東電OL殺人事件の真相!慶應卒エリート渡辺泰子はなぜ殺されたのか?

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東電OL殺人事件とは?

引用: Pixabay

1997年に起きた東電OL殺人事件は、慶応卒のキャリアウーマンが夜になると街娼になり節操なく男と交わっていたという衝撃的な内容で、世間から大きく注目される事件へと発展していきました。

東電OL殺人事件の犯人は逮捕されたものの、一環して無罪を主張していました。15年以上も経ってから再審が決定し、無罪判決となりました。東電OL殺人事件には、冤罪を生んだ事件でもあるのです。

東電OL殺人事件は、現在でも未解決事件のままです。東電OL殺人事件の流れから、真犯人と噂のある人物について、まとめてみました。

 

東電OL殺人事件の概要

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東電OL殺人事件の被害者である渡辺泰子さん(当時39歳)が遺体で発見されたのは、渋谷区円山町にある古く錆びれたアパートの一室でした。

発見時は、殺害されてから10日が経過していました。東電OL殺人事件のポイントを、まとめてみました。

 

【1】出勤


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東電OL殺人事件が起こった1997年3月8日、渡辺泰子さんは五反田にあるマンションで仕事の書類に目を通していました。この日は土曜日で、会社は休日でしたが彼女はスーツ姿でした。

東電OL殺人事件の被害者である渡辺泰子さんがこの日居た場所は、派遣型風俗店「魔女っ子クラブ」の事務所でした。東電OL殺人事件が起こった日、彼女は土日・祝日のみ働いていた派遣型風俗店に12時30分に出勤し5時まで事務所で待機していたことが判明しています。

 

【2】庭


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15時になり事務所を後にした渡辺泰子さんは、五反田から場所を変えて渋谷へ向かいました。渡辺泰子さんは、渋谷の「109」のトイレで派手なファッションとメイクに身を包み、ウィッグを着けて街娼へと変身することが毎日の儀式だったのです。

儀式を終えた渡辺泰子さんは、18時40分頃に約束をしていた年上の男性と渋谷駅のハチ公前で落ち合い、一緒に渡辺泰子さんの「庭」だった円山町のホテル街まで場所を移動しました。

ラブホテルに入り、チェックアウトしたのは22時16分だったことが明らかとされています。

 

【3】事件直前

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初老の男性と別れた後、神泉駅方向へ歩き出しましたが、再度場所を変え円山町方面へ戻っています。その道中、すれ違う男性に手当たり次第声をかけていました。23時頃、途中で出会った男性と一緒にホテル街へ向かいました。

1997年3月8日23時45分頃、また場所を変え、今度は古びたアパート(喜寿壮)の前で、東南アジア系の男と話をしている渡辺泰子さんの姿が目撃されています。渡辺泰子さんは、その男と一緒にアパートへ入りました。

アパートに入ってからは、しばらくは男女の声が聞こえていましたが、0時頃には何も聞こえなくなったと近隣住民は証言していました。この時、既に東電OL殺人事件は起こっていたのです。

 

【4】発見

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東電OL殺人事件の事件場所は、現在でも存在します。

東電OL殺人事件が起こった当時、アパートの管理を任されていた男性は、1997年3月18日に101号室の玄関横の窓が少し開いており、誰かが床に横たわっている姿を見ていました。しかし、はっきりと見えた訳ではなく、一部分が見える程度だったといいます。

当時、101号室は空き部屋で電気やガスも止まっていました。目撃した男性はドアの鍵が開いていたことから、誰かが勝手に入って寝ているとしか考えずに、鍵をかけてその場を去りました。

しかし、翌3月19日に再度101号室の前を通ると、昨日と同じ状態で人が横たわっている姿を確認します。どうも様子がおかしいと感じ、午後5時55分頃に警察へ通報しました。部屋の中を警察官が確認すると、そこには渡辺泰子さんが仰向けで横たわっていました。

 

【5】事件詳細

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東電OL殺人事件の被害者である渡辺泰子さんの死因は絞殺でした。死亡推定日時は、胃の内容物から視て3月8日の深夜とされています。母親が捜索願を出していた為、直ぐに身元が判明しました。

