引用: Pixabay
昭和50年代、人気モノマネ芸人として活躍をしていた佐々木つとむ。この佐々木つとむが1987年、当時交際していた愛人にメッタ刺しにされて殺害されるという事件が起きました。
これが今回注目する「佐々木つとむ殺人事件」になります。
当時佐々木つとむは「元祖モノマネ四天王」として高い人気を博し、トップレベルのモノマネ芸人とまで言われるほどの人でした。現在モノマネタレントとして人気となっているあの神無月さんの師匠でもあったのです。
そんな大人気の芸人さんが殺害された…しかもメッタ刺しという恐ろしくショッキングな殺され方をしたということで、当時はこの事件が非常に話題となったんですね。
では……それほどの人がどうしてこんな殺され方をすることとなってしまったのでしょうか?佐々木つとむを殺害したという愛人とは?2人の間に一体何があったのでしょうか?
今回この記事ではそうした「佐々木つとむ殺人事件」に関する様々な真相について迫り、詳しく解き明かしていきます。
また実はこの事件、何故かあの稲川淳二さんの怪談にも登場していて…そのことでも大きな話題になっていたりするんですね。ですのでそんな稲川淳二さんの怪談についても一緒にご紹介していきたいと思います。
読者の皆さんの中にももし佐々木つとむや当時の事件をまだ覚えているなんて方がいらっしゃいましたら、より注目をするようにしてみてください。
佐々木つとむの経歴
それではまずは佐々木つとむがどんな人物だったのかというところから見ていくことにしましょう。
幼少期~芸人になるまでどんな人生を送ってきたのか?どんなモノマネ芸人で、どれほどの人気があったのか?など、佐々木つとむのこれまでの経歴をまとめていきたいと思います。
モノマネ芸人として人気が出た後の佐々木つとむの生活の様子などもまとめていくので、そちらにも注目するようにしてみてください。
【01】幼少期からモノマネが好きで人気者だった
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佐々木つとむは1947年7月23日に兵庫県神戸市に生まれ、幼少期もそのまま神戸市で育ちました。ちなみに佐々木つとむというのは芸名で、本名は佐々木宏幸(ひろゆき)でした。
佐々木つとむは小さい頃から活発な男の子でお笑いが好きで、小学生になると特にモノマネにハマるようになり、自らも先生のモノマネなどをするようになっていったそうです。
しかもそのクオリティもなかなか高く、クラス中が笑いに包まれるほどだったんだとか。佐々木つとむもクラス内ではかなりの人気者となっていたようですね。
当時から既に人を観察する能力も高かったようで、そのためモノマネもそれだけ上手だったようです。佐々木つとむ自身も「自分には才能がある」と子供ながらに感じるようになっていき、それがキッカケで本格的にお笑いにも興味を持つようになっていったんだそうです。
【02】17歳で浅草松竹演芸場の司会に抜擢
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そうしてお笑いの世界に本格的に興味を持つようになり、段々と自分の才能にも自信を持つようになっていった佐々木つとむは、なんと高校生の時にはもう自ら番組に書類を送るなどして、芸人になろうと積極的に動き始めていたんだそうです。
しかも書類が通り、素人として何度か演芸番組に出演したりもしていたようです。その際ももちろん得意なモノマネ芸を番組内で披露していたようですよ。
すると17歳の時、佐々木つとむに更なる転機が訪れることに…当時佐々木つとむの芸人の先輩だった人が佐々木つとむのモノマネ芸を見て一目置くようになり、なんと「浅草松竹演芸場の司会をやらないか?」と声を掛けてきたのです。
もちろん佐々木つとむはこの話を喜んで受けることに。当時はまだ高校生で学校にも通っていたというのに、途中で退学をし、そしてすぐに上京。実際に浅草松竹演芸場の司会に抜擢され、そこから芸能の世界へと飛び込むこととなっていったのです。
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【今日の男はつらいよジャケ】1969年の今日、シリーズ第一作が公開されたことにちなんで8月27日は「男はつらいよ」の日。写真は元祖ものまね四天王のひとりとして活躍した佐々木つとむ’75年のシングル『佐々木つとむの麻雀教室 スター編』。 pic.twitter.com/5JjYP1Lz97
— サウンドパック本店(中古レコード・CD) (@soundpak) August 27, 2018
