ルーシー・ブラックマンさん事件の真相!犯人の織原城二は在日だった?

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ルーシー・ブラックマンさん事件とは?

引用: Pixabay

「ルーシー・ブラックマンさん事件」をご存知でしょうか。

この事件は、イギリス人女性のルーシー・ブラックマンさんが失踪後、遺体で発見された事件です。失踪に関して、遺族からも多額の懸賞金が提示されていました。顔画像なども報道されていたため、見覚えがある方も多いのではないのでしょうか。

この事件の犯人として逮捕された織原城二は、以前より昏睡強姦を繰り返していた男で、父親から受け継いだ莫大な遺産で生活していました。

また彼は「金聖鐘」という在日韓国人であることも判明しました。しかし、この事実が判明したことによってマスコミ報道が下火になってしまい、ルーシー・ブラックマンさん事件を知る人が少なくなってしまったのです。

この記事では、ルーシー・ブラックマンさん事件の概要と、事件解決の経緯、犯人・織原城二の経歴や在日韓国人であること、判決などを調査しました。

 

ルーシー・ブラックマンさん事件概要

引用: Pixabay

ルーシー・ブラックマンさん事件が発覚するきっかけは、連絡が取れなくなったことを不審に思ったホステスの仲間が「家出人捜索願」を出したことでした。

ここでは事件の概要を、失踪から犯人逮捕、遺体の発見まで順にお伝えします。

 

【1】ルーシー・ブラックマンさん失踪


ルーシー・ブラックマンさん(当時21歳)は、元はイギリスで客室乗務員として勤務していた、イギリス人女性でした。2000年5月に来日し、すぐに六本木のバーでホステスとして勤務しはじめました。

ルーシー・ブラックマンさんの画像はこちらです。

画像からもわかるように、ブロンドに青い目が特徴の英国美女といった見た目であることがわかります。

来日して2ヶ月後の2000年7月1日17時頃、ホステス仲間の携帯電話にルーシー・ブラックマンさんから「今、お客様とドライブデート中です。これから海岸に向かいます」という連絡が入っています。

この日の19時頃、「あと1時間程度で帰ります」という連絡が再びありましたが帰ってくることはなく、行方不明となってしまいました。

 

【2】ホステス仲間への電話と捜索願


引用: Pixabay

最後の電話から2日経った2000年7月3日になっても、ルーシー・ブラックマンさんは帰ってきませんでした。

また、この日「タカギアキラ」と名乗る男性から、ルーシー・ブラックマンさんのホステス仲間に「千葉の新興宗教団体で修行をしている」という電話がありました。

これを不審に思ったホステス仲間の方が、警察庁に捜索願を出しました。これが「ルーシー・ブラックマンさん事件」が発覚するきっかけとなりました。

ルーシー・ブラックマンさんが行方不明になった後の7月5日、この後被疑者となる男、織原城二がスコップを持って海岸をうろついているのが目撃されています。

 

【3】大々的に捜索される

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引用: Pixabay

ルーシー・ブラックマンさんが行方不明になってから1ヶ月以上が経過した2000年8月22日には、ルーシー・ブラックマンさんの妹が記者会見を行ない、10000ポンド(約160万円)という多額の懸賞金を提示し、有力な情報を集めようとしました。

マスコミでも大々的に報じられたため、この時にルーシー・ブラックマンさんの画像を見た方や、画像に見覚えがあるという方も多いかもしれません。

また、2000年9月下旬、警視庁は「ルーシー・ブラックマン周辺で外国人女性2人が失踪している」ということ、また「勤務していたバーの常連客だった不動産会社社長を捜査している」ということを明らかにしました。この「不動産会社社長」というのが、後の被疑者である織原城二です。

 

【4】織原城二(金聖鐘)・別件で逮捕

事件から3ヶ月が経過した2000年10月12日、かねてから捜査線上に浮上していた男・織原城二が、別件で逮捕されました。

そして、彼が所有する神奈川県三浦市のマンション、モーターボート等のほか、周辺の海岸が捜索されました。

こちらの画像は大学生の頃の画像とのことです。画像から分かる通り、当時としては一般的な大学生のルックスですね。

逮捕から1ヶ月が経過した11月17日、ルーシー・ブラックマンさんに対する準強姦罪で、東京地検は織原城二を東京地裁に起訴しました。このとき警視庁は、真相を追求するDNA鑑定を行なうため、ルーシー・ブラックマンさんの家族に髪の毛を提供してもらっています。

 