渡辺泰子さんは、着衣に大きな乱れはなく洋服の上にコートを羽織った状態で、横たわっていたそうです。

ただ、頭部に置かれたままのバッグは持ち手部分が引きちぎられており、財布の中から現金4万円が抜き取られていました。東電OL殺人事件は、強盗殺人罪で捜査が開始されました。

 

【6】逮捕

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当時、アパートに隣接していたビルの4階には外国人グループの住居がありました。警察は、この外国人グループの誰かが犯人だろうと睨んでいました。

すると、外国人グループの中から、東電OL殺人事件の場所となった101号室の鍵を預かった人物が浮上しました。また、その人物と渡辺泰子さんに接点があったことや現場に残されていた証拠品から、犯人が逮捕されたのです。

 

被害者渡辺泰子さんの経歴

東電OL殺人事件の被害者であり、東電OL殺人事件の真相を唯一知っている人物でもある渡辺泰子さんは、どのような人生を歩んでいたのでしょうか。

彼女の「表の顔」について、まとめてみました。

 

【1】家庭

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東電OL殺人事件の被害者となった渡辺泰子さんは、1957年6月7日生まれで、事件当時39歳でした。

渡辺泰子さんの家族は、父・母・妹の4人家族です。中学生の頃に、東京都杉並区永福に引っ越してきています。それ以前に住んでいた場所は、わかっていません。

父親は東京大学の工学部を卒業し、東京電力へ就職しました。渡辺泰子さんの父親も非常に優秀で、東京電力で管理職を経験されています。母親は日本女子大卒の超お嬢様育ちで、妹も東京女子大を卒業し大手企業へ就職しています。まさに、絵に描いたような理想の家族だったようです。

超お嬢様として育った渡辺泰子さんは、慶応女子高等学校に進学し、エスカレーター式で慶応義塾大学経済学部へ進学しました。

 

【2】父性

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東電OL殺人事件の被害者となった渡辺泰子さんは、非常に父親に溺愛されて育っており、かなりのファザコンだったことは近所でも有名でした。

しかし、1977年、渡辺泰子さんが大学2年生の20歳の時に、最愛の父親が癌を患い52歳の若さで他界します。当時、渡辺泰子さんは父親の死を受け止めきれなかったようで、拒食症を発症し痩せ細ってしまいました。渡辺泰子さんは、この時期から少しずつ精神が歪な線を描き始めていたのかもしれません。

 

【3】母性

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東電OL殺人事件で被害者となった渡辺泰子さんと母親との間には、長年の確執があったことも噂されています。母親は、夫が研究ばかりで出世欲があまりないことや、異常に長女を可愛がる姿を嫌っていたことが噂されていました。

渡辺泰子さんが東電OL殺人事件に巻き込まれた原因には、仕事のストレスと見られています。しかし、本当は家族関係の悪化や父性に枯渇していた可能性が秘められていたとも考えられます。

 

【4】エリート

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東電OL殺人事件で被害者となった渡辺泰子さんは、慶応義塾大学を卒業した後、父親と同じく東京電力に入社しました。

東電OL殺人事件で被害者となった渡辺泰子さんは、入社当時「父の名を汚さぬよう努力して参ります」と語っています。父親の面影を探して、東京電力に入社したように感じる言葉です。

東電OL殺人事件の被害者となった渡辺泰子さんは、東京電力に入社後に総合職(研究職)へと配属されました。当時、「総合職」という名前が誕生したばかりの時代でした。幹部候補生の集団に女性が配属されることは非常に珍しく、東京電力の中で総合職に配属された女性は渡辺泰子さんが初めてだったのです。

東電OL殺人事件で被害者となった渡辺泰子さんは、月に2本はレポートを提出していたそうです。渡辺泰子さんの父親も、同じくさまざまな研究レポートを残していました。東京電力で将来の出世を約束された渡辺泰子さんは、まるで父親と同じ場所に立とうとしているようでした。

 