その後佐々木つとむはモノマネ芸人としてどんどん成長し、活躍するようになっていくことに。TV出演などの仕事が段々と多くなり、世間の多くの人の前でモノマネ芸を披露する機会も増えていき…
その面白さで大きな話題にもなり、一気に世間の人気を集めるようになっていったのです。
そして昭和50年代(20代後半~30代)になると、はたけんじ・団しん也・堺すすむという当時同じく大人気だったモノマネ芸人達と一緒に「元祖モノマネ四天王」という風にも呼ばれるようになり、ますます高い人気を博すように。
1974年と1977年には放送演芸大賞部門賞を2度も受賞するという高い評価も受け、人気・実力ともにトップレベルのモノマネ芸人という風に言われるようになっていったのです。
【04】当時はあの神無月の師匠でもあった
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そうして大人気のモノマネ芸人として活躍するようになっていった佐々木つとむは1人の弟子を持つようにもなりました。その弟子というのが、現在モノマネタレントとして活躍しているあの神無月さんだったのです。
神無月さんは1987年、佐々木つとむ殺人事件が起きる少し前にデビューを果たすのですが、「師匠がいないと仕事が取れない」と言われたため佐々木つとむの弟子となったんですね。
ですので弟子になって少しして事件が起こってしまったわけなので…神無月さんが佐々木つとむと過ごした時間はそれほど長かったというわけではなかったのですが、それでも神無月さんは佐々木つとむを芸人として尊敬し、弟子として尽力もしたのです。
そのため実際事件が起きた時もやはり神無月さんは相当ショックを受けたようです。当時は動揺を隠せず、仕事をまともにできなかったりもしたようです。
【05】ギャンブル好きな一面も
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そうしてお笑い芸人として大きな活躍を見せ、弟子である神無月さんからも尊敬されていたという佐々木つとむ。ただ、完璧に良い人物だったのかというと実はそうでもないようで…私生活ではギャンブル好きという非常に困った一面もあったそうです。
好きというよりはもう依存というレベルで、時間ができればしょっちゅういろんなギャンブルをしていたようですし、その度に収入の多くをつぎ込んでいたようです。そのため芸人として多額の収入を得ていたものの、それでは間に合わず、段々と借金を抱えるようにもなっていったのです。
しかもその借金も少額ではおさまらず、一時期は数千万になったこともあったようですね。弟子だった神無月さんも佐々木つとむの代わりに借金の支払いをしたことが何度かあったそうで…佐々木つとむのそういったところは尊敬できなかったようです。
また佐々木つとむは当時結婚していて妻も子供もいたのですが、そういった性格や借金のせいで妻との夫婦仲も最悪だったとのことです。事件が起こった時も別居をしていて、妻と子供とは一緒に住んではいなかったんですね。
佐々木つとむ殺人事件の概要
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そうして私生活では何かと問題があったものの、モノマネ芸人としては才能を見せ高い人気・評価も集めていた佐々木つとむ。
しかし1987年9月、ついにあの事件が起きてしまい殺害されてしまうことに…当時交際していた愛人にメッタ刺しにされ、40歳という若さで亡くなることとなってしまったのです。
一体どうしてそのようなことになってしまったのでしょうか?まずはその事件の概要について詳しく見ていきたいと思います。
【01】現場は当時交際していた愛人のマンション
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事件が起こったのは1987年9月4日。現場は佐々木つとむが当時交際していた愛人の女性が住んでいたマンション、東京都板橋区高島平にあるマンションでした。
佐々木つとむは妻との関係が悪化し別居するようになった後、ずっとこのマンションでその愛人の女性と生活をしていたのですが…9月4日にこの部屋で殺され、その後息絶えているのを発見されたのです。
先程もお話したように、この時佐々木つとむはまだ40歳という若さで、芸人としてもまだまだ活躍し高い人気を博している真っ最中でした。そのためこの事件には世間もとても驚き、一気に注目を集めるようになったのです。
【02】佐々木つとむはメッタ刺しにされていた
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発見された佐々木つとむは包丁で数十箇所をメッタ刺しにされて殺害されていました。そのため出血量もかなりのもので、現場であった部屋の中は一面血の海になっていたそうです。