【5】ルーシー・ブラックマンさんの遺体見つかる

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引用: Pixabay

年が変わり2001年1月、織原は別の女性に対する強姦致死容疑で再逮捕されました。

そして2月、彼が所有するマンション近くの、三浦市の海岸にある洞窟の中でルーシー・ブラックマンさんの遺体が見つかりました。ルーシー・ブラックマンさんの遺体はバラバラに切断された状態で、浴槽に入れられた後、洞窟の地面に埋められていました。

 

ルーシー・ブラックマンさん事件解決の経緯

引用: Pixabay

ここまでルーシー・ブラックマンさん事件の概要についてお伝えしました。この後、事件の真相はどのように解明され、どのような経緯で解決に至ったのでしょうか。

ここではルーシー・ブラックマンさん事件解決の経緯・真相をご紹介します。

 

【1】警察への情報

引用: Pixabay

ルーシー・ブラックマンさんが失踪して2日経過した2000年7月3日、ホステス仲間から捜索願が出されました。その後警察による捜索が行なわれましたが、その時に警察の地域係に集まった情報が有力でした。

とある六本木のクラブの店長によりもたらされた情報は、

『六本木のクラブ・バーで働く外国人女性を口説き、お金をあげる男がいる。ドライブなどのデートに誘い、外国人女性に薬を飲ませている。その際に性的な画像・写真を撮影して、外国人女性にゆすりをかけている。

この男は外国人女性から「ユージ」と呼ばれている。既に外国人女性が2人も被害に遭っている。この男が、ルーシー・ブラックマンさんが行方不明になっている事件に関係しているか、犯人ではないか。』

というものでした。人の口に戸は立てられないと言いますが、既に界隈ではこの男のことが噂になっていて、犯人ではないかと疑われていたのですね。この情報により、ルーシー・ブラックマンさん事件は真相に近づきます。

 

【2】織原城二(金聖鐘)の行動が明らかに

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警察への情報提供により、捜査は真相に近づきました。更に捜査を進めると、ユージと呼ばれる男が「織原城二」であることが判明してきました。

彼の携帯電話の記録などを照会したところ、ルーシー・ブラックマンさんが行方不明になった日、神奈川県の逗子市で行動を共にしていたことが明らかになったのです。

また、織原城二(金聖鐘)周辺への聞き込み調査で、彼に薬を飲まされた、強姦されたという女性がたくさんいることもわかってきました。

 

【3】織原城二(金聖鐘)別件逮捕

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織原城二に薬を飲まされて強姦されたという証言を受けて、2000年10月にルーシー・ブラックマンさんとは別の外国人女性(カナダ人女性)への準強制猥褻容疑で逮捕に至りました。

更に他のイギリス人女性、日本人の女性への準婦女暴行容疑でも再逮捕されています。しかしルーシー・ブラックマンさんに関しては裏付けが難しく、事件の捜査と真相究明は難航しました。

 

【4】ルーシー・ブラックマンさんの遺体を発見

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上述の逮捕から1ヶ月後、ルーシー・ブラックマンさんに対する準強姦罪で、織原城二は東京地検に起訴されました。

彼が強姦・死体遺棄の犯人であるという裏付けは少なく、真相がわからなかったため、捜査はとても難しかったものと見られています。その一因は、ルーシー・ブラックマンさんの遺体が見つからなかったことでした。

織原城二(金聖鐘)が強姦・死体遺棄事件の犯人であることはわかっているのに遺体が見つからない状況が、どれほど歯がゆかったかわかりません。

捜査が難航する中、一つだけ手がかりがありました。ルーシー・ブラックマンさんが失踪した数日後、織原城二(金聖鐘)が海岸でスコップを持って歩いている姿が目撃されていたのです。

その後、2ヶ月に渡ってルーシー・ブラックマンさんの遺体が捜索されたといいます。その執念が伝わったのか、2001年2月に三浦市の海岸にある洞窟でルーシー・ブラックマンさんの遺体が発見されました。

遺体はバラバラにされ、浴槽に入れられ、コンクリートで固められ、更に地面に埋められていました。このような凄惨な死体遺棄の方法こそが、真相解明に時間がかかった一因でした。行方不明になってから9ヶ月が経過していました。

鑑識の画像を見た方によれば、すでに屍蝋化が進んでいたと言います。

 

犯人の織原城二の経歴【ルーシー・ブラックマンさん事件】

上ではルーシー・ブラックマンさん事件の概要と、事件解決に至った経緯・真相をお伝えしました。

事件の犯人である「織原城二」は、親が築いた莫大な遺産で生活していました。また、犯人は以前から同様の性犯罪を重ねていたため、早い段階から犯人であることを疑われていました。