【5】人間関係

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東電OL殺人事件の被害者となった渡辺泰子さんは、普段から非常に大人しい性格でした。捜査では、友人を含め親しくしていた人物が浮上してこなかったほど、人間関係が希薄だったようです。

渡辺泰子さんは、会社での人間関係も皆無だったそうで、飲み会や食事会にも参加したことは殆どありませんでした。就業時間の9時から5時をきっちりと守り、残業で会社に居座るタイプでもありませんでした

 

【6】メンタルサイン

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東電OL殺人事件で被害者となった渡辺泰子さんは、父親が亡くなった時にストレスから拒食症を発症しています。再度、1985年頃に拒食症が発症し入院にて治療しています。

渡辺泰子さんのメンタルは、既に崩壊し始めていたのでしょう。家庭や職場で心の拠り所を見つけられなかったのかもしれません。しかし、亡き父のいた場所である東京電力から離れることができなかったと思われます。

 

【7】出向

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渡辺泰子さんは拒食症の治療から職場復帰後、1988年8月に日本リサーチ総合研究所へ出向命令が下りました。当時、同じ職場だった人たちは、渡辺泰子さんのことを「全く感情を出さない人だった。生気が全く感じられなかった」と語ってました。

また、拒食症の症状は続いていたようで、食事もまとも取っていなかったことや、濃ゆいコーヒーにカップに大盛の砂糖を入れて飲んでいたり、常に大量のサプリメントで必要栄養を補っていたことも語られています。

恐らく、この出向は渡辺泰子さんの中で汚点だったのかもしれません。この頃に、同じ総合職の女性が海外留学へ推薦されています。彼女の中で、初めて味わった挫折だったのかもしれません。彼女が東電OL殺人事件に巻き込まれた要因は、この出向時期に関係しているようです。

 

【8】出世

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出向後、本社に戻った渡辺泰子さんは、優秀なレポートを作成し続けました。レポートは社外からも高く評価され、大賞を取るほどだったのです。

1993年には、企画部経済調査室の副長への出世を果たすことになります。渡辺泰子さんが身を粉にして勝ち得た地位だったのです。当時の直属の上司は、東京電力の会長にまで上り詰めた人物でした。

渡辺泰子さんが、ここまで頑張ってきた背景には、やはり父親の存在が大きかったようです。父親が東京電力で「反原発」を推奨するレポートを提出したことで、当時不当な人事が行われ役職を1年で降格させられたと噂されていました。

渡辺泰子さんは、父親が成し得なかった「反原発」に関するアプローチに挑戦する為に、必死で東京電力に勤めていたといわれています。実際に、渡辺泰子さんも父親と同じように「反原発」に関するレポートを発表していることが明らかとなっています。

 

被害者渡辺泰子さんは夜職をしていた?

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東電OL殺人事件で被害者となった渡辺泰子さんは、東京電力の総合職で働き着実に出世していました。当時の年収は軽く1000万円以上あり、東電OL殺人事件で殺害された後、銀行口座には1億円近くが残されていたとの噂もありました。

金銭面での苦労を全くしていない渡辺泰子さんが、なぜ東京電力とは別に夜職をしなくてはならなかったのでしょうか。東電OL殺人事件で殺害された渡辺泰子さんの「裏の顔」について調べてみました。

 

【1】始まり

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東電OL殺人事件で被害者となった渡辺泰子さんは、拒食症で入院していた1985年頃から精神的な崩壊が始まっていたようです。出向していた時期と重なる1989年頃から夜の仕事を始めました。

最初は、ホステスとして働き始めます。しかし、渡辺泰子さんは社交的はタイプではなく、接客が上手くできなかったことで、顧客を得ることができませんでした。彼女は次第に、店にいられなくなりホステスの職を辞めました。

 

【2】居場所

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東電OL殺人事件で被害者となった渡辺泰子さんが次に働きだした場所は、派遣型風俗店「魔女っ子宅急便」でした。

この店は、五反田のマンションの一室に事務所を構えており、電話対応兼事務員の男性と、派遣される女性が待機するだけの小さな部屋でした。彼女は、土日・祝日のみ12時30分から17時まで、事務所に待機して指名が入るのを待っていました。