そのため殺人事件というのは明らかで、警察もすぐにその線で捜査を始めることとなりました。現場が愛人のマンションであり、その愛人の女性が行方不明でもあり、
おまけに遺体の枕元にはその愛人の女性が書いたと思われる手紙も置かれていて、中には殺したことに対する後悔の思いなどが書かれていたので…愛人の女性が犯人であるという考えが濃厚になったのです。
しかも…佐々木つとむはメッタ刺しというひどい殺され方をしていましたが、その遺体には毛布が丁寧にかけられており、枕元にはお供えのようにお水も置いてありました。
これも愛人であった女性が、殺害してしまったものの佐々木つとむを愛していたからこそ遺体を丁寧に扱ったのだろうと、警察は考えるようになったのです。
【03】発見したのは事務所の社長
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この事件で遺体を最初に発見したのは、当時佐々木つとむが所属していた事務所の社長でした。
9月5日に高松公演がある予定だったのにその前に佐々木つとむと一切連絡が取れなくなってしまったため、心配した事務所のスタッフや社長がみんなで捜索するようになったのですが
この時社長が愛人の女性のマンションまで探しに来て、そして遺体を発見することとなったんです。
ただ…捜索に時間がかかってしまったためか、当初は愛人の存在を知らなかったためか、社長がマンションまで来るまでには数日かかってしまい……結局社長が佐々木つとむを発見したのは殺害されてから5~6日後のことでした。
そのため発見した時毛布から出ていた足は青紫色になっていたそうですし、まだ残暑の残る9月ということで遺体も腐り始めていて、部屋には腐敗臭も漂っていたそうです。
先程お話したように、現場は一面血の海にもなっていました。なので社長は佐々木つとむが殺されているということにもすぐに気付き、慌てて近くの派出所に通報をしたんだそうです。
こうして佐々木つとむ殺人事件は殺害から数日経った後で発覚することとなったんですね。
犯人は中野美沙【佐々木つとむ殺人事件】
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こうして佐々木つとむが無残な姿で発見され、警察は佐々木つとむと一緒に暮らしていた愛人の女性が犯人である可能性が高いということですぐに捜査を始めるようになったわけですが…
その愛人の女性、佐々木つとむを殺害した犯人というのは、中野美沙という女性でした。
先程もお話したように、佐々木つとむはギャンブル依存や借金のせいで結婚していた妻との関係が上手くいかなくなり、別居するようにもなったのですが
別居し家を出てからしばらくしてこの中野美沙と愛人関係になるようになり、そして現場にもなった中野美沙のマンションで共に暮らすようになっていったんですね。
ちなみに、お話したように佐々木つとむの遺体には毛布が掛けられていたり、枕元にお供えのような水が置かれていたりと、丁寧な扱いがされていました。その様子から中野美沙は殺してしまったものの…佐々木つとむを本当に愛し、そして大切に思っていたのではないかと思われます。
愛していたけれど…事情があり殺害することになってしまったのではないか、とこう予想されるのです。その考えられる事情=殺害した動機についてはまた後程詳しくお話させていただくので、そちらもぜひ一読してみてください。
中野美沙の経歴【佐々木つとむ殺人事件】
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ちなみにそんな中野美沙がどんな人物かというところですが…中野美沙は事件当時、池袋のパブでママをしている女性でした。彼女もギャンブルが嫌いではないようでよくポーカーゲーム屋などに行っていたようで、佐々木つとむともそこで出会ったそうです。
また経歴を調べたところ、中野美沙のこれまでの人生も佐々木つとむの私生活同様、なかなか波乱万丈な様子でした。中学を卒業後は工員として1年間勤務をしたそうですが、その後は1度結婚もしたことがあるそうです。
しかし結婚生活は上手くいかず、結局すぐに離婚。離婚後は下着販売輸入業の仕事にも就いています。詳しい時期は分かっていませんが、その後池袋のパブで働くようになり、ママにまでなったようですね。
さらに中野美沙は相当派手な生活もしていたようで…離婚後はいろんな男性と交際するようにもなり、愛人稼業などもしていたということです。
同時に複数の男性と付き合うなんていうのもよくあったようで、佐々木つとむと愛人になった時も実は他に3人の男性とも関係を持っていたようです。
佐々木つとむと中野美沙の関係は?