ここでは、ルーシー・ブラックマン事件・犯人の「織原城二」の経歴と、織原城二が在日韓国人で「金聖鐘」という名前だったことについてご紹介します。

 

織原城二の経歴

引用: Pixabay

ルーシー・ブラックマンさん事件の犯人「織原城二」は1952年、大阪に生まれました。親は在日韓国人であり、織原城二もまた在日韓国人でした。

在日韓国人だった父親は貧乏でしたが、不動産会社、駐車場経営、タクシー会社、パチンコ屋の経営者となりました。これらを一代で築き上げたというのは驚きですね。真相はどうあれ商才に長けていたと言えるでしょう。

様々な会社を経営する在日韓国人の父親のもとで、織原城二は裕福に育ちました。しかし17歳の時、父親は香港で死亡。在日韓国人であることが関係しているかはわかりませんが、暴力団絡みの事件に巻き込まれたとされています。残された2人の兄弟と共に巨額の遺産を相続することとなりました。

織原城二は慶應義塾高等学校に入学し、単身で上京しました。亡くなった在日韓国人の父親から与えられていたのが、田園調布の一軒家でした。何不自由無い生活を送っていましたが、非道な性的趣味の持ち主でもありました。それが【昏睡強姦】です。

織原城二は高校生の頃から、アルコール、睡眠薬などを使って女性を昏睡させ、強姦することを繰り返していました。1995年の時点で、彼の強姦記録ノートには209名の女性が記録されていたと言います。

織原城二は高校を卒業すると、慶應義塾大学へのエスカレーター進学はせず、アメリカやスウェーデンに留学しています。1974年頃に帰国すると、慶應義塾大学法学部に入り直して卒業しています。この時は、慶應義塾大学をあらためて外部受験したと考えられますので、成績は優秀だったと考えられます。

織原城二は「金聖鐘」という在日韓国人2世でしたが、1971年に韓国籍から日本国籍に変更しました。また、慶應大学在学中に「整形手術」を行なっています。このとき、在日韓国人特有の顔立ちを消し去るべく整形していると考えられています。国籍も日本に変更し、顔も日本人風に変えているということで、日本人として生きていく気持ちがあったのでしょう。

その後、在日韓国人の父親から引き継いだ駐車場の経営や、不動産業で成功しました。その資産はピーク時に40億円を超えていたと言われています。

しかし、ルーシー・ブラックマンさん事件で逮捕される2000年以前には、これらの事業は失敗に転じていて、自宅の差し押さえ、所有する物件の差し押さえを受けていました。事業の失敗は強いストレスになっていたのか、1998年には女子トイレ盗撮事件を起こして罰金刑という前科も残っています。

 

織原城二は在日韓国人だった?

引用: Pixabay

上の経歴でも触れた通り、織原城二の父親は在日韓国人でした。そして織原城二も在日韓国人2世でした。1971年に日本に帰化するまで「金聖鐘」という在日韓国人名を持っていたことがわかっています。

このことが、ルーシー・ブラックマンさん事件の報道があまり行なわれていないことに関係しているのではないか?と推測されています。ルーシー・ブラックマンさんが失踪した前後は、彼女の画像を映すなど、大々的にマスコミによって報道されていました。

しかし織原城二(金聖鐘)逮捕後、インターネットを中心に「在日韓国人である」という情報・画像が流布しました。同時にマスコミによる報道が鎮火してしまったと言われているのです。

織原城二が在日韓国人であるという情報・画像が知れ渡ったことで、報道しづらくなったのではないか・在日韓国人に対する忖度が行なわれたのではないかとも推測されています。

織原城二は、整形まで行なって日本人風の顔立ちにしています。また、親から受け継いできた国籍を自分の意志で日本籍に変更しています。これらの事を鑑みても、在日韓国人であることにアイデンティティを持っていたと言うよりは、日本人として生きていく覚悟を決めていたのではないか?と受け取れますが、真相はわかりません。

日本ではほとんど報じられなくなっていたルーシー・ブラックマンさん事件ですが、イギリスでは様々な報道が展開されていました。

こちらは、事件を追い続けた記者・ロイドパリー氏の書籍の画像です。

 

犯人の織原城二の犯行動機は?