当時一緒に働いていた女性によると、「待機している時も、誰とも何もしゃべらなかった。常に、書類みたいなものを呼んでいた。風俗で働くような恰好ではなく、ビジネスファッションで来ていた。化粧もせず顔色も悪く、痩せ細っていた。冷やかしか社会科見学のつもりで来ているんだと思った」と語られていました。

渡辺泰子さんが派遣型風俗店で働き始めた頃、既に30歳が目前でした。若い子ばかりに指名が入り、彼女が派遣されることは、殆どなかったそうです。

それでも、彼女が出勤し続けた理由は、居場所を求めていたのではないでしょうか。家庭にも居場所がなく、人間関係が希薄だった彼女にとって、会社が休みの日に居られる場所が欲しかったのだと感じました。

 

【3】変化

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東電OL殺人事件で被害者となった渡辺泰子さんは、とうとう1996年6月頃から街娼の世界に足を踏みいれたのです。

毎日仕事が終わると渋谷向かっています。渋谷に到着すると、「109」のトイレでド派手な洋服とメイクにウィッグを着けて、全く別人へと変身していたのです。

そのまま、道玄坂を上り円山町のホテル街へと場所を移動します。円山町のホテル街には「道玄坂地蔵」が立っており、その横で「立ちんぼ」をしていたのです。毎日、4人と性交渉することを自分に課せていたようで、その詳細は事細かに手帳に記されていました。手帳は、街娼の顧客名簿になっていました。記録されていた人数は、身元が判明した人だけでも88名に上りました。

渡辺泰子さんは、円山町では本性をむき出しで生きていました。会社で見せる顔とは全く異なり、行き交う男性に「SEXしませんか?」「いくらでも構いません」と大きな声で呼び込みをしていた姿を、同じ街娼の女性たちは見ていました。

また、彼女は路上で排尿をしたり、ラブホテルでは出禁になる行為に走ることも多々あったそうです。また、酒の空き瓶を酒屋に持って行っては一本5円で買い取ってもらってい、その5円をコツコツと貯めては、お札へと両替することが趣味だったようです。

また、渡辺泰子さんの客だったという男性によれば、渡辺泰子さんはコンビニでおでんの具を1個か2個程度しか買わずに、容器には溢れんばかりに汁を入れていたといいます。そして、いつもその汁を飲み干していたと語っていました。

渡辺泰子さんは、毎日必ず神泉駅0時34分発の電車に乗り、永福駅へと帰宅していました。電車の中でも、ふらふらと揺られては人にぶつかっても気にもせず、真っ青な顔でパンを貪り食べていた姿を目撃されています。

そのルーティンは、一切乱れることがなかったそうです。まるで、ルールとして誰かに洗脳されているようでした。

 

【4】気づき

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渡辺泰子さんの母親は、娘が街娼をしていたことを気づいていたともいわれています。

確かに、出勤時と帰宅時の服装やメイクが全て変わっていたら、異変に気がつくはずです。しかし、毎日ボロボロで帰宅していた娘のことを、家族は見て見ぬふりをし続けていたのです。

また、東京電力も渡辺泰子さんが街娼をしていたことを、黙認していたともいわれています。彼女の顧客名簿の中には、東京電力の重役が2名記録されていたことが明らかになっています。しかし、重役は「全く無関係」と主張し、東京電力側もコメントは行っていません。

東電OL殺人事件で被害者となった渡辺泰子さんの周囲の人間は誰ひとりとして、彼女に手を差し伸べていないように見受けられます。彼女が崩れ行く様を、ただ眺めていただけだったのでしょうか。周囲の人間の気づかないふりが、彼女の崩壊をさらに加速させたように感じます。

 

犯人はゴビンダさん?【東電OL殺人事件】

東電OL殺人事件が起きた時、真っ先に犯人だと疑われてしまったゴビンダ・プラサド・マイナリさん。彼は、ネパール人で日本へ出稼ぎに来ており、母国には両親・妻・娘2人を残していました。