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そうしてなかなか派手で過激な人生を歩んできたと思われる中野美沙ですが…それでもやはり佐々木つとむには他の男性とは違う特別な思いがあり、本気で愛していたのではないかという風に考えられるようにもなりました。
お話してきたように、殺害した後佐々木つとむの遺体を丁寧に扱っていましたし、遺体のそばにあった手紙にも殺してしまったことへの後悔や佐々木つとむへの思いなどが綴られていたからです。
ただ……佐々木つとむの方は中野美沙に対して何かとひどい態度をとったり扱いをすることもあったようで…ケンカをしたり中野美沙が佐々木つとむを責めたりと、なかなか関係が上手くいっていないというのも事実だったようですね。
そして、そうした佐々木つとむの様々なひどい行いが中野美沙に殺害をさせる原因になってしまったのではないかと…こう考えられてもいるんですね。
ここではそんな佐々木つとむが行ったひどい行い、中野美沙が殺害をすることとなった動機として考えられている要因についてもいくつかご紹介したいと思います。
【01】お金の無心
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前述したように、佐々木つとむは大のギャンブル好きで多額の借金も作っていて…そのせいで妻との夫婦仲も悪化するようになりました。
中野美沙との場合もそうした借金やお金のことが原因で殺害される羽目になってしまったのではないか、という風にも考えられているのです。
実際佐々木つとむは中野美沙と愛人関係になった後、彼女に借金の肩代わり(1千万ほど)をさせるなんてこともしていたようです。それも1度とかではなく、借金をする度に何度も何度も中野美沙にお金をもらったりしていたそう。
そのうち次第に要求はエスカレートするようになり「まだ金が足りない」という風に強く言われるようにもなっていったんだとか。しまいには中野美沙のアクセサリーを勝手に売ったり、貯金を許可なく引き出したり、なんていう行動も見せるようになっていったそうです。
そうした佐々木つとむのお金を無心するところにはさすがの中野美沙も日頃から怒りを感じていたようで、それが原因によるケンカも多かったようです。そのため、それに耐えきれなくなった中野美沙がついに犯行に及んだのではないかと、こう考えられるようにもなったんですね。
【02】愛犬への暴力
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中野美沙が佐々木つとむを殺害した動機としてもう1つ考えられるのが、愛犬への暴力です。
当時中野美沙は自宅マンションで愛犬であるシーズーを飼っていてとても大切にしていたのですが、佐々木つとむは酔っぱらうとよくその愛犬に暴力を振るったりしていたようで…事件前にはその愛犬に暴力をふるい骨折させるというトラブルもあったらしいのです。
そしてそのことに怒った中野美沙が佐々木つとむを殺害したのではないかと、こういう風にも考えられているのです。
実際、中野美沙は事件後行方をくらます前にも愛犬をちゃんと動物病院に預けるという、愛犬を本当に思っていたんだというのが分かるような行動をとっています。
なのでこの動機の可能性も十分高いと考えられるようになったわけです。
【03】「お前は一生俺の金づるだ」と言われたのが原因
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また調べてみたところ、どうやら佐々木つとむは中野美沙の愛犬だけでなく、中野美沙本人にもDVをしていたということなのです。ギャンブルや借金などでストレスが溜まると、中野美沙に暴言を吐いたり暴力を振るっていたりといったことを日常的にしていたんだとか。
警察の捜査によると、事件が起こった日には「お前は一生俺の金づるだ」というひどい言葉も中野美沙に浴びせていたようです。
そして中野美沙は、日頃のDVなどの恨みがこの言葉をキッカケに爆発してしまい殺害してしまったのではないか…と、こういう風に考えられるようにもなったのです。
お話したように、中野美沙は佐々木つとむのお金を無心してくるようなところにも相当悩まされている様子でしたからね。そんな状態の中でこんなひどい言葉を言われてしまったら…確かに感情が爆発してしまうというのも無理はありませんし、これが動機という可能性も確かに高いのかもしれません。
ちなみにここまでは考えられる動機を3つに分けて紹介しましたが…一説では、これら全てのことが原因になっている可能性があるとも言われているんです。こうした様々な原因が積み重なって中野美沙に犯行に及ばせるキッカケとなってしまったのではないかと…その可能性も確かに高そうです。
いずれにしろ、佐々木つとむと中野美沙の関係は完全に良好というわけではなかったようですね。そしてやはり佐々木つとむにも殺害されるだけの理由はあったようです。
中野美沙は入水自殺?【佐々木つとむ殺人事件】
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では、そんな中野美沙はその後どうなったのか?警察に逮捕されたのか?ここまで読んできて、そこのところが非常に気になる人も多いと思いますが…この後中野美沙は逮捕されることも逃げきることもなく、悲しい形で結末を迎えることとなります。
というのも実は……中野美沙は事件から2日後の9月6日に、青森県むつ市大湊陸奥湾で入水自殺をしてしまったのです。
中野美沙の遺体は青森県のこの付近をたまたま散歩していたという男性が発見して、そしてすぐに警察に通報が来ました。通報後警察が現場に行くと、防波堤から海岸へ降りる階段の所に女性の靴が揃えて置いてあり、そして波打ち際にはうつ伏せで浮かぶ女性の姿があり…その女性が中野美沙だったのです。
中野美沙が亡くなった後すぐに遺書も見つかったため、自殺したという風に決定付けられることとなりましたし、同時にやはり中野美沙が佐々木つとむを殺害した犯人だったということも確信されるようになりました。
遺書の中には「お父さんを殺すなんて夢にも思わなかった」「私もお父さんのそばに行きます」という言葉が中野美沙の字で綴られていたからです。(お父さんというのは佐々木つとむのことを指しているのでしょう)
また遺書には他にも「ご迷惑をおかけします」「九州の母のところに連絡してください」という言葉もありました。これにより警察も、中野美沙が相当な覚悟を持ち自殺に至ったのだろうと考えるようになったのです。
そして…こうして佐々木つとむ殺人事件はなんとも悲しく無念な形で終わることとなってしまったんですね。
佐々木つとむのマンションが稲川淳二の怪談に登場?
