事件に巻き込まれた可能性の高いとされていたこの事件は、徐々に危秋潔さんは遺書を残して自殺したのではないかという見方が強くなっていきました。
危秋潔さんの家族の悲痛な叫び
引用: Pixabay
危秋潔さんの父親である華先さんは7月に日本に一度訪れましたが、娘の行方について芳しい捜査結果が得られなかったために一旦中国に帰国します。
その時、万が一に備えて、日本にDNA鑑定用のサンプルを残していました。そしてその約1ヶ月に危秋潔さんと見られる遺体発見の知らせがあり、サンプルと遺体とのDNA鑑定が開始されます。
しかし、数日後ついに出た鑑定結果は世にも悲しいものでした。
見つかった遺体が娘と特定された結果を受けて父・華先さんはもう一度日本を訪れます。前回の訪日滞在の影響もあり経済的にも苦しい中の訪問だったそうです。
遺体が安置されている釧路警察署に到着した際には、「娘の遺体と対面する心境にはなれなかった」とメディアに話していたそうです。最愛の娘が異国で旅の途中に失踪し、変わり果てた姿となって見つかるとは想像もしなかったことでしょう。
「娘は健康的で賢い女性でした。なぜこんなことになってしまったのか、まったくわかりません」と父親はコメントし、突然の出来事に計り知れないショックを受けていたことと思われます。
また、親族らとともに釧路警察署を訪れた時には「この服を着せてやってほしい」と危秋潔さんにワンピースなどの洋服を持ってきたそうです。辛い現実の中でもせめて娘をきれいに着飾って旅立たせようとする父親の愛が感じられます。
そして危秋潔さんが宿泊した札幌市内のゲストハウスに残っていた荷物と手紙を確認し、筆跡から娘の秋潔さんのものと判断をしました。その手紙は、「育ててくれてありがとう、新生活を始めます」という両親に感謝しつつも現在の生活に満足できない、新しい生活を始めたいといった内容が記されていたといいます。
友人によると、危秋潔さんは小学校の教員に採用されたご褒美として日本へ一人旅に出かけると話していたといいます。また、前持って準備を始めていたことからは、北海道旅行をとても楽しみにしていたと思われます。
父親の危華先さんは娘の様子について「真剣に北海道の旅行ルートを計画していた」と言い、まさか自分への報告とは異なる別の場所にいたとは考えられないと思っていたようです。しかし本当のところは誰にもわからず、危秋潔さんの本心は謎に包まれた状態で捜査は迷宮入りとなりました。
危秋潔さんは自殺したかった?
死後に見つかった書き置きの内容が遺書めいたものだったことから、危秋潔さんは自殺を選んだ可能性が高いと見られています。
しかしその反面、教師の仕事が決まったばかりなのに自殺を選ぶのかなど、疑問視する声も多くありました。他にも、遺体には飛び込んだ時にできるような傷がないなど未解決の謎がいくつも残っています。
謎は多く、行方不明になったとされるタイミング以降はホテルに戻らず各地を転々としていたことや、22日に父親には札幌のホテルに到着したと連絡していましたが実際には札幌にはいなかったこと、23日午前0時ごろ阿寒湖付近にいたはずの危さんのアカウントによるあるSNS上の書き込み地点は札幌市となってたことなどは、今も未解決のままなのです。
失踪前に防犯カメラに写っていた映像では身だしなみを整えていたり、途中でパンを購入するなど自殺直前の人間の取るような行動とは思いづらいことから、誰かと会う約束をしていたのではという見方や、何かしら事故に巻き込まれたのではという見解も捨てきれないとされていました。
他には、自殺までの流れが映画や小説に似ている点も注目されていました。
例えば、危さんと同じく阿寒湖畔のホテルから失踪し、少女の自殺から始まる渡辺淳一氏の小説『阿寒に果つ』との類似点が指摘されています。
「死に顔の最も美しい死に方は何であろうか」
「生きている時よりも美しく、華麗に死ぬ方法はただ一つ、あの死に方しかない。あの澄んで冷え冷えとした死。純子はそのことを知っていたのであろうか。あの若さで、果たして死ぬとき、そこまで計算していたであろうか。」
https://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/64214321.html
小説では季節が冬となっているので異なる部分はありますが、確かに事件と共通する部分がいくつもあるようです。
また、中国映画史上最大級の大ヒット映画『狙った恋の落とし方。』(中国タイトル:非常勿扰〔フェイチャンウーラオ〕)にも酷似しているとの指摘もあります。
「非誠勿擾」は中国のインターネット上の結婚相手募集の広告でよく使われる言葉で「誠実なお付き合いができる方以外はご遠慮下さい」という意味だそうです。
この映画の後半は日本の北海道がロケ地で、中国に北海道観光ブームを巻き起こしたと言われています。そして映画の中で登場人物が自殺未遂をするのですが、それが北海道網走市の能取岬なのです。
危秋潔さんはこれらの作品の影響を受けて、北海道で自殺をしようと考えたのでしょうか。本当のところは何とも言えませんが、共通点が多いのは頷けます。
いずれにせよ、不可解な謎を残したまま、危秋潔さんはこの世を去ってしまいました。
日本が好きで旅行に訪れたはずが悲しい結末となり、家族や友人はもちろん、ニュースを見て心配していた人たちも悲しみにくれたことと思います。自ら命を絶って亡くなるにはあまりに若く、その早すぎる死が悔やまれます。
好きだった日本へ単独で旅行に来た危秋潔さんは、一体何を見て何を思ったのでしょうか。少しでも旅を楽しんでいたのならいいと思います。また、このような事件が二度と起こらないように、心から願うばかりです。
心からご冥福をお祈りいたします。