ゴビンダさんは、東電OL殺人事件当時、事件場所であるアパートに隣接する粕谷ビルで、同じネパール出身の仲間4人と住んでいました。

ゴビンダさんらはオーバーステイをしていた為、仲間のことを考えると真実を素直に語ることができませんでした。ネパール人だったゴビンダさんを犯人と見ていた警察は、1997年3月に不法滞在で逮捕しました。

そして、渡辺泰子さんが遺棄されていた場所からゴビンダさんの体毛と、トイレからゴビンダさんの精液の着いたコンドームが発見されたことで、警察側は完全にゴビンダさんを犯人だと決めつけました。

確かに、ゴビンダさんは事件前に渡辺泰子さんが遺棄されていた部屋で、渡辺泰子さんと性行為をしていたことが発覚していました。それは事件前の2月末だったと証言しており、アパートで見つかった体毛やコンドームはその時の物だと主張しました。

また、ゴビンダさんは、事件現場となった部屋を借りることを検討していた為、事件10日前に鍵を借りていましたが、事件前には既に知人を介してオーナーに鍵を返却していました。しかし、事件場所となった部屋には鍵がかかっていませんでした。

 

ゴビンダ容疑者に対する判決は?【東電OL殺人事件】

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ゴビンダさんは、犯人ではないと一環して無罪を主張していました。

しかし、事件当夜にゴビンダさんによく似た男性と渡辺泰子さんが事件場所のアパートの前で目撃されていたことや、現場で採取されたゴビンダさんの体毛や精液などから、ゴビンダさんが犯人だとし、1997年5月20日に強盗殺人容疑で逮捕しました。

警察側が提示した証拠は、いくつかの矛盾点が生じていました。当初、渡辺泰子さんと犯人とされたゴビンダさんを目撃したという証言がありましたが、その時間ゴビンダさんは職場からの帰宅途中だったのです。

渡辺泰子さんの体や衣服に付着していた体液から血液検査を行った結果、犯人はA型だと判明しましたが、ゴビンダさんはB型でした。また、この捜査では渡辺泰子さんの体に付着していた体毛や体液のDNA検査は行われていなかったのです。

また、一番不可解な点は、東電OL殺人事件で被害者となった渡辺泰子さんの定期券が巣鴨の民家から見つかっていたことです。犯人とされたゴビンダさんは、全く巣鴨に土地勘がなく定期券を捨てるには不自然な場所でした。捜査が、かなり杜撰だったことがわかります。

また、自供を強要する為に暴行を働いたり、犯人に仕立て上げる為に嘘の供述書にサインをさせたり、他のネパール人に就職先を紹介する代わりに証言内容を変えさせるなど、ゴビンダさんを犯人にする為に、状況証拠に供述を無理矢理合わせにるように警察官が操作したことが明らかになっています。

2000年4月の第一審では、ゴビンダさんは無罪となりました。しかし、検察側が控訴し、なぜかゴビンダさんは勾留され身柄が拘束されます。この拘留処置は、前代未聞だったといわれています。2000年12月の再審では無期懲役となります。

ゴビンダさんは即日控訴しましたが、2003年に棄却され実刑判決となりました。

 

ゴビンダさんは再審で無罪判決に【東電OL殺人事件】

ゴビンダさんを犯人とする警察や検察側に当初から疑問を持っていた人たちで、「無実のゴビンダさんを支える会」が発足されました。警察側のずさんな捜査を指摘し続け、再捜査を訴え続けました。ゴビンダさんも、2005年に再審を申し立てており、希望を捨てませんでした。

支援会や日本弁護士連合会の協力により、2012年再審が認められ刑の執行が停止されました。逮捕時にオーバーステイをしていたことで、保釈後には強制撤去命令が下り、2012年6月にネパールへと帰国されました。

ゴビンダさんが帰国した後、2012年11月に再審で無罪が確定し、ゴビンダさんが犯人ではなく無実だったことが証明されました。

日本の警察官による不当な捜査によって、東電OL殺人事件の犯人にされ、15年もの時間を奪われたゴビンダさん。しかし、現在でもゴビンダさんを逮捕した警察や検察側、無期懲役を下した裁判官らは、決して自分たちの非を認めていないのです。