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こうして中野美沙を捕まえることもないまま、収束を迎えることとなったこの佐々木つとむ殺人事件なんですが…実はこの事件、後にあることがキッカケでまた話題を呼ぶようになるんです。
それが冒頭でもお話した、稲川淳二さんの怪談です。厳密には事件のことというよりも、佐々木つとむのことや佐々木つとむが殺害されたマンションのことになるのですが、何故か稲川淳二さんがそういった事件に関する内容を怪談話に取り入れていて、実際稲川淳二さんはその話を様々な場で披露したりもしているのです。
ちなみにその稲川淳二さんの怪談というのは、「愛人のマンション」という話になります。
内容は…若手芸人であるピグモン勝田が佐々木つとむが殺害された中野美沙のマンションに格安だからといって引っ越してくるのですが、それからというもの身近で様々な心霊現象が起きるようになり、そのうち夢の中に佐々木つとむが出てくるようにもなるのです。
そしてそうして心霊現象に悩まされる中、最後はピグモン勝田も公演中に突然事故死してしまう…という、こういう話を稲川淳二さんがしているのです。稲川淳二さんはこの怪談を話す際は、時々佐々木つとむが殺害された事件の話なども加えたりすることもあり、その時はより恐怖が増す内容となっているんですよ。
しかし……どうして稲川淳二さんがこの佐々木つとむ殺人事件と繋がる怪談話をするようになったのか?その理由だけは未だに分かっていません。
稲川淳二さんが佐々木つとむと特に関係があったとかそういう話はないのですが…実は何か関係があったのでしょか?それとも単純に稲川淳二さんがこの事件に興味を持ったからなのでしょうか?
本当に起きた事件ということで、稲川淳二さんのファンの間ですとか実際にこの怪談を聞いたことがあるという人達の間でも度々話題となっているのですが…一体稲川淳二さんの真意とは何なのでしょう?
稲川淳二さんの怪談というのはただでさえ怖いものなのに、その真相が分からずじまいなので…それが余計に恐怖ですよね。
佐々木つとむ殺人事件まとめ
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今回は1987年に起こった事件、「佐々木つとむ殺人事件」についてまとめてきました。
佐々木つとむという人気芸人が殺されたという点や殺され方など、本当に恐ろしくショッキングな内容でした。しかも稲川淳二さんが何故かこの事件を怪談にもしていて…余計に恐怖は増すばかりです。
ただ今回この記事を読んでいただいて分かっていただけたかもしれませんが、佐々木つとむも芸人としては立派な方でしたが、やはり私生活では何かと問題が多い人物だったようで…
犯人であった中野美沙を一方的に悪者と責めていいのか、という感じもしてきます。
もちろんどんな理由があろうと殺人は決してやってはいけないことですし、中野美沙を許していいということではありません。しかしお金の無心や暴力など、佐々木つとむも中野美沙に対してかなりひどい行為をしていたようですし…やはり少し、中野美沙に同情してしまうところもありますよね。
佐々木つとむもとても才能ある素晴らしい芸人さんだったのに、本当に残念でなりません。
吉本興業のことなど、最近も芸人さんは何かと問題が浮上し話題になっていますが…やはり人を笑わせるという仕事についたわけですから。できれば私生活もそうした志を持った素晴らしい人を目指してほしいところですよね。
この佐々木つとむ殺人事件もそうですが、実際に芸人さんが起こしてしまった様々な事件などを知ってもらって、できればその上で今後も気持ちを改めて頑張っていってもらいたいです。
そして私達もそうした芸人さんを応援していって、もう悲しい事件などが起きないよう願っていきたいですね。