ここまで、ルーシー・ブラックマンさん事件の犯人である織原城二(金聖鐘)についてお伝えしました。ルーシー・ブラックマンさん事件の犯行動機ですが、いったいどのようなものだったのでしょうか。

これについては、彼がルーシー・ブラックマンさん殺害を認めていないため、犯人によって犯行動機が語られていない状況です。犯行動機の真相は、今に至るまで正確にはわからないものとなっています。

しかし、ルーシー・ブラックマンさん事件・犯人の織原城二(金聖鐘)は、高校在学中から昏睡強姦を繰り返していたとされていますので、強姦目的が真相ではないかという意見が多く見られます。

また、事件前に事業で失敗していたことも注目する点かもしれません。自宅・所有物件の差し押さえなどが行なわれていたため、ルーシー・ブラックマンさん事件・犯人の織原城二(金聖鐘)にはストレスがあったのではないでしょうか。このことも犯行動機につながった可能性があります。

 

犯人の織原城二の判決は?

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ルーシー・ブラックマンさん事件の詳細や、犯人・織原城二(金聖鐘)の経歴、犯行動機などを詳しく説明してきました。ルーシー・ブラックマンさん事件はどのような判決となったのでしょうか。

結論としては、織原城二(金聖鐘)は無期懲役となりました。ここでは、判決の詳細をご説明します。

 

第一審(2006年)

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第一審は2006年、東京地裁で行なわれました。ルーシー・ブラックマンさんの父親であるティム・ブラックマンさんが証言台に立ち、織原城二を「怪物」「涙も後悔もない」「罪の意識もない」と批判しました。

また、ティム・ブラックマンさんは、織原城二(金聖鐘)の友人を通して、1億円の「お悔やみ金」を受け取っています。これは織原城二側の、情状酌量を狙っての振る舞いとされています。

東京地検は、積み重ねた数点の状況証拠から有罪を主張。無期懲役を求刑しました。

 

判決公判(2007年)

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2007年7月の判決公判では、東京地裁は織原城二に『無期懲役』を言い渡しました。

ルーシー・ブラックマンさん以外の女性(9人)への準強姦致死罪などは事実認定されましたが、ルーシー・ブラックマンさん事件に関しては真相が不明瞭で「合理的疑いが残る」「関与した可能性はあっても証拠がない」とされ、無罪でした。

東京地検・織原城二側ともに、判決を不服として東京高裁に控訴しました。

 

控訴審・上告棄却(2008年~)

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2008年3月、控訴審の初公判が行なわれました。

弁護側(織原城二側)はルーシー・ブラックマンさん事件のすべての罪と、別件の致死罪で無罪を主張しました。検察側は有罪を求めました。2008年7月、別件の致死罪の被害者遺族に、お悔やみ金1億円を渡していたことが発覚しました。

2008年12月、控訴審判決が行なわれました。東京高裁は、第一審の判決を破棄した上で、改めて無期懲役判決を言い渡しました。ルーシー・ブラックマンさん事件について、準強姦致死罪は認められませんでしたが、わいせつ目的誘拐や準強姦未遂などで有罪と認定されました。

織原城二側は、不服として最高裁に上告しましたが、2010年に上告は棄却され、無期懲役が確定しました。

 

織原城二の現在【ルーシー・ブラックマンさん事件】

引用: Pixabay

今回の記事では、ルーシー・ブラックマンさん事件の概要や真相、ルーシー・ブラックマンさんの画像、犯人・織原城二(金聖鐘)の経歴、事件の判決内容などをお伝えしました。

2010年に最高裁で無期懲役が確定した、犯人・織原城二(金聖鐘)の現在は、どうなっているのでしょうか。2019年現在、織原城二(金聖鐘)は、主に凶悪犯が収容される”長期刑務所”で受刑していると言われています。

また、ルーシー・ブラックマンさんの遺体が遺棄されていたのは、織原城二(金聖鐘)が所有していたマンションの近くでした。現在、このマンションはどうなっているのでしょうか。マンションの住民によれば「資産価値が大きく下落してしまった」、「織原城二(金聖鐘)が所有していた部屋は、数年前に市によって差し押さえられた」と言われています。

以前から昏睡強姦という非道な事件を繰り返していた織原城二(金聖鐘)。そんな織原城二が、何の罪もない外国人女性を殺害・遺棄した事件が「ルーシー・ブラックマンさん事件」でした。

日本のマスコミがあまり報道しなかったため、認知度が低く、捜査的にも色々と不可解な点が残る事件となってしまいました。遺族の方の無念を思うと、いたたまれない気持ちになります。

このような事件が今後起こらないようにするためにも、ルーシー・ブラックマンさん事件を風化させたくないものです。

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