取り調べをした警察官が、ゴビンダさんやその周囲の外国人に対して暴行や自白強要を行ったことも明らかになっていますが、一切の謝罪もありませんでした。東電OL殺人事件は、傲慢な警察官や裁判官の姿がはっきりと見えた事件だったともいえます。

 

ゴビンダさんのその後【東電OL殺人事件】

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15年もの歳月が流れ、ようやく母国へ帰ることのできたゴビンダさんは、帰国後どのように過ごしていたのでしょうか。東電OL殺人事件で冤罪をかけられたゴビンダさんのその後について、まとめてみました。

 

【1】帰国

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ゴビンダさんは帰国後、2012年12月に刑事補償請求を行っており、日本側も満額の補償金の支払いを行いました。

ゴビンダさんは、補償金でネパールの山道でも走りやすいラウンドクルーザーを購入し、家も建てることができたそうです。また、娘の結婚式の費用も支払うことができたと話していました。

また、自分を支援し続けてくれた「無実のゴビンダさんを支える会」は「なくせ冤罪!市民評議会」へと変化し、存続していることから、会への寄付も行いました。

 

【2】現実

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現在のゴビンダさんの話題となると、補償金の話ばかりがクローズアップされてしまい、ゴビンダさんの現実がきちんと報道されていないように感じます。

ゴビンダさんが日本に出稼ぎに来た理由は、両親と自分の家族が一緒に住める家を建てる為でした。ゴビンダさんは、日本のインド料理屋で働いては、月々の仕送りを家族に行っていたのです。

しかし、東電OL殺人事件で冤罪をかけられたゴビンダさんは、刑務所内で実父が病気で亡くなったことを聞かされました。ゴビンダさんは、親孝行の為に日本へ出稼ぎに来たことで東電OL殺人事件に巻き込まれ、大切な親の死に立ち会えなかった現実をどれほど悔いたことでしょう。

また、帰国して1年ほどで母親が亡くなり、両親と過ごす大切な時間を奪われたことへの悔しさを語られていました。

ゴビンダさんの妻は、ゴビンダさんが買春したことへのショックや先の見えない生活を15年以上過ごしたことで、感情のコントロールが上手くできなくなっていたのです。些細な事でも、異常に怒ったり泣いたりする症状に苦しんでいます。

ゴビンダさんが東電OL殺人事件で逮捕された頃、ゴビンダさんの娘たちは小学生でした。娘たちは、父親が日本で逮捕されたことで、学校で酷いいじめや差別を受けていたのです。逮捕されたのは、自分たちの父親ではないと言って育ったといいます。

ゴビンダさん自身も取り調べで受けた暴行がトラウマとなり、不安感や不眠などが続くPTSDを発症しました。

東電OL殺人事件で冤罪を着せられたことで、人生をめちゃくちゃにされてしまったゴビンダさん。家族との時間を失い家族との間に溝が生まれてしまったことや精神的なトラウマは、決してお金では解決できません。

補償金では絶対に解決できない重罪を、日本の警察官や裁判官が起こしたことを日本人の私たちが決して風化させてはならないと考えます。

 

【3】来日

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東電OL殺人事件で冤罪をかけられたゴビンダさんは、支援会の招待を受けて2017年に再来日をし、冤罪に関する講演会などに出席したり、マスコミのインタビューにも答えています。

来日中には、ゴビンダさんが収監されていた時に、頻繁に面会していたノンフィクション作家の佐野眞一さんと再会し、一緒に東電OL殺人事件の事件場所も訪れています。しかし、その顔は非常に強張っており、やはり当時の辛い記憶を拭い切れない様子だったそうです。

佐野眞一さんの取材によると、ゴビンダさんが辛い思い出となった日本に再度来日した理由には、日本が好きだからと語られていました。自分を信じて支援してくれた日本人が沢山いたことに心から感謝されている様子が記されており、ゴビンダさんの人柄の良さを感じました。

 

東電OL殺人事件の犯人はだれ?

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東電OL殺人事件で冤罪をかけられたゴビンダさんは、事件発生時にしっかりと捜査していれば犯人は捕まっていたはずだと語っています。

これから、東電OL殺人事件の真犯人が捕まる可能性はあるのでしょうか。現在までに、東電OL殺人事件の真犯人だと噂のある人物について、まとめてみました。

 

【1】376

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東電OL殺人事件では、「証拠番号376」の人物が浮上してきます。

これは、渡辺泰子さんの胎内から検出されていたDNAの人物であり、遺棄されていた部屋に落ちていた体毛や、渡辺泰子さんの爪の間に挟まっていた皮膚細胞と一致しています。恐らく、「証拠番号376」の人物こそが真犯人だと考えられています。

しかし、「証拠番号376」の人物に関するデータを警察側が保持していないことから、「証拠番号376」の人物は前科もなく、事件以降も警察に捕まることがなかった人物なのです。

「証拠番号376」の人物は、東電OL殺人事件で渡辺泰子さんを殺害し、全く関係ないゴビンダさんを冤罪へと陥れ、現在でもごく普通の人間の顔を被り平然と暮らしていると考えられます。

 

【2】ヤクザ

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東電OL殺人事件で被害者となった渡辺泰子さんの定期が巣鴨の民家で発見されたことで、渋谷から巣鴨が行動範囲の人物が怪しいと思われていました。

円山町のホテル街の場所を取り仕切っていたのは、巣鴨のヤクザだったといわれています。街娼らは、巣鴨のヤクザにいくらかお金を渡していたことで、その場所で商売の面倒を見てもらっていました。円山町のホテル街で働く街娼たちの流儀でもあったのです。

しかし、東電OL殺人事件で被害者となった渡辺泰子さんには、流儀を教えてくれる仲間もいなかったようでした。彼女は、以前から巣鴨のヤクザに目をつけられていたとの噂もあります。また、渡辺泰子さんが東電OL殺人事件前に、ヤクザから詰め寄られていたと証言する人物もいました。

円山町のホテル街を取り仕切っていた巣鴨のヤクザが犯人であり、上納金を支払わない渡辺泰子さんにキレて暴行し殺害した後、現金を奪って逃げた可能性があるとも見られています。

 

【3】東電

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巣鴨のヤクザについては、東電OL殺人事件の実行犯であり、渡辺泰子さんの殺害を仕向けるようにした真犯人がいるとも噂されています。

その真犯人こそ、当時東京電力で渡辺泰子さんの上司だった人間です。渡辺泰子さんは、父親と同様「反原発」のレポートを提出していました。

そこには、地震大国日本での原子力発電所のリスクについて書かれており、この事実の公表を避ける為、東京電力の幹部が巣鴨のヤクザに依頼し渡辺泰子さんを殺害したと見ている人もいます。

偶然なのか、渡辺泰子さんの父親も昇進してから「反原発」のレポートを発表しており、直ぐに降格処分を受けているので、この推測もゼロとは言い切れないようです。

 

東電OL殺人事件まとめ

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当時、東電OL殺人事件の報道は過熱し、被害者のプライバシーに関して論争が巻き起こりました。東電OL殺人事件は、それほどショックな内容でありながら、女性が陥りやすい闇を体現しているようにも見える事件でした。

東電OL殺人事件で被害者となった渡辺泰子さんは、父親を亡くした時点で精神のバランスを崩し始め、年を重ねるごとに歪みが進行していきました。

彼女は、心の拠り所を見つけられず心身を痛めつけることで、いつか全てが満たされる日が来るのを祈っていたのかもしれません。

しかし、これらも全て憶測です。東電OL殺人事件の当事者がいない今、誰しも憶測でしか語ることしかできないのです。

東電OL殺人事件の被害者は、渡辺泰子さんだけではありません。冤罪によって15年以上の時間を奪われたゴビンダさんも、同じく東電OL殺人事件の被害者なのです。

これから、外国人労働者が増え続けていく日本で、不当な捜査によって二度と冤罪が生まれないよう、警察官には偏見や差別のない捜査に従事してもらいたいと願います。

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